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2022.02.28

ウクライナの中世音楽

 

 シアの軍隊がキエフに迫っております。

 歴史は繰り返すのか、繰り返さないのか。

 13世紀、キエフ・ルスはモンゴル軍によって壊滅しました。それまでのキエフ近辺は、スラブ系の民族とフィンランド系の民族が仲良く暮らしていたといいます。

 その平和な過去の記憶が、この音楽たちには垣間みられます。

 一度滅んでしまった文化を復興するのは難しいことです。特に中世までは、地方では記譜法も確立しておらず、もちろん録音はなく、また当時の楽器もほとんど残っていないとなると、ある程度は想像で復元するしかありません。

 この録音の詳細は分かりませんが、使われている楽器の音や演奏の様式を聴くに、やはりたぶんに想像による部分が多いと感じます。しかし、そのように過去の民族的記憶にアクセスすることは、未来の記憶へのアクセスの訓練になるので、とても大切なことです。

 それにしても、この愁いを秘めた独特の旋律はなんとも心にしみますね。おそらくそちらあたりの血が混ざっていると思われるウチのカミさんは、こういう音楽に強く反応します(逆にいうと、長調の和声的音楽が苦手)。

 言語的、あるいは映像的記憶は遺伝子には残りませんが、聴覚や触覚、味覚というのはどうも残るようですね。だから近代文明では、言語や視覚に偏っているとも言えますし。忘れてしまう運命だから残そうとするのでしょう。

 ロシアやベラルーシの語源は「ルス」だそうです。もともと同じ民族なのです。ぜひ彼らの遺伝子の中にある共感覚を思い出してもらいたい。イデオロギーは遺伝子には残らないカスのような情報なのですから。

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2022.02.27

SBNR(霊的なれど宗教にあらず)

Th_unknown_20220301080801 日は、昼は尊敬すべきアカデミックな先生方のウェビナーに参加、さらに夜は尊敬すべき宇宙人たちと懇談の機会がありました。

 そのウェビナーでも一つのキーワードとして上がっていた「SBNR」。「Spiritual But Not Religious」の略です。すべて日本語で言えば「霊的なれど宗教にあらず(霊的だが宗教ではない) 」ということになりましょうか。

 一般には、特にアメリカの比較的若い「無宗教だがスピリチュアル」な人たちを指す言葉です。

 考えてみると、日本人は太古からそういう性質を持っていましたよね。宗教を宗教と意識したことはないが、ある意味非常にスピリチュアル、霊的な思考、生活をしてきました。

 その象徴が「天皇」でしょう。

 そういうこともあって、アメリカのSBNR層は日本に多大な(過大な?)興味を持っています。

 今、コロナもあってなかなか彼らは日本を訪れることができないわけですが、そういう世界状況だからこそ、さらに日本への憧れを強くしているようです。

 コロナ以前には、実際SBNR層をターゲットにしたインバウンド施策を企画した自治体もあったようです。

 そうしますと、やはり日本的霊性の象徴たる富士山麓でなにかやらねばなりませんよね。

 というわけで、今日はその第一歩となるであろう某拠点を作る具体的な話し合いも持たれました。単なるイメージとしてではなく、未来の科学や医療にもつながるプロジェクトです。

 そう、SBNRの方々って近代科学への疑念を持っているので、逆に新しい科学に対する期待も大きいのです。

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2022.02.26

ナターシャ・グジー 『YOU RAISE ME UP』

 

 本在住のウクライナの歌姫ナターシャ・グジーさんの平和への祈りを聴いてみましょう。

 ナターシャさんは、チェルノブイリで被爆したのち音楽を学び、今は日本に住んで活動しています。

 ウクライナと言えば、やはりバンドゥーラですよね。多弦の撥弦楽器です。リュートのような形ですが、構造的にはツィターのような感じでしょうか。

 右手で、ピアノのごとく半音階に調弦された固定弦を爪弾き、左手で指板上の低音弦を弾きます。指板を押さえて音程を変えることもあるようですね。

 いずれにせよ、かなり演奏が難しい楽器だと思います。まず調弦が大変そうですね。

 ナターシャさんの歌声は透明でとても美しい。ウクライナの民謡はもちろん、日本や世界の名曲もたくさん歌っています。

 「ユー・レイズ・ミー・アップ」は、言うまでもなくシークレット・ガーデンの楽曲です。案外オリジナルの聴いたことがない人が多いようなので、ここに紹介しておきます。名曲ですね。

 

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2022.02.25

DeepL (AI翻訳ツール)

Th_-20220226-122607 ちゃくちゃお世話になっております翻訳ツール「DeepL」。

 今日はこんなニュースになっておりました。

DeepLの翻訳結果に突如現れた顔文字「彡(^)(^)」が話題

 ちょっと勉強しすぎじゃないですか(笑)。

 それにしても、このドイツ生まれのAI翻訳ツールは優秀です。優秀すぎます。もう外国語の勉強いらないんじゃないかというくらい。

 実はこれを使って、超難解な日本語の文献を英訳しているのですが、まじでヤバい。日本人でさえ読解に苦労する文なのに、ちゃんと理解して整った英語にしてくれる。

 その証拠に、日本語と英語を入れ替えて翻訳してみると、より分かりやすい日本語になっている(内容は合っている)。ついにここまで来たかという感じですね。

 もちろん、その日本語の方をAI用に直して入力する場合もあります。主語を補ったり、長文を分割したり、単語を変えたり。つまり日本語の読解力と書き換え力を要求されるわけですが、まあいちおう日本語の専門家としてやってきたつもりなので、そこは得意というか自信をもっております。

 で、できあがった英文をネイティヴに見てもらうと…やはり「意味わからん!」というところがけっこうあるのですが、原文が難解なのだから、それはDeepLの責任ではありませんね。

 それにしても、このアプリのおかげで、英文のメールを書いたり読んだりすることがおっくうではなくなりました。助かります。そして、勉強になる。「ああ、こういうふうに言うんだ」と。

 これからほぼ毎日、ものすごい時間お世話になると思いますが、これを基本無料で使えるわけですから、なんともいい世の中になりましたよね。感謝です。

DeepL

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2022.02.24

ウクライナ戦争開戦と中国の動き

 シアがウクライナに本格侵攻しました。戦争が始まりました。

 加えて、機に乗じて中国が台湾にちょっかいを出しました。ロシアにとってのウクライナと、中国にとっての台湾の相似性について、私たち日本人はもっと深く認識し、そして憂慮しなければなりません。

 そのあたりについて、またロシアの論理について、かつて豊島晋作さんが実に分かりやすく解説(&予言)しておりました。皆さんにもぜひ、あらためてこの動画を観ていただきたい。

 ただ「戦争反対」というだけでは、戦争は止まりません。特に第三者的な立場にある国々は、「仲間の論理」だけに流されるだけでなく、「敵の論理」を理解した上で、軍事対決を避けるべく外交努力をしなければなりません。

