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2021.04.09

冬木透(蒔田尚昊)『君が代 パラフレーズ』

 

 日のバッハからの「君が代」です。

 というか、ここ一連の記事の流れです。ウルトラセブンの劇中曲を担当した冬木透さん。

 やはり、昨日紹介したあのセブンの十字架のシーン、冬木さん自身やはりパイプオルガンでキリスト教的音楽をつけたかったのだそうです。

 冬木さんはクリスチャンでして、実際優れた宗教曲も多数作曲されています。

 そんなクラシック音楽(と言っていいのか?)作曲家としての冬木さんは、本名の蒔田尚昊(まいたしょうこう)名義での活動が多いのですが、最近は冬木透名義でも素晴らしい作品を発表しています。

 今日はそのうちの一つ、2007年に作曲された「ピアノのための君が代パラフレーズ」を紹介します。

 お聞きのとおり、国家「君が代」をテーマにした自由な変奏曲というか、パラフレーズ(言い換え)ですね。素敵な曲です。君が代もこうして聴くと悪くないな(笑)。

 君が代といえば、今となってはなんだか変な懐かしさがありますが、2016年リオ五輪の閉会式でのあの君が代。三宅純さんアレンジの、あのブルガリアン・ヴォイス風のあれですね。あの頃は東京オリンピック、本当に楽しみだったのですが…。

 その三宅さんのヴァージョン、ピアノ用の楽譜もあるようです。

 

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2021.04.08

バッハ 『復活祭オラトリオ BWV 249』

Th_49d6a7e0853df326dcca916279e3b4ef 日はお釈迦様のお生れになった日。降誕会。花まつり。降誕は「こうたん」ではなく「ごうたん」と読みます。

 ちょうどこの頃、キリスト教でもお祝いがあります。イースターですね。復活祭。

 そういえば、ウルトラセブンは人類のために犠牲となり昇天しました。十字架にも架けられましたし、キリスト的ですよね。

 ところで、昨年の4月5日に、こんな記事を書いておりました。

コラール「おお人よ、 汝の罪の大いなるを嘆け」(バッハの編曲いろいろと)

 昨年の今頃、まさに世界は未曾有の「受難」に見舞われはじめていたのでした。記事にもあるように、その時は「復活」を祈りましたが、あまり状況は変わっておらず、世界は「受難節」が続いているようです。

 今年の復活祭は4月4日でした。コロナ禍は続いており、世界の真の復活、再生はまだ先のようですね。

 今日は真の「復活」を祈りまして、バッハの隠れた名曲「復活祭オラトリオ」を紹介します。

 オラトリオというとバッハでは「クリスマス・オラトリオ」が有名ですが、こちらのイースター・オラトリオもなかなかの名曲です。私はけっこう好きです。

 

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2021.04.07

交響詩「ウルトラセブン」より「第3楽章 ウルトラホーク発進」 / 冬木透

 

 たこのネタでスミマセン。半世紀経って改めてこの番組の影響の大きさを痛感しております。

 音楽面でも大きな影響を受け、今に至っていますね。冬木透さん。彼の音楽については、2月にこちらで少し書きました。

 私が初めて聴いた「大人の音楽」がウルトラセブンの劇中曲でした。今聴いてもとんでもないクオリティです。

 ウルトラセブンが未だに高く評価されているのは、言うまでもなく、子供向け番組でありながら、大人が手抜きせず「未来の大人」のために仕事をしているからです。

 音楽もそう。全く子供に媚びることなく、思いっきり高品質な音楽をぶつけてきました。そういう空気だったんでしょうね、制作現場が。

 ここで紹介した「ウルトラホーク発進」の音楽。このイントロ、テーマ、そして展開部と再現部、全てがまさにドラマチック。ドラマの典型という意味でも、子供はもちろん、大人も魅了されてしかるべき内容でした。

