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2022.01.31

ジャイアント馬場さんの命日に思う

Th_20150613213853 日もアメリカと日本の不思議な関係について。

 今日はジャイアント馬場さんの命日。もう23年ですか。

 61際で亡くなってしまった馬場さん。私もその年齢に近づきつつあり、ますますその偉大さを感じております。

 馬場さんがアメリカで世界三大タイトルに連続挑戦したのは1964年ですから、私が生まれた年。東京オリンピックの年です。

 前年暮れに力道山が亡くなったことが、結果として馬場さんのアメリカでの価値を上げることになったわけですが、それは同時に、日本が「戦後」を卒業し、高度計座成長の軌道に乗っていずれアメリカに「リベンジ」するという物語の象徴的な起点ともなったのです。

 そしてプロレスというアメリカ文化も、馬場さんらによって「日本的」に昇華されてゆきました。今では、日本の「Puroresu」を多くのアメリカ人がインターネット配信を通じて楽しんでいます。

 その数は、アメリカのプロレスを楽しむ日本人よりも多いかもしれません。

 リングの上でも、かつては外国人レスラーが日本に出稼ぎに来ていたのが、今や日本で活躍することが本国での成功のためのステイタスになるような時代です。

 まったく面白いですね。

 昨シーズンの大谷翔平選手の活躍を挙げるまでもなく、「野球」が「ベースボール」の世界を席巻していることにも象徴されるように、様々な分野においてそうした現象が起きています。

 さて、今日はそんな馬場さんのアメリカでの活躍ぶり、まさに絶頂期の大きくて早くて強い馬場正平の姿を観てもらいましょう。

 対戦相手のハンス・シュミットはフランス系カナダ人ですが、ドイツ人というギミックで活躍しました。こうして「枢軸国」どうしが戦う場合、やはり日本が善、ドイツが悪というふうになっていたようですね、この時代。まあ、この試合は日本が負けますが(笑)。そのあたりも面白い。

 

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2022.01.30

HARUOMI HOSONO『SAYONARA AMERICA』佐渡岳利監督作品

Th_sayonaraamericamain 野さんご本人経由で招待券をいただきまして、この冬2回劇場で鑑賞いたしました。

 ちょうど今日も仲小路彰文献「日本文化の象徴的創造」の翻刻にいそしみまして、なるほど細野さんは当時こういうところに影響を受けたのかと、ひそかに合点しておりました。

 世界中の文化を広く受容し、自家薬籠中の物として昇華し、本国が失ってしまったモノさえも純粋象徴の形で息づかせてしまう。おそるべし日本文化。

 2019年のニューヨーク、ロサンゼルスツアーのライヴ映像を中心に、細野ミュージックのアメリカ「凱旋」と、コロナによる期せざる「離別」が描かれたこの作品。

 ステージで「アメリカが日本に資本主義をもたらした」と細野さんが語り、それにアメリカ人(とおぼしき)観客が「Sorry!」と答え、会場が笑いに包まれるというシーンがなんとも象徴的でしたね。

 細野さんのみならず、私たち日本人にとって「アメリカ」とはなんだったのか、そしてその「光」に照明された「日本」とはなんであり続けるのか、思わず考えて、いや音を通じて感じさせられました。

 私が言うまでもありませんが、「はっぴいえんど」というバンド名自体が、英語を日本語が包摂した形になっており、それがそのままあの伝説的バンドの存在証明になっていたわけですよね。

 そのバンドのラスト・アルバム『HAPPY END』。そのまた最終曲「さよならアメリカ さよならニッポン」が、このたび約半世紀を経てセルフ・カヴァーされ、今度は「Sayonara America, Sayonara Nippon」と英語表記になりました。

 そのあたりの細野さんのセンスというか境地というか、また昭和から令和の日本の変化の実情というか、まあいろいろなモノゴトが、それこそ「象徴的創造」として私たちの前に開陳されまして、たとえば私はすっかりその「気」に当てられてしまったわけです。

 なるほど仲小路があの名文の中で言いたかったことはこれか!理屈ではなく、また言語ではなく、細野さんの音と佇まいによって教えてもらいました。まあ、それはそうですよね、細野さん「最も影響を受けたのはナカコージ先生」と言うのですから。

 

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2022.01.29

『あなたを陰謀論者にする言葉』 雨宮純 (フォレスト2545新書)

Th_519zavdlpol れはよくまとまっている良書です。テキストにしたいくらい。

 まず自分でも驚いたのは、ここに登場する面々のうち、多数が直接的に交流のある人たち、あるいは直接的に戦った人たちだったことです。

 つまり、一絡げに「スピリチュアル系」とされる中に、「ホンモノ」と「ニセモノ」がいるということですね。

 皆さんにはよく言っていますが、私は「なんちゃってスピ」「勘違いスピ」「金儲けスピ」は大嫌いというか、正直軽蔑していますし、全く興味がないどころか撲滅さえしたいと思っています。

 そのあたりの判別、峻別が難しいのが、ある意味この三次元的この世の難しさです。「常識」や「教育」や「マスコミ」といった、この世を代表すると思われている世界の言語では、なかなかそれができない。

 そこをなんとかしたいと思って、最近は合宿のようなことをやっているわけです。

 そう、この本のように、神が死んだあとの近代精神世界の迷走を概観するというのは非常に大切なことであり、たとえば自分はスピ系に入るかなという人には、ぜひ自分がどのような系譜の上にあって、なんの、だれの影響を受けているのか、高次元(この言葉自体スピっぽいですね)から客観的に見る必要があると思います。

 そうしたメタな視点を持たないと、まさにスピは非スピと対立し、さらに内部でも分断を生じ、結局「陰謀論 vs 陰謀論」という最も愚かな状況を招いてしまうことになる。

 コロナ禍があぶり出したのは、それこそこうした「分断」の原因たる低次元な私たちの思考と行動なのです。

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 まあ、私を知る人はおそらく、私こそスピリチュアル系の権化のように思っているでしょうね。なにしろ「宇宙人」と自称しているわけですから(笑)。

 しかし、実は上述のように、私はどちらかというと「反スピ」なのです。しかしまた一方で、いわゆる「スピリチュアル」のその先(先というのは未来ではなく過去、つまりそのルーツ)に「霊性」があり、「神仏」があり、そして言語化できない「モノ」世界があると考えているのも事実です。

 安易な、ある意味分かりやすい「コト(言・事)」は、分断しか生みません。深い、理解しがたい、言語化できない「モノ(霊・鬼)」には、融和と統一の宇宙が待っているではないでしょうか。

 そんなことに興味がある「スピ系」の方は、ぜひこの本を読んでから、富士山合宿に参加してみてください(宗教でもマルチ商法でもありませんので)。

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2022.01.28

『モテキ』大根仁監督作品

Th_91mugqcoqel_ac_ul320_ きなりですが、10年以上昔の映画をおススメします。

 なぜ、この映画かというと、長女と家内がアメリカの某ミュージカル映画を観て感動したあと、「日本にはミュージカル映画がない」と言っていたので、「いや、日本にはこれがある!」と紹介したのがこれだったというわけです。いや、マジで。

 公開当時は、志村正彦くんの亡くなったあとで、遺作とも言える「夜明けのBEAT」が主題歌になっていたこともあり、なんとも言えない複雑な気持ちで鑑賞してしまいました。

 ようやく10年経って、この映画を純粋に「ミュージカル映画」として楽しめるようになったわけで、やはり時の流れというのは大切だなと思った次第です。

 そう、この映画はまさに日本流の「ミュージカル映画」だったのです。この映画で流れる音楽(曲)は以下のとおり。

J-Pop / Half-Life
夜明けのBEAT / フジファブリック
マルマルファンク / 在日ファンク
格好悪いふられ方 / 大江千里
Self Control / TM Network
物語はちと?不安定 / N'夙川BOYS
安めぐみのテーマ / ジョニー大蔵大臣(水中、それは苦しい)
いかれたBaby / フィッシュマンズ
Baby Cruising Love / Perfume
走れ! / ももいろクローバー
Lifetime Respect / 三木道三
ワック♩ワック♩B-Hack / B-Hack
あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう / 岡村靖幸
悦びに咲く花 / ACO
失格 / 橘いずみ
Love Forever / 加藤ミリヤ×清水翔太
Lover Soul / Judy And Mary
デスコ / 女王蜂
友達じゃがまんできない / ナキミソ
ばらばら / 星野源
カルアミルク / 岡村靖幸
Long Time / Rei Harakami
東京 / くるり
ヤード / Tokyo No.1 Soul Set
今夜はブギー・バック(Smooth Rap) / スチャダラパー featuring 小沢健二

 なんとも懐かしいですね。あ、あと大切なのが、カラオケのシーンね。リリー・フランキーの熱唱する「粉雪/レミオロメン」。

 いわゆるJ-POPが、特にその歌詞世界において、日本古来の「文学」「歌」の世界を引き継いでいることを考えると、まさにこの映画は音楽自体が人生を語る「ミュージカル映画」そのものです。

