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2021.10.13

Clarence Gatemouth Brown 『Leftover Blues』

 

 日はUKのプログレッシヴなブルースを紹介しました。ある意味どこがブルースなんだという曲でしたね。

 今日はコテコテのブルース。そして、エレキ・ヴァイオリン、いやエレキ・ヴィオラも登場しますよ。

 クラレンス・“ゲイトマウス”・ブラウンはブルースの帝王。彼自身はそう言われるのを嫌いましたが、間違いなく帝王ですよね。

 たしかにカントリーの影響も多大で、その証拠に彼はフィドラーでもあります。完全にカントリー・フィドルのテクを持っています。

 この動画でも分かるとおり、彼のギターやヴィオラの弾き方は、クラシック的なスタンダードからかなりかけ離れています。もちろん、それで良いし、それだからこそ、この味わいが出るわけですね。

 楽器の世界でも、スポーツの世界でも、その他抽象的な学習においても、とにかく「教育」が「個性」や「自由」を奪ってしまい、いかに「味わい」がなくなってしまっているか。

 私なんて、かなり自己流の弾き方をしますので、どちらかというと「味わい」の世界に近いかもしれません。プロの方々が修正しようとしても、なかなか変りません。もう諦めています。その方がいいのかなと。

 楽器から学ぶというか、こちらが楽器をコントロールしようとするのではなく、楽器にこちらがコントロールされるというのが正しいような気がしているのでした。

 それにしても、このゲイトマウスのヴィオラ演奏は素晴らしいですね。私とかぶるのは、ヴィオラだからこそ、人間の声、喋りを模しているところです。私の宴会芸の一つです。

 日本語は高低アクセントなので、実はこれがやりやすい。おそらくかつても胡弓などで遊んでいたことでしょう。そういうためにも、フレットはない方がいいのです。人間の喉にはフレットも鍵盤もありませんからね(笑)。

 フィドル系の人たち、みんな弓を短く持ちます。それは現代の弓が長く重すぎる(重心が遠すぎる)からです。バロック・ヴァイオリンでも短く持ちますが、本来弓を弦に押しつける必要はなかったのです。

 近代になって、まさに楽器を征服するような弾き方になり、またそれに耐えられるようにスチール弦が発達してしまいました。

 ちなみにシルク絃だと、ガット以上に弓を浮かさないと音が出ませんよ。それが面白い。

 というわけで、私にとっての理想のボウイングは、このゲイトマウスとグラッペリのそれなのです。

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