歴史は繰り返すか?
私は歴史が好きです。
「時間は未来から流れてくる」「過去は遠ざかっていくのみ」「過去はカス。水に流せ」と言っているのに、なぜ下流の過去を学ぶ「歴史」が好きなのかと聞かれることも多くあります。
そんな時、必ずこう答えます。
過去に何があったかに興味があるのではなく、歴史に名を残すような人たちが、(その時の)未来にどのようなボールを投げたかを知りたいのだ。そのボールはたいてい私のはるか上空を通り過ぎて、(現在から見た)未来に落ち、それが次第に上流から近づいてくるので、それをキャッチしたいのだ。
たとえば、釈迦やイエスや出口王仁三郎や仲小路彰の投げた巨大なボールはまだ「今」に流れ着いていません。おそらく私が生きているうちにも流れてこないでしょう。しかし、それをキャッチできる未来人をつくることが私たちの使命なのです。
さてさて、私たちはよく「歴史は繰り返す」と言いますね。それはたしかにある意味では真理です。すなわち、自然現象や人間の思考や行動にもパターンがあって、そういう意味ではたしかに繰り返します。
しかし、一つ一つ細部は違っているわけで、そういう視点では繰り返すことはぜったいにありません。
歴史から学ぶということには、その両方の視点が必要でしょう。
「歴史は繰り返す」という言葉を信じるあまり、思考や行動が保守的、つまり改革、革新できない人も多く見られます。日本社会も全体としては、そういう傾向が強い。それで失敗した歴史も多々あります。そして、またそれを繰り返してきたとも言えます。
そんな偏った歴史観に対して、仲小路彰は厳しくこのように語っています。なかなかこういうことを言う偉い人はいないですよね。
歴史研究者、防衛関係者はもちろん、ウイルス兵器や情報戦、経済戦、深層心理戦などが行われている現在において、先の大戦のような「戦争」を繰り返すまいと「平和」を叫んでいる人たちこそ、この言葉を噛みしめていただきたいと思います。
歴史を研究するは極めて重要である。それによって過去のいかなる経験も行為も、決して未来に行われないとの歴史的自覚、すなわち歴史がくりかえさぬことを歴史的に反省することにのみ、唯一の歴史の価値と役割が存するのである。
一般的に、とくに専門的立場や正統論的権威であればあるほど、歴史に通暁し、その研鑽から、未来の戦争を過去の戦術で戦わんとするのである。兵器の進歩が、それを使用する人間の意識や関心の範囲をはるかに超えているにもかかわらず、過去的戦術の権威者たちは、依然として、過去の教訓と自信によって、その武器を使用しようとする矛盾と錯誤を犯すのである。
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