« 2021年9月 | トップページ | 2021年11月 »

2021.10.31

Mac mini(M1)

Th_-20211104-64846 Macの新品を買うのはいったい何年ぶりだろう。

 今年度からは学校現場を離れ、実家や自宅でパソコン仕事をする機会が増えました。

 そのうちの一つが出版に関わる仕事。

 文字の入力からDTP的なことまでこなさねばならず、MacBook Proの13インチの画面ではかなり手狭でしたので、夏前に27インチの外付けディスプレイを購入しました。

 それで問題なくやっていたのですが、本体のMacBook Pro(2012mid)が妙に熱を持つようになってきまして、さすがに10年近く第一線で頑張ってくれたので隠居してもらい(というか、本来のノートブックとして持ち運び専用にし)、新しいMac miniを導入することにしました。

 動画編集など重たい仕事は全くしませんので、一番安いやつ、M1プロセッサー・メモリー8GB・ストレージ256GBを24回分割払いで購入いたしました。

 うわさどおりM1は軽快ですね。軽いアプリしか使わないので、動作は10年前のMacBook Proとの差を感じませんが、なにしろ起動と終了の速さに驚きました(笑)。

 静かだし熱くもならない。拡張性も必要十分。miniというイメージよりは少し大きめですが、モノとしての質感、存在感はちょうどいい。

 お値段もこの最低スペックヴァージョンはお手頃です。メモリーやストレージを増設すると割高になります。実際、MacBook Proではメモリーは16GBまで増設していましたが、こちらは8GBで十分ですね。ストレージも今やほとんどクラウドで事足りますし。

 というか、10年経ってもバリバリ現役のMacBook Pro2012がすごすぎるなと改めて思った次第です。いよいよ(ようやく)新しいOSには対応しなくなってしまいましたが、それでもまだまだ当分現役で頑張ってくれるでしょう。ちなみにウチには現役バリバリのMacBook Pro2012midが3台あります(笑)。

Mac mini

| | コメント (0)

2021.10.30

ウイルスの事情

Th_-20211031-72638 んな記事が。

ゲノム変異、修復困難で死滅?コロナ第5波収束の一因か

 おそらくウイルス側の事情としては、これが正しいのでしょうね。

 以前、私もこんな記事を書きました。

「気の緩み」のおかげ?…コロナ禍収束か?

 もちろん、ウイルス側も新たな変異によって対応してくる可能性もありますが、上の記事にも書いたとおり、ウイルスの最終目的は人間との共存ですので、基本人間の攻撃性が高くならない方向で進化していくと思われます。

 残念ながら…と言ってよいか…主導権はウイルス側にあるのですね。

 ちなみにウイルスにとって、ワクチンの存在というのは、そもそも想定済みです。ワクチンという概念ではないかもしれませんが、自らの増殖を妨げようとするモノやコトの存在を前提として変異していきます。

 ウイルスが生物か無生物かは議論のあるところです。しかし、そこは本質ではありません。その変異、進化に「意志」が働いているのは、我々人類などと同じです(ダーウィンさんスミマセン)。

 宇宙的視点から見た時、このコロナ禍もまた違った景色となって現れるのでした。

| | コメント (0)

2021.10.29

重力蓄電&発電

Th_unknown_20211031071801  コットランドのGravitricity社が開発中の重力蓄電が面白い。

 実はこれ、なんとなく子供の頃から気になっていたのです。つまり、宇宙的には常識だったのでしょう。

 今でも富士山という高所に住んでいるため、日々重力の強さを感じて生きております。この高低差を利用できないかと。

 Gravitricity社は余剰エネルギーを使って、重りをつりあげておき、不足するときにその重りを下ろすことによって発電するというシステムを開発中です。

 超アナログな蓄電方法「重力蓄電」が今注目される理由

 

 


 で、私の宇宙の記憶からしますと、これをさらに発展させて余剰エネルギーの再利用ではなく、純粋に発電をすることができるのです。

 そんな夢のような、おバカなことを…と一笑に付すことなかれ。

 そう、エネルギー保存の法則を地球上だけで考えるから無理だということになってしまうのですよ(ますます怪しい?)。

 私の母国ならぬ母星では、宇宙空間の物質を重力で引き寄せることによって多大なエネルギーを得ているのです。

 まあ簡単に言えば、地球に隕石が落ちてくる時の、あの膨大なエネルギーを緩徐的に利用するわけです。

 それをどんな技術を使って実現しているかは、今から未来の記憶を思い出します(笑)。

| | コメント (0)

2021.10.28

松田聖子 『瑠璃色の地球 2020』

 

 日NHKで放送された「松田聖子スペシャル完全版」は、本当にすごかった〜。大御所があれだけ魅了されてしまうんですから、そりゃあ私が聖子フリークになるのはしかたない。

 そう、なんだかんだ言って、私にとっての永遠の歌姫 松田聖子。

 高校時代、本気で結婚したいと思っていました。富田靖子とどっちにしようかなと。やばいですね(笑)。

 私にとってアイドルであると同時に、ちょっと年上のお姉さん的憧れや尊敬の対象でもありました。

 それは今でもそうです。なにしろ、還暦近いのにまだまだフルスロットルですからね。番組を見て、私も頑張らねば!と思いましたよ。

 番組でもとり上げられていた「瑠璃色の地球」。私にとっては格別に思い出深い曲です。

 大学4年の時ですかね、アコースティック・バンドでオール聖子ちゃんプログラムのコンサートをやったんです(私はヴァイオリンを担当)。そこでこの曲を演奏した。発売直後ですから、私も演奏しながらこの曲の魅力にすっかりやられた記憶があります。

 作詞の松本隆さんはもちろん知っていましたが、作曲の平井夏美さんって女の人かなと思っていました。のちに知ったその正体はこちらに書きました。

 そして今、コロナ禍のもとで聴くこの曲は、また当時とは違った意味で感動を与えてくれます。聖子さんの歌声も、年を経てより深くなっています。

 もちろん往時の艶や輝きとは比べるまでもありませんが、その時々をたくましく生き続けてきた聖子さんの存在感はいつでも唯一無二です。

 コロナが落ち着いたら、久しぶりにコンサートに出かけてみたくなりました。よし、行くぞ〜!

| | コメント (0)

2021.10.27

C.F.アーベル 『ヴィオラ・ダ・ガンバ組曲』

 

 日に続きアーベルの作品。

 アーベル親子はヴィオラ・ダ・ガンバの名手でした。特に息子アーベルは時代遅れとなりつつあったヴィオラ・ダ・ガンバの為に、ほとんど最後の名曲たちをたくさん作曲してくれました。

 面白いもので、それらの曲は、たとえば昨日紹介したソナタなど、ガンバ以外の楽器の為に書かれた曲と比べると、どちらかというと古い様式で書かれています。

 やはり父から受け継いだ古き良き文化を愛し、またそれを受け継いで残していこうとい意志があったのでしょう。

 最近、アメリカの音楽市場や日本の音楽市場で一世代前の、たとえば70年代、80年代の様式が復活しつつあるのと同じ現象かもしれませんね。

 とは言え、もちろん新しいアイデアも散りばめられていますし、組曲と言っても、父の時代のようなアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグなどは登場せず、のちの古典派にも残ったメヌエットがフィーチャーされていますね。