 一瞬だけ、Perfume のところで、ある意味本当のミュージカル映画になるのもいいですね。あれって、その後の、たとえば「恋ダンス」なんかにつながるところがある。観客、視聴者も含めて「恋」の物語に波動参加するというね。

 恋ダンスといえば、10年前に星野源の「ばらばら」を効果的に採用したセンスにも、今だからこそ感嘆しますね。

 私は、こういうJ-POP主体の映画がもっとあってもいいと思います。昭和の時代のエノケンやロッパ、笠置シズ子から藤山一郎、美空ひばりは言うまでもなく、加山雄三、クレイジーキャッツ、ドリフのような、ご機嫌なミュージカル映画をどんどん作ってほしい。「もののあはれ」をも継承したJ-POPの歌詞世界なら、単なるBGM、劇伴音楽ではなく、作品の主体にすらなれると思いますよ。

 さて、考えてみると、この映画の前にはフジファブリックの志村正彦くんと、後でいうならレミオロメンの藤巻亮太くんと、それからええと最近橘いずみさんにも会って話したな。それも三人とも富士吉田でだ。全く不思議なご縁ですね。

 今後、ほかの人たちにも会うかもしれない。いや、会いそうな人がいます。彼らの人生こそ、まさにドラマチックであり、映画的であるというのが、またなんとも言えないのでした。

 それにしても、この映画での森山未來くんと長澤まさみさんの魅力は抜群ですね。やはり演技が音楽に乗っているからでしょうか。

 非モテ男(オタク)にモテ期が来たという奇跡ではなく、それによって照射される「女のサガ」「女の哀しさ」がテーマですよね。それはまた実に「演歌的」でもあるのでした。

 

 

Amazon モテキ

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2022.01.27

たつき諒 『私が見た未来 完全版』

Th_51ommugk19l 年、たつきさんの偽物が現れ騒動を起こしましたが、実はその偽物が私のTwitterをフォローしていました。

 私もてっきり本物だと思い、なんで漫画家の人が私をフォローするのかなあと不思議に思いつつ、「大災害は2011年3月」という予知夢のことを初めて知ることとなりました。

 その後、本物に偽物の話が伝わり、結果としてこの本物「完全版」が出版されることになりました。偽物の登場のおかげですね。

 偽物といえば、出口王仁三郎も霊界物語に「今大本にあらわれた 変性女子はニセものだ 誠の女子が現われて やがて尻尾が見えるだろ」と書いて、自分(変性女子)はニセものだ公言しました。

 これにはいろいろな解釈があるのですが、もしかすると王仁三郎自身は本物を導くための役割を果たしたのかもしれませんし、あるいは王仁三郎自身が亡くなったのちも、みろく神業か続くようにあえてそのように言ったのかもしれません。

 いずれにせよ、偽物には偽物の役割があるというのは確かだと思いますし、このタイミングでそれが登場したということに深い意味を見いださずにはいられません。

 このタイミングというのは、もちろんコロナのこともありますが、やはり「その後」の予知夢「2025年7月5日の大災難」の原因である「海底火山の噴火」が、まるで雛形のように先日トンガ沖で発生したことです。

 あの海底火山の噴火が起こした「波動」「津波」は、まさにたつきさんの見た夢の小規模版でした。私は正直ゾッとしましたね。

 実際、あのトンガの噴火以前には、「2025年7月5日」の日本とフィリピンの間の海底火山の噴火によって巨大津波が発生するというヴィジョンは荒唐無稽に感じられました。しかし、今は違います。

 もう一つ、この本の中で述べられている(小規模な)富士山の噴火についても、非常にリアリティーがあるように感じました。富士山の大噴火によって首都東京はじめ近隣都市が壊滅するという、ありがちな予知を期待していた人は落胆したでしょうが(苦笑)。

 いずれにせよ、「未来の記憶」を思い出すことを日常的に行っている私としては、たつきさんの「予知夢」は普通にありえることだと思いますし、私たちが過去の記憶をもとに大難を小難にするように、未来の記憶を思い出したからこそできる備えをすべしということだと、素直にとらえることができます。

 ちなみに、収録されたたつきさんの作品群ですが、作家自身も作品自身もまさか令和のこの時代に再び世に出るとは思わなかったでしょうね。それもまた実に不思議なご縁であり、運命です。こんなこと、それこそ予知できなかったことでしょう。昭和の少女漫画史やオカルト史を懐かしみ、また語る上で、とても貴重な材料だと感じました(絵柄もストーリーもけっこう好きです)。

 さあ、2025年7月5日を、私たちはどのように迎えることになるのでしょうか。

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2022.01.26

玄米茶飯

Th_img_8644 近、玄米の炊き方に凝っています。凝っているというより、毎回違った炊き方を試しているという感じでしょうか。

 玄米は電気圧力釜で炊きます。これホント優れものですね。なにしろ私が調理をするようになったのですから。

 で、玄米の炊き方ですが、お粥にしてしまうことも多い。それにについてはこちらに書きましたっけ。

 普通に炊く時も、普通にはしません。いわゆる茶飯のヴァリエーションを楽しんでいます。

 ちなみに今日は「ほうじ茶」で炊きました。これがまたおいしい。玄米の臭みがなくなって、なんかとっても上品な味わいになります。案外ほうじ茶の匂いがしない。家族も言わなければ気づかなかった。

 緑茶で炊いてもおいしいですね。それから紅茶も案外いける。世界の茶飯(?)が楽しめます。ハーブティーにも挑戦してみようかな。

 この「お茶」で炊くという意味での「茶飯」。僧堂ではぜいたくなご飯の一つですね。

 もう一つの意味での「茶飯」も楽しんでいます。そう、炊きあがりが「茶色」になる「味ご飯」ですね。具なし炊き込みご飯とも言えましょうか。

 静岡では「さくらご飯」って言います。茶色ですが「さくら色」に見立てるところがいいですね。

 これも無限にヴァリエーションを作れます。一般的な、醤油、みりん、お酒、塩でももちろんおいしいのですが、よくある「だしつゆ」とお酒だけで炊いても美味。

 これらを石油コンロの上で「焼きおにぎり」にするとまたおいしいのです。たくさん作って冷凍しておくと、最高のおやつになりますよ。

 もちろん、炊き込みご飯とまではいかないが、何かを一緒に炊き込むのも良し。最近のヒットは小菅村で買ってきた「やまめ」を1匹そのまま突っ込んだやつ。おいしすぎた〜。

 季節の小物を入れて炊いてみるのが楽しいですね。次はいただいた「銀杏」と一緒に炊いてみたいと思っています。皆さんもぜひ。

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2022.01.25

サヴァール 一家 『時間と瞬間について』

Th_151  昨日の「ナポリのルネサンス音楽」の演奏の中心にいたジョルディ・サヴァールは、スペインを代表するヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。

 そんなお父さんと、かつての奥様、故モンセラート・フィゲーラス(vo) 、娘のアリアンナ・サヴァール(vo,hp)、息子のフェラン・サヴァール(vo,テオルボ)が共演。

 これが本当に素晴らしい。すごい家族ですなあ。実はこのアルバム以前も紹介したのですが、リンク切れになっているので、あらためておススメします。

 スペインもキリスト教とイスラム教のせめぎ合いが激しかったところ。様々な音楽が流れ込みました。また、カタルーニャに代表されるように、古い民謡を残している地域も多く、実に多様な音楽が生きています。

 そんな多様性をたっぷり堪能できるこのアルバム。まさに「時」を超えた現代的な解釈やオリジナル曲も含め、本当に素晴らしい演奏が続きます。

 個人的にはフェランの弾き語り、カタルーニャの有名な民謡「盗賊の歌」が好きだなあ。後半のブルージーな感じが実に美しい。

 こんな素晴らしいアンサンブルができる家族って、ちょっとうらやましいですね〜。

 

 

・作曲者不詳(12世紀マルティン写本):恋人の歌第5曲『愛しい人に恋するあなたは』
・アフガニスタン伝統音楽:ナスタラン(ナグマ旋法)[器楽曲]
・作曲者不詳(イスラエル):ヘブライの子守唄
・ジョルディ・サヴァール:ブルターニュ地方の哀歌による変奏曲
・カタロニア民謡(フェラン・サヴァール編):盗賊の歌
・ディエゴ・オルティス:ロマネスカとパッサメッツォ(器楽曲)
・アリアンナ・サヴァール:『ラ・サルヴェ』
・作曲者不詳(サラエヴォのセファルディ):『治癒者とあなたは呼ばれ』[器楽曲]
・ギリシア民謡:『見覚えのない場所で』
・モロッコ民謡[器楽曲]
・作曲者不詳(ロードス島のセファルディ):子守唄『眠っている可愛い子は』
・伝ルカス・ルイス・デ・リバヤス:タランテラ
・フェラン&ジョルディ・サヴァール:即興
・ジョルディ・サヴァール:カナリオス[即興的器楽曲]
・アリアンナ&フェラン・サヴァール:『幻想的に』[即興]
・マラン・マレ:ミュゼット第1&2番(ヴィオール曲集第4 巻第28 & 29 曲)
・カタロニア民謡:『鳥の歌』
・作曲家不詳(17世紀メキシコ):舞曲グァラーチャ[器楽曲
・メルーラ:『カンツォネッタを聴け』

