« 2020年12月 | トップページ

2021.01.24

ロジクール ヘッドセット H111

Th_51hjyzxilfl_ac_sy355_ ロナのおかげで、本当にいろいろなことが変りました。

 特にオンラインで人とつながることが多くなり、それはそれで今までにないご縁を頂戴する良い機会となっています。

 中でも若い人たちとの交流は、昨年の今頃までとは比べものにならないほど増えました。若い人たちほどオンラインに抵抗がありませんからね。

 我が家では、私をはじめ家内もよくオンラインで研修をしていますし、娘たちは普通にオンラインで授業やお稽古をしております。

 そんなわけで、ウチのADSLの細い回線は常に混雑、またPC(MacBook Pro 2012×3)もフル稼働。その他、iPhoneやiPad、そしてFireタブレットなども大活躍しております。

 で、家族みんなで使うために、このヘッドセットを購入しました。ウチのデバイスは全部、4極ミニプラグなので、これが1台あれば事足ります。

 安い割にけっこういい製品だと思いますよ。ちなみにノイズキャンセリングというのは、ヘッドホンではなくマイクの機能です。

 ヘッドホンは、まあウェブ会議用という感じですが、あまりこだわらずYouTubeで音楽を聴く程度であれば全然許せる音質ですね。

 これはウチだけの事情ではないと思いますが、家族全員が居間にいることが多く、その際いっぺんにいろいろなデバイスからいろいろな音が同時に出ている状況になるんですよね。ひどい時は6種類の音が出ている(笑)。

 最近の若者は聖徳太子のように、それらを取捨選択して聞き分けています。聖徳太子ではないワタクシは、どうしても他の音が気になってしまうことが多いので、その際はこのヘッドセットをして集中するようにしているのでした。

Amazon ロジクール ヘッドセット

| | コメント (0)

2021.01.23

『ATOTO SA102』 (CarPlay対応格安カーオーディオディスプレイ)

Th_img_7311 年の自分へのお年玉がこれ。

 愛車エブリイに装着して3週間ほど使ってみました。大変快適になりましたのでおススメいたします。

 私はiPhone8で有料ナビアプリ「カーナビタイム」を使っていたのですが、最近老眼がさらに進行したこともあり、画面が小さすぎて不便を感じることが多くなってきました。

 また、iPhoneでナビを何時間も使っていると本体が加熱して、突然ブラックアウトしてしまうことが多発して、特に夏場は不便でした。

 「カーナビタイム」の機能自体は非常に気に入っているので、それをそのまま大きなディスプレイで使いたいということで、安いカーオーディオ・ディスプレイを探していたところ、この中華製品が目につきました。

 まず1万円台というのが魅力。安物買いの天才と言われる(言われてない!)ワタクシの食指が動くのは当然ですね(笑)。

 純正のオーディオはCD対応のレシーバーですが、もうCDを車で聴く機会もありません。さっそくお年玉でこのATOTOを購入して自分で入れ換えしてみました。

 Amazonで専用のハーネスとリモコンも購入。専用ハーネスだと配線は3秒で終わりますか、入れ換え作業自体は20分もあればできます。

Th_img_7314 中華製にありがちな謎の表記や謎の挙動も時々ありますが、ナビだけでなく、オーディオやラジオ、またハンズフリー通話や、メッセージやLINEへの音声入力なども快適に行なえ、結果として安全運転にもつながっていると思います。

 ハンドルに付けることを前提に作れているリモコンですが、私は写真のようにディスプレイ下につけました。誤操作が少なくていいですし、このATOTOを装着してからというもの、いつもは後席に座っていた娘がAmazonミュージックやYouTubeミュージックの操作をしたくて、助手席に座るようになったので、彼女らのためにもこの位置にリモコンがあると便利です。

 音量の操作がディスプレイ下のボタンだとやややりにくいので、このリモコンのリングを回す方が快適です。

 高級なカーオーディオやナビを入れると、なんだかんだ10万円くらいかかってしまうことがあります。ふだん使い慣れているスマホ(iPhoneやAndroid)の機能やデータがそのまま使える上に、全部コミコミで2万円ちょいですから、皆さんもこういう手を使ってみてはいかがでしょうか。

Th_img_7299 CarPlayに対応していないアプリもバックグラウンドで再生できますし、ディスプレイに表示されます(写真はAudiobook)。また、ディスプレイとは関係なく、iPhoneも普通に操作できますので便利ですね。

 ちなみにこの製品はスマホと本体とはUSBケーブルでつなぎます。有線ですが、その分充電もしてくれるので悪くないですよ。

 では、このATOTO SA102とCarPlayでの「カーナビタイム」の様子を紹介してくれている動画を貼っておきます。ぜひご覧ください。

 

 

| | コメント (0)

2021.01.22

『俺の家の話 第1話』 宮藤官九郎脚本作品 (TBS)

Th_-20210123-120904 やあ、第1話から存分楽しませていただきました。

 これって、クドカンが私のために書いた脚本じゃないですか(笑)。

 プロレス、能、親の介護…。

 しかも「羽衣」。私にとってあまりに思い出深い演目。

 特に今、ちょうど次女が能の道を志して、観山…いや観世流の人間国宝、日本能楽会会長に稽古をつけてもらっているわけでして、間もなく試験もあったりで、見事なタイミングすぎました。

 プロレスについては言うまでもありません。知り合いのレスラーも何人か映り込んでいましたし、長州力役の長州力さんとも不思議なご縁があります。

 もともと、私は能とプロレスを非常に近いモノとして捉えておりまして、たとえばこの日など、まさに能とプロレスのチャンピオンたちをはしごするような体験をしております。

 それにしても宮藤官九郎さんという人の物語力は本当にすごいですね。多くの重いテーマを含みながら、それを適量のユーモアで包み込んでエンターテインメントとする。そうして、しっかり観客を引き寄せておいて、心に楔を打つ。それこそ能やプロレスの名人級の技です。

 長瀬智也さんの存在感に加え、これまた名人級の西田敏行の演技も素晴らしすぎ。

 これからの展開が本当に楽しみです。久しぶりにテレビドラマをちゃんと観ようという気になっています。

 皆さんもぜひ御覧ください。第1話もTVerなどで観ることができますよ。

 俺の家の話 公式

| | コメント (0)

2021.01.21

スメル山噴火

 

 年の富士山は雪が少ない。これは単純に雪が降っていないからであり、また、降っても量が少ないので、強い西風に吹かれてすぐに飛ばされてしまうからです。

 土日に本格的に降雪がありそうなので、来週はいつものような姿の富士山を拝むことができるかもしれません。

 世間では、富士山の山体が熱くなっていて雪が溶けてしまうのではないかと心配する人もいるようですが、山体の異常は特にありません(富士山在住の者が言うのですから本当です)。

