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2021.04.28

「ヤスクニの思想」の起源

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 日は主権回復の日。ワタクシごとですが、期せずして今日、未来の主権回復に関わる一つの大きな仕事が終りました。偶然とは言え、何か歴史的な運命を感じている次第です。

 その仕事の結果はのちのち紹介できると思います。今日はそれにも関係していますところの、主権回復の近代的象徴の一つとなっている靖国神社について私見を書きます。

 私は、靖国神社には比較的親しんでいる方です。近くを通れば必ず参拝しますし、子どもたちを遊就館にも何度か連れていきました。

 では、ガチガチの保守かというと、ご存知のとおり全然そんなことはありません。

 変な話で恐縮ですが、私は多少霊感というか、いわゆるチャネリング的なことができるところがあります(もちろん単なる思い込みかもとも思っていますが)。

 それで何度か書いたとおり、私は靖国に行くと、とにかく厖大な多様な声を聴くのです。

 それをやや斜めから一言で言えば、「俺たちいろいろな思いがあるのだから、英霊、英霊って一絡げにしないでくれ」というものです。

 つまり、多くの参拝者の思いとズレのある思いを抱いている「英霊」もたくさんいらっしゃるということです。

 もちろん霊界では現界のように、それで英霊たちが喧嘩することはないわけですが、現界的な分類をすれば、「英霊」の皆様には保守もリベラルも中立派もいろいろいるわけで、たとえば彼らの大東亜戦争についての評価もまちまちなのです。

 そういう、ある意味当たり前の発想もなく、ただただ「純粋」な気持ちで参拝してしまったり、「純粋」な気持ちで忌避してしまったりする現界の人が多すぎて、私は少しうんざりします。

 出口王仁三郎は戦後すぐ、有名な吉岡発言で、『ほんとうの存在を忘れ、自分に都合のよい神社を偶像化してこれを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた、殊に日本の官国幣社の祭神が神様でなく、唯の人間を祀っていることが間違いの根本だった』と語っています。

 その王仁三郎の大本についても記述されている、次の記事をお読み下さい。私たちの当たり前の信仰心や善意やシンパシーや敬意というものも、それが近視眼的なものでは、価値がすっかり下がってしまうのではないでしょうか。

 佐藤弘夫さんの「日本人と神」から。

靖国神社と「神国」日本を生んだ、人を「神」に祀り上げる思想の正体

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