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2021.12.31

『世間胸算用』 井原西鶴

Th_510805k3yhl_sx341_bo1204203200_ 晦日と言えば、井原西鶴の「世間胸算用」でしょう。

 江戸時代の「大晦日」を描いた作品です。

 「大晦日」、「おおみそか」ではなく「おおつごもり」と読みます。

 言うまでもないありませんが、明治維新以前は太陰暦。つまり、三十日(みそか)は必ず新月の周辺でした。つまり月のない闇夜。その最後の「グレート」な三十日が「おおみそか」ということです。

 「つごもり」は「月籠り」。新月周辺ですから月は籠ってしまいます。その次の日、つまり一日は「ついたち」、すなわち「月立ち」です。「立つ」は「現れる」という意味です。

 ちなみに太陰暦では、毎月十五日は満月周辺です。十五夜ですね。

 で、この「世間胸算用」の出版された1692年の元日は日食がありました。そのことが書かれています。その年、元日は新月で、午後の1時過ぎから日食があったのです。

 日食は凶兆と考えられていました。この胸算用の冒頭にもありますが、「アマテラスの岩戸ごもり」と重ねられたのでしょうね。実際1692年は、日本では不作と大雪、そしてヨーロッパでは数年続く大飢饉がありました。

 さて、この「世間胸算用」のテーマは「借金取り」。そう、当時の日本経済はとても現代的で、ほとんどの買い物は「クレジット」。つまり、後払いだったんですね。で、だいたい大晦日やお盆に支払い(取り立て)があったのです。

 借りている方はいろいろと知恵を使って支払いをしなくて良いようにする。取り立てる方もそれなりの知恵を使う。そういう知恵比べの面白さは、ある種の「芸」となっていて、つまり、双方それを楽しむような文化があって、それが文学になったわけですね。江戸時代らしい成熟した文化です。

 これって映画化、ドラマ化されていませんよね。現代的にアレンジして、オムニバス的に編集すると、めっちゃ面白いと思うのですが。どなたかやりませんか。じゃないと私がやっちゃいますよ(笑)。

 というわけで、今年の「おおつごもり」は久しぶりに井原西鶴を読んでみたのでした。皆さんもぜひ。

Amazon 大晦日を笑う「世間胸算用」 これで読破!世間胸算用

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2021.12.30

太陽(愛)の国「山梨」?

 よいよ激動の2021年が終わろうとしています。

 2021年、最も雨や雪が降らなかった県は山梨県だそうです。

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20211229-165439

 相変わらずコロナに強い山梨県ですが、その一つの理由は「紫外線」にあるのではないかというのは、去年からの私の説です。

 もちろん、日射量の少ない東北地方や北陸地方の感染者数が少ないことからも分かる通り、紫外線だけ要因ではないと思います。しかし、少なくとも山梨県の高高度地方の紫外線量は相当のものです。

 昼間晴れた時間ランキングですと、山梨は2位。ちなみに家内の故郷秋田は最下位。たしかに毎年この季節になりますと、「冬にこんなに青空が見えるのは異常だ!」と叫んでいます(笑)。

 しかし考えてみると、東北の日本海側の冬の生活は本当に大変だと思います。雪がほとんど降らない静岡出身の私と、世界一の降雪地である秋田県の山奥出身の家内とでは、あまりに違う歴史を背負っていると言えましょう。

 では、静岡の私が明るくて、秋田の家内が暗いかというと、ご存じの通りほとんど逆です(笑)。ある種の反動なのか、生活の知恵なのか、はたた単なるパーソナリティーの問題なのか。

 ま、そんな両極端な二人が、縁あって山梨県の高地に住むようになり、たくさんの紫外線を浴びるようになりました。まあ、そのおかげもあってか非常に健康ですし、もしかすると「進化」しているかもしれません(笑)。

 お互い違うところに住んでいたら、当たり前ですが、全然違う人生になっていたことでしょう。

 太陽の恵みは無限の利他の愛そのものです。その恩恵に浴しながら今年も楽しく生活することができました。来年は太陽のように、利他的な愛を施せる我が家でありたいものです。

 と言ったら、家内が「雪だって利他的だ」と主張してきました。なるほど、それはそうですね。あの雪が解けて、あの水になって、米をはじめとする豊かな農産物が生み出し、それらが人間を含む多くの動物の命を支えているわけですから。

 仲小路彰は「21世紀は太陽の世紀」と言いました。太陽は女性を象徴し、また核融合エネルギーを象徴します。仲小路が山梨県山中湖の「日向苑」で構想したその言葉が実現する日も近いようですね。

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2021.12.29

『常岡一郎 一日一言 運命をひらく言葉』 常岡一郎 (致知出版社)

Th_415ehyywsxl_sx298_bo1204203200_ 日は2年ぶりに心の師匠のお宅に伺いました。コロナですっかりご無沙汰していましたが、師はますますお元気で明るく自然体でいらっしゃり安心。

 夜中までお酒を飲みながらいろいろお話をしました。いやあ、勉強になったなあ。私もこの2年でずいぶん生活に変化がありましたが、今日感じたのは、実は師匠の影響が非常に大きかったのだなということ。無意識のうちに真似をしていたのかもしれません。

 心の師匠のそのまた師匠が、この常岡一郎です。思想家として政治家として活動家として、そして宗教者として昭和の時代に大きな足跡を残した人物。

 常岡氏は山梨にも縁がありまして、そう、あの「ほったらかし温泉」は氏が購入してあった山林を息子さんが開発してできた温泉。すっかり人気の温泉になりましたね。今はお孫さんが社長をされております。

 さてそんな師の師の名言集がこの本。 一日一言。366の名言は短く簡明ですが、心に深く刻まれるものばかり。

 この本の冒頭、1月の初めは「天」「親」「親指」の話が続きます。そう、常岡一郎の思想の基盤にあるのは天理教の教えですが、そこに彼ならではの人生哲学、修養法が加わって、いわゆる「中心」思想が生まれたと言えましょう。

 今日の心の師匠のお話に、「神様には多少わがままを言ったり、甘えたりした方が良い。神様は私たちの親なのだから」とありました。なるほど、と思いました。お小遣いをせびってもいいらしい(笑)。たしかに親心を考えればそうだすね。子どもや孫たちが喜んでいるのを見るのが、神様の楽しみなのです。

 常岡一郎はあまり世に知られていないけれども、多くの政治家や経済人、宗教者に静かな影響を与えていました。やはり、天理らしい「陽気暮らし」の感性が、彼の魅力を醸していたのでしょう。この本を読むと、とにかく気持ちが明るくなります。

Amazon 常岡一郎一日一言

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2021.12.28

第5回 輝く!日本カセットテープ大賞

Th_cassette_tokuban_01_thumb 26日に放送されたものの録画を今日観ました。

 突然終わってしまった「ザ・カセットテープ・ミュージック」が、特番として突然復活。

 特別審査員として、ダイアモンド ユカイさん、木暮武彦さんという大物を迎えて、めちゃくちゃ盛り上がっていました。

 昨日の「みうらじゅん賞」と同じようなテイストの賞ですね。こういういい意味でテキトーな賞を勝手に決めてしまうというのは、実に楽しい。

 私もやってみようかな。

 今回授与された賞は、こんな感じ。

 

ラシラミファ大賞 大きな玉ねぎの下で〜はるかなる想い(爆風スランプ)

最優秀ボサノヴァ大賞 恋人も濡れる街角(中村雅俊)

世界イスの軋む音大賞 A Day in the Life(ザ・ビートルズ)

最優秀ヒット曲の次の曲大賞 蜃気楼(クリスタルキング)

ユカイの背徳賞 Sympathy for the Devil(ザ・ローリング・ストーンズ)

shakeの宇宙を突き抜けたで賞 Time(ピンク・フロイド)

ユカイのそんなんでいいんすか賞 Julia(ザ・ビートルズ)

shakeの四次元からやってきたで賞 Atom Heart Mother(ピンク・フロイド)

日本望郷系ペンタトニックワルツ大賞 千曲川(五木ひろし)

日本一のライブバンド賞 スターダスト☆レビュー

 

 面白いすぎですよね。候補としてエントリーした楽曲たちも良かった。知らなかった曲もありました。まだまだ聴かなきゃいけない音楽、たくさんありますね。長生きしなきゃ。

 ということで、上記受賞曲の中から「第5回 輝く!日本カセットテープ大賞」に選ばれたのは、なんと「千曲川(五木ひろし)」となりました(笑)。

 ああ、面白かった。年末ですので、私も「勝手に大賞」やってみようかな。

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2021.12.27

祝 竹倉史人さん「土偶を読む」でみうらじゅん賞受賞!

