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2021.12.04

不仏=私 (仏=不私)

 日は三重の津市に来ております。

 多くの方々と「過去の手放すこと」や「利他」についてお話する中、いろいろと考えること、感じることがありました。ふと思い出したのが先日の山川宗玄老師のお言葉。いただいたDVDの中でも語られていました。

 「仏」とはなんぞや。その究極の問いの答を得るためのアプローチ方法として、背理法のように否定を導入してみるのだそうです。

 つまり、一度「仏ならず」とする。すわなち「不仏」。すると、それは「私」になる。

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 なるほど、これは面白い方便です。「仏ならざるもの」すなわち「私」であると。そのとおりです。

 「私=不仏」と言ってもよい。「無私」が「仏」とも言えましょう。つまり、両辺に「不」をかけて「不不仏(=仏)=不私」であるのです。

 これは面白い発見ですね。さすが老師さまです。

 今までも、「私の中に仏がある」という、いわば「一切衆生悉有仏性」的な方便として、ある種の漢字遊びが示されたことがありましたが、さらにそれを深めたのが「不仏=私」だと思います。

 「私の中に仏がある」ことは確かですが、その「私」を否定して初めて「仏」が見えてくるというパラドックスこそ、仏教の難しさであります。それはブッダの最後の言葉の一つ、「自らを燈明とせよ、島とせよ」の裏返しとも捉えられますね。

 私を否定することが、私を肯定することになる。

 仏教を窮めんとしてきた知人が、最近自らの修行60年を全否定し、結果としてその60年の反語的な意味を肯定するに至ったのを見ました。そういうことなのです。

 私もいつか「仏」を見いだせるよう、まずは「私」の全否定と全肯定の修行を続けたいと思います。「不」を武器として。

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