なぜ12月23日は祝日ではないのか
今日は東京で日本の歴史(過去・現在・未来)に関わる重要人物数名とお会いしまして、有意義な情報交換をさせていただきました。
当然、皇室の話も出ました。日本の歴史を考える時、天皇の問題は避けて通れません。
12月23日。3年前までは天皇誕生日でした。それが令和の世になって、祝日(休日)になることなく、平日になってしまった。
表向きは、平成から令和への御代がわりが、いわゆる「譲位」によって行われたことなど、いろいろと理由が語られておりますが、実際のところは、平成天皇すなわち上皇陛下のお気持ちに配慮した結果だと言えそうです。
そう、上皇陛下にとっては、12月23日はとても「お祝い」するような気持ちになれない日でもあるのです。
もうお分かりの方もいらっしゃるでしょう。1948年の12月23日、極東国際軍事裁判で死刑判決の出ていたA級戦犯の処刑が執行されたのです。
これは偶然ではありません。アメリカの意図によるものです。ちなみにA級戦犯28名が起訴されたのは、1946年4月29日。すなわち昭和天皇の誕生日でした。
昭和天皇の訴追はありませんでした。そこにも様々な日米両国の思惑が絡んでいます。仲小路彰もそこに深く関わっています。天皇を救う(つまり日本を救う)ためのシナリオを彼は書きました。
非常に残酷ではありましたが、その目的達成のために7人は死刑になったとも言えます。田中隆吉は何度か山中湖の仲小路を訪ね、法廷においてどのような発言をすべきかの指南を受けています。そして、その意図と内容は秘密裏に東条らに伝わっていたと言います。東条はそれをしっかり受け止め、命をかけて日本(天皇)を守ることを覚悟しました。
そうした一国の運命を左右する裏のドラマがあったわけですが、その最も重い日が12月23日だったのです。その日は明仁親王15歳の誕生日でした。もうそのお歳ですから、当然その重すぎる運命に苦悩したことでしょう。
その後も、ご自身のお誕生日を祝い、祝われることに複雑な思いがあったと聞きました。
ある意味この話はタブーであるようですが、やはり私たち日本人全員がその事実を知り、その事実をしっかり受け止め、そして乗り越えていかねばならないでしょう。皇室だけが背負うことではないのです。
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