 

 日一仕事終えて夜は東京へ。このたびサントリー学芸賞に続き、「みうらじゅん賞」を受賞した竹倉史人さんを囲んでの祝賀忘年会に参加しました。

 サントリー学芸賞からのみうらじゅん賞受賞は、いわばノーベル賞とイグノーベル賞を同時受賞するようなもの。とんでもない快挙、怪挙ですよ。

 今まで対立してきた、アカデミックな世界とみうらじゅん的な世界が交わったわけじゃないですか。これは実は自然なことのはずで、今までそれが対立してきたところに、近代の病理、不幸があったのです。

 今日も美味しい秋田料理と日本酒をたらふくいただきながら、竹倉さんの超次元トークをたっぷり聞かせていただきました。

 次の研究、書籍もしっかり準備されていて、ますます活躍が期待できます。

 みんなで秋田縄文ツアーに行きましょう!という話になりました。

 縄文人は、いわゆるアフリカ由来の「人類」とは違うのですよ。宇宙人なのです(笑)。というのは冗談…ではありませんよ!

 ますますアカデミックの世界に「混乱」を招いてほしいですね。応援しています。

 それにしても、大槻ケンヂさんがまだこの賞を獲っていなかったというのは、たしかに意外でした。大槻さんはじめその他の皆さまも、おめでとうございました。

 

 

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2021.12.26

プッチーニ 『ラ・ボエーム』 (カラヤン, 1965年)

 

Th_image1 日は地元ふじさんホールにてオペラ観賞。ミミ役の方から招待いただきました。

 これが実に素晴らしかった。もちろん「ラ・ボエーム」自体の素晴らしさは言うまでもありませんが、オペラの面白さ、楽しさ、奥深さを、田舎の(失礼)素人たちに伝える優れた演出に感激いたしました。そして、めちゃくちゃ勉強になりました。

 プッチーニはやはり天才ですね。それも現代的な天才、どちらかと言うとポピュラー畑の天才に近い存在。

 もちろん、あの時代の極上のエンターテインメントが、その後の例えばブロードウェイ・ミュージカルや宝塚、そして大規模音楽イベント、はたまたジャニーズやK-POPのようなアイドル産業に与えた影響は計り知れないものがあります。

 そう考えると、その当時本場で活躍し、プッチーニ自身からも大いに可愛がられた三浦環って、どんだけすごいんだという話ですよね。

 今回の公演は、この富士北麓にもゆかりの深い、その三浦環の没後75年という記念イベントでもありました。

 また、その世界的エンターテイナーに思想的に大きな影響を与えたのが、実は仲小路彰だったというところがまた面白いですね。今回はその方面からほんの少しだけですがサポートさせていただきました。

 というわけで、「ラ・ボエーム」全編を観てみたくなりまして、それならやはりこれでしょうということで、1965年のカラヤンによる公演を久しぶりに観賞。若いフレーニ、すごいですね…。

 この前の「ザ・ビートルズ Get Back」もそうでしたが、この頃の映像がこんなにキレイに観ることができるって、本当にすごいですね。その当時の録画(フィルム)の情報量と、現代のデジタル技術のおかげです。ありがたい時代に生きていますね。

 最近は、舞台というと「能」の象徴的表現に興味がいっていましたが、イタリア・オペラもある意味正反対のように見えて、実は非常に近しい象徴性を持っているなと今回気づきました。私もやっとオペラを真に理解する年齢になってきたのでしょうか。これからが楽しみです。

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2021.12.25

×ひろゆき vs 韮澤潤一郎○(宇宙人はいるのか)

 

 

 の鼎談は面白かった。ひろゆきが完敗?…たしかに完敗ですね(笑)。

 はっきり言って全く他人事ではありません。最近特に「宇宙人」として紹介されることの多いワタクシ。思わず韮澤先生を応援してしまいました。

 ここまで徹底すると、もうほとんど「伝統芸能」の領域ですよね。芸術や芸能には理屈や合理性は絶対勝てません。

 それをよく分かっているから、ひろゆきも成田さんも、半分呆れながらもどこか愛情をもって接していますよね。そこがお二人のお人柄であり、

 ひろゆきも今「芸風」で食っていますが、やはりその歴史が短い。伝統芸能には勝てません。

 ところで「宇宙人はいるのか」というテーマですが、もちろん地球人も宇宙人だと捉えれば「いる」に決まっていますし、確率的に地球人以外にも宇宙に生命が存在しているかもしれません。

 私は(地球的良識を求められる教師としては実にイタいのですが)自分が地球以外の惑星で生活した記憶を持っているので、自分を宇宙人だと認めれば、もう答えは一つしかありません。

 皆さんはいかがお考え、いやお感じでしょうか。

 とりあえず私は、韮澤先生のように断言する勇気はありません(つまり自分に懐疑的でもある)。

 ちなみにUFOに関しては、結構リアルな体験をしておりますので、いわゆる「未確認飛行物体」は間違いなく存在する思っています。

参考 宇宙人は存在する、地球にいる可能性も 宇宙人なんて存在しない!?

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2021.12.24

『ザ・ビートルズ:Get Back』 ピーター・ジャクソン監督作品

 

Th_41x5ylxxwzl_sx258_bo1204203200_ リスマス・イヴ。毎年のことですが、この日は志村正彦くんのことを深く思い出す日でもあります。

 志村くんの音楽のルーツの主要な一つはビートルズ。それは間違いありません。

 私にとっての今年のクリスマス・プレゼントはそのビートルズのドキュメンタリー「Get Back」です。志村くんもあっちで観てるでしょうね。めちゃくちゃ興奮しながら。いや、ジョンやジョージに会ってるかもしれませんね。ちょっとうらやましいかも。

 先週から見始めまして、今、3周目が終わったところです(1周8時間)。年明けまでにもう一回。そして、年が明けたら、53年前の1月と重ねながらまた観る。

 もう言葉では伝えきれません。とにかく感激、感動。驚きですかね。本当に生きててよかったと思います。

 私たちの知っているあの楽曲が、次第に出来上がっていく様子は、まさに「未来の記憶」をたぐり寄せて行っているように見えました。奇跡の瞬間の連続ですね。

 そして、やはりあの四人だからこそという歴史的事実。それをこれほどまでに実感したのは初めてでした。ポールもポールらしい。ジョンもジョンらしい。ジョージもジョージらしい。リンゴもリンゴらしい。さらにそこに加わるビリー・プレストンやオノ・ヨーコの存在。

 解散前の殺伐とした雰囲気を予想した我々は、ことごとく裏切られます。なんでしょう、あの充実感。明るさ。まさにバンドとしての頂点。

 彼らまだ二十代ですよ。それぞれがそれぞれの人生を確立していくのは当たり前。それが分裂していく原因かと思っていましたが、全然違いました。

 衝突というより純粋なコミュニケーション。そしてその後の信じられない融和と創造。そうした光景と音が延々と続き、そして迎える屋上ライヴ。バンドとしての完成形、ライヴという表現形態の完成形がそこにありました。

