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2021.03.31

ホモ・パティエンス(悩める人)

Th_utslppsfritt-energisystem_till-press_ 境問題はエネルギー問題であり、それが実は戦争のない平和な世界への基礎課題であることは、皆さんもよく理解されていることと思います。

 それは昨日紹介した鈴木孝夫先生も常に強調していたところであります。

 今日、こんな記事を読みました。

太陽エネルギーを18年間保存できる液体が開発される 常温で保存可能で繰り返し使える

 たとえばこの「太陽エネルギー・ストレージ」など、どう評価すればよいのか。

 なるほど、たしかに北欧の人たちにとっての太陽エネルギーを備蓄することは夢のような話ですよね。

 それは一見、素晴らしいことのようでありますが、あくまでもこれは人間の「快適への欲望」、すなわち分かりやすく言えば、たとえば私が夏のクソ暑い日に、この暑さをあの厳寒期に持っていければなあとか、反対に寒い時にその冷気を夏の昼間に使えればなあとか、快適な春や秋の季節に一年中この陽気だったらいいのになあとかいう妄想の実現のためのテクノロジーだということを忘れてはいけません。

 私たち人類の生活は快適になりますが、はたしてそうして局所的であれ四季をなくすようなことが、人類以外の生物、あるいは地球全体にとっていいことなのか、それは常に意識しなければならないでしょう。

 私もここ20年くらい、エネルギー問題解決のために、核融合発電と大型キャパシタによる蓄電ということをずっと考えてきましたし、実際科学者や技術者の方々と現実的な討論をしてきました。

 しかし最近、ちょっと違うかなとも思い始めているのです。いくら再生可能エネルギーであったり、ゼロ・エミッションであっても、やはり地球環境に人為をほどこすことには変わりないのであって、根本的なところで「環境に優しくない」のかもしれないと。

 究極的には、ホモ・サピエンス、いや鈴木孝夫大明神のいうところの「ホモ・スチュピド・サピエンス(愚かにも賢くもなりうる人)」がいなくなることが最も環境に優しいのではないか。SDGsとかその「人」は叫んでいますが、お前にそんなこと言われる筋合いはないよと地球は思っているかもしれない。

 もちろん、では欲望のままに突き進んで勝手に滅亡すればよいのかというと、やはりそういうことではありませんよね。なぜなら、そのプロセスの中に巻き込まれて迷惑を被る存在があまりに多いからです。

 だからこそ、私たちは悩める人…「悩める」とは「悩んでいる」と「悩むことができる(悩むことに耐えられる)」というダブル・ミーニングです…ホモ・パティエンスでなければならないのかもしれません。

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2021.03.30

『日本の感性が世界を変える 言語生態学的文明論』 鈴木孝夫 (新潮選書)

Th_41k1wdaipyl 年2月に、私の心の師匠、鈴木孝夫大明神が帰幽されました。

 大明神と称させていただくのは、まさに偉大な底ぬけに明るい神であったからです。

 最後の単行本となったこの本を読むにつけ、私の世界観、地球観、生命観、人生観が、大明神さまの影響を強く受けていることに改めて気づかされます。

 私が大明神を勝手に師と仰ぐのには理由があります。そう、一度家内とともに富士山麓の我が村にて酒席を共にさせていただいたことがあるのです。

Th_img_5698 その夢のような時間のことは、本当に忘れられません。まだ髪の毛のあった頃の私の(笑)、その表情を見れば、それがいかに素晴らしかったかお分かりになると思います。

 この本に述べられている言語論、文明論、日本論を、それこそ滔々と溢れ出る泉のごとく語られた大明神。そのコトタマを全身で浴びた私たち。

 思えば、この奇跡的な邂逅の直後から、本当に信じられないような人生の展開が訪れました。まさに神託を受けたごとくです。

 その当時にはその名さえも知らなかった仲小路彰に出会ったのは10年以上あとのことですが、考えてみると、鈴木孝夫大明神の師はかの井筒俊彦。おそらくは井筒氏はイスラーム学者として仲小路彰をよく知っていたと思われます。

 この本で述べられている内容は、たしかに仲小路彰の思想、哲学に非常に近いと言えます。まさに学統という遺伝子のごとき連関を感じずにはいられません。

 そうした大明神さまの思想に触れていたからこそ、私も仲小路の世界にすんなり入っていけたのだと思います。そういう意味でも感謝しかありません。

 私も、大明神さまの遺志のほんの一部でも嗣ぐことができるよう、ますます精進したいと思います。

 さて、この本、本当に全国民の教科書にしたいくらい素晴らしい内容です。そのエッセンスが皆様に伝わりますよう、「結語」の部分を抜粋引用させていただきます。

 このコトタマたちに感じるところがありましたら、ぜひこの本を購入してお読みください。これから私たち日本人がどのように世界に貢献してゆけばよいか、本当に分かりやすく説明されています。ぜひ。ぜひ。

(以下引用)

一、近時のあまりにも急激な人口増を主な原因とする、あらゆる資源の不足と地球環境の劣化のために、人類は産業革命以来これまでたゆまず続けてきた右肩上がりの経済発展を、最早これ以上続けることは不可能となっている。もし無理してこのまま発展を続行すれば、人類社会は収集のつかない大混乱に早晩陥ることは確実である。

二、従ってこのような破局を回避するために人類は、文明の進む方向をできるだけ早く逆転させる必要がある。人類は今や経済の更なる一層の発展拡大ではなく、むしろ縮小後退を目指すべき段階に来ている。比喩的に言うならば、人類はまさに「下山の時代」を迎えたのである。

三、一つの閉鎖系である宇宙船地球号内で人類がこれまで行ってきた、他の生物との協調を欠く自己中心的な活動は、地上にその悪影響を吸収できるフロンティア、つまりゆとりがある間は、弊害があまり顕在化しなかったが、あらゆる意味でのフロンティアが消滅している現在、すべてが一触即発の危機的状態にある。

四、現在我々が享受している生活の豊かさ、便利さ、快適さ、その結果としての長寿社会の到来、そしてそれを支えてきた、食料を始めとするあらゆる物資の増産、経済の拡大、科学技術の進歩のすべては、人類だけの限られた立場から言えば、善であり歓迎すべきことと言える。

 しかしこれらは皆、我々が美しいと思うこの現在の世界、まだ辛うじていくらかは残っている貴重な原生林や、素晴らしい何千万種といる貴重な動植物、空を舞う大型の鷲や鷹、そして海中の美しい魚の群れまでが、恐ろしいスピードで地球上から永遠に姿を消してゆくことと引き換えに人類が手に入れたものであることを知れば、手放しでは喜べない。このことは遅かれ早かれ人類の生存基盤そのものまでが崩れ落ちることを意味するからだ。この美しい地球を今のままの形で子孫に残したいという願望と、人間の限りのない欲望の追求とは両立し得ないことが、今では誰の目にも明らかとなってしまったのである。

五、言うまでもなく現在の人類の在り方、人々の目指す目標に最も強い影響力をもつ文明は、西欧文明、とりわけアメリカ文明である。ところがこれらの文明は極めて強固な人間中心主義的な世界観に基づく、極めて不寛容な排他(折伏)性を本質とする一神教的正確の強いものである。このような性格の欧米の文明が牽引車となって、二〇世紀の人類社会は未曾有の発展を遂げたが、同時に世界は刻一刻と深刻さを増す破壊的な生態学的混乱に加えて、欧米を主役とする植民地獲得競争と様々な対立するイデオロギーに基づく凄惨な抗争の絶えない動乱激動の時代でもあった。

六、一九世紀半ばまでは世界最長の「外国との不戦期間」を誇る辺境の小国であった我が日本も、欧米諸国の強烈な砲艦外交により「国際」社会に引きずり出された結果、イギリスとロシアの演じる中央アジアの覇権をめぐるグレートゲームの片棒を担がされてしまい、当の日本人自身も驚き戸惑うほどの、戦争をこととする並の欧米型国家になることを余儀なくされたのである。

