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2021.02.28

『曼荼羅』 石堂淑朗 脚本・実相寺昭雄 監督・冬木透 音楽作品

Th_91gawykqf7l_sx300_ 日の「波の盆」が、実相寺らしくない(常識的な)作品だとすれば、このATG映画「曼荼羅」は、めちゃくちゃ実相寺らしい(過激な)作品だと言えましょう。

 ちょうど50年前の作品ですか。作品の最後にもちらっと示唆されていますが、三島由紀夫の自決の余韻、すなわち左も右も行き詰まったあとの学生の行き場のなさ、虚無感を見事に映像化していると思います。

 時間は観念であり実在ではない…随所に聞かれる時間論も面白いですね。

 こちらで全編観ることができますが、いきなり濡れ場ですので音量にはご注意を(笑)。

 虚無感の行き先が原始共産制であったり、エロチシズムであったり、カルト宗教であったり。ソフトになったとはいえ、半世紀経った今も、その行き場のなさは続いています。

 ソフトになったというか、私たちはそこから目をそらすようになってしまったのですね。ごまかしている。私の世代はそういうごまかし世代のトップランナーです。

 ですから、諸先輩たちの魂の格闘の跡である、このような作品を直視するのはいいことだと思いますよ。退屈だとか、つまらない、わからないと言わないで。

 石堂淑朗とは全くタイプは違いますが、昨日の倉本聰もちゃんと格闘していますよね。

 さて、私がこの映画が好きな理由の一つに「音楽」が挙げられます。これもまた昨日の武満徹とはタイプは違いますが、冬木透の音楽がいいのですよ。全編にわたってパイプオルガンのみ。

 それが無調性な感じから、最後バロック期のコラール前奏曲のような調性感という意味を持つことになり、そして「死」「敗北」に至る。それをまとめてくれた動画がありましたので(マニアックだ!)、とりあえず映画は見ずとも、これを聴いてみてください。

 冬木さん、ウルトラセブンの音楽のイメージが強いけれど、学生時代は教会オルガニストのアルバイトしていたんですね!その時の経験が活かされた見事なオルガン音楽です。

 

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2021.02.27

『波の盆』 倉本聰 脚本・実相寺昭雄 監督・武満徹 音楽・笠智衆 主演作品

4988102948818_1l いけれどいつまでも新しいお話の続きです。

 先日紹介した「レモンのような女〜私は私」を監督した実相寺昭雄の遺した超名作テレビドラマ「波の盆」です。

 1983年(昭和58年)の秋に放送され、のちに文化庁芸術祭大賞やテレビ大賞優秀番組賞を受賞することになりました。

 実相寺にとっては1964年以来約20年ぶりのテレビドラマ。円谷プロのウルトラシリーズなどから、ATGのアヴァンギャルドな映画、テレビの音楽番組などの演出を手掛けてきた実相寺は、当時急速に発達したビデオカメラに興味を持ったようです。

 常に新しいことに挑戦しつつ、自己の中には明らかな「実相寺調」を確立していた中、この作品は新しさとこだわりが絶妙なバランスを見せてくれています。

 多くの「一般人」が見るであろう日本テレビの単発ドラマということもあり、また脚本が倉本聰であったり、音楽が武満徹だったこともあってか、いつものぶっ飛びが微妙に抑制され、まさに「ちょうどいい感じ」に仕上がっています。それが高評価につながったのでしょうね。

 テーマは太平洋戦争によって日本とアメリカに分断されてしまったハワイの家族の物語。倉本聰らしいヒューマニティあふれる素晴らしい脚本。ある意味では当時の実相寺らしくない脚本です。

 笠智衆の俳優人生においても、代表作と言っていいものです。こういうレベルのドラマがなくなったのはいつ頃からでしょうねえ。

 

 

 そして、これを忘れてはいけません。武満徹の音楽。これもまた武満の代表作の一つとなりました。

 動画のコメントにもありますが、指揮者の岩城宏之があまりの美しさに指揮しながら泣いてしまったと。そして、コンサートマスターのヴァイオリニストもまた泣きながら演奏していそうです。たしかに美しすぎる…。

 

 

 

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2021.02.26

いろいろな「二・二六」

Th_-20210227-105920 日の「俺の家の話」は神回でしたね。プロレスと能、介護に続き、歌謡曲まで登場して、いよいよ「俺の家の話」が俺の家の話になってきて家族で笑っちゃいました。クドカン、ウチを取材してるんじゃないの?w

 というか、そのように思う視聴者が多いのではないでしょうか。本当に様々なレイヤーにおいて共感を得る素晴らしい脚本だと思います。

 さらにその後、見逃した「ジャイアント馬場23回忌追善興行」の放送を観て、昭和や平成を懐かしみました。

 昼間は、例年の内容とは違わざるを得ない卒業式の予行がありました。次女も卒業ですし、個人的にもいろいろと思うところがありましたね。あさって日曜日が本番です。

 もちろん、二・二六事件から85年の日でもあります。何度も書いていますが、私たち夫婦は80年の時を経て、二・二六事件に完全に巻き込まれ、そしてその霊的解決のお役目を負わせていただきました。あの日から5年ですか。

 その後のこのような展開も含め、本当に霊界の不思議を感じざるを得ません。

Th_51466kwqgll_sx298_bo1204203200_ そして今日は、そこに強く関係してくる仲小路彰の120回目のお誕生日でもあります。仲小路は1901年2月26日生まれなのです。

 今年はいろいろな感謝の気持ちも含めまして、仲小路彰が21世紀の今のために書き遺した文献の整理や出版への活字化のお手伝いをしたいと考えています。

 今年は、仲小路彰がその思想のシンボルとして柱に据えた聖徳太子の1400年遠忌でもあります。旧暦の2月22日が忌日ですから、ここから4月の上旬までいろいろな行事が計画されています。

 聖徳太子にまつわる仲小路文献にも大変重要なものがありますので、それらも日の目を見るように尽力いたします。

 というわけで、今日は本当にいろいろなことを考えさせられる2.26でした。

Amazon 未来学原論

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2021.02.25

(マイナスな)コトタマは恐ろしい…

Th_-20210227-100606 「トタマ」は文献的に言いますと「言霊」よりも「事霊」と書かれることの方が多く、一般的な「言葉が持っている不思議な霊力」というよりは、「意識のエネルギー」と解釈した方が自然です。

 ここのところ、特に「意識のエネルギー」が未来に働きかけていることを実感することが多い。それはマイナスの意識の結果である場合の方が強く感じられます。

 私は、比較的穏やかで人を恨んだりしない性格に見られがちですが、実は心の奥底には強いマイナスの意識も持っています。口には出しませんが、どうしても人道的に許せない人と接していると、絶対に失脚させてやるとまで思うのです。

 ただ、実際に手を下すかというと、そういうことは全くありません。なぜなら、自ら手をくださなくても結果思い通りになるからです。怖いですね(笑)。

 実は今日ニュースになった某団体の元事務局長や会長さんに対しても、2年ほど前に「絶対許さない」「社会的に葬り去ってやる」と真剣に思ってしまいました。それがこういう形で現実化したので、かなり驚いている次第です。

 実際、彼らの保身的、偽善的、高圧的な行動にはひどい目にあいました。彼らの文京区の本拠地に呼び出され、4人の屈強な連中に囲まれて一方的に詰問されました。彼らの権威主義、隠蔽体質をその時確信し、私は時間をかけてでも絶対に反撃してやると決心したのです。

 私の中で、具体的に反撃する術も考えていましたが、結果としては何もせず、ただ意識し続けるだけで「思い通り」になってしまいました。

 怖いですね。

 実はこういうことが結構あります。身近な所はもちろん、こういう全国ニュース的なところまでいろいろです。ですので、自分でも「やりすぎ」に注意しつつ、一方で世の中に跋扈する悪や偽善を退治するために利用しているのでした。

 スミマセン、なんだか怖いことお話しして。

 もちろん、おそらくこれは私だけの意識の結果ではなく、「集合意識」の結果でありましょう。多くの人に恨まれるようなことをするといいことがないということですね。気をつけましょう。

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2021.02.24

保守とリベラル、全ての多様性を奪ったSNSの功と罪【東浩紀×ホリエモン】

 

 編のタイトルは『SNS時代における「論壇とネット教養」』です。とても面白かったので共有します。

 SNSが人間をおバカにしたのは間違いありません。

 自分もこのブログやツイッターをやっております(最近はClubhouseもかじっていた)ので、ずいぶんおバカになったという自覚があります。

 反面、以前では考えられないような出会いを招いてくれたという功の部分もあります。罪ばかりではないのです。

 罪の部分は、自覚によってなんとかコントロールをすることができますから、要はそれさえできれば、ここでの論点は解決するとも言えましょう。

 では、どう自覚させるか。

 これは教育の問題につながってきます。

 実はSNS以前に、学校教育の段階ですでに「考えない」ことを強要しているのでした。生徒の側も、入試に必要な知識のみを要求し、決して深く考えるという面倒くさい時間を求めたりしません。