 そう考えると、今どきのバンド音楽や打ち込み音楽は、なんとも薄っぺらく生命力が乏しいなあ…そんな感想は単なるノスタルジーなのでしょうか。

 とにかく、「生きてて良かった!」と本気で思う時間を世界中の皆さんと共有させていただいています。いや、志村くんはじめ、多くの天界の神たちとも。まさに寝食忘れるという久々の青春を体験しているクリスマスであります。感謝。

 

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2021.12.23

なぜ12月23日は祝日ではないのか

Th__118924413_gettyimages2717003jpg 日は東京で日本の歴史(過去・現在・未来)に関わる重要人物数名とお会いしまして、有意義な情報交換をさせていただきました。

 当然、皇室の話も出ました。日本の歴史を考える時、天皇の問題は避けて通れません。

 12月23日。3年前までは天皇誕生日でした。それが令和の世になって、祝日(休日)になることなく、平日になってしまった。

 表向きは、平成から令和への御代がわりが、いわゆる「譲位」によって行われたことなど、いろいろと理由が語られておりますが、実際のところは、平成天皇すなわち上皇陛下のお気持ちに配慮した結果だと言えそうです。

 そう、上皇陛下にとっては、12月23日はとても「お祝い」するような気持ちになれない日でもあるのです。

 もうお分かりの方もいらっしゃるでしょう。1948年の12月23日、極東国際軍事裁判で死刑判決の出ていたA級戦犯の処刑が執行されたのです。

 これは偶然ではありません。アメリカの意図によるものです。ちなみにA級戦犯28名が起訴されたのは、1946年4月29日。すなわち昭和天皇の誕生日でした。

 昭和天皇の訴追はありませんでした。そこにも様々な日米両国の思惑が絡んでいます。仲小路彰もそこに深く関わっています。天皇を救う(つまり日本を救う)ためのシナリオを彼は書きました。

 非常に残酷ではありましたが、その目的達成のために7人は死刑になったとも言えます。田中隆吉は何度か山中湖の仲小路を訪ね、法廷においてどのような発言をすべきかの指南を受けています。そして、その意図と内容は秘密裏に東条らに伝わっていたと言います。東条はそれをしっかり受け止め、命をかけて日本(天皇)を守ることを覚悟しました。

 そうした一国の運命を左右する裏のドラマがあったわけですが、その最も重い日が12月23日だったのです。その日は明仁親王15歳の誕生日でした。もうそのお歳ですから、当然その重すぎる運命に苦悩したことでしょう。

 その後も、ご自身のお誕生日を祝い、祝われることに複雑な思いがあったと聞きました。

 ある意味この話はタブーであるようですが、やはり私たち日本人全員がその事実を知り、その事実をしっかり受け止め、そして乗り越えていかねばならないでしょう。皇室だけが背負うことではないのです。

 

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2021.12.22

ビジネス=慈悲

Th_unknown_20211224152701 日は東京六本木にて講演をさせていただきました。ビジネス系のセミナーで「日本再生計画」というテーマをいただいたのですが、最初から脱線しまくり(笑)。

 例の「時間は未来から過去へと流れる」「過去はウンコ」という話がほとんどになってしまいました。最後の最後に「ビジネスと経済の話をしてください」と言われ、気づいて大急ぎでまとめるという…。

 私の講演はいつも原稿やパワポは全く用意せず、その場で「未来の記憶」をダウンロードして話すスタイルです。ですから、自分でもどうなるか分からない上に、過去の記憶はすぐに水に流してしまうタチなので、今日は自分のためにもここにメモしておきます。

 ダウンロードして話しながら、自分でも面白い!なるほど!と思ったので(笑)。

 案外意識化されませんが、business という英単語は busy の名詞形です。つまり「忙しいこと」。よく「忙しい」と「心が亡くなる」みたいに言われますよね。忙しいことは、あまり良いことではないように思われています。

 ちなみに「忙」は立心偏に「亡」ですから、配置を変えて「忘」と同じだと考えることもできます。

 では、心が亡くなる「忙」や「忘」は本当に良くないことなのでしょうか。

 今の日本では(学校教育のおかげか)「心」を大切にしなければならないと信じられています。しかし、その「心」こそ「私」「自我」だと考えれば、例えば仏教においては、まず最初に捨てなければならないものになります。少なくとも「心」に惑わされてはいけない。心なんてコロコロ変わるのだから。

 そうしますと、「忙」や「忘」は良い状態だとも言えますよね。では、どういう時に「心(自我)」が亡くなるのか。

 それは、居ても立っても居られない時です。

 困っている人を助けたい、危ない状況にいる人を救いたい、そういう時です。その時の魂の状態を「慈悲」と言います。

 busy という英語には occupied  のニュアンスもあります。コンピュータのCPUのビジー状態なんかそういうイメージですね。何が心を占有しているのか。それが「利己」ではなく、「利他」である時、本当の「ビジネス」が発生します。

 これからの地球の経済は、ようやく「利他」「慈悲」に向かっていきます。貨幣価値としての数値は「利他度」を測る基準に変わっていくのです。

 本当の「ビジネス」とは「慈悲」のことである。

 …というようなことを話したような気がします(笑)。たぶん。まあ、盛り上がったからいいか。皆さんに楽しんでいただけたようです。たぶん。ありがとうございました。

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2021.12.21

佐々木閑 『煩悩とは何か」

Th_71sscgk3wyl_ac_sl1500_ 年度の文学講座が終わりました。「竹取物語」。講師をしながら大変気づきや学びの多い、貴重な時間を皆さんと共有できました。楽しかった!

 かぐや姫のささやきは悪魔のささやき(笑)。

 テーマは「じいさんの煩悩」。善人だった翁が、かぐや姫に出会ったことによって煩悩満載の悪人になってしまうという残酷な話。そういう解釈でクライマックスを読むと面白いのです。

 お釈迦様が特に戒めたのが、「子煩悩」「金煩悩」です。まさにそこにはまってしまった翁。滑稽かつ切ない話ですよ。

 かぐや姫の立場になっても実に切ない。悪気はないどころか、良かれと思って行なったことが「罪」になってしまう。さらに最後には羽衣をまとって、地球や地球人への「愛」とともに、その「罪」の意識すら忘れてしまう。切ないですねえ。

 そしてなぜ、最後に取ってつけたように「富士山」が登場するのか…。

 そんなわけで、とっても現代的、未来的な物語ですねという結論に至り講座が終わりました。めでたしめでたし(?)。

 つまり、竹取の翁の物語というのは、仏教説話だということですね。

 では、仏教における「煩悩」とは何なのか。私たちを苦しめる、しかし生きる力の源泉であるとも言える「煩悩」について、インド仏教学者の佐々木閑先生に教えていただきましょう。タコの足の電球。なるほど、面白い。

 

 

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2021.12.20

ユヴァル・ノア・ハラリ 『ホモサピエンス最後世代になる皆さんへ』

 

 ラリの「サピエンス全史」は面白かった。歴史を俯瞰することの重要性を示してくれましたね。

 大筋にあっては同意できる内容でした(偉そうにスミマセン)。もちろん、私の「サピエンス全史」と違うところもありましたよ。

 私の得意なのは「未来」について語ることです。その部分については、微妙にずれているなと感じました。ずれているというか、やや悲観的に過ぎるかなと感じました。

 悲観的というのは正しくないかもしれない。劇的というべきでしょうか。

 この動画のスピーチは有名ですね。いきなり「ホモサピエンス最後世代」と言われてしまった。確かに劇的ではあります。しかし、本当に最後になってしまうのでしょうか。

 実は私の「サピエンス全史」は、そのサピエンスの「系統」からしてハラリのそれとは違うのです。つまり、サピエンスの系統は一本ではないと。

 詳細については、いつか皆さんにお話しできる時が来ると思っていますが、とにかく人類のデータにハッキングするようになるというのには同意できるとも、その後、私たちはそれに対抗できないかというとそうではないと思うのです。