七、このように日本は中華文明の国として優に千年を超す歴史を持つ国から、西欧型文明国家へのパラダイム・シフトを、明治維新という形の無血革命によって成し遂げ、ついで恵まれた地政学的な諸条件と欧米列強間の様々な対立抗争のおかげで、大東亜戦争に大敗北したにもかかわらず、西欧型の、それも経済技術超大国の一員とまでなって現在に至っている。

八、ところがこの日本は「生きとし生けるもの」との共感を未だ保持する唯一の文明国であり、宗教的にも日本人の圧倒的多数は、一神教の持つ執拗な他者攻撃性を本質的に欠く、神道や仏教的な世界観を失わずにもっている。したがってうわべは強力な西欧型の近代的国家でありながら、文化的には対立抗争を好まぬ柔らかな心性、「和をもって貴しとなす」の伝統を、日本はまだ完全には失っていないのである。

九、私はこの文明論で、いま述べたような性格を持った日本という大国が、現在大きく言って二つの、解決のめどさえ立たない大問題ー環境破壊と宗教対立ーに直面している人類社会が、今後進むべき正しい道を示すことのできる資質と、二世紀半にわたる鎖国の江戸時代の豊富な経験を持つ、教導者の立場に立っているのだということ主張している。江戸時代は、対外戦争がなく、持続可能で公害の伴わない太陽エネルギーのみに依存し、無駄なしかも処理に困る廃棄物を一切出さない、理想に近い循環社会であった。

 そして日本が自らの文明の特性を進んで広く世界に知らせ広めることは、要らぬお節介でも軽率な勇み足でもなく、今や大国となった日本がこれまで世界の諸文明から受けた数え切れない恩恵に、日本として初めて報いる、お返しをすることでもあると考えている。

 

Amazon 日本の感性が世界を変える

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2021.03.29

テレマン 『無伴奏ヴィオラ・ダ・ガンバのためのファンタジア』

 

 昨日、テレマンの無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジアを紹介しました。今日は無伴奏ヴィオラ・ダ・ガンバのためのファンタジアです。

 なんと、この作品、2015年に発見されたものです。作曲、出版されたのは1735年ですから280年の時を超えて、この現代に蘇った幻の作品なのです。

 当時のテレマンは、経済都市ハンブルクの富裕層アマチュア音楽家の要望に応えることに努めていました。それこそバッハとは正反対の姿勢に見えますよね。しかし、これは実はテレマン自身にとっては、最も「芸術的」な創作動機だったのです。

 たとえばビートルズを想起してみましょう。彼らはファンの期待に応える、あるいはそれを超えようとして、あのような「芸術的」な作品群を発明しました。あくまでもファンの存在ありきだったのです。

 テレマンがどのような信仰心を持っていたか私は知りませんが、おそらくはバッハよりは「神に仕える」意識は低かったのではないかと想像します。

 日本人は、(ヨーロッパ的な)信仰心には厚くないと思います。では、日本ではアートは生まれなかったかというと、とんでもない。いわゆる大衆文化が花咲き、それがついにはヨーロッパの「神は死んだ」時代に大きな影響を与えました。

 私は、そういう意味で、テレマンの世俗性というか、ポピュラリティに共感する者です。そして、そういうリアリズム、すなわち宗教(キリスト)というフィクションに拠らないで(もちろんそこに拠ることも簡単にやってのけていますが)作品を生み出すことができるところこそ、かの大バッハが(嫉妬せず)憧れた部分なのではないかと思うのです。

 というわけで、この作品も、実に見事なアートだと思いますよ。特にガンバ奏者にとっては、この時代にこんな素晴らしい、まさにファンタジーに溢れた作品が「再発見」されたことは、とんでもなく幸運なことでしょう。

 正直ガンバの時代は終わりつつあった頃の作品ですが、だからこそでしょうね、新しいガンバの可能性や魅力を発見する作品になっていると感じます。あっ、これ、ガンバだからこその表現だなと思わせるところ満載ですよ。

 この作品が、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのガンバ・ソナタにつながっていったと考えると、父バッハの、次男に託した夢は、見事に実現したと言えるでしょう。

 最後に、私も大好きな、そのC.P.E.バッハのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタハ長調も聴いていただきましょう。

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2021.03.28

『三島由紀夫 vs 東大全共闘 50年目の真実』 豊島圭介監督作品

Th_71gorvjojwl_sx300_ うやく観ることができました。コロナのおかげで1年以上遅くなってしまいました。

 1969年5月。私はまだ4歳。こういう空気が漂っていることも全く知らず、ウルトラセブンと怪獣のソフビを戦わせていました。

 右翼と左翼なんていう言葉はすでに死語だった時代に大学生になりました。しかし、山の中の公立大学には、この頃の残党が棲息していたりして、そこで初めて「政治の季節」というのが過去にあったということを知りました。

 では、それから40年経った今はどうか。実はどっぷりこの「政治の季節」に浸かっているのでした。

 そうは言うまでもなく、仲小路彰という天才哲学者に出会ってしまったからです。仲小路が残した三島の死についての厳しい論評を昨年紹介しましたね。

豊饒の海〜仲小路彰の三島由紀夫評

 死の1年半前、単身1000人の敵の前に堂々と乗り込んだ三島。その様子を捉えたこの貴重な映像。正直の感想は「?」でした。それは、彼の死に対するある種の落胆と似ているかもしれない。

 落胆というと失礼でしょうか。カッコ悪さに対して「傍痛し(かたはらいたし)」と感じたのです。そばで見ていて居心地が悪くなる感じ。

 戦いに臨む勇敢な男を期待していたのに、あれ?という感じになってしまった。いや、「乗り込む」まではいいのです。その後のカッコ悪さがどうも痛々しい。

 ここでも、結局、三島は「戦う」と言いつつ、「言向け和す」ことに終始し、ひたすら優しいのです。だから、ああいう和やかな笑いに満ちた時空間になってしまった。

 いや、私はそういう三島の方が好きです。カッコつけていきがった三島よりも、実は優しく空気を読みすぎる三島の方に共感します。

 本来なら、あのような空気になってしまったら、それこそ駒場900番教室で自決すべきだった。そうすれば1000人の敵に勝てたかもしれない。

 彼が近代ゴリラと揶揄されても、自らゴリラを演じ続けて教室を後にできたのは、皮肉なことに心優しき東大全共闘の1000人のおかげだったのです。だから三島の負けなのです。

 市ヶ谷には、そういう優しさがなかった。味方と思った自衛隊員がみんな冷淡な敵だった。だから、もう自決するしかなかった。では、勝ったのかというと、やはりこちらも負けです。

 いずれも「恥」をかかされたから負けです。それが三島の限界でした。それが傍痛しだということです。

 偉そうなこと言ってすみません。ただ、アフター「政治の季節」世代としては、どうにもシンパシーを抱けないのです。

 そういう意味では、いまだに生きて演劇で世の中と戦い続けている芥さんの方が魅力的に感じられました。

 この季節の総括をしなければ次の時代に歩み出せない、つまり、この季節が私たち世代の足かせになっているのですから、これからも仲小路彰を通じて、私なりに学び続けようと思います。

Amazon 三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

 

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2021.03.27

テレマン 『無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジア』

Th_220pxtelemann 昨日のCPEバッハのところでも出てきた、バロック期最高のヒットメーカー、テレマン。

 気難しく鳴かず飛ばずだったバッハも、テレマンには敬意や親愛を抱いていたようです。嫉妬したりしないところはバッハの人のいいところというか、救いだったのかもしれません。なにしろ、次男にテレマンにちなんだ名前をつけるくらいですからね。

 それは、きっとテレマンの方もバッハに敬意や親愛を抱いていたからでしょう。自分にはできないことをやっているなと。黒澤と小津みたいに。

 二人のコントラストがよく分かる作品があります。

 ちょうどこの前、庄司紗矢香さんのシャコンヌを紹介しましたよね。無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータとソナタは、それこそ宇宙レベルでの超名曲であり、これを超えることは永遠に不可能です。

 その曲集が作曲されたのが1720年。バッハが35歳の時です(どんな35歳なんだ!)。その作品の深さ、演奏の難しさもあって、当時それなりに知られていたと思います。特に宮廷のヴァイオリニストの間では。

