旧甲州街道「野田尻宿」の皮肉な運命
元日の初詣は我が家だけかと思いきや、地元の方とおぼしき一家族と一緒でした。昔から変わり者の私は、人がたくさん集まる神社仏閣よりも、一人静かに独占できる(?)ところが好き。
というわけで、今日は絶対に一人になれる自信のある所にお参りしてきました。案の定一人っきり。通りかかる人も車もありませんでした。やった〜(笑)。
昨日の「桃太郎伝説」でいうと、桃太郎のお供が登場する寸前である野田尻宿の近く。旧甲州街道から少し山に入ったところ。
その初詣先「棚頭の仁王像」については、明日にでも書きます。まずはその野田尻について。
江戸時代には「奴多尻」という、ちょっと微妙な字も用いられていた野田尻。そう、野田という地名はもともと「ぬた」であった可能性が高い。
「ぬた」については次の記事をご覧ください。面白いですよ。
旧甲州街道は、上野原から大月に至る間、相模川沿いを離れて、なんで?と思うほどの山道に入ります。今の甲州街道、すなわち国道20号線を走ると分かるのですが、川に山が迫りすぎていて道ができなかったようですね。
鶴川宿から山道を半分登ったところにあった野田尻宿は、日本橋から二十里、すなわち20番目の宿でした。とても小さな宿場。これも後日紹介しますが、峠道のてっぺんにある、次の宿場「犬目」がある意味有名だったので、通過してしまう人も多かったのでは。
近代になり、国道や鉄道が通ることによって、山を通る旧甲州街道はすっかり廃れてしまいした。そのため野田尻という地名もマイナーになってしまいましたが、昭和になって中央道の高速バスのバス停「野田尻」ができ、外国人も含め多くの人の耳に触れるようになったのは面白いですね。
しかし、あそこで乗り降りする人を見たことがありません。それほど山の中ということです。しかししかし、これまた面白いことですけれども、地図を見てわかるとおり、この野田尻地区にはあの「談合坂サービスエリア」ができました。
高速道路のサービスエリアって、なんか外界とは隔絶された特別な「宿場」じゃないですか。あれだけ多くの観光客が出入りする談合坂(この地名についてもいつか書きます)が、かつての小宿「野田尻」だったことを考えると、なんとも皮肉な感じもしますね。あの風景の中にスタバがあること自体、外から見ると異世界すぎて笑えます。
サービスエリア工事の際に、遺跡の発掘調査も行われ、縄文期から近世に至るまでかなりの量の遺物が出てきました。もし人類が一度滅んで再びここを発掘したら、令和時代のスタバなんかの遺跡が出てくるわけですね。かつて宿場ではコーヒーを飲むことが一般的であった、とか言って(笑)。
というわけで、いろいろ書いてきましたが、ここ「野田尻」に関して昭和のある物語がありますので、それは明日にでも書きましょう。仁王様はあさって以降になりそうですね。
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