 それにしても無伴奏のこれらの組曲、テクニック的にはかなり難しいですよね。現代のガンバ奏者にとっても、貴重な挑戦の機会となっています。

 私も近くガンバを弾き始める予定です。いつかアーベルにもチャレンジしてみます。

| | コメント (0)

2021.10.26

C.F.アーベル 『鍵盤とヴァイオリンのためのソナタ』

 

 用で忙しくなったので、軽めに楽曲紹介をします。

 アーベルの作品2より1番です。

 アーベルはもっと評価されていい作曲家の一人ですね。お父さんアーベルは、バッハの同僚でヴィオラ・ダ・ガンバの名手でした。バッハのガンバ・ソナタはお父さんアーベルのために書かれたと言われています。

 そして息子アーベルは息子バッハ(ヨハン・クリスチャン)とイギリスで一緒に活動しました。その息子アーベルは優れた作曲家であり、若きモーツァルトに多大な影響を与えました。

 このヴァイオリン(またはフルート)の伴奏付き独奏鍵盤ソナタというジャンルも、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ(と呼ばれるヴァイオリン伴奏付きピアノ・ソナタ)につながって行きます。

 息子アーベルもまた、当時はすでに時代遅れになっていたであろうヴィオラ・ダ・ガンバの名手でした。そして、ガンバのためにも非常に魅力的て作品を残しています。それは明日また紹介しましょうか。

 この作品2の1番も、とてもチャーミングな曲ですね。そして、この演奏ではタンジェント・ピアノが使用されています。小さな木片で弦を弾く楽器ですね。チェンバロからピアノへの過渡的な楽器ですが、独特の繊細さと味わいがあり、これはこれである意味完成された楽器であるとも言えそうです。

| | コメント (0)

2021.10.25

Simplenote

20211020-100255 っとお世話になっているメモアプリ。

 Mac、iPhone、Windows、Android、Kindle…なんだかんだいろいろなOSのデバイスを使っているため、このアプリがないと仕事になりません。

 なにしろ、名前のとおりシンプルで良い。たまたま手にしていた端末で、思いついたらどんどんメモしていきます。

 先日どういうワケか(おそらく寝ぼけてミスタッチした)、非常に重要なメモが上書きされてしまっていましたが、履歴・復元機能で見事復活。助かった〜。

 これが無料だなんて、本当にありがたい。さすがAutomattic社。いまや稼ぎ方も変わってきています。

 私もいろいろなことを無料で提供しておりますが、不思議と回り回って帰ってくるんですよね。

 もちろん、こんな重要な情報(思いつき)を他人様に預けていいのかという疑念もないではないのですが、まあそれが漏れたり、どこかで利用されたとしても、それもまたシェアのあり方ということで(笑)。

 お日様はじめ、自然界から多大なシェアをいただいていますからね。

Simplenote

| | コメント (0)

2021.10.24

NHKスペシャル 「メジャーリーガー 大谷翔平〜2021 超進化を語る〜」

Th_n91q339vxpeyecatch_d6e0e28dc39775004a 日紹介した大人の修学旅行、夢のような充実した24時間が終わりまして、皆さん富士山から故郷へ帰っていきました。

 私もたくさんたくさん学ばせていただきました。たった24時間でもこれだけ人は他者から学ぶことができるのですね。

 さて、余韻さめやらぬ中、テレビをつけますとちょうど大谷翔平の特集番組が始まりました。

 24時間進化モードに入っていた私に、大谷翔平の「超進化」の様子は、いつもとはまた違った意味をもって訴えかけてきました。

 これもまた、大人の修学旅行(富士山合宿)の効果ですね。見える世界が変わる…。

 大谷翔平の存在は、今後の人類の進化を象徴していると思います。

 旧来の、たとえば二刀流は無理だというような常識を破り、新しい可能性を見せてくれる姿。そこには、実は旧来の「努力」も必要ですし、ある意味「根性」も必要。そして、新たなサイエンスやテクノロジーの導入も必要。

 実はこういうことが最もできていないのが、旧来の「学校」であり、「これは無理」という悪しき「常識」を植え付けるのもまた旧来の「学校」なのです。

 もちろん、大谷も普通に「学校」に通っていたわけですから、一概に旧来の「学校」が悪いというのではありません。

 しかし、この番組でも実感された方が多いと思いますが、やはりお父さんの存在、それぞれのチームでの監督の存在、特にエンゼルスのジョー・マドン監督の存在は大きいですね。

 いわゆる先生だけが教育者ではありません。まずは学校の先生がそのような意識を持つべきでしょう。また、先生自身が他から学ぶ姿勢を持たねばなりません。

 学校の現場から少し距離を置き、遅ればせながら「社会」に出て(なにしろ幼稚園から半世紀以上ずっと「学校」にいた)、ようやく学校の壁を超えて世界から学ぶことができるようになりました。

 また、「反面教師」として、旧来の「学校」の問題点、また良い点をシェアしていきたいと思っています。

 大谷翔平に対しても、ただ「すげえなあ」だけでなく、近くて遠い「師」として注目し、そこから何かを学びとっていきたいと思います。

 変化、進化していくことを楽しむ。守りに入らず攻める。数字や記録にこだわらない。まず「今」に集中する。簡単なようで難しいですよね。

 このタイミングでこの番組を観ることができて良かった。世の中には無数の「師」がいます。いや、自分に出来ないことができる全ての人は、自分の「師」となります。つまり、全人類、いや動物も植物も物質でさえも、自分以外全てが「師」となりうるのです。

| | コメント (0)

2021.10.23

大人の修学旅行(富士山合宿)

Th_img_8239 年度から既存の「学校」と距離を置きまして、新たな教育システムの設計のプロジェクトを始めています。

 そんな試みのうちの一つが、この「大人の修学旅行」。

 大人になっても学びたい!自分の知識、経験、技術を誰かに伝えたい!

 社会全体が「学校」になり、いつ誰でも先生にも生徒にもなれる…そんな最終目標のためのささやかな実験です。

 とは言え、この修学旅行(合宿)は、このような目的で私が呼びかけて始まったのではなく、本当に自然発生的に生まれました。

 初めての開催は8月でした。それ以来、11月中の予定まで含めますと、のべ50名以上の「大人」の参加が得られました。

 実はその参加者のほとんどは初対面の方々。日本中からおいでになります。

 1泊2日。内容ですが、富士山聖地フィールドワーク、私のお話、そこから(飲みながら)のセッション、音浴、スペシャルゲストのお話などなど。

 お話の中身などは、集まったメンバーによって、その「場」で決まっていきます。お互い未知の複数のグループが一緒になることもあり、その過化学反応がまた面白く、そこから新しいプロジェクトが生まれたりします。

 今日明日は三重の方から女性グループがおいでになります。いったいどんな展開になるのか、楽しみですね。

 今までの参加者の皆さんは、この旅行(合宿)を通じて新たな人生が開けたと言います。私もいろいろ学びがあり、開催のたびに進化している自分を感じることができます。これぞ理想の「学校」ですね。

 費用は宿泊・食事の実費のみ。参加者4名以上集めていただければ、どなたでも参加できます。あるいは個人でも他のグループに飛び入り参加可能ですよ。

 決して怪しい宗教でもなく、何かを売りつけるようなマルチ商法でもありません(笑)。基本、私は「場」を提供するだけです。

 これからは、私が出向いての出張合宿も開催していきます。富士山に来るのが難しい場合は、それぞれの土地で企画していただき、宿泊費と交通費だけ負担していただければ、どこにでも飛んでいきます。