 つまり、SNSの罪の部分は、SNS自身の罪ではなく、SNSを登場させ流行らせた学校教育に責任があるのだと思います。

 安直な一問一答的教育(学習)がなされている限り、その解決は困難、いや絶対に不可能であると思います。

 ですから、この問題を根本的に解決するためには、やっぱり「学校をぶっ壊す」必要があるのです。

 ワタクシゴトになりますが、明日、次女が某国立大学の二次試験(の一次試験)を受験します。その世界は、いわゆる学校教育とは全く違う教育がされている世界であり、私は最近そこに古くて新しい教育システムを見るような気がしているのでした。

 正直、SNSとはかけ離れた、正反対の世界ですので。結果はどうあれ、そういう「わかる」ことの永遠にない世界を体験している娘を見ると、少しうらやましくさえ感じます。

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2021.02.23

天覧授業

Th_unknown_20210225133601 日は「象徴の日」。すわなち天皇誕生日であり富士山の日であります。

 かえすがえすも日本文化の両象徴の日が重なるというのは奇跡的なことですね。

 ここ富士北麓地域では、かつて皇室は富士山で即位式をしていたという伝説があります。平成16年に、今上陛下(当時皇太子)がその即位式の霊山、御正体山に登山されたのは偶然ではありません。そのあたりをよく勉強されていますから。

 さてさて、今日、61歳になられた天皇陛下が記者会見を行いましたね。

 世間では眞子さまに関するご発言があったことが注目されていましたが、私は地味に「オンライン」のお話が心に残りました。

 中でも、愛子さまの大学でのオンライン授業に関しての下記のご発言。

 私たちも,愛子がオンラインで授業を受けているのをそばで見る機会もありましたが,私たち自身も,新たな知見を得ることができたり,何か学生時代に戻ったような気持ちになりました。

 私も何度か書いているように、オンライン授業をやってみて気づかされたことが多々ありました。特に、そこに家族がいて見て聞いているかもしれないという事実には、たったそれだけのことで、こちら教える側の気持ちがこれほど変わるのかという発見をもたらしました。

 逆に言えば、普段の私たち教師の授業は、教室という閉鎖的で専制的、さらに独断的な場で行われているのだということです。そこに異常性を感じなかった自分を恥じました。

 本当に恥ずかしいお話ですが、オンラインの方が授業の内容もよくなるし、言葉にも気をつけます。また、生徒の反応や発言を拾うことにもちゃんと意識が向くのです。つまり、普段はかなりいい加減だということですね。

 それにしても、愛子さまの授業を陛下がご覧になっているというのは、考えてみるとすごいことです。つまり「天覧授業」。その授業を行っていた大学教授に、そのような意識があったかどうかはわかりません。スポーツにせよ、音楽にせよ、「天覧…」の緊張感はすごいといいますから、知っていたらいたで大変なプレッシャーだったことでしょう。

 まあ光栄であるとも言えますね。自分だったらどうだろう…。

 天皇に限らず大変な地位の方が市井にまぎれて和光同塵、庶民の生活を見聞するという話は昔からありますね。これが現代においては、オンラインで実現するということです。

 まあ、ツイッターでアメリカ大統領がつぶやいたりするのもそういう種類のものなのかも。Clubhouseで有名人が突然乱入してくるのも。

 「お天道様が見ている」という感覚は、日本人にとって非常に重要なものでした。もかしすると、これからはテクノロジーによって「お天道様が見ている」社会が復活するのかもしれません。いや、「お天皇様が見ている」社会が到来するのかも!?

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2021.02.22

『ユメ十夜』実相寺昭雄・松尾スズキ・天野喜孝ほか

Th_91byvgjn3kl_sx300_ 日は猫の日。猫と言えば夏目漱石…というわけではありませんが、ええと、ここのところ古いドラマや映画を観ることが多いのと、パロディとか偽物とかのネタが続き、虚実皮膜の間と言えば実相寺昭雄監督だったりもして、さらに我が校のYouTu部がいろいろなメディアから取材されたりして、短い作品をいかに魅力的に作るかとか考えていて、それでこのオムニバス作品を鑑賞することになりました(長い道のりでした)。

 これ単純に面白いですよね。唯一原作通りやってしまった大ベテラン市川崑監督の第二夜が、ある意味一番目立ってしまっている(笑)。

 ほかはベテランでありながらいつまでも少年のような実相寺昭雄監督や、いつもふざけてる人や、若くて常識に縛られない人たちが、まじめに(?)漱石をパロったので、とにかくカオスになっております。

 私は嫌いではありませんが、どうでしょう、夏目漱石を神と崇める方々にとっては苦痛というか怒りの対象でしかないのかもしれませんね。

 どれもそれぞれ面白いのですが、やはり2006年(平成18年)の2ちゃんねる文化を懐かしむという意味でも、第六夜が一番笑えましたかね。

 

 

 今日も高校生や某テレビ局のディレクターさんと話しましたが、やっぱりYouTubeの動画って全然アートを感じませんよね。テレビも(映画も?)そちらに寄せてしまったりしていて非常に残念なことになっています。

 単なるノスタルジーではなく、漱石の作品のように、また実相寺の作品のように、時代を超えて「変」なモノを作る必要があるのではないでしょうか。

 というわけで、私は死ぬまでに新作能の本をいくつか書きますよ(と宣言してみる)。

Amazon ユメ十夜

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2021.02.21

ヴィヴァルディ? 『チェロ協奏曲ト長調 RV 415』

 日、本家を超える(?)偽ヴィヴァルディ、いや失礼ネオ・ヴィヴァルディを紹介しました。

 今日は最近偽作と認定されてしまった伝ヴィヴァルディの名曲を紹介しましょう。

 チェロ協奏曲ト長調。かつてはRV415と分類されていたのですが、今ではAnh(おまけ)に追いやられてしまっています。

 私がこの名曲を知ったのは、それこそ偽合奏団の演奏でした。

 幽霊演奏家による絶品ヴィヴァルディ

 さすが幽霊とあって、記事に貼った動画が全て亡霊と化していますね(笑)。

 幽霊演奏家の演奏動画が他にもありましたので、まずそれで聴いてみましょうか。

 

 

 たしかに1楽章の冒頭のユニゾンからしてヴィヴァルディらしくないというか、バロックというより新古典の風味があります。しかし、天才ヴィヴァルディには、そのような先取的を作品もありますし、ソロパートの語法などはヴィヴァルディ的でもあります。

 で、最近は偽作と認定、つまりヴィヴァルディの作品ではないと認定され、では誰の作品なのかという、よく分からない。ただ、その当時のネオ・ヴィヴァルディとして作られたことは確かです。2楽章のシチリアーノは完全にバロックの洋式ですし。

 そして、なんと言っても圧倒的にカッコいいのが3楽章。昨日の実相寺昭雄ドラマでも「協奏曲のフーガ楽章」が使われていましたが、そうしたフーガ風楽章の中でも特に秀逸なのがこの曲のこの楽章。

 ちょっと抜き出して聴いてみましょうか。最近聴いたスマートな演奏です。ピーター・ウィスペルウェイのチェロ・ソロ。

 

 

 こんなカッコいいフーガ楽章を書いたのはいったい誰なのでしょう。テーマの時点で勝ちですね、この曲は。単純な話ですが、属音から始まるテーマなので、出だしを「食う」ことができる。カデンツの段階で次のテーマを始められる。その抜き差しの感じが絶妙です。

 一説では作曲者はプラッティとも。プラッティはヴィヴァルディより20歳ほど若い作曲家。世代的にはまさにヴィヴァルディアンだったことでしょう。

 ヴィヴァルディは「同じ協奏曲を数百回書き直しただけ」などと揶揄されることもあり、私も大学生の時なんかは、まさに若気の至りで、ヴィヴァルディと小室哲哉は全部同じ曲に聞こえるとか、ワンパターンすぎるとか、金太郎飴とか酷評していました(笑)。今は全く逆の評価をしております、二人とも。

 二人ともにすごいのは、それまで全くなかった音楽を作り出し、それが実際に庶民に受け入れられ、要望されてそのオリジナルなスタイルでたくさん曲を書いたということです。ですから、リアルタイムでは大ヒット連続だし、それが飽きられた未来の立場から見ると全部同じなどと乱暴に片付けられてしまうわけですね。

 そんなこと言ったら、いまだに「能(謡曲)」なんか全部同じに聞こえて眠くなる(笑)。私の方がまだまだだという話なんですよね。

 実際、ヴィヴァルディも小室もフォロワーがたくさんいました。バッハだってその一人です。おそらくプラッティも偉大なる大先輩のマネをしてみたかったのです。

 ついでですから、プラッティという作曲家の真作チェロ協奏曲のフーガ楽章を聴いてみましょう。かっこいいですよ。

 

 

 プラッティはコレルリアンでもあったようで、大大先輩コレルリのヴァイオリン・ソナタ作品3を合奏協奏曲に編曲したりもしています。また、当時の最新楽器であるクリストフォリのフォルテピアノのためにも曲を書いているとか。まだまだ知らない作曲家がたくさんいますね。

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2021.02.20

『レモンのような女 第2話 私は私―アクチュアルな女―より』 実相寺昭雄監督・岸恵子主演作品

 のドラマはぜひ観てください!ぜひぜひ!