 あくまでも「データ」は過去の記号です。最近の私の得意とする言い方だと「乾いたウンコ」です(笑)。私は自分の「乾いたウンコ」を誰かに所有されても全然困りません。

 それこそ楽観的に過ぎると非難されそうですね(笑)。

 まあハラリが軍事を学んだユダヤ人学者であることからして、私とは視点というか感性が違っていて当然であります。彼がマイノリティであることも関係するかもしれません。いずれにせよ、まさに彼は「認知革命」後の価値観から未来を見ているのです。結局ある一筋のフィクション(物語)の中で思考している。

 その一筋とは違う一筋の発見が、結局彼が考える「ホモサピエンス」を凌駕する人類へとつながっていくのではないでしょうか。

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2021.12.19

鎌田浩毅 「京大最終講義〜地震・噴火・温暖化は今後どうなるか?」

 

 昨日の河合隼雄先生に続き、京大の先生の最終講義。これは今年の春の最新最終講義です。

 (文学部卒の)私が勝手に「師匠」として崇めている、地球科学の鎌田浩毅先生。ご著書からもそのお人柄が窺えます。かつてこんな記事も書きました。

 地学ノススメ

 この最終講義も、地球科学に対する「愛」、そして人に対する「愛」を感じますねえ。なにしろ分かりやすいし、説得力があります。

 先生の講義のスタイル、その「場」、一期一会を大切にする姿勢、辻説法、これは私のそれに近いかもしれません。今週も都内某所で講演しますが、パワポはもちろん資料さえも何も準備しません。脱線では鎌田先生に負けませんよ(笑)。

 学生からの雑多な質問、専門外の質問に答えるのも似てるかな。あとゲストを呼ぶのも。外に開かれているのもかな。大前提をひっくり返すのもかな…。

 相手の関心を引くファッション。相手の関心に関心を持つ。それも「死ぬなよ」がベースになっています。つまり「愛」ですよ。

 とにかく、鎌田先生は私の「師匠」なのです!

 生きていることが「ノーブレス」。私が言う「死なない力」を育てる教育につながる考え方ですね。

 アウトリーチ、オンリーワンはナンバーワン、スキマ法。京都大学は面白いですねえ。今、教え子が京大の大学院で防災の研究をしております。まさに社会貢献をしてもらいたいと思っています。

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2021.12.18

「物語」が生まれる瞬間〜長州力アンドレを語る〜そして神奈月さんによるモノマネ

Th_unknown_20211219102901 日の河合隼雄さんの最終講義からの続きです。

 コンステレーションによって「物語」が生まれる瞬間、現場というのにはなかなか立ち会えません。ただ、ある人の過去の記憶が肥大化し、そして事実から乖離した「物語」「伝説」が生まれる場には、私も何回か出会っています。秋田の男たちの酒の席での「熊と戦った話」なんか、まさにそれでした。

 また、自分自身の中でもそういうことが起きているのを自覚する時も多々あります。ああ、オレ、今盛ってるなって(笑)。

 そんな瞬間、現場を捉えた貴重な動画があります(笑)。私も大好きな長州力さんの独特な語り。モノをカタることによって、さらなるモノノケが生まれ育っていく。

 まあ、とにかく聞いてみてください。

 

 

 もう、感動的ですらありますね。実際にアンドレ・ザ・ジャイアントは化け物でしたから。その化け物と肌でぶつかり、そして殴られ、あるいは投げた人の言ですらか、そりゃあ「盛ってる」とかの次元ではなくて、実際そういう「リアル」を感じたということでしょうね。

Th_unknown1_20211219102901 いわば、浮世絵のリアリズム、印象派の、あるいはピカソのリアリズムみたいなものですよ。脳内リアル。

 さらにさらに、それに感動した人たちが、それを語り継ぐじゃないですか。それがまた肥大化していく。そのいい例がこれです。

 神奈月さんが見事に、完コピではなく、さらに「盛って」、いやこれこそが神奈月さんのリアリズムなわけですよ。モノマネとは「モノを招く」ことです。まさに神奈月さんはまさにイタコのような語り手なわけです。

 

 

 もちろん、面白いから笑ってしまうわけですが、その奥で感動している自分がいる。これこそ、神話や御伽噺が生まれる過程でしょう。

 ここからは完全なる蛇足ですが、そんな神奈月さんに真似されたことがあるというのが、私のささやかな自慢です(笑)。

 

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2021.12.17

河合隼雄 「京大最終講義〜こころを探る〜」(コンステレーションについて)

 

 る方から紹介されてこの動画を見ました。

 なるほど面白いですね。コンステレーション。星座。シンクロニシティ(共時性)。

 考えてみると星座こそ、あらゆる時を共有していますよね。オリオン座にしても、今あの形で見えていますが、実際はみな違う時間に発せられた光を同時に見ているわけです。

 たとえばベテルギウスなら約550年前の光であり、リゲルなら860年前の光です。ちょっと西に目を移すと見えるアンドロメダ銀河は約250万年も前の光です。

 しかし、私たち人間はその偶然の配置に「意味」を見出し、そこから「物語」を紡いでいきます。これは「コンステレーション」であり、「縁起」です。

 私の言い方でいえば、「モノのコト化」すなわち「モノをカタる」ということになります。それこそ「物語」であり、「仕事」であります。

 河合さんがおっしゃっているように、そうした「コンステレーション」「縁起」「物語」には一つの答えはありません。そこに個性が現れ、多様性が発生します。

 そして、それはAIには苦手なことであって、いろいろな関係性に意味を見出すことこそ、人間のなすべきことなのでしょう。

 そう考えますと、今の教育はどうなのでしょう。大学入試はどうなのでしょう。ネット社会はどうなのでしょう。

 部分的で表層的なわかりやすいコトではなく、全体的で本質的なモノを捉える能力こそ、今も昔も未来も私たちに与えられているはずなのです。

 それにしても、ユングの「曼荼羅」すごいですね。これはユング個人の過去の記憶とか、人類の深層的な記憶とかではなく、単に「未来の記憶」を思い出したのでしょうね。

 

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2021.12.16

「昭和の天才政治家 田中角栄」 (中田敦彦のYouTube大学)

Th_unknown_20211217091601 日は富士山宝永の噴火の日であります。宝永の噴火については今年も何回か書いてきたので、今日はちょっと違った話題を。

 そう、28年前の今日、あの田中角栄が亡くなりました。75歳。まさに波乱の人生。戦後の政治家の中ではダントツに歴史的な人物ですね。つまり、いろいろな形で物語られる。

 生誕100年の2018年には大きな角栄ブームが起きました。小説やマンガ、ドラマなどいろいろなメディアが彼の人生を描きました。

 それほど魅力的なのですね。何が魅力かというと、やはり、その栄枯盛衰の振り幅の大きさ、そして人柄、さらには「カネ」、そして「謎」でしょうかね。

 いずれにせよ、現代日本の私たちの生活の礎を作ってくれたという感覚があるからこそ、今でも私たちの心をとらえて離さないのでしょう。

 ちなみに有名な日本列島改造論ですが、交通、建築、通信のインフラ整備、原子力発電の推進、地方と都市の格差是正など、まあ、単純にアメリカの影響、指示があったのでしょうが、そういう意味も含めて仲小路彰のたとえば「日本経営計画」の影響も感じられます。

 仲小路の間接的影響下にあったといえる、吉田、岸、池田、佐藤内閣で重要なポストについていますから当然といえば当然ですね。

 実際、田中角栄のところに仲小路の文書が送られていた証拠が見つかっています。ちなみに仲小路本人は田中角栄をあまり好きではなかったようです。お金を積んで会いに来る人はことごとく門前払いでした。

 というわけで今日は、今やテレビを凌駕するYouTubeで、田中角栄のその人生を振り返ってみましょうか。こうして若者にとっては、完全に「歴史上の人物」となっているわけです。

 

 

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2021.12.15

佐々木閑 『仏教の誕生』

 