 特にこのイントロ。子供当時の私も異常なほどに好きすぎまして、しょっちゅう口ずさんでました(笑)。いやあ、いいイントロですよね。完璧。

 今さらながらではありますが、冬木透さん、いや蒔田尚昊さんの偉業を知っていただきたく紹介させていただきました。蒔田さんも満州生まれなんですよね。満州生まれの偉大な芸能関係者多すぎ。

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2021.04.06

ウルトラセブン 第38話 『勇気ある戦い』

 

 日の岩井俊二監督の映画からのウルトラセブンです。当然の流れですね(笑)。

 今、円谷プロの公式チャンネルでセブンの第38話が観られるんですよ。昨日の映画の主演でもあった斎藤工さんが変身するシン・ウルトラマンへの流れですね。

 この「勇気ある戦い」、佐々木守脚本、飯島敏宏監督回です。たった24分弱の中で、これだけの要素を盛り込むわけですから、すごいですよね。

 当時の社会問題を含みつつ、宇宙人とセブンの戦いのみならず、人間ドラマ、ヒューマニズムも盛り込むというのが、セブンの特長でしょう。「葛藤」というのが必ず入りますよね。

 こういうところから、無意識の中で学んだことが、今の私の人生を作り上げています。

 昨日の映画でも音楽を担当していた冬木透さんの曲がいいですねえ。途中、最終回につながっていくクラシック音楽(だれの曲かな?)も挿入されています。

 エンディングではダンとアンヌの関係性もさりげなく描かれていますね。

 クレージーゴンの造型や、ミニチュア、そして光学合成も充実しており、たしかにこうして代表作として公開しても恥ずかしくない作品に仕上がっています。

 さて、シン・ウルトラマンはどういう作品になっているのでしょうか。このウルトラセブンのように、半世紀を超えてもいろいろな世代に共有されるような作品がどんどん生れてほしいですね(ウチの娘たちもウルトラセブンマニアですし、幼稚園の園児たちにもいまだにマニアが多いのでした)。

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2021.04.05

『8日で死んだ怪獣の12日の物語』 岩井俊二監督作品

Th_unknown_20210406202801 4月からNHKのBSでウルトラセブンの放映が始まりました。

 こちらに書いたとおり、私の人生はウルトラセブンで始まり、今でもそれが続いています。

 すごい展開の早い、詰め込み感満載の第1回を観まして、あらためてカプセル怪獣(ここではウィンダム)って弱いよなと思っていたところに、実にタイムリーにこの映画を観る機会がありました。

 かなり面白かったですよ。コロナならではの作品。コロナのおかげで映画の方程式も崩れましたよね。崩れて、また新しい方程式が発見される予感がありました。

 岩井俊二監督らしい作品とも言えますよね。同世代としての共感もあり、そしてそれを超える現代性というか未来性というものが提示されて、かなり刺激を受けました。

 ウルトラセブン世代だからこそ楽しめる部分もありつつ、カプセル怪獣を知らなくても充分に見入ってしまう内容だと思います。いや、ウルトラセブンやカプセル怪獣の存在に普遍性があるのかもしれません。

 たしかにコロナは現代の怪獣みたいなものですよね。ゴジラが戦争や核兵器の象徴だとすれば、これから何年かのちに、コロナをモチーフとした怪獣が登場するのでしょうか。

 実際、ウイルスは宇宙からの訪問者、あるいは宇宙人による兵器だという説もありますし。

 個人的には、のんさんがやっぱり宇宙人だなと感じました(笑)。

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2021.04.04

島津亜矢 『SINGER7』より「全力少年」

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 が家で尊敬されている歌手は、美空ひばり、島津亜矢、松浦亜弥、初音ミクです(笑)。