 昭和なネタが続いておりますが、これは私自身の人生に、私自身の幼少期のメディア体験がどのように影響を与えているかの再検討のためであります。

 今日は実相寺昭雄監督の知られざる名作ドラマを一つ。ウルトラセブンの撮影の合間に撮られた作品ですが、夜9時半からの大人向けドラマでしたから、当然3歳の私は観ていません。親は観ていたかもしれません。

 昨日紹介の地球防衛軍でも手腕を奮った円谷プロの、その特殊技術や着ぐるみ怪獣の質に不満を抱き、マンやセブンでも人間ドラマや勧善懲悪を超えた世界観を描いてしまった実相寺昭雄ですから、こうした一人の人間(それも女性、それも岸恵子が演ずる)を描く大人のドラマの制作とあって、きっと気合いが入っていたことでしょう。

 実は私、今回初めて観ました。そして、その作品としてのレベルの高さに感激するとともに、なるほどこのような時代の空気感が、今の私を作っているのだなあと感心した次第であります。

 テーマがいいですね。教育、学校、先生、株、お金、でっかい夢、高度経済成長、原子力、宇宙開発、社会と私、欲望と倫理、嫉妬心と保身、女性の自立…。

 元々、この第2話は違う脚本が用意されていたようですね。それをフランスから一時帰国していた岸恵子側が難色を示し、今井正監督の映画のために書かれた泉大八の脚本『アクチュアルな女』をもらい受けたのだそうです。

 これ、今井正監督でも観てみたいけれども、いや、やはり実相寺昭雄監督の、この独特の映像美の世界だからこそ、その現代的なテーマ性が引き立ったのではないかと思われます。

 今の時代に観ても、全く色褪せないどころか、それこそ輝きを増すドラマです。つまり半世紀先を行ってしまっていたと。

 実相寺昭雄独特の、あの「なめる」アングルや、キャメラの独特な水平移動、そしてどアップ。どうでしょう、最近のテレビや映画、あるいはYouTubeの動画などに、こんな個性的な映像がありますかね。

 そして、それが単に奇をてらっているわけではなく、圧倒的な「印象」として、そのテーマと共に心に刻み込まれる。これは一つの様式です。能や歌舞伎にもつながる「カタ」の美。

 当時の業界の大人たちには顰蹙を買っていた向きもありましたが、子どもたちには圧倒的な支持を得ていた。そして、その子どもたちが大人になった時に、さらにその価値を上げている実相寺昭雄ワールド。

 その後世界がようやく彼に追いつき、文化庁芸術祭大賞やカンヌCM映画祭グランプリを受賞、東京藝術大学の名誉教授にまでなるわけですからね。そうなってもオペラの演出をしたりアダルト・ビデオ作品を撮ったり、常に「今の一歩先」を走り続けた実相寺昭雄。

 私の潜在意識の中に、視覚と聴覚とともに、一つの世界観、人生観のイメージがしっかり染み付いています。これぞ、メディアの本来の力であり、学校の勉強なんかよりずっと影響力のある教育なのではないかと思いました。

 はたして、今のメディア人はそういう意識で作品を作り上げているでしょうか。まあ、もちろん当時の彼らもそんなことは意識していなかったのかもしれませんが。では、何が違うのか。それもじっくり考えたいところです。

 音楽は冬木透さん。モーツァルトのディベルティメントを全編に散りばめていますが、途中のバロックのバイオリン協奏曲のフーガ楽章風な曲は、あれは冬木さんのオリジナルでしょうか、それとも既存の作品でしょうか。気になりました。

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2021.02.19

『地球防衛軍』 本多猪四郎監督・円谷英二特技監督作品

Th_91ifektfwml_sx300_ ルトラセブンからのこの映画。またまた古い作品の紹介です。これは私が生まれる前、1957年(昭和32年)の公開。

 私が宇宙人であることを公言するばかりでなく、火星と木星の間の小惑星帯を経由してきたと語っているのは、もしかするとこの映画の影響があるかもしれません。

 私の中には、この映画を観た記憶はなく、今回初めてだったはずなのですが、もしかすると少年時代にテレビかなにかで観たことがあるのかもしれません。

 そして、その宇宙人の潜伏場所(つまりロケ地)が、まさに今私が住んでいる富士山北麓であるというのが、またなんとも不思議な符合ですね。ということは、私はミステリアン?w

 まあ、そんな個人的な与太話はいいとして、この作品、本多猪四郎監督、円谷英二特技監督、そして音楽は伊福部昭ですから、それは素晴らしいに決まっていますよね。それもシネスコ、総天然色ですから。

 

 

 ゴジラの流れという意味では、それこそ宝田明さんが出演されていもおかしくないわけですが、宝田さん、1957年には二枚目俳優として「美貌の都」「ロマンス誕生」「大当り三色娘」「わが胸に虹は消えず 第一部・第二部」「大学の侍たち」「青い山脈」に出演していますから、とてもそんな時間がなかったのでしょう。

 そのへんの事情については、ぜひ今度お会いした時に詳しく聞いてみたいと思います。

 その代わりと言ってはなんですが、佐原健二さん、平田昭彦さんが主演されています。その他藤田進さんも含め、そのままウルトラセブンの地球防衛軍につながっていきますね。

 それにしても、この作品、本当に素晴らしい。円谷さんの特殊技術、殊にミニチュアの素晴らしさは今でも感激します。CGよりもずっとリアルなんですよね。本当にすごい。

 光学合成は正直今ひとつですが、終戦後12年ということを考えると、逆にすごいですし、その後のウルトラシリーズまでに短期間で更に進歩していることが分かりますね。

 それから自衛隊や米軍の協力を得た火器での戦闘シーンの迫力は素晴らしい。かなり派手にやっています。ある意味近過去の戦争へのノスタルジーでしょうかね。ああやって、宇宙人や怪獣と戦うことでそれを昇華していた時代ですから。

 米ソの核兵器開発への警鐘という意味では、ゴジラの哲学をしっかり継いでいますし、被爆国として、そして敗戦国として米ソに対して物申す方法としては映画は最善の方法だったのでしょう。

 ところで、ミステリアンが送り込んだロボットモゲラは、実にカワイイですね(笑)。2体ともあっけなく死んでます。そのシーンの動画があったのでぜひ。これはユーモアであり、また機械文明へのアイロニーでもあるのでしょう。

 現代においても、AIに対してこういう語り方というかイジり方も必要ではないかと思ってしまいました。

 

 

Amazon 地球防衛軍

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2021.02.18

『ダンとアンヌとウルトラセブン』 森次晃嗣・ひし美ゆり子 (小学館)

~森次晃嗣・ひし美ゆり子 2人が語る見どころガイド

Th_51qja6v42l た古い話。とは言え、全く色褪せないどころか、ますます輝きを増し、新たな発見と感動を与えてくれるモノです。

 そう、過去のコトではなく、今も生きているモノなのです。

 私が「宇宙人先生」を名乗ったり、「夢は地球を守ること」と恥ずかしげもなく叫ぶのは、間違いなくこのウルトラセブンの影響です。半世紀も前に観たこの作品が、ここまで自分の人生を突き動かし続けるとは…。

 ウルトラセブン本はほとんど読んできたつもりですが、この新刊は格別に面白かったし、なんだか泣けてしまった。決して懐かしさから来る涙ではなく、なんなんだろう、この感覚。

 ダンとアンヌのお二人がお元気で、こうして私たち以上にこの作品を愛し、この作品に影響を受けて続けている(それは当事者ですから当たり前ですが)ことに、なんというかこの世の仕組み、この世の真理というようなものを感じてしまったのでしょう。

 私がウルトラセブンの本放送を観始めたのは3歳になったばかりの頃。思えば、このお二人は「初恋」の対象でもあったのです。

 まず大人の男としてのダンに対する憧れ。自分もこういう大人になろうと真剣に思いました。自分の命をかけてまで、だれかを助けようとする、そんな大人を観たのはダン(ウルトラセブン)が初めてでしたから。

