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2020.09.26

トランシルヴァニアの古楽

 

 BTSがアジアからアメリカに進出した話の続きで、アジアがヨーロッパに進出した昔の話を一つ。

 このあたりの世界史にはあんまり詳しくないというか、勉強したけれど忘れてしまっています、実は。

 しかし、世界の大きなデザインとして、ヨーロッパという辺境の地がモンゴルとトルコというアジアの強国にいじめられたというのが、私の雑なイメージであります。

 そういう意味では、トランシルヴァニア地方は非常に複雑な文化を持っています。現在のルーマニアの西部、ハンガリーの東部あたりですかね。

 このアルバムで取り上げられている17世紀はトランシルヴァニア公国時代。ハプスブルク家やオスマン帝国に攻められ、実効支配されていた時代ですね。

 そんなわけで、音楽も非常に複雑。ヨーロッパからバロック音楽も入ってきていましたが、いわば地元ジプシー系の民族音楽もありましたし、トルコが持ち込んだアジアの音楽もあったようです。

 それらが併存したり、融合したりというのが、このアルバムを聴くとわかります。そして、それが絶妙に魅力的なんですね。ある意味ワールドワイドな音楽の坩堝だったのではと想像されます。

 そう考えると、当時鎖国下の日本は、本当に音楽が純粋に発達しましたね。そういう文明国も珍しいと思いますよ。その後開国し、昭和日本がワールドワイドな音楽の坩堝となったわけです。

 そして、今はどうなのか…トランシルヴァニアの音楽を聴きながら、そんなことを考えていました。

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2020.09.25

BTS 『Dynamite』

 

 日の模範的バッハから、いきなりBTSです(笑)。

 アジア人として57年ぶりに、全米ビルボード・チャートで1位に輝いたのがこの曲。言うまでもなく、57年前の快挙は坂本九の「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」です。

 私は今のK-POPには、それほど興味はありません。かつては半分面白がって「韓国テクノ」や「ソテジワアイドゥル」のCDを買って聴いたりしていましたが。

 しかし、最近は、娘二人がBTSだけでなく、その他のグループにもキャーキャー言っているので、ついつい聴いてしまう(聴かされてしまう)日々を送っています。

 そうしますと、今の韓国の音楽は、日本のそれと比べると、たしかにアメリカ向けに職人的に作られていることがわかります。好き嫌いは別として、たしかにうまく出来ているし、歌もダンスも日本のアイドルとは比較にならないほどうまい。

 一方のJ-POPは、日本国内のみを市場とするガラパゴス状態にあります。もちろん、それが悪いわけではなく、ガラパゴスオットセイのように(?)特殊な進化を遂げていて、それはそれで価値があるとは思います。しかし、とてもグローバルに受け入れられるものではない。

 今日ちょうどメールマガジンで高城剛さんが指摘していましたように、20世紀末の英国の「クール・ブリタニア」 を、韓国は国策として見事に輸入し、日本は見事に輸入しませんでした。

 その国家ブランディングの有無が、その後20年以上経って、この違いを生んだわけですね。経済的なグローバル戦略としては、完全に勝敗がついてしまいました。

 韓国映画がアカデミー賞を獲ったことも記憶に新しいところ。ソフトだけでなく、電化製品やIT機器などのハードも、いつのまにか韓国や中国の後塵を拝するようになってしまった日本に、ちょっとした淋しさをおぼえるのも事実です。

 しかし、5年後はどうなっているわかりません。こうした国家的な商業主義が長く続くことはありません。

 一方のガラパゴス日本はどうなっていくのでしょう。こちらもあまり明るい材料は見当たりません。

 ただ、一つのヒントとなるのは、それこそ坂本九さんがアメリカの音楽を吸収しながらも、非常に日本的な音楽を日本語でヒットさせたこと、あるいは、仲小路彰の「未来学原論」に刺激されたYMOや山下達郎さんやユーミンらが、無意識的にせよ21世紀のアメリカやヨーロッパを驚かすような音楽を作ったことです。

 今売れる曲を作るのか、はたまたバッハのように数百年残る音楽を作るのか(実際バッハは当時不人気であった)。もちろん、ビートルズのようにその両方を実現する天才もいるわけですが。

 いずれにせよ、ポピュラー音楽の世界は、今大きな壁にぶつかっています。いわゆるコード進行もメロディーも出尽くした感があり、そこから逃れるようにHIP HOPが売れる時代になって久しい。そろそろ「天才」が現われてもいいかなと思いますね。

 音楽もデザインの一つと考えると、その発展の鍵は「違和感」と「慣れ」にあると思います。もちろん「違和感」とは、作り手側のそれではなく、聞き手側のそれです。「慣れ」もそう。どの時代においても、エポックメイキングな表現者は「違和感」という批判にさらされてきたのです。

 BTSに話を戻しますが、彼らに「違和感」があったとすれば、やはりアジア人であるということでしょう。たしかにアメリカ人はそこには「慣れ」ましたね。その業績は素晴らしいと思います。

 ちなみに娘たちはこの快挙に興奮しているのかと思うと、案外冷めていてですね、「まあ、チャートなんて金で操作できる時代だからね。戦略で勝っただけだよ」「昔のビルボードとは違うよ」とのご意見。逆に「坂本九はすごい」と、そちらに感動していました。たしかに(笑)。

 それにしても「上を向いて歩こう」、あの夏の日の航機事故で亡くなったことを考えると、きつい歌詞ですね…。

 

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2020.09.24

バッハ 『平均律クラヴィーア曲集全曲』 ロバート・コスティン(オルガン)

 

 日紹介したロック系(?)オルガニスト、キャメロン・カーペンターとは対照的な、先生系(実際先生です)オルガニスト、ロバート・コスティンによるバッハの平均律全曲。

 本当に模範的で素晴らしい演奏ですね。私の一番キライな演奏スタイルは「中途半端」「意識的に奇をてらう」ですので、ある意味振り切っている両者は好きなのです。

 結局、その人の人柄や芸術性がそのまま表現されていればいいわけですよね。自然体が良い。無理はいかんと。

 なるほど、ボカロに感動するのも、そういうことか。自然体ですからね。

 今までも、オルガンで全曲演奏した録音をいくつか聴いてきました。しかし、どれも途中で飽きてしまっていたんですね。しかし、この先生の演奏は飽きずに全部聴き通せた。

 自然な演奏スタイルだけでなく、音色の「普通さ」も原因していますね。そう、この曲集の「奇をてらった」演奏としては、各曲をチェンバロ、オルガン、クラヴィコードで演奏するというようなものがあります。また、オルガンだけの演奏にしても、曲によって音色を変えているものがけっこうあるんですね。