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2022.01.24

黒川柚月さんが語る「日月神示」「出口王仁三郎」

 

 

 日、今日と羽賀ヒカルさんの神社チャンネルに大変興味深い動画がアップされました。

 私もいろいろ教えていただき、個人的に大変尊敬している黒川柚月さんがゲスト。すさまじい情報量の「岡本天明伝」の著者です。

 まず最初に、私も黒川さんのように「ひつしんじ」「でぐちおにぶろう」と発音したいと思っています。

 ヒカルさんは「ひつしんじ」「でぐちおにぶろう」と言っていますし、最近そのように読む方がとても多いような気がするのですが、それは本来の読みではありません。言霊を重視する立場であれば、それなりにこだわった方がいいと思いますが、いかがでしょう。

 さて、内容に関してですが、たしかにちょっとマニアックかもしれませんね。しかし、とても大切なことが述べられています。

 特に黒川さんの、自らの調査に基づき、しかし直観も大切にし、さらに原理主義に陥らない、研究者としての姿勢に感服します。まさに神人合一のメッセージを解読、伝達するにはそういう姿勢が大切だと思います。

 逆にいえば、ネットの情報に振り回され、テキトーな言葉遊びに終始し、人の意見を聞かない、なんちゃって研究者が多いということです。

 私は今日も仲小路彰の文献の翻刻をしました。「日本文化の象徴的創造」という文献です。これはまさに、王仁三郎の霊界物語や天明の日月神示の系譜上にあるものです。

 現在、その原典に触れることができるのは、ほとんど私だけということで緊張して読み進めています。その時、私も「なんちゃって研究者」になりそうになることしばしばです。そういう危険性が常にある。

 そんな時、私は黒川さんとお話した時のことを思い出すのですよ。彼のような姿勢で、その原典情報と対峙しようと。

 そういう意味では、黒川さんとの出会いもまた、私にとっては「経綸」の一部なのです。

 そんなわけで、今度黒川さんを講師にお招きして、上級編「富士山合宿」をやろうかなと思っています。私も久しぶりにいろいろ教えていただきたく思っています。

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2022.01.23

ナポリのルネサンス音楽

 

 ペインを代表する古楽人、ジョルディ・サヴァール率いる二つの団体による、ナポリのルネサンス音楽の演奏です。

 モンテ・カッシーノの歌集には、イタリア、フランス、スペインのいろいろな音楽がふくまれています。考えてみると、ナポリやシチリアのあたりは、まあいろいろな国、民族が入り乱れての複雑な歴史がありますから、逆に面白い音楽がたくさん残ったのですね。アラブやアジアからも人や文化が流入していましたら。

 バロック以降の近代西洋音楽の作法に慣れてしまってる私たちにとって、ルネサンス以前の音楽は逆に新しく聞こえたりします。面白いですね。

 やはり、モンテヴェルディの発明した「Ⅴ7→Ⅰ」というカデンツの支配力というか洗脳力が暴力的に強力だったということでしょうか。

 さて、楽器の面で私が妄想するのは、当時のヴィオラ・ダ・ガンバやハープやギターに絹絃が使われた可能性があるということです。特にシチリアでは絹織物産業が盛んになっていく時期にあたりますので。

 この時代の少しあと、日本から天正遣欧少年使節団がスペインやイタリアを訪れ、当時の楽器を日本に持ち帰っています。そして、秀吉の前でジョスカン・デ・プレなどを演奏しています。

 当然消耗品であるガット弦もそれなりに持ち帰ったと思いますが、いよいよそれがなくなった時には、箏や琵琶に使われていたシルクの絃が使われたことでしょう。それしかないのですから。

 そんな響きを現代に蘇らせるのが、今私が取り組んでいるプロジェクトです。

 職人さんの努力によって、かなり実用的になってきていますので、いずれ輸出されてサヴァールさんも使ってくれるかもしれませんね。妄想を実現することだけには自信がありますので(笑)。お楽しみに。

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2022.01.22

『五日市物語』 小林仁 脚本 監督作品

Th_81qn2ugfil_ac_ul320_ 日、家族と入間のアウトレットに行った時、めちゃくちゃ遠回りしました。

 大月から松姫トンネルをくぐって小菅村へ、そこから奥多摩湖に出て三頭橋を右折して奥多摩周遊道路を走り、浅間尾根駐車場から蜃気楼のような東京都心を拝んで檜原村に入り、秋川渓谷を抜けて五日市へ、そこから青梅を経由して入間へという長距離ドライブ(ふぅ)。

 これが実に楽しかった。私も奥多摩の山の中を走るのが大好きなんです。

 ん? 地図を見るとめちゃくちゃ遠回りでもないですね、距離的には(入間は地図の右上欄外すぐ)。

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 山梨の東部も魅力的な深山幽谷ですが、奥多摩にはまた違った味わいがあります。山梨、東京、埼玉、神奈川等お近くにお住まいの方はぜひ一度、東京の多摩西部から奥多摩、そして山梨の小菅、丹波山あたりをドライブしてみてください。

 特に浅間尾根駐車場からの幻想的な都心の遠景は本当に不思議な感じがします。そこからの夜景もまさに幻。都会がいかに幻想の産物であるか実感できますよ。

 さて、そんなわけで、今は「あきる野市」になった秋川と五日市の風情を満喫しながらのドライブだったわけですが、その雰囲気を味わえる映画がこれです。

 もともとあきる野市市制15周年を記念して制作された映画ですから、もちろん地元PR的な要素が強く、また低予算のため決してクオリティの高い作品ではありません。しかし、あの独特の雰囲気、一般的なの東京のイメージからは程遠い、しかしこれも東京に間違いないという世界を知るにはなかなか優れた作品なのです(遠藤久美子さんの明るく元気なキャラと、草村礼子さんの深く落ち着いた演技のコントラストにも注目です)。

 「渋谷が村だったころ、五日市は町だった」というようなセリフがありましたが、そう、かつて多摩郡は江戸とはまた違った独自の歴史と文化を持っていたのです。

 小学校当時、東京都民だった私は、社会科で東京の地理や歴史を学びました。その時も、秋川や奥多摩はとても遠く感じられましたっけ。今、あの頃から半世紀ほど経ち、こうして改めて「東京」を味わうことができることに、なんとも不思議な気持ちになります。

 面白いもので、ここ1年で急にあきる野周辺の皆さんともご縁ができました。この映画のように、私も「風」になって訪問しているのかもしれませんね。

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2022.01.21

THE YELLOW MONKEY 『JAM』

Th_-20220122-121845 U-NEXTでイエモン企画が始まっています。これがファンにとってはなんとも贅沢。

 ウチはケータイでmineo持ってる(4回線)ので、U-NEXT半額なんですよ。ラッキー。

 今日は時間があったので、活動休止寸前2001年の「メカラ・ウロコ 8」ツアーの東京ドーム公演を鑑賞しました。感動でした。

 ワタクシごとですが、この頃はまだ吉井和哉は単なる「推し」の対象でした。毎年12月28日に武道館で彼のことを眺めていました。

 それから何年後でしょうかね、二人は運命的な出会いをするのでした。それも向こうから来た。推しが訪ねてきた。そして実は数十年前に出会っていたことがわかってお互い驚いた…娘に言わせれば、それはもう「死んでもいいレベル」のことだそうです。そりゃそうだ。

 一昨年前の再結成後の東京ドーム公演に参戦する予定でしたが、コロナで延期。11月は仕事が忙しく参戦できませんでした。

 今日、ちょうどその11月公演の「JAM」の動画が公開されました。これはこれで味わい深い演奏ですねえ。2001年とは大違い。

 私もですが、吉井くんも50代になり、すっかり大人になりましたな(笑)。

 

 

 解散前の「JAM」は、これはこれで魅力的です。歌詞の「ジャム」のところでコードを変えたり、最後に転調したり、なんかそういう「JAM」も大好きです。この動画がそのバージョンですね。

 

 

 

 もう今さらな話ですけれど、吉井和哉は天才です。学校のお勉強はできなかったけれど(笑)、そんなの関係ない。音楽のセンスはもちろんです。この「JAM」も、ある意味コテコテの「ドシラソ」ベースに8分の12拍子。特に歌い出しは歌とベースが平行(並行)して「ドシ」と下がってくる。クラシック界では禁じ手ですよ(笑)。それで陳腐にならない名曲に仕上げちゃうんですから。

 そしてそして、やはり日本語のセンスが抜群。学校の「国語」なんかできなくて良かったですね〜。もう近代文学を飛び越えて古典的な言葉遣い、いや「言葉使い」ですよ(魔法使いみたいな意味で)。

 私はこの曲に出会っただけでも、生まれてきて良かったと思いますよ。本当に。ありがとう。

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2022.01.20

長州力、天龍源一郎、藤波辰爾 東ハトCM「あみじゃが・ぼうじゃが」

 

