バッハ 『神の時こそいと良き時』(BWV 106)
オランダバッハ協会の演奏が公開されました。いい曲、いい演奏ですね。
この曲は3年前にも紹介していますが、あらためてもう一度。
この曲を聴いたのは、中学3年の時でしたか。FMの朝の番組でかかったのを聴いて衝撃を受けました。その頃はまだロック中心の音楽生活を送っていたのですが、早起きをするようになって「いやいや」朝のラジオを聴くようになり、そして結果としてロックに「バ」がついてしまったというわけです。
そのきっかけになった曲はいくつかありますが、この曲の力も大きかったですねえ。特に序曲たるソナティーナの美しさには、まさに息を呑みました。
どなたか有名な方もおっしゃってましたが、この曲、最初リコーダーが1本かと思うんですよね。しかし、よく聴くと2本に聞こえてくる。しかし、それがはっきりしない。2本使っているのに、(素人的に考えると)それがちっとも効果的に使われていない気がする。
楽譜を見ながら聴いてみましょう。ソナティーナのリコーダーパートにご注目を。
どうですか。非常に不思議ですよね。何を意味しているのか。
リコーダーはユニゾンから始まって、一瞬1本になり、再びユニゾンへ。そして、そのパターンの3回目には初めてユニゾンから解放されて3度で動きますが、すぐにまたユニゾンになったかと思うと、この曲のキモである独特の「うなり」を生む2度の衝突の波が訪れます。
その波も、一瞬1本が単純にタラタラとやっているかのように聞こえますが、実は楽譜のとおり、独特な「縫い方」で構成されています。
それを支えるヴィオラ・ダ・ガンバの2本は、単純に和声を構築する役割を果たしており、リコーダーのパートとある種の対称性を見せています。
この曲はお葬式のための曲と言われていますが、この独特にして孤高の序曲に、若きバッハははたしてどんな神学的な意味をこめたのでしょうか。
難しいことは抜きにして、バッハがリコーダーという楽器に特別な思いを持っていたことは確かなようです。
素人感覚としても、このソナティーナのリコーダーパートから感じることはいろいろとあります。
甘き死へいざなう天使の声のような使われ方をしており、その二人の天使が絶妙にシンクロしたり、一瞬離れたり、波打つように呼応したり…そのようにも考えられますが、一方で人間界のついたり離れたりぶつかっかりを象徴しているようにも思えます。
あとは実際的な効果もあります。というのは、この美しいリコーダーパートをぜひ吹きたいと思うアマチュアリコーダー吹きはあまたいるわけですが(私もその一人でした)、実際やってみると非常に難しい。そう、1本のように聴かせるのがほとんど不可能なのです。
ピッチや音色の問題もありますが、それ以上に細かい表現を合わせないとガタガタになってしまう、つまり素人が軽い気持ちでやると必ずガタガタで全然美しくなくなってしまうのです。
つまり、葬送、哀悼にあたり、それなりの演奏者がそれなりの緊張感と集中力と調和の精神をもって臨まねばならないということであります。
バッハのことですから、おそらく深い深い意味や意図があったと思われるこの曲のリコーダー。もう一方の名曲、狩のカンタータ(BWV208)の中の有名なアリア「羊は安らかに草を食み」のリコーダーの使い方と比べると、面白い発見があるかもしれませんよ。
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