 しかし、お聴きになって分かるとおり、ここで先生は実に柔らかい音色で通している。それが逆に飽きない原因なのです。

 こうしてオルガンで全曲聴いてみますと、あらためてこの曲集の深さがよくわかります。特にチェンバロやピアノでは表現しきれない「ロングトーン」による多くの不協和音の美しさにしびれます。

 そう、作曲者であるバッハの脳内では(たぶん楽器を弾かずに作曲したでしょう)、常に音価どおり音が鳴っていたはずですので。

 ちなみに原題である「ふ」の「Wohltemperierte」は「平均律」ではなく「良く調律された」でしょうし、「Klavier」は「鍵盤楽器全般」でしょうから、この演奏のように平均律ではなく、またチェンバロやピアノでなくても、決して「奇をてらった」わけではありませんのであしからず。


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2020.09.23

追悼 アニマル・ウォリアーさん

Th_unknown1_20200924101401 入りばなに悲しい知らせが届きました。

 日米のプロレス界を席巻したロード・ウォリアーズのアニマルさんが亡くなったとのこと。まだ60歳。

 ホークも若くして亡くなってしまいましたが、二人はまさにその試合ぶりのように、太く短い人生を生きたのでした。

 ロード・ウォリアーズが初来日した頃は、その荒っぽいファイトスタイルに、私はかなり違和感を抱き、どちらかというとアンチでしたが、今となってみれば、その後のプロレスの歴史に大きな影響を与えたことに敬意を抱かざるを得ません。

 アニマルさんは、レスラーとしてのキャラクターとは違い、とても賢く人柄が良かったと聞いています。実弟のジョニー・エースさんがレスラーとしてだけでなく、WWEのプロモーターとして活躍し、現在はその副社長に就任していることからも、お兄さんの人柄も想像できますね。

 実質引退後も日本のレスラーの皆さんと交流があったようです。中でもキラー・カーンさんのお店でのこの動画を観ると、そのお人柄が偲ばれますね。3年前ですか…お元気そうだったのに。ご冥福をお祈りします。

 

 

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2020.09.22

右傾化・左傾化

Th_images1_20200923135001 しそうなタイトルですが、ふざけた記事です(笑)。

 安倍さん、退任後特に外交に関して評価が上っていますよね。これは世界が認める事実です。だから、世界はけっこう安倍ロス状態ですよ。

 特にこの写真が象徴しているように、米中の間でうまく両者を取り持ったことは、ほとんどマスコミでは伝えられておりません。めちゃくちゃ難しいことなのですが。

 さて、この写真でも分かりますとおり、トランプ氏は右傾化、習近平氏は左傾化が激しい。安倍さんはやや右傾化。

 そう、首の傾け方に、みんなクセがあるんですよ(笑)。

 特に気になるのは習氏ですよね。いつも左に傾いている。

 これは偶然なのでしょうか。それとも必然的現象なのでしょうか。首が思想に従うのか、それとも思想が首に従うのか。

 いずれにしても「首脳」というだけのことはありますね(笑)。首が傾けば脳も傾きます。脳が傾けば思想も傾きます。

 脳が右に傾くと、左脳より右脳の方が血流が良くなります。左に傾くと逆。

 すなわち、右脳が活発に働くと保守的な思考に、左脳が活発に働くとリベラル的な思考になるわけです。たしかに、右脳は感覚的、左脳は論理的な働きをすると言われていますね。

 本来、保守は「理性への懐疑」を、革新は「理性への信頼」をベースにした思考ですから、なるほどと思われる部分もあります。しかし、今や革新はリベラルに変貌してしまいましたから、ワタクシから見ますと、両翼ともに「感覚的」になってしまっているような気さえします。

 いつも言う通り、鳥は片翼では飛べません。両翼をバランス良く、つまり、感性と理性をバランス良く備え、使っていかなければ、未来に向って飛翔できないのであります。

 というわけで、上の写真の安倍さんのように、両翼の真ん中に位置するべき「日本」という国は、そのバランスを取って行きたいですね。なんだかんだ安倍さんは、右からも左からも批判され続けましたから、そのバランスが取れていたのかもしれません。

 はたして、菅総理はいかに。

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2020.09.21

キャメロン・カーペンター 『バッハ 無伴奏チェロ組曲より』

Cameron Carpenter - Johann Sebastian Bach - Cello Suite Elaboration

 

 がベースで、私はチェロでこの曲を練習しておりますが、いろいろな模範演奏を聴いている中で、これが一番ぶっとんでました(笑)。

 オルガニストのキャメロン・カーペンター、歴史的なパイプオルガンに飽き足らず、自分専用のデジタル・オルガンを開発してしまいました。

 たしかにオルガンは、その発音機構からしてデジタルで再現しやすい楽器です。様々な倍音の組み合わせによって音色を作るわけですからね。

 それにしても、彼はファッションも含めて、かなり未来的ですよね。

Th_-20200922-213937 私は中学生の時から、バロックとロックは「ゆがみ」「ひずみ」という面(楽器の音質も含む)、それから一定のリズム、和音進行やメロディー生成のクリシェという面から、どこかつながるところがあるなと思っていました。というか、自分がロックからバロックにすんなり移行したことが、そのなによりの証拠だったわけです。

 そういう意味でも、キャメロン・カーペンターの音楽に対する姿勢には、バロックとロックを感じますね。

 おそらくこの発展(Elaboration)については、大バッハも「やるな」とニヤつくと思いますよ。楽器も含めて。

 キャメロン・カーペンターはコロナ禍においても、その楽器のモビリティを活かして、路上ゲリラライヴをやっているようです。素晴らしいと思います。

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2020.09.20

『さらば映画の友よ インディアンサマー』 原田眞人監督作品

 

 日の「そこまで言って委員会」はチャップリンの名作を通じて、近代、現代を見直すという企画で非常に面白かった。チャップリンは天才ですね。

 そこに原田眞人監督が出ていて、最後にこの映画のDVDの宣伝をしてくれました。40年近くを経て、ようやく私の夢がかなったことを知りました。やっと、やっとDVD化されたか。

 大学生の時、昼間この映画がテレビで放送されていたのを偶然観て、ものすごく感動したのです。しかし、その後、観る機会が全くなかった。ある意味、私の映画体験の(幻の)ルーツなのです。

 上に貼ったDVDの予告編を観て、あまりに自分の記憶が鮮明だったことに驚きました。あれ?これならDVD買う必要ないなと。完全に脳内に録画されているのですから。それほど衝撃的というか、共感をしてしまった映画だったのです。

 実はこの映画については、8年前にブログで紹介しています。そこにもその記憶を辿って、かなり詳しく内容が書いてありますね。もう書き加えることはありません。あえて言えば…そっかあ、私が「任侠ヘルパー」で草彅くんと共演(?)してから、もう8年も経ったのかあ…という感慨くらいですかね(笑)。

 今日の「そこまで」で、原田監督は「拙い作品」と言っていました。たしかに今の原田監督からするとそのとおりです。当たり前です。しかし、やはりどの監督さんもそうですが、デビュー作というのは圧倒的に眩しい出来になりますよね。

 そして原田監督、ハワード・ホークスへの思いを語っていました。そうかあ、この映画にはハワード・ホークスへの思いが込められているのかあ…それは今日まで気づきませんでした。それを確認するためにDVD買おうかな。もちろん川谷拓三さんの名演、そして浅野温子さんの刺青ヌードのためにも!