 そして、それから15年後、テレマンもまた無伴奏ヴァイオリンのための作品集を書くことになります。

 その内容は、バッハのそれとはまさに対照的。面白いほどに違った様式と内容になっています。

 バッハが伝統的な組曲とソナタの形式を守ったのに対し、テレマンは自由奔放な「ファンタジア」の形を採用しました。その中にはフーガ楽章もいくつか見られますが、それもまたバッハのそれらとは全く違う印象を与えるものになっています。

 それより何よりですね、いちおう演奏家の端くれとして申すなら、難易度が違うとともに、演奏者だけでなく楽器(ヴァイオリン)の気分が全く違うんですよね。

 楽器が喜んで笑っているか、難しい顔しているか。当然前者がテレマンで後者がバッハです。それは「楽器が鳴る」度合いの違いとも言えますが、いやもっと楽器自身の精神的な問題(?)に関わってきます。これって、演奏者ならお分かりになるでしょうね。

 というわけで、その楽器の喜び、笑顔を感じていただくために、佐藤俊介さんの名演を聴いていただきましょう。楽譜も見られますので、バッハとの違いを視覚からも感じ取ってください。

 全体にアイデアに溢れる魅力的な名曲が並んでいますね。テレマンの面目躍如といったところでしょう。

 おそらくですが、当時のヴァイオリニストの中で「バッハのは難しすぎる!もっと楽しい作品を作ってほしい!」という声があったのではないでしょうか。消費者のニーズに答えるのがテレマンのポリシーでしたから。

 

 

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2021.03.26

『俺の家の話』最終回に嗚咽…

Th_-20210328-92436  やあ、本当に感動しました。号泣どころか、自分の嗚咽でセリフが聞き取れないという初めての事態に陥りました。

 宮藤官九郎、そして長瀬智也、西田敏行…その他の皆さん、本当にすごい。これはテレビ・ドラマ史上に残る名作でしょう。

 前にも書いたとおり、能、プロレス、介護と、まさに「俺の家の話」じゃん、と思っていたのですが、そんな次元の話ではありませんでした。

 本当にこの最終回で、私の能やプロレス、そして命や霊に対する考え方が、すっかり変わってしまいました。テレビ・ドラマでここまで自分の魂が変わったのは初めてです。

 娘が能楽師を目指していることもあり、また、まさに人間国宝の宗家と交流する機会もあって、それなりに能について理解しているつもりでしたし、プロレスについても多くのレスラーの方々とお話してきたので、なんとなく分かったつもりになっていたんですね。

 甘かった。どちらも命に、霊に、そして「家」に関わる文化、芸だった。

 少し前に紹介した野村四郎先生のオンライン講座で野村先生がおっしゃっていた「成仏得脱」「祝言性」「悲しみの慰め」ということが、このドラマの最終回を観て、すっと腑に落ちました。まさかこういう形で能の本質に近づけるとは。

 そう、現代の夢幻能だったわけですね。この最終回は。いや、最初からそうだったのかもしれない。

 目に見えないモノの悲しみを、形にするコトによって昇華する。それが能の機能であり、また、怒りや攻撃性を昇華するのがプロレスの機能であり、さらにそれらを総合的に昇華するのがドラマだったのです。

 まさに「モノを招く」という意味での「ものまね」、そして「ワザを招(を)く」という意味での「俳優(わざをき)」であったと。長瀬くんもまた稀有な「俳優」であったと。

 このタイミングで「俺の家の話」を超える「俺の家の話」を、本当にありがとう。クドカン、長瀬くん、西田さん、その他の皆さんに心より感謝します。もう一度最初から全部観ます。

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2021.03.25

C.P.E バッハ 『ヴァイオリン・ソナタ ト短調』

 度末ということもあり、とっても忙しくしております。

 そのため記事の更新が遅くなっている上に、音楽などの動画の紹介が多くなっております。

 今日はバッハの息子の作品の紹介です。この曲、かつては父バッハの作品とされており、BWV1020として知られていたものです。

 ただ、どう聴いても父バッハ的ではありませんよね。そう、いかにも次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハです。

 父の親友でもあった売れっ子作曲家テレマンの影響を強く受けた(フィリップという名もテレマンにちなんだ)エマヌエルは、テレマンの世俗性(ポップ)と父の芸術性(アート)を絶妙なバランスで組み合わせた重要な作曲家であり、のちのハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンにつながる道を開き、また父(大)バッハをのちの世に伝えた重要人物でもあります。

 この曲は、フルートやオーボエで演奏されることも多いのですか、もともとはヴァイオリンのために作曲されました。オブリガート・チェンバロを伴う点では、父バッハの影響を受けているとも言えますが、その機能を見ると、のちの時代のピアノ・パートを伴うヴァイオリン・ソナタの原型を作り上げたと言った方がいいかもしれません。

 華やかな速い楽章も魅力的ですが、それに挟まれた短い緩徐楽章のエマヌエルらしい詩的な美しさが印象的です。これは演奏するのが難しい。どういう気持ちで何を表現すればいいのか、イメージできないのです。キリスト教的な天国観なのかな。

 では、どうぞ。

 

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2021.03.24

追悼 古賀稔彦さん

 きました。若すぎます。

 いろいろガタガタしている柔道界。その中ではやはり特別な存在であった、これからもあってほしかった古賀さんが、このような形で世を去ってしまうことを非常に残念に思います。

 古賀さんとは一度お会いしてお話したことがあります。

 非常に明るく、純粋な魂の持ち主で、私も元気づけられました。

 今日はこの試合を振り返りながら、古賀さんのご冥福をお祈りします。柔能く剛を制す。競技としての勝敗を超えた、まさに「道」がそこにあります。

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2021.03.23

庄司紗矢香のシャコンヌ

 

 日のロカテッリには悪いけれど、同じジャンルの作品としてあまりにも質が違う。というか、同じジャンルではないのかもしれませんね。

 この宇宙的名曲を地球に残してくれたことを神に感謝です。

 今までも、この曲の演奏はいろいろ紹介してきたような気がしますが、モダン・ヴァイオリンでの演奏では、私はこの庄司紗矢香さんの演奏が一番好きです。

 彼女ならではの純粋な精神性が見事に演奏上に昇華されている。おそらくバッハ自身が聴いても感動するのではないでしょうか。

 ある意味普通の演奏ですよね。淡々としている。ヴィブラートも少なめ。パイプオルガンの音のようです。

 この曲はテクニック的な面よりも、解釈の面、すなわち精神的な面で難しい曲です。私はテクニックもないので、とてもまともに演奏できませんが、しかし、理想の演奏を想像することはできます。

 もしかすると、この演奏はそれに近いかもしれません。いや、ちょっと、かなり違うか…そう、私の中の理想の演奏も常に揺れ動いていて、答えが出ないのでした。

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2021.03.22

ロカテッリ 『ヴァイオリン協奏曲 作品3の12』

 

 日、マックス・レーガーの無伴奏ヴァイオリン作品を紹介しました。あれは、バッハのそれの影響を受けた作品でしたね。

 こちらは、のちにパガニーニの無伴奏ヴァイオリンのための24のカプリースに影響を与えた作品です。

 ロカテッリの協奏曲集「ヴァイオリンの芸術」より12番。

 しかし、正確にいうと、これは無伴奏ヴァイオリンのための作品ではありません。なにしろ「協奏曲集」なのですから。そう、有名なカプリースたちは独立して無伴奏ヴァイオリンで演奏されることもあり、また録音もされていますが、本来は協奏曲の中に織り込まれた無伴奏パートなのです。

 その名もカプリース(奇想曲)でして、まさにパガニーニをインスパイアした作品です。たしかに変な曲です(笑)。

 ロカテッリの作品は、当時(バロック時代)としては異例なほどに高音域を駆使する超絶技巧曲でして、もちろん私なんかとても弾けませんし、弾く気もおきません(笑)。

 一般的なバロック様式の奏法では不可能な部分も多く、楽器によっては指板が足りないこともあるようです。

 そういう意味では、未来の演奏家のために、あるいはパガニーニのために作られたような曲でして、この動画の演奏も、いちおうオリジナル楽器風ではありますが、楽器も演奏法も現代的です。