 なぜかといえば、どんな歌でもしっかり自分のものとして歌える人たちだからです。

 特にいい年してまだ歌手になることを諦めない(?)ウチのカミさんは、この人たちをどうもライバルだと思っているらしい(笑)。

 というわけで、そのライバルの中でもかなり強力なのが、この島津亜矢さん。

 先月末に出た「Singer7」もすごい!本当に感動しました。

 どの曲も素晴らしいのですが、ちょっとこれ聴いてみていください。私も大好きなスキマスイッチの「全力少年」です。

 カミさん曰く、この曲、いろいろな意味で難しいそうですが、実にうまい。うますぎる…という難しさもありますが(苦笑)。

 

 先程挙げたライバルたち、みんな何がうまいかというと、音程が正確だというのはもちろん、大きな単位でのリズム感の良さですね(初音ミクはちょっと違うけど)。

 島津亜矢さん、えらいなあ。この一連のカバーアルバム、選曲はスタッフにまかせているそうです。自分が歌いたい歌ではなく、島津亜矢に歌ってほしい歌を歌っていると。だから、知らない曲もあるのだそうです。

 このアルバムの最後の、King Gnuの「白日」もなんだかすごいことになってますね。オリジナルとはまた違ったこの曲の良さ、深さ、歌曲としての質の高さがわかりました。そうそう常田くんって東京芸大のチェロ科だったんですね。たしかにクラシックの要素満載です。納得。

 この曲なんか、美空ひばりもめちゃくちゃうまく歌いそうだな。

 

 

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2021.04.03

和歌の予言力

 日は次女の引っ越しで東京は上野へ。寛永寺のすぐ南にアパートを借りることになりまして、その素晴らしい環境にただただ羨ましくてしかたないワタクシでありました(笑)。

 さて、本当にまさかの上野住まいになった次女、そしてまさかの出戻り(?)で今年度も富士山麓の自宅でリモート大学生をやることになった長女。

 さらに私もまさかの…そう、いろいろと変化がありました。変わらないのはカミさんだけですな。まさに相変わらずです(笑)。

 で、いろいろと予想外なことが多い最近の我が家ですが、昨年の年賀状になんとなくその予兆というか、予言めいたことが書いてあることに気づきました。

 あの時は、本当に時間がなかったので、テキトーに30分くらいで四首の和歌を作って年賀状にしてしまったのですが、そういうテキトーなというか、火事場のクソ力的な創造力って、多分に他者性が強く、その結果期せずして予言的になることがあるんですよね。なにしろ過去の記憶とかによらないので。

 ちょっと他人事のように読み直してみましょうか。

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 私(隆之法師)の歌。これは実は八雲琴のことを詠んだものなのですが、実はここのところ、その糸、絹絃に関するちょっとした(大それた)企画に携わっていまして、これがとっても面白いことになりそうなのです。まさに富士山にて天地(世界)を揺るがす画期的な動きをあるかもしれません。乞うご期待。

 家内(珍彦母陽子)はいつも通りなので、まあいいや(笑)。相変わらず歌を歌っています。

 長女(紗季内侍)は、武蔵野の大学の寮を出ることになったのは大当たりです。その後、どういうわけか、インターネットという大海において音声配信などやるようになりまして、人々と交流するようになりました。大当たりですな。

 そして、次女(琴少納言)。「忍の岡」すなわち「忍ヶ岡」は上野の旧地名。この歌では辛いことを我慢する意味を掛けています。まさに伝統芸能の継承を志して上野に行くことになりましたから、これは的中も的中。おそろしや、和歌の力、言霊の力。

 最近、短歌を作っていないので、久しぶりに頑張ってみます。作るというより降ろせるようにしなくちゃ。

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2021.04.02

南海トラフ地震や首都直下地震、富士山噴火。天災リスクのリアル

 

