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2020.10.29

火(霊)の洗礼

Th_5cb4e32ed2ce7847bf31721f960480 ロナ禍の前、昨年のことを思い出してください。

 4月にパリのノートルダム大聖堂が火災に見舞われました。8月にはアマゾンの熱帯雨林で大規模な火災。10月には沖縄の首里城が全焼しました。

 まさに「火の洗礼」ではありませんか。

 ここで、王仁三郎の言葉を引用してみます。大正14年の「神の国」に掲載された文章です。

 

 火をもって、バプテスマを行うという事は、人間を霊的に救済するという事である。これ大乗の教えであって、今までの誤れる総てのものを焼きつくし、真の教えを布かれる事である。水をもってバプテスマを行うという事は、人間を体的に救済する事である。

 火は霊であり、水は体(たい)である。

 瑞霊(みづのみたま)の教えは永遠の生命のため欠くべからざるの教えであって、厳霊(いづのみたま)の教えは人生に欠くべからざるの教えである。

 厳霊の教えは、道義的であり、体的であり、現在的である。

 瑞霊の教えは道義を超越して、愛のために愛し、真のために真をなす絶対境である。いわゆる三宝(さんぽう)に帰依し奉(たてまつ)る心である。火の洗礼と、水の洗礼とは、それほどの差異があるのである。

 某地の大火災を目して、火の洗礼だと人は言うけれど、それは違う。水の洗礼である。いかんとなれば、それは体的のものであるから。

 

Th_images_20201030091501 「火の洗礼」と言った時の「火」は、私たちが考える「火」とは違うのですね。

 よく言われるように、「霊」は大和言葉では「ひ」と読みました。あるいは「もの」と読みました。すなわち、目に見えない何かのことです。

 fireの「火」は目に見えます。ですから、昨年の大火災を表面的に見ているだけでは「洗礼」の意味は分かりません。

 そして、昨年の大火災のあと、まさに「目に見えないモノ」である新型コロナウイルスが世界を覆いました。

 そう、これこそが「霊(ひ)の洗礼」であって、昨年の「火」はその序章に過ぎなかったということです。「火」をもって「霊」に気づくチャンスはあったはずですが、残念ながら私たち人類はそのチャンスを活かすことができませんでした。

 「霊の洗礼」とは「今までの誤れる総てのものを焼きつくし、真の教えを布かれる事」。そう、コロナ禍によって、私たちはそれまでのあらゆる習慣や常識や経済や文化を失ってしまいました。

Th_unknown_20201030091601 それらが「誤れる総てのモノ」だということではありません。それは「コト」です。目に見える(私たちが認知している)「コト」の背後にある、無意識の「霊(モノ)」の方が誤っていたのです。

 そこに気づかないと、このコロナ禍、すなわち「霊の洗礼」は終わらないでしょう。そして、さらなる「焼きつくし」が行われる可能性があります。

 今、私たちは、「体」ではなく「霊」の次元で生まれ変わる必要があるのです。

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2020.10.28

『捻くれ者の生き抜き方』 鈴木秀樹 (日貿出版社)

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 く共感しながらあっという間に読了。

 ご本人は「捻くれ者」と言っていますが、語っていることは全て正論。

 つまり、世の中がおかしいのです。

 プロレス界だけではありません。うまく回っているように見えるけれど、どこかごまかしや妥協があるので、実は非常に脆弱な社会。コロナでそれが露見していますね。

 そういう意味では、私は教育界の「捻くれ者」でしょう(笑)。最近は「学校をぶっ壊す」と公言していますし。

 そう、つまり鈴木選手が言うように、常識という同調圧力が生む停滞、結果としての後退がいやでたまらないのです。

 この本の太字の部分、全て学校に、教育にも当てはまりますよ。面白いくらい。

たとえば、「『自分が観ている立場だったら嫌だな』と、観る側の席に座った立場で観ている」という言葉。世阿弥の言う「離見の見」ですが、教師としてこの基本的なことを考えている人が、いったいどれくらいいるのでしょう。実に情けない現場ですよ、教室は。

 あるいは、「プロレスの『適性』は、プロレスのことを考え続けられること」という言葉。これは「教師の『適性』は、教育のことを考え続けられること」と置き換えられます。これはどんな分野にも通ずる名言だと思いますが、案外プロなのに(給料もらっているのに)その専門分野のことを考えて続けていない人が多いでしょう。皆さん、どうですか。

 なかなか理解されないのですが、私は本当にプロレスから多くのことを学んで、リング(教壇)に立っているのです。

 教室に入る時からの「たたずまい」も大切です。入場のスタイルですね。対戦相手であり観客である生徒の立場に立ち、相手の技や声援をちゃんと拾って活かす。あらゆる技を鍛え、どんな展開にも対応できるようにする。ストーリーとアドリブのバランス。

 私も「フリー」になろうかな…真剣にそんなことを考えてしまいました。というか「フリーの教師」ってどんなんだ(笑)。

 鈴木選手のことは、UWFスネークピットジャパンの宮戸優光さんを通じて、デビュー前から知っていましたし、実際ビル・ロビンソンさんの指導を受ける鈴木選手の姿も見ていました。

 8年前にはウチの中学校に来てもらったことがあるんです。餅つきしてもらいました(笑)。あの時はまだIGFで活動している頃で、ご自身もこの本で語っているように、「グレー」な中でいろいろと模索している時期でした。

 その後、フリーになり、各団体のチャンピオンになっていくわけですが、やはりその中での自分の価値の作り方、守り方はある意味独特でした。すなわち同調圧力や常識の中で安定を求めるのではなく、まさに「自分で考える」ことをやってきた人だと思います。

 だからこそ、先輩に対しても正論を言える。変な忖度はせず正しいものは正しい、間違ったことは間違っているとい言える。それは全く簡単なことではありません。自分の生きている「社会」の中でそれができるかどうか、考えてみれば分かります。

 そんな意味で、私は鈴木選手から学ぶことが多いし、多くの刺激を受けています。これからも応援しますので、ぜひ「社会」という敵と戦い続けてください。私も鈴木選手に負けないように頑張ります!

Amazon 捻くれ者の生き抜き方

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2020.10.27

Keith Jarrett 『My Song』

 楽における和声については、なんとなく理論化(コト化)できるので、やろうと思えばそれなりに思い通りのコトができる予感がします(実際には勉強不足でできませんが)。

 しかし、メロディーとなると、これは非常に不思議で、なかなか理論化(コト化)できず、やはり「モノのね」なのかなあと思う今日このごろです。

 先日亡くなった筒美京平さんは、まさに「メロディー・メーカー」でした。コード進行は洋楽からの借用で説明がつきますが、そこに乗せる旋律が独特で優れていました。何度も書いているように、最初の2小節で世界に引き込む、そういう音列を生み出す天才でした。

 昨日の記事で紹介したザ・ピーナッツの楽曲を多く手掛けたすぎやまこういちさんもそういうタイプ。このたびの文化功労者選出、おめでとうございます。

 バッハもなんだかんだ言ってメロディーが優れていたので、あの構築された厳格な世界に私たちが親しめるわけです。アルビノーニなんか、まさに当時の名メロディー・メーカーですよね。そういう意味ではロマン派(的なモノ)をすでに用意していたとも言えます。

 さて、そういうシンプルな音列としての旋律の美しさを考える時、どうしても外せないのがキース・ジャレットのマイ・ソングです。

 歴史的には逆回転になりますが、まず2009年のベルリンでの演奏から。美しい。

 

 

 長めのイントロのあと、1:30から始まるこの曲のメロディーはとてもシンプルです。後半はそれをディヴィジョンしての変奏となります。

 次に1978年の、あの伝説の武道館ソロ・コンサートのアンコールでの演奏。これは本当に神がかった演奏ですね。当時生で聴いた方が、本当に鳥肌が止まらなかったと言っていました。それはそうでしょう。

 上のベルリンでも至上の美しさですが、この武道館ヴァージョンを聴くと至上のまだ上があるのだなあと思わずにいられません。

 

 

 この曲の原曲は、言うまでもなくEuropean Quartetの1977年の作品です。ヤン・ガルバレクの澄んだサックスによる、このシンプルなメロディーが本当に美しい。ライヴ版がありましたのでどうぞ。

 

 

 というわけで、(良い)メロディーとはなんなのかが最近のテーマでして、まずは自分たちでやってみようということで「Melodies」というユニットを立ち上げているところです。

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2020.10.26

ザ・ピーナッツ…奇跡のユニゾン

 の前紹介した、バッハのカンタータBWV106「神の時こそいと良き時」。この曲のソナティーナのリコーダーの、特にユニゾンが難しいという話をしました。

 それについての次の興味深い動画を観ながら、思い出したのがザ・ピーナッツ(笑)。

 

 

 実はこの番組、「奇跡のハーモニー」なんですが、ザ・ピーナッツって、実はユニゾンが奇跡的なんですよ。上掲のバッハの演奏の手本となるのはこれ以外にないでしょう(マジで)。

 音色、リズム感、メリスマ等々、完璧なユニゾンがあるからこそ、実は3度とか6度とかのメロディーハーモニーが生まれるのです。

 