 超絶技巧であることはたしかですが、では音楽として深みがあるかというと、決してそうではなく、ある意味曲芸的なヴィジュアル重視楽曲と言えましょう。そういう音楽も、こうして動画だとまた楽しいものです。

 全12曲ある協奏曲の最後の曲ということで、かなり派手にヴァイオリンが暴れまくっていますね。スコアをご覧になりながらお聴きください(スコアと動画を同時に観るのは無理ですが)。

スコア

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2021.03.21

追悼 村上ポンタ秀一さん 『welcome to my life』

 

 くなりましたが、ドラムスの巨匠にして天才ドラムスコであった村上ポンタ秀一さんの追悼記事を書こうかと思います。

 そのテクニック、音楽性、そして生き様やお人柄において、これほど傑出した方はなかなかいませんでした。

 これほど自然体にジャンルを超えたミュージシャンはいませんよね。そう、彼にとってはジャンルなんてコトはどうでもいいモノだったのでしょう。

 そんなポンタさんの偉大さが1枚で分かるのが、このアルバム。無理やり1枚に仕上げたので、作品としてはたしかにごった煮ですが、そのごった煮感も含めてポンタさんらしいと言えるのかもしれません。

 ぜひYouTubeのページに飛んでみてください。それぞれの楽曲の演奏者名等がコメント欄にあります。とんでもないメンバーです。まさにごった煮(笑)。

 こういう濃い〜人たちの中でも、ポンタさんのドラムは圧倒的存在感ですね。圧倒的存在感で、かつ全体を支えている。単に音としてではなく、心の波動という面でも。いや、それこそが音楽、アンサンブルの喜びなのでしょう。

 こういうスケールの大きい音楽家、いや人間は、なかなか出てこないでしょう。また昭和の男を懐かしむような話になってしまいそうなので、このへんでやめておきます。自分もそういう昭和の男の端くれでありたいものです…。

 ご冥福をお祈りします。

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2021.03.20

地下鉄サリン事件から26年

 

 の日から26年ですか。当時私は30歳。事件を起こした人たちと同世代。そして富士山麓に住み、仏教をはじめとする宗教に興味を持ち、世の中に違和感を抱いていました。

 すなわち、この事件は全く他人事ではなかった。実際、オウムに興味を持ち、今は亡き信者の方々何人かに会ってもいました。まさに紙一重。

 10年前にある本を読んでこんな記事を書きました。

『革命か戦争か オウムはグローバル資本主義への警鐘だった』 野田成人 (サイゾー)

 この記事を書いた時、まだ私は仲小路彰に出会っていませんでした。グローバル資本主義のアンチテーゼとしての革命と戦争というのは、まさに仲小路彰が戦前から取り組んでいたテーマでした。そう、その3者をどのように避ければ良いのか、高次元から考察し続けたのが仲小路でした。

 そう考えると、ある意味オウム事件があったからこそ、私は仲小路彰に出会えたのかもしれません。私(や彼ら)のような低次元の宗教理解では到達し得ない答えを与えられた私は幸運でした。

 もちろん、その答えは目の前に提示されてはいますが、完全に理解できているわけでも、実践できているわけでもありません。それはこれからの私に課せられた大きな大きな課題であります。 

 映画『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』、ぜひ観てみたいですね。正直あれから世の中も私たちもほとんど変わっていない。その中で、こうして当事者同士が語り合うということは非常に重要なことです。時間が経つということは、こういうことが可能になるということでもあるのです。

 そうして過去に流れ去っていく「事実」を思い出すだけではなく、未来から流れてくるモノをしっかり捉えることによって、ようやくその流れていったそのコトの意味が分かってくるのです。

 私自身の葛藤もまだまだ続きます。ただその解決策が、自分自身の中の革命でも、自分自身との戦いでもないということだけはわかりました。時がもたらす出会いのおかげで。

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2021.03.19

マックス・レーガー 『無伴奏ヴァイオリンのための8つの前奏曲とフーガ』

Th_max_reger_playing_piano 日はドイツの作曲家マックス・レーガーの誕生日です。

 レーガーというと、オルガン曲が最初に思い浮かべられますが、実に多彩な室内楽や声楽曲も残しています。

 レーガーはバッハに傾倒していた面があり、やや和声感の薄れた近代的な対位法を駆使した作品も多々あります。

 今日はそんなレーガーの隠れた名品を紹介しましょう。まさにバッハの影響を受けたとおぼしき無伴奏ヴァイオリンのための作品です。

 これらの曲集、ほとんど演奏されることがありませんね。私も生で聴いたことは一度もありません。たしかにこのジャンルではバッハのそれがあまりにも偉大であり、どうしてもレーガーの作品は見劣り(聞き劣り)してしまいます。

 しかし、よく聴いてみると、なかなか味わい深い作品でもあるのです。このジャンル、ヴァイオリンという非常に多声音楽にふさわしくない楽器の、その制約から、禁欲的な内容になりがちですよね。

 今日紹介する「前奏曲とフーガ」の、特にフーガはそういう傾向があります。バッハの作品と比べるのは酷ですが、それなりにけっこう頑張っていると思います。

 この作品117、なぜか4番だけは独立した「シャコンヌ」になっています。もちろん、これもあの「大」シャコンヌを意識した作品でしょうね。なかなかカッコいい作品です。もっと演奏されてもいいのでは。

 

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2021.03.18

笑わせて三流、感動させて二流、見る者の人生を変えてこそ一流

Th_sph_20210319oht1i50032t_thum800 たプロレスネタです。興味のない方、スミマセン。

 今日、全日本プロレスで特別興行『血闘 葛西純 対 石川修司 ~CRAZY MONKEY vs GIANT~』というデスマッチが行われました。

 王道の老舗全日でデスマッチが行われることに抵抗があるファンもいたことでしょう。私も正直複雑な気持ちですが、本来プロレスの持つ多様性という観点からは、まあ意味のある大会だったとも思います。

 もちろん、そのあたりを団体としても認識してか、ワンマッチの特別興行だったとのこと。このコロナ禍で、このような濃密な試合が実現しただけでもすごいことなのかもしれません。

 さてさて、今回の勝者は石川選手でした。負けてしまったデスマッチのカリスマ葛西選手の試合後の言葉が印象的でしたね。

…ちょっと昔に誰かが言ったな。『プロレスラーってもんは、笑わせて三流、感動させて二流、見る者の人生を変えてこそ一流だ』ってな。その言葉が正しいのなら、この全日本プロレスの歴史を狂わせた葛西純こそ超一流プロレスラーじゃねーのかオイ!

 誰かとはTAJIRI選手のこと。世界を舞台に活躍した経験のあるベテランTAJIRI選手が自身のツイッターで、こんな発言をしたことがあるんですね。

 笑わせるのはプロレスで三流、そんなのは学芸会レベル。何かを訴えて泣いてもらうのは二流。一流は、感動させて人生になんかしらの良い影響を与える。人生を変える。

 なるほど。教師にも当てはまる言葉ですね。私なんか、自他ともに認める三流先生(笑)。笑わせるのは大得意です。まじめに何かを訴えるのは苦手だし、悪い影響を与えるが良い影響は…?

 まあ、笑わせるのいうのが、実は泣かせるより難しかったりするのですが。

 つまり、笑わせるだけでは私のような三流であって、人生を変えるような影響を与えることができるような人が、泣かせたり、笑わせたりするのが超一流ということでしょうね。たしかに葛西選手はそういうところあるかも。それを「狂わせた」と表現するところも面白い!

 私の教師生活もそろそろ仕上げに入っています。はたして三流は二流、一流、超一流になれるのか!?