 このところ、富士山ラドン濃度が乱高下しております。10年の経験上、このような時は比較的近場の地下で何か動きがある可能性があります。

 富士山本体の火山活動ですともっと高い数値になると思いますので、どこかの地震活動の予兆かもしれません。

 先日、駿河湾震源の地震があり、当地もドンと揺れました。もう半世紀近く言われている東海大地震も含んだ東南海地震の発生も、いよいよ秒読みになってきたと感じます。

 まあ、富士山噴火にせよ、東南海・南海地震にせよ、首都圏直下地震にせよ、私が生きているうちに起きる可能性は(自分が明日にでも死なないかぎり)100%に近い。

 これほど確度の高い未来の事象なのですから、当然その準備をすべきです。たとえば、今乗っている車が数分後に事故を起こすことがわかっていたら、みなシートベルトをしますよね。

 それなのに、自然災害に関しては、なぜか私たち人間はある種の諦めというか、みんなで見て見ぬふりをするというか。

 そんなことをこの番組では厳しく指摘してくれています。多少脱線しているところもありますが、そこも含めて日本人の問題点が浮かび上がっていますね。

 自然の脅威に関してある種の諦めを持つことは、昨日の内田さんや先日の鈴木大明神が語っているように、一方では美徳になりうると思いますが、それが行き過ぎると弱点に転じます。

 この対談の中でもどなたかが言っているように、私たちの生活がテクノロジーによって「平時」は非常に便利で、快適で、不安が少なくなっています。では、「非常時」はどうでしょうか。平和ボケではありませんが、どうにも私たちは意図的に忘れようとしているようです。

 10年前の、あの大災害でさえ、すっかり過去のこと、他人事になってしまっていないでしょうか。

 天災は忘れた頃にやってくる。その「忘れた」は、記憶が薄れるという意味ではなく、見て見ぬふりをするようになったという意味なのです。

 最後に、私は鎌田浩毅さんのファンです(笑)。以前紹介したこの本おススメですよ。

 地学ノススメ

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2021.04.01

『日本習合論』 内田樹 (ミシマ社)

Th_41rifxmlql の本のクライマックスに登場する、次の一節こそ、この本で内田さんがおっしゃりたかった「可能性」でしょう。

 「氷炭相容れず」というほどに隔たったものを「水波の隔て」に過ぎないと見立てること、遠いものを近づけ、異質なもののうちの共生可能性を見出すこと、僕はそれが「できる」というところに日本人の可能性があると思っています。

 先日の鈴木孝夫先生の「日本の感性が世界を変える」に深くつながる本。そして、三島由紀夫と東大全共闘の話もでてきます。

 内田先生のいう「習合」「雑種」「ハイブリッド」等は、ワタクシのモノ・コト論ではもちろん「モノ」に属し、作られた「純粋」や「純血」は「コト」に属しますね。

 「これからはコトよりモノの時代」という、一般論とは一見逆に感じられる私のスローガンも、こうして解釈すれば多少は理解されることでしょう。

 私の言説は内田先生に比べるとかなり乱暴で粗悪ですが、言いたいことは完全に一致していると感じました。私は日本語のモノ、コト、トキを通して、いつか日本論、日本人論、日本文化論を書いてみたいと思います。

 「モノ」という言葉が持つそうした深い性質、論理では説明できない性質は、「物語」「物の怪」「物寂しさ」「もののあはれ」さらには「〜なんだもん(の)」に至るまで、私たちのよく知る日本語に生きています。

 さらに言えば、物部氏が信仰した「大物主」にも、そしてその神が象徴する「和魂(にぎみたま)」ともつながってきます。また、その物部氏を倒してしまった聖徳太子が憲法の第一条に置かざるを得なかった「和」に、そのエッセンスが凝縮しているとも言えます。そして、それが「習合」の起点とも言える。

 この本を読みながら、私自身がずっと考えてきた、いや感じてきた何か(=モノ)がはっきりとコト化されたような気がしました。おそらくはそれこそが内田さんの「物語」そのものの機能であるのでしょう。

 実に楽しかった。私もぜひ「頭がでかい」人間になりいモノです(このモノも他者性を表していますね)。

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