 ご興味がある方は、こちらからメールをどうぞ。

| | コメント (0)

2021.10.22

バッハ 『アルビノーニの主題によるフーガ BWV 951(a)』

 日はバッハの地味な曲を一つ。

 地味ですが、バッハにとっては思い入れがあったようです。というのは、何度も手を加えているのですね。

 テーマはアルビノーニの作品1のフーガからの借用です。まず、その原曲を聴いてみましょう。シンプルですが魅力的なフーガ楽章です。

 

 

 アルビノーニのこのテーマ、お聴きになってわかるとおり、半音の下降進行があって特徴的です。

 マニアックなバッハとしては、この半音進行の部分が気に入り、対位法から生まれる和声の多様さの追求をしたのでしょう。

 つまり、演奏するためというよりは、作曲自体が目的であったと。

 では、まず初期稿を聴いてみましょう。BWV 951です。

 

 

 はい、では後期稿として残っているより複雑化したものを聴いてみましょう。BWV 951aです。楽譜はこちら

 

 

 実はこのあとも何回も細部を書き換えているらしい。なかなか理想の形に至らなかったのか、あるいは新しい流行や発明を取り入れて実験的に進化させていたのか。バッハの気持ちを考えると面白いですね。

 そして、だんだんやり過ぎになっていくのがバッハの悪いところです(笑)。結局アルビノーニのオリジナル版が一番良かったりして。

| | コメント (0)

2021.10.21

ショパンコンクールに思う…原智恵子の自伝より

Th_202110210000459w1300_0 晴らしいニュースが入ってきました。ショパン国際ピアノコンクールで、反田恭平さんが2位、小林愛実さんが4位入賞という快挙!

 今回のショパコンはコロナで1年延期されたということもあり、また、長女のサークルの先輩角野隼斗くんや、友人のピアニストのお弟子さんが参加していることもあって、今までよりも興味深く拝聴しておりました。

 たしかに、反田さんと小林さんの演奏は素晴らしかったと思います。音楽の生命感というか、ショパンが現代に生まれ、現代ピアノを弾いたらかくあらんと思わせる演奏でした(お世辞抜き)。

 さて、ショパコン2位は50年前の内田光子さん以来だと報じられていますね。実は我が家にそれを疑うに足る資料があるのです。

 それは、1937年のショパンコンクールに、日本人として初めて参加した原智恵子の未発表自伝の原稿(1940?)です。仲小路彰邸で見つかりました。

 その一部をここに活字化して紹介させていただきます。

 …やがてコンクールの最后の決定が発表され、私は二等を得ました。けれどもこのことについてはいろいろとゴタゴタしたことがありました。ちょうど、その頃聴衆の方でも非常にいろんな意見を申し立てるせのですから、面白いことが起りまして、いちばん初めにはルールの十二番目が私の位になっていたんですが、聴衆が非常にやかましく、不正だと言って聴衆の方から騒ぎ立てたものですから、また特賞といふものを戴いて、それでようやく事が収まったのでした。

 たしかに「二等」とあります。のちに「十二番目」と言っていますので、書き間違いなのかとも思いますが、結局特賞が二等相当だったと原智恵子は言いたかったのかもしれません。

 これに関していちおう公式では、第3回の1位2位はソ連人。原智恵子が賞に漏れたことに対し聴衆が騒いで、結局翌日に特賞が与えられたこともたしかです。

 当時、東洋人に対する偏見は相当強かったようで、実質的には智恵子は2位だったということも、まあその当時言われたのかもしれません。まあ、そのあたりは今後よく調べる必要がありそうですね。

 それはさておき、原智恵子の自伝で心に残るのは、コンクールのまた別の価値です。これはおそらく今回のコンクールでも一緒だったのでないでしょうか。引用します。

 最后の決定も終って、みなそれぞれがディプロマを貰って帰ってゆきます。そのころには一ヶ月か二ヵ月くらい毎日のように顔を合せていましたから、いつしかお友達になり仲よくなって結婚するような人も出て来ました。

 同じい芸術に志す者の通ひあふ心は国境を超えて結ばれ、新しいお友達が沢山出来ました。このことは私の音楽生活の中で非常に大きな体験となりました。

 その間にはラジオ放送や、オーケストラの演奏会を依頼されて、すっかりポーランドでは私の名前が親しまれるようになり、こうして芸術を通して国民の中へ入り込んでゆくといふことはいちばん直接的で、ほんとうに愛情が目覚めるような感じです。

 これだけは物質的な関係とはちがって、深い友情で結ばれ、そういふことがよく考へてみますといちばん真実な美しい仕事だと思ひますし、またそうであるべきがほんとうで、すべてがそうであったならば国との複雑な感情問題や利害関係で、恐ろしい戦争など起るようなことはないのだと思ひます。

 1937年と言えば、第二次世界大戦前夜。ナチスの台頭が始まっていた頃です。言うまでもなく、その後ポーランドはその戦禍の犠牲となっていくのでした。

 今年のコンクールでは日本人、中国人、韓国人など、東洋人が非常にたくさん参加し、また高く評価されていました。この90年弱でずいぶん変わったものです。時の流れを感じますね。原智恵子は今回のコンクールをどのように聴いたのでしょうか。

 

| | コメント (0)

2021.10.20

『富士山大噴火と阿蘇山大爆発』 巽好幸 (幻冬舎新書)

Th_71ylzvaea2l 蘇山が噴火しました。この規模での噴火は2016年以来5年ぶりということになります。

 2016年の噴火の時の記事はこちらです。ここに書かれているように、昭和54年の噴火では登山者3名が亡くなりました。今回は本当にギリギリ登山者に犠牲者が出なかった。それは良かったと思います。

 かつて富士山を「あそやま」と言っていたように、「AS」や「AT」という音の連なりが火山を指すことが多い中、やはりその親玉は九州の阿蘇山です。

 この本に詳しく書かれているように、阿蘇山の巨大カルデラ噴火のレベルは桁違いであり、火山爆発指数でいうと、9万年前の阿蘇カルデラ爆発はレベル7。

 富士山の宝永噴火はレベル5ですから、噴出物の量でいえば、阿蘇はその数百倍ということになります。

 富士山はせいぜい江戸に被害を与えた程度ですが、阿蘇カルデラは北海道の南端まで、その噴出物を飛ばしました。とんでもない規模ですね。日本列島はほぼ壊滅。

 こういうレベルの阿蘇山の噴火が今後起きないということはありません。なんとなくしばらく(数万年)はないだろうと予想しますが、そこに科学的根拠はありません。

 2016年の噴火の記事に書いたように、熊本地震が阿蘇山の噴火を抑える効果があることも考えられますし、噴火が地震を引き起こすこともあります。

 このように、私たちの人智を超えた自然の営みのことを、私たちは「モノ」と呼びました。大物主や大物忌の神はその象徴です。

 そのモノに対するある種の諦観が、日本人の奥深い哲学の基底にあることを改めて感じます。

Amazon 富士山大噴火と阿蘇山大爆発

| | コメント (0)

2021.10.19

新しいお金のシステム PMC

 いぶん前から、新しい経済システムについて考えています。

 この動画に登場する船井正太郎さんとも、何度も話し合いました。以前は我が家にも何度も来ていただきましたし、今年も沖縄とリモートで結んで楽しく話しました。

 正太郎さんとは、いろいろ不思議なご縁でつながっており、素粒子物理学について、高次元宇宙について、音楽について、お金について、宗教について、本当にいろいろと教えていただきました。