 今から100年ほど前は、たしかに山頂の地温が結構高く、降る雪もすぐに消えてしまうようなこともあったそうです。実際に噴煙を上げていた奈良時代に至っては、万葉集に「燃ゆる火を雪もちけち降る雪を火もちけちつつ」とあるごとく、富士山を舞台に雪(水)と火の激しいせめぎ合いがありました。

 とは言え、富士山は活火山。いつ噴火してもおかしくないのは事実であり、だからこそ私もそのお膝元というか懐でラドン濃度を計測し、富士山のご機嫌をうかがっているのです。

 さてさて、私、いつかも書きましたが、「ニセ富士山」が怖くて仕方ないのです。そう、世界中にある富士山に似た成層火山を写真で見るだけで鳥肌が立ってしまうのです。それについては、10年も前にこちらに書きましたっけ。

Th_unknown_20210122174901 で、今回ニセ富士山が噴火したので、ますますゾッとしたのです。ジャワ富士とも言われるムラピ山もけっこうなニセ富士山ですが、こちらスメル山はもっと似せてきてますね(笑)。

 富士山も山頂噴火したら、こんな感じでしょうね。まあ、次は山頂ではないと思いますが。

 インドネシアあたりでは、ここのところ地震も噴火が相次いでいます。言うまでもなく、同じ環太平洋火山帯であり、それもほとんどお隣ですから、全く対岸の火事ではありませんね。

 ところで、スメル山という名前から、「スメラ」「シュメール」などを連想することもできますが、そこについて書き出すとまた長くなので、またいつか。

| | コメント (0)

2021.01.20

『「生きる力」としての仏教』 町田宗鳳・上田紀行 (PHP新書)

Th_51v0zndriil 日は仏教についての本を読みました。

 先日お会いし、コロナが落ち着いたら飲みましょうと約束させていただいた町田宗鳳先生と、東工大のリベラルアーツ教育院長にして武内陶子さんのダンナさん(!)である上田紀行先生の、めちゃくちゃ興味深くエキサイティングな対談。

 仏教を「未来を切り開く爆発」と捉えるお二人のトークは、噛み合ったり、ぶつかったりしながら、どんどん熱を帯びていきます。

 そこにはいわゆる暗く静かなイメージとは反対の、明るくまぶしい光を感じました。

 本来、宗教とはそういうものなのではないでしょうか。そして縁起とはそういうものなのではないでしょうか。

 私は「生きる力」という言葉があまり好きではないので、よく「死なない力」という表現をします。

 この対談でキーワードとなっている「エロス」と「タナトス」を総合すると、私は「死なない力」になるように思います(なんとなくですが)。

 「死なない」には「生きる」という意味もあり、また死後も生き続けるという意味もあるからです。

 ですから、もし、もし私がこの二人の対話に割って入るなら、『「死なない力」としての仏教』を放り込みたいと思います。

 私は、見た目だけのエセ坊主ですから、人間界では偉そうなことはとても言えませんが、それでも宇宙人の大先輩としてのお釈迦様の言いたいことがなんとなくわかるのです。なんとなく。

 私も、昨日の出口王仁三郎のように、最後は言葉(コトの端)ではなく、何かモノを作って表現しなければならないのでしょうか。そのためにも、この対談のように、自我のコトを徹底的にぶつけ合っていかねばならないのかもしれません。

 最近もある仏教系大先輩との対話の中で、けちょんけちょんにダメ出しされてますが、これからもいろいろな方と「問答」してみたいですね。それが結局、モノの本質に近づく王道なのかもしれません。つまり、漸近線のごとく絶対に到達できないけれど確実に近づくことができる「マコト」が、そこにあるのでしょう。

「生きる力」としての仏教

| | コメント (0)

2021.01.19

日本人は何を考えてきたのか…第9回「大本教 民衆は何を求めたのか」 (NHK Eテレ)

 日は出口王仁三郎の命日。王仁三郎は昭和23年1月19日に昇天しました。

 この日にちなんで、NHK Eテレで放送された番組を紹介します。

 NHKが一宗教団体、それも新興宗教団体を取り上げるのは珍しいですよね。90分にわたる実に濃厚な内容の番組になっています。

 当時北海道大学の准教授だった中島岳志さんをナビゲーターに、東大の島薗進さん、一橋の安丸良夫さん、京大の上田正昭さん、関西学院の對馬路人さんという錚々たる宗教学者、歴史学者の皆さんが、出口なおについて、出口王仁三郎について、大本について語っています。

 いかに大本が民衆宗教の枠を超えて、当時の政治、経済、軍事、思想などに影響を与えたかがよく分かりますね。もちろん、時代的な功罪はあったにせよ、とんでもないスケールで人々を動かしていたのは事実であり、特に王仁三郎を無視して当時の歴史は語れないでしょう。

 いずれ、大河ドラマで王仁三郎の一代記を作ってもらいたいですね。あまりにドラマチックでエキセントリック、センセーショナルでインターナショナル、そしてスピリチュアルな人生ですから。一本の映画ではとても表現しきれません。

 この番組でも最後に紹介される王仁三郎の耀わん。そして、発見されたという、なおの糸車。まさに言葉にできない未来への祈りが、そこに感じられますね。

 

| | コメント (0)

2021.01.18

『小早川家の秋』 小津安二郎監督作品

Th_5 日の東スポから、すごい飛躍ですよね。

 しかし、アヴァンギャルドという意味では、もしかすると共通点があるかもしれない。

 久々にこの映画を観ていたら、映画大好き、そしてお能を学んでいる次女が、「気持ち悪い」と叫びました。

 なるほど!たしかに今どきの娘っ子にとって、いろいろな意味で「気持ち悪い」のかもしれません。

 そして、その「気持ち悪さ」が、なぜか「気持ち良さ」に変わっていくのが小津映画の不思議です。

 あれだけ「つまらない」「眠くなる」と思っていた能の世界にどハマリするくらいですから、おそらく数年後には小津ワールドの囚われ人となっているに違いありません。

 何が気持ち悪いのか聞くと、これがなかなか的確なのですよ。

 まず、低すぎるアングル。そして、幾何学的に並んだ人物、オブジェ。独特の間。計算され尽くした、しかし一瞬ではわからない挿画的風景。さらにはアグファカラーの不自然な赤。

 たしかにそのとおり。それはそれは「気持ち悪い」でしょうね。よくぞ気づいた!