 

 そこで思い出したのが、アルビノーニの作品9。全く私の頭はどうなっているのでしょう(笑)。

 そう、実は作品9は「12曲の5声の協奏曲集(12 Concerti a cinque )」なんです。ヴァイオリン協奏曲、オーボエ協奏曲、そして2本のオーボエのための協奏曲も、全部「5声」。

 つまり、2本のオーボエは「1声」ということなのです。2本のオーボエはハモったり、たまにカノン風に追いかけっこをしたりしますが(恋のフーガのように!)、あくまでも一卵性双生児であり、二つで一つなのであり、すなわちザ・ピーナッツなのです。面白いでしょう。

 それにしても、上のザ・ピーナッツの動画、すごいですね〜。二人で一つの彼女たちはもちろん、共演陣がすごいこと。東京ユニオンもやっぱりすごいですし。

 

 

 

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2020.10.25

『Fukushima 50』 若松節朗監督作品

Th_91vlcn3j8l_sx300_  兵器禁止条約が発効することになりました。唯一の被爆国である日本は批准せず。

 原発についても、あれだけの事故を起こしておきながら廃止する気はなし。

 本当に純粋な人間の感情としては、兵器にせよ発電にせよ、もう原子力に頼らなくてもいいではないか、となるところでしょう。

 しかし、それがこうして単純に実現しないのには、裏側に重い事情があるからにほかなりません。

 そして、それが単純に従米のしがらみであるとか、国内の利権にまつわる話であるとかだったら、ある意味分かりやすいし、怒りをぶつけやすいのですが、実際はそう簡単なことではありません。

 コロナ禍のもと、何度も書いてきたように、実際的には核兵器をはじめとするドンパチ戦争の時代は終わろうとしています。また、電力問題においても再生可能エネルギーなどの発達により原発の出番はなくなってもおかしくありません。

 しかし、なぜなくならないのか。被爆と被曝を体験しながら…。

 それは、遠い昔、人類が危険極まりない「火」を、さまざまな失敗や試練を乗り越えながら、結果的に善用して文明を発達させたのと同じく、「原子力」を「未来の火」として真に善用すべき運命が存在するからです。

 仲小路彰は70年前からそれを強く訴えていました。コントロールすべきは「火」だけではなく、それを操る人間の「心」であると。

 日本という国は、その名のとおり、「太陽の火」すなわち「核融合エネルギー」善用の大本になるべき運命を背負っているのです。

 その証拠として、被爆後の日本の奇跡的復興と発展があり、そしてこの映画で描かれているように、原発事故の奇跡的な収束(終息ではありません)があったのです。これはもう神がかりとしか言いようがありません。

 ひのもとの国の神々が、私たち日本人を使い、修行させ、地球のための技術的、精神的な進化の道が閉されないようにしている。そんな未来的な視点を持つことも重要ではないでしょうか。

 この映画に描かれた崇高なる使命を背負った「日本人」の姿に、そんなことを考えさせられました。

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2020.10.24

Ichiban Japan (フランス人YouTuberギギさんの日本紹介チャンネル)

 

 ランス人YouTuberギギさんの日本紹介チャンネル。

 先月、ギギさんがウチの中学校の取材にいらっしゃいました。その時の動画がアップされましたので紹介します。

 1時間近い動画ですが、全く長さを感じさせないすごいクオリティーです。さすが本国フランスでも街を歩いていると声をかけられるというだけのことはあります。本当にカリスマ的なYouTuberなんですね。

 この動画の中でも私が話していますとおり、ギギさんの日本紹介チャンネルには、私たち日本人も知らない、気づかない「日本」がたくさん詰まっています。

 こうして外国からの視点で捉え直すことによって、私たち日本人も忘れてしまった、あるいは無意識の向こう側にしまい込んでしまったモノをコト化できます。ありがたいですね。

 私も、自らの教育観をこうしてグローバルに発信できる機会を与えていただき本当に嬉しく思います。コメント欄を読んでみると(もちろん翻訳ソフトで)、フランスの皆さんが日本の教育や禅にとても興味を持っていることが分かります。

 富士吉田市についても、地元民である私が知らないところもたくさん紹介してくれています。なにかこうして紹介されると、不思議と地元が外国のようにさえ感じられますね。非日常的な視点を得ることによって、風景が違って見える。日常的ストコーマに隠れた価値が浮かび上がるということでしょう。これぞまさに異文化交流の醍醐味。

 本来なら、この動画を観て多くのフランス人が富士吉田市を訪れるのでしょう。しかし、今はそれが叶いません。しかし、だからこそ、ここから両国の文化的、学問的、哲学的な交流が始まるといいですね。

 ギギさんとはこれからもコラボする機会があるかもしれません。まだまだ紹介したい、紹介してほしい、日本人が忘れてしまった「日本」がたくさんありますので。

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2020.10.23

「坂口孝則と牧野直哉のオールビジネスニッポン」に出演しました!

20201025-110558 このところメディアで教育観を語る機会が急に増えました。明日もあるYouTube動画の紹介をする予定ですし、近くNHKのテレビにもちょこっと出る予定です。

 私は、自分から発信というより、人様の企画に乗っかって発信ということの方が向いているようです。特にワタクシ独自の時間観、モノ・コト論、教育観などについては、こうして社会的に影響力のある方々がなぜか興味を持ってくださって誘ってくださるので、本当にありがたく思います。

 今までも、高城剛さん、吉本ばななさん、るってぃくんらの「作品」に乗っかって、ある意味暴走気味に放言してきました。今回はFM世田谷の「オールビジネスニッポン」に出演し、暴走させていただきました。かなりぶっ飛んだ内容になってますよ(笑)。

 スッキリのコメンテーターなどでも有名な坂口さんとは、昨年友人の紹介で一度飲みながらおしゃべりし、その後宇宙人忘年会にも出席していただいた仲です。ものすごい読書家であり、今回も教養豊かな鋭い質問をどんどん投げかけてくれまして、こちらとしては最高にお話しやすかった。

 高城さんとの対談の時もそうでしたが、やはり聞き手の方の次元が高いと対話がスイングして楽しいですね!

 ある意味放送禁止だとも言われましたが、ほとんどノー編集で放送してくれたことに大感謝であります。どうかドン引きなさらず聴いてください(笑)。今回初めてお話しました牧野さんは呆気にとられていたようです。それが普通でしょうね。スミマセンでした。

 前半

 後半

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2020.10.22

キース・ジャレット 『バッハ フランス組曲よりサラバンド』

 Yahooニュースで「ジャズの巨匠 病で復帰困難か」というトピックが。

 ジャズの巨匠って…だれ?と思いましたら、そうか、キース・ジャレットかあ…。ここのところ音沙汰がないとは思っていましたが。

 キースに一番最近会ったのは7年前。今考えても不思議なシンクロが重なった日でした(その前日もすごいな…笑)。

 恐るべきシンクロニシティの群れ〜キース・ジャレット・トリオ

 その時はキースはお元気そうで、どちらかというとゲイリー・ピーコックの衰えが心配になりましたが、その後2018年に2度の脳卒中に襲われ、今では左手は使えないようです。

 内側からどんどん音楽が湧いてくるタイプの音楽家にとって、それを表現できないというのは、どんなにもどかしいことでしょう。

 もちろん、楽譜にしたり、コンピュータで打ち込んだり、いろいろな表現法はあると思いますが、キースのような「インプロヴィゼーション」を重視する演奏家にとっては、やはり「記録」ではダメなのでしょう。すなわち、コト化した音楽ではなくモノそのものを表現したいのです。

 そんな彼が「記録」された音楽も頻繁に演奏したのは面白い事実です。特にバッハを好んで演奏しました。ある意味、構築された「コト」の権化のように思われがちなバッハの音楽は、実は対位法を極めることによって、バッハ自身からどんどん離れたところで生成された「モノ」なのでした。

 私も若い頃対位法をかじって稚拙な曲を書いていました。鍵盤楽器が弾けない私がどのように作曲していたのかというと、テーマだけダウンロードして、あとは対位法の流儀に乗って勝手に音楽が生成されていく感じでした。

 私は天才ではないので、音の選択の際に間違いもけっこう犯していて、それで駄作が大量に生産されることになってしまいましたが、天才は一瞬で全体をダウンロードして、それを楽譜上、あるいは画面上に展開していくことができるので間違いが起きません。

 バッハの音楽はそういう意味で究極の「インプロヴィゼーション」だったのです。キースはそれをよく理解しており、まるで今ダウンロードされたかのように演奏しました。それはある意味、クラシック演奏家の流儀に反したものだったので、そちら側の人たちから酷評されたりしましたが、バッハ自身がどちらを評価するかは言うまでもないでしょう。

 今日は、キースのバッハ演奏の珍しいライヴ映像を紹介します。何かのライヴのアンコールでしょうかね。フランス組曲の3番ロ短調から「サラバンド」です。

 

 もしご縁があったら、キースに宇宙由来のCS60の施術を受けてもらいたいなあ。麻痺が治った人がけっこういますので。まだまだ、キースの内なる音楽、すなわちキースを超越した宇宙の波動を聴きたい…。