Amazon さらば映画の友よ インディアンサマー

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2020.09.19

久しぶりのジャズ・ライヴ

Th_img_6834 日は、ふじさんホールにて、ウチの学校のジャズバンド部主催「BIG BAND JAZZ JOINT LIVE 2020」を鑑賞しました。

 本当に久しぶりの音楽ライヴです。客席は1席ずつ間を空けてという形、大きな声はNGでしたが、こういう時間と空間を待ちわびていた皆さんの秘めたる熱気に溢れた、素晴らしいライヴでした。

 前半は我が校のジャズバンド部、後半はゲストの内堀勝ビッグバンドの皆さんの演奏。

 やっぱり生はいいですねえ。ここのところ、ずっと映像でライヴ体験してきましたから、なんか懐かしいというか、改めてライヴの良さを痛感させられましたね。

 内堀さんやゲストのボーカリスト三橋りえさんもおっしゃっていたとおり、このような世情の中、こうしてホールでの本格的なコンサートを実現したことが、まずは画期的だったと思います。

 生徒たちや先生は、もろもろの企画や準備の段階から例年の数倍大変だったと思いますが、その分、こうして生で音楽を共有することのありがたさ、尊さを再確認する機会になったのではないでしょうか。

Th_img_6835 ゲストバンドの演奏者の皆さんもまた、久しぶりのステージということで、いつも以上に一つ一つの音符を楽しんでいるように感じました。そうですね、プロの皆さんこそ、深く感じ入るものがあったことでしょう。

 こうして、日常が戻りつつあるのも事実ですが、しかし、これから寒い季節を迎えるにあたって、どのような試練が訪れるか分かりません。だからこそ、ただ「戻る」のではなく、当たり前だった一瞬一瞬を大切にしていきたいですね。それが私たちのバージョンアップそのものとなるのですから。

 皆さん、本当にありがとうございました。私も今後、バロックだけでなく、珍しくジャズの仕事が控えています。今日のライヴを良い刺激として頑張ります。

 最後に、中高生バンドと共演してくれた、都留市出身の新進サックス奏者石井裕太くん、すっかりプロらしくなり、その演奏も正直見違えるほどにうまくなっていました。今回の内堀勝さんのバンドでの演奏も、きっと素晴らしい学びの機会になったことでしょう。これからの活躍に大いに期待したいと思います。

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2020.09.18

『東大理III 合格の秘訣35 2020』 「東大理III」編集委員会 (データハウス)

Th_41ifnepfmcl_sx325_bo1204203200_ 日、学校に献本が届きました。

 この春の卒業生が見事東大理IIIに現役合格しまして、彼の体験談がこの本に掲載されました。

 錚々たる伝統的進学校が並ぶ目次の中に、地方の地味な本校の名前があって、なんとも言えない感慨を覚えました。

 中学から6年間、彼の学校生活をずっと見てきた(眺めてきた程度ですが)者として、あらためて彼の残した偉大な結果と足跡に、純粋に敬意と感謝の気持ちを抱きます。

 彼には中学入学以前に、すでにしっかりとした学習の基礎がありました。それは公文で培われたものです。

 中学時代は勉強だけでなく、部活動や生徒会活動、そして体験談にも書かれていたとおり様々な行事に積極的に参加し、人間として幅を広げました。ウチの学校が彼に寄与した部分があるとすれば、そこくらいでしょう。

 高校での学習については、正直、学校だけでなく塾の先生方の指導のお陰様の部分が大きいと思います。

 クラス担任やクラスメイトに恵まれたのも事実ですが、このような快挙というのは、やはり彼を取り巻く全ての人たちの力の結集でしょう。もちろん素晴らしいご家族の恩恵は言うまでもありません。

 そういう意味では、本校もまた彼と彼を支えてくれた全ての人々のおかげで、この名誉を得ることができました。違う言い方をすれば、本校の果たした役割はそれほど大きくないということでもあります。

 私はよく言うのですが、学力のことだけで言えば、東大に合格するような生徒は、どこの学校に通っても、あるいは通わなくても(実際そういう例がこの本にもありました)結果は出せると思います。

 逆に言えば、ウチの学校に来たからと言って東大に行けるわけではありません。ただ行くだけだったら、他の有名校の方がいいでしょう。

 しかし、学校としてできることと言うのは案外勉強以外の部分に多くあり、その面について言うと、幅広い個性を持った幅広い層の生徒が共存するウチの学校は違った価値があると思います。そういう意味で、本校での独特な体験が、彼の将来の医師としての人生に、なんらかの好影響を与えるのではないかと期待をするところです。

 コロナ禍で彼もこちらにずっといて、時々学校に遊びに来ていましたが、ようやく東京に旅立ったようです。

 この本で語った夢を実現できるよう、ぜひ勉強に遊びに趣味に頑張ってもらいたいと思います。

 

Amazon 東大理III 合格の秘訣35 2020

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2020.09.17

菅菅諤諤?その後

Th_-20200918-91049 っそく麻生さんがやらかしてくれています。

 「菅内閣」「菅政権」を「カン内閣」「カン政権」と言ってしまったとか(笑)。

 かつて「カン内閣」「カン政権」が実際にあった、それも敵対する側にあったから、これは実に面倒くさい。

 こうやって言い間違ってくれればまだ分かりやすいが、書き言葉となるともう本当に「菅菅諤諤」であります。

 このことについては、実は7年前に記事にしております。

 菅菅諤諤?