 昨日も紹介したインド仏教学者、佐々木閑さんの素晴らしい講義動画を紹介します。

 実はコロナにならなければ昨年の春先に佐々木先生らと一緒にネパールに行く予定でした。当時の花園大学の学長先生に誘われていたのです。そこで初めて先生にもお会いできると思っていたのですが、今思えばあの頃(2年前)は全然勉強不足でしたから、先送りになって良かったかもしれません。

 そして、コロナによって、ある意味そのお陰様で、こうして花園大学での佐々木先生の講義をじっくり聴くことができるようになったわけで、やはり想定外のモノには一見悪く見えても実は未来的に良いことが含まれており、自我という過去の記憶に縛られた意識から解き放たれて、自然や他者との関係性の中に縁起していく自分を観察する方が幸せになれますね。

 それはまさにお釈迦様の教えともつながるわけです。

 一昨日の「宗教は現代人を救えるか」でも強調されていたとおり、現代日本の仏教はほとんど仏教にあらず、どちらかというとヒンドゥー教や神道に近いかもしれません。では、ブッダが唱えた「本当の仏教」とはどんなものなのか。それはこの講義を聴けばよくわかります。

 やはり、本来の仏教はあくまで特殊な集団のためにあるもので、決して全世界を改革しようというようなものではない。そこが仏教の魅力でもあり、限界でもあります。

 よく言われるように、全人類が仏教徒になってしまったら、布施する人もいませんし、だいいち子孫を残せませんから絶滅してしまいますよね。まあ、それが究極的には地球のため、宇宙のためになるのかもしれませんが。

 お釈迦様の時代と違って、これほど全人類がつながり、他者や集団の個人へ与える影響が大きくなると、旧来の宗教とは違う新しい宗教が必要となってきます。それを私は模索しているのでした。

 そのヒントを得るためにも、いつかコロナが落ち着きましたら、佐々木先生らと仏教の聖地を訪れてみたいと思います。

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2021.12.14

JADO 超小型ドライブレコーダー(wifi搭載モニターレス)

Th_71jfpikgjzl_ac_sl1500_ 日は湯河原に用事があって、箱根を越えてドライブいたしました。

 湯河原の五所神社、芦ノ湖の箱根神社や九頭龍神社など、昨日も登場した出口王仁三郎にゆかりの深い神社にも立ち寄りました。

 さて、私の愛車「エブリイ改」でありますが、2年前の購入当時からこちらのミラー型ドライブレコーダーを取り付けておりました。まあ、そこそこ活躍してくれまして、また事故などお世話になる機会もなかったわけですが、先日突然電源が入らなくなりました。

 まあ2年半とちょっと使えたし、厳しい環境で酷使される中華製格安製品としては、まあそろそろお役御免でもいいでしょうな。

 というわけで、新しく購入したのがこちら。

 ドライブレコーダーというと、なぜかモニターがついていますよね。そのため、どうしても大きくなるし、価格が高くなる。

 モニターはスマホでいい。ですので、とにかくモニターレスを探しました。

 これは小さくて、そして安くていいですよ。小さいと邪魔にならない。ミラーの影にすっぽり入ります。モニター見る必要がないので影でいいわけです。

 wi-fiを搭載していて、それをスマホとつなげば、リアルタイムの画像、そして録画された画像をチェックできますし、本体の設定もスマホでできます。これでいいじゃないですか。

 性能は一般的な最新製品と同じ。全く問題ありません。小さいくて軽いので落ちる心配や揺れも少ないし。これからはこのタイプが主流になるんじゃないでしょうか。

 32GBのSDカードがついて5千円! リア用にもう一つ買ってもいいなと思っています。邪道(JADO)でしょうか?w

Amazon JADO 超小型ドライブレコーダー wifi搭載

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2021.12.13

『宗教は現代人を救えるか』 佐々木閑・小原克博 (平凡社新書)

仏教の視点、キリスト教の思考

Th_419cz3hr3l 園大学の佐々木閑さんと、同志社大学の小原克博さんの対談本。

 読みやすく、そして大変刺激になる本でした。

 気鋭のインド仏教学者とキリスト教神学者のお二人だけあって、現代的な視点での語らいが多く、まさにお二人が「現代人」の救済を望んいでいるのだなと感じることができました。

 とは言え、では「宗教は現代人を救えるか」という問いに対しての答えが出たかというと、なんとも煮えきらず、正直わからないままで終わっているようでした。

 それはそうでしょう。釈迦の時代もイエスの時代も、あまりに遠くなってしまいました。

 先日、山川宗玄老師との対話の中で、「対機説法とは、その時代に合わせた方便による」という意味もあることを教えていただきました。

 結局それですよね。あまりに原点回帰、原典主義になると、それは現代に対して最大効果を上げるものとはならない。音楽でもそうです。極端なオリジナル主義は、短期的な「物珍しさ」に終わってしまうことがあります。

 では、どうすれば良いのか。

 宗教も、たとえば音楽と同様に、古いコトの上に新しいモノを加えていくことが必要なのでしょう。

 それがその時代的にいえば、浄土真宗であったり、プロテスタントであったりしたわけで、しかしそれらもとっくに昔のコトとなってしまった限り、やはりそれらの誕生と同じくらいのエネルギーをもって、全く新しい宗教が生まれてもいいのではないかと思います。

 出口王仁三郎の大本に象徴されるような近代の新宗教には、ある意味そういうエネルギーもありました。しかし、それでさえ、もう歴史になりつつある。すなわちそれ自体そのままでは現代に意味を持ち得なくなっているわけです。

 ある意味20世紀は、資本主義という(この本で言うところの)「買え買え教」が世界中に布教された時代でした。では、21世紀はというと、どうでしょう。まだ「買え買え教」が続いているのでしょうか。

 そこで私は、仲小路彰の哲学に興味を持つのです。それは過去の宗教の全てを基礎にした、全く新しい宗教であるとも言えます。

 仲小路の言説には「これを守りなさい」という「律」や、「こうしなさい」という「行」は感じられません。

 また、個人の「悟り」や、個人の「救済」や、個人にとっての「天国」は語られません。

 そう、もしかすると「悟り」も「救済」も「天国」も、個人で成し遂げるものではなく、集団の中に「縁起」するものなのかもしれません。

 そうしますと、今までの宗教者の多くは大きな間違いを犯してきたということになりますね。

 この本を読んでいてそんなことを思いました。そして、やはり、出口王仁三郎から仲小路彰への流れに新しい光を見出すのでした。

 そして、自分が新しい宗教を造っちゃおうかなと思ってしまったのでした(笑)。

Amazon 宗教は現代人を救えるか

 

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2021.12.12

(不思議な)ひんやり枕

Th_71bzefio6ss_ac_sl1500_ うやく理想の枕に出会いました。

 と思ったら、非常に不思議なのですが、毎晩鮮明な夢を見るようになりました。気持ち悪いほどです。

 夢を見るということは熟睡できていないのかというと、そんなことはなくて、前よりも間違いなく深く眠ってるという感覚はあるのです。

 今までもいろいろな枕を試してきましたが、朝起きると首や肩が凝っていることが多く、なかば「理想の枕」はあきらめていました。

 しかし、なんとなく「安いから」という理由でポチったこの枕が、肉体的、物理的にはけっこう理想形だったです。

 仰向けに寝ている時の後頭部のはまり具合はもちろん、寝返りを打って、横向きに寝る時の高さや硬さ、すなわち枕外側の隆起の具合が私にはちょうど良かった。

 だからなのか…よく分からないのですが、先ほど書いたごとく、まあとにかく鮮明で長編の夢を見るようになったのです。そして、朝起きてもその内容をよく覚えている。明らかに今までとは違うのです。

 「ひんやりジェルシート」がいいのでしょうかね。いったいなんなのでしょう。不思議としか言いようがありません。

 興味がわいた方は、試してみてはいかがでしょう。というか、その「効果」が私以外の人にも表れるのか知りたいのです。研究にご協力ください(笑)。

 いや、普通に枕としての機能にも満足ですよ。今なら25%オフのクーポンがついてきます(チェックをお忘れなく!)。

【Amazon限定ブランド】ひんやり枕


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2021.12.11

岸田首相公邸お引越しの裏側(?)