 そして、大人の女…というか、女性を意識したのはアンヌ隊員が初めてでした。おそらくそういうお仲間のオジサンたちがたくさんいるのではないでしょうか。

 今観ても、アンヌ隊員の魅力は筆舌に尽くしがたい(笑)。可愛らしく、美しく、セクシーで…3歳ながら、なんか変な気持ちになったのを覚えています(笑)。

 ウルトラセブン全話(第12話除く)を、そんな私の初恋の二人が語り合うのですから、それは面白くないわけがない。初めて聞く話もたくさんありましたし、あの時代の現場の熱量もたっぷり感じることができました。

 編集に力(愛)がこもっており、一冊の本という作品として見ても魅力的です。最初Kindle版を買ったのですが、すぐに紙の本も追加購入しました。これは私の宝物になりそうです。

Amazon ダンとアンヌとウルトラセブン

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2021.02.17

A TASTE OF HONEY 『SUKIYAKI』

220pxsukiyakiatasteofhoney ょっと古い音楽の話を続けます。昨日の「愛が命」と同じ年に、テイスト・オブ・ハニーの「今夜はブギウギウギ」がヒットしました。

 女性ベーシストと女性ギタリストを中心としたソウル・グループでしたが、その後男性陣が脱退して、結局女性二人組になってしまいました。そんな彼女たちの最大のヒットになったのが、80年の「Sukiyaki」。全米3位。

 言うまでもなく、元曲は坂本九さんの「上を向いて歩こう」。この全米1位の名曲をおよそ20年ぶりに思い出させてくれた功績は大ですね。

 今聴いてもなかなか素晴らしいアレンジです。オシャレなR&Bバラードと琴の音色の融合が印象的。

 そう、このお琴(箏)の音を聴いて、私はすぐに誰が弾いているか分かってしまいましたよ。June Kuramotoさんです。フュージョン・バンド「Hiroshima」の箏奏者です。

 私、Hiroshimaのアルバムを良く聴いていましたから、あの音色とパッセージで彼女だと確信しましたら、やっぱりそうでした。彼女、基本は生田流ですが、ある意味西海岸流というか独自の現代的奏法で実にかっこいいんですよ。

 

 さて、非常に興味深い映像があります。テレビ番組「ソウル・トレイン」での同曲の生演奏です。

 ここで琴(箏)を弾いているのは、クラモトさんではなくて、テイスト・オブ・ハニーのギタリスト、ヘイゼル・ペインです。それもエアーではなくてちゃんと弾いている!そして、めちゃくちゃ上手い!右手はギターのピッキングの要領でいいとして、このアレンジは左手がけっこう難しいのです。かなり練習したんでしょうね、クラモトさんのもとで。

 ジャニス・マリー・ジョンソンの着物姿と踊りもそれなりに様になっていて、ちゃんと専門家の指導を受けたことが分かりますね。

 

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2021.02.16

スウィート 『愛が命』

Sweet - Love Is Like Oxygen

 

 なんとなく懐かしいネタが多くなっているということは、私もそれなりのジジイになってきたということですね(笑)。

 我が青春の1978年。転校などもあってまさに甘酸っぱい思い出がたくさん詰まった年です。そして、その思い出には必ずBGMが。

 当時はビルボードのヒットチャートをノートに記録していたほどのロック好き。チャートにはディスコ・ナンバーが並んでいた時代ですが、当時はそれに抵抗するかのごとくロック寄りの音楽を好んでいました。

 ロックとはいえ、私はかなり軟弱な方でして、なにしろELOがイチオシだったくらいですからね、ブリティッシュ・ロックと言いますか、やはり自分のルーツである後期ビートルズのポップさの系統が好みでした。

 そんな中、久しぶりに聴いて、うわっ、いい!と思ったのがこの曲でした。SWEETはイギリスではSLADEの対抗馬として人気のグラム・ロック・バンドでしたが、中学2年生の私はそんなことは知らず、ただ全米チャートで8位まで登りつめたポップな人たちとしか認識していませんでした。

 皮肉なことに、全米での大ヒットののち、活動の場をアメリカに移して、そして結局ディスコ・ミュージックやR&B、ソウルの波に飲まれて消えてゆくことになりました。

 そして、去年ベーシストのスティーヴが亡くなったというニュースが小さく報じられました。

 ビートルズのあとを継ぐ形で、グラム・ロックというジャンルで頭角を現し、そして70年代をかけ抜けていったスウィート。チン&チャップマンのヒット路線時代もいいけれども、後期のセルフ・プロデュース時代もなかなかいい。

 そして、この曲が一つの結論となって時代が終わっていったのでした。あの頃はそんな歴史的な流れを、ちっとも知りませんでしたが、まあだからこそ純粋に思い出の映像とともに心に残っているでしょうね。あらためてアルバムをいろいろ聴いてみようと思います(簡単に聴けるいい時代になりました)。

 そう、アルバム・ヴァージョンの「愛が命(酸素?)」は約7分。ちょっとプログレ色もあって、ますます好きなタイプです。最後はちょっとディスコに寄せてるし(笑)。

 

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2021.02.15

『放浪記』 成瀬巳喜男監督作品

Th_91ehtqxx5xl_sx300_ 日紹介した本の中で、宝田明さんが一つのターニングポイントになった映画として挙げてる本作。

 四半世紀ぶりに鑑賞しました。

 なるほど、それまでの宝田明さんのイメージとは違う「イヤな男」「ダメな男」を演じていて新鮮ですね。

 本にあった高峰秀子さん演ずる林芙美子との無言のシーン。ここだと特定はできませんでしたが、次第に男の嫉妬心から二人の関係が冷めていく様子を見事に演じていますよね。

 そして、そんな宝田明さんを、ある意味手荒な方法で導き出した高峰秀子さんの上手さたるや。女のしたたかさ、バカさ、可愛さを見事に演じていますね。

 それぞれの女の生き様を通じて、女の幸せとはを問い、さらにそこに男性の不幸や社会の矛盾を照応させて表現する成瀬巳喜男監督の真骨頂。

 作為なき画作りが、これほどに説得力を持つのか。今の若い表現者たちにぜひ観てもらいたいですね。

 それにしても、まあいつの時代も女は強いですね(笑)。男尊女卑とか言われる時代ではありましたが、誤解を恐れず言えば、そういう社会構造でちょうどいいくらい男は弱い生き物なのでした。

 そう考えると、今の世の中はどうなのか。林芙美子が最終的にああやって男性に伍して活躍しても、なんとなく不幸せそうに見えるのはなんででしょうね。

 そして、いつの時代も加東大介演ずる安岡のような「いい男」が損をするのか。いや、得をしたとも言えるのかもしれない…などと、いろいろ思いを巡らせて鑑賞した2時間でありました。名作。

Amazon 放浪記

 

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2021.02.14

『送別歌』 宝田明 (ユニコ舎)

Th_41efzzpsvl_sy344_bo1204203200_ 日突然、宝田明さんご本人から電話がかかってきまして、大いに驚きました。それは驚きますよね。イエ電に突然ですよ。電話に出た家内ももちろんビックリ。

 ちょうどこの本が届き、手に取っている時だったので、なおビックリ。普通ありますか?そんなこと。ある本を買って、その本を開こうかという時に、その著者から電話が来るって…。それも、面識のない遠い世界の人なのですよ。

 本当に最近の我が家の「ご縁」は恐ろしい限りです(笑)。

 もちろん宝田さんが電話をくださったのには理由があります。私の知り合いが某所で偶然宝田さんにお会いして、その後の交流の中で私のことを宝田さんに紹介してくださったようなのです。

 それにしても、憧れの大俳優さん、尊敬する大御所の方からお電話をいただけるなんて…。この「ご縁」の裏、いや上にあるでろう、歴史的・霊的なネットワーク(私はそれをweb0.0と呼ぶ)に感謝するばかりです。

 実はそういう意味で、宝田さんとの出会いをある程度予感していたのも事実です。ここ2ヶ月の間に宝田さんのご著書を2冊おススメしておりました。

銀幕に愛をこめて

平和と命こそ〜憲法九条は世界の宝だ

 いずれも、宝田さんの波乱万丈の人生、そしてそれをたくましく、また決して暗くならずに前向きに乗り越えていく宝田さんの人間力を、しっかり伝えてくれる本でしたが、今回の新刊、宝田さん自身「最後」というだけあって、まさに良いことも悪いことも全て絞り出した決定版となっています。

 語弊があるかもしれませんが、本当にどん底からてっぺんまでを体験されている。どん底にいても腐らず、てっぺんにいても奢らず。まさに未来から流れ来る運命をしっかり両手で受け止めてきた、その命の力に感動しないではいられません。

 グローバルなコスモポリタンでありながら、ローカルな人情にも満ちている。加えて明るく上品で軽やかな生き様。そんな宝田明さんに惚れ込んだ人たちは多数。帯にある「交遊録」を見るだけでもそれが分かります。列挙しましょうか。