 あの頃は、スガさんは官房長官でしたから、まだ良かったけれども、いよいよ(7年前はご本人も想定していなかったでしょうね)総理大臣になっちゃいましたから、ますます「菅菅諤諤」な状況ですね。

 漢字が苦手な麻生さんが、「内閣」や「政権」といった音読みに引っ張られて、ついつい「カン」と言ってしまうのは仕方ない…いや、さすがにダメか(笑)。

 ところで、この記事、自分で言うのもなんですが、今読むとなかなか秀逸です。ちらりとさりげなく極秘情報も書かれていますし。

 その後の様々な調査からも、この記事の最後に書いた結論は、単なる偶然ではなく、それこそ「因果」であるなと実感しております。

…西から東北へ行った「すが」さんと、中央から東北へ行ってそこから西に流された「あべ」さんの連合軍が、ずっと西にいた「カン」さんのしでかした東北での不始末について、侃侃諤諤を繰り広げるのは、まあなんとも因果なことではありますな。

 つまり、そのストーリーから言えば、今回の安倍→菅の流れは、「東日本」の復権を象徴しているようなのです。

 私の歴史カン(観・感・勘)というのは、こんなふうでして、すなわち、歴史をリニアな一本の線で捉えるのではなく、また単なる「繰り返す」的なサイクルで捉えるのでもなく、未来に視点を置いて、現在(は瞬時に過去になる)と過去を透視投影的に見るやり方であります。

 これは地球上では全く論理的、学問的ではないとされる技法です。よって、こじつけ、妄想、トンデモ、ハッタリ、などと言われるわけですね。

 しかし、この方法、期せずして仲小路彰のそれと同じでした。彼の言説が学術的にはなかなか受け入れられないけれども、しかし現実には大きな影響を与えていたというのも、なるほどと首肯されるのであります。

 さてさて、その壮大なストーリーは今後どのように展開していくのでありましょうか。未来からよく観察してみたいと思います。

 

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2020.09.16

菅内閣誕生

Th_img_c8281a0c669b52fa297474e2e72a5fdf2 よそ8年ぶりの総理交代。秋田県初の総理誕生。

 安倍さんと我が家とは、まあいろいろな因縁がありましたが、続く菅さんにも不思議なご縁を感じます。

 まず、菅さんはウチの家内の高校の先輩にあたりますし、家内のおじさんや私もお世話になっている知り合いは高校の同級生とのこと。

 また、菅さんのお母様は羽後町田代の出身という情報が。田代といえば「鎌鼬の里」。私たち夫婦にとって不思議すぎるご縁のある場所です。

Th_img_4234 ちなみに今だから書けますが、昨年の6月、某VIPとお忍びで羽後町の田代から軽井沢、そして上到米を訪れまして、安倍氏と白鳥氏、物部氏とニギハヤヒについてディープなお話をさせていただきました。

 菅さんのお母様の出身地近くには石切場があり、石切信仰(イシキリ様)、すなわちニギハヤヒ信仰があった地域です。同地の信仰の対象である鳥海山は、言うまでもなくニギハヤヒ降臨の山であり、「モノ」を祀る神社(大物忌神社)があります。

 さらに言いますと、4年前に直観で訪れた湯沢市駒形の八面神社、実は代々菅家に縁のある神社だそうで、新総理もかつて参拝されたとのこと。

 4年前は宮司さんからそんな話を聞いても、まさか菅さんが総理になるとは思っていませんでしたが、上の記事にあるとおり、我が家の神宝「十和田」を奉納させていただいたことを考えると、その時に運命が決していたのかもしれません。

 いや、冗談ではなく、98代、99代の総理誕生に微妙に(いやかなり深く)「十和田」が関与しているので、ちょっと恐ろしくもあります。

 ここでさらなる中二病ぶりを発揮しましょう(笑)。私は98代、99代という数字に反応してしまうのです。というのは、私のテーマでもある「南北朝」の本当の意味での統合、融合、不二の観点から言うと、そう、南朝の98代は富士北麓にゆかりの深い長慶天皇、そして99代は歴史上の南北朝合一の主役後亀山天皇だからです。

 もひとつついでに言えば、菅さんの奥様は静岡市の出身。秋田と静岡の組み合わせということでは、ウチと同じということになりますね(男女逆ですが)。

 あっ、それから、前も書いたように河野行政改革担当大臣の奥さんは、小学校の同級生です。また、ウチの姉は加藤官房長官に毎週会ってます…と、書き出すとキリがありませんので、このへんで(笑)。

 ここまで脳内の統合失調…いや「統合過剰」が進むと周囲からドン引きされるのがオチですが、まあこれは私の趣味ですし、案外冷静に自己観察する自分がいますから、ご心配なく(笑)。

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2020.09.15

サブスクリプションこそ未来の経済

Th_musicology_00 んなニュースがありました。

 レコードの売上、CDを抜く 1980年代以降で初めて

 正直、こんなニュースが発信される日が来るとは夢にも思いませんでした。

 しかし、記事にもあるように、これは「アナログ回帰」「物理媒体回帰」ということではありません。

 「もの」に対する消費は確実に減っており、その少なくなった物理媒体市場の中で逆転が起ったということです。

 音楽市場での、今年上半期の売上はストリーミングが85%とのこと。

 この流れは止められないでしょう。特にコロナでライヴという媒体が厳しくなっている現状がありますからね。

 ところで、ストリーミングは提供形態であり、そのビジネスモデルはサブスクリプションがほとんどです。

 高城剛さんも言っているとおり、音楽界で起きたことは、他の分野にも広がっていきます。

 実際、サブスクリプションは書籍や映画、飲食、教育、交通などにも拡大しつつありますね。

 私は、将来的にほとんど全ての消費経済はサブスクリプションになっていくと考えています。

 ごく簡単に書くと、全ての国民がある一定のお金を払うと、衣食住や交通、趣味においてある程度の購入権を得ることができるになるということです。

 使いすぎると、スマホの速度制限のように、最低限の生活ができる程度の購入権を残して贅沢はできないようになります。それがある意味セーフティーネットの役割を果たします。

 これには、教育、福祉なども含まれ、サブスクの特長でもあるシェアのシステムも活用されます。

 これはベーシックインカムとは根本的に違った発想です。あえて言えば「ベーシックアウトゴー」でしょうか。

 このコロナ禍の中で、たとえば音楽ライヴや演劇などが厳しい状況になっていますが、それらの配信についても、全体で大きなサブスクリプションを導入するといいと思いますよ。

 月々1,980円払うと、様々なライヴ配信を無制限に観られるとか。980円だと1ヶ月10件までとか。

 そうやってコロナをきっかけに、様々な分野でサブスクを導入するといいでしょう。そこにクラウドファンディングや投げ銭のようなもの加える。誰かやりませんかね。私はアイデアだけ提供しますので。

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2020.09.14

素晴らしい縦読み(横読み)…静岡新聞「大自在」

click↓

20200915-84543 

 ょうどこのコラムが掲載された先週土曜日、静岡市の実家におりまして、リアルタイムで読んだのですが、その時は正直気づきませんでした。まさかの(縦読みならぬ)「横読み」だったとは!