 さらに小津慣れしている私でも、この東宝での小津作品と、大映での浮草には、心地よい不自然さ、心地よい気持ち悪さを感じます。そして、この二大異種格闘技戦作品が好きで好きでたまらないのであります。

 両作品で主役である中村鴈治郎さんの妙演は言うまでもなく、松竹ではありえない役者陣の、ある種の道場破り的な自己表現が素晴らしすぎます。これは静かなる戦いですよね。

 特に、そうだなあ、加東大介さんと森繁久彌さんの老獪な(まだお二人とも若いのですが…)職人芸、そしてクールすぎて短い登場時間ながらインパクトありすぎな宝田明さんかなあ…。もちろん女優陣も素晴らしいですね。

 私が生まれる少し前の、古き佳き日本人の姿もまた、今どきの娘にとっては「気持ち悪い」のかもしれません。美しい所作、言葉、佇まい。美しすぎるのでしょう。

 とにかく世界に誇る超名作の一つです。死ぬまでに何度でも観ますよ、私は。そして、いつか娘も一緒に見入っていることでしょう。

Amazon 小早川家の秋

| | コメント (0)

2021.01.17

今こそ!俺たちの東京スポーツ最強伝説

Th_ermsq_dvcaafy9w548x365 近、ウチの女子3人がK-POPアイドルにキャーキャー言って幸福感を味わっているようで、なんとも羨ましいなあ、男にはこういう世界はないなあ…と思っていたら、ありました(笑)。

 今日新宿ロフトプラスワンで行われたイベント「今こそ!俺たちの東京スポーツ最強伝説」が、実に萌え燃えでした。

 うん、やっぱりこういう世界が好きだし、めちゃくちゃ自分の人生に影響を与えているのだなあと思った次第です。東スポとムーね(笑)。

 まあ、こういう世界観を受け入れられるか、あるいは楽しめるか、あるいははなから無視したり、馬鹿にしたりするかで、人生の豊かさは大きく変わってくることでしょう。

 プロレス、野球、芸能、競馬、性風俗、カッパ、UFO、宇宙人、そして1面タイトル名作集…討論メンバー、ゲストの皆さんの話が抱腹絶倒すぎて、久しぶりに酸欠になってしまいました。ホント男のロマンはここにあり!っていう感じでしたね。女に負けていられるかと(笑)。

 たしかに現在のSNSのフェイクとファクトの按配、そして炎上商法など、ずいぶん昔からやっていたんですよね、東スポさんは。

 これはもう完全に「文化」です。東スポ博物館とか出来たら、ぜったい世界中から人が集まりますよ。ぜひ、あえて「東京」ではなく「富士山」に造ってもらいたい。

 1600円払って、これだけ楽しめるのであれば、めちゃくちゃ安上がりです。とりあえず2回観ました。次は多少オヤジ臭のするウチのカミさんと一緒に楽しもうと思います。

 ということは、カミさんは男女両方の萌え燃えを楽しんでいるということか。最強だな。

 今こそ!俺たちの東スポ最強伝説

 東スポWeb

 

| | コメント (0)

2021.01.16

『江戸の妖怪革命』 香川雅信 (角川ソフィア文庫)

Th_51uuenykcdl_sx353_bo1204203200_ あ、昨日「特攻」と書いた共通テストが始まりました。ウチの次女はしっかり玉砕して帰ってきました(苦笑)。

 センター試験時代はよく問題評(批判)をやっていましたが、直接の現場を離れてしまった今、そこまでの根性がありません。ただ、いちおう全部は解いてみました。

 記述式が採用されなかった点も含めて、基本的な構造はセンター試験、いやその前の共通一次試験と何ら変りはありませんが、設問にはそれらしく今風なものも散見されました。

 文章として興味深かった(すなわち高校生も取り組みやすかった)のは、第1問評論の香川雅信さんの「江戸の妖怪革命」の序章でしょう。こちらでぜひお読みください。

 ワタクシの「モノ・コト論」とは少し違う解釈ですが、共通している部分も多かった。

 近世中期から妖怪のフィクション化(キャラクター化)が始まり、実は近代になって再び中世的なリアリズムを取り戻したというのは、よく分かります。

 近代は心霊の時代、現代はスピリチュアルの時代ですからね。私もどっぷりそこに浸かっている。そして、その中心には「私」がいるというのが面白い。

 この本の全編を読んだわけではありませんから、細かいことは分かりませんが、おそらく現代日本の妖怪ウォッチやポケモン、そして鬼滅の刃につながっているような論考になっているのではないかと推測されます。

 私は独自の「モノ・コト論」から、「もののけ」のモノ(無意識・不随意・他者)と「ことば」のコト(意識・随意・自己)を対比させて、妖怪の変遷を捉えており、もののけがいくらキャラ化して(名付けられ、デザインされ、図鑑化されて)愛すべきコトになっても、膨大無限なモノ世界からどんどん「わからないモノ」は供給されて、言葉にはならない「モノ」の気配たる「もののけ」がなくなることはないと考えています。

 新型コロナウイルスもそういう「もののけ」の一つとして健在であり、こうして共通テストという型にはまったコト世界を見事に揺さぶっているのでした。

 そして、香川さんの言うように、そんな「もののけ」を退治することができず、対峙するしかない私たちもまた、「私」に潜む新たな、しかし実は昔からずっと同居している「妖怪」と対峙せざるをえなくなっているわけです。

 さあ、いつになったら、私たちは新型コロナを因果理解の中でコントロールすることができるようになるのでしょうか。しばらく妖怪の跳梁跋扈は続きそうな予感がします。

Amazon 江戸の妖怪革命

| | コメント (0)

2021.01.15

『聖断 天皇と鈴木貫太郎』 半藤一利 (文春文庫)

Th_51qrnjotobl_sy346_ 藤一利さんが亡くなりました。残念です。

 半藤さんにも仲小路彰の残した文書群を見てほしかった。間に合いませんでした。

 半藤さんの本の中で、特に印象に残っているのは、この「聖断」です。

 二・二六事件の安藤輝三の霊に関わってから、私たち夫婦は鈴木貫太郎に対する格別な思い入れを抱くようになりました。

 その鈴木の人柄をこれほど的確に表現した作品はありません。的確ではありますが、実に淡々としている。いわば文学的に表現しているのです。

 そして、その鈴木を照らす天皇の威光、いや鈴木に照らされる昭和天皇の苦悩。

 日本の運命には、やはり神がかった何かがありました。

 たとえば、「聖断」の背後には、やはり安藤輝三の思いもあったことでしょう。

 そうした裏ストーリーを知ってしまってから読むこの本には、別格の感動があります。

 さらに言えば、この本にも重要なポイントで登場する高松宮。その裏に仲小路彰があったわけです。

Th_unknown_20210116143201 終戦へ向けての対ソ政策については、この本だけでなく一般には、近衛文麿に白羽の矢が立ったごとく語られていますが、その裏では、高松宮を特使とする別計画が練られていました。

 すなわち、仲小路のグループは、戦前から近衛が左翼勢力やユダヤ国際金融資本と結んでいて、日本を世界大戦に巻き込ませたことを察知していたので、終戦にあたって再び近衛に「活躍」させることはなんとしても避けたかったのです。