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2020.10.21

『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』 堀江貴文 (光文社新書)

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 リエモンの教育論…と言うと、何か特別な人が特別なことを言っているような印象を持つと思いますが、非常にまっとうな「脱・学校論」です。

 「学校」という工場、軍隊、牢獄で働く者として、ほぼ全面的に堀江さんの意見に同意します。

 現在の「学校」、すなわち150年前から変わらない「学校」が、実社会と乖離しているのは当然の上、堀江さんが言うとおりまさに「ブレーキ」になってしまっている。幼児教育から大学までの約20年間によって、どれだけ日本の生産性が下がり、国力が低下していることか。

 全ての「先生」にこの本を読んでもらって、もし同意できない部分があるなら、感情論ではなく理屈で反論していただきたいと思います(もちろん、ちゃんとそれをしてくれる先生もいますが)。

 先日も宇宙人的な視点から、某ラジオ番組で(旧来の)学校批判を繰り広げた私であります。しかし、現実にはまさに「旧来の学校」の中心で働いております。

 それを矛盾だとか、職場に迷惑をかけているとか、いろいろな批判やご指摘をいただいておりますが、私としては全く自然にそれができていますので、ご心配なく。

 だいたい地球人のいけないところは、改善のための批判や具体的な改革を「敵対関係」の中で実現しようとするところです。外側からの批判は結局単なる無責任な自己満足か単なる暴力になってしまうんですがね。

 私がもし堀江さんの主張に何かを加えるとするなら、「旧来の学校」も残るし残すべきだということでしょうか。つまり、レールの上に乗っていくことを望む人、貯金の安心を得たい人もある割合いるのです。

 その上で、これからの時代のメインになるであろうもう一つの選択肢としての全く違う教育システムを作る。それが私の現在の、いや未来の仕事です。もう具体的なビジョンと方法論はできています。

 それは、堀江さんの言う「『バカ』になれば教養もついてくる」体験(すなわち「学び」)を、社会全体を「学校」として実現する画期的なものです。

 これは、まさに「旧来の学校」にどっぷり浸かって仕事をし、その問題点と、その問題点を正当化どころか美化していしまう「物語」を、いやというほど体験してきた私だからできることだと思っています。

 今の仕事、立場には当然誇りも持っていますし、自分の学校や幼稚園を心から愛しています。しかし、そういう小さな自我の次元を超えて、本気で日本を、地球を救おうと思っている自分(自分ではないのかも)がいることも確かです。

 私は私の妄想を絶対に実現します。実現しなければならないのです。天命ですので。その時には、もしかすると堀江さんの力もお借りするかもしれません。

 もう一つ、あえて最後に言うなら、この堀江さんの「正論」にも「洗脳」の要素は多分にあります。というか、全ての社会的システムや言説は「洗脳」が目的です。もちろん、私のひとり語りも。まずは自分をこうして洗脳していますし(笑)。

Amazon すべての教育は「洗脳」である

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2020.10.20

山下久美子 『TOKYO FANTASIA』(湯川れい子・筒美京平作品)

 

 美京平さんの隠れた名曲を紹介します。

 1996年の山下久美子さんのシングル。資生堂のCMで使われていましたので、記憶にある方も多いのでは。

 どんなスタイルの曲も書ける、まさに職人だった筒美京平さん。この曲は、一聴して分かるとおりELOのジェフ・リンの影響を感じさせるポップ・ロックですね。

 ジェフ・リンと言えば、最近大英国勲章(OBE)を受章したようですね。ちょっと遅かったような気もしますが。

 ジェフ・リン(ELO)の影響と言えば、同年のPUFFYの「アジアの純真」、すなわち奥田民生さんを思い出しますね。彼はユニコーン時代にELOネタをよく使っていました。

 そんな奥田民生さんを尊敬していた志村正彦くんのCDコレクションを拝見したことがあるのですが、そこにELOが何枚かあったのを思い出します。ビートルズ→ジェフ・リン(ELO)→奥田民生→志村正彦という音楽の命脈は時空を超えて感動的ですね。

 おそらく「TOKYO FANTASIA」は、1996年の5月に発売された「アジアの純真」の大ヒットを受けて、筒美京平さんがELO風の楽曲に仕上げたものでしょう。

 本家ELOよりも、あるいは「アジアの純真」よりもストリングの濃度は高い。弦の編曲は服部隆之さんです。これもまたよくELO(ルイス・クラーク)を研究していますね。

 こうして洋楽を日本風に昇華していくのが我が国の大衆音楽の特長であり、それはある意味聖徳太子にさえつながる日本文化の本質を示しているのでありました。

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2020.10.19

Wi-Fiモバイルルーター 『+F FS030W』 (富士ソフト)

Th_61c15wqqfhl_ac_sl1148_ 生活では着々と様々な目論見が進行しておりますが、ブログ上ではあえてどうでもいいことを書いていきますね。

 そう、このブログ、だいたいどうでもいい物の紹介などしている時には、裏で重要なことが進んでいるのですよ…って、ばらしちゃっていいのかな?

 というわけで、使えるガラクタシリーズが続きます。

 昨日のBluetoothレシーバーと同様、車の中で使用するのに便利な製品を紹介します。

 レシーバーは残念ながらその(バッテリー不搭載という)特長を生かしきれませんでしたが、こちらは生かせてます。

 そう、このルーター、バッテリーを外してもUSB給電で使えるのです。つまり、エンジンキーのオンオフに連動して本体がオンオフされるということです。

 今や車の中でもWi-Fiが必要な時代になりました。音楽を聴いたり、カーナビを使ったり、同乗者が動画を観たり。

 ちなみに私はこのルーターを中古で約半額で購入し、simはmineoの3G+パケット放題(500kbps)を使っています。基本、500kbpsあれば車の中では用が足りますよ。音楽やネットラジオは全く問題なし、動画もちょっと待てば普通に再生されます。緊急時は速度を上げればよい。それは3Gあれば十分です(ちなみにiPhoneのモバイルデータ通信は常時オフにしています)。

 このルーターはバッテリーでも長時間駆動するので、車から降りて使う時はバッテリーを装着するだけ。小ささの割にバッテリーは大容量で、Bluetooth接続ならなんと24時間持ちます。これはすごい。バッテリーの交換も簡単ですし。

 最近、新機種のFS040Wが出ましたが、私のような使い方では30で充分ですね。これからもメインのルーターとして活躍してくれそうです。

Amazon +F FS030W

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2020.10.18

1Mii Bluetooth 5.0 オーディオ レシーバー

Th_61yz5svz9il_ac_sl1000_ 使えるガラクタシリーズ。ガラクタは失礼ですよね、使えるのに(笑)。

 これもAmazonのタイムセールで2,032円で入手しました。

 いろいろな使い道がありますが、とりあえずは車の中で使います。iPhoneからの音楽などの音声をカーステレオで再生するということですね。

 今まではBluetooth対応のFMトランスミッターを使っていましたが、やはりFMだとノイズがかなり入りますし、時々隣の車と混線したりします(笑)。

 これはカーステの外部入力に直接つなげますので、圧倒的に音質が良くなりました。ただし、電源をシガーライターから取ると、ノイズがすさまじいことになりますので注意。今どきの車で専用のUSB出力がついていればいいのですが、ウチの車のような軽貨物だとそんなシャレたものはありません。

 ちなみにこの製品はバッテリーを搭載していないので、普通に使えばエンジンの始動とともに電源が入り、止まればオフになります。いろいろ操作しなくていいので、それは便利でしょうね。

 ウチの車では結局サブバッテリーから電源を取りましたので、そのような芸当はできず、手で操作しなければなりません。とは言っても、ただ電源ボタンを押すだけですからね。立ち上がりも早いし、Bluetoothの接続も早くストレスはありません。

 そして、想定外に素晴らしかったのが3Dサウンド機能です。ボタンひとつで音場が感動的に拡がります。だいたいこういうたぐいのエフェクトは、音像のバランスが崩れたり、センターのボーカルや普通やトークの声が引っ込んで聞きにくくなったりするものですが、これは全然そういう不自然さがありません。車の中でもかなり気持ちよく音に包まれます。

 車の中以外でも、仕事上いろいろと有用だったりします。通常価格だとちょっと高いかなという感じですが、タイムセールを狙って入手するといいかと思います。

Amazon 1Mii Bluetooth 5.0 オーディオ レシーバー

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2020.10.17

野口五郎 『女になって出直せよ』 (阿久悠・筒美京平作品)

 美京平さんの追悼番組をいくつか観ました。もう、本当にすごい!としか言いようがありません。

 武田鉄矢さんか誰かが言ってましたが、筒美さんもモーツァルトのように一瞬で曲全体をダウンロードしてしまうタイプだったとか。

 一方、これはどなただったか、逆のことを言っていました。部分を作り込んでいくタイプだったとか。

 どちらも本当で、どちらも正しいのではないでしょうか。

 いつも言っているように、私たちが聴いている音楽は「時間軸に展開された」コトです。本来は、そこに楽譜が全体として一瞬で存在しているようにあるモノなのです。私たちの脳みその処理限界から、こうして時間軸に沿って展開しないと(コト化しないと)理解できない。