 いやあ、普通に読んだ時も、ああ面白いコラムだなと思ったのです。文章の構成もいいし、静岡新聞もなかなかやるなと。めったに静岡新聞を読む機会がないので。

 しばらくして、このコラムがツイッターで評判になっていてビックリ。

 もうお気づきかと思いますが、そう、一番下の文字を右から横読みすると…すごいメッセージが!

 いやあ、ここまで見事な「折句」はそうそうないですよ。もちろん、こういう言葉遊びは大昔からありました。それこそ「折句」のように。

 あるいは新聞のテレビ欄でも時々ありますよね。そうした遊びが。ネット掲示板やSNSでもよく見かけます。

 しかし大概が、その本文か潜ませた文かどちらかが多少破綻をきたすものなのですよ。その点、このコラムは両方完璧。お見事です。

 特にコラム書式なので、いろいろな制約があって、何文字目に折り込ませれば良いというものでもない。これはずいぶんと時間をかけて作ったものでしょう。

 先に潜文を考えて、それに合わせて本文を作っていったのだと思いますが、まあ大変な作業だったことでしょう。

 こうして注目されることで、コラム本文のメッセージも潜文のメッセージもより多くの人に届くというわけですから、これは古くて新しいメディア戦術なのかもしれません。

 私も入試問題の本文書いたりするので、そこでやってみようかな。

 ちなみにこの文章にはなんの仕掛けもありませんよ…たぶん(笑)。

 

 

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2020.09.13

『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』 成島出監督作品

Th_9142tzlrxl_sx300_ メリッヒ監督のハリウッド映画「ミッドウェイ」が、なかなかよく出来ているらしいですね。そこでは豊川悦司さんが山本五十六を演じています。

 こちらの山本五十六は役所広司さん。ちょっと自分の中のイメージとは違うかなあ。しかし、それが逆に新鮮で、新しい山本五十六像を描くという意味では成功しているかと思いました。

 現代においても評価が分かれる山本五十六。この映画に描かれているように「不戦派」だったのか、それとも一部界隈で言われているように、アメリカのスパイだったのか…。その死(生きていたという説もある)の不可解さも含めて、謎の多い人物であることは間違いなく、そのためにまた多くの作品を生むきっかけとなっているのでしょう。

 ですから「真実」と言われると、なんか急に胡散臭くなってしまうという一面もある。

 この映画、全体としてCGの出来は悪くありませんが、どうしてでしょうね、戦争ものはCGだと恐怖が薄れるんですよね。やはり、フィルムに実際の恐怖の波動が写り込まないのでしょうか。

 その点、三船敏郎が山本五十六を演じた1968年版の方が、深く心に残りました。音楽の違いもあるかもしれません。2011年版は音楽が軽いんですよねえ。

 

ミッドウェイ

 

 あいう

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2020.09.12

『遠い日のゆくえ』 朝原雄三監督作品

Th_61nnk4hqsl_sx300_ 日の「ミッドサマー」とは対照的な印象の作品。

 「感動」する作品かと思いきや、けっこう怖かった。

 特殊清掃の仕事のシーンというより、崩壊する家族像が怖い。また、コミュニティからも疎外された孤独死が悲しい。

 まさに、ホルガの世界とは対照的。

 両映画ともテーマは「生と死」ではありますが、どうもすっきりと肚におさまらないという部分では似ているとも言えます。

 両方の世界、すなわち現代にも前近代にも答えはないということでしょう。

 では、どこに答えがあるのか。それは未来です。

 もちろん、誰かが言うような「地球家族」のようなチープな言葉遊びとは違いますよ。ただ、本当の地球平和を実現するには、まず足もとのコミュニティの平和を実現しなければならないのです。

 ところで、この映画でもまた、富田靖子さんが素晴らしい演技を見せてくれました。この作品での役柄は特に難しかったと思います。

 WOWOWシナリオ大賞の作品化ということですが、私としてはちょっとシナリオに無理(無理やり)があったなと感じました。後半、富田さんの演技がそれをなんとかカバーしたかなという印象でした。

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2020.09.11

『ミッドサマー』 アリ・アスター監督作品

Th_202002midsommar_yzwtk_l_full 日は、ドイツ公共放送の取材を受けました。そこで話題になったのことの一つは「集団と個」の問題。

 やはり日本とヨーロッパは大きく違います。言うまでもないけれども、日本は「個より集団(共同体)」、ヨーロッパは「集団より個」。

 もちろん、そんな簡単に対比できるものではありませんが、今日の対話では、やはりそのコントラストが際立ちました。

 欧米の立場から、その問題に深く切り込んだのがこの作品です。

 ホラー映画として「怖い」と宣伝されてしまっていますが、いやいや、実際観たら全然怖くないし、気持ち悪くもない。ホラーを期待していた次女は、心からがっかりしていました(笑)。

 まあ、ある意味、そうした民俗学的な部分に関して、ウチの家族がいろいろ知りすぎているのかもしれませんが、それにしても、ここで表現されていた「おぞましい(とされる)」習俗は、日本のどこかにかつて存在したもの、そして今でも受け継がれているものばかりでした。

 以前書いたように、棄老伝説とエロティシズムということでいえば、まさに「楢山節考」の焼き直し、ただ舞台をスウェーデンにしただけとも言えます。

 田舎に都会人が迷い込むという設定も、洋の東西を問わず無数にありますしね。観客をそういう「現代の前近代」に引き込むという意味では、横溝正史のシリーズにも共通する感覚がありました。

 というわけで、特に目新しい発見や、衝撃的なシーンはありませんでした(ウチだけか?)。「なんかきれいだったね」という感想は異常なのかなあ。

 話をテーマに戻しますと、そう、結局のところ、「現代=個」「前近代=集団(共同体)」ということで、欧米でもやはりそのような問題意識が表面化していることですよね。

 先日、フランス人YouTuberと話した時も、そんな話になりました。

 欧米から見ると、私たちの「学校」さえも「前近代」に見えるわけです。ただ、面白かったのは、それに対して、フランス人は「ヨーロッパが忘れてしまった大切なモノがそこにある」と言い、ドイツ人は無言で呆れ顔になったことです。

 では、友人であるスウェーデン人の日本映画研究者は、この映画についてどのような評価を下すのでしょうか。いやあ、いろいろな国の人たちと文化に語り合うのは、実に楽しいですね。

 

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2020.09.10

リニアを阻止しているのは誰か?