 から笑ってほっこりした動画。

 この三人の猛者たちの熱い戦いに興奮し、勇気づけられてきた世代としては、当時とは全く違った意味で感激ですよね。

 これこそ「プロレス」の奥深さ、素晴らしさですよ。荒御魂と和御魂セットで一つの世界。それも「時」をまたいでですから、これぞ神話の世界です。

 先日書いたように、地球ではなく宇宙のスポーツはいかに「利他的」であるかを競います。地球人には信じられないでしょうね。逆に、普通の宇宙人にとっては、いかに「利己的」であり、いかに「相手の邪魔をするか」を良しとする地球のスポーツは「スポーツ(気晴らし)」だと思えません。

 そういう意味でプロレスは、地球スポーツの宇宙スポーツへの進化の過渡期の形態であり、それがこうして受け入れられ、生き残っていることは示唆的です。

 40年前に、お互いを信頼することによって思い切ってぶつかりあった、すなわち「利他的」に戦った彼らだからこそ、今こうして「和」を表現できるわけです。

 また、こうして「滑舌が悪い」というある種の欠点(それはかつての戦いの産物でもあるわけですが)を、それぞれ無垢に表現し、それを「笑い」と「平和」に昇華する文化もとても大切だと思います。

 最近は様々な欠点、弱点を意図的に隠す、あるいは不自然に陽転させる傾向がありますが、それは本来の日本文化になじみません。

 日本神話に見られるように、外面的、内面的な欠点、弱点(もちろんそれらは西欧的な基準でのそれです)を「そのまま」表現し、そこに高次元の意味を与えるということが、本来の自然であり、無意識的智慧であったはずです。

 この世知辛い時代に、こうして本来の日本文化を体現してくれるレジェンド三人は、やっぱり「神」ですね。

 それにしても、何度見てもほっこりします。ありがとう三貴子たちよ。

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2022.01.19

松浦亜弥 『部屋とYシャツと私』

Th_-20220120-83741 近寝る前に必ず聴くのがこれ。

 実は1ヶ月前にもちょっと紹介したのですが、オマケみたいに書いたので、今回はちゃんと紹介します。

 気持ち悪くてスミマセン…と先に言っておきますが、毎晩これ聴いて泣いてるんですよ。感動して。

 何度も書いているとおり、我が家全員があややの大ファン…というか信者でして、とにかく4人の人生の最終目標はあややに会って、そして一緒にカラオケに行くですから(笑)。

 私も本当にいろいろなタイプの音楽を聴き、演奏してきましたが、死ぬ(寝る)前に聴く音楽はこれなのです。つまり、人生最後の(なるかもしれない)時に聴くのがこれなのです。

 平松愛理さんの「部屋とYシャツと私」のカバー、本当に素晴らしい。MC面白すぎ(笑)。そして歌うまい(涙)。

 それもこの演奏、歌唱。ほかのバージョンもあるのですが、このライブが最高。

 高音の抜き方、コントロールの巧みさは、あの美空ひばりに通ずるところがありますね。歌に自信のある家内も、これには「脱帽」だそうです。

 聴くのと同時に、観ます。どなたか偉い人が、「あややは歌で芝居ができる」と評したといいますが、全くそのとおりです。

 この曲、オリジナルはあんまり好きではありませんでした(スミマセン)。しかし、あややのこの歌唱を聴いてからは毎日聴くようになってしまった。

 たしかに、ちょっと怖い曲ですよね。しかし、一つのお芝居だと思うと違った曲に聞こえてくる。あややの歌のおかげです。

 あややのすごいところとして「視線・目線・目配せ」もありました。EXILEのATSUSHIさんがサングラスはかけ始めたのは、なんでも松浦亜弥さんのそれを見て「こりゃ無理だ。絶対できない」と思ったからだそうです。わかるなあ。この曲での目線、表情にも注目ですよ。
 

 

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2022.01.18

小田全宏 『お金に心配しない生き方!「豊かな人生」を歩むため本当に大切なものとは?』

 

 年3月56歳7ヶ月で、長く勤めた学校を早期退職しました。今はいちおう法人の顧問という立場ではありますが、収入は数分の1になってしまいました。

 その他の収入も見込んでいたのですが、面白いほどに様々な力が働き実質はゼロ。友人にアドバイスを頼んであった確定申告も、必要なくなってしまいました(笑)。

 しかし、ある意味とても豊かな生活をしております。今までできなかった(してこなかった)親の面倒を見たり、「大人の修学旅行」を催したり、仲小路彰の文献のデジタル化をしたり、家族との交流の時間が増えたり、とにかく心の面ではとても充実した毎日を送っています。

 まさに誰かのために「やりたいこと」「やるべきこと」をやっているという感覚ですね。

 そして、面白いもので、ギリギリ必要なお金、そして物資が「流れてくる」。こういうことが本当にあるのだと、体験してみて分かりました。ありがたいことです。

 最近も、白米がなくなったら玄米が届き、玄米が尽きたら麦と雑穀がやってきました。そして、それが美味しいし健康に良かったりもする。食に関しても新たな価値観を学ぶことができました。

 ちなみに一番流れてくるのが「日本酒」です(笑)。全国の高級日本酒、とても自分では買わないような逸品が、尽きることなくやってくる。まさに酒清水、酒湧池、猩々の与えてくれた尽きせぬ壺のごとくです。ありがたや。

 昨年の今頃は、私だけでなく家族も大変な不安、特に「お金」に関する不安がありました。なにしろ今年度は娘二人が大学生ですので。それはそうでしょう。

 しかし、やってみたら不思議となんとかなりました。そして今は、家族全員、これからも「なんとかなる」という平安な気持ちになっております。

 さて、そんな折、尊敬する小田全宏さんがこんな動画をアップしてくれました。富士山を世界遺産にした張本人である小田さん、我が家にも遊びにいらっしゃり、一緒に聖山に登ったりもしました。

 その利他的な生き方、徹底した前向きで明るい生き方から、多くの智慧を頂戴しております。

 このお話も、実にタイムリーにお聞きすることができ幸運です。今だからこそ分かるお話ですね。私の場合は(正しい意味で)「Fire」して良かったと思っています。感謝。

 やるべき仕事とは、直接お金になることだとは限らないのですね。

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2022.01.17

映画『野球狂の詩』 水島新司原作・木之内みどり主演作品

Th_71vrgc0fxol_ac_ul320_ 島新司先生がお亡くなりになりました。

 本当にお世話になりました。少年の私を育ててくれた恩人です。

 当時、多摩川沿いの大田区に住む野球少年だった私。まあ、あの頃の少年はみんな「野球少年」でしたよね。

 特に小学校5年生、6年生の時、漫画「野球狂の詩」にはまりまくり、特に「水原勇気」にはほとんど初恋のような感情を持っておりました。初恋ではないな。思春期の始まりの時に、初めて「女」を感じたというか。

 この映画、調布大塚小学校を卒業し、石川台中学に入学する寸前の春休みに、蒲田の日活で観ました。ロマンポルノのポスターが貼ってある汚い映画館に入るのはドキドキでした(笑)。忘れられない日ですね。

 当時、あまりに漫画の「水原勇気」に憧れていたので、この木之内みどりさんの水原勇気には正直違和感を覚えました。

 日活お約束の着替えシーンと入浴シーンには、当時かなり動揺しました(笑)。

 映画としてもなんとも消化不良な内容だった記憶があるのですが、しかし、こうして45年ぶり(!)に観ますと、まあなんと魅力的な作品でしょう!

 原作の雰囲気、特に昭和の男の泥臭さ、人情というものがにじみ出ていますし、なんと言っても水島先生の常識を突破する意思というものを感じることができます。

 もしかすると、もう少しでこの世界は実現するかもしれませんよね。女性プロ野球選手。オリンピックでもようやく男女混合の競技が始まりましたし。

 まだ、女子野球がほとんど注目されていなかったあの頃に、このテーマで喧嘩を売ったわけですから、本当にすごい。

 訃報に接して、多くのプロ野球選手がコメントしていますが、本当に水島先生の野球愛はすごかったし、プロ野球選手より野球に詳しかった。さらに言えば、野球を通して社会の矛盾や消えゆく文化を表現してくれていたのですね。

 この映画には、水島先生ご自身も「水島先生」役で出演しています。そして同時に当時南海ホークスのノムさんも見事な演技(?)を見せてくれます。あの終始ニヤニヤしているのがなんとも言えない。岩田鉄五郎(小池朝雄さん)とノムさんが普通に会話しているところ、夢と現実が見事にごっちゃになった素晴らしいシーンです。この一連のシーンだけでも、今となってはとんでもない夢のような世界ですよ。

 ちなみに小池朝雄さんと言えば、あの頃も今も「刑事コロンボ」。関西弁しゃべるコロンボという感じで、これもまた不思議な感覚でした。

 

 

 多摩川グランドのシーンはとにかく懐かしかった。当時はもろにリアルタイムでそこに毎日曜日通ってましたからね。そういう意味でも自分にとっては宝物のような映画となりました。