 しかし、天才作曲家はそれを一瞬でダウンロードし、楽譜上に擬似的に展開していくわけです。

 さてさて、そんな筒美さんの楽曲をここ数日だけでも何十曲も聴きまして、どの曲も印象に残って1曲選ぶというのは難しいのですが、NHKのCoversで田島貴男さんがカバーした「女になって出直せよ」が、田島さんご自身も言っていたようにまるでオリラブですごいなあと思いました。

 めちゃくちゃオシャレなソウル・ミュージック。これをアイドルの野口五郎さんに歌わせたわけですからね。まあ、ご存知のとおり、五郎さんはアイドルである以前にスーパー・ギタリストであり、フュージョン・アルバムも製作している(リー・リトナーやラリー・カールトンと共演している!)くらいですから、今思えばこの楽曲はありですね。

 それにしても、ある意味コテコテに日本風な阿久悠さんの詩にこの曲をつけて自然に聞かせてしまう筒美さんて…。編曲は船山基紀さんかあ。

 

 

 最近の野口五郎さんも素晴らしいですよね。今年の6月にミュージック・モアでフルバンド生演奏してくれました。う〜ん、今の五郎さんの方がこの曲に合うかも。アーティストですねえ。素晴らしい。

 

 

 五郎さんの何枚かあるインスト・アルバムはみんないいですよ。いつかまた紹介しますね。

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2020.10.16

JYX ポータブル Bluetooth カラオケスピーカー

Th_81flscdd9ll_ac_sl1500_  チの使えるガラクタシリーズが続きます。

 これは今日届いた謎の製品。

 けっこう人前でしゃべることが多かったり、また、家が年中カラオケボックス状態であり、さらに家内がいろいろな所で歌を歌う仕事(?)をしているため、ポータブルなマイクアンプを探していたところ、これを発見。セールでめちゃ安だったので早速注文しました。

 来た商品は予想の4分の1の大きさ(小ささ)でした。写真に偽りありでしたが、まるでミニチュアという感じで、これはこれで日本人好みかも(笑)。

 ところが、見た目の印象に反して音はそこそこ大きいし、音質も文句なしです。エコーもちゃんとかかるし、BluetoothでiPhoneと接続するのも一瞬、さっそくカラオケ大会が始まってしまいました(笑)。

Th_71xkcjryosl_ac_sl1500_ リチウムイオン電池搭載ですので、コードレスで持ち運びも便利。Bluetoothマイク使えば完全コードレスですね。講演なんかする時、Bluetoothヘッドセットを使っていますので便利かも。

 今ならキャンペーンでマイクも付いてきます。このマイクもまあ普通に使えるレベル。マイクの根元の端子がちゃんとXLRだったのには笑ってしまいました。

 マイクも込みで3,999円ですから買いでしょう。クーポンで本体1,000円引きに加え、キャンペーンでマイクが無料で付いてくるのです。

Th_img_6889 FMラジオにもなります。マニュアルが英語しかないので、まだ使いこなしていませんが、MP3ブレーやーになったり、録音もできるようなので、今後いろいろ試してみます。

 学校で何台か買ってもらおうかな。授業も別に肉声でやらなければならないという決まりはありませんし、いろいろなイベントで使えそうです。

 また中華製の使えるガラクタが増えましたな。

Amazon JYX ポータブルBluetoothカラオケスピーカー

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2020.10.15

Acer 家庭用プロジェクター X1226AH

Th_319by8llqql_ac_sx355_ 日もまたある製品の紹介です。

 我が家にはテレビがありません。しかし、テレビはよく観ます。画面は100インチです。どういうことかと言うと、プロジェクターでスクリーンに映写しているのです。

 テレビがないと言いましたが、正確に言うとでっかいブラウン管テレビの死体(?)が二つ転がっています。つまり、我が家では一般家庭では当たり前である液晶テレビは使ったことがなく、ブラウン管からいきなりプロジェクターに飛んだのです。さすがアマノジャク(笑)。

 で、今まで何台か安いプロジェクターを使ってきたのですが、一つ前の中国製品の偏光フィルターが黄ばんでしまって、映像にかなり大きなシミが出るようになってしまったので、この夏、ちょっとだけ奮発してこれを買いました。

 ちなみに奮発したと言っても、XGAタイプで29,800円でしたからめちゃくちゃお買い得ですよね(今は39,800円になってしまいました) 。

 そして、これが非常に良い。YABERとは全く比較になりません。4000ルーメンも嘘ではなく、昼間でもばっちりですし、夜はちょっと眩しいくらい。発色やコントラストも非常に良く、正直今までなんだったんだという感じです。

 今回はDLP 方式にこだわっての選択でした。さすが黒が深く残像も少ないので、全体としてキレがあるように感じます。

 光源もあえての電球。LEDではないので、立ち上がりは真空管テレビのようですが(笑)、それも慣れれば一つの儀式みたいなものです。ファンの音も非常に静かで驚きました。

 中国と台湾の違いと言ってしまっていいのか分かりませんが、数千円多く出すだけで、これほど差があるとは。

 二つだけ難点をあげます。一つは音量調節があまりにもざっくり(数値的にも5ずつ動く)で、微調整ができないこと。特に私のようになんちゃってシアターシステムで増幅する場合はちょっと出力が高すぎるので、間に手動に可変抵抗をはさみました。

 もう一つはHDMI入力が1個しかないことです。チューナーとFireTV stickを使っているので、これも分配器を買ってはさみました。

 これでプロ野球を観たり、プロレスを観たり、映画を観たり、娘たちが韓国アイドルのライブを観たり、YouTubeを観たり、けっこう大活躍しております。そして、大満足しています。

 正直、サンキュッパでも安いと思います。まあサンキュッパ出すのだったら、あと2,000円足してWXGAにしてもいいかもですね。

 というか、いつもプロジェクターのことを紹介する時に書いていますが、なんで85インチの液晶テレビとかを50万円も出して買うんでしょうかね。プロジェクターなら10分の1以下ですみますし、反射光なので目が疲れなくていいですよ。

 Amazon Acer 家庭用プロジェクター X1226AH

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2020.10.14

跳ね上げ偏光オーバーサングラス

Th_51ld12dppl_ac_sl1200_ 日は軽いお話。

 愛用していた偏光オーバーグラスをどこかに忘れてきてしまったので、新しく格安のものを購入しました。1,490円也。

 普段メガネをかけており、かつサングラスをするのは運転中くらいのものなので、わざわざ度付きサングラスを作るほどのこともありませんから、オーバーグラスは重宝します。

 ただ、運転中、たとえばトンネルに入った時など、減光しすぎてちょっと怖い感じがするので、そんな時、跳ね上げだといいなあと思っていました。それがこんな安いお値段で手に入るとは。

 この前の日曜日に車で出かける用事があったので、さっそくかけてみましたが、減光はけっこう強め、色合いは自然、偏光も普通のレベルで問題なしでした。

 今かけている、Amazonで買った格安メガネ(近眼用)は、ちょっとフレームが大きめなのですが、それでもちゃんと収まりました。

 そして軽い。以前持っていた有名メーカーのものよりかなり軽い。

 ただ、跳ね上げの動き、特に最後のカチッという固定の部分の動きがかなり硬めでして、片手の指ではうまく操作できません。これは機構上単なるプラスチックの突起による抵抗を利用したものなので、何度も動かしていればおそらく緩くなっていくでしょう。削って調整しようかと思いましたが、とりあえずやめました。

 私が買ったものは、フレームが赤なので、見た目はちょっと派手。近くで見るとかなり安っぽいブラスチック感がありますが、遠くから見ると高そうに見えるでしょう(笑)。

 本体に比べて、ケースはかなりしっかりしたものでして、首掛けのひもやクロスも付属しています。いったい原価はいくらなんでしょうかね。

 ウチにもいつのまにか made in China の製品が溢れてきました。昨日のソニーの話ではないですが、made in Japan にも頑張ってもらいたいですね。

 昨日のニュースには、まだ中国は日本の潜在的能力を恐れているような内容のものがありました。たしかにノーベル賞はコンスタントに獲っていますしね。

 しかし、今日は中国の「千人計画」がニュースになっていました。つまり日本の技術者が中国にヘッドハンティングされているということです。

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2020.10.13

『ソニー 「未知情報」への挑戦―科学のニューフロンティアを求めて』 佐古曜一郎 (徳間書店)

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 日紹介した「井深大が見た夢―21世紀の「ものさし」はこう変わる!」の続きです。

 昭和の偉人たちが妄想し、時の上流に投げ続けた夢たちが、今たしかにここに流れてこようとしています。

 それをしっかりキャッチするのが、私たち「(彼らにとっての)未来人」の責務です。

 この本の内容とはちょっと離れますが、読みながらふと思ったことがあったので、先に書いておきます。なにしろすぐ忘れてしまう(過去を水に流す)タチなもので。

 私の「モノ・コト論」的には、「モノ」は「何か(なんか)」という言葉に翻訳できます。「食べ物」は「食べる何か」ですし、「物忘れ」は「何かを忘れる」こと。「物思い」は「何かを思う」こと。「物悲しい」は「なんか悲しい」ですし、「〜なんだもん(もの)」という終助詞「もの」も、「なんか知らないけど、私の思うように行かなくて」という意味です。「もののけ」も「なんか怪しい存在」ですね。