Th_-20200911-134332 て、今日はいろいろと忙しいので、軽めに重い話題を。

 リニアモーターカーについての私の予言(?)は、こちらをご参照ください。

 そこでは書かなかった、書けなかったのですが、最近別の媒体で公開されたので紹介します。後出しでスミマセン。

 まずは、WiLLの動画。

 

 

 ああ、ここまで言っちゃう、という感じですよね。静岡出身のワタクシとしては、なんとも言えない気持ちになります。

 ホント?と訝しがる方もいらっしゃるかもしれませんが、私も似たような話を聞いていました。かつては保守王国と言われ、自民党が強く、また知事も官僚と政治家から出ていたことを考えると、川勝知事の登場は静岡にとって一つの画期になったことはたしかです。

 国政では、第二次安倍政権の誕生によって民主党政治は倒壊しましたが、川勝知事はそのあたりから、どうも左に寄ってきた感じがあるんですよね。

 それこそ、かつては櫻井よしこや曽野綾子を憂国の士と称するくらい右寄りだったのですが、どのような外からの働きかけがあったのか、すっかり変わってしまいました。

 それが動画で指摘されている2010年の習近平との会談から始まった「工作」なのかどうか、私は分かりません。しかし、現象としてはたしかにそう見えますよね。

 さて、今日(11日朝)公開された、こちらの東洋経済の記事も面白い。

リニア提訴を前に露呈、静岡県の不都合な真実

 リニアに関しても、かつては「賛成」のちに「反対」。この豹変はなんなんでしょう。私も「反対のち賛成」の豹変派なのですが、私のような理由があるとはとても思えません(そりゃそうか)。

 ただ言えるのは、単にJR東海が静岡に冷たくしてきたから、とかいう単純な感情論ではなさそうだとういことです。逆にJR東海とケンカすることのデメリットの方が大きいと思いますからね。

 さて、真実はいかに?

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2020.09.09

論理用語を理解するだけで世界の捉え方が変わる!(出口汪の学びチャンネル)

 

 日の討論でずいぶん誤解され非難されていた「論理国語」。もう何十年も前から国語における「論理」の重要性を訴え続けてきた出口汪さん。

 私の国語の師匠の一人です(もう一人は大村はま先生)。また、これは偶然…いや必然だったのですが、尊敬する出口汪先生はなんと出口王仁三郎の曾孫だったのでした。それを後から知り、またそういうご縁から、のちに何度もお会いすることになったのですから、本当に不思議です。

 さて、出口先生が始めたYouTubeチャンネルが、毎度とても勉強になります。中高生の国語だけでなく、これも不思議ですが、お互いに最近深く関わり始めた「幼児教育」についても、実に有益な情報を発信してくれています。

 この動画はたまたま今日公開されたものなのですが、面白いのは「もの」と「こと」について言及しているところ。

 もちろん、出口先生は受験や一般社会で通用することを伝えていますので、ここで語られている「もの」と「こと」は、普通の常識的な解釈です。

 つまり、私の変わった(一般的ではない)「モノ・コト論」とは逆のことを言っていますね。私にとっては、形のないものが「モノ」であり、言葉に象徴される象(かたちど)ったものが「コト」ですので。「カタ」と「コト」は同源です。

 出口先生の一般論は、明治以降確立し、今につながっているものです。私はそれ以前の日本語の「もの」「こと」を研究した上で特殊な論を立てているのです。そう、一般の人が「時間は過去から未来へと流れる」と言っている後、私は「時間は未来から過去へと流れる」と正反対のことを言っているのと同じ構図です。

 どちらが正しいのかということではなく、視座が違うということですね。これもまた論理的に考えれば分かるはずです。

 ただ、私は江戸時代以前の、すなわち西洋近代の影響を受ける前の、日本人の「哲学」を復活させたいと思っていて、それで現代人と逆のことを言っているわけです(なかなか理解してもらえませんが)。

 古くから変わらない言葉と、私たちの概念(世界の捉え方)が矛盾してしまっているのです。「もの」「こと」もそうです。「もののけ」なのに形があることになってしまうとか、目に見えない「こと」とは言えないで、目に見えない「もの」としか言いようがないとか。

 時間で言えば、先週の「先」が過去だったり、「前(さき)の副将軍」も過去だったりするのに、明治以降「10年先の未来」などという言い方が生れてしまったり。

 そんなわけで、今の仕事が終わって時間ができましたら、「モノ・コト・トキ」という本を書こうかと思っています。私がワタクシ流の「モノ・コト・トキ」論で、どのように世の中を見ているか、皆さんに紹介したいと思います。

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2020.09.08

【討論】安倍政権の功罪と日本の教育

 

 日はご縁あって、フランス人の人気YouTuberのギギさんと丸一日ご一緒させていただきました。

 基本、ウチの中学校を取材してくれたのですが、たっぷり日仏の文化や教育についてお話させていただきました。

 おそらく1ヶ月後くらいに動画が完成すると思いますので、公開されましたら、また紹介しますね。

 さて、フランス人と一緒に日常を見直すことによって、私もあらためて「日本の教育」の光と影について考えさせられることになったわけですが、日本人、それも真正日本人を(おそらく)標榜するであろう保守系の人たちは、どのように「日本の教育」を見ているのか、いや憂えているのか、お話を聞いてみましょう。

 たまたまフランスの教育の話も出てきますね。「哲学」を重視していると。

 しかし、今日ギギさんから聞いたフランスの教育の現状とは、ちょっと違う感じがしますね。逆に、フランスには「哲学」がなく、日本には「尊敬・敬意」「公共心」という「哲学」があるというのが、ギギさんの感覚のようでした。

 まあ、どちらが正しいということではなく、いろいろな視点があるということでしょうね。

 それにしても、保守派の安倍さん評は、リベラルのそれよりも辛辣ですね(苦笑)。左右両方から強烈に批判されてきた安倍政権というのは、実はとってもバランスが取れているのかもしれません。

 素読と論理国語の話は興味深いですね。私は(意外かもしれませんが)素読になんの魅力も感じない国語教師です。もともと暗記が苦手だからでしょう。論理的に意味的に構造として理解しないと覚えられないタチなんです。

 そして、国語を文学と言語にはっきり分けよ!と、ずっと言ってきた国語教師はこのワタクシです。

 はたして、保守の皆さんは、「理性」を信頼しているのか、それとも「理性」を疑っているのか…よく分かりません、私は頭が悪いので(苦笑)。

 ただ、たしかに「今だけ、金だけ、自分だけ」ではなく、共同体に対する想像力を重視するというのは賛成です。教育がそういう中で生れる「信用」に根ざしているというのも、その通りだと思います。

 教育とは、学校とは、そして教養とは、道徳とは何なのか。難しいですね。現場の人間には、目の前には現実が横たわっていますし。けっこう「豊饒」ですよ。

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2020.09.07

物理的に「時間」は存在しない!! MUTube(ムー チューブ)

