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2021.11.30

バッハ 『トリオ・ソナタ(音楽の捧げもの)』

 

 近、「構造」としての音楽に批判的な記事をいくつか書いてしまいましたが、皆さんおわかりのように本当はそういう「音楽」が大好きです。

 一方で、その「構造」はある種の「わかりやすさ」でもあって、その「わかりやすさ」に潜む危険というのも感じるようになったわけです。

 昨日の山川宗玄老師のお言葉で言うなら、そこに「困難」があるのかということです。

 「構造」とは「言語」であるとも言えます。最近の私の傾向は、多分に仏教の、禅宗の影響を受けているわけです。

 「構造」や「言語」、そして「音楽」には、「過去の記憶」と「未来の予感」が関与するんですよね。「今ここ」の存在感が薄れているのです。

 そういう視点からして「困難な構造」をもつ不思議な「音楽」があります。それがバッハの「音楽の捧げもの」です。

 ちょっと分かりにくいかもしれませんが、コト(構造・言語・音楽)を窮めてモノ(非構造・非言語・非音楽)に到達した作品だと思います。

 これもまた、修行という「カタ」を窮めて悟り(モノのあはれ)に到達するのと同じです。

 おそらくバッハの修行者だったのでしょうね。そして、バッハの残した「言葉(音楽)」は、まさに対機説法として、現代や未来にも生きているのでしょう。

 さて、そんな「音楽の捧げもの」の中で最も現実的な楽曲、すなわち楽器指定のあるのがこのトリオ・ソナタ。私も何回か演奏しましたが、本当に弾きにくい。まさに「困難」に満ちています。修行アイテムとしては最高でしょう(笑)。

 この演奏では、チェンバロではなくジルバーマンのフォルテピアノが使用されています。不思議な響きになりますね。新鮮な発見がいくつかありました。まさに今に生きている作品です。

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2021.11.29

山川宗玄 『禅の知恵に学ぶ(DVD)』

Th_51mofgm2xl_ac_ 日は久しぶりに山川宗玄老師と歓談。

 師からこちらのDVDを頂戴いたしました。NHKの心の時代で好評だった山川老師のシリーズ全6回を3枚のDVDに収録したものです。

 年に数回ある老師との対話の時間は、まさに私にとって「有難い」時間です。特に今年度は、私が個人的に仲小路彰の「聖徳太子伝」「釈迦物語」の活字化をしたこともあって、老師のお言葉一つ一つがより深く理解できたような気がしました。

 特に心に残ったのは、先程出た「有難い」の新しい解釈。私は「めったにない」という古語的解釈しかできなかったわけですが、師は「難しいことが有る」と解釈されていました。

 なるほど。難しいことに出会った時こそ「ありがとう」なのですね。これはたしかに真理に近い気がしました。

 困難なことこそ、私たちを成長させる、あるいは新しい世界を生む原動力になるということは、もちろんなんとなく分かっていましたが、このように「有難い」という言葉を通じて、感謝にまで昇華することができることを学びました。

 もう一つ、釈迦の「対機説法」について。

 相手に合わせて内容やレベルを変える説教法だと私は理解していましたが、実はそれは釈迦の入滅後にも続いていて、「相手に合わせる」は時空を超えるという意味もあって、そういう意味で釈迦の説法は現代にも続いていると。そしてもちろん未来にも投げられていて、その時代時代の人々に合わせて解釈され、理解されて然るべきであるとのことでした。なるほど。

 今日は老師様に不躾な約束を勝手にさせていただきました。実現したら実に面白いと思います。あんなこと言えるの、ある意味私だけでしょうなあ(笑)。

Amazon 禅の知恵に学ぶ

 

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2021.11.28

『細江英公の写真:暗箱のなかの劇場』 (清里フォトアートミュージアム)

Th_-20211129-105705 日の猪木さん以上にインスパイアされました。細江さん、す、すごい…。

 ごめんなさい、あまりの衝撃に語彙が貧弱になってしまいます。

 今気づいたのですが、なんと12年前、細江英公さんに初めてお会いした日、昨日の番組にも出ていた藤波辰爾さんにもお会いしているのですね。なんというご縁…。

藤波さんと…細江さんと…またまた夢実現(2009.12.19)

 清里フォトアートミュージアム。秋田は鎌鼬美術館の関係者から招待券を送っていただきまして、ようやく訪問することができました。秋田と山梨がまたつながりました。

 細江さんの代表作「鎌鼬」と私たち夫婦の因縁については、こちらからたどってみてください。そして5年前、それは「鎌鼬美術館」として結実しました。まったく不思議としか言いようがありません。

 そんなご縁を頂戴した細江英公さんの作品を、これほどたくさん、いっぺんに鑑賞する機会は初めてです。

 とにかく圧倒されました。それこそアントニオ猪木の名勝負を全部観たくらいの衝撃(すみません、変な表現で)。

Th_img_8405 特に「鎌鼬」のオリジナル・プリントは圧巻でした。その銀が浮き出し、白黒写真に色が生まれていく。デジタルではありえない奇跡です。なんと稲刈り後の田んぼが、リアルな稲刈り後の田んぼ色になっている!!

 現代のデジタル・フォトではありえないことです。いやモノです。生きている。撮影のみならず、現像やプリントに関わる手間と想像力と不随意性こそ、時代を超えるエネルギーの源泉になるのですね。昭和のプロレスや音楽と同じだ…。

 夫婦でゆっくり鑑賞しながら、鎌鼬の各写真を現地に展示というか、ディスプレイできたらいいなあと話しました。そうして、聖地探訪し、変わらぬ稜線と、変わった人の営みを体験する。写真にはそういう使命もあるのではないかと。

 コロナによって2年近く秋田に行っていません。来年にはまた違った視点、意識で「鎌鼬の里」田代を訪問しようと思います。

清里フォトアートミュージアム公式

 

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2021.11.27

『燃える闘魂 ラストスタンド』 (NHK BSP)

Th_2021112703825896tospoweb00010view あ、感動した! 夫婦でおいおい泣きました(涙)。

 アントニオ猪木最後の戦い。最強の敵は「自分」。

 本当の「強さ」とは、本当の「生きる」意味とは、本当の「幸せ=利他」とは…いろいろ教えていただきました。

 最近、私の人生の多くの先輩方が病気と闘っている姿に勇気づけられてきましたが、やはり戦中、戦後の動乱期を生き延び、そして日本をここまで育て上げた世代の皆さん、特に男たちの前向きなパワーには、本当に感謝ですし憧れます。

 猪木さんとも何度か実際にお会いしてお話させていただきましたし、鈴木健三さんや宮戸優光さん、村松友視さん、馳浩さんも身近な存在です。ほかにも懐かしいお顔がちらほら。