 つまり、具体的な姿は明確ではないが、たしかにそこに「存在」するものということになります。まさに「目に見えないもの」です。音楽のことを古語で「もののね」と言ったのも、楽器や人体のような物体、物質の音という意味ではなく、あくまで「目に見えない波としての音」という意味でしょう。

 で、私たち人間は、近代になって「ほしいもの」の「もの」が変わってきてしまったのではないかと思ったのです。

 そう、近代人、現代人はその「もの(何か)」により具体性を持たせてしまい、結果として「物質」をほしがるようになってしまった。お金も価値を数値化し物質化したものです。特に人為的に人工的に意図的に作られた物体。仕事(しゴト)によって製作された商品。つまり、ワタクシ的に言うと、私たちは「コト」をほしがるようになってしまったと。

 何度も書きますが、私の「モノ・コト論」でのモノとコトは、辞書的な意味と反対になっていますのでご注意を。

 では、かつてはどうだったのか。私たちは、それこそお金では買えない、手に取ることのできない、保存したり蓄積したり複製したりできない「モノ」をほしがっていたのではないか。もちろん一部仕事の結果たる「コト」もあったでしょうけれど、基本は「モノ」の方がほしかった。

 ソニーがそうした「モノ」を扱う企業である(あった)ことは非常に重要なポイントだと思います。ソニーという社名の由来もラテン語の「音」ですし。

 ソニーは「ものづくり」の会社です(でした)。ここでの「ものづくり」の「モノ」とは、単なる製品、商品という意味ではなく、それを通しての音楽的感動や文学的感動をつくる会社だったのです。

 その「ものづくり」の延長として、著者が作った「ESPER研究室」があった。それ以前に、井深大と盛田昭夫の未来への夢があった。

 コト世界は再現性があります。すなわち複製ができます。大量生産ができます。しかし、モノ世界は一期一会。モノはコトの上位概念ですから、たとえばオーディオ機器やデジタル技術を窮めていくと、結果としてモノ世界の感動につながります。

 モノは、この本のタイトルにある「未知情報」とも言いかえられます。逆にコトは「既知情報」。モノは「未来」、コトは「過去」とも言えます。

 そんな意味解釈で、私は「21世紀はコトよりモノの時代」と叫び続けてきたのです(アマノジャクでもなんでもないのです)。そして、それをずっと前から技術のフィールドで夢想し実行してきたのがソニーという会社だったわけです。

 ようやく時代が追いついたのかもしれません。いや、冒頭に書いたとおり、流れてくるべくして流れてきたのです。上流から。下流(過去)ばかりを見つめていないで、しっかり上流を向いて、彼らの投げたボールを受け取りましょう。

 今、私は未来医療器具である「CS60」に関わらせていただいています。この革命的な波動コントローラーを見たら、井深さん、盛田さん、そして佐古さんはどう思うでしょう。

Amazon ソニー 「未知情報」への挑戦

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2020.10.12

追悼 筒美京平さん

Th_-20201013-93138 界の音楽史上最高の作曲家は、バッハでもショパンでもレノン& マッカートニーでもなく、筒美京平だな…8年前に私はこう書いています。その気持ちは今でも変わりません。

 そして、その最高の作曲家が亡くなってしまいました。

 我らが歌謡曲バンドでも何曲もやらせていただきました。筒美京平特集をやろうね、と言っていた矢先の訃報。本当に寂しい。

 家族バンドでは「メロディーズ」という名旋律を集めた企画も進行中。その中で最も多くエントリーしているのも筒美さんでした。

 冒頭の言葉も含め、このブログでも何回か筒美さんの楽曲を紹介してきました(こちらからご覧ください)。

 3000曲以上を世に残した職人。バロック時代で言えばテレマンのような存在でしょうか。大衆のために奉仕し、ある意味消費されていく音楽を手を抜かずに提供しつづけ、常に新しいスタイルに挑戦し、結果として大作曲家、大芸術家と評価されるようになりました。

 筒美さんと三木たかしさんに共通しているすごさは、曲の「入り」…最初の2小節くらい…で、その楽曲の世界に一気に誘うところです。

 いくつかの音の並べ方に過ぎないはずなのに、そこに大きな力があり、そしてその入口からさらにドラマチックな本編を展開させていくのを聴くたびに、これはやはり未来からダウンロードしたのではないか、と思わずにはいられません。

 計画していた筒美京平特集は、期せずして追悼企画となってしまいましたが、必ず実現したいと思います。

 本当に名曲たちを遺してくださり、ありがとうございました。お疲れさまでした。これからも歌い、奏で続けます。

 

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2020.10.11

『恋人よ、われに帰れ LOVER COMEBACK TO ME』 大林宣彦監督・沢田研二主演作品 (フジテレビ)

Th_-20201012-100130 2018年の尾道映画祭のクロージング作品として上映されたドラマ。

 昨日の「シーモアさん…」で、シーモア先生が朝鮮戦争の思い出したくない思い出を語って涙していました。

 日本人にとっては、漁夫の利で日本復活のきっかけとなったこともあって、あまり意識されることのない朝鮮戦争。アメリカにとっては、ベトナム戦争に劣らぬダメージを残した、それこそ思い出したくない過去でしょう。

 このドラマでも、沢田研二さんが演ずる日系アメリカ人ケンが、朝鮮戦争に行かず軍を脱走してしまいます。このドラマでは、戦争が誰かを救うのではなく全ての人を傷つけるということが一つのテーマとなっています。本当にそうですね。

 このドラマが放映されてから37年になりますが、朝鮮戦争はまだ「休戦中」です。つまり、朝鮮戦争は70年続いているのです。

 脚本は早坂暁さん、監督は大林宣彦さん、音楽は前田憲男さんと玉木宏樹さん。キャストも豪華。

 広島への原爆投下と被爆を通じ、加害者もいつの間にか被害者になっていくことを表現しており、単に日米どちらが悪いというような話になっていないところが、いかにも早坂さんらしい脚本だと思いました。

 大林監督独特の、あの「書き割り」風な背景に違和感を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、それこそ彼ならではの脳内リアリズムの表現であり、最後まで貫かれたこだわりの表現でもあります。能や歌舞伎からマンガやアニメにもつながる伝統的な技法ですね。

 音楽も素晴らしい。ジュリーの歌うジャズは、本家中本マリと真梨邑ケイに劣らず魅力的。焼け跡の闇市のごった煮的なパワーがジャズとぴったりですね。それから大切なところで使われるバロックの名曲たち。いいですね。

 ジュリーは本当にイケメン。泉谷しげるは野性的でかっこいい。そして、大竹しのぶと風吹ジュンは可愛く、小川真由美は妖艶。

 こういうドラマを普通にテレビでやっていた昭和の時代はすごかったなあ。テレビの時代は終ったとか言っていますが、はたしてこういうコンテンツはどこにあるのでしょうか。Netflixですか?少なくともYouTubeにはないですよね。

 YouTubeにはエンディングだけありました。これだけでも結構アヴァンギャルドですよね。今こそ、こういうコンテンツを地上波で再放送してほしいなあ。

 

 

 

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2020.10.10

『シーモアさんと、大人のための人生入門』 イーサン・ホーク監督作品

Th_91rlfhthxl_sx300_ 日のバッハが効果的に登場するこの映画。本当に素晴らしい。何度も何度も観て聴いてしまいます。

 ピアノ弾きのみならず、ぜひ全ての音楽家、いや全ての悩める大人に観ていただきたい。

 最も優れたピアノ教師であるシーモア・バーンスタインが語る、音楽の、そして人生の真理と奥義。

 とっても不遜で、シーモア先生には苦笑されちゃいそうですが、実はこの映画で先生が語っている全ての言葉、私の中にある言葉でもあるのです。

 音楽、人生、教育、戦争…彼の全ての言葉に全てうなずいてしまうのです。そうそう、と。

 音楽にだけ絞っても、演奏、演奏家、作曲、作曲家、楽器、楽譜、解釈、アンサンブル、練習、呼吸、不協和と解決、調和、音楽業界、才能と人格、そして音楽自身の価値と私たちの人生の関係など、本当に多くの「そうそう」がありました。

 

 

 一方で、そうそうと思いながら実践できていない自分に対して、まだまだだなとも思わせてくれる厳しい映画であるとも言えます。

 非常に穏やかな気持ちになる一方で、もっともっと頑張らねば…いや、頑張るんじゃないな、もっと自然に、宇宙に(?)生きなければと。

 わかりやすく言えば、私にはまだお金や名声といった誘惑に負けるところがあるということです。

 監督のイーサン・ホークについては説明するまでもないでしょう。彼自身、役者として映画監督として、つまり表現者、アーティストとして大きな壁にぶつかった時にシーモア先生と出会い、そこでの感動、学びをこうして作品化しました。