 そして木之内みどりさんが可愛い!当時は漫画の「水原勇気」が一番だったので、あまり興味を持ちませんでした。もったいない(笑)。

 のちに、あのベーシスト後藤次利さんと結婚、離婚、そして竹中直人さんと再婚するわけです。すごい人生ですよね。

 というわけで、水島新司先生のご冥福をお祈りしつつ、自らの少年時代をも改めて「追悼」した今日でした。先生、お疲れさまでした。本当にありがとうございました。

Amazon 野球狂の詩

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2022.01.16

令和4年度 共通テスト「国語」

Th_kokugo_001 っそく解いてみましたよ。

 答えが出ないような悪問はなかったと思いますが、せっかく時間をかけて「名文」を読ませるのですから、もっと問うべきことがあるように感じました。

 特に新味を持たせた「メモ」や「ノート」や「話し合い」は、そういう設定自体に意味があるのか疑問に感じました。普通の問題の形式で良いのではないか、そういう新しい形式にして問う意味があるのか、結果として受験生に無駄な時間とエネルギー(頭の転換など)を課しているだけではないかということです。

 そのあたりに、本質よりも形にこだわって(ごまかして)しまうという、学校教育によくある根本的な悪弊が垣間見れるような気がします。

 私自身、少し学校という現場から距離を置くようになり、その結果一般社会に近づいた結果、ようやくそういう問題点が見えてくるようになったとも言えます。

 作問もしてきた立場から言いますと…(問題用に書かれたのではない)他人様の文章の一部を取り上げて「教育的」な問いを作るのは本当に難しい。作問委員の方々のご苦労はよ〜く分かります。

 だから私は自分で「本文」を書いてしまうのですよ。今年も書きました。作問を意識して書けるし、だいいち著作権の面倒な問題がない上に、筆者自身が解けない(正解がない!)という笑えない(笑える?)事態も避けられます。

 なんで、世の国語の先生は自ら「本文」を書かないのでしょうね。文章書くのが得意なはずですが。

 私なんか、いっそのこと古文(擬古文)も、漢文(漢詩)も自分で書いちゃいますよ(笑)。その方が楽だし、早いし。

 まあ、そんな宇宙人の戯言はよいとして、やはり共通テストのような選択問題ですと、「国語力」を測るというより、「情報処理力」あるいは「詐欺に合わない力」を測ることになってしまいますね。それはそれでもしかすると「国語力」よりも大切な力かもしれませんが。

 共通テスト 国語

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2022.01.15

トンガ沖火山噴火

 

 年末からやや活発な活動を見せていたフンガトンガ・フンガハアパイが、今日午後大噴火を起こしました。

 おそらく火山爆発指数6を超え7になる可能性もある大規模なものです。

 爆発音が2千キロ以上離れたニュージーランドでも観測されたようですし、動画にありますように気圧の変化という形で日本にも衝撃波が届いたとのこと。

 これから津波も到達するので、十分な注意が必要です。

 これだけの大噴火は100年に1度あるかないかということで、どうも1991年のピナトゥボ山の大噴火を凌ぐ規模になるかもしれません。

 ピナトゥボ山の時のことは記憶に鮮明ではないでしょうか。日本では1993年が大冷夏となりました。平成米騒動とも言われる米不足に陥り、私もタイ米を食べましたっけ。

 少なくともこのくらいのことがここ2〜3年の間に起きると思っていた方が良いでしょう。

 ご存知のとおり、火山の噴火が人間の歴史を動かした例は多数あります。

 特に有名なのは1783年のアイスランドのラキ火山噴火(火山爆発指数6)。この大噴火は、地球規模で数年間の寒冷化を引き起こしました。

 それがヨーロッパではフランス革命の、日本では天明の大飢饉(からの寛政の改革)の遠因となりました。

 最近は温暖化ばかりが叫ばれておりますが、たしかに大きな温暖化の流れはあるとしても、こうした一つの火山の噴火で大きく状況が変わる可能性があります。

 火山の噴火は地球にとってはちょっとした出来事ですが、その地球に間借りしつつ我が物顔にふるまっている人類にとっては、大変大きな「災害」になるのです。

 ここのところの、カーボン・ニュートラルやSDGsといったお題目も、所詮は人類目線のキレイゴト。だいたいそんな時に、地球(自然・神)からのしっぺ返しがあったりするモノです。

 「コト」が行き過ぎると「モノ」が発動するというのが、この宇宙の仕組みなのです。

 現在のトンガはもちろん、未来の地球全体の大難が小難になり、そして無難になりますように。そのためには私たちの気づきと祈りが大切です。

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2022.01.14

ソーラーセンサーライト(暖色系)

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 近購入した優れモノを紹介します。

 ノーベル賞を受賞した赤崎、天野、中村の三氏が開発した青色LEDのおかげで、白色のLEDが可能になり、多くの照明がLED化されました。

 その結果、世界全体での省エネの総量はとんでもなく大きな数値になります。

 ある意味地味な発明ですが、私たちの生活に直結していること、さらに地球環境に対する貢献度の高さということで言うと、21世紀最大の発明ということになるかもしれません。

 そのおかげで様々な色調合ができるようになり、暖色系白色、すなわち電球色の製品も一般的になりました。

 皆さんも様々なところで体験していると思いますが、純粋な白色LEDの光はやや攻撃的でまぶしさを感じますよね。その点、こうした暖色系のLEDはたしかに「暖かさ」、さらには昔の裸電球的なノスタルジーすら感じさせます。

 我が家の玄関灯もそうした暖色系のセンサーライトにしていますが、そのすぐ近くの壁に設置していたセンサーライトが純白系だったので、このたびそれは家の裏に移設し、新たにこの暖色系センサーライトを設置しました。

 この製品、まずデザインがよろしい。シンプルです。飽きの来ないオシャレさがある。

 明るさはまあまあですが元々予備灯ですし、柔らかさを求めていたので、これでちょうどいいくらいです。

 天面の太陽電池パネルは比較的大型で、直射日光が当たらない時間にもそれなりの発電をしてくれます。

 さらに良いのは、こういう製品には珍しく内蔵の蓄電池が交換可能だということです。開けてみましたら、一般的な3.7Vリチウム電池でしたので、へたったら簡単に交換できますね。

 ちなみに私が購入した時は、なんと1000円のクーポンがついていたので、たった2510円で購入できました。安い!

 今のところ快調に点灯してくれていますので満足しております。

Amazon URORU ソーラーライト屋外LEDセンサーライト

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2022.01.13

EVの現実(バッテリー問題)

 日は急用で東京に行きました。いつもどおり軽自動車で高速道路を行きました。往復250キロくらい走りましたが、ガソリンタンクの残量は半分以上。

 冬の時期やや燃費は下がりますが、それでも軽四駆箱バンとしては優秀で18.3km/lをキープ。AGSの優秀さが分かりますな。エブリイのガソリンタンク容量は37Lですから、理論的には満タンで677km走れる計算となります。ギリギリ秋田まで行けそう。

 一方EVはどうなのか…現実は下の動画をご覧くださいませ。

 世界の完全電気自動車に向かう潮流に危惧を覚えております。エンジンという非常に繊細な精密機器の製造技術と根性がない某国(複数)の事情によって、私たちは振り回されている感じですね。

 昨年こんな動画を紹介しました。

 EV推進の嘘

 極寒冷地山の中の我が家付近ではほとんど実用にならないでしょう。

 そのような厳しい環境でなくとも、いかにEVがストレスフルかという動画がいくつか公開されております。

 今日は、冬の高速道路長距離運転の例を紹介しましょう。非常にリアルな動画です。

 皆さん、これを見てもEVに憧れますか。

 スマホでさえ、バッテリーの残量にいちいちヒヤヒヤしたりしますよね。スマホならモバイルバッテリーを持ち歩くということで、そのストレスからある程度開放されますが、車の場合そうは行きません。

 長距離運転の多い私からしますと、このストレスおよび時間のロスにはとても耐えられそうにありません。

 ちなみに私の未来の記憶ですと完全EVが実用的になるには、地球上の科学技術で言いますと、小型核融合炉の実用化と大型キャパシタの技術革新が必要です。

 

 

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2022.01.12

『奇蹟がくれた数式』 マシュー・ブラウン監督作品

 

 日の中島岳志さんの「思いがけず利他」にも出てきたこの映画。インド人数学者ラマヌジャンの天才ぶりと葛藤、そして早すぎた死が描かれています。

 そういえば、数日前、満島ひかりさんがこの映画で過呼吸になったと語っていましたね。

 満島ひかり、過呼吸になるほど泣いた映画とは?