 皆さん、アントニオ猪木という神に照らされて輝いた方々ですね。もちろん私も含め、ファンもアンチもみんなその恩恵を受けています。

 昭和の名レスラー、特に全日系の皆さんが比較的若くして亡くなっているのに比べ、猪木さんはあの激しい戦いの末に、こうしてまだ闘い続けられていることは、やはり一つの生命体として驚異なことです。

 私も絶対に心を折らず、自分に負けず、元気に、そして利他的に生きていきます。力を頂きました。本当にありがとうございます。

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2021.11.26

タングドラム

Th_71u6ympz02l_ac_ul320_ た変な楽器を買いました。

 最近は楽曲ではなく、「音」そのものの追究に興味がありまして、そういう意味で可能性の大きいこのタングドラムにしました。

 タングドラムもピンキリですが、これは「キリ」です。14インチ、15音で1万円。なぜか「白」だけ安い。ほかの色は1万6千円です。

 こういう複雑な「舌」の仕様にしたのは、叩く位置によって音色の変化を楽しめるからです。純粋な楽器として「演奏」するには、シンプルな「舌」の方が適しているでしょうね。

 実際、普通に叩いてもけっこうノイジーです(つまり正弦波的ではない)。叩くモノや叩く場所、叩き方などによって、いろいろな音(ノイズ含む)を出すことができます。

 C調でEからEまでの2オクターブ仕様。全体として音程はまあまあ、許せる範囲です。ただ、写真で一番下の「舌」、すなわち一番高い音は、本当は「E」であるはずなのですが、どう聴いても「F」の音が鳴っています。これは小さな磁石によって全音まで下げることができるので、逆に音域が広くて良かったかもしれません。

 舌の形のせいもあるかもしれませんが、叩いたあとのこすり方でチョーキングのように音程を上げることができました。これも面白い。

 裏のホール・カバーは簡単にはずせるので、胴体の中に何かを入れたりして、音色や残響を変えることも簡単です。

 こいつを使って瞑想用の即興演奏をやろうと思っています。いや「演奏」ではないな。単なる発音の連続になるかも。

 いや、ついついいろいろな音階でメロディーを弾いてしまうんですよね。西洋的な和音もつい出したくなってしまう。この単純な音階楽器で、どうやって非音楽的なことをやるか、それがテーマです。

 美しい音、正確な音程をお望みでしたら、別の製品が良いでしょう。そういう意味で圧倒的にいいのは「さざなみドラム」です。

Amazon タングドラム 

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2021.11.25

縄文ドキドキ総選挙で山梨勢が1位・2位!

Th_2021112415464901 日、「土偶を読む」でサントリー学芸賞を受賞された竹倉史人さんのお話を聞きました。「宗教とはなにか」に迫る、これまた興味深い内容でありました。さすがの視点です。

 竹倉さんともいつか山梨縄文王国探訪をしようと約束しているのですが、その実現に先立ち、山梨の土偶が総選挙で1位、2位を獲ったというニュースが入ってきました。

 縄文ドキドキ総選挙

 上の写真は2位の韮崎市石之坪遺跡の「ミス石之坪」。たしかにアイドル的可愛さがありますね。私は特に横顔が好きです(笑)。こちらからご覧ください。

20211126-84523 1位は南アルプス市鋳物師屋遺跡から出土した「人体文様付有孔鍔付土器」。この土器に造形された「人体」、いや「女神」は、まさにアイドルにふさわしく、まるでダンスをしているような躍動感を持ちます。

 2年前、ご本人に対面した日の記事がこちらです。まあ、ご本人のことは何も書いていないのですが(笑)。本当にこの南アルプス市のふるさと文化伝承館はおススメですよ。

 この1位、2位を獲得したアイドルの二人は、竹倉さん的には「カモメライン土偶」であり、「とんがり型」です。つまり、果実に包まれたトチノミがモチーフとなっているということですね。なるほど。答えはそれしかないでしょう。

 それほどに当時の山梨縄文人にとって、トチノミは自らの命を支える「女神」であったわけです。

 竹倉さんが、サントリー学芸賞の「思想・歴史部門」ではなく「社会・風俗部門」にて選考されたというのは、まさにこのような次元においての発見があったからです。

 

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2021.11.24

黙山元轟(もくざんげんごう)

Th_-20211125-153922 洞宗の名僧をお一人紹介いたします。

 なんで急に黙山さんかと言うと、昨日、一昨日の記事からの連想です。

 というのは、家内の故郷、秋田県の羽後町に「妙音寺」というお寺があるからです。

 全国に「妙音寺」というお寺はいくつもありますが、やはり日本最奥の寺として、この田代妙音寺は注目に値します。

 日本最奥というのは勝手に私がそう言っているだけで、ご住職の許可をいただいているわけではありません(笑)。

 そうそう、何年か前、家内の祖父の葬儀で羽後町に行った時、地元の親戚の方々に「ぜひ妙音寺の住職に」と誘われました。いくら僧形とはいえ、僧籍を持っていないエセ坊主ですからと丁重にお断りいたしました(当たり前)。

 あれは冗談だったのか、いやみんな真面目な顔で言っていましたから、江戸時代以前の田舎の寺なんかは、私のような旅の僧形を迎え入れるなんてことが実際あったのでしょう。

 で、なんで「日本最奥」なのかというと、実際に妙音寺の裏山を越えた集落には仏教が伝来していないからです。すなわちウチのカミさんの生まれ育ったところ。古神道とキリスト教(ロシア正教あるいはイスキリ教?!)は伝わっていますが、仏教は基本伝わりませんでした。

 それはこんな事実からも証明されるかもしれません。

 羽後町田代は「鎌鼬の里」です。そう、細江英公撮影の土方巽写真集「鎌鼬」の撮影現場なのです。秋田県生まれで、横手盆地の方には親戚もいた土方が、「最奥の集落で撮ろう」と言って細江を誘って行った場所が田代だったのです。そこはウチのカミさんのお母さんの実家のあるところでした。

 実はもう一つ峠を越えると異世界があったわけですが、その時は土方も細江もそこが「最奥」だと思っていたのです(と、実際細江さんから聞きました)。

 そんなところにある妙音寺。雪深い厳しい環境ですが、だからこそかある歴史に名を残す高僧が修行をしています。それが曹洞宗界隈では「坐禅黙山」と呼ばれている「黙山元轟(もくざんげんごう)」というわけです。

 黙山は横手盆地東部の増田出身。1683年の生まれです。14歳で出家し、19歳から23歳まで妙音寺で修行をしています。その後関東を中心に行脚して、81歳で遷化するまでに四ヶ寺の開祖となります。埼玉久喜の迦葉院は有名ですね。

 ひたすら行(坐禅)に親しみ倹約を徹底した僧として、また江戸幕府の仏教統制策である「本末制度」に反旗を翻す気骨ある僧としても知られています。

 詳しくはこちらで学んでください(結局違う話がメインになっちゃいましたね)。

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2021.11.23

仏教における八音(はっとん)