 世界史が実証するように、「戦争」とは「平和」と「平和」の衝突です。ですから、それぞれの立場で「平和」を叫べば叫ぶほど、全体的な「平和」は遠のくというパラドックスに陥るのです。

 そういう意味で、特に2本目、「ロシアの論理」で読み解くウクライナ危機は、大変勉強になります。ぜひぜひご覧ください。「侵略的だったのは西ヨーロッパ諸国」、これは歴史的事実であり、日本もそれに対抗するためにかの戦争を決意しました。

 そして、今後特に日本が留意すべきは、ロシアと中国の共闘です。北京パラリンピックの終了後の中国の動きには要注意でしょう。

 やはり世界には「猛獣使い」が必要なようですね。日本、頑張らねば。

 

 

 

 

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2022.02.23

安宅の関にて

 夜は、期せずして安宅の関にて素晴らしい夕餉をいただきました。

 言うまでもなく、安宅の関と言えば、能「安宅」、あるいは歌舞伎「勧進帳」ですね。

 もちろんそうした伝統芸能についてもいくらでも書けますが、今日は現代的な表現、すなわちテレビドラマの名シーンの紹介です。

 まずなんと言っても、昨年秋に惜しくも亡くなられた二代目中村吉右衛門さんが弁慶を演じた「武蔵坊弁慶」。勧進帳のシーンはもちろん、金剛杖での仕打ちのシーンは、本当に涙なしには観ることができませんね。

 富樫を演ずる児玉清さんの抑えた演技も見ものです。テレビドラマ史に残る名シーンの連続です。

 

 

 あえてまた違った雰囲気の弁慶と義経を観てみましょう。美しすぎるがために悲しさが倍増する滝沢秀明の義経。これもまたある意味美しすぎる松平健の弁慶。美が切なさを生む好例でしょう。

 個人的には、石橋蓮司の富樫が好きですね。富樫のキャラクターは時代とともに変遷していますが、この富樫にもまた奥深い「情」を感じるのは私だけではないでしょう。

 

 

 歴史的にはフィクションでありますが、物語にこそ真理、真実が宿ることを私たちは知っています。昨日も話題になった仲小路彰は「日本文化の象徴的創造」の中で、この「安宅の関」の物語を取り上げています。抜粋します。前後はご想像ください。

 われわれはしばしば、愛情が最も深くつよいときには、それがはげしい反対表現をとることも知っていはいないであろうか?——弁慶がその主義経を金剛杖で打ちすえる"安宅の関"の心痛なエピソードを知っている。そしてこのような例は無数にあるであろう。

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2022.02.22

多機能リュックサック

Th_51krycnu5xl_ac_ul1221_ ぜかファッション界のカリスマの方にお招きいただき、大雪の石川県に来ております。

 今回の旅のために購入したリュックがこれです。今日一日使用しただけですが、けっこう良かったのでおススメします。

 昨年から旅の機会が増え、その際いつも持っていかねばならないいくつかのスペシャル・アイテムがありまして、まずそれらを安全に運べるというのが一番でして、容積の大きさとともに、底の面積、形状という点でこれを選択しました。

 そういう意味でも大満足なのですが、その他の機能面でもなかなかいいなと感じています。

 大変多くのポケットがあり整理がしやすい。また、背負ったままでいろいろな箇所にアクセスできるようファスナーがたくさんある。防水性も今日の大雪くらいなら問題ない。

 自立もしますし、底面を拡張して靴や濡れものを収納できる。大きさの割に軽いというのも良い。肩や背中へのフィット感も良好ですね。

 中国製の安物なので耐久性がやや心配ですが、まあ、月に数回使う程度ですから、それほど心配にはなりません。

 今年はこれを背負ってたくさん旅に出かけたいと思います。お招きいただければどこへでも飛んでいきますよ(笑)。

Amazon [ABIBA] リュック ビジネスリュック

 

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2022.02.21

LEDライト付きWebカメラ

Th_61ngmevq4l_ac_sl1500_ しいので短めに。昨日に続き、我がワーキングデスクのアイテムをもう一つ。

 私はMac miniを使っていますので、モニターは外付けです。Acerの27インチを使っています。

 そのモニターにはカメラとマイクが装備されておりませんので、リモート会議や飲み会にはこれを使用しております。

 これのいいところは、LEDライトがついていること。とても小さいライトながら、実はこれで十分でして、今までどうも顔が影になっていたのですが、ようやく鮮明にご覧いただくことができるようになりました(笑)。

 LEDの明るさと色もいろいろ選べまして、リモート・ミーティングの内容によって使い分けております(ビジネスは白、飲みは暖色系とか)。

 基本モニターの上辺にくっつけて使っていますが、ご覧のようにミニ三脚も付属していましたので、いろいろなシーンで重宝しています。

 おススメしておいてなんですが、今このモデルは売り切れとなっています。似たタイプはいくつもありますので、いちおうこちらからたどっみてください。

 

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2022.02.20

Edifier 『USBスピーカー ED-R19U2』

Th_81xkzsdj6ml_ac_sl1416_ 宅の自作PCデスクがすごいことになっています。

 運動不足にならないように、なんとフィットネスバイクと合体したデスクなんですよ(笑)。

 家内には、私の独身時代の「不二荘」みたいだと言われています(とにかくマニアックにとっちらかっている)。

 で、そのPCモニターの両脇に鎮座している小型モニタースピーカーがこれ。

 以前紹介したブックシェルフ型スピーカーが大変優れものだったので、メーカーはEdifierにしました。

 これがまた3000円台とは思えないほど音が良く、また質感も高いのです。

 名モニタースピーカーYAMAHAのNS-10Mのような白いコーンがオシャレ。

 7センチのフルレンジですから、当然低音も高音も不足気味にはなりますが、まあYouTubeやBGMのためのものですから十分といえば十分。

 ちなみに私はMac使いなので、こちらのアプリを入れていちおう低音と高音を強調しています。それでちょうどいい感じです。

 USB給電のPCスピーカーはたくさん売ってますが、みんなオモチャみたいな音しかしませんよね。その中では、同価格帯でありながら、それなりのクオリティを提供してくれるこの製品は素晴らしい。

 恐るべしEdifier。おススメします。

Amazon Edifier USBスピーカー AUX入力端子・ヘッドフォン端子搭載 ED-R19U2

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2022.02.19

岡田斗司夫 『未来を見る方法』

 日、あるYouTubeチャンネルにゲストとして呼ばれました。書き物や普段やっている講演とは全く違い、いやその両方の要素を持っている、つまり何度も繰り返し不特定多数に聴かれるという特殊メディア独特の緊張感と、そして収録後の不満、不安がありました。