 それこそ、金や名誉を省みず作った映画だからこそ、不思議なもので逆に大変魅力的な、長期的に見ればきっと「名作」と言われる作品となったと思います。

 途中語られるグールドのエピソードや、幼児教育に関するところも面白かった。そして、なんと言っても、シーモア先生のピアノ演奏や指導の一端を垣間見ることができるのが最高ですね。飾らぬ、実に素直な音楽がそこにあります。

 特に、昨日紹介したバッハの「ソナティーナ」を自身でピアノ・ソロに編曲したものは、なんとも滋味深く、バロック音楽がどうのこうのとか、バッハがどうのとか、神学的にどうだとか、そういうコトを優に超越したモノ世界ですね。美しいと思います。

 

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2020.10.09

バッハ 『神の時こそいと良き時』(BWV 106)

 

 ランダバッハ協会の演奏が公開されました。いい曲、いい演奏ですね。

 この曲は3年前にも紹介していますが、あらためてもう一度。

 この曲を聴いたのは、中学3年の時でしたか。FMの朝の番組でかかったのを聴いて衝撃を受けました。その頃はまだロック中心の音楽生活を送っていたのですが、早起きをするようになって「いやいや」朝のラジオを聴くようになり、そして結果としてロックに「バ」がついてしまったというわけです。

 そのきっかけになった曲はいくつかありますが、この曲の力も大きかったですねえ。特に序曲たるソナティーナの美しさには、まさに息を呑みました。

 どなたか有名な方もおっしゃってましたが、この曲、最初リコーダーが1本かと思うんですよね。しかし、よく聴くと2本に聞こえてくる。しかし、それがはっきりしない。2本使っているのに、(素人的に考えると)それがちっとも効果的に使われていない気がする。

 楽譜を見ながら聴いてみましょう。ソナティーナのリコーダーパートにご注目を。

 

 

 どうですか。非常に不思議ですよね。何を意味しているのか。

 リコーダーはユニゾンから始まって、一瞬1本になり、再びユニゾンへ。そして、そのパターンの3回目には初めてユニゾンから解放されて3度で動きますが、すぐにまたユニゾンになったかと思うと、この曲のキモである独特の「うなり」を生む2度の衝突の波が訪れます。

 その波も、一瞬1本が単純にタラタラとやっているかのように聞こえますが、実は楽譜のとおり、独特な「縫い方」で構成されています。

 それを支えるヴィオラ・ダ・ガンバの2本は、単純に和声を構築する役割を果たしており、リコーダーのパートとある種の対称性を見せています。

 この曲はお葬式のための曲と言われていますが、この独特にして孤高の序曲に、若きバッハははたしてどんな神学的な意味をこめたのでしょうか。

 難しいことは抜きにして、バッハがリコーダーという楽器に特別な思いを持っていたことは確かなようです。

 素人感覚としても、このソナティーナのリコーダーパートから感じることはいろいろとあります。

 甘き死へいざなう天使の声のような使われ方をしており、その二人の天使が絶妙にシンクロしたり、一瞬離れたり、波打つように呼応したり…そのようにも考えられますが、一方で人間界のついたり離れたりぶつかっかりを象徴しているようにも思えます。

 あとは実際的な効果もあります。というのは、この美しいリコーダーパートをぜひ吹きたいと思うアマチュアリコーダー吹きはあまたいるわけですが(私もその一人でした)、実際やってみると非常に難しい。そう、1本のように聴かせるのがほとんど不可能なのです。

 ピッチや音色の問題もありますが、それ以上に細かい表現を合わせないとガタガタになってしまう、つまり素人が軽い気持ちでやると必ずガタガタで全然美しくなくなってしまうのです。

 つまり、葬送、哀悼にあたり、それなりの演奏者がそれなりの緊張感と集中力と調和の精神をもって臨まねばならないということであります。

 バッハのことですから、おそらく深い深い意味や意図があったと思われるこの曲のリコーダー。もう一方の名曲、狩のカンタータ(BWV208)の中の有名なアリア「羊は安らかに草を食み」のリコーダーの使い方と比べると、面白い発見があるかもしれませんよ。

 

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2020.10.08

『再雇用されたら一カ月で地獄へ堕とされました』 愛川晶 (双葉文庫)

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 日は部活動に関して二つの報道機関の取材を受けました。

 私が研究している「学校に残る軍隊文化」の中でも、最も分かりやすいのが「部活動」です。

 もちろんその良いところ、効用なども理解した上で、行き過ぎた「集団主義」「上意下達」「暴力性」「理不尽」「根性主義」とは徹底的に戦うつもりです。

 部活動の理不尽と言えば、先日アゴラに愛川晶さんが興味深い記事を書いていました。

 学校の部活動が内包する搾取構造

 そうそう、これも普通にあるあるです。そういう異常に誰も気づかなくなっているところがメタ異常ですよね。ウチの学校でもそうです。

 そんな「学校の異常」を訴え続ける、元高校教師であると同時に優れたミステリー作家である愛川さん。彼の作品の中で、私が特に好きなのが、自身の体験をベースにしたと思われるこの作品。

 作中で「ラノベみたいに、やたら長いタイトルをつけて」と語っているとおりのタイトルです(笑)。

 これって教師の皆さんにはぜひ読んでもらいたい問題作ですよ。特に公立の先生方。

 今日も記者の方と話しましたが、普通の社会でも起きてはいけない事、普通の社会でも許されない人間が、教育の世界になんと多いことか!

 密室性、閉鎖性の中での特殊な利害関係に基づく異常な人間関係…それが、いじめ、体罰、暴言、ひいき、スクールカーストなど学校内の全ての問題を生みます。そして、その問題をさらに密閉する隠蔽体質。

 本当にヘドが出ます。

 この本の内容もそこに行き着くのではないでしょうか。もちろん、最後は教師という仕事の、反面の素晴らしさに救われるわけですが。

 それにしても、びっくりしたのは、初めての授業で生徒の名前を古代の発音で呼ぶというワタクシの得意技を、全く同じ要領で、全く同じ意図で、全く同じ気遣いの下やっている先生がいたとは(笑)。そして、それが鍵になったりして。

 その他、園長というキーワードやら、黒猫のチートやら、リュートやら…なんだか、私の人生、日常生活のキーワードを散りばめられていて、ちょっと怖いくらいでした。いよいよ定年退職、再雇用なんて言葉も気になり始めた今日このごろですし。

 まあそれを抜きにしても、最後まで一気に読ませる構成力、文章力はさすがだと思いました。先生以外の方もぜひどうぞ。KindleUnlimitedだと無料で読めますよ。

Amazon 再雇用されたら一カ月で地獄へ堕とされました

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2020.10.07

追悼 エディ・ヴァン・ヘイレン

Th_150pxeddie_van_halan__77_in_new_haven だまだ若いのに残念です。

 あの孤高のギターサウンドが聴けなくなると思うと実に悲しい。

 エディが音楽界に残した功績は多大です。特に、多くのロックギター少年を生んだ功績は大きいでしょう。

 1978年、私は14歳。中学1年生。まさにロックに目覚めた年です。その年、キンクスのカバー「ユー・リアリー・ガット・ミー」でデビュー。当時キンクスを知らなかった私は、てっきり彼らのオリジナルだと思っていました。

 中学の友人たちの多くが、その頃エレキギターを弾き始めました。そしてこの曲のあのリフをみんな弾いていましたっけ(二つの音で弾けるので…笑)。私も家にあったクラシックギターでやってみたっけなあ。

 

 

 たしかにこのギター・ソロは衝撃ですね。どの少年たちも、もちろんこのギター・ソロが弾けるようになると信じてギターを始めたわけですが、私も含めてほとんどの人はリフだけで終わってしまったと思います。

 この年、アルバム「炎の導火線」が大ヒット。友人たちもこぞって購入していました。私は当時ELOやカンサスの方に行ってしまったので、友人にカセットテープに録音してもらいました(今でも地下室に保存されています)。そしていきなりの来日。中学生にとっては夢のような展開でした。

 一部の少年はここを原点に、他のギタリストに出会ったりしながらプロを目指したことでしょう。そして、夢を叶えた人もいるに。違いありません。

 今聴きますと、彼がクラシックを学んでいたというのもうなずけますね。フレーズの作り方が案外古典的。ライトハンド奏法も、考えてみれば非常に音階的、和声的、かつオンタイムな要素が強いですよね。

 さて、エディと言えば、私のような非マニアは、この曲の衝撃が忘れられません。マイケル・ジャクソンの「(今夜は)ビート・イット」です。

 私が説明するまでもありませんが、R&Bとロックを融合したこの曲において、エディのギター・ソロがあまりにロック色が強すぎるとクインシー・ジョーンズが判断して、スティーブ・ルカサーがせっかくのディストーションのレベルを落とした話は有名です。

 おかげで、私も含めて多くの人が最初ヴァン・ヘイレンが弾いているとは気づきませんでした(もちろん音だけでなく、そのシチュエーション自体がありえなかったから)。

 その点、このライブの貴重な映像はエディ節満載というか、正直やりすぎで気持ちいいですね!マイケルの興奮が伝わってきます。

 

 

 最後に、エディと日本ということで言うと、私はこのエピソードが大好きです。

エディ・ヴァン・ヘイレンの真実、マイケル・ジャクソン「ビート・イット」とハトヤホテル!