 ゴジラ、本多猪四郎、司葉子、森繁久彌、三船敏郎、成瀬巳喜男、高峰秀子、黒澤明、志村喬、藤本真澄、菊田一夫、千葉泰樹、尤敏、石原慎太郎、川島雄三、伊丹十三、江利チエミ、日野原重明。

 その他、美空ひばりや石原裕次郎らとの交流も記されています。本当にすごい人ですね。そして、今でも現役。今日、お電話でお話いただきました朗読劇「宝田明物語」も現在進行形。ぜひ身近なところで上演していただきたい。

 また、その映画ばりの劇的な人生から行き着いた「平和」への思い。それはもちろん「戦争」への思いでもあり、「人権」や「人道」への思いでもあります。

 いつか近いうちにお会いして、いろいろなお話を生でうかがいたいとお伝えしました。その日が訪れるのを心待ちにしております。そして、しっかりその「思い」「願い」を学びたいと思っています。よろしくお願いします。

Amazon 送別歌

 

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2021.02.13

福島県沖でM7.3

Th_img_7400  入りばなを襲った長い揺れ。なぜか揺れを感じる1秒前に停電。揺れの性質からして東北地方で震度6レベルかなと予想しました。だいたいその通り。

 津波の危険ありと判断しましたが、案外震源が深くその心配はないとのこと。とりあえず安心。

 寒い季節の夜の地震ですので、震源近くの方々は大変でしょう。大きな被害がないことを祈ります。

 これは3.11の余震です。割れ残りはまだまだあるはずですので、今後も同程度の地震が東北地方から関東北部で発生するでしょう。M9規模になりますと、余震の収束まで50年はかかると思っています。

 何度も書いてきたとおり、その余震の中でも最大のものは2種類考えられます。一つはアウターライズ地震。これは数十年以内に100%発生します(明治の三陸沖のアウターライズ地震は37年後に発生)。

 もう一つは、今回の地震の震源のさらに南、房総沖の地震です。それを余震や誘発地震と言うべきかは議論のあるところだと思いますが、割れ残りの大きさという意味では、東北地方太平洋沖地震と同レベルの超巨大地震になる可能性があります。

 いずれにせよ、今後もしばらく注意が必要でしょう。3.11に対する3.9の例もありますから。つまり前震の可能性もあるということです。

 さて、今回の地震の前兆現象ですが、我が家で測定している富士山のラドン濃度の1月〜2月のグラフをご覧いただきましょう。

 やはり気になるのは2/7〜2/9の急落とその後の急速な上昇でしょう。私はこれは比較的富士山に近いところの動きを感知したものと考え、その対応地震は今日19時52分の山梨県中西部M3.6だと思いました。ちょっと珍しい震源です。

 しかし、もしかすると、これは福島県沖の動きを捉えたものだったかもしれません。あるいは遠距離ということで言えば、1/24をボトムとする大きな低下がその前兆だったかもしれません。こればかりは正直分かりませんね。あくまで参考までに。

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2021.02.12

追悼 チック・コリアさん

 然の訃報。これはさすがにショックです。ここ数日、たまたま家族で「スペイン」が一時流行し、楽器や口で合奏していたところだった…。

 そして、演奏家としてだけでなく、こういう新しいスタンダードになるような曲を作曲しただけでも、チック・コリアという音楽家はすごいね、という話をしていたところでした。

 この前の「ネオ・ヴィヴァルディ」の記事も、実は「スペイン」が家庭内で流行っていたからこそのものでした。つまり、スタンダード・ナンバーをいろいろな人がアレンジして演奏するというイメージだったんです。そう、それほど「スペイン」は多くの人にいろいろな形で演奏されていますよね。

 ちなみに我が家では、スティーヴィー・ワンダー・バンドの「スペイン」が人気です。

 

 

 チック・コリア自身のスペインもいろいろなヴァージョンがありますが、私の何回かの生チック・コリア体験の中で特に印象に残っているのは、1991年山中湖、Mt.Fuji  Jazz Festival でのゴンサロ・ルバルカバとのデュオ。お酒飲みながら聴いたっけなあ…なんと、ぜいたくな。

 インプロヴィゼーションからのちょこっとスペイン。最高の時間、空間でした。

 

 

 本当に残念です。まだまだ素晴らしい演奏、楽曲を聴く機会があると勝手に思っていました。本当に今までありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

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2021.02.11

『細川ガラシャ キリシタン史料から見た生涯』 安廷苑 (中公新書)

Th_512allzamkl 日に続き、細川ガラシャのお話を。

 この本は学術書の類に入ると思いますが、とても興味深く読みました。もちろん、ガラシャの人生があまりに波乱万丈なので、こうしてまじめに(?)それをなぞるだけでも、大変面白くなりますし、学問的だからこその疑問点も出てきて、ある種のミステリーとして読めますね。

 写真の帯にあるようよ、「彼女の死は、自殺か、殉教か」を考えるだけでもエキサイティングです。彼女の死(他人に殺させたと思われる)は、武士の論理の上にあるのか、それともキリスト教の論理の上にあるのか。あるいは、それらを両立しているのか、いや、どちらでもないのか。その答えは…。

 いずれにせよ、昨日書いたように、彼女の魂には父光秀の魂が乗り移っていたのは間違いなさそうです(もちろん学問的にはそんなことは証明できませんが)。

 私ももう一つの興味の方面から言いますと、バロック期に細川ガラシャを主人公としたオペラが作曲され、演奏されていることは見逃せません。

 ヨハン・ベルンハルト・シュタウト作曲が1698年にオーストリアのハプスブルグ家のために作曲したのが、バロック・オペラ「気丈な貴婦人グラティア」(正式名称は「丹後国王の妃であった気丈な貴婦人グラティア、キリストのために贖った苦しみによってその名を高めた」)。

 そう、以前、有馬晴信に関するバロック・オペラについて、こちらに少し書きました。日本とヨーロッパが、鎖国時代にこうしてつながっていたのは実に興味深い。

 どうしても向こうからの渡来や影響に興味が行きがちですが、その逆もあったのです。そして、それがジャポニスムの大きな流れにつながっていく。

 日本古楽史研究会の皆さんと、鎖国時代の出島での西洋音楽について話したのですが、こうして逆に日本からヨーロッパに文化が輸出されていたのです。もしかすると楽器も渡っていたかもしれない。音楽は、基本楽譜がなかった時代ですから伝わらなかったと思いますが。

 2013年でしたか、イエズス会創設の上智大学で、このオペラの抜粋版が上演されました。そこには細川家当主、細川護熙元総理もいらしたとか。はたして当主にはガラシャの、すなわち明智光秀の魂は継承されているのでしょうか?まあ、陶芸家、茶人としては伝統を継いでいらっしゃいますが。

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2021.02.10

「歴史ミステリー 関ヶ原の勝敗を決めた細川ガラシャ」…麒麟は家康だった?

 

 日、明智光秀の娘、細川ガラシャのことを少し書きました。彼女の人生はまさに波乱万丈。

 しかし、その行動を中心に戦国の世を見ると、いろいろと不思議なことが見えてきます。

 ちなみに出口王仁三郎は明智光秀を智将とたたえるだけでなく、山崎の合戦後も生き残り千利休になったというトンデモ説を残していますが、それもまた、表層的な歴史的事実というわけではなく、おそらくは霊的な同一性について語ったものと思います(すなわち「コト」レベルでの話ではなく「モノ」レベルでの話)。

 ついでと言ってはなんですが、王仁三郎の光秀評を読んでみましょうか。「大鏡」の中にある文章です。

 明智光秀は稀に見るの明将であつたのである。太閤秀吉にあの偉業を遂げさした裏面には光秀の功績を無視することは出来ない、然し表面伝はつて居る歴史では、主殺し親殺しの大罪人の汚名を着て居るが決してそんな大悪人ではない、天下の将来を達観して大所高所から身を殺して仁を為した大勇者である。それでわしは其城趾を手に入れて亀岡に皇道の大法城を築いたのである。建設当時数百年土中に埋没して居つた石垣の根石を掘起して現在の石垣の大部分を築いたのであるが、其の石には毛利とか小早川とか西国大名から献じた印のある石が沢山出て来た、是らから推測しても其当時すでに西国大名の多くは光秀に款を通じていた事が判る。太閤記の十段目の文句に「主を殺した天罰に報いは親にも此の通り」と言ふのがあるが、天恩郷ではそれを絶対に口にすることを禁じて居る。其外光秀を悪ざまに言ふことを一切禁じて居る所以である。人為の歴史といふものは信ずるに足らぬものである。