 そうしてみると、YouTubeで活躍しいてる人たちは本当にすごいなと思わざるを得ません。それは動画の編集についても言えます。大変な手間と技術とセンスを要するのです。

 さてさて、語り手としての素晴らしさでいえば、この岡田斗司夫さんを挙げねばならないでしょう。本当に尊敬すべきレベルです。

 また私は、個人的に岡田さんに大変感謝をしております。ある意味私を世間さまに売り出してくれた過去があるからです。御本人は全く覚えておられないでしょうが。

 この動画での語りも素晴らしい。この遠い未来を見る方法、つまり教養で標高(視点)を上げることと、遠い過去をも見る(歴史を学ぶ)ことの重要さは、全く同じ語り口で私も講演などでよく話します。あれ?自分がパクったのかなとさえ思ってしまった(笑)。まあ、昔からよく言われていることなのでしょう。

 この動画の元動画もぜひご覧ください。これからのメディア戦略について、まさに未来的な視点と歴史的な視点をもとに語ってくれています。

 

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2022.02.18

『ドライブ・マイ・カー』 濱口竜介 脚本・監督作品

 

 カデミー賞作品賞の可能性も噂されるこの映画。やっと観ることができました。

 まず端的に結論から。素晴らしい。

 久々に「日本映画」、いや「日本文化」の良さが詰まった作品を観た気がしました。淡々とした3時間が、全く退屈ではなく、心地よい集中になるという奇跡。

 全体と通して「能」の世界観に近いなと思っていたら、一箇所「能」という言葉がでてきましたね。

 村上春樹の原作は、正直まったく記憶に残らないほど(私にとっては)凡庸な短編でしたが、それをベースによくぞここまで物語を豊かに作り上げたなという、そういう感動もありました。カンヌの脚本賞獲得も納得です。

 もちろん、これを小説で表現するのは難しいでしょう。映画だからこそです。

 昨日おススメの「解夏」でも、主人公が目の病を患うところからストーリーが始まりましたが、この「ドライブ・マイ・カー」でも同様です。なるほど、「視覚」が欠損することによって、目に見えない別の世界が開くということでしょうか。それを視覚芸術である映画でやるところが面白い。

 そう、この作品、映画なのですが、視覚以外の感性が敏感になっていることを意識させられました。それが独特の集中力を生む要因なのでしょう。それこそ「能」の世界に近い。視覚情報はあくまで補助的なもの。

 好き嫌いは分かれるかもしれませんし、全く面白くなかったという評も散見されますが、まあ、少なくとも「パラサイト 半地下の家族」よりは百倍素晴らしいと思いましたよ。もしかすると作品賞の獲得もありえるかも。

 能をやっている娘と、もう一度観にいきたいと思います。娘にとってはよき教材になるでしょう。皆さんも映画館でぜひ。

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2022.02.17

『解夏』 磯村一路監督作品

Th_71hiqvl5ml_ac_ul320_ 画ネタが続きます。これもだいぶ前に観た映画です。

 「げげ」と読みます。さだまさしさんの小説の映画化ですが、この作品でまず個人的に「やばい」と思ったのは、主人公二人の名前です。

 隆之と陽子。そう、なんと私たち夫婦と全く同じなのです(字も)!それも隆之は教員(をやめる)。顔のカッコよさまで…それはないない(笑)。

 というわけで、全然ストーリーに集中できないんですよ。石田ゆり子さんも富司純子さんも「隆之、隆之」を連発するし。

 まあ話としてはあるあるの病気ものとも言えますが、風景が見えなくなっていくということで、反対に長崎の美しい風景が際立つという効果は見事だったと思います。

 そして何より、この作品が遺作になってしまった松村達雄さんの最後の名演技が素晴らしい。素晴らしすぎる。

 日本映画の名バイプレーヤーとして、さまざまな名作を支えた松村さん。まさにその集大成のような、自然な、静かな、しかし説得力のある演技を残してくれました。

 「結夏」「安居」「解夏」について語るその名シーンをこちらからどうぞ。素晴らしい説法です。

Amazon 解夏

 

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2022.02.16

『謝罪の王様』 宮藤官九郎脚本・水田伸生監督作品

Th_a1jtdc5exbl_ac_ul320_ 宙的な野暮用(?)で忙しいので、今日もかつて観た映画を一つ紹介します。

 「謝罪の王様」。2013年のヒット作品ですね。

 ちょうどこの頃からでしょうか、私も「謝罪師」になりましてね、いつのまにか「謝罪の神様」とまで言われるようになりました(笑)。

 実際、ちょっと前まで、私の名前で画像検索すると、土下座をしている…いや、さすがにそれはないけれども、マスコミの前で深々と坊主頭を下げる写真が出てきちゃいました(苦笑)。最近はようやく消えて、代わりに猫の抜け毛のヅラをつけた恥ずかしい写真が多数(笑)。ゴメンナサイ。

 ま、仕事柄というか、自分の立場が変わって、さらに運悪く世の中の常識も変わり、たしかにそういう機会が増えていたことは確かです。

 ただ、そこから学んだことも非常に多くありましたし、私の頭頂部にフラッシュを浴びせた方々と、その後仲良くなったりして、まあ自分としては本当に良い経験ができたと思っています。

 この映画でも戯画的に描かれていますが、本当のところ「謝罪」がいろいろな問題を解決することは確かであります。もちろん、その謝罪にもテクニックがあり、つまり、心からの謝罪ではない場合も当然あるわけですが、しかしやはり「言霊」的な作用というか、とりあえず謝ることの美学というのがあると信じます。

 とは言え、相手に謝罪を要求することにも価値があるかというと、それは別問題ですよ。ただ単にマウント取りたいとか、金をせびるとか、そういう奴らたくさんいますからね。そういう輩には、謝ったように見せかけて後で倍返しするというのが一番。そんな技さえ身につけてしまいました(苦笑)。

 現在、私がとりあえず頭を下げた某巨大利権集団が存亡の危機に直面していますが、それは私の呪いのせいです(笑)。ハハハ。

 当時はこの映画は観ませんでしたが、いろいろ経験したのちに鑑賞してみましたところ、大変共感できる部分が多くありました。さすがクドカンですね。いろいろ経験してるんだろうなあ。

 それにしても、日本人って「謝罪」が好きですよね。北京オリンピックでも、謝らなくていい人が謝っていたりする。また、それを許すことでカタルシスを得る人も多い。もちろん他人のせいにしたり、反撃するよりも、自分が我慢して謝った方が平和的だとも言えますが。ちょっと行き過ぎるところがありますよね。

 

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2022.02.15

映画『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』 岩間玄監督作品

 

