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2020.11.09

『保守とネトウヨの近現代史』 倉山満 (扶桑社)

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 の途中で読んだ本。

 このたびのアメリカ大統領線でも、日本の保守とネトウヨは独特な動きを見せていましたね。

 それらも、この本で言うところの「左派に負け続けてきた」保守の劣等感と怨念に基づくものだったのでしょうか。

 かく言うワタクシも、ある方面からは保守・ネトウヨと目されているかもしれません。たしかに、そちらの界隈の友人がたくさんいますからね。しかし、一方で左派やリベラルの方々とも仲良くしていますので、どちらからも信用されていないとも言えます(笑)。

 それはしかたがないことです。昔から、左右では捉えきれない巨人たち、たとえば出口王仁三郎であるとか、最近では仲小路彰に興味を持ち、また憧れて真似をしようとしているところがありますから。

 というか、私個人の表面的な思想歴からしましても、若い頃は父親の影響や学校教育、マスコミの影響もあって、かなり左寄りであり、ネット住民になってからは、ご多分にもれず右派に転向したという自意識がありましたからね。

 ただ、その両方の自分を否定できない自分がいまして、その相克を止揚するために、王仁三郎や仲小路に活路を求めたのかもしれません(それにしても運命的な出会いが多すぎましたが)。

 まあ、そんな私でありますから、保守である倉山さんが保守批判しているこの本は実に面白く感じました。そうそう、なるほど、という話ばかり。

 ちょっと笑えてしまうのですが、現在の保守・ネトウヨにこそ、内ゲバ&総括性があるのですよ。そのへんの逆転現象が面白い。

 もともと保守は、人間の知性や理論への懐疑に根ざした思想ですから当然と言えば当然ですが、どうしても情緒的、感情的になりやすいし、ある種のノスタルジーに陥りやすい。

 最近の保守やネトウヨは、かつての反省からか、いちおう理論武装しようとしていますが、その理論が非常に偏った情報を元にしていることが多いので、結局また負けてしまったり、内輪もめを招いてしまったりする。どうにもいけませんね。

 しかし、一方で私が彼ら彼女ら(ウチのカミさんも含む)を嫌いになれないのは、何かそこに「物語」を感じることができるからです。もともと、「物語」が好きであり、コトよりモノと言って憚らない私ですから、それも当然です。

 過去の自分や、過去の「日本」を否定したくないというのは、よく分かります。左派は過去の否定をスタート地点としており、それは実は勇気のいることでもなんでもなくて、ものすごく安易な思考です。何かをただ否定すれば自動的に立ち位置が決まりますからね。

 その点、様々な物語を生み出し駆使して自分のルーツを肯定し続けようとする人たちは、実に甲斐甲斐しい。

 そうした過去への探究心(?)が、実は自らの立脚点の標高を高くし、結果として遠い未来まで見渡すことができるようになるのも真理です。

 出口王仁三郎や仲小路彰を見れば、それがよく分かります。彼らも彼らの遺した一部、特に前半生のそれらを見ると、まるでスーパー右翼のように見えますからね。

 いつも言っているように、左右両翼がないと空高く飛べません。その翼をバランス良く育て、そしてメインテナンスしていくことが、まっすぐ飛んでいく秘訣なのでしょう。

Amazon 保守とネトウヨの近現代史

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