神俗もまた不二一如 (出口王仁三郎)
昨日の続きとなります。
善悪や正邪が不二であるとはよくわかりました。王仁三郎はさらに神俗も究極的には一如であること語ってくれます。
これは私たち凡夫にとっては、非常なる救いとなる言葉です。普通の宗教者は、我欲を捨てろと言います。それが第一歩かのように言います。
しかし、王仁三郎は違う。スケールの違いだと言うのです。自我の宇宙的拡大。私はこの言葉に救われました。そして、今も救われています。
自分の延長線上に神がいる。そういう意味では私たちは「神の子」「子どもの神」であって、そのまま成長すれば(スケールを拡大すれば)神になれるという自信、安心。
昨日の「回顧録」の続き、少し中を飛ばして「顕幽一致」のラストの部分をお読みください。
禁欲主義はいけぬ。恋愛は神聖であると謂って、而も之を自然主義的、本能的で、即ち自己と同大程度に決行し、満足せんとするのが凡夫である。之を拡充して、宇宙大に実行するのが神である。
神は三千世界の衆生は、皆わが子となし、一切の衆生を済度せんとするための、大欲望があるのである。凡俗は我が妻子眷属のみを愛し、少しも他を顧みないのみならず、自己のみが満足し、他を知らざるの小貪欲を欲にするものである。人の身魂そのものは、本来は神である。故に宇宙大に活動し得べき、天賦的本能を具備して居る。夫で此の天賦の本質なる、智、愛、勇、親を開発し、実現するのが、人生の本分である。之を善悪の標準論より見れば、自我実現主義とでも言うべきものである。吾人の善悪両様の動作が、社会人類の為め済度の為めに、其儘賞罰二面の大威力、大活動を呈するように成るものである。此の大なる威力と、活動とが、即ち神である。所謂自我の宇宙的拡大である。
孰れにしても、此の分段生死の肉身、有漏雑染の識心を捨てず、又苦穢濁悪不公平なる現社会に離れずして、悉く之を美化し、楽化し、天国浄土を眼前に実現せしむるのが、皇道大本の成神観であって、また一大眼目とする所である。
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