Th_unknown_20211125095801 日、高度に発達した(構造化、抽象化された)西洋音楽に対して批判的なことを書いてしまいました。

 そして、その先にある「音」の可能性について触れましたが、東洋の智慧の代表者ブッダは「音」についてどのように語っているのでしょう。

 仏教では「観音」や「妙音」という言葉に代表されるとおり、「音」を重視しています。そして、それは決して「音楽」と同義ではありません。

 今日はそんな仏教的な「音」論の中で、最もよく知られている「八音(はっとん)」を紹介します。

 「八音」についても、様々な訳、解釈があるのですが、今日は特別に仲小路彰の書き残した文章から引用してみましょう。

 聖徳太子伝である「夢殿の幻」から。

 

 八つのすぐれた音とは、まさに仏が天才的な音楽家の如き、多音階的な多声調的な多様な微妙な音声をあらわしたのである。

 それは如来の八響の妙音を云う。

   1、最好音(きわめて美しい妙なる音)

   2、柔軟音(やさしくやわらかな声)

   3、調和音(相和する調べの音)

   4、尊恵音(知恵の響きをなす声)

   5、不女音(男性的な雄々しい声)

   6、不誤音(正確な調べをなす声)

   7、深遠音(低く奥深い音)

   8、不竭音(無限なる余韻の声)

 このように如来の金玉の声は、肉声ではなく、金口(きんく)の声と云われるところである。

 そこには森羅万象、宇宙一切のあらゆる音声が、最高の微妙な交響的諧調をもって表現されるのである。

 

 どうでしょうか。イメージが湧きにくいのですが、少なくとも西洋音楽的な音(声)世界とは違うようですよね。

 これからしばらくは、西洋音楽を今まで通り楽しみつつ、この「八音」についても探求してみたいと思っています。

 

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2021.11.22

ヘンデル 『戴冠式アンセム』

 

 校生の時、初めて聴いて感動した曲の一つです。

 今では、冒頭の(実際のコンサートでは最後に演奏された)「司祭ザドク」がUEFAチャンピオンズリーグ・アンセムとして有名になっていますね。

 イギリスに帰化したヘンデル(ハンデル)が、北ドイツハノーヴァーからやってきたジョージ2世の戴冠式のために書いた曲です。

 たしかにこれは王様もお喜びになったことでしょう。この華やかかつ壮大な楽曲は、神へのというより、まさしくスポンサーたる王へのサービスによって生まれた楽曲です。

 そう、最近よく思うのですが、ヨーロッパ近代の音楽というのは、神の世界へのアプローチではなく、単に人間の限界に挑戦しているだけなのではないでしょうか。とっても冷たい言い方ですがね。

 楽曲としての構造にこだわることの言い訳として、神(や王)への奉仕の形をとったような気もしてくるのです。

 自然(宇宙)の法則は、そんなに単純ではないのでは。そんな意地悪なことさえ頭に浮かぶようになったのはなぜでしょう。

 少なくとも、エモーショナルな意味での感動のレベルでは、なかなか自然(宇宙)へは飛んでいけないような気がします。

 だから、この曲に「最高!」と感動していた頃とは違って、今はこれが「最低」なのではないかと思うのです。

 では、その先にはどんな世界があるのか。それは、「音」そのものにヒントがあると予感する今日この頃であります。

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2021.11.21

議論(発言)の資格がないヤツ(by ブッダ)

Isipatana 、仲小路彰の「釈迦物語」の活字化を進めています。本当に多くの学びがあり、期せずして修行をさせていただいている気分です。

 さて、今日校正した部分で、「ああ、これって日常の議論だけでなく、ネット上の発言にも、そのまま通じるな」と思ったのが、弟子たちの議論にブッダが加わり、最後に中道を語るシーンでの言葉です。

 次のような人は議論する資格がないと言います。

 A 問いをかけられて何も説明せず、反対されても説明しない人。

 B 問いをかけられて、合理と非理とを分けず、自分の主張をさまざまにして、他の説明を聞いても分かったと云わず、質問すべき時と所を知らない人。

 C 問いをかけられ、関係のないことを云ったり、他のことでごまかしたり、怒りや不快の情をあらわす人。

 D 問いをかけられて、つじつまの合わないことを云ったり、問う人をなじったり、手をうってばかにしたり、言葉じりを難ずる人。

 こういう人たち、めちゃくちゃいますよね。特にツイッターとか(笑)。

 2500年前も今も、そして世界中どこも変わりないのであります。

 で、どうすれば良いかというと、上記A〜Dの反対を心がければよいということです。

 つまり、質問されたら冷静に合理的に誠意をもって答え、他人の意見にも謙虚に耳を傾け、分からないことがあったら適宜質問するということですね。

 もちろん、私も含めてそれは人類にとっては、簡単なようでとても難しいことです。

 ただ、ちゃんと意識すればできることではないでしょうか。

 また、こういうブッダの視点で、SNSなどネット世界の発言を観察すると面白いかもしれません。ああ、これはAだなとか、Cだなとか。

 そうしているうちに、腹も立たなくなりますし、落ち込むこともなくなるのではないでしょうか。

 というわけで、今日はブッダの智慧からちょっとした知恵を拝借というお話でした。

 

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2021.11.20

『ヤバい話。昭和天皇の従兄弟と隠し財産の秘密』 物理学者・保江邦夫

 

 の話(の一部)は保江さんご本人からうかがったことがあります。

 私の存じ上げている数人の物理学者の方々、皆さん世界的な活躍をされているのですが、共通しているのはこうした世界にも妙に詳しいこと。

 正反対の世界のようですが、一周回って一緒になるようですね。わかりやすく言えば、量子の世界まで行くと、それは即ち霊的世界に近づいていくということです。

 伯家神道(白川神道)の流れは山梨にも残っており、また私の知るかぎり、東京にも、また東北の某所にも残っております。そして、外国にも。

 アメリカの皇室のお話もそうですが、実は日本から外国へ重要なモノが移植されているケースが太古からずいぶんとあります。ですから、それほど驚くべきことではありません。

 また、戦後の仲小路彰周辺の動きを見てみますと、高松宮さまを通じてマッカーサーやロックフェラー、歴代大統領らと天皇やいわゆる国体の生き残りをかけての、ぎりぎりの交渉が行われていたことが分かります。

 このあたりは、アメリカの公文書も含めて、いよいよ明らかになっていくでしょう。ようやくそういう時代が来ました。

 また、動画の最後の方に出てくる渡辺和子さんお話にも感動しましたね。シスターのお父様、渡辺錠太郎さんに関しましては、ウチの夫婦はとんでもない霊的体験をしておりますので、全く他人事とは思えません。二・二六事件関係ですね。