 そのへんの裏事情を知ってから、またこの本を読むと実に興味深い。スリルと言っては不謹慎ですが、ものすごい緊張感の数カ月間ですね。

 さて、半藤さんは昭和史の反省からの教訓として、次の五つを挙げています。

 ①国民的熱狂をつくってはいけない。そのためにも言論の自由・出版の自由こそが生命である。
 ②最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。それを警戒せよ。すなわちリアリズムに徹せよ。
 ③日本型タコツボにおけるエリート小集団主義(例・旧日本陸軍参謀本部作戦課)の弊害を常に心せよ。
 ④国際的常識の欠如に絶えず気を配るべし。
 ⑤すぐに成果を求める短兵急な発想をやめよ。ロングレンジのものの見方を心がけよ。

 明日から共通テストが始まります。コロナ禍の中でありながら、教育現場はほとんど総特攻の状況です。若者の命よりも予定通り戦うことを優先しています。

 私は昨年からずっと大学のみ9月入学を訴えてきました。コロナなくともこの厳寒期に人生を決する試験を行なうべきではないということです。

 日本はいまだ変わらない。変われない。残念であり、恐ろしいことです。

 半藤さんの遺言をしかと胸に刻み、そんな旧弊と戦っていかねばなりませんね。

Amazon 聖断

| | コメント (0)

2021.01.14

『芸術は宗教の母なり~耀盌に見る王仁三郎の世界~』 (出口飛鳥)

 

 口王仁三郎ネタが続きます。

 王仁三郎の残した「耀わん」の数々。その魅力と威力を、もしかすると世界で最も実感しているのが私かもしれません。

 また、私なりの解釈ですが「芸術は宗教の母」という王仁三郎の名言についても、ある程度理解しているつもりです。

 しかし、これはあくまでも「かも」「つもり」であって、まだまだ学び、気づくべきことはたくさんあります。無限でしょう。

 この出口飛鳥さんの講義を聴いて、ますますそんな気持ちになりました。それこそ、思い込みや勘違いもあります。日々更新されることこそが、生命ある芸術や宗教のあり方なのではないでしょうか。

 思い込みやドグマは過去へのこだわりでしかありません。それは「死」を意味します。未来から流れてくるメッセージを常に受け取ることが生きること。そのためには、自分を「うつわ(空輪)」にしておかねばなりません。過去の情報は水に流しましょう。

 それにしても、いいお話です。ぜひ一度、ゆったりと耀わんの世界に浸ってみてください。そして、亀岡のギャラリーおほもとへ足を運んでみてください(緊急事態宣言のため一時観覧停止になるようですが)。3月31日までです。

| | コメント (0)

2021.01.13

神俗もまた不二一如 (出口王仁三郎)

Th_0432 日の続きとなります。

 善悪や正邪が不二であるとはよくわかりました。王仁三郎はさらに神俗も究極的には一如であること語ってくれます。

 これは私たち凡夫にとっては、非常なる救いとなる言葉です。普通の宗教者は、我欲を捨てろと言います。それが第一歩かのように言います。

 しかし、王仁三郎は違う。スケールの違いだと言うのです。自我の宇宙的拡大。私はこの言葉に救われました。そして、今も救われています。

 自分の延長線上に神がいる。そういう意味では私たちは「神の子」「子どもの神」であって、そのまま成長すれば(スケールを拡大すれば)神になれるという自信、安心。

 昨日の「回顧録」の続き、少し中を飛ばして「顕幽一致」のラストの部分をお読みください。

 禁欲主義はいけぬ。恋愛は神聖であると謂って、而も之を自然主義的、本能的で、即ち自己と同大程度に決行し、満足せんとするのが凡夫である。之を拡充して、宇宙大に実行するのが神である。

 神は三千世界の衆生は、皆わが子となし、一切の衆生を済度せんとするための、大欲望があるのである。凡俗は我が妻子眷属のみを愛し、少しも他を顧みないのみならず、自己のみが満足し、他を知らざるの小貪欲を欲にするものである。人の身魂そのものは、本来は神である。故に宇宙大に活動し得べき、天賦的本能を具備して居る。夫で此の天賦の本質なる、智、愛、勇、親を開発し、実現するのが、人生の本分である。之を善悪の標準論より見れば、自我実現主義とでも言うべきものである。吾人の善悪両様の動作が、社会人類の為め済度の為めに、其儘賞罰二面の大威力、大活動を呈するように成るものである。此の大なる威力と、活動とが、即ち神である。所謂自我の宇宙的拡大である。

 孰れにしても、此の分段生死の肉身、有漏雑染の識心を捨てず、又苦穢濁悪不公平なる現社会に離れずして、悉く之を美化し、楽化し、天国浄土を眼前に実現せしむるのが、皇道大本の成神観であって、また一大眼目とする所である。

| | コメント (0)

2021.01.12

善悪不二・正邪一如 (出口王仁三郎)

Th_unknown_20210113111801 日の「ジョーカー」にも書きましたが、何が善で何が悪かという問いに答えはありません。

 全ての争いごとにおいて、こちらの善はあちらの悪です。また、あの時の善が今の悪であったりするのも歴史の必然。正邪もまた同じ。

 それを悟ることが宗教や哲学の目的であるはずなのですが、それまた逆転してしまって、自らを正善、他者を邪悪と決めつけることに終始してしまっている。

 そのような誤りを正すために、近代に現れた聖者である出口王仁三郎が、こんな文章を残しています。

 「霊界物語」の第一巻第二篇第十二章「顕幽一致」からの抜粋です。

 実はこの文章を含む、霊界物語の冒頭部分は、第一次大本事件の直前に書かれた「回顧録」をそのまま使用する予定だったのですが、当時の幹部たちのご都合(善悪正邪判断)によって削除、あるいは改竄されてしまったいわくつきのものです。

 もう21世紀になって久しいわけですから、そのような当時の(今でも続いている)善悪、正邪を乗り越えるためにも、しっかり読んでおきたいですね。

 今日はあえて「回顧録」に従って引用しておきます。当時の時勢から「霊界物語」では削除された部分もあります。

 (「回顧録」第十二章より抜粋)

 凡て宇宙の一切は、顕幽一致、善悪一如にして、絶対の善も絶対の悪も無い。従って又、絶対の極楽も無ければ、絶対の苦艱も無いと謂って良いのである。歓楽の内に艱苦があり、艱苦の内に歓楽の在るものである。故に根の国、底の国に堕ちて、無限の苦悩を受けるのは、要するに、自己の身魂より、産出したる報いである。亦顕界の者の霊魂が、常に霊界に通じ、霊界からは、常に顕界と交通を保ち、幾百千万年と雖も、易ることは無いのである。『神諭』に示されたる如く、天国も地獄も皆自己の身魂より顕出するのである。故に世の中には、悲観を離れた楽観は無く、罪悪と別立したる、真善美も無いのである。苦痛を除いては、真の快楽は求めらるゝものでない。又凡夫の他に、神はない。言を換えて曰ば、善悪不二にして、正邪一如である。佛典に曰う「煩悩即菩提。生死即涅槃。娑婆即浄土。佛凡本来不二」である。神の道から謂えば「神俗本来不二」が真理である。

