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2021.09.06

バッハ 『「音楽の捧げもの」より6声のリチェルカーレ』

 

 位法時代が終わりを告げようとしていた頃、あえてその極致を当時最新の楽器であったフォルテピアノで即興演奏した大バッハ。

 フリードリヒ大王が提示した「意地悪な」主題。なにしろ、B♭以外の音は全て含まれるという、ある意味気持ちわるく、また和声的に料理しにくいテーマですから。

 それを元に、バッハはジルバーマンのフォルテピアノにて(おそらく)3声のフーガを即興演奏しました。それがのちに献呈楽譜に含まれる「3声のリチェルカーレ」の原型でしょう。

 王は3声の出来栄えに驚嘆し、さらに意地悪に「6声」のフーガを即興演奏せよと命じたと伝えられています。バッハはそれはさすがに無理として、のちにこの6声のリチェルカーレを作曲して献呈したと。

 私の直観ですが、どうもこの話は怪しいような気がします。バッハのことですから、6声でも即興できたことでしょう。

 おそらく王は3声ですでに満足したのではないでしょうか。それを見て、もっとできますよ的な感じでのちに作曲して献呈したのではないでしょうか。

 この6声のリチェルカーレは鍵盤楽器用の二段譜ではなく、各声部別々に記譜されています。しかし、実際には一人で演奏できるというのも、ある意味王を驚かせる仕掛けだったのではないでしょうか。実際バッハが御前演奏したのでしょうから。

 リチェルカーレとは、フーガ以前の対位法的様式を表す言葉だそうです。あえてそうした古臭い単語を使いつつ、しかし実は折句(縦読み?)になっているというのも面白い。

Regis

Iussu

Cantio

Et

Reliqua

Canonica

Arte

Resoluta

 これはラテン語で「王の命令による楽曲、およびカノン技法で解決せられるほかの楽曲」という意味になるとのことです。

 こんなところにも、バッハの洒落っ気…いや、一種挑戦的な姿勢が感じられますね。

 フリードリヒ大王は、バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハに音楽を習っていました。エマヌエル・バッハは、父の才能を継いだ天才肌の作曲家でしたが、その作曲様式は父からかけ離れ、当時の最先端を行くものでした。

 そんなこともあって、老バッハの、時代の流れに抗う気持ちというか、ほとんど意地のようなものを感じさせますね。

 今でも40年前のシティ・ポップがリバイバルするくらいですから、まあ当時も古臭いけれど逆に新しく聴こえるなんてこともあったことでしょう。

 まあ、とにかく、新しい音楽は息子たちに任せたということなのでしょう。

 もう一つ、あえて言うなら、この大王の「意地悪な」テーマのおかげで斬新な和声が生まれ、それがのちの古典派やロマン派につながっているという皮肉もあります。たしかにもうバロックではないですね、これは。21世紀の音楽にも聴こえてしまう。

 と、そんな当時の空気を想像しながら聴くと、またこの曲は趣深い。時代を超えた名曲です。

 

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