 

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2021.03.17

EV推進の嘘

 日、家内の軽自動車が鹿と衝突してしまいました。富士山麓は鹿が多く、年に何度もヒヤッとすることがあるのですが、今回はどうしても避けられずぶつかってしまったとのこと。

 鹿ちゃんはそのまま森に走り去っていったので、まあとりあえずは無事だったようですが、車の方はなんとか走行できるものの、かなりの破損です。さっそくお世話になっている車屋さんに修理をお願いしました。廃車は免れたようです。

 世界的にはEV(完全電気自動車)への移行が潮流のようですが、たとえばここ富士山のように、寒冷地であり、また積雪も多く、さらに坂道やオフロードも多数あり、スタンドはもちろん人家もまばらなところですと、EVはなんとなく不安です。

 今回のような場合にも、EVだといろいろと心配があります。第一、軽自動車のEVってどうなるのでしょうか。

 以前から、私はEV礼賛の流れに懐疑的であり、全自動車が全てEV化したら、その製造過程、廃棄過程においてCO2は今より多く排出されるであろうことや、電気使用量が激増し、その結果原発をあと10機以上作らなければならないことなどを訴えてきました。

 人間というのは常に近視眼であって、自分のところでCO2が排出されなかったり、電気が足りていれば良しとしてしまいます。なかなか時空を超えた想像力を持ち得ない存在なのです。

 今日は、そんなEVの様々な問題点について語っている動画を紹介します。いろいろな意見があったり、技術革新があったりするのは承知ですが、現状あまりに盲目的というか政治的、経済的な流れになっているので、皆さんにもいろいろと考えていただきたいと思う次第です。

 

 

 

 

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2021.03.16

Bruno Mars Live at Radio 1's Big Weekend 2013

 日もプロレスに関連した別ジャンルの話になります。

 読まなくてはいけない本、紹介しなければいけない本が机の上にうず高く積まれております。年度末というのは、どうにも忙しい。教員として当たり前か。

 さて、そんな忙しさの中、家である仕事をしていると、上の娘が大画面でこの動画を見始めました。ブルーノ・マーズのライヴです。

 

 

 ブルーノと言えば…グラミー賞の発表がありましたね。BTSが賞を逃したことより、パーカッショニスト小川慶太さんが参加するグループが部門賞を獲ったことの方が大事です。それも2回目ですからね。

 さて、今回ブルーノは残念でしたが、すでに11回も受賞しています。いつのまにか、本当に歴史に残る偉大なアーティストに成長したなという感じですね。

 彼の音楽センスや楽曲の良さは、私も認めるところです(上から目線…笑)。60年代から80年代の音楽シーンに多大なリスペクトを抱いている彼の幅広い音楽は、私たちオジサンたちにも受け入れやすい…というか、私たちオジサンをも受け入れてくれる。

 洋楽好きのベーシストでもある上の娘も、親の影響(押し付け?)でそのあたりの音楽を幼少期から聞いてきましたから、彼の音楽にある種の懐かしさすら感じているようです。面白いですね。

 今回、この動画を見聞きしながら、娘と遊んだのは、この曲の「ジャンル」はなんだというゲームです。最終的にはジャンル分けには意味はないことを承知の上で、ゲーム&お勉強として遊ぶのです。

 ご存知のとおり、ブルーノはマイケル・ジャクソンから大きな大きな影響を受けています。マイケルの音楽もジャンルを一言で表せませんよね。R&Bあり、ファンクあり、ロックあり、ポップスあり…あえて言うなら「マイケル・ジャクソン」というジャンルということになりましょう。

 ブルーノもマイケルと同様、あらゆるジャンルの音楽を、自然体で表現してくれます。ですから、こういうジャンル分けゲームは面白いのです。そうすると、それぞれの楽曲のルーツや特徴を、音楽的に把握することができる。勉強になります。

 こういう人が、単純なブラック&ホワイト、あるいはブラックorホワイトではない、ハワイ出身のハイブリッド・タイプであるというのもまた面白いですね。

Th_-20210317-85733 おっと、プロレスの話をしわすれた(笑)。ブルーノ・マーズの「ブルーノ」って、往年の名レスラー、故ブルーノ・サンマルチノにちなんだ名前なんですよね!

 なんでも、赤ん坊の頃、よく似ていたとか。現在のブルーノは、本家とは正反対にちっちゃくて可愛い人ですが。

 生前のサンマルチノと一緒に撮った写真をインスタに上げていましたね。すごいツーショットですよ、これは。

 

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2021.03.15

自宅プロレス

Th_s_minkeimorioka3267 日に続きプロレスネタです。

 コロナ禍、三密満載のプロレス業界も大変だったと思いますが、案外新しい興行のカタチを早く確立し、時代の先端をたくましく生き延びているようにも見えます。

 時代に合わせたという意味では、この「自宅プロレス」も実に面白い!

みちのくプロレスが新企画「自宅プロレス」スタート 選手が出張、反響多く

 ウチでもやってほしい!…けれど、散らかりすぎててデスマッチになっちゃうな(笑)。猫も乱入するし。

 プロレスに限らず、こういう出前パフォーマンスが流行るかもしれません。

 たとえばこの自宅プロレスのように1時間10万円で、ミュージシャンやアイドルを独占できるとすれば、きっと需要はありますよ。

 それこそ「能」なんかもいいんじゃないでしょうか。自宅能。自宅で神事ということです。

 オプションも面白いじゃないですか。選手とちゃんことか。

 エンターテインメントの近代化により、何千人、何万人集めてワーみたいな形が多くなっているからこそ、また、ディスタンスが叫ばれる今だからこそ、1対1とか安全な三密の価値は上がって当然ですよね。

 一度に多くの人に伝えるのは、もしかするとオンラインでもできるかもしれない。ライヴの良さはやはりその「近さ」「独占」にあるのでは。そういう基本に立ち返る良い機会なのかもしれません。

 教育もそうなのかも。オンラインの方が良いことと、リアルマンツーマンの方がいいことと。

みちのくプロレス公式「自宅プロレス」

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2021.03.14

武藤敬司は世阿弥を超えた!?

Th_-20210315-174927 藤官九郎と長瀬智也のタッグによるドラマ「俺の家の話」が好調です。能とプロレスと介護という、まさに「俺の家の話」なので、我が家でも毎回笑って泣いて大変です。

 ということで、昨日は能の話、今日はプロレスの話。

 いや、ワタクシならではの視点、つまり能とプロレスを同じ視点から見ての文章を書こうと思います。

 今日、我が富士吉田市が誇る世界的天才の一人、「俺の家の話」にも出演した武藤敬司(58)が、若きホープ清宮海斗(24)の挑戦を退け、GHCヘビー級王座を守りました。

 これはもちろん、その結果のみならず試合内容においてもプロレス界ではとんでもない快挙なわけですが、能の世界においてはどうかという話をしたいと思います。

 実はこの話、12年前に書いているんです。世阿弥の風姿花伝をプロレスに当てはめた記事。

風姿花伝より「年来稽古条々」〜プロレスと年齢その1

風姿花伝より「年来稽古条々」〜プロレスと年齢その2

 あの時は三沢さんのこともあったりして、あんな記事を書きました。三沢さんと武藤選手は同級なので、私は武藤選手のこともある程度念頭に置いて記事を書いたつもりでした。

 武藤選手も2010年にはボロボロの膝の手術で長期欠場を余儀なくされていますからね。

 そんな武藤選手が、まさか58歳でリアル・チャンピオンになり、若手をバッタバッタと、いや30分以上の長丁場の中でジワジワと攻略して、結果として圧倒的な強さを印象づけて勝利するようになるとは、夢にだに思いませんでした。

 つまり、武藤敬司は世阿弥を超えたのです(笑)。後継者に道を譲るどころか、立ちはだかっている。秘すれば花どころか、若手よりもずっと華やかな花を咲かせ続けている。

 というわけで、私の「風姿花伝プロレス訳」を再掲しておきます。いかに武藤選手がすごいか、そして、前も書きましたとおり、70歳の師匠がメインイベントで活躍してしまっている能(のみならず伝統芸能)の世界の異常さを考えていただければと思います。

 いろいろな意味で、世阿弥はこの私の訳を読んで、どんなことを思うのでしょうか。とりあえず怒らないでほしい…(苦笑)。

 

