豊饒の海〜仲小路彰の三島由紀夫評
昨日の続きです。
三島の遺作となった「豊饒の海」。「豊饒の海」という言葉からは、まさに豊かな生命をたたえた大海を想像しがちですが、実はこの名の由来は月にあります。
折しもアポロが月面着陸し、「海」が実際に荒涼たる虚無であることが確かめられた、その直後のことですから、当然三島はそこに意味を見出したわけです。
「豊饒の海(豊かの海)」は、この写真の赤丸で囲っているところ、つまり、餅をつくウサギの片方の耳にあたります。
古来日本では一つのモノ語りとして信じられてきた「餅をつくウサギ」が、それこそ無機的な玄武岩の台地であるコトに、三島はある種の絶望を抱いたのでありましょう。
三島とは因縁の仲であったとも言える仲小路彰は、三島自決の直後12月1日に「三島の死の象徴的意味ー彼の死の後に来るものー」という文書を発行しています。
なかなか厳しい三島評が続くのですが、「豊饒の海」の命名については次のように書いています。
そして彼の最後の作品「豊饒の海」は、かのアポロ・ロケットが到着した月面の荒涼とした天文学上の名を用いたように、彼の予見的天分は、あるいは核戦争か地球的公害の果てに来る、死の地上の終末的光景を、まざまざと感覚したことによるかも知れないのである。
また、仲小路らしい未来視点的な三島評の中にも「月」が登場します。
すでに明らかなように、彼の死は未来に開かれたものではなく、かすかでも未来からひびく声に応じたものでもなく、まさに亡びゆく過去なるものへの対決であり、その絶対的否定であった。
彼の生涯はその最期の告白に見るように、一切が偽善にみちみちたものであり、彼の作品そのものも、また偽善者の文学であるとして、彼はそれ故におしげもなく捨て去ろうとしたのである。
これを知らぬ彼への批評も讃美も非難も無視も、彼にとってはことごとく我を理解し得ぬ縁なき衆生として、孤独に苦しんだのである。
その生活の外面的華やかさがあればあるほど、彼の真実は荒涼として月面の人の如くであった。
さればこそ、彼はその最期の「天人五衰」に羽衣の月からの天女の悲しみになぞらえてその終曲を書くのであった。
ここに彼の遺志として示されたものが唯物的、無神論的米ソ中心の現体制の否定として鋭い拒否をなしながら、彼自らそれとともに死んだのである。
非常に貴重な評ですね。これはほとんど今まで世に出なかったものです。三島の研究者も知らないでしょう。ここに引用してものは、全体のほんの一部です。いつか全文が公開できる時が来ればと思います。
明日は満月。そして、半影月食。あらためて影のさす「豊饒の海」を眺めてみたいと思います。
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