 レ・ブレ・ボケと形容されるが、とてもそんな言葉の領域には収まりきれない写真を撮る人。天才写真家、森山大道の世界を追った映画です。

 森山さんは細江英公さんの助手をやっていたことがあります。二人の写真に共通の「モノ」を感じるのは私だけではないでしょう。

 細江さん自身もカッコよく絵になる男ですが、より映画向きなのは森山さんかもしれません。それは見た目とかの問題ではなく、なんというか、自身がモデルであるという意識がより強いように感じるからです。

 実際、この映画では、彼のパワフルすぎるはずの写真でさえも本人のアウラにやられてしまっています。

 作品よりも作家の方に目を奪われるという例をいくつも思い起こせますでしょう。そして、それが作品にとって、あるいは作家にとって幸せかどうか、そんなことをこの映画を観ながらつい考えてしまいました。

 「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」…この言葉は、私の「時間は未来から過去へと流れる」理論や、それに伴う「未来の記憶」「懐かしい未来を思い出す」に通底する部分があります。

 そう、写真というのは、向こうからやってくる光を捉える作業。光は時間であるからして、写真はやはり向こうからやってくる時間を捉える作業。

 これを西洋科学の観点から解釈してしまうと、「まだ来ていない光は過去に発せられたものだから、写真は過去を捉えるものではないのか」ということになってしまいます。

 違うんです。単純に「まだ来ていない」のだから「未来」なのです。音楽もそうです。私たちは向こうからやってくる音を聴いている。それは未来の音。過去に発せされた音かもしれませんが、あくまで私たち生命にとっては「未来」なのです。

 そう、全ての未知の情報は「まだ来ていない」わけで、もう来ないかもしれないけれども、来たらその瞬間に現在になり、そして過去になっていくのです。

 その無数の「未来」のどれをどのタイミングでどういう関係性の中で捉えるか。それが写真家の才能であり、そしてそれをいかに現在に写像し、過去に印紙していくかが、その写真家のテクニックとなるわけで、「アレ・ブレ・ボケ」は森山さんのテクニックにすぎないというわけです。

 そんなことを感じ、考えながらこの映画を観ていると、宇宙と生命の関係性の意味、そして宇宙の真理というものに少し近づけたような気がしました。

 写真…たしかに「真理」を写すアートなのです。

 

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2022.02.14

『聖バレンタインの虐殺 / マシンガン・シティ』 ロジャー・コーマン監督作品

 

 レンタインデー。今日はそれにちなんで血なまぐさい映画を一つ。

 もともとバレンタインデー自体が、聖バレンタインが処刑された日です。すでに血なまぐさい。

 そして1929年2月14日、その日をあえて選んでか、シカゴのギャング、アル・カポネは事件を派手な起こしました。敵対するギャングのボス、モランを狙い、ヒットマンたちを警察官に扮装させ、ニセのパトカーまで用意しての暗殺事件。

 トンプソンサブマシンガンを乱射した結果、一般人3人を含む7人が蜂の巣に。モランは現場への到着が遅れ命拾いしました。

 この事件をリアルに描いたのが、このロジャー・コーマン監督の1967年の作品となります。

 ロジャー・コーマンは低予算のB級映画監督として今でも人気ですが、この作品は比較的しっかり作られているように感じますね。

 あの頃のアメリカの風景、ファッション、車などを堪能するにはもってこいの映画ではないでしょうか。まあそれにしても血なまぐさい時代でしたな。

 ちなみに、あのマリリン・モンロー主演の「お熱いのがお好き」は、トニー・カーティスとジャック・レモン演じる男二人が、この事件を偶然目撃したところからストーリーが始まっていました。

 

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2022.02.13

釈徹宗 『仏の心を稽古する』

Th_-20220214-135119 仏…普通の方は「ぜんふつオープン」などを想像するのではないでしょうか。

 今日の話は「ぜんぶつ」です。全日本仏教会の会報が「ぜんぶつ」なんです。

 ところで、フランスが仏って、考えてみると変ですよね。仏国とか仏国土みたい(笑)。

 もちろん「仏蘭西」の略で「仏」なんですが、現在中国では「法蘭西」と書きます。大昔は中国でも「仏蘭西」だったのですが、中国語の方言の発音の問題やらいろいろありまして、現在はより「France」に近い「法蘭西」に落ち着いたと。

 日本語では「法」より「仏」の方が「フ」に近いからでしょうか、いろいろ紆余曲折あったようですが、結局「仏蘭西」が一般化しました。で「仏の国」になってしまった。全然仏教国じゃないのに。

 まあ、そんなこと言ったら、「英」も「独」も「伊」も「露」も「西」も変だということになりますよね。アメリカなんて「米」ですよ「米」(笑)。全然お米の国じゃないのに。

 「アメリカ」は「亜米利加」ですから「亜」かと思ったら、「亜」はすでに「亜細亜」で使われていたから、二番目の字をとって「米」。

 だから米(こめ)の国日本の兵隊さんが「鬼畜米英」と戦って英霊となっているという、結局敵か味方かよく分からん事態になっていたのです。

 ちなみに「米」を「メ」と読むのは、基本「亜米利加」の時だけです。音読みは「ベイ」と「マイ」。なんだか変な話ですよね。さらに「メートル」とも読ませたりする。rice、America、meterが全部「米」とはいかに。外国人の日本語学習者は困惑するでしょうね。

 ついでに「よね」という読みは、「いね」の転訛ではないかと言われています。名前では「米」は「よね」と読むことが圧倒的ですね。米田さんとか。ちなみに「コメダ珈琲」の「コメダ」は「米田」ではなく「米太」です。「米屋の太郎」の略だとか。創業者の加藤太郎さんの実家がお米屋さんだったからです。

 うわぁ、めっちゃくちゃ寄り道しちゃいましたね。今日のメインは「米」ではなくて「仏」でした。

 はい、その「全仏」という雑誌の1月号に載っていた、釈徹宗さんの講演録がとても勉強になったので紹介しようと思っていたのです。こちらからお読みください。

 機関誌『全仏』

 仏の心を稽古する…二項対立の罠、柔軟心の大切さ。まさに仏の智慧に学ぼうということですね。古くて新しい智慧。

 「稽古」という言葉については、かつてこちらに書きました。

 稽古とは

 こういうご時世だからこそ、私も「仏の心」を稽古したいと思います。

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2022.02.12

【日本の論点】ひろゆき vs 上念司

 

 ょっと時間がないので、他人のふんどしを借りてきます。

 実はこの日の夜から朝方にかけて、ある非常に有能なアメリカ人と「日本の論点」について激論(?)をかわしたのですが、私がお酒を飲みすぎたこともあって、大変見苦しい「試合」になってしまいました。ゴメンナサイ。

 一方、この論破王どうしの戦いは、実に見ていて(聴いていて)すがすがしいものがありました。

 いい意味で「プロレス」的でした。

 そう、まずお二人のチャンピオンの人柄がいいからです。結果として相手の技をしっかり受けて、相手を生かしつつ自分も輝くということができる。なんだかんだ利他的なんですよね。