 ここにもあるように、秀吉に天下を取らせた功績は、ただそれのみでなく、結果として徳川の世を招くきっかけになったと評価すべきです。

 のちに利休は秀吉に切腹を命ぜられるわけですが、これとてもその後の歴史的未来的展開には必要なことであり、また上の動画にもあるように、ガラシャがその後の関ヶ原の戦いの行方を左右したことを考えると、光秀の「天下の将来を達観して大所高所から身を投じて仁を為」さんとしたその志、霊性が娘のガラシャに宿ったとも言えましょう。

 つまり、麒麟は家康であり、それを招くために光秀とガラシャは命をかけたということになりましょう。そうすると、一方の都市伝説、光秀=天海僧正説が生まれたのも納得できるというものです。

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2021.02.09

『ネオ・バロック〜融け合う時空』 三橋桜子(チェンバロ)

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 日、ネオ・バロックもありという話を書きましたが、ネオ・バロック音楽と言えば、このアルバムを忘れてはいけません。

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 チェンバリスト三橋桜子さんとご主人のパブロ・エスカンデさんの共同作品。パブロ・エスカンデさんはアルゼンチン出身の鍵盤奏者であり作曲家。

 まず「ネオ」なのが、バッハの未完作品を完結させていること。私も大好きな、ある意味バッハらしくない情熱を感じる「ファンタジアハ短調」に付随した未完のフーガを見事にバッハ的な作風で完結させています。

 バッハの未完フーガというと、最後(最期)の作品となった「フーガの技法」の最終フーガが有名で、それもいろいろな人が「完結」させています。

 そうした試みは、故人の未完の小説を他人が勝手に補筆して完結させてしまうようなもので、ある意味では許されないことにもなりましょうが、一方で誰もが興味を持つものでもあり、また誰もがそうした行為の権利を持っているとも言えます。

 問題はそのクオリティー。不敬になるのかトリビュートになるのかの境です。

 そういう意味で、パブロ・エスカンデさんの「補筆」は非常によくできていると感じました。私、この未完のフーガがどこまで書かれているか知らないで聴いたのですが、正直「ここから補筆だな」と思った所は間違っていました(苦笑)。

 それほどパブロ・エスカンデさんの補筆が上手いというのもありますが、バッハが彼のフーガにしては珍しく非常に挑戦的というか厳格な型を破っていることにその原因があったのです。

 皆さんもぜひ「ここから」クイズを試したのちに、未完のスコアをご覧ください。たぶん間違えます(笑)。

スコア

 先ほど、幻想曲が情熱的と書きましたが、それはラテン的と言い換えてもいいかもしれません。もともとバロック音楽と南米ラテン音楽の相性はいい。ヴィラ・ロボスやアストル・ピアソラの例を挙げるまでもありませんね。

 バッハに続く、パブロ・エスカンデさんのオリジナル作品がまた良いのです。チェンバロとラテン音楽(風味)って合いますね。

 最近、戦前の日本古楽史を研究している友人たちと交流して、いろいろ驚愕の事実が分かってきているのですが、南米なんかも日本以上にキリシタンがヨーロッパ音楽や楽器をもたらしていたでしょうから、チェンバロでラテン音楽が演奏されたり、いろいろ面白かったに違いありません。

 昨日のネオ・ヴィヴァルディもそうですが、ただただ純粋なオリジナルだけを追い求めるのではなく、時空を超えたコラボ、フュージョンというのが実は面白いのかもしれません。オリジナルには限りがありますが、融合の組み合わせは無限ですからね。

 

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2021.02.08

ネオ・ヴィヴァルディ(!!)

 

 first recording とあるので、えっ?新曲が見つかったのか?と思い聴いてみました。

 たしかに聴いたことがあるようなないような曲ばかりです。そして、非常にいい曲が多い。さらにオリジナル楽器による(と思ったらなっちゃってだった!)素晴らしい演奏。

 しかし、なんか違和感というか、妙な「新しさ」を感じる…と思ってよく調べてみたら、なんとこの曲たち、新曲ではなく旧曲のヴァージョン違いというか、新編曲版だったのですね!そりゃ、first recording になるわな。

 なるほど、これは大河ドラマのような感じで楽しめばいいのか。史実と違う!とか野暮なことは言わないで、その微妙なフィクションを楽しめばいいと。

 回りくどく言わないでずばり言いますと、これらの曲にはヴィヴァルディの元曲がありまして、それを「勝手に」現代のヴィヴァルディ・マニアの人が編曲(ほとんど作曲)してしまったということなのです。すげ〜なあ。さすがイタリア人。

 というか、編曲(作曲)した(しちゃった)のはスペインの音楽学者(にしてヴィヴァルディ・マニア)であるパブロ・ケイポ・デ・リャノ氏。1971年生まれだから50歳くらいか。

 う〜ん、やはりラテン系は違うなあ。これってクラシック界では基本ダメなヤツでしょう。もちろん、楽器編成を変えたりして、その結果音を加えたり減らしたりというのはよくありますが、全体に曲想すら変えてしまうというのは珍しい。

 かと言ってパロディでもない。だいたいジャケットには「8 Concerti Solenni(8つの荘厳な協奏曲)」としか書かれていないし、とにかく「first recording」って書いちゃってるわけですから、詐欺と言われてもしかたないかもしれません。

 ついでに言えば、このアルバムは、Brilliant Classics の66枚組ヴィヴァルディ・エディションの30枚目にさりげなく入っているのです!最後ならともかく、途中の、それも協奏曲のCD群の途中に収まっているのだから、すごい(笑)。全集に偽物(それも最近作られたもの)が混入しているという…。

 いや、私はそれを非難しているのではありません。私としてはカッコよく美しければそれで良いのです。実際元曲より、つまりオリジナルのヴィヴァルディよりも、ネオ・ヴィヴァルディの方が良かったりするので。

 こういうのってポピュラー音楽では普通にあるじゃないですか。クラシックの世界でもこういう「カバー」…ちょっと違うか…換骨奪胎みたいな楽しみ方が流行ってくれると面白いのでは。

 それから、たとえばバロックの様式に従って全く新しい曲を作るなど、本当の意味での「ネオ」が生まれてきてもいいのではないでしょうか(リャノはそれもたくさんやってます)。

 では、最後に、リャノがどれだけうまいこと編曲しているか(やりたい放題やってるか)、実際にオリジナルと比べて聴いてみましょう。

 RV 247。協奏曲ニ短調。原曲はソロ・ヴァイオリンのための協奏曲。それを2本のヴァイオリンのための協奏曲に仕上げちゃってる。1楽章や2楽章は完全に「新曲」。原型がありません。つまり、3楽章のフーガの、あの変なテーマだけを利用していて、あとは完全に「ヴィヴァルディが現代まで生きていたら」的な曲を作ってしまったのです。

 ここまで堂々とやってしまうと、もうすごいとしか言いようがありません。めちゃくちゃいい曲だし。いい演奏だし。どっちがお好きですか。現代人のあなたは。

 ちなみに原曲の楽譜はこちらです。原曲もたとえば188小節の1拍目の和音、これでいいんでしょうかね?間違っているように聞こえます。

原曲

 

編曲(ほとんど新曲)

 

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2021.02.07

「麒麟がくる」最終回に思う…

Th_25ad4182b74322856fcb7ede7c485f4d640x4 「麟がくる」が最終回を迎えました。なかなか面白い「本能寺の変」でしたね。信長の微妙な心理がうまく暗示されており、結果、光秀を主君殺しの悪名から救うことに成功していたと思います。

 本能寺、明智光秀と言えば、11月にこんな記事を書きました。

 明智光秀=千利休!?

 「麒麟がくる」のラストも光秀生存説を匂わせておりましたが、まあそれは古くからある生存説(天海説含む)によるものであり、さすがに千利休説は想定外でしょうね。

 ただ、娘のたま(細川ガラシャ)が嫁いだ細川忠興が、のちに利休七哲の一人となったことを考えると、この説を一笑に付すわけにはいかなくなります。

 ドラマでは、忠興の父、細川藤孝が秀吉に光秀の謀反を密告していましたが、これもひっくり返して、細川を通じて光秀と秀吉は組んでいたとも考えられます。つまり王仁三郎説のように、二人の間には打倒信長の密約があり、謀反人となる光秀は利休となって秀吉を陰で支える役となったと。

 まあ、一般的にはトンデモ説なのでしょうが、智将光秀ならそこまで考えていても不思議はありません。そういう意味では「麒麟」は秀吉だったのか。しかし、二人の関係は皮肉にも崩れ、結果として家康が太平の世を開きます。麒麟の座が家康に移ったのは、利休すなわち秀吉の怨念のためだったのかもしれません。

 そのあたりの流れを、細川ガラシャを中心に考えると面白いのですが、それはまたいつか。

 ところで、いったん逆賊の汚名を着せられ、しかし結果として裏側で太平を開くという意味では、亀山城を買収した出口王仁三郎も同様です。霊界の時間軸で言うなら、王仁三郎が麒麟だったと言えるかもしれません。

 ついでに私のみが知る(?)超マニアックな希少情報ですが、今回芦田愛菜さんが演じた「たま」こと細川ガラシャですが、彼女を演じたいと強く願いながらそれが叶わなかった大女優がいます。原節子です。

 その原節子が演じるはずだった細川ガラシャの脚本を書いていたのが、かの仲小路彰なのです。そして二人は共に生涯独身を貫きました。そこには叶わぬ愛があった…知られざる昭和のドラマです。

 というわけで、次の大河ドラマは渋沢栄一が主人公。渋沢家と仲小路家との因縁も浅からぬものがあります。なんだかすごい(裏の)歴史の渦に巻き込まれている感覚がありますね。

 

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2021.02.06

(続)これからは音声配信の時代!?