 いずれにせよ、こうして今までは表に出なかった(出せなかった)情報が、ある意味いとも簡単にシェアされるようになったということは喜ばしいことです。

 世の中の見えない潮目が変わったのでしょう。あとは、私たちがそれに乗るか、あるいは旧い流れにしがみつくか。それを試されているように感じます。

 特に教育ですね。いや、「教育」の時代はとっくに終わっており、再び「学習」の時代が来るのかもしれません。そうであってほしいですね。

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2021.11.19

(格安)壁掛け時計

Th_-20211120-111503 が家の各種時計は、それぞれ勝手な時間を示しており、どれが正しいのか分かりません。

 しかし、それら全体の相対的な関係性の中に「時刻」が浮かび上がっており、案外不便を感じておりません。

 というか、スマホの時計が一番正確なのですが、メンバーみんなそれを見る習慣がないのは、おそらくそうした絶対時間に縛られたくないという無意識のなすわざなのではないでしょうか(ホントか?)。

 いちおうリビングに壁掛け時計があったのですが、それがこれでした。なんだ、この手作り感は(ちなみに数字を書き、針の色を塗ったのは私です…笑)。

 最近これが、ちょっとした弾みで落下してしまい、なぜか長針が短針より動きが遅いという謎の時計になってしまいました。それでも、その規則性を読み取って時刻を知ろうとしましたが、かなり難しく断念いたしました(当たり前)。

Th_61iooi2yqxl_ac_sl1500_ そこで新たに購入したのが、こちらの時計です。

 とにかく安かった。Amazonで645円。デザインもシンプルで良いですね。少なくとも先代の時計よりはかなり正確に時を刻んでいますし、先代がカチコチ音がうるさかったのに対し、こちらの新人は全く音がしません。逆に物足りないくらい。

 あとは落とさないようしなくちゃ。今回はしっかり固定しました。

 ちなみに、時間は2分ほど進めてあります。それが一番しっくり安心する。電波時計はどうも息苦しいんですよね。

Amazon 不二貿易(Fujiboeki) 掛け時計

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2021.11.18

『アッコちゃんの時代』林真理子 (新潮文庫)

Th_515wxmdwzvl 日の「ヒッピー」の代表が、この小説の主人公の一人五十嵐のモデルです。すなわち、川添象郎さん。この小説には当然「ヘアー」の話も出てきます。

 象郎さんの4番目の奥さんが、「アッコちゃん」。すなわち、小出明子さん。バブル期を象徴する小悪魔、悪女(つまり「いい女」)。

 アッコちゃんの時代とは、ずばり「バブル」ですね。

 あの頃の、ある種狂ったゴージャスさに対してどう感じるか。懐かしさも含めて肯定するのか、それともただただ嫌悪するのかによって、この小説の評価は変わるでしょうね。

 私は作品としてよりも、一つの資料として興味深く読みました。林さんはしっかり取材しています。

 象郎さんの実母、伝説のピアニスト原智恵子の名前もちゃんと出てきますし、彼女の消息についてもそれなりに触れています。

 その他、ユーミンはじめ「キャンティ」を彩った天才たちの名前が実名でじゃんじゃん出てきます。それは、正確に言えば「バブル以前」なのですが、結局「バブル」とは昭和の勢いの極まったところに現れた最後の大爆発だったことがわかります。

 もちろん私はあの「時代」をリアルタイムで生きていたわけですが、仕事柄もあって特にその恩恵にあずかることもなく、どちらかというと、祭に参加できない暗く苦い思い出しかありません。

 いや、なんだかんだ自分もある意味「バブル」だったかもしれない…と今思いました(笑)。まあ、それはいいや。自分のことにはあまり興味がありません。思い出す価値もないほどすっからかんなので(苦笑)。

 皆さんも、あの「時代」を今の自分というリトマス紙でテストしてみませんか。

Amazon アッコちゃんの時代

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2021.11.17

仲小路彰 紹介記事 『富士山麓のヒッピー仙人』(昭和45年プレイボーイ)

1  られざる天才歴史哲学者「仲小路彰」の資料整理・研究をしております。

 まさに「知られざる」だった、そして今でもそうなのですが、最近そんな天才を(匿名で)紹介した貴重な雑誌記事を発見しました。

 プレイボーイの昭和45年8月4日号。この記事の存在は、当時仲小路のお世話をしていた女性の日記に記述があり、その存在は知っていましたが、ようやくその記事の実物を手に入れることができました(灯台下暗しでした)。

 その方の日記によると、「○○さんの父上でヘヤー(注 ミュージカル「ヘアー」)の連中がむつかしい哲学書を読んでいるのに不思議な感にうたれしらべはじめた」とのことで、突然プレイボーイの記者が訪れたとのこと。名前や写真はNG、「未来学原論」の紹介や音楽のことはOKとなったようです。

 佐藤総理の名が出てきたり、当初はちょっと心配だったようですが、発売された記事を読んで、親族や関係者は喜んだとのこと。たしかに良い記事です。

 50年経ってこうして、私が「この仙人は仲小路彰です」と公表してしまうわけですが、21世紀のために思索を重ね、そして無数の書物を残してくれた仲小路はきっと許してくれるでしょう(私が発見すること自体がそういう霊界の意思に基づくものだと思います)。

2 というわけで、ネットでは初公開となります。ぜひクリックしてお読みください。

 まあ、これを読んでもさらに謎が深まる感じですよね。実際、そのくらいとんでもない人なのです。

 私一人ではとても研究しきれないので、今いろいろな分野の若手研究者らに声をかけております。今までは重鎮に声をかけてきましたが、皆さんドン引きしてしまって…。

 興味のある方はぜひご連絡ください。

 

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2021.11.16

神様が降りる古代日本の音楽 (岩佐堅志)

 

 日はある方と「音」について話しました。「音楽」ではなく「音」。

 どうも現代は「音楽」という構造に興味が行き過ぎていて、「音」そのものに対する感覚が鈍っているのではないかと。

 最近ご縁があって、シルク絃でヴァイオリンやヴィオラを演奏する機会が増え、またシンギング・リンの音浴を体験したり、雅楽の方々と共演したりと、いわゆる「楽譜」になる構造的(コト的)な「音楽」ではなく、即興的(モノ的)な「音」世界を楽しむようになりました。

 まさに「もののね」の世界です。

 この動画では、天理出身の岩佐さんが「楽」のお話をしてくださっています。大陸や半島から輸入された「音楽」の時点で、すでに「音」から「楽(音楽)」へ重心が移っていったことがわかります。

 おそらく聖徳太子以前の上代、あるいは縄文の「音」世界は、私たちが知っている構造的、様式的、再現可能的な「楽(音楽)」とはだいぶ違っていたのでしょう。

 それは、それこそ「楽譜」などに記録されていませんから、全く再現不可能なのかというと、実際はそうではなく、記録されていないからこそ再現できるかもしれないのです。

 そう、つまりデータ(コト)としての音楽ではなく、あくまで楽器と人間の協働による発音というか、自然音により近いその瞬間にしか出ない音の連続というか、そういうモノはある意味いくらでも現出させることができるわけです。