 ただし、お二人とも相手が悪意ある攻撃性を持っている場合はこうはいかないですよ。たしかにぶっ潰しにかかります。今回はそういうことはなかった。お互いに認めあった、力のある選手どうしのプロレスの試合はこうなりますよね。

 プロレスであと大事なのは、言わずもがなレフェリーの力量です。そう、ここでは司会進行の加藤さんがやはり大変有能であったということ。

 絶妙のさじ加減で二人のテンションをいいところで保ち、さらに観客(視聴者)を置き去りにしないようにする。これは本当にすごいと思いました。こういう司会進行できるようになりたいなあ。

 あと、三人に共通しているのは「愛あるユーモア」をお持ちだということですね。というか、「Humor」とは「人間愛」そのものです。日本に独特のお笑い文化が繁栄しているのは、日本人が自然を愛するがごとく人間を愛する民族だからです。

 ぜひ、フル動画もご鑑賞ください。

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2022.02.11

平野歩夢の「怒り」とは

Th_202202110001352w1300_1 当に素晴らしかった。我が家は見事に「サブチャンネル」の罠にはまり、肝腎なシーンをリアルタイムで観ることができませんでした(笑)。なにしろ特殊なテレビ環境なので、ウチは。

 シロウトの私は、競技については語ることはできませんが、平野歩夢選手の精神性については少し語ってもいいかと思います。

 とにかく今回の北京オリンピックは、ジャッジにいろいろな問題が浮上していますね。近代オリンピックの性質自体もそうですが、どうしても「冬のオリンピック」はその白人中心の考え方が強くなりがちです。それはもうしかたありません。それでもだいぶ改善されましたから。

 だいたい、フィギュアスケートであれだけアジア人が活躍するなんて、ちょっと前まで考えられませんでした。白人の美意識が「姿かたち」の基準でしたから。

 さて、今回は歩夢選手の2回目の、あの驚異的なランの点数が予想よりかなり低かったこと、これは事実としてそのとおりでしょう。

 比較的平等な新しい競技の中でも、アジア人差別的なことがあるのだとの指摘もありましたが、どうでしょうね、実際はレジェンドの引退の花道を作りたかったという意識が働いたのだと感じました。

 結果として、2回目を上回る3回目の超驚異的なランが成功しましたので、ある意味最悪の事態は避けられました。

 ですから、今注目すべきは、その3回目を現実のものとした歩夢選手の、それこそ驚異的な精神性の強さ、いや高さなのではないでしょうか。

 彼は優勝決定後すぐに「2回目の点数には納得いかなかった。3回目はその怒りを表現できた」というような趣旨のことを語りました。そして、その後のインタビューで、実に興味深い発言をしています。

……納得がいかなかったですね。正直、全然おかしいなと思って、どういうジャッジしているんだと。でも点数出ちゃっていたし、その場でどうこう言って変わる問題でもないので、結構もう正直自分の中では、笑えないというか、怒りが自分の中で出ちゃっていた部分が、いいスイッチになったのかな……

 これも単純に聞けば、私たち観衆と同じ感覚で「ムカついていた」のだなと思ってしまうところです。しかし、もう実際にそうだったとしたら、絶対に3回目の完璧なランはなかったでしょう。

 大切なのは、彼がすぐに切り換えているところです。過去にこだわってブーブー言うことの無意味さを、経験的に知っていたのでしょうか。それとも彼の生来の性格なのでしょう。いずれにせよ、これはかなり「悟り」に近い。

 少しうがって言うなら、「怒り」のベクトルを一瞬で、自分に向けることができたということでしょう。つまり、実際自分のランに減点される要素があると思い直し、そういうレベルに終わった自分に対して「怒り」を抱いたと。お前まだまだ行けるだろう!と。

 それが「表現」になったわけです。実際にシロウト目に見ても、3回目のランは高さ、着地、流れ全てにおいて2回目を凌駕していました。

 ここが凡人、常人とは違うところなのです。つまり、ハイレベルなアスリートの絶対条件を、彼は示してくれたわけですね。

Th_202202110001352w1300_9 そうして読み直すと、直後の「2回目の点数には納得いかなかった。3回目はその怒りを表現できた」の意味も違ってきます。

 仏教では「怒り」は最も悪いものとされます。ですから、修行者たちは「怒り」を抱かないようにすることに努めます。しかし、そうではなく、その湧き上がった「怒り」を客観的に観察して、そしてコントロールして矛先を変えることの方が、もしかすると次元が高いのかもしれませんね。

 本当に素晴らしい金メダルでした。おめでとう。学びがありました。ありがとう。今どきの若者はすごい。

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2022.02.10

細野晴臣らが語る…『民謡ルネサンス~新しい日本の音と心を求めて』

 

 国もいつのまにか「民謡」スピリットを忘れてしまったということを、昨日の記事では暗に表現しました。

 あの頃、日本のポップス界が、たとえば「シティ・ポップ」のような方向に行ったことは、まさに「シティ」…もちろん、それがフィクションの「シティ」だったので、結果として今、それはまるで「民謡」のごとく世界でもてはやされているわけですが…にとらわれてしまった当時のバブル日本人の象徴でありました。

 それが20年ほど遅れて、韓国の「都市化」とともに、あのようなK-POPを生んでいったわけですね。非常に表面的な例になりますが、たとえばBTSの初期の作品はかなり「韓国民謡」的です。それがアメリカで一番になるために、あんなふうになってしまった。

 そういう意味では、以前紹介したNCT127の「Sticker」は面白かった。また、キム・ヨンジャの「アモール・ファティ」もそうでしたね。

 ひるがえって、日本はどうなのか。ここは私も最近真剣に考えているところです。

 この番組は1998年の放送だそうです。その後のJ-POPは「歌詞」の面ではどこか回帰的なところがありましたが、音楽面ではある意味迷走し、今もそのただ中にあるような気がします。

 一方で、アメリカの音楽シーンは急速に「民謡的」になりつつあるのです。ラップという語りが一度西洋音階を破壊してくれたおかげで、今やペンタトニック(五音音階)や六音音階(カタカナ語で何ていうのかな?)が、「カッコいい」ということになってきたのです。

 そして、「ループ」の一般化、多用による循環和音の復権ですね。これは非常に顕著であり、その結果、即興性も取り入れられやすくなった。

 こういう動きは非常に面白いと思っています。

 今までは、多数が少数を包含するという数学的な感覚から、西洋音楽が東洋音楽(民族音楽)を取り込んでいくものだと考えられていました。

 どうもそれは違うみたいですね。この番組で細野晴臣さんがするどく指摘しているとおり、民謡は「宇宙的」であって、制約や決め事が多く、デジタル的でもある「西洋音楽」を簡単に呑み込んでしまうものなのでした。