 そうした対話の中でぼんやり姿を現しつつあった「新しいお金のシステム」が、こうしてPMCとして慶応大学との連携研究事業となり、現実に動き始めている、現実を動かし始めていることに感動します。

 私は、このPMC(Personal Money Creation)の発想で、PSC(Personal School Creation)をやりたいんですよね。今それを設計、実験中です。

 

 

| | コメント (0)

2021.10.18

名字マップ

Th_-20211019-141701 命館大学文学部地域研究学域が作ったというこの「名字マップ」。

 特定の名字がどのように分布しているか、絶対数と特化係数(偏り度)の両方をチェックできます。

 元になるデータは、顧客データベースのようですね。かなり正確な数値だということです。

 さっそく自分の名字を入れて検索してみました。

 左上が人数です。よくある名字なので、どうしても都会が多くなりますよね。

Th_-20211019-141741 右は特化係数です。どのような計算になっているか分かりませんが、とにかく偏り度が分かります。

 へえ、佐賀に多いんだ。

 名字の歴史というのは、その一族の物語の歴史です。ほとんどが古代から続いてきたものではないのも事実ですが、だからこそ、そこに物語(フィクション)が見えて面白いのです。

 そんなことを想像しながら、まずはご自身の名字を検索してみてください。

 名字マップ

| | コメント (0)

2021.10.17

Weyes Blood 『Titanic Rising』

 

Th_516fibj91dl_ac_sy355_ たまた時空を超えてつながる音楽ネタ。

 ゾンビーズに始まる、いわゆるバロック・ポップの最新アーティストの一人が、このワイズ・ブラッド嬢でしょう。

 1988年サンタモニカ生まれのシンガーソングライター。

 聖歌隊で歌う中で、バロック音楽やルネサンス音楽に多大な影響を受けたとのこと。

 しかし、聴けば分かるとおり、それよりも1960年、70年代のポップ・ロックの雰囲気を強く感じられます。

 それって、ちょうど彼女の親の世代の音楽なんですよね。

 ウチもそうですが、録音文化が普通似なった現代においては、親の聴いていた音楽が子供に「遺伝」します。

 今日、上の娘が大学のポピュラー音楽同好会で「一番好きな曲は」と聞かれ、「ビリー・ジョエルのジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー」と答えたというのも、まさにそういう現象です。ちょっと嬉しいですよね、親としては。私もたった1曲選べと言われたら、それを選ぶかもしれません。

 そういう意味で、昨日のゾンビーズとこのワイズ・ブラッドを比べて聴くと面白いですよね。「ひねり」の部分もかなり近いセンスを感じます。

 中庸のテンポの、こうしたポップで、かつひねりの効いた曲、たしかに私の好みです。

| | コメント (0)

2021.10.16

ゾンビーズ 『オデッセイ・アンド・オラクル』

 

 楽ネタが続きます。昨日に続き1960年代の音楽。最近、私の中で評価が上がっているというか、ようやくちゃんと認識したのが、このゾンビーズです。

 日本ではザ・カーナビーツの「好きさ、好きさ、好きさ」(I Love You)が有名ですが、世界でも実に多くのミュージシャンにカバーされているバンドです。

 当時の感覚としてはブリティッシュ・ポップ、今でいえばパワー・ポップやバロック・ポップの走りのような音楽性ですよね。しかし、良く聴くと、けっこうひねりが効いていて、その点ではビートルズの後期ポップ作品を凌駕しているとも言えそうです。

 私の一つの嗜好として、こういうちょいひねりポップというのがありまして、もし自分が曲を書くとしたら、とりあえずこういうのが得意なのではとも思うのでした。

 こういう感じの音楽をのちに「バロック・ポップ」と呼ぶようになり、今でもその路線は継続しているのは面白いですね。最近、また若い人たちが注目しているようです。素晴らしい。

 ゾンビーズはその後もメンバーチェンジを繰り返しながら、なんと今でも現役です。今年で結成60年!もうほとんど重要文化財です。

 そんな中でも、この2作目「Odessey and Oracle」は不朽の名作。英国の国宝ですね。

| | コメント (0)

2021.10.15

『その名はフジヤマ〜Se llama Fujiyama』

 ログで紹介する音楽ジャンルが、あまりにも幅広いと、自分でも呆れております(笑)。

 カミさんの影響は大ですね。二人の好きな音楽がめちゃくちゃ噛み合わなかったのが功を奏しまして、お互いの音楽世界が倍以上に拡がりました。

 さてさて、富士山に住んでいる歌好きでありながら、なぜかこの曲を紹介していませんでした。そして、バンドとしても演奏してない。これはやらねば。

 「その名はフジヤマ」、1961年のトリオ・ロス・パンチョスが来日した際に、オリジナル曲として発表され大ヒットしました。

 富士山ではなく「フジヤマ」を日本人に再び意識させたという意味でも歴史的な名曲です。歌詞もシンプルでいいですね。

 では、まずロス・パンチョスのオリジナル音源を聴いてみましょう。

 

 

 日本の大衆楽曲は、世界中の様々なジャンルの音楽を融合して発達しましたが、戦後特にラテンの影響は大きかった。中庸なリズムと哀愁あふれるコード進行やメロディーは日本人にすんなり受け入れられました。

 もちろん、南米と日本人の縄文以来の(?)文化的、経済的交流というのもありますよね。地球の裏側でありながら、世界のどこよりも身近に感じているという。

 ですので、日本人にもたくさんのラテン系歌手やバンドが誕生しました。その中でも、ギタリスト、歌手として本場でも認められたのは、アントニオ古賀さんでしょう。

 「その名はフジヤマ」はパンチョスが古賀さんに送った曲であるとも言われています。そのアントニオ古賀さんの素晴らしい演奏も聴いてみましょうか。

 

 

 いいですね〜。そうそう、最近では渥美二郎さんがカバーしています。渥美さん、演歌歌手のイメージがありますが、元々長いこと流しをやっていましたから、実はギターもめちゃくちゃ上手いんですよ。

 

 

 最近の渥美さんのアルバムは、ジャズやラテンに挑戦したものです。これを機会に、歌手としてはもちろん、ギタリストとしての渥美さんの魅力も改めて味わってみたいものです。

Amazon 新・演歌師 新・演歌師2

| | コメント (0)

2021.10.14

フランシスコ・コレア・デ・アラウホ 『モラレスの戦い』

 近は静岡市の実家にいることが多く、今まであまり顧みなかった駿河の歴史にも興味が湧いてきました。特に武田氏との関係。ウチは両親とも駿河の武田系ですから。

 そうしますと、やはり気になるのは大久保長安ですよね。さらには大久保長安と本多正信との関係。それから有馬晴信…そんな中、今日は八王子と大月からお客様がいらして歴史談義。徐福から大久保長安まで秦氏ネタで大いに盛り上がりました。いろいろ勉強になりました。

 また、お客様がお帰りになった後、タイムリーにNHK「英雄たちの選択」の「家康が夢見た“開国”」の録画を観ました。

 その中でマニアックなところで興味を持ったのは、慶長16年(1611年)5月、スペイン王国の大使ビスカイノが家康に謁見する際、駿府城にトランペットを鳴らしながら入城したという記録です。