 ただ、その時の作法、たとえば岩佐さんのおっしゃるお清めのようなことも含めての身体的、精神的なあり方を究めねばならず、そこには西洋的なレッスンよりも東洋的な修養のようなものが必要となってきそうです。

 私もずいぶん長いこと「音楽」に携わってきましたが、ここで思い切って原点回帰し、「音」「もののね」の世界にアクセスしてみようかと思っています。

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2021.11.15

富士山ライブカメラ 『河口湖~富士山パノラマロープウェイ』

 

 士山の懐に住んでおりますが、懐ゆえに家の窓からはほとんど富士山の姿を見ることができません(苦笑)。

 ですので、今日の富士山のご機嫌はどうかなと、その表情を窺う方法として、ライブカメラは重宝いたします。

 富士山のライブカメラというのは無数にありますが、特に私が好きで、良く見るのがこのパノラマロープウェイのカメラ。

 ちょっと前まで「カチカチ山ロープウェイ」と言われていたものです。

 そう、河口湖の東岸にある天上山は、太宰治の名作「カチカチ山」の舞台となったと言われる山です。

 実を言うと、私はもう35年ほどこのロープウェイには乗っていません。学生時代、牛乳屋さんでバイトしていた頃には、よくロープウェイに乗って山頂にドリンクを届けておりましたが、その後地元民になってからは全く行く機会がありません(地元民あるある)。

 それにしても、このライブカメラのアングルは素晴らしいですねえ。左(東)は自衛隊の北富士演習場から富士急ハイランド、右(西)は富士山の側火山から(我が家を通って)青木ヶ原樹海まで、裾野の広大さを感じることができます。

 皆さんもぜひ時々チェックしてみてください。私がどこかに映っているかもしれませんよ(笑)。

〜河口湖〜富士山パノラマロープウェイ

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2021.11.14

祝 志村正彦くん「芙蓉文化賞」受賞!

Fuyo_20211115144801  れまた嬉しい受賞について遅ればせながら。

 富士吉田出身、フジファブリックの志村正彦くんが、富士北麓地域の文化勲章とでも言うべき「芙蓉文化賞」を受賞いたしました。

 「芙蓉文化賞」は今回で24回目。第1回から錚々たる地元の名士たちが名を連ねています。歴代の受賞者の中には、私が現在顧問を務めている学園の元理事長や、中高のジャズバンド部の名も。その中にある意味では遅ればせながらですが、志村くんが選ばれたことは、本当に嬉しいかぎりです。

 志村くんが亡くなって10年以上が経ちましたが、彼の音楽の輝きは衰えるどころか、ますます豊かになっているように感じます。

 私も時とともに、彼の稀有な才能と唯一無二の存在感を、ますます強く感じるようになりました。

 いよいよ来年度からは高校の音楽の教科書に「若者のすべて」が掲載されることになりましたしね。

 「若者のすべて」が教科書に! 

 音楽としてだけでなく、その詩の文学性の高さも高く評価されています。そのうち国語の教科書にも載ったりして。

 天界の志村くんも、きっと喜んでいることでしょう。少しはにかみながら。

 さあ、あとは武藤敬司さんですね。昨日、シングルとタッグ両方でグランドスラムを達成しましたからね。プロレスも立派な文化ですし。

 いやあ、富士吉田はなかなか濃い人たちを輩出していますなあ。

 

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2021.11.13

祝 竹倉史人さん「土偶を読む」でサントリー学芸賞受賞!

Th_-20211115-134702 し遅くなりましたが、おめでとうございました!

 (勝手に盟友だと思っている)竹倉史人さんが、著書「土偶を読む」でサントリー学芸賞を受賞されました。

 友人の紹介で7月に初めてお会いしてから、富士山にも泊りがけで来ていただいたりして、すっかり意気投合させていただいたのですが、ああいう革新的な研究が、こうして権威ある「サントリー学芸賞」を受賞するということは、まるで自分のことのように嬉しいものであります。

 それも「思想・歴史部門」ではなく「社会・風俗部門」というところがいい!!

 もうこうした土偶との会話、縄文人との対話世界は、「歴史」という閉鎖的な学問の範疇にはとても収まりませんから。

 縄文人にとって土偶とは、まさにリアルタイムの「社会・風俗」であって、それを現代に蘇らせたのが竹倉さんの業績なのです。

 それは私が今、取り組んでいる過去のアーカイヴたちへの接し方と一緒です。だから勝手に盟友だと思っているのです。そして我がことのように嬉しいのです。

 過去という時の流れの下流を見るのではなく、彼らがはるか未来に投げた「祈り」や「願い」を読み取るために、私たちは上流を眺めていなければいけないのです。

 竹倉さんはきっとまた新しい分野において、過去の文物から現代的、未来的な意味を読み取ってくれることでしょう。楽しみです。

 本当におめでとうございました。また、お話ししましょう!

Amazon 土偶を読む

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2021.11.12

ファッシュ 『様々な楽器のための協奏曲集』

 

 ハン・フリードリヒ・ファッシュは、後期バロックを代表するドイツの作曲家です。

 クーナウの弟子として当時の現場では演奏家として作曲家として大活躍しており、かのバッハもファッシュの作品を写譜したりして、その作曲技法を学んでいたといいます。

 しかし、生前に作品集が出版されることもなく、久しく忘れされた作曲家の一人となってしまいました。ようやく再評価が始まったのは、今世紀に入ってからです。

 その作風は典型的なバロック作品から全古典派風のものまで幅広く、全体として明るくメロディアスであり、時代のニーズに見事に応えたものになっています。

 ここで演奏されている協奏曲たちは、まずそのソロ楽器の編成が実に多様で華やか。これは聴いている人だけでなく、演奏する人も楽しいだろうなあ。

 この演奏の中心になっているのは、ヴァイオリニストの寺神戸亮さん。私もお世話になった方ですが、ヨーロッパの忘れ去られていた音楽を復活させた功績は彼の功績は実に大きい。

 私がこの音源で特に楽しめたのが、18:40から始まる「2本のオーボエ、2本のヴィオラ、2本のファゴットと通奏低音のための協奏曲 ト長調 」。中低音域の楽器が醸す芳醇な響きが魅力ですね。

 バロック期の作品には、まだまだ知られていないものがたくさんあります。それをこうして無料で聴ける時代に生まれた私たちは、もしかすると当時の貴族たちよりもぜいたくなのかもしれませんね。

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2021.11.11

追悼 細木数子さん 瀬戸内寂聴さん

Th_-20211112-84216 和の女傑お二人がお亡くなりになりました。

 細木数子さんと言えば、安岡正篤の晩節を汚した女性とも言われますが、もともと安岡自身かなり霊的な人物であり、半分ヤクザみたいな人物でしたから、実際お似合いだったのではないでしょうか。