 たとえば「和声」「和音」という、ある種定型的な因果関係を生み出すルールのおかげで、いかに西洋音楽は未来に向かって限定的になっていることか。

 そんなわけで、私もいろいろな音楽をやってきまして…特にヴァイオリンという極度に民族的でありながら、西洋音楽の花形のように祭り上げられてしまった不幸な楽器をやってきて…いよいよその本質的な改革、進化に挑みたくなってきたのです。

 とはいえ、私のようなシロウトには限界がありますので、今、非常に強力な音楽職人さんたちに協力を仰ごうとしているところです。これからの展開が楽しみです。

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2022.02.09

イ・パクサ(李博士) 『ソウル・カムパギ』

 野昌磨くんのヨーヨー・マから、いきなりスミマセン(笑)。

 かつて韓国に行った時に買ったカセットテープ、どっか行っちゃいましたが、YouTubeにありましたよ。懐かしい!今聴くとかっこいいし、楽しい!その時はさんざんバカにしてましたけどね。なにしろあの時代、日本はあんなにオシャレなこと(シティ・ポップ)やってたわけで。

 韓国本国では微妙な扱いになっているようですね。特に若者には。まあ、そうでしょうが、一周回ってカッコいいとも言えますし、先日紹介したキム・ヨンジャの「アモール・ファティ」にもつながるものがありますよね。

 ポンチャック・ディスコ、テクノ・トロットというとチープなキーボードの音だと思っていましたが、まあもちろんチープです。カシオトーンからなあ。しかし、アレンジが実は絶妙ですね。限られた中で、この味を出せるのはすごい。マネしろと言ってもできない。だからこそ、石野卓球さんらが崇拝しているわけです。

 あと、やっぱり歌のソウルでしょうかね。歌を一体になっている。いくらでも即興で歌い続けられるらしい。歌の合間の、なんというか、あの合いの手というか、スキャットじゃないし、なんだあれ(笑)。あれがすごいですよね。

 まあ聴いてみましょう。すごすぎますよ。

 

 10年ほど前のライヴ映像がありました。いろんな意味で感動です(笑)。

 

 

 博士のすごさが分かるのが、我々の知っている日本の曲を料理したこの演奏。やばすぎるでしょう。世界中のどんな音楽も、彼の手にかかると全てイ・パクサになってしまう。

 

 

 世界でイ・パクサが再評価(?)されることを望みます。韓国のフィギュアスケートの選手とか、李博士で試合してくれませんかね(笑)。

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2022.02.08

(宇野昌磨くん選曲)ヨーヨー・マ&コープマン 『ヴィヴァルディ チェロ協奏曲ハ短調』

Th_-20220209-80439 れから今日は李博士のつもりでしたが、タイムリーな音楽ネタを一つ。

 北京オリンピック、フィギュアスケート男子のショート・プログラム盛り上がりましたね。羽生結弦くんは、まあ「オリンピックの魔物」にやられた感じでしたが、霊的敵国での試合は、まさに魔物的な意味で特に大変なのです。

 そのへんに関しましては、オリンピックのたびに毎度書いております。読んでびっくりなさる方が多いと思いますが。

 内村航平は宇宙人か!?(2012北京)

 オリンピックに棲む魔物とは…(2014ソチ)

 羽生結弦は自ら陰陽師になった(2018平昌)

 まあ、敵国中国でも羽生くんの人気はすごいので、フリーにまたまたドラマが待っていることでしょう。お膳立ては揃いましたからね。

 それにしても宇野昌磨くんと鍵山優真くんもすごかったですねえ。そんな中、私がついつい見入って、いや聞き入ってしまったのが、宇野昌磨くんの演技の音楽。

 そう、前半は有名なマルチェッロのオーボエ協奏曲ですよね。そしてそして、後半はヴィヴァルディのチェロ協奏曲。かっこいいんですよ、このハ短調協奏曲。

 演奏がヨーヨー・マとトン・コープマン指揮アムステルダム・バロック・管弦楽団というところがまた良い!ヨーヨー・マのバロック・チェロ演奏、すごくいいんですよね。もうあのレベルになると楽器は関係ないというか。まさにオリンピックにふさわしい世界だと思います。

 まずは、採用されている3楽章から聴いてみてください。

 

 

 ヨーヨー・マとコープマンのヴィヴァルディ演奏の動画をお楽しみください。音楽を体の中から楽しむ二人のコラボは、もう様式とかオリジナリティとか関係なく至福ですよね。

 

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2022.02.07

ソテジワアイドゥル 『Come Back Home』

 て、昨日の記事の続きです。

 意外かもしれませんが、私、ソテジはリアルタイムで聴いてました。当時、韓国の姉妹校を何度も訪問しており、そのたびに夜は飲みに連れて行ってもらってました。最新の音楽を聴きたいというと、やはりこのソテジワアイドゥルを紹介されたものです。

 おみやげにCDも何枚かもらって帰り、車でよくかけてました。だから案外よく聴いているのです。

 娘たちにも自慢します。お前らよりずっと早くから、それも本国でK-POP聴いてんだぞって(笑)。

 いや、実際、ソテジのおかげで今のK-POPがあると言ってよいでしょう。それまでは…明日紹介しますが、それこそ演歌(トロット)かポンチャック・テクノしかなかったようなものですから。

 韓国語がシラブル的にラップに乗りやすいということを発見したとも言えましょう。言語的違いから日韓のその後の音楽シーンの運命が決まったとも言えます。開音節かつピッチ・アクセントである日本語はラップには不適なのです。

 今聴いてもかなりかっこいいし、新しいですよね。

 

 

 彼らを尊敬するBTSもカバーしています。こっちも今風でいいですよね。皆さんはどちらが好みでしょうか。

 

 

 日本でもソテジの再評価が始まるといいなと思います。当時から今までの日本の音楽シーンと比較すると面白いと思います。なぜJ-POPがガラパゴス化したのかと。

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2022.02.06

キム・ヨンジャ 『アモール・ファティ』

 

 ょっと週末忙しくしており、更新が遅れました。

 で、ここのところの80年代シティ・ポップから突然のキム・ヨンジャです(笑)。

 いや、実はつながりがありまして。それはまたのちほど。

 最近は、ウチの娘たちや家内も熱中してるんですが、とにかくK-POPが世界の音楽シーンを席巻しておりますな。まあそれなりに実力があるので私も納得しているとはいえ、いつのまにこんなふうに日韓が逆転したのかなと興味さえ湧くわけですね。