 当時のスペインで有名な音楽家といえば、フランシスコ・コレア・デ・アラウホでしょう。彼の曲が演奏されたかどうかは定かではありませんが、こんな感じの音楽が400年前の駿河に響き渡ったかもと考えると面白いですね。

 スペインとしては世界を席巻している王国の威厳を示すために、こういう勇ましい音楽を奏でたことでしょう。当時の駿河の町人たちには、いったいどんな風に聞こえたのか。想像するだけでも楽しいですね。

 この番組でも語られていましたが、当初の家康は開国派でした。江戸時代というと鎖国のイメージが強くありますよね。鎖国時代の出島も含めると、案外バロック音楽が国内で演奏された可能性は高いのです。その時、もしかすると絹絃が使われたのではないかというのが私の妄想です。

 

| | コメント (0)

2021.10.13

Clarence Gatemouth Brown 『Leftover Blues』

 

 日はUKのプログレッシヴなブルースを紹介しました。ある意味どこがブルースなんだという曲でしたね。

 今日はコテコテのブルース。そして、エレキ・ヴァイオリン、いやエレキ・ヴィオラも登場しますよ。

 クラレンス・“ゲイトマウス”・ブラウンはブルースの帝王。彼自身はそう言われるのを嫌いましたが、間違いなく帝王ですよね。

 たしかにカントリーの影響も多大で、その証拠に彼はフィドラーでもあります。完全にカントリー・フィドルのテクを持っています。

 この動画でも分かるとおり、彼のギターやヴィオラの弾き方は、クラシック的なスタンダードからかなりかけ離れています。もちろん、それで良いし、それだからこそ、この味わいが出るわけですね。

 楽器の世界でも、スポーツの世界でも、その他抽象的な学習においても、とにかく「教育」が「個性」や「自由」を奪ってしまい、いかに「味わい」がなくなってしまっているか。

 私なんて、かなり自己流の弾き方をしますので、どちらかというと「味わい」の世界に近いかもしれません。プロの方々が修正しようとしても、なかなか変りません。もう諦めています。その方がいいのかなと。

 楽器から学ぶというか、こちらが楽器をコントロールしようとするのではなく、楽器にこちらがコントロールされるというのが正しいような気がしているのでした。

 それにしても、このゲイトマウスのヴィオラ演奏は素晴らしいですね。私とかぶるのは、ヴィオラだからこそ、人間の声、喋りを模しているところです。私の宴会芸の一つです。

 日本語は高低アクセントなので、実はこれがやりやすい。おそらくかつても胡弓などで遊んでいたことでしょう。そういうためにも、フレットはない方がいいのです。人間の喉にはフレットも鍵盤もありませんからね(笑)。

 フィドル系の人たち、みんな弓を短く持ちます。それは現代の弓が長く重すぎる(重心が遠すぎる)からです。バロック・ヴァイオリンでも短く持ちますが、本来弓を弦に押しつける必要はなかったのです。

 近代になって、まさに楽器を征服するような弾き方になり、またそれに耐えられるようにスチール弦が発達してしまいました。

 ちなみにシルク絃だと、ガット以上に弓を浮かさないと音が出ませんよ。それが面白い。

 というわけで、私にとっての理想のボウイングは、このゲイトマウスとグラッペリのそれなのです。

| | コメント (0)

2021.10.12

U.K. 『Caesar's Palace Blues (live 1979)』

 

 々、久しぶりに自作5弦エレクトリック・ヴァイオリンを弾く機会があります。

 何度も書いているとおり、中学時代にロック・ヴァイオリンに憧れてヴァイオリンを始めたワタクシ、なぜか今はロックからバロックに移行し、エレキどころか、シルク絃で演奏するという妙なことになっております。

 で、そのロック・ヴァイオリンですが、具体的には、まず第一にELOのミック・カミンスキー、そしてKANSASのロビー・スタインハート、そして今日紹介するUKのエディ・ジョブソンが私の憧れでした(というか、その3人しかいなかった)。

 中学生の私には、UKのプログレッシヴな音楽はちょっと分かりづらかったけれど、エディの弾くクリスタル・ヴァイオリンは、ヴィジュアル的にも憧れるに充分な存在感を持っていました。

 エディはUKにおいて、リック・ウェイクマンに代わるキーボディストという立ち位置になりますが、結果としてリックが加入できなかったために、バンドにヴァイオリンというちょっと特殊な、かつプログレッシヴにふさわしいクラシック的な雰囲気が加わることとなりました。

 今、こうして聴いて、観てみますと、普通にうまいですね。どういう経歴なんだろう。そして、やっぱりクリスタル・ヴァイオリンがカッコいい!!

 エディはいろいろなバンドで錚々たる人たちと共演しておりますが、そのあたりをまとめた動画がありましたので観てみましょうか。

 

| | コメント (0)

2021.10.11

『言語学バーリ・トゥード』 川添愛 (東京大学出版会)

Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか

Th_51td1wphzis_sx344_bo1204203200_ 日もまた、プロレスファンで良かったと、つくづく思う日でした。

 昼間はオンラインで、ある重厚なシンポジウムに参戦。実はこちらの登壇者面々も、古くからの憧れの学者さんたちばかり。私にとっては、まさに昭和の名レスラーのような存在であり、オンラインでなくリアルでお会いしたら、思わず尻尾フリフリしてしまうような「神々」でした。

 そのシンポが終わろうかという時、ちょうどAbemaTVでプロレスリング・ノアの大会中継が始まりました。

 こちらも最高に感慨深かったなあ〜。特にセミ。武藤敬司&桜庭和志 vs 拳王&清宮海斗。

 26年前に新日とUWF対抗戦で対峙した二人が、こうして全日系のノアでタッグを組み、ああいう内容の試合を若手と繰り広げる(そしてあの結末…笑)なんて、プロレス以外ではありえない歴史的展開ですよ。本当に素晴らしい。

 そして、そしてこの本!いやあ、久々にドツボ。

 というか、この本、私が書いたのではないかと思ってしまいましたよ!いや、書いた記憶がある(笑)。

 川添さん、ごめんなさい。もちろん現実には川添さんがお書きになりました(当たり前)。しかし!言葉(言語学)とプロレスへの愛情、そして目のつけどころ、ユーモアのセンス、さらに文体まで、まるで私ではないですか(笑)。

 いやあ、びっくりしましたよ。びっくりしすぎて、この本でも取り上げられている「(笑)」を連発してしまった。ホント、(笑)で一般の方に、いや川添さんに言い訳しなければならないほど、つまり自分でも恥ずかしいほどに、波長、いや波動が合ってしまったのです。

 おそらく、川添さんも宇宙人で、同じ「未来の記憶」を持ってこの地球に降り立ったのでしょう。そうでないと、こんなこと普通ありませんよ。

 人が書いた本を、自分が書いたと思うなんて初めてでした。それほどしっくり来たということです。逆に言えば、うわぁ先にやられた!とも言えますが。

 いつか、川添さんとプロレスについて、そして言語について語りたい!