 佛の大慈悲と云うも、神の道の恵み幸わいと云うも、凡夫の欲望と云うのも、其の本質に於ては、大した変りは無いのである。凡俗の持てる性質その儘が、神であると謂って良い。神の持って居らるゝ性質の全体が、皆悉く凡俗に備わって居ると謂って良いのである。

 天国浄土と、社会娑婆とは、其の本質に於て、毫末の差異も無いのである。斯の如く本質に於ては、全然同一のものでありながら、何故に神俗、浄穢、正邪、善悪が分るゝので在ろうか。要するに此の本然の性質を、充分に発揮して、適当なる活動をすると、せぬとの程度に対して、附したる仮定的の、符号に過ぎないのである。

 善悪と謂うものは、決して一定不変のものでは無く、時と処と位置とに因て、善も悪と成り、悪も善と成る事がある。人を殺すのは悪に相違ないが、一朝宣戦の詔勅が降って、勇士が戦場に出て敵を殺傷しても、是を以て大悪と云う事は出来ない。寧ろ軍功者として賞賛されるようなものである。

(後略)

 

| | コメント (0)

2021.01.11

『ジョーカー』 トッド・フィリップス監督作品

Th_91ynxgz0gul_sx300_ 昨日の「パラサイト」からの、この「ジョーカー」。

 両作品ともに格差社会をテーマの一つとしていることから、比較されることも多いのではないでしょうか。

 好みは分かれるでしょうけれども、私はやはり映画的な深みという意味で、こちら「ジョーカー」の方を高く評価したいと思います。

 しかし、「世の喜劇も悲劇も、調和も不調和も皆、『フェイク』によって引き起こされている」というメッセージは似ているとも言えます。

 そう、よく言われてるように、この「ジョーカー」の物語自体が誰かの夢や妄想であるということも言えるでしょう。

 というか、もともと映画自体が「フェイク」であり「フィクション」であるはずですから、本来そんなことを考えるのも変な話なのですが、この映画の冒頭で示される「狂ってのは、僕か?それとも世間?」からも分かるとおり、私たちが生きている(と思っている)この世の現実が「フェイク」に満ちているし、それ以前にたとえば自分自身が誰かの夢の登場人物に過ぎないかもしれないという、自己の「フィクション」性をつきつけるのが、たしかに「作品」の役目でもあります。

 そういう意味では、この映画は非常によく計算され、重層的にこの世の「リアル」を表現しているとも言えます。そのクオリティーは「パラサイト」と比較するまでもなく高い。

 バットマンのヴィランの物語としてこの「ジョーカー」を見るのもいいでしょう。善悪が混沌として、いわゆる悪役に共感するのは、日本人としては古くからなじみのある作法です。単純な勧善懲悪が好きなキリスト教国の人たちが、こちら側に近づいてきたのは決して悪いことではありません。

 言うまでもなく「鬼滅の刃」の世界的な人気(?)には、そういう歴史的意味合いもあるのです。

 まあとにかく、とても丁寧に作られ、さまざまな課題を私たちに投げかけてくれるという意味で、「パラサイト」よりずっといい映画だったと思います。

ジョーカー

| | コメント (0)

2021.01.10

絹糸ヴァイオリン(ヴィオラ)

Th_img_7293 急事態宣言がなければ、今日は東京にて演奏をする予定でした。

 先日お会いした、日本を代表する生田流箏曲家、安藤政輝さんとのコラボ。新春ということもあり、宮城道雄の「春の海」を共演するはずだったのですが、残念ながら私は行けませんでした。

 昨年末、安藤先生に初めてお会いした時の記事はこちら

 そこには「シルクとガットの共演」のようことを書きましたが、実は今回は「シルクとシルク&ガット」の共演になる予定だったのです。

 というのは、前回お会いした時に、お琴の絹糸や三味線の絹糸を何本かいただきまして、それを翌日のモーツァルトの演奏が終了してすぐに、私の5弦なんちゃってバロック・ヴィオラに張ってみたのです。

Th_img_7294 お琴の絹弦はD線にぴったり。さらに三味線の二の糸がA線にぴったり。そしてヴァイオリンのE線にあたる5弦目は三の糸を。これはちょっと細すぎ。二の糸を張ってみましたが、さすがにEまでは上げられず(切れませんが)C止まり(ちなみに写真の5弦は三味線三の糸)。

 ということで、本番はC線とG線はガット、D線とA線、そして5弦目Cはシルクというハイブリッド・スコルダトゥーラで調弦して臨む予定だったのです。

 で、肝心の音ですが、これが素晴らしい!びっくりしました。今回はお琴と三味線の弦を適当に代用したので、ややテンションが足りず、音量はガットの8割くらいまで下がってしまいますが、その音質、倍音の豊かな音色は予想以上に美しい。お聞かせできないのが残念です。

 知り合いの琴糸職人さんが、これからヴァイオリン属やヴィオール属のために試作品をたくさん作ってくれるということなので、いずれ「シルク・オーケストラ」や「シルク・コンソート」を実現してみようと思います。

 演奏側としての心配として、より糸は弓で弾きにくいのではないかということがありましたが、これは杞憂でした。裸ガットを弾き慣れている人にとってはなんの問題もないでしょう。

 かつて戦前ヴァイオリンがブームになった時、なかなか弦が手に入らず、多くの演歌師たちが三味線の弦を代用したという話をどこかで聞きましたが、なるほど可能性ふつうにありますね。やってみてよくわかった。

 そしてその音がこんなに素晴らしいとは。現代のヴァイオリン属や、その集合体であるオーケストラの音って、正直どうなの?と思ってしまいます。戦前まではウィーン・フィルもベルリン・フィルも裸のガット張ってたみたいですし、もしかすると、日本にはシルク・オーケストラがあったかもしれない?