 中島さんも紹介していたように、ラマヌジャンは直観から数多くの数式を発見しました。そして、それを証明することに消極的でした。すでにその結論はすでに正しいからであって、証明の必要はないと考えていたのです。

 なぜなら、彼はインドの女神ナマギーリからそれを授けられていたからです。女神が彼の舌に数式を書いてくれるのだと。

 西洋近代の特に自然科学においては、そのようなモノ的世界は許されません。証明というコトを介さないと認められないのです。

 私は全くの凡才ですが、やはり最初から結論をダウンロードできるタイプですので、アカデミックな世界からは大いにバカにされています(笑)。それでも中には、私の代わりに研究をしてくれる学者さんもいらっしゃる。本当にありがたいことです。

 逆に言うと、私は勉強や研究をして結論を導き出しているのではないので、その結論とやらも自分の「コト」ではありません。どこかからやってるモノなので、当然私の所有物ではありませんから、著作権もなにもあったもんじゃない。ですから、全く自由に使っていただいて構わないのです。

 もともとこのブログでも著作権について下記のように説明していました(笑)。

 このブログの著作権について

 ある意味、ラマヌジャンもそういう発想だったのかもしれませんね。ハーディがいなかったら彼が歴史に名を残すことはなかったのでしょう。その出会いこそが「奇蹟」なのです。

 それこそハーディは結果として「利他」を働いたことになりますが、もともとラマヌジャンにとって、それは「ありがた迷惑」だったかもしれません。

 それにしても、天才はなぜこんなにも早く亡くなってしまうのだろう。32歳ですか。そのあたりが一つの関門ですね。私はその二倍くらい生きていますから、残念ながら天才ではなかったようです(笑)。

 

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2022.01.11

『思いがけず利他』 中島岳志 (ミシマ社)

Th_41iq2xanegl  日の斎藤さんと國分さんの議論ではありませんが、SDGsの持つ「胡散臭さ」は、「利他」の難しさの現象の一つですね。

 富士山での合宿の大きなテーマの一つが「利他」です。

 本当は「利他」という言葉は使いたくないのですが。

 この地球上で「利他以前のモノ」を表現するのは難しい。

 宇宙倫理的に言えば、「利他」という言葉すらなく、すなわち「利己」が感覚としてないわけですが、それを地球上の言葉で説明するのは難しい。

 ただ言えるのは(地球で言うところの)「利他」は、もともと全存在の根本的な性質であって、それが全関係性の中で(保存法則的に)均衡が取れていればいいだけの話です。

 その均衡を崩すのが「自己」「自我」ということになります。それがワタクシの「モノ・コト論」での「コト」です。

 中島さんがこの本の中で繰り返す「偶然性」「流れ」「未来からやってくるもの」が「モノ」ということなり、すなわち「偶然性の驚嘆」というのは「もののあはれ」になります。

 そして、「思わず動く」「思いがけず」という無意識的、無目的的、無我的、モノ的な行動こそが、最近私が語る「business(busy)」すなわち「慈悲」の本質です。

 ですから、この本で終始重要な例として挙げられている、落語「文七元結」の長兵衛の行動こそ慈悲であり、それは「利他」以前の、慈悲の均衡を保つための宇宙意志的現象だったというわけです。

 と、こんな宇宙倫理というか宇宙哲学的視点でこの本を読んだのは、まあ私くらいでしょうね(笑)。

 いつも言うように、宇宙からの視点なので、どうしても「上から目線」になってしまいます。ゴメンナサイ。

 「利他」に満足せず、「利他」に悩む地点こそ、「利他」「利己」を超えたモノ(宇宙の哲学・法則?)に至るスタートだと、この本を読んで思いました。

 いつか中島さんと、こんなお話してみたいですね。

Amazon 思いがけず利他

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2022.01.10

『陰謀論に対する処方箋』(斎藤幸平・國分功一郎)

 

 日は移動が多く、運転中にこの音声を聞きました。

 斎藤幸平さんのベストセラー『人新世の「資本論」』は、問題提起としては大変共感する部分が多かった。SDGsの胡散臭さは、もうほとんど先進国のお家芸みたいですよね(笑)。

 ただ、それに対する彼の処方箋たる「脱成長コミュニズム」に関しては、未来の記憶的には違和感しかありませんでした。これもまたある種の既視感があるせいでしょうか。

 まあ、それは置いておいて、この哲学者同士の対談は面白かった。そう、斎藤さんはやはり哲学の人なんですよね。だから経済を語る時も、やや観念的になり、理想的になりがちです。

 コモンという概念や暇という方法論に関しては、それこそ宇宙未来的にはすんなり入ってくるところ。日本人を含む地球人に足りないのは確かにそれらです。

 大人こそネット・リテラシーをという話、ごもっともですね。私の周囲にも安っぽい「陰謀論」に振り回されている「大人」がたくさんいて辟易します。

 まさに陰謀論は「複雑系の単純化」という怠けでしかありません。本人たちは自分たちこそ勉強していると思い込んでいますが(苦笑)。

 逆に複雑系を複雑系と直観し、思考することをやめている人の方がまだ健全だったりします。

 哲学者とは、そういう「一般人」のために代わりに苦悩して、そしてやっぱり分からないということを示す仕事をする人のことなのでした。

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2022.01.09

黒ゴマ塩 (日本正食品研究所)

Th_31d90wlqqyl_ac_ 日は我が家の食の話。電気圧力釜が大活躍しております。

 まず、冬場は各方面からリンゴをたくさんいただきますので、毎日それを消費しております。圧力釜で5分。美味しい煮リンゴが完成。

 朝ご飯やおやつはこれで十分。

 あとは玄米粥ですね。最近は有機野菜ブイヨンをいただいたので、それを加えて炊き、そこに納豆や卵、ハーブ岩塩やら醤油やらごま油やらを入れて仕上げます。

 そして最後のトッピングはこれ。このごま塩は本当に美味しい!

 普通に炊いた玄米にちょこっと振りかけるだけでも最高のご馳走になります。お粥だとさらに美味しさ倍増。

 すりゴマなので、最初から香りが素晴らしい。天塩の上品な味わいも最高です。

 これは本当におススメですよ。

 と書いているうちにお粥が炊き上がりましたので、今から仕上げに入ります。ちなみに玄米二合で加圧40分。水の量は白米四合の量でちょうどいい感じです。

 玄米は水に浸けてから炊くとやわらかめになりますが、浸けなくてもOKです。かつては玄米毒みたいな話がありましたが、実は根拠がなかったことがわかりました。逆に重要な成分が溶け出してしまうとも。

 電気圧力釜をお持ちの方は、ぜひスペシャル玄米粥に挑戦してみてください。

Amazon 黒ゴマ塩

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2022.01.08

令和4年 新春 富士山合宿(大人の修学旅行)終了!

 年8月から開催している「大人の修学旅行(富士山合宿)」。

 富士北麓の冬は厳しいので、11月の開催からとりあえず春になるまではお休みにしようと思っていたのですが、どうしても参加したい!という方が100名以上待機しているとのことで、いきなり年明けからフル稼働することになりました。望外の幸せです。

 今回は全国から30名の方が参加。2度目という方も数名いらっしゃいましたが、ほとんどは私も初対面の方々。

 いったい何をやるのか、何が起きるのかもわからず、ただ既参加者からの口コミで参加を決意されたとのこと。私も全く宣伝や告知をしていないのに、まさかこんなに盛況になるとは思ってもみませんでした。

 思えば、一昨年末、ある強力な霊能者お二人が我が家を訪れた際、お二人ともに「山口先生が富士山の麓でたくさんの人を集めて非常に重要なことを伝えているヴィジョンが見える」とおっしゃっていましたっけ。その時はなんのことか全く分からなかったのですが、ああこういうことだったのかと、いろいろな意味で恐れ入っているところです。

 皆さん、今日お帰りの際には全く違った人生が始まることになり、正直お顔も違っていらっしゃいました。まあ、ただ私の駄話を聞いて、あとはお水やお酒を夜中まで飲んで大いに笑ったり泣いたりしただけなのですが。もちろんせっかくいらしていただいたので、富士山を観望し、地元の神社に参拝もしましたが。

Th_img_8603 あっ、あとシンギングリンによる「音浴」。それから、たまたま参加してくださっていたヨガの先生によるヨガ教室も急遽開催いたしました。写真はその様子です。決して怪しい宗教ではありません(笑)。

 富士山麓での開催は今回が5回目。のべ100名以上の方にご参加いただきました。ありがたいことに、その他私が出張していく形のものも数回あり、今後の決定したスケジュールのものも含めると、新たに200名近い方にお会いすることができそうです(このまま行くと今年は千人単位になるかも)。

 以前書きましたように、4名以上の参加者を募っていただければ、いつでも開催いたします(1泊2日)。内容はナイショです(笑)。費用は宿泊費と施設利用料、食費の実費のみ徴収させていただきます。

 持ち物は皆さんで共有する「教材」(お酒とおつまみ)だけ。代わりにお帰りの際には、ここでしか手に入らないスペシャルなお土産をお持ち帰りいただきます。

 私も皆さんの豊かな人生経験と高い志から、いろいろなことを学ばせていただいています。本当に楽しい。

 さあ、富士山の麓で、地球の常識をひっくり返す「宇宙の常識」に触れてみませんか?