Amazon 言語学バーリ・トゥード

| | コメント (0)

2021.10.10

週刊朝日 『東京オリンピック案内』 (1964.9.20)

Img_8190 57年前の今日、東京オリンピックが開会しました。

 私は生後2ヶ月。8月の東京は水不足で、急遽里帰り出産となったため、母の実家のあった焼津で私は生まれました。

 行きは東海道本線で、帰りは開通したばかりの新幹線に乗ったそうです(当然記憶なし)。

 静岡の実家の片付けをしていたら、この週刊朝日増刊が出てきました。私と同い年の雑誌です。

 内容はなかなかの充実です。それはそうですよね。初のオリンピック開催ですから。スポーツも一般的ではなかったので、各競技のルール解説が面白かった。

 たしかに今回の新しい種目もルールを知っていたら、もっと楽しめたかもしれません。

 さて、御存じのとおり、1940年(昭和15年)に開催予定だった東京オリンピックは、戦争に向かう情勢の中で中止となってしまいました。

 今回も1年延期ということで、どうも東京オリンピックは呪われているようです。

 この昭和39年の大会は大成功というように記憶されていますが、実際には今回以上の反対運動があったり、まあいろいろと大変だったようです。

 まあ、なにしろ、焼け野原からたった19年ですからね。まさに「復興五輪」だったわけで、その後の経済大国日本、技術大国日本、スポーツ大国日本のスタートであったとも言えます。

Img_8192  一つ感動したのは、「ピクトグラム」です。今回開会式で大活躍だったピクトグラム。これも御存じと思いますが、昭和39年の東京五輪で初めて登場したものです。つまり、日本産、日本製なのです。

 今でも基本的には同じデザイン方法が踏襲されていますから、いかに当時の日本デザイン陣が優れていたかということですね。

 実は6年前にこんな記事を書いています。残念ながらいろいろあって(足を引っ張る人がいて)永井一正さんは、今回のオリンピックの表舞台から身を引いてしまいましたが、私がこの記事で書いた「おそらくは、6年後の五輪においては、ピクトグラムを超えた「コト」が発明されると予感しています。マルチメディアの時代、日本ならではの自由な発想で、それは実現するでありましょう」という予言、ある意味、あの人力ピクトグラムで実現したとも言えますね。まさかの逆説的方法でしたが(笑)。

 

| | コメント (0)

2021.10.09

『日蓮聖人と法華文化』 山梨県立博物館

Th_catalog 蓮生誕800年、佐渡入国750年記念ということで開催されているこの展覧会。

 去年までの私だったら、あえて行かなかったかもしれません。

 正直、日蓮にはあまり興味もなかったし、法華経もよく知らなかった。

 ところが、ひょんなご縁から、日蓮と法華経の研究を60年以上続けているある方と出会い、ほぼ毎日のように電話で講義をしていただいておりまして、すっかり身近な存在となってしまいました。

 その方は最近、ある種の悟りを得て、この60年間の自分の考えや行動の間違いに気づかれました。そして、それは即ち、釈迦や日蓮が経験した誤りとも重なるものです。

 日蓮はどこでそれに気づいたか。それが佐渡なのです。そして、生まれ変わった日蓮は甲斐国身延に久遠寺を開きます。

 ちょうどこの展覧会は、佐渡から山梨への足跡をたどるような内容ですので、まさに今の私の脳内とリンクするところがあって興味深い鑑賞いたしました。

 本当に去年の今頃だったら、全然興味がわかなかったでしょうし、正直退屈したことでしょう。全く不思議な仏縁です。

 釈迦、聖徳太子、日蓮、そして多くの仏教者が陥ってきた誤りについては、私ももう少し勉強しなければいけません。ある意味大きな問題提起になりますから、それこそ多くの批判(攻撃)を覚悟しなければなりませんし。まずは法華経をちゃんと読まねばなりませんね。

 今ちょうど、仲小路彰の聖人伝シリーズの「釈迦物語」の活字化を進めております。仲小路もまた、戦前・戦中に彼らと同じような誤りを犯しました。しかしだからこそ戦後の覚醒を体験することになったのです。

 釈迦や聖徳太子や日蓮や仲小路彰といった歴史的天才たちの本当のメッセージを受け取るには、私たちはどうすればいいのでしょうか。それは、彼らの苦悩や誤りをしっかり見つめることから始まるのかもしれません。

山梨県立博物館

| | コメント (0)

2021.10.08

『ONODA 一万夜を越えて』 アルチュール・アラリ監督作品

Th_unnamed_20211010104201 日から公開のこの映画を観てきました。

 3時間近くに及ぶ長編の作品ですが、集中を切らさず観ることができました。よく出来ているなと感じました。

 内容は言うまでもなく、「最後の兵隊」小野田寛郎さんのルバング島での約30年間を描いたもの。

 フランス、日本、ドイツ、イタリア、ベルギー共同制作。監督さんはフランス人です。

 ちょっぴり憂慮された、偏ったメッセージ性は感じられず、さまざまな疑問も含めてそのままに放置されている感じが、この「小野田」事件の真相をよく表現していたと思います。

 ぜひ、皆さんも一度放置され、そして、そのあと、ぜひこちらの書籍をお読みください。

 小野田少尉との三ヵ月「幻想の英雄」

 決して聖人君子でも、英雄でもない人間小野田寛郎の弱さや汚さに安心することでしょう。

 そして、もう一度この映画を観たくなるのではないでしょうか。

 とても美化できない現実の戦いが、そこに見えてくるに違いありません。そして、いまだに解決されていない、日本人自身にも不可解な、あの戦争の時に信じられたモノ(なにか)に、恐怖と憧憬をおぼえることでしょう。

 日本人でさえそんな感じですから、外国の方にとってはいろいろと衝撃でしょうね。日本、日本人に恐怖と憧憬をおぼえることでしょう。なかなかの名作でした。

 

 

 役者さん、皆さんとても良かったのですが、やはり一人挙げるとすれば、イッセー尾形さんかなあ。彼のインタビューを聴くと、なるほどと思いますね。

 

 最後に一言。やっぱりこの「事件」で一番謎なのが鈴木紀夫さんの行動ですね。はたして単独行動だったのか。なんらかの裏があったのか。彼はこのあと、雪男を探しにヒマラヤに行って、雪崩で亡くなります。37歳。彼の奥さんは林房雄の娘でした。

| | コメント (0)

2021.10.07

千葉県北西部震源M5.9

Th_img_8193 ょうど寝ようかという時に、上野に住む次女から「めっちゃ揺れてる!」との速報が入りました。

 震源が深さ80キロとやや深めでしたので、東北から近畿まで広範囲にわたって揺れ、一部では長周期地震動も発生したようです。

Img_8194
 右のデータ(クリック)からわかるとおり、千葉県北西部の地震は地震の巣。だいたい深めの震源で、おそらく関東フラグメントの内部破壊が起きているのでしょう。

 ある意味歪みを小出しに解消している感じがありますので、これ以上大きな揺れになることはないのではないかと思います。東京での震度5は10年前の東日本大震災以来となりましょうか。

 都民は一瞬、首都直下地震か?と思ったことでしょう。首都直下地震、すなわち南関東直下地震は、もっと浅い震源、かつM7以上を想定していますから、各地、今回の震度プラス2くらいの揺れになると考えた方が良いでしょう。

Img_8195  ところで、ここのところ中規模の地震が全国で多発していますね。左のデータを見てください。

 M5以上の地震です。8月4日の茨城県沖連発は10年前の大地震の余震ですから置いておきまして、ここ二日間で宮古島、岩手、大隅半島、千葉と各地で中規模地震が連続しているのは特別な状ょうですよね(8月12日からの世界でM7以上の大規模地震が連続しているのもすごいのですが…)。