 …このくらいの年齢(四十四・五)からは、プロレスのやり方がほとんど変わるに違いない。
 たとえ世界的に認められ、プロレスを窮めていたとしても、良き後継者を持つべきである。プロレスの才能自体は衰えなくとも、やむを得ず次第に年老いていくもので、肉体的な花も、観客から見ての花も失っていくものである。
 まず特別に優れた外見の持ち主ならともかく、それなりの者であっても、素顔、素肌をさらすプロレスは、年をとってからは見られないものである。したがって、そちらの方面ではもう試合はできない。
 このくらいの年齢からは、むやみに高度な技を出すべきではない。全体にわたり、年齢に合った試合を、軽く力まず、若手の後継者に花を持たせて、相手に合わせて少なめに動くべきである。
 たとえ後継者がいない場合であっても、ますます細かい部分で体に負担がかかるような試合はすべきではない。どうしようとも、観客は花を感じない。
 もしこの頃まで消えない花があったなら、それこそが真の花であるのだろう。
 その場合は、五十近くまで消えない花を持っているレスラーであるならば、四十以前に名声を得ているに違いない。たとえ世界で認められているレスラーであっても、それなりのプロは特に自分のことを知っているだろうから、ますます後継者を育て、それだけに専念して、あらが見えるに違いない試合をするべきではないのである。このように自分のことを知る心こそ、その道の達人の心であるに違いない。

 …このころ(五十過ぎ)からは、だいたいにおいて、「しない」ということ以外には手だてはあるまい。「麒麟も老いては駑馬に劣る」と申すこともある。そうは言っても本当に窮めたレスラーならば、技は全てなくなって、どんな場面でも見どころは少ないと言っても、花は残るに違いない。
 亡き父であった者は、五十二だった五月十九日に死去したが、その月の四日、静岡県の浅間神社の御前で奉納試合を仰せつかり、その日の試合は、特に華やかで、観戦の人々は一同に賞賛したものである。おおかたその頃は、技を早々に後継者に譲って、無理のないところをごく少なめに色を添えるようにだけこなしたのだが、花はいよいよ増すように見えたものである。
 これは、本当の意味で得た花であるがゆえに、そのプロレスリングにおいては、枝葉も少なく、老い木になるまで、花は散らないで残ったのである。これは紛れもなく、老骨に残った花の証拠である

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2021.03.13

能・狂言から「いま」を読み解く (武蔵野大学オンライン講座)

 

 日、誠に有難いことに、ウチの次女が東京藝術大学に合格いたしまして、この春より能を勉強させていただくことになりました。

 本当に多くの方々のお陰様であり、稀有なご縁に報いることができますよう、しっかり精進させたいと思います。

 私もこれから一緒に能の世界をさらに勉強させていただきます。

 そんな親子の覚悟にちなみ、娘の師匠である野村四郎先生のご講義と仕舞を紹介させていただきます。武蔵野大学能楽資料センターのオンライン講座です。今月末まで視聴することが可能ですので、ぜひご覧ください。

 このコロナ禍だからこそ注目されるべき「能」の世界。見えないモノをカタチにすることよって、それを慰めるのが能の機能の一つでしょう。

 前半の、元国立感染症研究所室長の加藤さんのお話も非常に面白い。なるほど感染症はそれこそ「モノ(不随意)」であり、だからこそ当時の人間にとってある意味とても身近な存在であったのですね。だからこそ生まれた文化もありました。

 科学(医療)だけでは、ここでも言われている「不安の世界的パンデミック」は抑えられません。そこの慰撫は文化の仕事なのではないでしょうか。

 病は気からと申すとおり、不安がこのパンデミックの縮小を妨げているかもしれません。

 モノ(未知・不随意・他者)を敵対視するのではなく、語弊はありましょうが、ある意味仲良き存在として見ることも必要かもしれません。with コロナとはそういうことでしょう。ウイルスを言向け和すことも、きっと昔の人はできた…いや、未来の私たちはできるようになると信じます。

 能の奥義「ものまね」とはそういうことでしょう。「モノを招く」のです。ディスタンスの逆です。

 そして、娘も私も、そうした古くは存した「テクノロジー」を復活させるべく精進させていただきます。

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2021.03.12

ロバート・パーマー 『愛しき人々』

Robert Palmer - Every Kinda People
Th_unknown_20210314174301 んとも忙しいので、家で仕事をしながら聴いた曲を紹介します。

 聴いていたのは1978年の年間ヒットチャート。最近、中二病時代のチャートを何度も聴いています。

 73位がこの曲でした。懐かしいなあ。

 当時はそれほど好きな曲ではありませんでしたが、今聴くといいですねえ。歌詞も素晴らしい。

 で、調べて分かったのですが、これってパーマーが書いた曲ではなく、なんと元Freeのベーシスト、アンディ・フレイザーの作品なんですね。

 のちにゲイであることを公表したフレイザーですが、この曲でも人種を超えた愛を強く訴えており、社会的な様々な壁を破ろうとした彼の思想がうかがえます。

そして、なんと言ってもこの曲で印象的なのは、ベース・ラインですよね。これもフレイザーのアイデアなのでしょうか。その辺にも注目して聴いてみてください。

 

 この名曲は、ロバート・パーマー自身によってリミックス・カバーされています。こちらは1992年版では、ベース・ラインはずっとおとなしくなっています。やはり私にはちょっと物足りないよう気がします。

 

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2021.03.11

「命の世界」 正眼寺 山川宗玄 老師

 

 日は東日本大震災から10年の日。この日に山川宗玄老師とたっぷり3時間お話させていただきました。まさに「命の問答」であり、有難き時間を共有させていただきました。たくさんの智慧を頂戴いたしました。

 山川老師とはご縁あって年に数回、こうして盃を交わしながら問答させていただくのですが、コロナ禍のためこのたびは丸一年ぶりでした。

 本当にいろいろな話題で対話させていただきました。いつもの通り、野狐禅にもなっていない野狸禅のワタクシの屁理屈に、実に気持ちよくダメ出ししてくださります。

 今年は思い切って、得意の時間論や貨幣論をぶつけてみましたが、見事に跳ね返されるというか、軽くずっと上の次元のお話に持っていかれました。これは本当に貴重な体験です。不思議な快感です。

 老師のような修行を極めた方に、私のような頭だけで考えて全く体験していない者が図々しく問答をしかけることは、本当はあってはならないことかもしれませんが、それでも「なるほど」「面白い話ですね」と聞いてくださり、そして私が私の答だと思いこんでいる、いわば固定してしまった観念をしっかり崩してくれるお話を重ねてくださるのです。

 今日のお話の中に、「学得底」と「体得底」という言葉が出てきました。私は「学得底」。老師は「体得底」。説明するまでもありません。

 「底」に関する問答も面白かった。「底なし沼の底」を目指して修行する。プロレス世界の形容「底が丸見えの底なし沼」に近い感覚かな(笑)。

 私も4月からは多少は「体得底」になるよう精進したいと思います。本当にありがとうございました。いつも思うのですが、録音しておけば良かった…いやいや、過去の言葉たちに囚われてはいけないのでした。記憶ではなく、体の中に残ったモノだけが本物です。

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2021.03.10

東京大空襲から76年

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 日、東日本大震災から10年の日となりますが、こちら一晩で10万人以上の方が亡くなった東京大空襲のことも忘れてはなりませんね。

 6年前に「東京大空襲から70年」という記事を書きました。今も私の考え方、感じ方は大きく変わっていませんが、東京のおかれた状況は、6年前に予測したものとは大きく違っています。

 ただ、この近代都市東京の苦悩が、結果として「譲る」ことにつながり、すなわち都市としての「成熟」につながっていくことは確かなようです。

 私の「国譲り理論」は、「忘却」という純粋過去保存の最高の方法を積極的に捉えるものですが、その「忘却」という純粋保存から目覚めさせる、つまり必要な時にその保存したものを掘り返すためには「荒魂」が必要だと考えます。

 その「荒魂」は大地震であったり、戦争であったり、そしてパンデミックであったりします。

 今、まさにその「荒魂」に呑まれ、東京という都市は過去の記憶を呼び覚まそうとしているのです。

 私は東京散歩が大好きなのですが、やはりそれは東京に歴史的レイヤーを感じるからだと思います。

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 先日も日暮里、谷中、根津のあたりを歩く機会がありました。ここは東京大空襲の戦火を免れた場所と言われ、実際古い街並みが残っていますが、実は大空襲の前、3月4日にすでに空襲を受け死者を多数出しているのでした。