 ご冥福をお祈りします。

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2020.10.06

自己否定のススメ

Th_lifeposition02 きなりなんだ?と言われそうですね。また、アマノジャクが始まったかと(笑)。

 自己否定のススメ。

 これ、けっこう本気です。

 地球では「自己肯定感(高める)」という言葉がはやっているようですが、我々の宇宙スタンダードからしますと、これは大きな間違いです。

 なぜなら、自己肯定には他者否定という裏側がついて回るからです。

 もちろん、自己肯定が他者肯定につながるという理想論は分かります。しかし、現実は逆になることが多い。

 たとえばSNSでの誹謗中傷、あるいはそこまで行かなくとも批判や非難の裏側には、絶対的な「自己肯定」が見え隠れします。つまり、自分は正しい!という思い込みですね。実際、そう思い込まないとあんなふうに他人を批判できません。

 これほどくだらないことはありません。むなしいことはありません。

 お前もこうして他人を批判しているではないか!というお叱りの声が聞こえてきますねえ。いやいや、私は「自己否定」していますから、まだいいんですよ。

 そう、私は「否定」するなら、まずは自己をと考えています。違う言い方をすれば、他人を否定するのにはかなり慎重な立場を取ることにしています。

 また、他者を否定することには大きな抵抗がありますが、自己はたかが自分ですので、いくらでも否定できます。気を遣わないでも良い(笑)。

 そして、自己を否定するということは、すなわち他者を肯定することにつながります。決して、自己を否定するから他者も否定するようになるわけではないのです。

 また、自己肯定には別の問題もあります。つまり、自己肯定は現状満足であるからして、その後の変化、成長が止まってしまう可能性があるのです。

 これもまた、ある種のいい人たちは、肯定が次へのモチベーションを生むのだ、と言います。しかし、これもまた凡人には成し遂げがたい理想論でして、実際は「これじゃダメだ」というところを出発点にしないと、なかなか努力精進はできません。

 今、私は自分の半生を否定するような「学校をぶっ壊す」というような主張をしておりますが、これもまた未来に向けての正しい立脚点であると信じています。

 自己を拡張していきますと、たとえば組織やシステム、さらには人類にまで否定は及んでいくわけです。まあ、それに巻き込まれた他者はたまりませんがね(笑)。スミマセン、でも結局は組織のため、システムのため、人類のためなのですよ。

 他者否定の代償は大きい。だいたいいいことはありません。その点、自己否定はタダですから、ぜひ皆さんも正しく自己否定してみてください。簡単に言えば、過去にこだわるなということなんですがね。

 私の「モノ・コト論」で言いますと、自己は「コト」であり、他者は「モノ」です。「コトよりモノ」、「コトを窮めてモノに至る」というのは、そういう定義に基づいた哲学です。

 自己というちっぽけな「コト」を否定しても全然ダメージはありません。なぜなら、私の本体は、実は自己(コト)の補集合たる他者(モノ)の方であり(自己は縁起しているだけであり)、その本質に気づけば、おのずと自己否定、他者肯定が正しいことが分かるでしょう。逆に、自己肯定、他者否定がどう考えてもマイナスだということも明らかですよね。

 それから、こういうこともありますね。いろいろ本を読んだりして、自己肯定感を上げようと努力しても、なかなかうまくいかないのが当たり前なので、結果として自己肯定の失敗による自己嫌悪に陥ってしまう…。

 その点、私なんか自己否定をしようと思っていても、なかなかうまくいかなかったり、忙しくかったり楽しかったりして否定するのを忘れてしまったりするので、結果として自己否定の失敗による「まっいいか」に陥ることが多くて困ります(笑)。

 ちなみに世の中で(地球で)言われる自己否定って、ほとんどの場合「自己嫌悪」のことなのです。また他者否定も「他者嫌悪」だったりする。

 その裏返しで、自己肯定も「自分大好き」、他者肯定も「この人大好き」なだけだったりするので、このあたりはしっかり峻別した方がいいですよ。

 さ〜てと、今日も正しく楽しく自己否定しようっと!

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2020.10.05

『真実のビートルズ・サウンド完全版』 川瀬泰雄 (リットーミュージック)

全213曲の音楽的マジックを解明

Th_51eyg8m1snl_sx351_bo1204203200_ 日のコレルリの記事にもビートルズ・サウンドのことが出てきました。

 昨日紹介した下降音階低音について、川瀬さんは「ポールのクリシェ」として紹介しています。私は「肝心なところにしか使わない」と書きましたが、クリシェとは本来そういうものでしょうね。

 それにしても、この本、Kindleのunlimitedだと無料で読めるんですよね!なんと素晴らしい時代になったことか。

 この本は実際に曲を聴きながら読むべきものです。普通の本のように最初から順に読んでいくのもありかもしれませんが、やはり事典のように使いたいですね。

 そういう意味で、常にKindleで携帯できる、読めるというのは本当に最高であります。

 一昨日、NHKのBSで山口百恵さんの伝説の武道館コンサートを放映していました。著者の川瀬さんは山口百恵さんのプロデューサーでもあります。このコンサートにもレコーディングのプロデューサーとして携わっていたとのことです(しかし、一観客としてチケットを買って聴いていた)。すごい歴史的な音楽業界人ですよね。

 そんな川瀬さんの音楽のベースにあるのがビートルズ。世の中にはビートルズ・マニアはあまたいますが、その中でも川瀬さんは「実学的」な視点を持った稀有な存在です。

 その「実学的」な内容が魅力的なこの本。単なる楽曲分析やレコーディング秘話なら、ほかにもたくさん類書がありますが、やはり、現場の人の視点は特別ですね。

 細部にこだわるマニアにとっては、いろいろと異論があったり異説を信じていたりすることもあるでしょう。しかし、やはり「現場」の雰囲気、空気という、ある意味言語化できない部分、数値化できない部分を伝えるということでは、右に出る人はいないのではないでしょうか。

 もちろん、そこには川瀬さんの個人的な体験に基づく想像や創造もあると思いますが、それでいいじゃないですか。生々しい思い入れが残っている限りは、まだビートルズは歴史(クラシック)にしてしまいたくはありませんから。

 私も、マニアとは言えませんが、ビートルズには多大な影響を受けてきましたし、まだまだ現在進行形でいろいろな発見をさせてもらっています。本当につくづくビートルズが登場した直後に生れて良かったと思いますよ。記憶にはないとはいえ、同時代を生きたわけですし、新たな音源も含めて全ての楽曲をこうして追体験できるわけですからね。

 それにしても、あの4人がどうしてこういう奇蹟が起こせたのでしょうか。映画「イエスタデイ」ではありませんが、やっぱり彼ら、未来(あるいは異次元)から曲をダウンロードしたんじゃないでしょうかね。

Amazon 真実のビートルズ・サウンド完全版

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2020.10.04

コレルリのラルゴ

 

 ちゃくちゃアバウトなタイトルですね(笑)。たくさんあるコレルリのラルゴのうち、今日紹介するのはトリオ・ソナタ集、作品3の3の3楽章のラルゴです。

 3,3,3のゾロ目だから?…ということはないと思いますが、このラルゴはコレルリの緩徐楽章の中でも格別に美しいし、のちの音楽史、ある意味では現代のポピュラー音楽にまで強い影響を残しています。

 いきなり低音で「(ハ長調で言うところの)ドシラソファミ」という下降音階が奏されます。最後の「ファソ」はカデンツなので、本体は下降音階です。

 もう、この時点で、特に日本人は大好きですよね。いちいち曲名を上げるまでもなく、このベースラインを持つ名曲(ヒット曲)は無数にあります。

 この変形が、いわゆるカノン進行というやつです。パッヘルベルのカノンのベース音型ですね。それもこのコレルリのラルゴにはちゃんと出てきます。

 そう、おそらくはパッヘルベルはこの曲の影響を受けているのでしょう。それほど、当時コレルリの楽曲は教科書のように模倣されました。その後のバロック音楽の展開は、コレルリの多数の発見の上に成り立っています。ポピュラー音楽におけるビートルズみたいなものですね。

 さらに注目してほしいのは、この「ベタな」ベースラインの上に、実に豊かな和声が展開されていることです。ついつい素人はこの上にさらに「ベタな」和音を乗っけてしまいがちですが、ここはさすがコレルリ大先生。これでもかと不協和音を重ねていきます。

 もちろん不協和音と言っても、ほとんどは掛留によって生じる流動的なものであり、その動きのあるテクスチュアがカデンツで落ち着く美しさはこの世とあの世をつなぐタペストリーのようです。

 動画の楽譜をご覧ください。低音パートに付された数字は和声を表します。基本、2や7や9はベース音に対して隣接していますので、不協和音を形成する要素ですし、縦に隣接する数字が並んでいる場合もそうです。

 その数字の密集具合からしても、いかにコレルリがこの短い楽曲の中で様々な工夫とチャレンジをしているかが分かりますね。

 もちろん、ジャズやボサノバに象徴されるような近代和声、現代和声からするとそれほど複雑なものではありませんが、だからこそ純粋な不協和の美しさを感じることができるのです。