 逆に言えば、やはり細木数子さんは、裏で昭和史を動かしていた重要人物であったということになりますね。

 今後、一般的なイメージとは違う側面からの研究対象になっていくでしょう。

Th_-20211112-84344 そして、瀬戸内寂聴さん。こちらもまた昭和の男をずいぶんと動かした女性でした。

 こんなタイミングで書くべきではないかもしれませんが、実は以前、瀬戸内さんに関してちょっとがっかりしたことがありました。

 こちらにちょこっと書いてあります。優しめに書いてありますが、実際は結構ひどかったのです。ああ、お忙しいのだなあと思った次第。

 まあ、そんなところも寂聴さんらしい豪快さ、奔放さなのかもしれませんね。

 かつて寂聴さんの著書について何か書いていたかなと、自分のブログを検索してみましたら、自分でも全く忘れていましたが、「ワタシ(利己)をタワシ(利他)で磨く」といういい話がありました。

『利他−人は人のために生きる』 瀬戸内寂聴・稲盛和夫 (小学館文庫)

 いずれにせよ、細かいことを気にしたり、型にはまって安心したりしない、お二人の女傑が亡くなってしまったことは、なんとも言えず寂しいことであります。

 ご冥福をお祈りします。

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2021.11.10

『竹取物語(全)ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』 (角川ソフィア文庫)

Th_b00a462ksu01_sclzzzzzzz_sx500_ 日から地元の文学講座の「竹取物語」講師を担当しております。

 竹取物語の新しい読みに挑戦いたします。

 基本姿勢は「主人公は竹取の翁」、「かぐや姫の罪とは○○(ナイショ)」。仏教や富士高天原伝説の知識も加味していきます。

 初心者向けの講座ですので、全体を概観しながら、興味を持ってもらうような語り口にしなければなりません。

 そういう意味では、昨日の「武田三代」も素晴らしい入門書でしたが、古典作品に関しては、こちらのシリーズが抜群に良い。

 この竹取も、私の珍説を必要としないくらい(?)面白い。入門者ではなくとも勉強になります。

 このシリーズの特徴は、「著者」が特定されていないところです。角川書店の編集部ということになっている。

 そうすると、ある意味書きたいことが書けるわけですよね。責任取らなくてよいので(笑)。

 普通はその道の専門家、研究者に解説や訳を任せるわけですが、そうするとどうしても固い世界になってしまう。教科書的というか。

 それこそ、雑誌やムックの記事のように書くことができるわけですし、読む方のマインドもちょっとカジュアルになる。

 堅苦しい「古典」の世界がかなり身近に感じられるわけです。だから眠くならない。

 それならばいっそ、「武田三代」のように写真や図版もじゃんじゃん入れてもいいのかもしれませんが、そうすると「文庫」としてのコンパクトさと矛盾してしまうので、まあしかたないでしょうかね。それはまた違う企画でやればよいのか。

 今回、講師を引き受けるにあたって、あらためてこの本を通読してみましたが、やっぱり面白かった。これを超える面白さを目指そうと思いました(けっこうハードル高い)。

Amazon 竹取物語(全)

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2021.11.09

『信虎・信玄・勝頼 武田三代』 平山優 (株式会社サンニチ印刷)

Th_914r5ocaqql 日記事にした「武田三代 信虎・信玄・勝頼の史実に迫る」のあとがきで、「初学者向けのムック本」として紹介されているこの本(&地図)を入手しました。

 まさに初学者である私は、先にこちらを読めば(眺めれば)良かったのかもと思いつつ、いやいや、映画→新書→ムックという順番は案外良かったかもしれません。

 ここのところ、山梨と静岡を行ったり来たりしておりまして、明日はまた藤枝市の方に行かねばなりません。

 今まではなんとなく通り過ぎていた場所が、武田氏三代にとって重要な場所であったということを知り、毎週のドライブの価値が変わりそうです。

 そう、このムックの素晴らしいところは、特別付録「保存版 武田三代 特大史跡マップ」が付いてくるところですね。

 ちょうど私の行動圏がすっぽり入る感じですから、これから一つ一つしらみつぶしに回ってみようかと思っています。

 歴史学習においては、時間を超えた「場」の空気というのが、実に重要ですよね。

 先程まで地元の公民館で文学講座「竹取物語」をやってきました。そこでたっぷり話しましたが、これからの歴史・古典研究は、直接「本人」たちからメッセージを受け取ることが大切なのです(けっこうマジ)。

 さてさて、このムックを一通り眺めて、やはり気になったのは、郡内小山田氏です。最後勝頼を裏切り、まさに武田三代に引導を渡す役割を果たしてしまった小山田ですが、同じような役割を果たした穴山氏とは対照的に、その後信長にお家を取り潰されました。

 ある意味利害で自らの立場をころころ変える風見鶏的な振る舞いは、現代の郡内人の一部の人々にも残っているように感じます。

 歴史や文化は、その土地の風土に根ざしたものですから、まあ当然と言えば当然であり、いくら表面的に文明が進歩しても、なかなか変えられないということでよすね。

 だから、歴史や古典、民俗学などは面白いのでしょう。

Amazon 信虎・信玄・勝頼 武田三代

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2021.11.08

備えよ「富士山大噴火」火山灰の脅威は首都圏にも

 

 「士山はいつか必ず噴火する」…そりゃあそうでしょう!w 100%当たる予言ですね。

 「いつ起きてもおかしくない」は、半分正解、半分不正解です。明日は起きるかもしれませんが、今日はたぶん起きません。前兆が全くないからです。

 ちなみに火山灰での車の運転の練習だとか、フィルターの準備とか、まあしないよりはましですが、宝永級の大噴火が起きたら、ほとんど意味ないでしょう。

 特に東京は完全に都市機能停止でしょうね。火山灰も遠いだけに細かいものが多く、雨でも降れば全てがコンクリート状態。車とか電車とか飛行機は、単なる巨大な箱(ゴミ)と化すでしょう。

 ほんの1センチ雪が積もるだけで大混乱するくらいですから、もし火山灰が10センチも積もったら完全にお手上げです。復旧にも相当時間がかかるでしょう。下手すれば5年くらいかかる可能性も。

 番組で言われているように、交通機関だけでなく、やはりコンピューターがダメですね。それ以前に電線が切れて大規模停電が起きるでしょう。水もダメ。東京で近代的な生活は不可能になります。

 そう、近代化してから、私たちは富士山噴火を体験していないのですよ。だから予測もできない。

 宝永の噴火の前も、実は200年ほど噴火がストップしていました。そして、まず宝永の南海トラフ巨大地震が発生。その後富士山が大噴火を起こしました。

 おそらく次回もそのパターンでしょう。まず南海トラフ巨大地震が発生。そして富士山噴火。

 逆になることも想定しておかねばなりません。宝永の時も、巨大地震の数年前から富士山の鳴動があったと記録されています。

 いずれにせよ、前兆があるということです。

 富士山に住む者として、当然その前兆を捉えるように努力をしています。その一つが日々のラドン濃度の計測。ここ数日上昇傾向ですが、これはいつもの波、富士山の呼吸のレベルです。