 そのため10日は被弾を避けられたのかもしれません。10日は強風ということもあり被害が拡がりました。ある意味不幸中の幸いということです。そんなことを考えながら歩くと、いろいろなメッセージを受け取ることができます。

 ご存知のとおり、谷中にはお寺が密集し、大きな墓地もあります。御仏の御加護があったのかもしれませんね。

 東京の空襲は終戦寸前まで続きました。アメリカは焼夷弾だけでなく、毒ガス、細菌兵器の使用も検討していたと言います。そのような事実も、このコロナ禍をきっかけに掘り起こさねばなりませんし、しっかり語り継がねばなりませんね。

 関東大震災は防災の日として毎年思い出す機会があります。一方、この東京大空襲についてはマスコミでもなかなか報じられることがなく、まさに「忘却」の底に追いやられています。

 日本が悪かったのだから仕方ない…そういう考えがあるのでしょうか。

 様々な悲劇の上にコーティングを施されて成長してきた「東京」。その忘れられた地下水脈が、このコロナ禍に一気に吹き出すのかもしれません。東京オリンピックにまつわる様々な「人災」もその一つなのかもしれません。

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2021.03.09

政見放送(R-1?)

 

 日一番面白かったのはこれでした。今日というか今年になって…かな。

 まさかの小池都知事への公開プロポーズ!

 先日の本物のR-1グランプリが(私には)絶望的に面白くなかったのとは対照的に、こちらは完全に期待を裏切る面白さでした。

 まずトップバッターの河合さん、まあここは期待の通りであり、それ以上でも以下でもなく、まあまあ満足。

 そして次はまあ面白くないだろうなと思っていたら、加藤さんにやられました(笑)。

 そう、もちろんプロのお笑いと比較するのは本当はダメですよ。これって禁じ手ですから。

 私、コント部の顧問やっていた時、こういう禁じ手をよく使ったのですよ。普段面白いヤツ、あるいはいかにも面白そうな外見のヤツが面白いこと言っても全然面白くないので、普段まじめなヤツ、いかにも堅そうなヤツにネタをやらせていたのです。

 もちろん、生徒の場合はプロではないし、自らの殻を破るという教育的配慮(?)ですから、許されるでしょう。

 では、この政見放送での禁じ手は許されるのか?!

 最近、ルールを悪用してNHKの政見放送をネタの舞台にしてしまう人がけっこういますよね。それにはちょっと抵抗があったのですが、この加藤さんは、その(河合さんを上回る)素晴らしい学歴からしても、またある種の佇まいからしても、意図的にやっている感じがしないのです。

 それが最高の禁じ手なわけで、それをこういう場で見せられたら、もうプロもアマも笑うしかないですよね。ホントやられました(笑)。

 笑いすぎて、後半のまじめなお二人まで、なんだかまじめにやっていて面白く見えてしまった。いかんいかん。

 というか、前半の二人も基本的には間違ったことは言っていないのです。いや逆にかなり正しい。政治家が陥りがちな表面的、局所的な問題提起よりも、ずっと本質的、俯瞰的なこと言ってますよ…ね(?)。

 それにしてもプロの皆さん、フリップに頼ってばかりいてはいけませんぞ。

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2021.03.08

Micro USB to Lightning 変換アダプタ

Th_61xrssjimwl_ac_sl1500_ らに忙しいので、今日はさらに軽めのものを紹介します。

 これ便利なので、なんだかんだ6個稼働しています。そう、iPhone用のLightningケーブルって、けっこう高いじゃないですか。ですので、やたら転がっている(絡まっている)MicroUSBケーブルをLightningに変身させるこの変換アダプタを使っているのです。

 もっと安いものもあるのですが、これはハズレがないのと、紛失防止のキーホルダー(?)がついているのでおススメです。

 シェルもアルミ製でほんのちょっと高級感があり、実際強度もプラスチック製よりありそうです。

 もちろん充電だけでなくデータ転送にも対応していますし、装着感もカチッとしていていい感じです。

Amazon Micro USB to Lightning 変換アダプタ

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2021.03.07

全自動コーヒーメーカー CM-503Z (ヒロ・コーポレーション)

Th_cm503z01 ちゃくちゃ忙しいので軽めにいきます。

 最近買った格安コーヒーメーカーです。今のところ、調子よくコーヒーを淹れてくれています。

 ちょっと前までこちらのコーヒーメーカーを使っていましたが、調子が悪くなりまして買い替えたのです。

 先代の石臼式は2年以上毎日ゴリゴリ使いました。もう少し持ってくれても良かったのですが、メインテナンスをちゃんとしていなかったからしょうがないかな。1万2千円くらいで買いましたので、1000日使ったとして1日12円。これは高いのか安いのか。まあ安いか。

 で、今回はもっと安くてなんと5770円でした。新製品なんですが、これは安すぎますね。最初はちょっと安すぎて心配でしたが、使い勝手もよくおいしく淹れられるので満足しています。

 たしかに掃除が楽でいいですね。ただ、水タンクが本体と一体型なので洗浄ができないのと、タンクにコーヒー豆が落ちてしまうと取りにくい(取れない)のがちょっと。ま、気にしませんが(笑)。

 ミル(カッター式)付きコーヒーメーカーとしては、とにかく今までの常識を破った安さですね。これもまた何年持つかが問題でしょう。カッター式なので石臼式よりはシンプルな作りですから期待したいと思います。

Amazon CM-503Z

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2021.03.06

『コロナ後のシン・ニホンとは?』 安宅和人・落合陽一・宮田裕章

 

 ょっと忙しいので、こちらの対談を紹介するだけにします。

 ぜひフルで観ていただきたいのですが。

 安宅さんがおっしゃっているように、今後の世界、特に日本にはパンデミックだけでなくディザスターも続けざまにやってくるでしょう。

 そして、それが「変われない私たち」を変えるきっかけになる。残念ながら、私たち日本人の異常な保守性(もちろんその良き部分も認めますが)を崩すためには、自然(モノ)力を借りるしかない。

 そうした天災など「モノすごき」事態を待望すると言ってしまうと怒られそうですが、実際日本の歴史においては、そういう壮大なる外圧が必要だったりするのです。

 番組中盤で示された「失敗の本質」は、その通りだと感じました。すなわち、「目的が不明」「根拠なき希望的観測」「リスク管理ができない」という日本人の本質です。

 それを踏まえた、番組の最後のお三人のまとめの言葉にも大いに納得しました。

 安宅さん…「(平時↔有事)変身able」「Do ゲリラ」

 宮田さん…「壊す力」

 落合さん…「(権力)つくれる人で集まろう」

 これらを実現するために「デジタル」は必須ということですね。わかります。

 私もいろいろゲリラ的にぶっ壊していこうと思っています。同志よ集まれ!

