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2021.02.05

これからは音声配信の時代!?

Th_images_20210206104301 い話が続いたので、今日は新しい話を…と思ったのですが、結局古い話になりそうな予感。

 ここのところ、Clubhouse が話題になっていますね。私は招待してくれる人がいないので未体験ですが(さっそくご招待いただきました。ありがとう!)。

 話を聞いたところによると、結局「限定ライヴ」なプレミア感があるのかなと感じました。そして、それは先祖返りであるとも言える。

 ある面では動画コンテンツから音声コンテンツへ逆戻りということですし、ある面ではアーカイヴ化されない消えゆくモノの魅力であったり。

 コロナ禍の巣ごもり需要の一つとして、それまで当たり前にあった友人との他愛のないおしゃべりや、居酒屋での愚痴りや激論の代替環境という意味合いでも、やはり古くささも感じます。

 第三者というか、居酒屋の隣の席の他人が会話に乱入してきたりするのもまた、古いアクシデント的コミュニケーションのあり方とも言えますね。

 基本実名顔出しというのも、よりリアルの感覚に近い。もちろん、優れたシステムでほとんど相互の会話に遅延がないというのも、リアルに近い要素の一つです。

 これから Clubhouse がどのように発展するのか、あるいは一時のブームで終わってしまうのか、注目していきたいと思います。

 さて、こうした音声配信コンテンツやプラットフォームが復権してくるのは予想されていましたよね。実際、既存のSNSプラットフォームが音声部門を強化しています。

 言うまでもなく、音声コンテンツは、映像、動画コンテンツと違って「ながら」が可能であること、データ量が少なくてすむこと、テキストとは違って微妙なニュアンスを伝えられること、アーカイヴに残さないことによって「一回性」に価値を与えられることなど、さまざまなメリットがあります。

 結果として音声情報の占有時間は長くなります。ある意味では縛られる時間が長くなるわけですね。それは、デジタル化による「こちら側」優先の流れに反し、「あちら側」を優先することになります。

 これは私の「モノ・コト論」からすると、「モノ(不随意・他者)→コト(随意・自己)」という近代化の流れに対するカウンター、つまり「コト→モノ」というポストモダンの運動性の一つとも捉えられます。単なるノスタルジーとは違いますね。

 コロナ禍で期せずして実家に巣ごもりすることになった大学生の長女は、昨年秋から音声配信をするようになりました。なんだかよくわかりませんが収益化もしているようで、最近私にいろいろおごってくれます(笑)。

 YouTubeの時代はもう終わりつつあります。いろいろな意味で飽和状態です。これからは音声配信の時代であり、それはかなり長く、いやほぼ永遠に続くものと思われます。

 あとはプラットフォームとしてどこが勝つかということでしょうね。

 トーク、音楽、環境音、生活音…さまざまな音声コンテンツをどのように融合していくか。そして、どこまでSNS性、インタラクティヴ性を取り入れるか。他のメディアとの関係をどのレベルで結ぶのか。音声のテキスト化やアーカイヴ化をどこまで許すか。いろいろ注目すべき課題がありますね。

 このブログは完全なる「ストック」メディア。「フロー」メディアとしての音声配信にも興味があります。私も音声配信するか、それともプラットフォームを作るか、いろいろやってみようかと思います。

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