 

 よいよ「ムー」が登場で、ますます怪しくなってきました(笑)。

 いえいえ、私の経験上、「ムー」と「東スポ」は時々本当のことを書くのです。全体として胡散臭さがあるために、その真情報まで誰も信じない、あるいは注目しない。だからこそ、本当のことが書ける。

 これは、このブログもそうかもしれません(笑)。出口王仁三郎の霊界物語もそうですし、偽史と言われる宮下文書や仲小路彰の文献群もそうかもしれません。昨日の保江先生もそうですね。

 本当のこと、すなわち危険なことを示すためには、そのようなある種のカモフラージュが必要なのです。これは世の中を見る時の大事な視点です。

 逆に言えば、学校で教えていること、認めていること、それらしく共有されていることこそ、ウソだったりするわけです。

 まさに都合よく編集された「コト」よりも、有象無象の総合体たる「モノ」に本質「まコト」が潜むというパラドックスであります。

 さて、そんな尊敬すべき「ムー」の最新の動画に、ちょうど保江先生や時間の話が出てきましたので紹介します。

 三上編集長とも何度かお会いしましたが、とっても頭の良い、楽しい方でした。

 なんだかんだ言って、昭和の時代から淘汰されないで残ってきた「ムー」と「東スポ」こそ、未来のバイブルかもしれませんね。

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2020.09.06

保江邦夫さんにきく (羽賀ヒカル 神社チャンネル)

 

 

 日に続き、羽賀ヒカルさんの神社チャンネルから。

 この方も、またお会いしたいお一人ですね。かつては、いや今でも、「ぶっとび」と評価されることが多いでしょう保江邦夫先生。時代がようやく追いついてきたかなとも思います。

 その証拠と言ってもなんですが、この動画でも語られ、私もかねてから強く訴えてきた「時間は未来から過去へと流れる」という話が、ここへ来て急速に受け入れられるようになってきています。さっと理解してくださる方がずいぶん増えました。

 カタカムナについては、何も知らないのに懐疑的な私がいましたが、保江先生がおっしゃるなら何かあるに違いありません。なるほど、湯川秀樹と直接つながっていたというのは、あの時代だからこそあり得る話ですね。

 私たちの直観や、陰陽師が身につけていた感覚というのは、まさに「モノ」を「モノ」のまま把握する能力から発したものでしょう。現代人は、なんでも「コト化」(言語化・論理化・数式化…)して捉えるクセがついてしまっている。学校教育の弊害ですね。

 コロナの話も「コト化」(ここでは名付けや数値化)の弊害、そしてそういう負の言霊を使って「戦争」を起こす人たちがいるという、世界の歴史の一側面を明示してくれていますね。

 正体の分らない「モノ」と仲良くし、無意識の領域にまで習慣化した理屈抜きの、たとえば「作法」「礼法」によって、見事にディスタンスを取っていたということですね。実に面白い。

 今回、コロナ騒動によって、私たちは「コト化」の弊害を知ることになりました。もちろん「コト化」は(都市)社会を形成する上で、非常に重要な方法論ではあります。

 しかし、行き過ぎ、依存過多はいけません。モノとコトのバランスを取ること…それが時間の流れを操ることにもつながるわけですが…が重要になってくるでしょう。

 

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2020.09.05

『歴史を変えた超能力者 秋山眞人先生にきく』(羽賀ヒカル 神社チャンネル)

 

 月にこちらで紹介した秋山眞人さんと羽賀ヒカルさんの対談の続編です。

 ここでの秋山眞人さんのお話も素晴らしいですよ。秋山さんらしい、知識、人脈、そして愛。決して人を驚かせたり、怖がらせたりするのではなく、明るく幸せな未来に夢を馳せることに私たちを導いてくれる。

 「歴史を変えた超能力者」どころか、昭和の初めまでは日本は超能力者大国だった、能力者で溢れかえっていた…そうなんですよねえ。羽賀さんは「出口王仁三郎と高橋信次」に持って行きたかったのでしょうが、いえいえどうして、国民みんなが能力者だったという事実。

 それが日本であり、日本人であったというのも、一面の事実でしょう。そして、それが原因して西洋近代科学的世界観と衝突して、あの戦争が起きたというのもまた事実です。

 昭和天皇と小泉太志命、岸信介と藤田小女姫、三笠宮さまの話などを聴くと、なるほど高松宮さまや佐藤栄作が信頼した能力者が仲小路彰だったということが分かりますね。実際、仲小路彰は皇室だけでなく、多くの新興宗教との交流があったことを示す史料がたくさん出てきています。

 ある意味、戦前、戦中、戦後も、皇室と庶民いっしょになって霊的に日本を守ろうとしていたのですね。

 それが今はどうでしょう。霊的弱体化していませんか。秋山さんもおっしゃっていますが、やはり「教育」なのでしょうか。

 最後の秋山さんのメッセージが美しい。本物、偽物と両断するのではなく、まさに「和」の力で未来を切り開いていく…そんな日本を取り戻したいですね。

 この変革の時代だからこそ、秋山さんにもまたお会いしてゆっくりお話を聞いてみたいと思います。

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2020.09.04

フリードリヒ・グルダ&ハービー・ハンコック

 

 日紹介したグルダのクラヴィコード演奏が好評です。

 こうして一般の方々にもクラヴィコードという素晴らしい楽器を知っていただければ幸いであります。

 今日はそのグルダのジャズ側の顔を知っていただきましょう。

 こてこてのトリオとかよりも、このハービー・ハンコックとの即興合戦の方が、グルダのジャズ・サイドをより感じることができましょう。

 グルダはチック・コリアともよく共演していますが、私はなぜかハービーとの演奏の方が好きです(理由はわかりません)。

 優れたピアニスト同士のこうした対面デュオには、本当にたくさんの名演がありますよね。私はこの二人のこの日の演奏もその一つに挙げたいと思います。

 なんといっても、二人の表情が良い。ピアノを弾けない私ですが、時々こういう夢を見るんです。夢の中ではなぜか即興でピアノが弾ける(笑)。そして、相手の考えていることがわかって、本当に楽しく会話するかのように、見事な音楽が生れる…夢なんですけどね。

 夢でもたまにそういう体験ができるので幸せです。そして、実際に弾けなくてもいいや、となる(笑)。

 ところで、昭和や平成の時代にはですね、ジャズ・ピアニストがクラシックを演奏するとクラシック畑の評論家が酷評し、クラシックのピアニストがジャズを演奏すると、ジャズ畑の評論家が酷評するということがずいぶんありました。