 私にとっての韓国ポピュラー音楽はやはり「ポッチャック・テクノ(ディスコ)」に始まります。イ・パクサ(李博士)ですね。正確に言うと90年代に入っていましたか。

 次がソテジワアイドゥル。これはCDを買ってきました。今でもK-POP界ではカリスマ的に尊崇されているグループです。

 私はそこからいきなり伽耶琴の世界に行ってしまったので、あまり韓国のポピュラー音楽は聴かなくなっていたんですね。で、今の隆盛が突然襲ってきたと。

 というわけで、今日からそのK-POPの系譜をさかのぼりつつ復讐…ではなくて復習してみようと思うわけです。

 そうしますと、このキム・ヨンジャの「運命の愛」は第一に紹介しておかねばなりません。なぜなら、ここに日韓ポピュラー音楽史が象徴的に表現されていると思うからです。

 日本ではあまり話題に上がりませんでしたが、この「アモール・ファティ」、韓国では400万ダウンロードですか、若者にも大ウケしたようですね。意外といえば意外。

 言うまでもなく、キム・ヨンジャは日本で活躍していた演歌歌手。離婚して韓国に帰ってのちは、日本帰りということもあって、なかなか向こうでは認知されませんでした。日本の歌、禁止でしたしね。

 それが、この曲で大ブレイク。そして上の動画は韓国版紅白、年末のKBS歌謡祭では大トリを務め、この盛り上がり。私は全然わかりませんが、娘が観ると、BTSはじめ韓国のスターが勢揃いでノリノリなんだそうです。娘も大騒ぎでした(笑)。

 で、この曲、2013年に発売されたものが5年くらいかけてヒットしたようです。お聴きになってわかるとおり、これはEDMとか小洒落た呼び方するよりなにより、正統韓国演歌テクノですよね。正直いいと思います。

 なるほど、今やBTSがアメリカでカッコつけてますが、国民の基本的な音楽センスはこっちなんですよね。安心しました(笑)。これ、日本でももっとプッシュした方がいいのでは。キム・ヨンジャ自身も、この曲の大ヒットは日本時代のおかげと言っているようですし。

 これがきっかけで、日本での大ヒット曲たち、たとえば「北の雪虫」や「命火」が歌えるようになるといいですね。

 それにしてもすごい歌唱力だ。マイクの位置をおっかけるだけでも盛り上がりますよ。

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2022.02.05

シャンバラ 『SHAMBARA』

 

 1989年の隠れた名盤。

 カシオペアのベーシスト櫻井哲夫さんとドラマー神保彰さんを中心としたボーカル・バンド。これは今でも新しい音楽ですね。

 フュージョンにボーカルが乗るという意味では、これぞ真の「シティ・ポップ」と言えるかもしれません。実際、最近欧米で大変高く評価されているようです。

 ツイン・ボーカルというのも珍しいし、一昨年亡くなった山本寛斎さんがファッション面で協力したり、ダンスも取り入れたりと、ヴィジュアル面でも新しいチャレンジをしていました。

 残念ながら、カシオペア本体野呂さんらとの軋轢もあり、お二人はカシオペアをやめることになってしまいました。さらにシャンバラとしての活動も思うようにいかず、結局この「伝説のアルバム」1枚を残して自然消滅してしまったのは、なんとももったいないことでした。

 櫻井さんと神保さんは、これを機に「ジンサク」として活動することとなり、昨年久しぶりにニュー・アルバムを発売しましたね。

 ちなみにキーボードの梁さんは、のちに平昌オリンピックの音楽を担当するなど、韓国で大活躍。

 あらためてすごいバンドだったなあと思います。ちょっと早すぎたのかなあ。ようやく時代が追いついたようにも感じますね。

 いくつかライヴ動画がありましたので、そのヴィジュアル面にも注目してください。

 

 

 

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2022.02.04

山下達郎 『悲しみのJODY (She Was Crying) 』

Th_4943674007912 原みきさんが昨日の動画に登場していましたよね。若くして亡くなってしまった彼女、現在の世界の大「松原みき」ブームをあちらでどんな思いをもって見下ろしていることでしょう。

 アメリカを呑み込んで凌駕していたことが、時を経て証明された1980年代の日本のポピュラー音楽群。

 明治維新から80年で日本は敗戦しアメリカの属国に落ちたかに見えましたが、実はその後40年でこういう音楽を作り、そしてそのまた40年後に、世界中が「シティ・ポップ」と称してそれらを称賛している。

 私はちょうど80年代はジャズとバロックにはまってしまい、ほとんどリアルタイムでその「シティ・ポップ」を聴いていませんでした(当然、毎日耳には入っていましたが)。

 おかげで、今、こうしてある意味「リアルタイム」で未来の音楽を享受し、そして今だからこそ「わかる」ことができる。ベースをやっている長女もこのあたりの音楽が大好きなので、世代を超えて感動できる幸せを味わっております。

 そんな中で「うわっ」と思った音楽を、これから時々紹介していこうと思っています。

 今日は山下達郎さんの名曲群からこの1曲。

 大学の時、隣の住人が毎日達郎のレコードを聴いていまして、私は対抗してジャズやバッハをかけていましたっけ(笑)。

 当時も実はこの曲は好きだったのです。ただ素直になれなかった。今となっては隣のSくん(間借りだったので、ふすま一枚はさんでのお隣)に感謝です。

 今ならいろいろ分析できますが、まあ理屈は抜きに、アメリカとヨーロッパの絶妙なミックス感が良いですね。ポップさとコード進行遊び(実験)を両立させた。

 そこに当時の日本の空気、バブルに向かう軽くて明るくてプチゴージャスな感じも乗っています。当時、私は海なし県の山の中に住んでいましたが、隣の部屋からふすまを突き抜けて潮風が吹いてくるような感覚になりました。

 以前は、達郎さんの声を聞くと(竹内まりやさんの曲などでも)、彼の顔を思い出してしまい、特にコーラスでは山下達郎合唱団…つまり数十並んだ彼の顔…が映像化されてしまい、どうも音楽に没頭できなかった。最近ようやくそんな病を乗り越えました(笑)。いや、歌うますぎでしょ(加えて、楽器もサックス以外彼の演奏)。

 

 

 今日も仲小路彰文献の活字化&校正をしました。仲小路の「未来学」が、当時の音楽に(直接・間接的に)影響を与えた話は何度も書きましたね。

 山下達郎さんもこの年(1983年)、アルファ・ムーンに移籍しています。アルファレコードの村井さんは、川添象郎さんを通じて仲小路彰に会っています。

 同じ年、松田聖子さんの名作「ユートピア」が発売され、「悲しみのJODY」がオープニング・タイトルとなった「MELODIES」とチャート1位を争いました。「ユートピア」では、キャンティ族のユーミンや松任谷正隆さん、そして細野晴臣さんが大活躍しています。

 翌年、細野さんは仲小路に会いに山中湖を訪れますが、すでに仲小路は病気療養中で自宅にいませんでした。その3ヶ月後、仲小路は山中湖で亡くなりました。21世紀のために多くの遺産を残して。

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2022.02.03

和田アキ子 『古い日記』(安井かずみ作詞・馬飼野康二作曲)