 とにかく、毎日富士山と対話することですね。もう20年以上も富士山の懐に抱かれて生活していますので、それなりに富士山のご機嫌がわかるようになっています…なんて、それも人間の驕りでしょうかね。

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2021.11.07

サルヴァトーレ・ランゼッティ 『チェロ・ソナタ集』

 日は素敵なチェロ・ソナタを紹介します。

 ランゼッティはバロック後期にイタリアで活躍した名チェリストです。とは言え、彼の存在が注目されはじめたのは本当に最近。忘れられていた音楽家の一人です。

 彼が作曲した多くのチェロ・ソナタは、なかなか魅力的です。バロックから古典派への過渡期ということで、和声的な新しいチャレンジが随所に聞かれます。

 また、この時代はヴィオラ・ダ・ガンバからチェロへの移行期に当たるのですが、ガンバの高音の美しさを聴き慣れた人々はチェロにも高音の美しさを求めました。

 有名なボッケリーニなどもそうですが、高音で歌わせてるパッセージが多出するんですね。そのあたりがヴィヴァルディやバッハのチェロ作品と大きく違うところです。

 そういう意味では、ヴァイオリンよりも早く超絶技巧が当たり前になってしまいました。現代のチェリストにとっても、このランゼッティは決して楽な作品ではありません。

 まず1曲聴いてもらいましょうか。「Six Solos after an Easy & Elegant Taste for the Violoncello」から第5番の第1楽章です。タイトルにある「easy」は「簡単」「平易」では(絶対)ありません。けっこう超絶技巧ですから。つまり、これは気分的な「ゆったりした」程度の意味でしょう。

 まさに「ゆったりとして優雅」なメロディーが展開されますよ。

 

 大変美しいですよね。ちょっと現代的なポップささえ感じます。

 そして次の楽章がまた良い。元気なパストラーレです。これもまた新しいセンスですよね。チェロの魅力が爆発しています。

 

 

 もし気に入ってもらえたようなら、ぜひ全曲どうぞ。良きBGMになりますよ。

 

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2021.11.06

『家族ゲーム』 松田優作主演・森田芳光監督作品

Th_640 田優作の三十三回忌。この映画を久しぶりに鑑賞。

 松田優作のすごさはもちろん、改めて森田芳光作品の魅力にすっかりやられてしまいました。

 ちょうど昨日、この映画の4K版が東京国際映画祭で上映され、宮川一朗太さんはじめ出演者の皆さんがトークしたようですね。

 この映画が公開された1983年、私はちょうど大学に入学しました。全く同年代の映画ということで、当時劇場で観た時には逆にあまりピンと来なかったのですが、あれから40年近く経って、昭和のあの時代を歴史として見ることになり、改めてこの作品の「時代性」を痛感しましたね。

 特に、学校、先生、生徒、受験…戦後教育の象徴のようなシーンの連続には、懐かしさに加え、ある種の不快感さえもおぼえるのでした。

 この最後の晩餐を思わせる食卓シーンが特に有名ですけれど、その他のシーンでも、のちに語られるであろうその時代の時代性を象徴的に切り取ることに関して、森田監督は天才的な才能を発揮していますね。

 繰り返しになりますが、その時代の中にどっぷり浸かっていた私には、ちょっとした日常の延長の(面白い)ドラマ程度にしか感じられなかったのです。

 松田優作さんはもちろん、その他の役者さんにも、そういう力があったのでしょうね。日常的に、単に自然に演技しているだけでは、こういう普遍的な時代性は描けないでしょうから。

 松田優作の1983年。龍平くんが生まれ、美由紀さんと結婚した年です。不思議なもので、最近ウチのカミさんが美由紀さんと仲良くしていまして、私もそれに便乗して、1983年の松田優作の話などを直接聞く機会がありました。

 私たちファンが知っている優作の魅力なんてものはほんの一部であり、常に一緒にいた人でさえ語りきれない奥深さ、幅広さがあるということだけはしっかり理解できました。

 そんな話も聞いた上で、この映画を鑑賞できる日が来るなんて、それこそ38年前の私は想像すらしませんでした。人生は面白いですね。 

 そういえば、先日鑑賞した「信虎」の金子修介監督は、この映画で助監督を務めるとともに、クボタ書店の店員として出演しております。

Prime Video 家族ゲーム

 

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2021.11.05

美輪明宏「 目に見えるものは見なさんな」

Th_-20211106-103824 BSテレ東の「武田鉄矢の昭和は輝いていた 孤高のアーティスト美輪明宏2時間スペシャル」は、実に見応えありましたね。

 芸能生活70年!その「戦い」に溢れた人生は、モノすごい説得力をもって私たちに迫ります。

 また「ヨイトマケの唄」で泣いてしまった。毎度泣けちゃうんですよね。

 まあ、それにしても濃い時代でしたね、昭和は。今の男たちはどうなっちゃったんでしょう(自分も含めて)。

 さてさて、そんな美輪明宏さんの人生訓が端的に表明されているインタビュー動画がありますので、ここに紹介いたします。

 RED Chair 美輪明宏「目に見えるものは見なさんな」完全版

 テキストの記事はこちら

 「理解に苦しむものはみんな化け物扱い」…これはまさに私の「モノ・コト論」でいう「モノ」ですよね。逆に「理解できる」のは「コト」。その象徴が「コトノハ」。古来の日本語はそうだったのです。

 美輪さんという化け「モノ」は世間の「コト」と戦ってきた。ようやく時代がモノに追いつき、かつての偏見の一部は「コト」として万人に認められるようになってきたということです。

 この「モノ」が「コト」に変化するところに「トキ」が生じます。そういう戦いのない人生は、すでに「コト切れている」わけで、実際は死んでいるのでしょう。

 肉体(脳ミソ)がコト切れるまでは、せめて私も戦い続けたいと思いました。

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2021.11.04

『武田三代 信虎・信玄・勝頼の史実に迫る』 平山優 (PHP新書)

Th_51ft5ffhal_sx299_bo1204203200_ 日紹介の映画「信虎」の考証を務めた平山優先生の最新刊。

 映画を観てから読んだので、いろいろとイメージしやすかった。

 昨日も書きましたとおり、私は静岡出身でありますが、両親ともに武田の家臣の家柄であります。

 そんな私が、流れ流れて(?)甲斐国の住人になったこと、富士山周辺の歴史と霊的につながったこと、臨済宗妙心寺派や諏訪神社と不思議なご縁ができたことなどなど、やはりご先祖様の意図が今につながっており、どこか動かされているなということは否定できません。

 でありながら、今まで本当に武田氏については不勉強で、全くの無知でありました。それは、山梨県の中でも武田信玄びいきの国中地方ではなく、北条や今川、さらには最終的に謀反した小山田氏の影響の残る郡内地方に住んでいるからかもしれません。