 このプロジェクト、これからの展開が楽しみです。宮城道雄という東西の音楽を結んだ天才の作品もまた、ここで新しい魅力を発揮するかもしれません。なにしろ、今普通の演奏は、ナイロン弦の箏と金属弦のヴァイオリンによるものなのですから。

| | コメント (0)

2021.01.09

『パラサイト 半地下の家族』 ポン・ジュノ監督作品

Th_91lfzycgzl_sx300_ 日地上波で放送されたものの録画を観ました。

 先に劇場で観ていた次女の感想のとおりでした。

 後半が雑すぎる。

 前半の明るさから後半の暗さへのコントラストで見せる映画はたくさんあります。古くは小津安二郎の「大学は出たけれど」や、ちょっと昔ではロベルト・ベニーニの「ライフ・イズ・ビューティフル」とか。

 たとえばその2名作のように、それが名作となるには、はやり後半を丁寧に描き、前半を後半がしっかり回収していくことが必要ですが、この「パラサイト」にはそれが感じられませんでした。

 期待や予感に対する回収もないところを見ると、わざと「映画的予定調和」を破壊したのでしょうか。その挑戦がアカデミー賞につながったのなら、一定の評価をしてもいいかと思います。

 全編を通じて、バロックから前古典風な音楽が流れています。コントラストを重視することによって、より劇的な表現を追求したバロック音楽から、それさえも予定調和として、疾風怒濤によって破壊しようとした前古典派の流れを汲んでいるのでしょう。

 それは父バッハと息子たちの対決のようでもありますが、この映画の中で2ヶ所象徴的に使われているヘンデルのオペラ「ロデリンダ」に注目するのも面白いでしょう。ヘンデルは一般に認識されているよりもずっと先取的かく過激で、自己破壊的な作曲家でもありましたから。

 そんなわけで、この映画の終わり近くには、「早く終わらないかな。ロデリンダを久々に全部聴きたいな」と思ってしまったのでありました(苦笑)。

 つまり、この映画は、100年後、200年後、300年後にも高く評価される作品ではないなと思った次第です。ちょっと残念でした。

 ただ、前半の構成や演出、役者さんたちの演技には見るべきものがたくさんありました。まあ、だからこその残念なのですが。

 しいて言うなら、世の喜劇も悲劇も、調和も不調和も皆、「フェイク」によって引き起こされているというメッセージが読み取れたかなあ…。

 では、ロデリンダを聴いてみましょう。オリジナル楽器による演奏ではありませんが、解説や対訳がついているので、この動画が良いでしょう。なぜ、この曲がこの映画に使われたのか、その意図がわかる…かもしれません。こっちは映画以上に長いですよ(笑)。

 

| | コメント (0)

2021.01.08

ジョン・ルイス 『バッハ 前奏曲BWV 852』

Th_-20210109-102920 日のマイルス・デイヴィスからのジョン・ルイス。

 モダン・ジャズの両巨人の対照的な演奏ということになりますか。しかし、ともにジャズからは遠く離れてしまっているところが面白い。

 もう今から15年以上前に、ジョン・ルイスの『バッハ プレリュードとフーガ vol.1〜4』をおススメしました。今でもこのアルバムは大好きです。

 当時はYouTubeなんかありませんでしたから、言葉で紹介するだけで音は聴いていただけなかった。今ではこうして音を共有できるわけですから、まあいい時代になりましたね。

 で、そこにも書いたのですが、私の好きな第1巻の7番と8番と24番のプレリュードだけ、ジョン・ルイスは楽譜通り弾いているんですね。そしてそれがまた素晴らしい内省的な演奏になっている。

 特にこの7番変ホ長調の前奏曲の演奏は、私にとって衝撃でしたし、今でも毎度お〜っ!となりますね。

 肝心なところでどんどん遅くなるというのは、たとえばカール・リヒターの演奏なんかもそうです。今の人たちは興奮すると早くなるんですけどね。昔の人たちは遅くなっていく。純邦楽でもよくありますね。

 テーマの頭の3音のアーティキュレーションが独特かつ自由に変化するところが、ある意味ではジャズ的ですが、もしかするとバッハもそんな感じだったのではとも思います。

 つまり、フーガにせよ、テーマは均一に弾かなければならないというルールはないということです。考えてみればそれは当然です。音楽はまさに「縁起」していものなので、たとえば同じドの音が周囲の音によって意味が変化するように、テーマもその時、その場でそれぞれ意味が違うのは当然なわけで、それは私たち自分という存在を考えても明らかなことですよね。

 というわけで、ぜひじっくりお聴きください。最後に全巻全曲も貼っておきますので、BGMとしてぜひ。

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2021.01.07

マイルス・デイヴィス 『パンゲア』

Th_51koli3qtl_ac_ul320_ 陸移動説からのパンゲアです。

 パンゲアは大陸移動説に基づく「移動前」の超大陸の名前です。

 今日紹介するのは、マイルス・デイヴィスの伝説的ライヴ・アルバム「パンゲア」。

 説明するまでもありませんが、このアルバムは1975年2月1日夜に、大阪フェスティバルホールで行われたライヴを収録したものです。

 驚異的な即興演奏の熱気が見事に記録されており、体調ボロボロのマイルスの、鬼気迫るというか危険とも言える演奏は、もう楽器の種類や音楽ジャンルを完全に超えてしまっていますね。

 ちなみに昼の部は「アガルタ」というアルバムになっています。どちらもすごいのですが、私としてはこちら「パンゲア」の方がぶっ飛んでいて好みです。

 これが「パンゲア」と命名されたのは、なんとも象徴的であります。逆説的とも言える。つまり、モダン・ジャズからどんどん分裂症的に拡大し続けたマイルスの音楽の行き着いた先がこれなのですから。

 まあ、何度聴いても「よくわからない」素晴らしさがあります。まさに「モノのね」です。一度でいいから、こういう音楽を生で聴いたり、あるいは夢の中ででもいいですから演奏してみたいものです。

 

| | コメント (0)

2021.01.06

日本列島は今後どうなるのか?

 

 から109年前の今日、ウェゲナーが大陸移動説を発表しました。大地が動くなどということは、それまでの人間の頭では考えられないことでしたから、当然最初は受け入れられませんでした。

 しかし、ウェゲナーの死後、様々な証拠や大陸を動かす原動力の正体が明らかになり、大陸移動説は今や教科書に載る常識となったのです。

 その過程に松山基範の磁場反転説の存在があることは、日本人にとって誇りとすべきことですね。松山基範はお坊さんにして能楽師、そして、地球物理学者。昔の人はユニークでしたね。

 さて、そんな大陸移動説は、もちろん大昔の話ではありません。今もリアルタイムで移動中です。では、今後の日本列島はどうなっていくのか。そんな動画もありましたので、見てみましょう。

 

 

 あらら、また日本は大陸に吸収されてしまうのですね。案外近い将来、まずは朝鮮半島が我が領土になり(笑)、そして中国に併合される(涙)。そして、オーストラリアとも合体。

 なんだか、こういう地球的スケールで見ますと、領土問題とかどうでも良くなりますね。なんだかセコいことで争ってるなと。

 コロナでうんざりすることの多いこのところ、たまにはこういうスケールで自分たちを眺めてみるのもいいのではないでしょうか。

| | コメント (0)

2021.01.05

『平和と命こそ〜憲法九条は世界の宝だ』 日野原重明・宝田明・澤地久枝 (新日本出版社)