 

 日の続きです。Clubhouseに誰も招待してくれないと書いてアップしたら、すぐに友人が招待してくれまして、さっそくClubhouseデビューしました。ありがたや。ま、ラジオのただのリスナーという意味でのデビューですが。

 少し体験してみて、やはりこれはカフェや居酒屋の延長かなと感じました。普段いろいろな意味でなかなか接することのできない方々のおしゃべりを盗み聞きする感覚というか。

 つい聞き耳立ててしまうので、やはり占有される時間がダラダラと増えそうですね。逆に言えば「ながら」が許されるので、占有されると言ってもその度合はこちら側で調整できそうでもあります。

 内容がある程度事前に企画されているとはいえ、どこに向かっていくのか、だれが乱入するのかが分からないというライヴ感があり、アーカイヴ化されないということとも相まって、そうですねえ、感覚としては、深夜放送を聞いている感じというかなあ、そんな懐かしさを覚えました。やはり、新しくて古いスタイルなのか。

 上掲動画もフル視聴しましたが、なるほど皆さん、だいたい私と同じような感覚で捉えていますね。

 いったいこれからClubhouseがどのような形で収益化を図っていくのか興味のあるところですし、ツイッターのように玉石混交、どちらかと言うと石が多い「場」になっていくのか、それとも結局意識高い系の狭い「場」になっていくのか、もっと違う形で健全に成長していくのか気になるところです。

 夜にはあるZoomサロンに参加しましたが、ちょっとワケあって、そして Clubhouse的雰囲気の延長だったからか、このたびはカメラもマイクもオフにしたまま参加しました。そうすると、やはり参加している気持ち、気分が違いますよね。意外に自分ペースで頭を働かせることができ、考えがまとまりやすかった。

 リアル対面でもそうですが、しっかり相手と目を合わせて話を聞くと、どうしてもインプット主体になってしまうんですよね。なんとなくアイデアが湧いてきても、なにか生返事、空うなづきするのも悪いような気がして、それを抑え込んでしまうことがある。

 その点、やはり音声だけのコミュニケーションだと、こちらのペースを守ることができますよね。まあZoomとかでも、下半身はパジャマだったりして、半分自分のペースだったりするわけですが(笑)。

 あと、繰り返しになりますが、やはりアーカイヴが残らないというのは重要なポイントでしょうね。ストックではなくフローの緊張感というか、希少性というか。

 期限付きのアーカイヴ(ストック)も同じような効果を生みますね。私と高城剛さんとの対談や、私と安藤美冬さんとの対談も、ある一定期間だけの公開だったために、ある意味「伝説」と言われるようになりました。これが今でもいつでも聞ける状態だったら、ちょっと違っていたのではないでしょうか。

 Clubhouseでも「神回」はこれからも生まれるでしょうから、録音を有料で売るということも視野に入れてみては。そうすると全体の内容レベルも上がるような気がしますが。いや、そういう下心があると「神回」は生まれないのかも…。

 いずれにせよ、今日は「これからは音声配信の時代」を再確認した一日でありました。春からは単純作業の繰り返しをしなければならないかもしれないので、そういう時のバックグラウンド、いやいやメイングラウンドとして、音声配信にお世話になる予感がします。楽しみでもあります。

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2021.02.05

これからは音声配信の時代!?

Th_images_20210206104301 い話が続いたので、今日は新しい話を…と思ったのですが、結局古い話になりそうな予感。

 ここのところ、Clubhouse が話題になっていますね。私は招待してくれる人がいないので未体験ですが(さっそくご招待いただきました。ありがとう!)。

 話を聞いたところによると、結局「限定ライヴ」なプレミア感があるのかなと感じました。そして、それは先祖返りであるとも言える。

 ある面では動画コンテンツから音声コンテンツへ逆戻りということですし、ある面ではアーカイヴ化されない消えゆくモノの魅力であったり。

 コロナ禍の巣ごもり需要の一つとして、それまで当たり前にあった友人との他愛のないおしゃべりや、居酒屋での愚痴りや激論の代替環境という意味合いでも、やはり古くささも感じます。

 第三者というか、居酒屋の隣の席の他人が会話に乱入してきたりするのもまた、古いアクシデント的コミュニケーションのあり方とも言えますね。

 基本実名顔出しというのも、よりリアルの感覚に近い。もちろん、優れたシステムでほとんど相互の会話に遅延がないというのも、リアルに近い要素の一つです。

 これから Clubhouse がどのように発展するのか、あるいは一時のブームで終わってしまうのか、注目していきたいと思います。

 さて、こうした音声配信コンテンツやプラットフォームが復権してくるのは予想されていましたよね。実際、既存のSNSプラットフォームが音声部門を強化しています。

 言うまでもなく、音声コンテンツは、映像、動画コンテンツと違って「ながら」が可能であること、データ量が少なくてすむこと、テキストとは違って微妙なニュアンスを伝えられること、アーカイヴに残さないことによって「一回性」に価値を与えられることなど、さまざまなメリットがあります。

 結果として音声情報の占有時間は長くなります。ある意味では縛られる時間が長くなるわけですね。それは、デジタル化による「こちら側」優先の流れに反し、「あちら側」を優先することになります。

 これは私の「モノ・コト論」からすると、「モノ(不随意・他者)→コト(随意・自己)」という近代化の流れに対するカウンター、つまり「コト→モノ」というポストモダンの運動性の一つとも捉えられます。単なるノスタルジーとは違いますね。

 コロナ禍で期せずして実家に巣ごもりすることになった大学生の長女は、昨年秋から音声配信をするようになりました。なんだかよくわかりませんが収益化もしているようで、最近私にいろいろおごってくれます(笑)。

 YouTubeの時代はもう終わりつつあります。いろいろな意味で飽和状態です。これからは音声配信の時代であり、それはかなり長く、いやほぼ永遠に続くものと思われます。

 あとはプラットフォームとしてどこが勝つかということでしょうね。

 トーク、音楽、環境音、生活音…さまざまな音声コンテンツをどのように融合していくか。そして、どこまでSNS性、インタラクティヴ性を取り入れるか。他のメディアとの関係をどのレベルで結ぶのか。音声のテキスト化やアーカイヴ化をどこまで許すか。いろいろ注目すべき課題がありますね。

 このブログは完全なる「ストック」メディア。「フロー」メディアとしての音声配信にも興味があります。私も音声配信するか、それともプラットフォームを作るか、いろいろやってみようかと思います。

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2021.02.04

ジャイアント馬場 vs スタン・ハンセン (1982.2.4)

 

 い話ばっかりですね、最近。どうも歳を取ると昔話に花が咲くようです(笑)。

 ふだん、「時の流れの下流(過去)を見るのではなく、上流(未来)を見ましょう!」と力説しているにも関わらず、言行不一致だと言われそうですが、実はそういうわけでもないのです。

 芭蕉(もとは空海?)の言葉として有名な「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ」のとおり、私はただ過去の事蹟を懐かしんでいるのではないのです。その時のその人(古人)がどのような未来を構想(妄想)していたかを知ろうとして、過去の情報にアクセスしているのです。

 古人と言われる、歴史に名を残した偉人たちの構想(妄想)のボールは、現在の私たちのはるか上空を飛び越えて、ずっと上流(未来)に放られているのです。

 というわけで、今日はジャイアント馬場という巨人の「求めしところ」を求めてみました。

 今日は後楽園ホールの横を通り過ぎましたが、そこではまさに「ジャイアント馬場 23回忌追善興行」が行われていたのであります。

 2月4日は記念すべき日。すなわち、ジャイアント馬場とスタン・ハンセンの初対決があった日なのでした。今日も後楽園ホールでこの試合がスクリーンに投影されたとのこと。

 プロレスファン、特に全日本ファンでないと全然理解できないかもしれませんが、本当に、本当に、この試合には涙しましたよ〜。当時、私は18歳。今の次女と同じく、受験生でした。どれだけこの試合に勇気をもらったことか。