 地震の活動期に入ったのかもしれません。

 ここ1ヶ月の富士山のラドン濃度の高下も比較的顕著ですので、しばらく注意するに越したことはないでしょう。

 日本に住むかぎり、どこにいても、いつ大きな地震に見舞われるかわかりません。あらためて、心も含めて準備をしておきましょう。

 

| | コメント (0)

2021.10.06

祝! 真鍋淑郎氏ノーベル物理学賞受賞

Th_-20211007-100811 真鍋淑郎さんがノーベル物理学賞!また日本人の快挙ですね。

 そのせいか、今日は異常な暑さでした。まさに温暖化。

 今日は静岡市の実家にいるのですが、まあ、暑いなんてもんじゃない。山梨側富士山でストーブ稼働していた私の体は、もう完全に秋から冬モードですので、この暑さをこたえます。

 おかげで久々に冷凍室でシャーベット状にした缶チューハイ飲んじゃいましたよ。

 この暑さが本当に人間の経済活動による二酸化炭素の増台か原因なのか、正直よく分かりませんが、その可能性を早い段階から主張していたのはすごいですね。

 それから面白かったのは、真鍋さんが日本に帰らずアメリカで活動している理由です。やはり、日本には強力な「同調圧力」があるということですね。

 これって正直、「学校」で培われ、また継承されていく文化ですよね。学校というところは、同調圧力祭を毎日やっているようなところです。

 それをまあ少なくとも15年くらい続けるわけですから、そりゃあみんな同じ、出る杭は打たれるし打つという社会になりますよね。

 戦争の時は良かったのです。それで。つまり、理不尽なことで無駄に生命をおとすような状況では、それがある意味種の保存の方法となるわけですが、それをこの平時にずっと続けていたら、それはかなり非効率的なことになります。

 もちろん、経済戦争の時代は長かったし、今もまた第三次世界大戦の真っ最中ではありますが、結局、自由な発想が生まれず、結果として真鍋さんのような人材が国内でなかなか育たない。

 まあ、こうして、アメリカに行くという選択肢があるから、そういう人はそういう道を選べばいいとも言えますが。

 私のように、この歳になって、そうした同調圧力祭の現場にようやく違和感を抱くようになるセンセーもいるかもしれません。しかし、そこから逃れたはいいけれど、では今さらどうやって生きれば良いのか。難しいですね。アメリカに行くようなパワーはないし。

 それにしても、真鍋さんのパワーイングリッシュ、いいです!堂々と日本人的英語を使っていてカッコいい。

 あとは、真鍋さんの研究の範囲を超える、大きな地球的、宇宙的出来事が起きないことを祈るばかりです。超巨大火山の噴火とか、巨大隕石の落下とか。そんなことが起きると、結局真鍋さんの研究も灰燼に帰すことになってしまうわけですから。

| | コメント (0)

2021.10.05

『ヴィオラ・バスタルダ、リュート、リュート・ハープシコードによるバッハ』 ゲルゲイ・サルコジ

 

 ンガリーの演奏家ゲルゲイ・サルコジはユニークです。たぶんこのアルバムは一人4役やっているのだと思います。ここでは、ヴィオラ・バスタルダ、リュート、リュート・ハープシコード、オルガンを弾いています。

 ヴィオラ・バスタルダについては、かつてこちらに書きました。ヴィオラ・ダ・ガンバと同じとも言えますが、なんとなく彼の演奏だとジプシー的になっていますよね。かっこいい。

 リュート・ハープシコードも珍しい。ドイツ語でラウテンヴェルクというやつですね。金属弦ではなくガット弦を張ってあるチェンバロです。

 これにシルク絃を張ったら…というのが、私の今の夢(妄想)。ヴィオラ・バスタルダにももちろん張りますよ!リュートにもです!

 ハンガリーあたりだと、モンゴルやらオスマンやらがやたら入ってきていましたから、もしかするとシルク絃を使っていた時があるかもしれませんね。

 バッハ自身、50歳の時にバッハ家の家系についての文書を作成しています。それによると、16世紀にファイト・バッハという人がハンガリーでパン屋さんをやっていたのだとか。彼がパンを焼きながらツィターを爪弾いたところが、音楽家の家系の始まりだと書いています。

 というわけで、彼自身、ハンガリーが自分のルーツだと思っていたようです。ちなみに、パン屋さんという意味のBacker(英語でいうベイカーですね)からBachという名字ができたそうです。

 というわけで、ハンガリーの演奏家たちもバッハを好んで演奏します。彼らの演奏するバッハは、ドイツ的な厳格さよりも、やはりジプシー的な自由さと熱情に溢れており、それはそれで楽しいものです。バッハも喜んでいるのではないでしょうか。

 このゲルゲイ・サルコジの演奏も、楽器だけでなく解釈もかなり自由ですね。芸達者。やや大衆的なバッハ。私も好きです、こういうの。

| | コメント (0)

2021.10.04

【藤原喜明、長州力、藤波辰爾】アントニオ猪木デビュー60周年記念3本勝負!

 

 視カメラと「お天道様が見ている」の話を書きましたが、そういう他律的な(善なる)自己の生成というのは、仏教で言うところの「縁起」であり、「他力」であり、「無我」であり、「空」です。

 西洋から個人主義や人権などというものが輸入され、それを学校でも是として教えるようになり、すっかり日本人が培ってきた慣習というか智慧というものが希薄になってしまいました。

 かく憂う私も、矛盾するかのように、教育現場で体罰や恫喝のようなハラスメントを率先して排除する活動をしてきました。しかし反面、かつての緊張感ある師弟関係にも格別な愛着をもっているのも事実です。

 この動画は、いろいろな意味で感動的だったわけですが、あえてそっちの切り口で言いますと、たとえばあの長州力さんが、猪木会長の前では、こんなにもまともな人になるのだという事実(笑)。

 長州節、長州言語は影なく、あまりにも真っ当な日本語が淀みなく出てくることに驚きました。まさに「会長が見ている」であり、この延長線上に「お天道様」があるのだと思います。

 長州さんのみならず、藤原組長、藤波さんも緊張しまくっていますね。しかし、そこには、単なる力関係ではない、尊敬と愛情の世界を感じます。

 こういう境地に至るためには、今ではハラスメントや暴力と解釈されてしまう、伝統的な「荒魂」がしっかり機能し、それを乗り越えたところにこそ真の「和魂」が生まれるという、まさにアンビバレントな霊性が必要です。

 そういう世界を否定し、善悪二元論で全てを片付けてしまうことこそが現代の病ですね。

 プロレスはもともと善悪や勝ち負けを構成しながら、それを凌駕して見せる高度な文化です。だから、こうして彼は今でも魅力的な発信者になり、「人生」を私たちに教えてくれる存在となりうるのです。

 それにしても、猪木さん、本当に一時はどうなることかと心配いたしましたが、かなりお元気になられて安心しました。

 何度も書いているとおり、猪木さんが現役バリバリの頃、私は全日派でしたので、正直アンチだったわけですが、やはりそうした好悪二元論を完全に止揚しての今の私となっています。