Th_41wlqabuol_sx341_bo1204203200_ 日の「ゴジラ」に主演していた宝田明さん、二・二六事件関係でたくさん著書を読ませていただいている澤地久枝さん、そして、残念ながらお亡くなりになりましたが、心より尊敬し、一日一食生活の大先輩であった日野原重明さんによる「平和と命」への讃歌。

 宝田さんは幼少期の満州での体験から、絶対に戦争を起こしてはいけないという信念をお持ちです。だからこそ、ゴジラのテーマを見事に体現されたのですね。

 日野原さんも医師として東京大空襲を体験され、澤地さんも満州での生活や焼け野原となった東京での生活、そして二・二六事件の研究を通して戦争反対、平和を強く訴える立場に立ったと言えます。

 私のような戦後生まれ、それも高度経済成長期の東京で育った者にとっては、時間的な意味だけでなく、遠い昔話でした。

 しかし、出口王仁三郎の研究、そして仲小路彰との出会い、さらに80年後に二・二六事件に直接関わるという奇遇によって、完全に自分ごととして考えるようになりました。これは望外に幸運なことです。

 私も一教師として日々関わっている現代日本の教育は、非常に不可思議なことになっています。すなわち、外見上、システム上、慣習上は今でも軍国主義が横行しているのにも関わらず、教科書の中では戦争について語ることがほとんどないという矛盾。これは大問題です。

 ある意味私の敵である日教組も、言葉の上ではさんざん戦争反対を叫びながら、ほぼ完全な形で軍隊文化を継承している。そして、それが、いじめや体罰、暴言や上意下達、閉鎖的で差別的なシステムなど、現代の教育の問題の原因になっていることに無反省です。

 憲法9条についての論議、攻防も、護憲派も改憲派も本質的なところから目を逸らし、ほとんどが自己満足や自己肯定の手段にさえしてしまっている。

 著者お三人が所属している「九条の会」とも、反対側の安倍政権とも非常に近い関係にある私だからこそ、こういうことが言えるのだと自負しています。私は両方と仲良くしていますし、どちらからも仲良くしていただいていますよ。

 ものすごく上から目線で申し訳ないのですが、両者ともに新しい時代の中で一つ上の次元に進化しなければならないのに、残念ながらそれができないほどに凝り固まった世界になってしまっているのです。それを言向け和すには、まず仲良くなって話を聞いてもらい、そして少しでもいいから変化してもらう。それが私にとっての王道なのです。

 なんか偉そうなことを言ってしまいましたが、馬鹿と言われようが、本気でそう思っていますし、たとえば王仁三郎や仲小路の平和観、戦争観というものを知ってしまったものとしては、ぜひとも彼らが未来に向けて遺した言葉を読んでもらいたいと思っています。そして、その機会を作るべく自らのお役目を果たしていきたいと思っています。

 最後にその象徴として、仲小路彰の憲法9条論の一部を転載しておきます。これが単なる護憲論とは大違いであることは、読んでいただければ分かると思います。

 昭和28年12月発行「地球との対話 16 憲法改正可否に関する具体的問題」より

 今後、日本が自ら防衛し、また阻止しなければならない戦争とは、本質的な意味において、世界的破壊性をもった内外よりする革命であり、第三次世界大戦とは、まさに世界革命勢力の侵入に対する防衛に他ならないであろう。日本は現憲法に規定された旧概念の国家戦争には今後絶対参加する意志はなく、この点現憲法の精神は、日本の決意を示すものとして、そのままなんら変更される必要はないのである。

 (中略)

 この観点に立って平和憲法を考えるときそれは日本の進むべき方向を明示した、むしろ、未来への宣言として考えられるべきものであり、近代国家概念をこえた次の時代に導く最も象徴的、哲学的な最高の理想というべきである。そこには改正されるべきなにものもないであろう。

 (中略)

 それは今後全世界にわたる革命による破壊をもこえて、各国各民族をしてここにまで至らしめねばならない地球の普遍的法の原型となりうるものである。

 それは平面的な憲法改正論の次元をこえたものであり、むしろ平和への最高の道徳律として、さながら聖徳太子の十七条憲法が最高の道徳的規範として、今日にいたるまで少しもその意味を失っていないようにいかなる現実の変貌にも耐えて、今後の人類の方向を導く象徴となるものである。

| | コメント (0)

2021.01.04

『ゴジラ』 本多猪四郎監督作品

Th_81bi3hduc8l_sx300_ 知のウイルスのおかげで、世の中が大変なことになっております。

 平和ボケした現代日本人にとっては、久しぶりの「モノ」体験です。もちろん10年前の大地震や大津波、そして原発事故もそういう体験ではありましたが、こうして外国から侵攻されるのは本当に久しぶりのことです。

 世の中では「鬼滅の刃」が大ヒットしていますね。あれも「モノ」と戦うお話です。そして「モノ(鬼)」の方にもいろいろ事情があって、そこへの共感も含めて、非常に日本的な、すなわち勧善懲悪では片付けられないモノガタリとなっています。

 そういうモノガタリで思い出されるのが「ゴジラ」です。それも初代。思うところあって、ウン十年ぶりに見直しみました。

 驚くべきは、この映画が戦後9年で製作されているということです。

 米ソ冷戦下の水爆実験がもたらしたゴジラの日本上陸。あっという間に東京は元の焼け野原に戻ってしまいます。

 唯一の被爆国、そして敗戦国、事実上のアメリカの属国としての日本において、このような寓話によって戦争批判、核兵器批判、大国批判、科学批判が行われたことに、今さらながら感銘を受けます。

 日本のモノガタリでは、善と悪、加害者と被害者、強者と弱者が判然としないことが多い。あえてそうしていることが多いわけですが、このゴジラもその点、非常に複雑な様相を呈していますね。

 それは先の大戦や、現在のコロナ騒動にも重ね合わせることが可能です。当事者にとっては明らかな「敵」であっても、歴史になるとそう単純な構造で説明つかなくなります。それが、のちの騒動を生む原因にもなるわけですが。

 そうした複雑な利害関係の中に、ヒューマニズムを織り込むところが、日本的モノガタリの良いところであり、また一方で、ある種の美徳主義や根性主義、犠牲賛美主義につながっていることも確かです。

 この「ゴジラ」にあっても、芹沢博士の決断はゴジラの運命とともに一つの哀話として私たちの心を打つものになっています。

 平和と戦争、科学と自然、経済と道徳…あらゆる矛盾が、個人の哀話に回収されてしまい、またそれを「散華の美学」のように受け止めてしまう日本人の心性は、それ自体実は非常な弱点でもあると感じます。

Th_250pxgojira_1954_japanese_poster その点、仲小路彰は、そうしたお涙頂戴的なものではなく、もっと未来的な明るい解決策を提示してくれています。