 当時、明らかに衰えの見えていた馬場さんが、新日本で猪木らを蹴散らす勢いで大暴れしていたハンセンと、こうして互角以上の戦いを観せてくれるとは、本当に当時のファンはほとんど誰も期待していなかったと思います。ただただ心配だったのです。

 それがこれですからね〜。もちろん馬場さんを信頼した上でのハンセンの戦いぶりも素晴らしい。なかなかこれを超える「プロレス」は難しいでしょうね。

 この興奮や感動というのは、それこそ戦後すぐに力道山が外国人選手をバッタバッタと倒していった、あの頃の日本人の心情と重なりますよね

 ちなみに、勇気をもらったはずの私の受験の結果は惨憺たるものだったわけですが、それはそれで今になってベストな結果であったことが分かりました。歴史というのは、そういう意図や意図せざるものによって動いていくのですね。

 私も、その後の40年近い自分の歴史の面白みと深みを味わいながら、またまた号泣してしまったのでありました。プロレスは人生ですなあ。

 【G馬場追善興行】「馬場VSハンセン」レジェンドたちが語る凄み



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2021.02.03

田中緒琴(初代・二代)の八雲琴演奏

軽野曲(初代)

 

秋風曲(初代・二代)

 

 日の野村四郎先生のお話の一つ。

 「神に奉納する音楽はシンプル」

 なるほど。

 山本邦山先生や宮城道雄先生は、西洋音楽の影響を受け、西洋音楽並みの「手」を尽くす演奏もできますが、もちろん日本古来の「シンプル」な演奏もできました。

 たしかに能もそうですけれども、一番大切なところは「何もしない」というシンプルの極みの表現(にもなっていない)を用いますね。

 神事、そしてシンプルといえば、やはり八雲琴でしょう。たった2本の弦(天地を表す…それも2本とも同音に調律します)で、一音一音魂を込めて響かせ、天地の融和、神人合一を誘います。

 私も八雲琴を演奏しますが、不思議と箏の時とは違う気持ちになるんですよね。楽器を演奏しているという感じではない。たしかに神降ろしの感覚がある。

 もともと「コト」という言葉自体、モノ・コトの「コト」であり、モノ世界から私たちが知覚できる情報としてのコトを降ろす道具という意味でした。古語で、音楽のことを「もののね」と言いました。そう、「モノ」の波動が「音(ね)」になって、私たちが認知できるコトになるわけです。

 それにしても、この録音は貴重ですね。初代田中緒琴は出口王仁三郎に重用された八雲琴の宗家です。大本と八雲琴、田中緒琴との関係はこちらをお読みください。

八雲琴と大本(大本七十年史)

 西洋音楽では、バッハの音楽に代表されるように、ある意味「手」を極めて神の世界に近づこうとします。それはそれで私も大好きな世界なのですが、実際に神と近づいた感覚になれるかというと実はそうでもない。どちらかというと、人間のすごさを感じてしまいます。まあ、そんな人間をお創りになった神はすごいということになるのでしょうが。

 数学的な音の構築自体に神を見る、聞くという考え方も分からないではありません。御神事での八雲琴を聞くと、複雑な数式ではなく、本当に純粋な整数の世界、もっと言えば素数の世界のようにも感じられます。

 シンプルに見える素数が、いまだ人間にとって謎な存在なように、八雲琴の糸の振動は説明不可能な深淵な「モノ(何か)」を実感させます。

 面白いですね。私も両タイプの音楽を並行してやっていますが、それでいいのかもしれません。ぐるっと回って同じところに到達するのかもしれませんし。

 今となってはかなり恥ずかしいのですが、2014年に北口本宮冨士浅間神社の開山祭にて、奉納演奏をさせていただきました。能楽囃子方、重要無形文化財総合認定保持者である大倉正之助さんの大鼓と、世界的なミュージシャン瀬戸隆介さんの薩摩琵琶と、ワタクシの八雲琴による即興演奏です。

 なんの申し合わせもなく(大倉さんとは30分前に初対面)いきなりの即興奉納でしたが、まさに神のご加護のおかげさまでしょうか、不思議と自然に「合う」ものなのですね。素晴らしい体験をさせていただきました。

 

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2021.02.02

山本邦山のテイク・ファイヴ

 

 日は、能楽の人間国宝、野村四郎先生に久しぶりにお会いしました。いろいろと勉強になるお話をいただきましたが、中でも尺八の人間国宝、山本邦山さんのエピソードは興味深かった。山本邦山さん、一昨日紹介した宮城道雄の番組にも出演し「らしい」発言をされていましたね。

 山本邦山さんは、まさに邦楽の壁を突き抜けて様々な活動をされた方であり、そういう意味でも四郎先生にとっては同世代の「盟友」であったようです。

 四郎先生曰く、邦山さんの尺八は「打楽器」であると。これには大きくうなずかされました。

 もともと日本の弦楽器や管楽器は、自然に打楽器的な要素を持っています。三味線がわかりやすい例でしょうかね。旋律楽器でありリズム楽器であるという。

 この動画でのジャズ演奏においても、その打楽器的要素が鮮明です。尺八も独特のアタックを重視する楽器です。

 コメント欄にもあるように、ブルーコーツの西洋楽器と邦山さんの尺八の対照が面白いですね。西洋楽器は近代的な工業製品であり、無数の部品からなっていますが、尺八は基本的に竹に穴を開けただけ。

 西洋楽器は基本ノイズを除去する方向で発達しています。一方、尺八のみならず多くの民族楽器はノイズこそが命であったりするわけで、それこそ打楽器的なアタックを生む要因となっているわけです。

 考えてみれば、ジャズという音楽ジャンル自体、民族的なモノが近代西洋的なコトを飲み込んで行く性質のものでしたよね。歌も楽器も和声もリズムも、あえて「ノイズ」を表現する方向に進化していった。

 ですから、尺八のジャズは、私たち日本人が考えるよりもずっと自然に外国人には受け入れられるでしょうね。実にクールなのではないでしょうか。

 それから、今日の四郎先生のお話の中に、「シンプルなモノほど深い」というようなことがありました。やたらに音符を増やして名人芸的にやるのではなく、一音一音に魂をこめると、結果としてシンプルになっていく。

 そういう意味でも、この邦山先生の演奏は、決してやり過ぎにはならない、深いシンプルさを持っていると感じます。

 それにしても、人間国宝から人間国宝のエピソードを直接聞けるなんて、なんと幸せなことでしょう。感謝しかありません。何かの形で、私なりに芸術界に還元していきたいと思います。

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2021.02.01

『妙な線路大研究 東京篇』 竹内正浩 (実業之日本社)

51c5uxpe0dl_sx330_bo1204203200_ 過去の話が続いております。これもそういう意味で面白かった。

 考えてみると、鉄道もまさに西洋化の代表格ですよね。そして、それに伴う過去の日本との葛藤や未来の日本への野望。

 鉄道はなかなか動かせるものではありませんから、長く私たちの生活に影響を与え続けます。ある意味、私たちは鉄道に振り回され支配されてきたとも言えましょう。

 さて、私も昔は鉄ちゃんでした。小学生まで。ちょうどその時は東急池上線の雪が谷大塚駅の近くに住んでおりました。

 その池上線で言うなら、まさに少年時代不思議な気持ちにさせられた、あの大崎広小路駅から五反田駅への急坂の謎が、この本で50年ぶりに解けました。なるほど〜。

 もともと東京散歩が好きで、東京の特殊な地形と歴史の関係に興味のある私ですから、それこそ都市伝説も含めて路線図を眺めたり、実際に電車に乗りながら車窓の景色の変化を楽しんできたわけですが、この本で初めて知った事実もけっこうありました。

 今はコロナでなかなか東京の電車に乗る機会がありませんが、今度乗る時には、この本の知識を元にさらに楽しめそうです。

 ところで、大江戸線に乗るたびに体験してきたあのアップダウン感ですが、この本でも詳しく説明されています。つまり、駅と駅の間をすり鉢状にして重力を利用、下りで加速を、上りで減速をしやすくすることによって節電できるというやつですね。

 これって、私も小学生の頃、真剣に考えて模型とか作ってました。たぶん、昭和のその頃、何かの雑誌に「重力鉄道」とか「真空チューブ列車」とかの記事が出てたんじゃないでしょうかね。あるいはジェットコースターに乗ったり、ビー玉を使ったおもちゃを作ったりしながら、鉄道マニアだった私がオリジナルで考えたのか(だとしたら天才w)。

 ちなみに、また仲小路彰の話になりますが、彼もそうした超高速鉄道について文書を残しています。

 ある意味、それがこうして一部実現しているわけで、ちょっとうれしいですね。そんな地下鉄の勾配についての動画を貼っておきますね。地下鉄だと車窓の風景は楽しめませんが、体感と想像力は楽しめますよね。皆さんもぜひ。

 

 

Amazon 妙な線路大研究 東京篇

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