 興味のある方はこちらから。

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2022.01.07

犬目宿からの富士山

 甲州街道ネタが続きます。

 先日は車で走りましたので、なかなか写真を撮る機会がありませんでした。富士山が素晴らしかったのですが。

 というわけで、写真ではなく絵で見ていただきましょう。北斎と広重という両巨頭による犬目富士です。

 上野原、鶴川から野田尻、犬目まで、なぜあんな峠道を通らせたのか不思議だと先日書きましたが、その答えはまさしくこの富士にあったのでしょう。

 特に富士講の栄えた江戸時代には、この絶景は必要不可欠な旅のカンフル剤だったと思います。

 今でも中央線や中央道、あるいは国道20号を走っていると、小仏トンネルや大垂水峠を越えてからのあの山間の雰囲気はなんとなく暗く重たく感じられますよね。

 関東平野から突然(つげ義春風に言えば)チベットに入るのですから。なんとも侘しい気持ちになります。地図を見てください。

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 チベットに入ってから大月約30kmの間、ずっとあの調子だとかなり気も滅入りますし、気が滅入ると体力も落ちる。

 ですから、あえて厳しい上り坂と下り坂というイベントを設けたのではないでしょうか。ちなみにあの下り坂は盲人が転落することから「座頭転がし」と呼ばれていました。

 そのイベントの感動は、なんと言ってもその犬目峠付近からの富士山の素晴らしさです。全く眺望がきかない山道を登り終えたところで突如現れるあの富士山には、江戸の旅人たちも感激したことでしょう。

 関東平野から見えていた富士山とは明らかにスケールが違う。つまり、ああ富士山に近づいてきたという感動が味わえるのは、その姿が見えなくなってしばらく経っているからです。そういう効果は絶大だったことでしょう。

 では、その感動の富士をご覧いただきましょう。

 まず、葛飾北斎の富嶽三十六景から「甲州犬目峠」です。

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 前景に山が連なるので、裾野はこんなに見えません。しかし、これがある種のリアリズムなのでしょうね。つまり「印象派」的な写実。心の中ではこの広い裾野が想像されるのです。それほどの感動であり、期待であるということでしょう。

 続いて歌川広重の筆を三つ。さすが広重の方が西洋的なリアリズムに基づいていますね。それでも桂川が近くにあることなど完全に虚構です。猿橋付近の風景との合成でしょうね。それもまた「思い出的リアリズム」と言えます。それを真似たのがピカソですよ。

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 皆さん、もしお時間がありましたら、ぜひお車で結構ですから、旧甲州街道犬目宿を通って隠れた富士の絶景をご覧くださいませ。おススメです。

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2022.01.06

棚頭の仁王像

Th_img_8569_20220107100301 甲州街道ネタに戻ります。

 先日、「独り初詣」で訪れた野田尻棚頭の八幡神社(旧天鼓山東林寺)にある謎の仁王像を紹介します。

 最初ここを訪れたのは今から30年くらい前でしょうか。その頃、この仁王像はまさに「バラバラ事件」状態でした。頭、胴体、手足が門の中に散乱していて、それはそれでなんとも言えない怖い、いやある種滑稽な雰囲気を放っていました。その後2001年に完全修復され、今は立派に立ち並んでいます。

 あれって、もしかして「廃仏毀釈」の時のまんまだったのでしょうか。あんなに不自然にバラバラになることはないでしょうから。そう、たとえば上吉田の冨士浅間神社にあった、月江寺持ちの仁王像は市中引き回しの刑に遭い、その後薪にされてしまったと聞きます。

 日本史上最も苛烈な宗教弾圧はキリシタン弾圧や大本事件かと思いきや、実は明治維新前後の「廃仏毀釈」だったのですね。全くひどい話です(平田篤胤のせいみたい言われますが、そこはちょっと違うのではないかと思います)。

 もし棚頭の仁王像がその「現場」だとしたら、修復しない方が良かったのかも。あまりにきれいになってしまいました。

 実際、今は八幡神社となっている堂宇は明らかに寺院の造りです。かつては東林寺というお寺でした。山門には立派な「天鼓山」の額もかかっています。八幡神社というのが安易と言うかなんと言うか(苦笑)。

 東林寺は、野田尻の大きなお寺熊埜山西光寺の末寺でした。西光寺さんは現在臨済宗建長寺派ですが「くまの」と称するところから分かるとおり、かつては真言宗で修験道とのつながりも深かったお寺です。

 その西光寺さんの末として、棚頭の八幡神社から東に少し離れた桑久保地区に「東林寺」さんが現存します。棚頭が旧寺地だったのでしょうか。ともに本尊は薬師如来様ですし。

 さて、その修復された棚頭の仁王像ですが、まあとにかく下の写真を見てみてください。仁王像がなんでこんな山の中の急斜面に立っているのか、全く不思議です。

 正面はアクリル板がはめられていて、反射のためよく見えません。灯りをつけるスイッチがあったり、センサーライトがついたり、まあサービスと言えばサービスなのでしょうが、ちょっと微妙な雰囲気になっております(笑)。

 境内に立つ石碑を見ますと、ここがとんでもない僻地であったのに、ようやく電燈線が引かれたと書いてあります。そのおかげで仁王像も今ライトアップされているわけですね。

 その他、写真を見てみてください。結構坂道がきついのですが、近くにいらした折には一度訪ねてみる価値はあるかと思います。仁王様の裏側には、「おびんづる」像が座っています。目の病気にお利益があるとされていたとのことで、かなり撫でられたのか、目が潰れてしまっているのは何とも言えぬ歴史民俗の悲哀を感じさせますね。

 なお、熊にはご注意ください。

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2022.01.05

あっぱれ!関根シュレック秀樹選手(RIZIN.33)

 

 甲州街道ネタを続けようと思っていましたが、どうしてもこれをぶち込まないと年が明けません!

 大晦日、令和3年最大の感動が待っていました。

 「心のプロレスラー」を標榜するワタクシとしては、やはりこれは紹介せずにはいられません(興味のない方スミマセン!)。

 というわけで、わかる人しか観ないと思うので、逆に説明抜きです。

 昨日の「つげ義春」とは正反対のようですが、いやいや実は同じ世界なのです。昭和の男の哀愁ですよ。勝って哀愁漂わせるなんて、なんてカッコイイのでしょう。

 「折れない心」こそ、日本人の美徳であり、そのために過去多くの悲劇があったのも事実ですが、やはり心が折れないと結果として相手にもエールを送ることになり、そこからお互いのリスペクトが生まれる。まさに「荒魂」の正しい機能です。

 私は、いつもシュレック選手の大日本などでのど迫力プロレスファイトを観ています。まさかそれと同じ世界を、こうして総合格闘技のイベントでも観ることができるとは。いやあ、シュレック選手の言うとおり「生きててよかった」。

 一度会場で目撃したことがあるのですが、あの分厚い胸板と丸太のような腕は、そうまさに昭和のレスラーのそれでした。そうした重装備は、機能的には、戦艦大和の主砲のように無用の長物なのかもしれませんが、そこに「根性」「物語」を生むには十分すぎる造形でした。

 巷ではシバターと久保の試合でゴチャゴチャやってますが、八百長とか手加減とか、私にとってはそんなことはどうでもいいのです。観点や感点が違うのでしょうね。

 この前、あるスポーツ界の大御所の前で「宇宙スポーツ」の話をさせていただきました。地球のスポーツは進化前だと。

 つまり、地球のスポーツは全部利己的(そこには相手の邪魔をすることも含まれる)なんです。青少年がそれで育つから良くないのですが、こういう話は地球人にはなかなか通じませんね(苦笑)。

 宇宙ではいかに利他的になれるかを競い合っています。信じられないでしょう。今、そこに一番近いのが、実はプロレスなのです。分かる人には分かりますよね。

 さあ、これから地球のスポーツはどちらの方向に進んでいくのでしょうか。ただ勝ち負けがはっきりすればいいのか。自分と相手の両方を活かす、輝かせる方に行けるのか。楽しみでもあります。

 それにしても、とにかく関根シュレック秀樹選手、ありがとう。ますますファンになりましたよ。また会場で雄叫びを聞きたいと思います。

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2022.01.04

『猫町紀行〜貧困旅行記』 つげ義春 (新潮文庫)

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 てさて、昨日の続き。

 昨日、最後に「昭和の物語」と書いたのが、この「猫町紀行」。伝説の漫画家つげ義春の伝説の旅エッセイです。

 久しぶりに、その「猫町紀行」が収載されている「貧困旅行記」を読みました。本当に味わい深い。御本人は「文章が苦手」と謙遜していますが、もしかすると漫画より巧い?

