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2021.04.26

ジャパネットたかた創業者・高田明さん&能楽師・武田宗典さんと読む「世阿弥」

Img_67dd3f99f4a5454ea7275590fbd0bcc84796 日、「鶯」の語源について書きました。「鶯」というと思い出すのが、和泉流狂言の「鶯」です。和泉流にしか伝わらない作品。蓮如上人が好んだとも言われるこの「鶯」、たしかに笑うというより、なんとなくしんみり考えさせられる曲です。

 そして、今日の話は狂言から能へ。

 その前に昨日、うぐいすも稽古をするというようなことを書きましたが、その「稽古」とはなんなのか。以前ワタクシ流の解釈を書きました。

『稽古」とは

 そこでは「稽古は神変す」と書きましたが、一般には「稽古に神変あり」でしょうかね。無心に先人と一体化しようとしていると、突然わかる瞬間がある。自分で考えるのではなく、向こうからやってくる感覚ですよね。過去と未来が今に一体化する瞬間。

 で、そういう「稽古」って、別に能や狂言などの芸能に限ったことではありません、という話です。

 もう、とりあえず読んでいただきたいのですが、ジャパネットたかたの高田さんと、能楽師武田宗典さんの対談が実に面白かったのです。

 なるほど、伝えて、人の心を動かすという意味では、ジャパネットも伝統芸能の系譜上にありますよね。高田さんが世阿弥の言葉に共感するのも納得できるというものです。ぜひお読みください。

 そして、650年後の最先端にさえ通ずる言葉を残した世阿弥が、いかにスーパー世阿弥マシンであったか(笑)。

世阿弥の名言「初心忘るべからず」の真意、初心は老後にも持つべきものだった!

高田明さんのプレゼン術の真髄は、世阿弥の名言「離見の見」にあった!

いくつになっても「花」のある人は何が違うか、世阿弥『風姿花伝』に学ぶ

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