『バッハ ヴァイオリンとピアノの為のソナタ』 ミシェル・マカルスキー&キース・ジャレット
これは正直衝撃でした。
知り尽くしていたはずのこの曲集が、全く違って聞こえてきた。それは単にモダン・ヴァイオリンとピアノによる演奏だからとかではなく、音楽の構造とそこに綾なすメロディーが初めて明確に聞こえたということです。
全く予想外でした。本当にこの曲集とは長いつきあいであり、チェンバロともピアノとも全曲弾いたことがあります。つまり、自分もモダン(エレキ含む)と古楽器で演奏したことがあるのです。さらにトリオ・ソナタに編曲もしたことがある。
最初(高校生の頃)には、なんだかあまりこの曲集が好きではありませんでした。地味というか、分かりにくいというか、ヴァイオリンが生きていないというか。
ところが長く付き合ううちに、バッハの中でも特に好きな作品に変わっていきました。それでどこか満足していたところがあったのですが、このたび本当に予想外にも、さらにこの曲集のすごさ、美しさが分かってしまいました。
そう、今回初めて、ヴァイオリンではなく鍵盤の方が主役に感じられたのです。対等というのは今までもありましたが。
まるで、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタが本当は「ヴァイオリンの伴奏付きピアノ・ソナタ」であるのと同じように、「ああ、これはバッハ自身が弾く鍵盤パートが主役でヴァイオリンが伴奏しているんだ」と感じたのです。
いや、実際私もトリオ・ソナタ(ヴァイオリン2本と通奏低音)に編曲したように、表面的な構造としては鍵盤の右手とヴァイオリンは対等に(楽譜上では)描かれています。
しかし、実際の音にした時には、実は鍵盤の右手と左手が有機的に絡み合っており、ヴァイオリンは添え物的に聞こえるように設計されているのです。ヴァイオリンのパートが鳴らないように書かれていると言ってもよい。
今まで、どこか私もヴァイオリンが主役だと思いこんで弾いていたのでしょう。だから、鳴らない、生きていないと感じたのです。
極端な話、あの有名な4番の最初の楽章のシチリアーノでさえ、ピアノの分散和音が主役に聞こえてきた。これは本当に驚きでした。
こんなことに気づいたのも、キース・ジャレットという稀有な天才ジャズ・ピアニストが「ピアノ」で演奏してくれたおかげです。「ピアノ」でというのはダブルミーニングでして、「ピアノ」という楽器で「ピアノ(弱音)」をキープして弾いてくれたということです。
この鍵盤のコントロールは、キースがチェンバロやクラヴィコード、パイプオルガンなどを弾いてきた結果ですから、一般のピアニストには不可能でしょう、演奏スタイルとして理解できないかもしれません。
しかし、彼はグルードとはまた違った「ピアノによるバッハ」を発見したようです。これほど右手と左手の声部が生命力を持った演奏はそうそうありません。
そして、ヴァイオリンのマカルスキーも、そんなキースの「ピアノ」表現をよく理解していて、適度に抑制された表現を心がけているようです。さすが盟友ですね。
う〜ん、それにしてもすごい曲集ですね。深い。
最近この曲を弾く機会もめっきり減ってしまいました。なんか久しぶりに(ウン十年ぶりに)ピアノと共演してみたくなってきました。
残念ながらYouTubeに音源がないので、こちらからサンプルだけでもお聴きください。
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