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2021.03.05

間宮貴子『LOVE TRIP』

Th_m68440856366_1 日も古くて新しいモノ。

 まったく不思議な世の中になりまして、なんとこの人のこと、このアルバムのことを21歳の娘から教えてもらいました。

 1982年の発売ですから、私は18歳。もろにリアルタイム世代なのに知らなかった(スミマセン)。

 では、なぜ娘が知っているかというと、そうアメリカ西海岸から始まった「シティ・ポップ」ブームのおかげで、YouTubeでこの人のこのアルバムがリコメンドされたのだそうです。

 そう、娘はベースを弾くこともあって、この時代のフュージョンやシティ・ポップを盛んに聴いているんですね。

 40年前の音楽というより、21世紀にアメリカで評価される音楽を40年前に日本人が作っていたということですよね。まさに古くて新しい。

 間宮貴子さんも、そんな中、キティ・レコードが気合を入れて売り出そうとしたボーカリストの一人。

 ところが、このアルバム1枚きりで彼女はどこかに消えてしまいました。消息不明です。それがまた都市伝説となって人気が再燃というか、当時はそれほど売れませんでしたから、それこそ40年後に大ヒットしているというわけです。

 作家陣、楽器隊もすごい。来生たかお・えつこ夫妻、三浦徳子、椎名和夫、難波弘之、鳴瀬喜博、沢井原兒、上原裕、井上鑑、松木恒秀、向井滋春、鳴海寛、山川恵津子…。

 たしかにクオリティの高い楽曲が並んでいますね。歌も普通にうまい。演奏も完璧。特にベースのスラップが強烈な印象を残します。

 何よりご本人が一番びっくりしているでしょうね。これほど再生され、そして大量の外国人のコメントが寄せられているのですから。というか、ご本人は…いったい今…。

 

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2021.03.04

工進(KOSHIN) 家庭用バスポンプ

Th_71p0tujtdfl_ac_sl1500_ 日は(も)皆さんにはどうでもいい話題です。

 昨年の今頃から運用している「24時間電気風呂」でありますが、非常にいい感じです(笑)。

 お湯の全面的入れ換えは1週間に1度。結局24時間保温しっぱなし(41度)にしていますので、いつでも風呂に入れます。

 私以外の家族女3人も、その「いつでも」がいいようで結構気に入ってくれています。電気代も想定以下で、結果として灯油ボイラーより安価ですんでいます。

 そんな中、1年運用してダメになったのは充電式シャワーです。スイッチがいかれまして、突然夜中にシャワーが吹き出したりし始めました(笑)。

 まあ1年持ったので良しとしまして、再び同じものを買おうかと思ったのですが、なんだかんだ5000円近くしますから、もっといい方法はないかなと考えまして、こちらにしました。

 これって、実は風呂の残り湯を洗濯機で使うためのポンプなんですよね。それを今まで使っていたシャワーのホースとヘッドに無理やり接続してみました(ホースの内径が違う)。

 結果、全く問題なく使えますし、水圧もちょうどいいくらい。おそらくはポンプの性能(耐久性)も中国メーカーのものよりいいと思いますので、しばらくこれで運転してみようと思います。

 壁にオンオフスイッチがつきましたので、なんだか今までと違って高級感があり、家族も喜んでいました(笑)。まあ、近所のホームセンターで1300円台で買ったんですけどね。

 あっそれから、投げ込みヒーターに100円ショップで買ったブラスチックのザルみたいなのを装着して、加熱しながら入浴できるようにしました。やけどの心配がなくなりました(感電の心配は?…w)。

Amazon 工進 家庭用バスポンプ

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2021.03.03

キャンディーズ 『哀愁のシンフォニー』

 

 きなりですが、今日「ドリフ大爆笑」の初回の録画を観ていて感動したので(笑)。歳とったせいか、どうも最近懐かしいネタばかり(笑)。

 1977年2月ですので、私は中学進学の寸前小学校6年生ですね。この曲がすごく印象に残っているんです。当時はもうビートルズにはまっていたりして洋楽傾向、すなわち早めの中二病が始まっていたのですが、なぜかこの曲は好きだった。

 そして、今日久しぶりにリアルな場(ドリフ大爆笑)でこの曲を聴いて、大人になった私は一人納得したのです。当時は全くわからなかったし意識しなかったのですが、作詞なかにし礼(札じゃない…w)、作曲三木たかしなんですねえ。

 それまでのキャンディーズとは違い、ちょっと大人びた楽曲です。

 特に大人になった私が感動したのは、その転調です。

 この曲、基本はCmですよね。中間部の長調の部分、一瞬どういう転調してるのかわからなかったので確認してみると、A♭になっている。すなわち下属調平行調への転調。

 これってクラシックではたまにありますが、ポピュラー音楽ではあまりないんじゃないでしょうか。同主調ほど露骨ではないし、平行調ほど淡白でなく、ちょうどいい具合ですよね。今聴いても新鮮な感じがする。落ち着いた明るさというか。

 そして、その転調のブリッジが実にうまい。行きも戻りも実に自然。これこそ三木たかし先生の、あるいは編曲した馬飼野康二先生の職人技でしょう。

 もちろんキャンディーズのハモりを含めた歌唱もお見事。まさに実力派アイドルグループでしたね。

 洋楽も邦楽もこの時代は非常に充実しておりました。自分の体験としてだけではなく、客観的に聴いても突出している時代です。音楽大好きな娘たちにもいつも羨ましがられています。「これリアルタイム?すげー!」と。

 たしかにこうして大人になっても違った意味で感動できるわけですから、本当に贅沢な幸せなことです。

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2021.03.02

カサド&原智恵子のボッケリーニ

Th_20200818164513253179_9e2fed5c2de210d4 近不思議なご縁でご本人の遺品と関わることになっている、伝説のピアニスト原智恵子。

 仲小路彰を心の師と仰ぎ、カサドとイタリアに移住後も、山中湖の仲小路にたくさんの手紙を書いています。

 最初の旦那さんは、仲小路彰の右腕であり、高松宮さまの国際秘書であり、キャンティの創始者である川添紫郎(浩史)。

 二人目の旦那さんは、スペインの名チェリスト、ガスパール・カサド。その二人の名演のレコードは多数残っていますが、動く二人の演奏姿はなかなか観ることはできません。

 そんな中、YouTubeでシェアされているのが、デュオ・カサドのこの貴重な二つの動画。両方ともボッケリーニのソナタ。

 最初は1962年の来日公演より、第6番の第1楽章。

 

 

 うん、これはお二人とも本当に素晴らしい。いや、原智恵子の戦後の評価がおかしいんですよ。あのカサドに認められて結婚までして、最後の伴奏者(伴走者)になっているわけですから。

 続いては第6番の1楽章。これまた素晴らしいとしかいいようがありません。お二人の弱音の豊かさ(というパラドックス)がケタ違いですね。

 

 

 原智恵子はカサドとの結婚にあたり、二人の息子を捨てた女として日本ではずいぶん非難されたようですが、元はといえば最初の旦那さんの川添紫郎(浩史)が先に梶子さんといい仲になっちゃっていたので、ちょっと可哀想ですよね。まあ、ヨーロッパ的な感覚の持ち主であった原智恵子を、日本の当時の女性観が理解できようもありませんがね。

 純粋に音楽家として再評価されることを祈ります。

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2021.03.01

『ゲンロン戦記ー「知の観客」をつくる』 東浩紀 (中公新書ラクレ)

Th_51wn470pul_sx315_bo1204203200_ 日紹介のホリエモンとの対談でも話題になっていたこの本。

 いわゆる内容については他の方におまかせします(たとえばAmazonのレビュー)。面白かった…というのはやや憚られますが、最近読んだ本の中では抜群にひきつけられました。

 皮肉なことですが、東さんのご著書の中で最もしっかり「哲学書」になっていました。

 いや、それってとても本質的なことですよね。

 やはり、哲学は実生活、実社会から乖離してしまってはいけないのです。また、一人の人間の生々しい人生から離れても成立しないのです。

 ここまで自らの失敗や弱点をさらけ出すには、ある種の修行が必要です。そう、宗教的な悟りもそうなのです。

 ですから、この本の何が私をひきつけたかというと、そうした東さんの悟りの境地と、それに至る修行の過程のリアルさです。

 私も、今までたくさんの哲学書や宗教書を読んできましたが、この本ほど実用的な力を感じたものはありませんでした。

 私も、哲学や宗教や芸術の世界に逃げてきた。こちらの方が上で、世間を見下しているようなところもあった。そんなことを、こうして告白してしまうほどに、東さんのこの本は、私を開眼させてくれました。

 おそらく私自身も、経営的なこと、お金のことはもちろん、その他の面倒なことも苦手なことも人任せにしてきたのだと思います。ですから、ここでもし私が独立でもして会社でも作ったら、おそらく東さんと同じ道を歩んだことでしょう。

 まあ、それが真の修行となり、結果として悟りや哲学が得られるのなら、それもいいかもしれませんが、やはり私たち人間は、こうして他者の経験、特に失敗から学ぶことができるわけですから、轍を踏むわけにはいきませんね。

 というわけで、本当に「有難い」本でした。

Amazon ゲンロン戦記

 

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