 ちなみにバッハの「G線上のアリア」の冒頭も、この下降音型低音の応用形ですね。

 これらの王道ベースラインを使いすぎると「ベタ」になったり「野暮」になったりします。最近では日本のHIP HOP系の楽曲でもよく耳にするのですが、やはり「ああまたか」感があります。

 その点、ビートルズは肝心なところにしか使わないし、その使い方、つまり和声の付け方やメロディーでの非和声音の扱いなどがお見事です。一瞬そのベース進行に気づかないくらいですから。そのくらいの使い手になれば立派なものです(笑)。

 パッヘルベルのカノンも、あれほど王道ベースラインを繰り返しているにもかかわらず飽きがこないのは、その和声づけに変化を持たせているからです。そして、それがカノン(輪唱)という対位法によって逆算的に作られているところが面白いのであって、あれは単なるムード音楽ではありませんよ。

 というわけで、このコレルリのラルゴ以前に、このような構造の曲はあまりないので、一つのルーツとして紹介させていただきました。

 実は今、この曲を中学生と一緒に練習しているところなのでした。私はチェロです(特殊奏法なんですが…それについてはいつか紹介します)。

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2020.10.03

富士学苑中学・高等学校ジャズバンド部 第18回リサイタル

Th_img_6860 年はコロナのこともあって、オープンエアの河口湖ステラシアターにて開催。

 ゲストはなんとトランペット・アーティスト、エリック・ミヤシロさん。本当に素晴らしい、音楽の悦びに満ちたコンサートとなりました。

 今年は運動部はもちろん、文化部もコロナの影響で活動が制限され、本当に辛い日々を送ってきた生徒たち。こうして実りの秋に、まさに結果、結実の舞台を体験できることになり、本当に良かったと思います。今日は野球部も秋の県大会準決勝で強豪校相手に大健闘しました。一時は最悪のこと、つまり全ての舞台が中止になることも考えましたからね。

 そんな当たり前が当たり前でないことを知ったあとの、こうしたスペシャルなステージは、観る人聴く人たちにとっても格別な価値あるものとなりました。

 今日はジャズバンド部OGであるウチの娘も久々のライヴ・ステージを体験し、ここのところネットの世界で表現活動をしていたからこそでしょうか、「やっぱりお客さんと生で対面するのが一番!」と満面の笑みで帰宅しました。

 生徒たちの演奏もいつもながらに素晴らしいものでした。今年は魅力的な音色のソリストたちが育ち、全体のアンサンブルも限られた時間だったからこその集中力で、とてもよくまとまって聞こえました。

 プロになったり、大学や社会人のバンドで活躍しているOB、OGたちも、音楽ができる悦びに満ちた堂々たるパフォーマンスを見せてくれました。

Th_img_6864 そして、なんと言ってもスペシャル・ゲストのエリックさんの素晴らしすぎる演奏、もう言葉になりません。いろいろな思いが込み上がってきて、久々に生音で涙を流してしまいました。世界トップの音には、やはり心を直接震わせる波動がありますね。

 それは音波というレベルを超えています。私は常々、音楽は高次元につながる人類古来のツールと言っていますが、それをまた確認しました。

 音色とか表現とかは、ある意味数値化できると思いますが、そんな表層(三次元、四次元)の波の話ではなく、あえて言うならお人柄、思い、意識でしょうかね、まさに「得も言われぬ」…それが語源ではありませんが、今流に言うと「エモい」…波が会場中を覆うのが感じられました。

 それを高校生の時に、同じステージで感じられる生徒たちは本当に幸せですね。これを超える教育がありましょうか。顧問の大森先生に心から感謝しなければなりません。

 感動や教育にはいろいろなレイヤーがあります。ここのところ、遠隔授業の良さも感じてきた私ですが、やはり生、つまり時空の共有、それもネットやデバイスを通じてでは伝わらない、高次元の波動の共有が一番ですね。つまり、世界レベルの人と直に接するということです。それを提供できることが、これからの教育機関に求められるのかもしれません。

 本当にコロナのおかげで、いろいろなことに気づかせていただいています。教育現場だけでなく、いかにこれからの時代「生」の体験を確保してゆくのか、私たち人類に課せられた大きなテーマなのでしょう。

 

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2020.10.02

トランプ大統領夫妻がコロナ感染

Th_m_mainichi20201002k0000m030125000c 妙のタイミングですね。まるでコントのような展開です。

 このブログで、何度もバカにされながらも(笑)書いてきた、新型コロナウイルスアメリカ起源説。もちろん今もそれを訂正する必要はありませんが、このような展開になるとは正直想像しておりませんでした(当のトランプさん自身も)。

 マスクしないとか、コロナを甘く見ていたからだという論評も聞かれます。まあ、それも間違いではないでしょう。

 しかしですね、本当に考えねばならないのは、「誰でも罹る可能性がある」ということではなく、放った本人、それもアメリカの大統領が感染したという事実です。

 もちろん誰でも罹る可能性はあるわけですが、最も守りの堅くあるべき人が罹ったということは、それなりの力が働いたということであり、ブラジルの大統領のケースとは全く違うということです。

 陰謀論ではありません。ウイルスの場合、他の攻撃方法と違い、トランプ大統領の警護の隙をつくのは、そんなに難しくないのです。ちょっと考えれば分かりますよね。

 特に今は選挙戦の最中。移動も不特定多数と会う機会も多いわけですから、目に見えないウイルス攻撃をしかけるのは本当に簡単です。

 中国のネットが半ばバカにしたように盛り上がっているのも当然ですね。

 今回のコロナ騒動は、ちょうど昨年の今頃から始まっていました。

 新型コロナウイルスの発生を予見?武漢市、昨年9月に模擬演習

 そう、昨年9月の段階で、中国はアメリカが武漢にウイルス攻撃を行うことを察知していたのです。

 そして1年経った今、中国の反撃はとうとうトランプ大統領本人にまで及んだということです。

 しかし、転んでもただでは起きないであろうトランプさん。来月の選挙までに完全復活し、しまいには新型治療薬やワクチンの最初の実験台になったりして、結局圧勝してしまうのではないでしょうか。

 いずれにせよ、今の世界は冷たい戦争ならぬ「静かな戦争」に突入しており、それは先の大戦と同様に、コミンテルンとユダヤ国際資本の策謀によるものだということです。

 まあ、そうした前世紀の残滓が力を持つのも、あと5年くらいだと思っていますが。

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2020.10.01

『井深大が見た夢―21世紀の「ものさし」はこう変わる!』 佐古 曜一郎 (風雲舎)

Th_51y3twy716l_sx321_bo1204203200_ こ数日の話題の続き。

 ソニーESPER研究室の室長だった佐古曜一郎さんが語る、ソニー創始者井深大。

 非常に興味深い内容でした。

 この本では、「モノから心の時代へ」と語られていますが、それは近代西洋合理主義から東洋医学や東洋哲学への回帰を意味するもので、ワタクシの「モノ・コト論」的に言えば「コトからモノの時代へ」ということになります。

 かつてのソニーが、今ではオカルトとも称されそうな「ESPER研究室」を設立し、主に「気」の研究を始めたのが1991年。そして、井深が亡くなった翌年1998年に研究室は閉鎖され、翌年にもう一人の創始者盛田昭夫が亡くなってからの、ソニーの迷走と凋落は語るまでもありません。

 音響機器やコンピューターの世界でトップを走っていたソニーですから、一面では西洋的な工業技術の最先端を行っていたイメージがありますよね。しかし、かつては一方で非常に東洋的な感覚で開発や経営をしていました。

 それが21世紀に入って経済のグローバリズムに絡め取られて一気にそのパワーを失ってしまったのです。

 佐古さんは、CDや8mmビデオの規格に関するものや、まさに21世紀の技術につながる100にも及ぶ特許を持っているそうです。

 今や、その佐古さんらにソニーは訴えられているとか。発明対価に関する訴訟と聞くと、なんとなく寂しい気持ちになりますね。

 この本では「荘子」がなんども引用されています。まさに人為人工ではなく無為自然を追い求めていた、あるいは無為自然(モノ)が人為人工(コト)を包含していたということなのでしょう。

 副題に「21世紀の『ものさし』はこう変わる!」とありますが、本当にコロナによっていろいろな価値観がガラッと変わる予感がします。

 本当に昭和の偉人たちは、未来をしっかり見据えていましたね。その時バッシングされても、数十年後、数百年後に正しく評価されることを知っていたのでしょう。なにしろ、ちゃんと見えているわけですから、上流の景色が。

 そういえば、盛田昭夫は仲小路彰をサポートするメンバーの一人でした。当然、井深にもその書物が渡っていたことでしょう。そう考えると、この本の中にもなるほどと思えることがたくさんあります。

 そして、井深がこだわったという「幼児教育」。期せずして今、それに関わっている者として、いろいろと考えさせられる内容でした。

 最後にこの本の掉尾の一節を引用しましょう。

 井深の夢を、単なる夢で終わらせるか否かは、百パーセントわれわれの「心」にゆだねられている。

 「夢は実現してこそ『夢』なんだ」

 井深のそんな声が聞こえた。

 

Amazon 井深大が見た夢

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