 

 井かずみさんの作詞の代表作がこれ。和田アキ子さんの1974年のシングル「古い日記」です。安井さん35歳くらいの作品ですね。作曲は馬飼野康二さん。馬飼野さんはまだ25、6。すごいですね〜。

 そして和田アキ子さん、この頃まだ23、4歳。すごいですね〜。考えてみると、「笑って許して」が20歳、「あの鐘を鳴らすのはあなた」が22歳くらいでしょ。考えられませんね。

 それにしても、この「古い日記」、ホントかっこいいですよね。ジャパニーズ・ソウル。和製R&B。それこそアメリカ文化を呑み込んで、見事に日本の魂になっていますよね。

 アレンジもかっこいい。

 そうそう、そういえば面白い動画がありました。これ1980年とかかなあ。夜のヒットスタジオ。名物のオープニングのメドレーというか、次の人の代表作を歌うリレーですね。

 もう最初の都はるみさんの「危険なふたり」が危険すぎて面白い。こんなはるみさんも珍しいですね(笑)。ちなみにこの「危険なふたり」も安井かずみさんの代表作です。

 ジュリーはそつなく「アメリカン・フィーリング」を歌い、サーカスがド演歌「夢よもういちど」を披露、そして真木ひでとさんが歌うのは「真夜中のドア」! 今や世界中で大リバイバルヒットしている、松原みきさんの「真夜中のドア」を、真木ひでとさんがねえ…。

 松原みきさんは「オレンジの雨」、続いて野口五郎さんが「古い日記」を歌います。本家に気圧されているのか五郎さんパワーがない(笑)。

 ということで、トリは御本家、和田アキ子さんの「古い日記」。これはもう貫禄としか言いようがない。

 それにしても、ダン池田とニューブリードがまたいい演奏を聴かせてくれますね。日常にぜいたくな音楽体験があった時代でした。

 

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2022.02.02

『安井かずみがいた時代』 島崎今日子 (集英社文庫)

Th_41rfxoell2l_sx343_bo1204203200_ 原慎太郎さんとも「キャンティ」で会っていたのでしょうね。安井かずみさん。

 かつて紹介した「キャンティ物語」、「アッコちゃんの時代」とともに、当時の「キャンティ」の雰囲気を味わうことができる本の一つがこれ。

 安井かずみさん、ご存知ですか?

 作詞家として、小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」、和田アキ子さんの「古い日記」、沢田研二さんの「危険なふたり」、郷ひろみさんの「よろしく哀愁」などを残しましたが、なんと言ってもその、バブルを先取りし体現したかのような、オシャレでゴージャスな生活をした女性として、記憶に残る人物でした。

 キャンティには、加賀まりこさん、コシノジュンコさんと三人で入り浸っていたようですね。そして、多くの文化人と交流、1977年トノバン加藤和彦と結婚します。

 時代はまさに、女性が男性を凌駕してゆくころ。そして文化、ビジネス面で、集団よりも個人が活躍していく兆しの見えた時代です。

 そんな時代を若者たちに予見させ、そして自ら体現し、そしてその時代とともに心中していったとも言える安井かずみ。

 そんな「猛スピードの高級車」に乗せられた加藤和彦は、1994年に安井が亡くなったのちすぐに再婚しますが、2009年「『死にたい』というより『生きていたくない』。消えたい」と遺書に書いて自殺しました。

 この本の裏主人公は加藤和彦さんですね。男にとっての人生、仕事、家庭、そして女…いろいろなことを考えさせられました。

 キャンティの創始者であり、高松宮さまの国際秘書を務めた川添紫郎(浩史)は、仲小路彰の一番弟子、右腕のような存在でした。彼を通じて、また彼の奥さん梶子さん(タンタン)を通じて、多くの若者たちが仲小路の哲学をインストールされていたのです。

 ちょうど今、活字化している仲小路彰の文章の中にこんな一節がありました。

  女性文化の創造

 日本再建のためには、新しい自由なる文化創造の方向に対して、女性の溌剌とした進展こそ、日本再創造の母胎であり、とこしえに伝えらるべき豊かな愛にみちた女性文化の実践によって、真に悦ばしい結実がもたらされるであろう。
 今日、第二次大戦の終結をへて、深刻な敗北感に抜きがたいまでにとらえられた男性は、自己の持っていた唯一の誇りを失い、この戦後の貴重な年月を無気力と堕落のうちにすごし、空しい日常的徒労の中に疲れ溺れているのを見る。
 現在の男性一般は、ドメスティックな、あまりにドメスティックな存在となりつつあり、小市民的幸福の幻影に閉ざされている。彼らは、女性が着実に旧き家庭的な桎梏から解放されつつある現実と対比的に、かえって封建的家庭の小暴君としておさまりかえることを、わずかな希望としているのにすぎないのではなかろうか。——
 女性の自覚すべき点は、このような卑小化しつつある男性に、開かれた生命の愛、伝統の誇り、心底からの明るい勇気をみちびき出すことであり、その意味からも積極的に自らの手のうちに文化の最高・最善なるものをしっかりと把握してゆかねばならない。

Amazon 安井かずみがいた時代

 

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2022.02.01

追悼 石原慎太郎さん

 

 原慎太郎さんが亡くなられたとのこと。

 7年前のこの番組での発言のとおり世界は動いていますね。アメリカ、ヨーロッパ、支那。

 物言いには多少の過激さもありましたが、いわゆる保守、愛国者としては当然の内容の発言でした。

 彼らがこういう物言いになるのは、たとえば東京都知事がある時期美濃部亮吉であったことからも分かるとおり、都会を中心に圧倒的に「左翼」の力が強かったからです。

 それに対抗するのに、たとえば三島由紀夫やこの石原慎太郎のような「文士」は、ペンに剣をまとわさねばならなかったのです。

 実は石原慎太郎さんにも、仲小路彰の影響があります。石原さんは「キャンティ族」の一人でしたから。息子さんの石原良純さんが何かの番組で言っていましたっけ。母親にたまにキャンティに連れて行ってもらったが、父親がいるのではないかと心配だったと。

 当然、仲小路彰の「未来学原論」も石原さんの手元に渡っていたでしょうね。仲小路邸で見つかった関係者名簿には、しっかり「石原慎太郎」の名前・住所・電話番号が載っていましたし。月報などの出版物が送られていたのでしょう。

 今こそ、石原さんのような「本当のことをはっきり言う」政治家が必要だと思われます。いったい誰がそれを継ぐのか。なかなかそういう若手は見つかりませんね。つまり、しっかり勉強していないのです、彼らは。

 だからこそ、仲小路彰の重要な文献をなんとか世に出したいと日々頑張っているところです。石原さんにも、あちらから応援していただきたく思います。ご冥福をお祈りしつつお願い申し上げます。

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