 若い時、つげの文章をよく読みました。今になってみると、その影響を受けているなと感じました(この軽薄なブログ文体は別物ですけど)。

 国語の先生でありながらあんまり本を読まない私ですが、数少ない読書経験の中から、文体、あるいは文味ということで多大な影響を受けたのが、串田孫一、太宰治、そしてつげ義春です。

 そんな私の文章の師匠、つげの「猫町紀行」の舞台になっているのが、昨日紹介した「野田尻」宿です。Wikiにあるように、つげ本人はそこを「犬目」宿と認識していたのですが、ガロの編集者だった高野慎三の考察の通り、おそらく「野田尻」がその舞台でしょう。

 昨日書いたように、現代の「野田尻」は時代が止まるどころか、時代に追い越されているような土地です。そこに萩原朔太郎の「猫町」を連想するあたり、さすがつげ義春といったところ。そして、上掲の有名な絵が生まれた。

 正直、そこが「犬目」であろうと「野田尻」であろうと、ファンタジーの世界に迷い込む私たちにとってはどうでもいいことです。実際にあの辺りを散策すると、それこそ虚構の村落にいるような不思議な感覚に陥ります。

 現在、「猫町紀行」は文庫「貧困旅行記」で読むことができます。Kindleでも読み、鑑賞することができるので、ぜひお読みいただきたい。

 地元民としては「秋山村逃亡行」にも改めて感動しました。独身の頃この文章に感化され、秋山村の奥牧野に物件を見つけて本気で引っ越そうかと思っていたほどです。

 「日本のチベット」秋山村には、今ではなんとリニアモーターカーが走っています。つげも最後の旅年譜で落胆していますね。

 昨日の野田尻の中央道サービスエリアのように、いやそれ以上に超高速で「時代に追い越され、永遠に取り残さる村」になっています。それはそれで何か不思議な魅力があるのですが。

 ぜひ皆さんもこの本で予習して、山梨県の郡内地方東部に「逃亡」してみてください。東京、神奈川に隣接する不思議ゾーン、まさに「なまよみ(半分黄泉の国)」ですよ。

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Amazon 新版 貧困旅行記(「猫町紀行」含む)

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2022.01.03

旧甲州街道「野田尻宿」の皮肉な運命

Th_nodaziri 日の初詣は我が家だけかと思いきや、地元の方とおぼしき一家族と一緒でした。昔から変わり者の私は、人がたくさん集まる神社仏閣よりも、一人静かに独占できる(?)ところが好き。

 というわけで、今日は絶対に一人になれる自信のある所にお参りしてきました。案の定一人っきり。通りかかる人も車もありませんでした。やった〜(笑)。

 昨日の「桃太郎伝説」でいうと、桃太郎のお供が登場する寸前である野田尻宿の近く。旧甲州街道から少し山に入ったところ。

 その初詣先「棚頭の仁王像」については、明日にでも書きます。まずはその野田尻について。

 江戸時代には「奴多尻」という、ちょっと微妙な字も用いられていた野田尻。そう、野田という地名はもともと「ぬた」であった可能性が高い。

 「ぬた」については次の記事をご覧ください。面白いですよ。

 垈(ぬた)〜「のたうつ」の語源

 旧甲州街道は、上野原から大月に至る間、相模川沿いを離れて、なんで?と思うほどの山道に入ります。今の甲州街道、すなわち国道20号線を走ると分かるのですが、川に山が迫りすぎていて道ができなかったようですね。

 鶴川宿から山道を半分登ったところにあった野田尻宿は、日本橋から二十里、すなわち20番目の宿でした。とても小さな宿場。これも後日紹介しますが、峠道のてっぺんにある、次の宿場「犬目」がある意味有名だったので、通過してしまう人も多かったのでは。

 近代になり、国道や鉄道が通ることによって、山を通る旧甲州街道はすっかり廃れてしまいした。そのため野田尻という地名もマイナーになってしまいましたが、昭和になって中央道の高速バスのバス停「野田尻」ができ、外国人も含め多くの人の耳に触れるようになったのは面白いですね。

 しかし、あそこで乗り降りする人を見たことがありません。それほど山の中ということです。しかししかし、これまた面白いことですけれども、地図を見てわかるとおり、この野田尻地区にはあの「談合坂サービスエリア」ができました。

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 高速道路のサービスエリアって、なんか外界とは隔絶された特別な「宿場」じゃないですか。あれだけ多くの観光客が出入りする談合坂(この地名についてもいつか書きます)が、かつての小宿「野田尻」だったことを考えると、なんとも皮肉な感じもしますね。あの風景の中にスタバがあること自体、外から見ると異世界すぎて笑えます。

 サービスエリア工事の際に、遺跡の発掘調査も行われ、縄文期から近世に至るまでかなりの量の遺物が出てきました。もし人類が一度滅んで再びここを発掘したら、令和時代のスタバなんかの遺跡が出てくるわけですね。かつて宿場ではコーヒーを飲むことが一般的であった、とか言って(笑)。

 というわけで、いろいろ書いてきましたが、ここ「野田尻」に関して昭和のある物語がありますので、それは明日にでも書きましょう。仁王様はあさって以降になりそうですね。

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2022.01.02

大月・上野原「桃太郎伝説」

 日(元日)の記事の続きです。

 皆さんご存じの「桃太郎」の昔話。鬼を退治する話ですよね。その「鬼」も艮の金神だという説があります。

 桃太郎伝説と言えば岡山が有名ですが、実は山梨にも古くから面白い桃太郎伝説があります。

 最近岡山の方とお話する機会が多いのですか、まさか山梨にそんな伝説があるなんて皆さん知りません。そりゃそうだ。でも、去年の「桃太郎サミット」は山梨県大月市で開催されたんですよ(今年は岡山の予定)。

 そう、サミットと言うくらいですから、岡山、山梨だけでなく、全国各地に桃太郎っぽい(?)伝説がたくさんあるのです。

 で、山梨がなぜ「こここそルーツ」と言うかというと、上野原から大月にかけて甲州街道筋に「犬目」「鳥沢」「猿橋」という地名(宿場)があり、そして大月市の岩殿山や九鬼山の周辺には「鬼」に関する遺跡(?)も結構あるからです。

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 もちろん山梨が桃の生産量全国一位ということも影響しているでしょうね。ただし、山梨の桃は葡萄とは違い、いくら遡っても明治時代後期。近代になってからのことですし、桃の栽培は甲府盆地で、大月や上野原にはほとんどありません。まああるとすれば山桃でしょうか。

 「桃」は日本においても中国においても「霊力」を持つ果実というイメージがありますね。桃から生まれた桃太郎は強いわけです。

 桃から生まれたのではなく、桃を食べたお爺さんとお婆さんが若返ってしまい、精力旺盛になって桃太郎をうんでしまったという別のストーリーもなかなか面白いですよね。桃最強。

 ちなみになぜ、桃太郎の家来が「犬」「鳥」「猿」なのかというと、「申・酉・戌」が「丑寅(艮・鬼門)」の反対側に位置しているからという説があります。まあ、裏鬼門は正確には「未申(坤・ひつじさる)」ですが、たしかに「羊」だとちょっと弱そうな気もしますね(笑)。

 いずれにせよ、こういう話が(後付けにせよ)語り継がれるというのは面白いですし、大いに観光のネタにしてもいいでしょう。岡山だって、桃太郎で売り出したのは結構最近の話ですから。

大月桃太郎伝説(公式?)

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2022.01.01

あけましておめでとうございます…艮(丑寅・うしとら)のど真ん中

Th_kok 様、あけましておめでとうございます!

 富士山からの初日の出中継ヘリの轟音で目覚めた令和4年でございます。

 昨年は丑年。今年は寅年。すなわち「艮(うしとら)」の代のど真ん中の今日ですね。

 例年元日には私の年賀状を公開しておりますが、ついに今年はそれがありません。

 というのは、その「艮」をテーマにした年賀状を作ってしまったからです。つまり、それは一般的なお正月の風習の中でお過ごしの皆様にとっては「不吉」なものになってしまうからです。

 そう、「艮の金神」はいわゆる「祟り神」。私たちが鬼門(艮)の方角へ幽閉している神なのです。

 例えば、お正月の風物詩はこんな意味があります。

・紅白の鏡餅(艮の金神の骨肉を叩き潰す)

・雑煮(艮の金神の内臓を煮る)

・門松(艮の金神の墓標・針のような松で結界を張る)

・しめ縄(艮の金神を押し込めるための結界)

・蹴鞠(艮の金神の頭を蹴る)

・弓矢の的(艮の金神の眼を潰す)

 旧暦の正月、今の節分行事にもあります。

・炒り豆(芽が出ないよう炒る)

・豆撒き(艮の金神の目潰し)

・柊鰯(艮の金神の晒し首)

 と、こんな感じですから、普通のお正月の生活の中に「艮の金神」の年賀状が叩き込まれたら迷惑ですよね(笑)。

 ただ、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、日本の民間宗教(たとえば金光、大本)では、この「艮の金神」こそが本来の神であり、それを幽閉してしまったから人の世が乱れているのだという考え方があります。

 ちなみに上の絵は、出口王仁三郎による「国常立尊」像です。クニトコタチは艮の金神の分霊とされています。出口なおにかかった神ですね。

 一昨年からのコロナ禍は、この世界に大きな変革を迫っています。おそらくそれも一見「禍」のようでありながら、実は乱れた世を憂えた「艮の金神」の働きなのかもしれません。

 そう考えると、丑寅の中心たる今日、令和四年の元日は、まさにその働きのど真ん中、これから私たちがどちらに進むべきかの分岐点であると言えそうです。

 元旦早々なんだか重い話になってしまいましたが、個人的にはこういう、常識(思い込み・学校教育)を疑うような姿勢こそ、今必要なのではないかと思う次第です。

 というわけで、ここ数二十年以上私が作ってきた我が家の年賀状、今年はとうとう家内が作ることになりました。それがこちらです。やっぱり「猫」です(笑)。猫こそ艮の金神の分霊なのだそうです。

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