Th_-20211212-81729 9年ぶりですか。安倍さんと菅さんは公邸には住みませんでした。民主党の野田さん以来ですね。

 いろいろな都市伝説があります。

 まず、公邸に住むということは、これから「有事」が起きるのではという憶測。戦争か、それとも自然災害か。南海トラフ巨大地震と富士山噴火とか。

 それから、公邸に住むと短命政権になるというジンクス。それはちゃんと考証すれば間違いだということがわかります。逆に菅さんは公邸に住まず1年でしたからね。

 そしてそして、幽霊が出るというウワサ。これは本当です。いや、でした。

 実は、私たち夫婦は2015年に首相公邸に招かれました。その時の記事がこれです。

 首相公邸訪問

 この記事で「三つの仕事をしてきました」と書いています。内容は「現段階では詳細は書けませんが、いずれも日本の未来のための仕事であることは間違いありません」とありますね。

 今だからその一つはここに書くことができます。上の記事に「追伸」として書いたことの、その結果が見事に出ましたので。次の記事を読んでみてください。

 安藤輝三大尉の遺品が鈴木貫太郎記念館に…

 正直大変な4年間でした。特に家内は。

 80年近く幽閉されていた様々な立場の霊たちが、ある「器」に乗って公邸を脱出し、その後日本各地のゆかりの土地で昇天していく、そのお手伝いをさせていただきました。

 ですので、岸田さん、幽霊の心配はないと思いますよ(笑)。実際、そのような情報が岸田さんに伝わっているとのことです。

 その他の二つの仕事もうまく行っているのではないでしょうか。その内容については、また時期が来たらお話できましょう。

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2021.12.10

松浦亜弥 『あなたに逢いたくて』に見る「いとをかし」

 日の森高千里さん「渡良瀬橋」からのあやや。あややの「渡良瀬橋」もいいですよね〜。

 

 

 いかん、おじさんまた泣いてしまった(笑)。しかし、これは森高さんの時の涙とはちと違う。今日はそれについて書きます。

 まず、我が家の全員あややの大ファンなんですよ。平成の歌姫。いや、最後のピン・アイドル。かわいい、美しい、歌うますぎ、MC最高、そして最近では3人のお子さんを育てる肝っ玉かあちゃん(笑)。強い!

 もちろん、昨日の森高さんも立派な昭和のピン・アイドルでした。それが大人になっての「もののあはれ」でした。

 松浦さんの今も当然大人っぽくなっているのでしょうが、私たちの記憶は大人になりかけの少女のまま止まっています。昔風に言えば「萌え」のまんま凍結されている感じ。

 いやいや、彼女のMCなんかめちゃくちゃオヤジっぽいんですよね(笑)。そのギャップがまた萌えだったわけです。あの時代のオタクたちは幸せだった。それが映画化されたのが、あややの中学の後輩松坂桃李さんが主演した「あの頃。」です。

 あの頃の「萌え」は枕草子の「をかし」だ!ということを発見をし、学術誌に論文(?)を発表したのが、ワタクシであります(笑)。ぜひお読みください。

 「萌え=をかし」論

 そう、私のあややに対する感情、そして涙というのは「いとをかし」なんですよ。

 彼女には子育てが落ち着いたら、森高さんのように復帰してもらいたいと思う反面、絶頂期にぱっと引退した、あのままのあややとして記憶に固定したいという気持ちもあるんです。

 彼女はほかの女性の楽曲を歌うことによって、アイドルでありながら脱アイドルを同時に実現していた稀有な歌手であり、ある意味時の流れを凝縮してしまったようなところもありました。

 それもやはり「もののあはれ」ではなく、「いとをかし」なんですよね。今日はそんなあややならではの歌の世界を堪能したいと思います。

 松田聖子さんの「あなたに逢いたくて 〜missing you〜」です。

 

 

 いとをかし。いみじうこそをかしけれ。

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2021.12.09

森高千里 『渡良瀬橋 2021』に見る「もののあはれ」

Th_-20211210-103735 日は「愛という煩悩」について、ジョン・レノンの音楽を通じて語りました。

 人間的な「愛」すなわち「恋(乞い)」という欲求が満たされなかった時、人はむなしさ、切なさを感じます。日本人はそれをある種の美にまで昇華する文化を持っていますね。

 「もののあはれ」です。この「もののあはれ」については、本居宣長の説明には全く納得できません。

  私の「もののあはれ」論はこちらに書きました。

 もののあはれ=苦諦

 「思い通りにならない」ということの前提には「思い」があります。それが「乞い」ですね。こうあってほしいという煩悩。

 で、今日はまたある名曲から、その「もののあはれ」を感じてもらいましょう。冗談抜きで、どんな和歌よりも、この詩とこの音楽がそれを如実に表わしています。

 今までも何回か「私の一番好きな曲」として挙げてきた、森高千里さんの「渡良瀬橋」。今年7月に実現した渡良瀬橋ライヴで聴いてみましょう。

 

 

 誰しもこの失恋ソングには切なさを覚えることでしょう。思い通りにはならなかったが、しかし決して暗くはない。逆に光さえ感じる。これこそ日本人の「もののあはれ」の表現です。

 それにしても、森高千里さんは「無常」ではないのでしょうか(笑)。いや、こうして時を経て、さらに美しさ、崇高さを増すというのも、想定外であるからして「もののあはれ」なのです。それも含めて、この曲は日本の美意識を象徴するということです。

 人間の無力さ、時や自然の残酷さや恩恵に対して「ため息をつく」「涙を流す」のが「もののあはれ」なのでした。

 ついでに蛇足を。

 ここで森高さんが演奏しいてるリコーダー。特にジャーマン式運指のリコーダーは、ヒットラー・ナチスの産物であり、これもまた数奇な運命の楽器です。古楽器として忘れられていたブロックフレーテを、1936年のベルリン・オリンピックの開会式のために復活させたのはナチスです。

 それが、こうして日本(のみ)で、学校音楽教育の花形として定着し、時とともにバロック期のオリジナル性、そして近代のフィクション性をも凌駕して、「たて笛」としてすっかり日本の文化になりました。

 こうした「想定外」もまた、「もののあはれ」の産物です。そして、その完成を見たのは、実はこの「渡良瀬橋」における森高千里さんの(ブルーノートを含む)演奏だったのです。これは音楽史、楽器史において非常に重要な画期となりました。将来きっと教科書でも語られることでしょう。

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2021.12.08

ジョン・レノンの『ラヴ』に見る「愛という煩悩」

Th_20200629_01 年も歴史的特異日がやってまいりました。

 今日はジョン・レノンの名曲を聴いて(読んで)みましょう。ジョンの命日ということもありますが、お釈迦様がお悟りを開いた日という意味もあります。

 今、地元の文学講座で「竹取物語」の講師を務めさせていただいております。一昨日、「竹取の翁を狂わせたかぐや姫の罪」という話をした時に、この曲の歌詞も話題に上がりました。

 「竹取物語」はまさに「竹取の翁の物語」であり、主人公は翁です。無欲の善人だった翁が、かぐや姫という完璧な「悪女」の登場によって、欲にまみれた人間になっていってしまうというお話(というワタクシの解釈)。

 そうやって読みますと、竹取物語が仏教説話であることがよくわかるのです。

 特に、月から迎えが来る段になって、翁がかぐや姫を失いたくないために数々の嘘をつくシーンは印象的です。そして、かぐや姫を「我が子」と言ってしまうところは、まさに「子煩悩」が発動した瞬間です。

 子どもに対する愛というのは、今では良いことというイメージがありますが、お釈迦様が自らの息子を「ラーフラ(煩悩)」と名づけたとおり、子どもに対する執着は人間の最も愚かな煩悩の一つなのです(もう一つは財産に対する執着)。