 しかし、最近ようやく自分の中の血が騒ぎ出したか、急に武田氏三代に興味が湧いてきたのです。まさに遅れ馳せですが(苦笑)。

 そんな折に公開された「信虎」。そして、そのベースとなったとも言えるこの「武田三代」の刊行。実にタイムリーな情報として有り難く勉強させていただきました。

 この本も、映画「信虎」と同様に、非常に多くの情報が詰め込まれていますが、それがやはり大きなストーリー(物語)の中に上手に配置されているので、すんなり頭に入っていきます。

 だいたいこの手の本は、メモリー不足の私の脳ミソにフリーズを引き起こすのが常ですが、この本はそんなことはなくスイスイ読み通すことができました。

 生活の中で親しんだ甲駿相の土地(景色や地名)が、実はドラマの舞台だったりすることも多く、そういう意味でもイメージがしやすかったのでしょうね。

 さてこれをスタートに、ワタクシ得意の霊的歴史研究に「戦国時代」が加わることとなりそうです。またまた楽しくなりそうな予感。まずはこの本を元にフィールドワークしてみます。

Amazon 武田三代

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2021.11.03

映画『信虎』 宮下玄覇・金子修介監督 寺田農主演作品

Th_2021100100000095nataliee0001view 日は武田信玄生誕500年の記念すべき日。お誕生日おめでとうございます。

 というわけで…実はちょっと前になるのですが、関係者にお誘いいただき、この年を記念して制作された映画「信虎」を鑑賞してまいりました。

 信玄のお父さん「信虎」。これが実に面白かったあ。正直期待以上でありました。今まで観た映画の中でも間違いなくベスト10に入る!

 まず最初に一言。主演の(私の大好きな)寺田農さんが素晴らしすぎた!重み、軽みを自在に操り、時代に動かされ、時代を動かしていった武田信虎になりきった、まさに怪演。本当に稀有な役者さんですよ。

 役者の演技にここまで惹きつけられたのは本当に久しぶりでした。

 

 信虎さん、息子や孫の影に隠れがちですが、実は豊かな感性と知性と、そして○○(ネタバレになります)を持ち合わせていた人物として、魅力的に描かれていましたね。少なくとも旧来の極悪非道な…という汚名は返上できたのではないでしょうか。

 そうした全体の基盤としての企画、脚本、監督その他の「技」や「思い」が、寺田さんらの怪演を生み、傑作を作り出したのでしょう。

 平山先生の時代考証が素晴らしかったというのも大切なポイント。見応えありすぎ。ある意味やりたい放題(笑)。思い切って細部は文字情報(テロップ&ナレーション)で伝えたのも良かった。

 ある意味情報過多な2時間15分であるはずですが、そんな印象は全く残りません。武田氏の歴史にそれほど詳しくないワタクシ(実は武田氏の末裔なのですが)でも、しっかり理解し、楽しむことができました。

 池辺晋一郎さんの音楽も良かったなあ。しっかり総合的なエンターテイメントになっていましたし、結局のところ宮下玄覇さんがすごいということでしょうか。恐らく感性のスケールがめちゃくちゃデカいのでしょうね。あと思い入れの強さ。

 疑問点や不満点が全くなく見終わった映画は本当に久しぶり。これはもう一度観に行かねば。全国でのロードショーは11月12日からです。皆さんもぜひ!

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2021.11.02

五感で語る富士吉田市と富士山の魅力

 

 年の今ごろ、こちらの動画で共演させていただいた、人気フランス人YouTuberギギさんの新作動画がまた素晴らしい!

 五感を通して語る富士吉田、富士山の魅力。

 嗅覚…大正寺さんのご住職。大正寺は志村正彦くんが眠るお寺です。

 触覚…我が富士学苑中学校の柔道部員。先日先輩が世界一になりました。日本一の次は世界一を目指してほしい。

 聴覚…明見温泉のご夫妻。明見は富士高天原伝承の地、宮下文書のお膝元です。

 視覚…キャラ弁マスターのMさん。食べ物ですが味覚ではなく視覚というところが日本ですね。

 味覚…西裏のみぃちゃんのマスター。最近行ってないなあ。コロナも収まってきたので行かねば。

 ギギさんの動画のクオリティーは非常に高く、実際再生回数は数十万以上になります。コメントを見てもいかにギギさんが日本、特に富士吉田の紹介に大きな貢献を果たしているかがよくわかりますね(フランス語を自動翻訳して読んでます)。

 かつてのように、富士吉田へ、富士山へ世界中の方が来てくれる日が戻ってくるのを楽しみにしています。その時には、富士吉田でスペシャルなモノを提供する予定です!

 日本の皆さんもぜひ富士北麓へおいでくださいませ。お待ちしております。

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2021.11.01

Lacaille と karabiner-Elements で親指シフト

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 て、昨日Mac miniを紹介しましたが、新しいMacを導入した際、最初にやらねばならないのが、自分専用の種々の設定です。

 その中でも最も重要なのが、キーボード入力の設定です。

 私は35年来の親指シフターであります。親指シフト入力をご存知ない方はこちらの記事をどうぞ。

「気持ちよく日本語が書ける」伝説の入力方式 親指シフトを激しくオススメされてきた

 そうそう、今年とうとう富士通純正の親指シフトキーボードが販売終了になっちゃったんですよね。

 それでも、私たちはそれほど困ることはありません。

 私も実際、普通のAppleのMagic Keyboard(JIS)を使って親指シフト入力をしています。

 つまり、専用のソフトを使って自分好みの配列に変更するわけです。

 私の設定はこういう形です。

 ・左親指は「英数」、右親指は「スペース」

 ・「かな」をリターンに、右コマンドを「かな」に変更

 長年やってきて、たどり着いた自分好みの設定がこれでして、今もこの記事をこの配列で打っています。

 まず基本的な親指シフトへの対応と親指の設定はLacailleというソフトを使います。本当に素晴らしいソフトです。

 さらに「かな」と「右コマンド」の変更はkarabiner-Elementsというソフトを用いて行います。

 それぞれBig Surでもちゃんと動きますので、本当に助かっています。

 一つ注意しなければならないのは、純正Apple Magic Keyboard(JIS)を使う際、karabiner-Elementsの設定のVirtual keyboardタブで、Country codeを日本の「45」にしないと、USキーボードとして認識されてしまい不具合が生じる点でしょうか。これに気づくのにちょっと時間がかかりました。

 いずれにせよ、親指シフトですと、本当にピアノを弾くかのように(実際和音を弾くように二つのキーを同時に打鍵する)快適に文字入力することができます。

 私もかなりのベテランですので、だいたい1分に120字以上、気合い入れれば(競技モードに入れば)150字打つことができます。

 今私の仕事はある歴史的な手書きテキストを文字データ化することなので、この入力方法は非常に有効です。本当に親指シフトで良かった!と思う今日この頃です。この日のために親指シフト修行をしてきたのかなとさえ思うのでした。

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