 私はそういうクロスオーバーが大好きだったのですが、評論家だけではなく、それぞれのジャンルのファンたちまで「ありゃ、ダメだね」的なことをよく言うので、うんざりすることがしょっちゅうあった。

 令和の時代には、そんな「ジャンル」なんていうどうでもいい「コト」から、音楽を解き放ちたいですね。「モノのね」としてそのまま受け取ればいいじゃないですか。

 超一流の人たちは皆、ジャンルレスですよ。一流や二流の人が理屈をこねる。ま、私は五流ですけど(笑)。

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2020.09.03

『激動の昭和史 軍閥』 堀川弘通 監督作品

Th_51mcnqo28rl_ac_sy445_ の映画で苦悩する若手新聞記者を演じているのが加山雄三さん。誤嚥からの小脳出血で入院されましたが、大事に至らず安心しました。

 この映画が作られたのが1970年。6本作られた東宝8.15シリーズの第4作になります。

 このシリーズ、なかなか見応えのある大作が揃っていますが、私はこの「軍閥」が一番現代につながるテーマを扱っていると感じています。

 小林桂樹さん演ずる東條英機を中心に、陸海軍の軋轢、責任者不在、マスコミの功罪が描かれています。

 映画の冒頭は二・二六事件。安藤輝三、鈴木貫太郎も当然出てきます。最後は原爆。終戦のシーンはありません。

 この映画の内容は、昭和から平成にかけて、ずっと言われてきた大東亜戦争観で、もちろんそれは正しい部分も多くあるわけですが、私たちが最近発見した超重要文書群によれば、そんな単純なものではないことが分ってきました。

それは今から65年ほど前に調査、執筆されたものであり、実はその時点で世界史的視野から見た大戦の本質は解明されていたわけです。

 この映画の製作からちょうど半世紀たったわけですから、いよいよその内容、解釈を上回る映画が作られてもいい時代になったのではないでしょうか。

 その超重要文書については、そんなメディア戦略も含めて、来年以降世に出していきたいと思っています。

 

Amazon 昭和の激動史 軍閥

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2020.09.02

グルダ、クラヴィコードを弾く!

Th_-20200903-145742 じゲルマン民族でも、ドイツ人とオーストリア人とではずいぶん違うとのこと。

 まあ、オーストリアはアジア系の血もかなり入っていますからね。それはそうでしょう。

 で、ドイツ語をしゃべるピアニストの中で、私がその「柔軟性」ゆえ特別にひかれるのが、フリードリッヒ・グルダです。

 ジャズとクラシックを自由に行き来し、自らも魅力的な作品を作曲したグルダ。もちろん即興もお得意。(二番目の)奥様は日本人ジャズ・ピアニストです。

 彼のバッハやベートーヴェン、けっこう勢いが良くて好きなのですが、最近めちゃくちゃ感心したのが、彼のクラヴィコード演奏です。

 クラヴィコード・マニアだということはどこかで聞いて知っていましたが、実際の演奏は聴いたことがなかった。数年前、プラベート録音の音源が発売になって、その現代的なアプローチに驚いていたところ、YouTubeですごすぎる動画を見つけてしまいました。

 クラヴィコードを操るピアニストといえば、キース・ジャレットですよね。しかし、グルダはそれ以上かもしれないと思いました。特にバッハのプレリュードとフーガの演奏は素晴らしすぎる。フーガでヴィブラートかけちゃうか!w

 実はバッハもこんなふうに弾いていたのかもしれませんね。う〜ん、ますますクラヴィコード欲しくなってしまった。キットで作ろうかなあ。

 そういえば、クラヴィコード…ではなくクラビノーバ(!)で思いっきりバッハ弾いたりしてましたね。楽器にこだわっていないわけではなく、めちゃくちゃこだわった結果なんでしょうね。そうか、私、そういう意味でけっこう影響受けてるかも。オリジナル主義かと思うと、変な楽器で演奏するの好きですし(笑)。

 さあ、どうぞ聴いて、視てください。バッハもですが、祐子夫人との間に生れたリコのための曲もいい!

 

 

 

 

 

 グルダがクラヴィコードについて説明しています。ドイツ語わかりませんが、なんとなく面白いことを言っていることはわかるような…(笑)。

 

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2020.09.01

『帰ってきたヒトラー』 ダーヴィト・ヴネント監督作品

 

 日はひょんなことから大変ドイツに詳しい方(と言うよりほとんどドイツ人である日本人)と話をする機会がありました。

 実に面白い人類学的な視点から歴史を振り返ることができ、本当に勉強になりました。さすがゲルマン民族は違うわ(笑)。

 そこでリアルに思い出したのが、この映画。今日の話をうかがってから、もう一度見直すとまた全然違った気づきがありました。

 この独特の諷刺精神というか、ユーモアの感じも、なるほど実は非常にゲルマン的なのかもしれませんね。

 そう、この映画で表現されているヒトラーこそが、ある意味非常にドイツ人的ドイツ人なのかもしれませんね。今日のお話を思い出すと、そう思わずにいられません。

 一昨日の、いかにもフランスといったルノワールの「ピクニック」とは対照的な世界とも言えましょう。

 日本版「Er ist wieder da 〜彼が帰ってきた」を作るとしたら、誰を現代にお迎えしましょうかね。そんなことを考えながら観るのも一興です。

 そう、今日の対談の中に「人種というドイツ語を使ってはいけない」という話がありました。また、「ドイツ人は全くあの戦争を乗り越えていない」という話や、「ホロコーストは全く無感情に行われた」という話もありました。「民族としていまだに上から目線だし排他的だ」とも。

 この映画を観ていると、さもありなんと思えてきて、最後は笑えなくなりますね。

 そして、これも今日の話題になりましたが、バロック音楽においても、なぜバッハのような音楽家が生れたか、これもやはりドイツだからこそということでしょうね。

 ところで、この「ヒトラー」、けっこういい人として描かれていまして、それが本国でも批判の対象になったと言いますが、原作者が言うとおり、こういう「リアル」に向き合わないと、つまり、ヒトラーを完璧な悪魔に仕立てているかぎり、それこそドイツ人は過去を乗り越えられないでしょう。

 よく、ドイツは謝罪し反省したが、日本は…という暴論を耳にしますが、それもまた日本を完璧な悪魔に仕立てているわけであって、それまた自身の過去を乗り越えられない結果を生むでしょうね。

 そんなことも含めて、とても他人事とは思えない、そして単純には笑えない、けっこう重い作品です。

 最近私がそこら中で主張している、日本の学校の軍隊文化に通じるシーンもあります。ある時からの日本の軍隊文化は、それこそナチスから輸入したものですし。

 …と、結局重くなってしまい、コメディにふりきれないところもまた、ドイツ人らしい?w

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