 で、結局、「愛」なんて利己的なものであって、子どもに対する愛も、子どもが自分の思い通りになってほしい、子どもに自分のことを愛してほしいという、ちっとも子どものためにならない煩悩なのです。

 そうした理不尽に対する無意識の反抗が、それこそ「反抗期」であるわけですね。

 というわけで、そうした「愛」の本質を「愛とは愛されたいと望むこと」と明確に示したのが、この曲です。

 

 

 言うまでもなく、ジョンはヨーコの影響から、仏教や神道に対する興味を持ちました。かなり深く学んでいます。ちなみに京都の亀岡にもお忍びで潜伏しており、出口王仁三郎の大本にも興味を持っていたことがわかります。

 ですから、この曲は、世界一般で捉えられているような美しいラヴ・ソングではなく、ある意味厳しい愛の「現実(real)」を表現した曲なのです。日本人には、ぜひそういう理解をしていただきたい。

 愛の名の下に人々は互いに求め合い、奪い合っている…。

 そうしますと、一般的に wanting を動名詞と解釈しSVC構文と思っている「Love is wanting to be loved」は、実は現在進行形で「愛はいつも愛されたいと望んでいる」という皮肉なのかもしれませんね。

 と言うと、want は状態動詞だから現在進行形にはならないと反撃されるのですが、I'm love'n it!という某CMで love が進行形になってるからいいじゃないですか(笑)。なにしろ、love = want なのですから。

 ちなみに、日本語の「恋」も言うまでもなく「乞う(こふ)」という「要求する・ほしがる」という意味の動詞の連用形が名詞化したものです。残念でした(笑)。

 いや、それにしてもオノ・ヨーコすごいわ。今日のこの日に改めて痛感しました。

 

 

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2021.12.07

昭和東南海地震(1944年)

Th_-20211208-123137 戦前後の4年間は、まさに荒御魂発動で巨大地震が四つ連続しました。これが終戦を早めたというのも事実です。神計らいでしょう。

 1944年(昭和19年)の今日12月7日、開戦から3年になろうかという時、紀伊半島東部沖から浜松沖にかけて巨大なプレート境界破断が発生。マグニチュードは7.9。紀伊半島のみならず、中部地方でも震度7の揺れに見舞われました。

 各地の軍需工場の被害は甚大で、物心両面において戦争に対する日本人の疲弊はピークに達したことと想像されます。

 東南海震源の巨大地震は安政の大地震以来90年ぶりでした。1944年から今年で77年。それまでの発生周期からしても、いつ令和の東南海地震が発生してもおかしくない状況です。

 最近の日本全土における地震の頻発状況を見ても少し心配になりますね。ただ、巨大地震の発生は避けられないモノ。考え方によっては、先送りするより、なるべく早く発生した方が大難が小難になって良い。

 ちなみに1854年の安政の大地震は東南海地震と東海地震が同時に発生し、その32時間後には南海地震が発生するという、最悪のトリプルパンチでした。

 その前が富士山大噴火を招いた宝永の大地震(トリプル連動)です。1707年ですから、安政の大地震とは150年近く離れていますね。

 連動よりは単発の方が被害は少なくなりますから、やはり(一見不謹慎な話に聞こえますが)どこか早く発生してくれた方がいいかもしれません。

 昭和の場合、東南海地震の2年後に南海地震が発生しています。東海がまだなので、昭和の時代には東海地震への警鐘が盛んだったわけですね。

 そうこうしているうちに77年経ってしまったので、今度はトリプル連動を「南海トラフ巨大地震」として警戒するようになったのです。

 しかし、過去のデータどおり、人間の予想どおり行かないのが自然の定め。これはもう、東海地震が「単発で早く発生する」ことを祈るしかないですね(過去、駿河湾震源の東海地震が単独で発生したことはありません)。

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2021.12.06

スメル山で大規模な噴火

 

 本でも地震や噴火が相次いでいます。人間の次元では「非日常」的な危機感を抱きがちですが、地球のご機嫌の次元で言えば「日常」的な波立ちです。

 とは言え、人間は人間なりに生存を維持していかねばならないので、その「波」をうまく乗り切っていかねばなりません。波が来てから右往左往するより、波が来る予兆をとらえて準備しておくことが大切でしょう。

 地球規模で考えた時、フィリピンやインドネシアはほとんど日本の隣近所と言っていいでしょう。その近所でも地異が相次いでいます。

 一昨日には、インドネシアのジャワ島最大の火山「スメル山」が噴火しました。今年1月にも「スメル山噴火」という記事を書いていますが、今回の噴火の規模はやや「非日常」よりの大きなもののようです。

 1月の記事では、山頂から噴煙が上がる程度でした。今回は大規模な火砕流が発生し、近くの村落に大きな被害が出た模様。少なくとも14人が亡くなったと伝えられています。

 スメル山は標高3670m。富士山より100m低いだけ。形も富士山そっくりの成層火山。スメルとは「須弥」(尊い)という意味です。つまり、インドの人たちが東海に想定した「須弥山(しゅみせん)」ということです。

 ちょっと話が逸れますが、1月の記事で「またいつか」としたことを少し書きます。

 私は「スメル」と聴くと、どうしても仲小路彰を思い出します。実際「スメル音楽研究所」などを作って活動していましたし。スメラ学塾もその系統。すなわち、スメール(シュメール)文明と日本の皇室(すめらみこと)を統合的にとらえるという、今ならトンデモと言われてもしかたない思想を持っていました。

 仲小路は戦中、ジャワ島での宣伝戦を裏で指示していたこともあり、また当然ながらシュメール文明やヒンドゥー教、仏教にも通じていましたから、戦後の富士山での活動においても、富士山とスメル山と須弥山を結びつけていた可能性があります。

 最近も徐福研究家の方をご案内しましたが、中国人にとっての「蓬莱山」としての富士山も、元はといえば「須弥山」の思想につながります。ですから、歴史的、宗教的、文化的に見れば、日本の富士山とインドネシアのスメル山とは、ある意味同一だとも言えるわけです(ちなみにジャワ富士はムラピ山です)。

 ついでに書きますと、富士山は古くは「あさま」でした。浅間神社の「あさま」ですね。「あさま」の「あ」を美称と考えると「さま」になり、「すみ・しゅみ」と子音が重なります。母音の交替は普通に起きますから、こじつけではなく現実味のある対応関係ですよね。

 さて、今回の大規模な噴火、前兆があまり明確ではなかったようです。また、噴煙だけでなく、大規模な火砕流が山頂から山腹を下ったようで、それが被害を大きくしました。

 富士山の次の噴火が山頂からになる可能性はあまり高くないと思っていますが、比較的標高の高い位置に火口ができた場合は特に火砕流の発生が懸念されます。

 溶岩流や火山灰からはある程度逃げることができますが、時速数百kmで下ってくる数百度の火砕流を避けるのは非常に難しいでしょう(特に我が家のあたりでは)。

 スメル山の活動もまだまだ続くでしょうし、最悪山体崩壊を起こすような爆発的噴火があるかもしれません。救助活動にも注意が必要ですね。

 今回のスメル山の噴火をまさに他山の石とし、避難準備と予兆観測に努めたいと思います。

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2021.12.05

伊勢神宮外宮「せんぐう館」

 

 日は友人たちと伊勢参りをいたしました。素晴らしい猿田彦(先導役)の登場に、私のテンションも爆上がりでした。

 内宮の五十鈴川では、私自身も全く想定外の「儀式」を執り行うこととなりました。全てが神計らいでした。

 私、今まで3回伊勢に行っているのですが、なんと外宮しかお参りしたことがなかったのです。理由は…内緒です。というか、今日よくわかりました。

 そして、今日は初めて内宮を参拝。ある意味ではますます外宮とのご縁を強く感じることとなりました。天照大御神さま、ありがとうございます。

 実際の神様との交流については、ごく個人的なことですのでここには書きません。しかし、先導してくれた猿田彦くんの強いおススメとご希望により、あえて、外宮に設けられた「せんぐう館」を紹介します。