Th_img_8768 実際、年をとってからは新日関係の方とのおつき合いが圧倒的に多い。猪木さんとも10年前にお会いして、いろいろお話させていただきました。

 たしかにあの独特の緊張感は、直接の師弟関係でなくとも分かります。

 また、いつかどこかでご一緒させていただき、「1,2,3,ダーッ!!」をご唱和させていただきたく思います。ますますお元気になられることをお祈りします。

| | コメント (0)

2021.10.03

Wansview ネットワークカメラ

Th_61ynxo99r3l_ac_sl1500_ 日の続きで、監視カメラネタです。もう一度書きますが、中国の監視社会の状況は、本当に私たちの想像のはるか上を行っていますよ。びっくりです。

 そんな監視大国本場のネットワークカメラですから、それはそれは信頼できます(笑)。

 私が購入した時には、2,261円でしたが、今は2,999円。それでも安いですね。それだけ向こうでは普及しているということでしょうか。

 かなり高性能ですし、使い勝手も良い。少し前なら一桁多いお金を払わなければならなかったでしょうね。

 昨日書いたように、これは野良猫監視用です(アライグマも来る)。もちろん人間も撮れる。8月に逃げ出して、今や立派な野良猫となってしまった千代子の姿もこれで確認しています。ほかの野良猫は簡単に捕まりそうなのに、元家猫の千代子は全くスキがなく、捕まる予感すらしません。

 どれだけ野良猫になりたかったのか。たしかに、なんとなく家にも人にもなじんでなかったし、非常に賢く、俊敏で狩りの能力も高いし、なにより超美人さんだから、まあ外でもうまくやっていけるでしょう。

 寒くなったら戻ってくるかもしれませんし、あるいはどこかに居候するかもしれません。

 で、このカメラ、専用のアプリでリアルタイム画像を確認したり、カメラを動かしたり、録画を観たり、あるいは声かけしたり、ほとんどやりたいことはスムーズにできます。さすが本場ですし、ちゃんと(正しい)日本語にも対応しています。

 スピーカーのところでも書きましたように、今や中華製とか馬鹿にできませんよね。本当に昔の日本という感じです。

 もしかすると、中国の方に私の家の情報が流れているかもしれませんが、まあそれは大したことではありません。個人的に監視されているわけではありませんし、向こうの市民のようにコントロールされているわけではありませんから。せいぜいウチの猫事情が伝わるだけでしょう。

 そんなこと言ったら、スマホもパソコンも常時世界と接続されており、そこには高性能カメラやマイクが常備されているわけで、私たちのプライベートはダダ漏れに違いないわけですから、そちらの心配までしなければならなくなる。

 昨日書いたように、それを「お天道様の復権」と前向きに考えて、自らの道徳や倫理を見直す機会にする方がいいと思いますね。

 それより怖いのは、実際の人間の目の方です。ウチのような特別な環境(別荘地内)においても、けっこう人の目が気になります。ヒマな人も多いし。最近新調したウッドデッキでくつろいでいると、どこからともなく、野良猫ならぬ野良人たちが集まってきますよ(笑)。それもまた楽し。

 

| | コメント (0)

2021.10.02

ライブカメラアプリ「Alfred Camera」

20211004-130307 日は上海に在住の友人が来訪。いろいろな話で盛り上がった中国がいかに高度な監視社会かを知ることができました。

 ホントに想像以上ですね。日本人だったら耐えられないだろうなあ。すごい。徹底している。

 私は、ある程度の(現在の日本程度の)監視システムの構築には賛成です。

 つまり、「お天道様が見ている」状態くらいだったらいいと思うのです。

 国家に管理されるのはいやですが、しかし、「見られている」という事実が、私たちの不道徳、不倫理な行動を妨げる、あるいは悪意を助長しないという効果を挙げるのは事実ですから、そういう機能としてのたとえば「監視カメラ」はたくさんあって構わないと思うのです。

 (おそらく教育のせいで)「お天道様」を意識することが難しくなった現代において、そうした伝統的、慣習的な機能を新しいテクノロジーが代替するのは、これは人類の進化の上では運命的なことなのでしょう。

 というわけで、ウチも最近監視カメラを買いました。これは庭にやってくる野良猫を監視するためのものです(笑)。ウチは野良猫を保護して、里親さんを探す(もしくは自分の家で飼う)という事業をやっておりますので、どうしても必要なものです。

 最近は、静岡の実家の方でタヌキによる被害が発生しており、そのために使ってたりもしております。

 また、別の製品は、年老いた親の生存確認や、連絡ツールとして重宝しております。それらについてはまたいつかおススメしたいと思っています。

 今日はアプリの紹介。これは、10年間計測している「富士山ラドン濃度」を外出先で確認するためのものです。

 今年は山梨よりも静岡にいることが多いので、こうした遠隔確認システムは必須です。

 以前は違う国産アプリを使っていましたが、最近調子が悪いので、こちらに乗り換えた次第です。

 広告は出ますが、私のような使い方をするのであれば、無料版で全く問題ありません。接続も安定しています。パソコンからも画像を確認出来のがいいですね。

 カメラとしては、お役御免になったiPhone5Sを使っています。皆さんも自宅に眠っている古いスマホがあったら、高性能な監視カメラとして再利用してみてはいかがでしょうか。

アルフレッドカメラとは

| | コメント (0)

2021.10.01

ミュージカル映画『ザナドゥ』

Th_91vgnwxz3l_sx300_ 40年以上が経ち、ようやくこの映画を鑑賞いたしました。

 結果、今観たのは正解でした。実に面白かったし、なぜかジーンとしてしまった。

 あの頃はELOとオリビア・ニュートン・ジョンのファンでしたから、まさに夢の共演で、サタデー・ナイト・フィーバー、グリースに続く作品ということもあって、映画にも期待をしていたわけですよ。

 それが、まあ酷評されまくりまして、観る気が失せてしまっていたわけです。ただ、サウンドトラックは非常にクオリティーが高く、実際アルバムもシングルもかなりヒットしました。

 その後、舞台ミュージカルとして大ヒットしたということもあって、怖いもの見たさ的にもこの映画を観なきゃという気持ちはあったんです。

 そして、ついにその日が来たということですね。

 いやあ、なんか感無量ですよ。だって、この映画が公開されたのが1980年。劇中回顧されるのが1940年代。そして、今2020年代ですよね。40年前を回顧する40年前の映画を、今観ているわけですから。

 そうしたら、なんと、妙に新しく感じられてしまった。音楽ももちろんですが、ファッションやローラースケート、アニメの挿入からエフェクトに至るまで、なんかぶっ飛び過ぎてて新しいのです。

 たしかにストーリーは陳腐ですが、だからこそでしょう、かなり思い切った演出をしていると思います。当時はなかなか理解されなかったでしょうね…いや、今でも理解されないかも(苦笑)。

 まあ、とにかく、オリビアがチャーミングで、老ジーン・ケリーがカッコいい。それだけでも涙が出ますよ。ジーンとします(オヤジギャグではありません)。

 クライマックス(というほど盛り上がりませんが)の、ベヴ・ベヴァンのドタバタドラム・ドリームからのテーマ曲「ザナドゥ」への流れの動画がありましたら、ぜひご覧ください。ワケわからずいいですよね。

 

 

 大ヒットしたサウンドトラック・アルバムも改めて聴いてみましょう。A面とB面の対照も面白いところですが、全体として非常にクオリティーの高い楽曲が並んでいますよね。

 

 

Amazon ザナドゥ

| | コメント (0)

« 2021年9月 | トップページ | 2021年11月 »