 水爆についても仲小路は、もちろんその破壊的、悪魔的な力を忌避しつつ、その反面にある「太陽のエネルギー」「融合のエネルギー」といったプラスの側面についても多く語ってくれています。

 芹沢博士の苦悩は、おそらくその当時の多くの科学者の苦悩そのものだったのでしょう。その時代に、仲小路が湯川秀樹をはじめとする多くの科学者に送ったメッセージは、きっと彼らを勇気づけたことでしょう。

 さて、映画「ゴジラ」 の話に戻りますが、あらゆる面で、その後のゴジラシリーズ(最近で言えばシン・ゴジラも含む)には到達しえない次元での名作ですね。

 私のように、少年時代単なる怪獣対決ものとして楽しんでいた世代が、こうして大人になってそのルーツをたどり、最も大切なことに気づかされるわけですから、もちろんその後のシリーズにも大きな価値はあると思いますが。

 やはり、何事も「初代」がすごいのですね。それはそうです。無から有を生んだのですから。

 本多猪四郎はもちろん、円谷英二、伊福部昭の仕事ぶりも素晴らしい。宝田明、平田昭彦、そして志村喬ら俳優陣の、内面を表現する演技も見ものです。

Amazon ゴジラ

| | コメント (0)

2021.01.03

ありがとう寺・ありがとう神社

Th_img_7270 日紹介した雲見浅間神社のイワナガヒメ様から神託を受け、町田宗鳳先生が自らの「ありがとう寺」に「ありがとう神社」を建立し、烏帽子山頂上より授かった霊石をご神体として奉斎しています。

 今日は家族が御殿場に用事があったので、私は近くの時之栖にある「ありがとう寺」と「ありがとう神社」を参拝しました。

 あいにく町田住職はおられず、また富士山も雲の中でしたが、昨日の神秘体験のご報告も兼ねてお参りでき、なんとも心がすっきりしました。

Th_img_7280 複合レジャー施設として人気の高い「時之栖」の背後にそびえる「ありがた山」に鎮座する「ありがとう寺」。その境内に作られた「ありがとう神社」。 禅や密教の修行を徹底され、日本にとどまらず世界中を旅されている町田先生が、なぜか到達したのが富士山麓。それについては、またいつか町田先生とゆっくりお話しようと思っていますが、とにかくそこには人知を超えた神仏の意図があるのは間違いありません。

Th_img_7278 富士を望む八角形の禅堂。私はそこに、聖徳太子の夢殿、すなわち「八紘為宇」を感じました。

 また、ガラス張りの護摩堂には、富士山鎮火の機能があると直観いたしました。かつては北口浅間神社にも護摩壇(月江寺持ち)があったのですが、廃仏毀釈によって潰されてしまいました。

 ここには、神仏が共に力を合わせて地球の平和を祈るという、まさに聖徳太子が目指した「和」の本質があります。

Th_img_7277 それが深山に隠れてあるのではなく、こうして現代的なレジャー施設に隣接してあることに大きな意味があると思いますね。そして、「和」の心を「ありがとう」の一言で見事表現している。

 お寺はとてもオープン。気軽に立ち寄れる空間になっています。シンプルにしてオープン。これぞ本来のお寺や神社のあり方ではないでしょうか。

 皆さんもぜひ参拝してみてください。

 町田宗鳳公式HP

| | コメント (0)

2021.01.02

雲見浅間神社

Th_-20210103-172236 年の初詣は姉妹の和解、融和を祈念してW浅間神社参拝。

 すなわち、妹コノハナサクヤヒメから姉イワナガヒメへ。富士北麓の北口本宮冨士浅間神社から西伊豆の雲見浅間神社へ。

 いやはや、雲見浅間神社はすごかった…。私の神社体験の中でも格別に衝撃的でした。人生変わりました(笑)。

Th_img_7254 先日お会いした町田宗鳳先生は通い詰めいてるそうです。ご著書「異界探訪」の中でも特に印象的なパワースポットとして紹介されておりました。想像以上にすごかった。

 今日は特に風が強く、最終ゴールの烏帽子山の頂上はまさに命懸け。這いつくばって手すりにつかまっていないと、台風並みの強風にあおられて冗談ではなく海の藻屑となってしまう状況でした。

 そこから見た青い海と白い波、沈みゆく夕陽とそれに照らされる富士山は、本当にこの世のものとは思えない、まるで天国の風景を描写した絵画のようでした。

 写真も撮るのも命懸けでした。特にあの暴風の中でiPhoneでパノラマ写真を撮るのは至難の業。ご覧のようにブレブレの不思議な写真になってしまいました(苦笑)。

Img_7257

 私と家内は登頂したのですが、長女は途中の女宮で顔が真っ青になってしまい下山。昔は女人はそこまでしかお参りできなかったとのことで、長女は女であることが証明されました(そして、家内は女ではないことが証明された?)。

 いろいろメッセージが降りてきました。それは帰りの車の中でも、そして帰宅して布団に入ってからもずっと。膨大な情報がインストールされたような気がしています。

 イワナガヒメは醜女だと一般には言われていますが、本当はどうなのでしょうか。

  王仁三郎の神話体系では、コノハナサクヤヒメはコノハナチルヒメと一体となって「コノハナヒメ」として登場します。コノハナチルヒメはイワナガヒメと同神であるという説もあるので、やはり、姉妹は本来一体であるべきなのではないでしょうか。

 私たちの心の中にもその姉妹は同居しています。それは和魂と荒魂とも言えます。その融合、統合というのが、これからの時代のテーマとなると思っています。

Img_7264

 それにしても、すごかったなあ、今日の体験は。皆さんもぜひ気合を入れてあの階段と山道を登ってみてください。必ずや何か降りてきますよ。

 また、近いうちに参拝させてたいだこうと思います。町田さんのように夜参りもいいかも。それこそ命懸けですが。

| | コメント (0)

2021.01.01

あけましておめでとうございます(2021年年賀状公開)

2021

 

 様、あけましておめでとうございます。

 今年もよろしくお願いします。

 今年は…いや去年はとっても忙しく、なんと年賀状を今デザインしました!いかん、いかん。

 昨年もけっこう時間をかけず作ってしまいましたが、今年はなんと1時間だけ。スミマセン年々手抜きになっておりまして(苦笑)。

 ただ、今年は世界も自分も変革の年になりそうなので、ちょっとしたメッセージ性を持たせてみました。

 謎の絵、何かわかりますか。

 画面上ではハガキをぐるぐる回すことができませんから、難しいかもしれませんね。周りの言葉を最後まで読むと何かが見えてくると思います(よくあるやつを自分で作ってみました)。

 どうしても見えてこない方は、こちらに答えがありますよ。

| | コメント (0)

« 2020年12月 | トップページ