 たしかに、猿田彦くんの言うとおり、「日本一の博物館」と言えましょう。神様に仕える尊い人たちの仕事を中心に、伊勢神宮の歴史から、その文化的意義に至るまで、本当に丁寧な展示がなされています。

 62回目の遷宮があった年の前年、平成24年に開館したそうですが、私は全く知りませんでした。そして、今日もあまり観覧者がいない状況。大変もったいないと感じると同時に、静かな環境の中、じっくり展示と一体化できたのは良かったかも。

 原寸大の外宮正殿の模型は圧巻。そこに至るまでの経路、そしてその後の池に面したフロアへの誘導など、まさに神宮の機能に類するデザインがなされておりました。

 いったい誰の設計なのか…と思ったら、あらら!なんと、先日訪問した「清里フォトアートミュージアム」の栗生明さんではないですか!これもまた神計らいの一つでしょう。

 内宮は、本当にコロナ禍を感じさせないほどの賑わいでした。外宮はそれに比較すればやはり静か。それでも、多くの皆さんが明るい表情で参拝されていました。

 皆さんもぜひ、この時代の変わり目に、日本精神と文化の原点伊勢神宮への参拝を果たし、そしてぜひぜひこの「せんぐう館」にも「参拝」してみてください。

 最後に、猿田彦くんも強調していましたが、ネーミングだけは失敗ではないかと、私もそう感じました。いろいろな意味で名と体が乖離しています。

せんぐう館公式HP

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2021.12.04

不仏=私 (仏=不私)

 日は三重の津市に来ております。

 多くの方々と「過去の手放すこと」や「利他」についてお話する中、いろいろと考えること、感じることがありました。ふと思い出したのが先日の山川宗玄老師のお言葉。いただいたDVDの中でも語られていました。

 「仏」とはなんぞや。その究極の問いの答を得るためのアプローチ方法として、背理法のように否定を導入してみるのだそうです。

 つまり、一度「仏ならず」とする。すわなち「不仏」。すると、それは「私」になる。

20211206-154844
 なるほど、これは面白い方便です。「仏ならざるもの」すなわち「私」であると。そのとおりです。

 「私=不仏」と言ってもよい。「無私」が「仏」とも言えましょう。つまり、両辺に「不」をかけて「不不仏(=仏)=不私」であるのです。

 これは面白い発見ですね。さすが老師さまです。

 今までも、「私の中に仏がある」という、いわば「一切衆生悉有仏性」的な方便として、ある種の漢字遊びが示されたことがありましたが、さらにそれを深めたのが「不仏=私」だと思います。

 「私の中に仏がある」ことは確かですが、その「私」を否定して初めて「仏」が見えてくるというパラドックスこそ、仏教の難しさであります。それはブッダの最後の言葉の一つ、「自らを燈明とせよ、島とせよ」の裏返しとも捉えられますね。

 私を否定することが、私を肯定することになる。

 仏教を窮めんとしてきた知人が、最近自らの修行60年を全否定し、結果としてその60年の反語的な意味を肯定するに至ったのを見ました。そういうことなのです。

 私もいつか「仏」を見いだせるよう、まずは「私」の全否定と全肯定の修行を続けたいと思います。「不」を武器として。

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2021.12.03

モバイルチャージャー 10000mAh (オーム電機)

Th_61ioxgml53l_ac_sl1500_ 日から、ちょっと仕事で旅に出ます。

 最近の旅の必需品はモバイル・バッテリーですよね。

 私もいくつか持っていますが、最近のヒットはこれです。

 どこかのホームセンターで980円で買ったんですが、安いし、性能も良いし、軽いし、なかなかの製品です。

 少なくともよく分からん某国の製品と比べると「善意」を感じますね(笑)。

 容量も公称の数値にかなり近いと感じています。中国製はまあフツーに偽装していますから。

 そうそう、少し話しはそれますが、友人がニヤニヤしながら中華製の2TBのUSBメモリーをくれました。えっ!2TB!いいの、もらって?

 Macに挿してみると、たしかに2TBと表示されます。えらいものタダでもらっちゃったなと思ったら、どうしても10GB以上データが入りません。

 結論から言うと、それはめちゃくちゃ読み書き速度の遅い単なる10GBのメモリーでした。それがああいうふうに2TBと認識される。まあ、彼らには「良心」「善意」「罪の意識」というのはないのでしょうか。

 さてさて、オウムの時は大変だったオームさん、さすがにもうそういう風評被害もないでしょう。その頃から応援する意味も含めて、私はけっこうオーム製品のお世話になってきました。

 今はそれこそ中国製の安価な商品に押されている状況かもしれませんが、オリジナル商品開発力と独自の販売ルートでしぶとく生き残り、私たちの生活を支えてくれているオーム電機さんには、これからも頑張ってもらいたいと思います。

 この製品、アマゾンなどで買うよりも、街のホームセンターなどで見つけて買うのがいいでしょう。

Amazon オーム電機 モバイルチャージャー 10000mAh

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2021.12.02

【討論】世界経済戦争の現在と大東亜戦争

 

 日は、お医者さんとある野党の議員さんが来訪し、長時間にわたり意見交換しました。

 特に政治や経済に関する話は面白かった。私のぶっ飛んだ政治論、経済論にしっかり着いてきてくれました。なにしろ、私が語るのは宇宙政治・宇宙経済なので(笑)。

 いずれその党の党首の方ともお話できそうです。実現したら楽しいことになりますよ(笑)。

 さて、今日の話の中にも出てきました、大東亜戦争のこと。そして、現代の経済戦争のこと。タイミングよくこの討論がありましたので拝聴しました。

 まず、この話題で抵抗感があるのが、いわゆる(分かりやすい)陰謀論なのですが、今回の討論にはそのような方々がいなかったので良かった。

 先日からの「音楽」の話ではありませんが、あまりに「分かりやすい」構造は疑ってかかった方がよい。世の中そんなに単純ではありませんよ。人間も自然の一部ですから。

 そう、今日の会話の中にもあったのですが、私たちが「人工」と思っているもの(たとえばウイルスやワクチンも)、あくまで「自然」たる「人」が工作したもので、それもまた「自然」だということを忘れてはいけません。宇宙的視点というのはそういうことです。

 そういう視点で見た時に、あの戦争はなんだったのか、なぜ日本は、アメリカは、あえて戦争に進んだのか、そして現在の経済の状況はどんな意味があるのか、初めて分かると思います。

 そのへんに関して、そして日本は再生するのか、今月東京の某所で講演させていただくことになりました。どんな講演になるか、自分でも楽しみです(笑)。なにしろ、未来の記憶をダウンロードしてしゃべりますので。

 

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2021.12.01

Queen 『Live At Wembley Stadium』

 日、NHKで放送されたこのクイーンのウェンブリー公演。クイーンのライヴの中でも、やはり格別の内容ですね。

 昨日の話の続きで言えば、クイーンはやはり「構造」から入っています。ブリティッシュ・ロックはクラシックの系列ですから。

 そして、それを超えてしまったのがクイーンということでもありますね。

 バッハと同様、時代を超えて生き続ける、すなわち「対機説法」してくれる存在なのです。

 このライヴを久しぶりに観て聴いて、ふと思ったことがあります。クイーンの4人が見事に調和していることです。フレディ、ブライアン、ロジャーという個性輝く3人を受け止めていたのは、最年少であり、最も地味であったジョン・ディーコンです。

 これはある意味残酷な話で、ジョンのその後の人生を見るとちょっと切なくもなります。フレディの本当の弟子、信者だったのかもしれません。

 私としては、50年後くらいに、ジョン・ディーコンの人生を映画化してもらいたいと思っています。

 

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