« 浦上燔祭説 | トップページ | 千々石ミゲルは転んだのか… »

2020.08.10

『MAGI 天正遣欧少年使節』

 

 

 日の長崎の話の続きというか、そのルーツ。

 こちらにも書いたとおり、私は「千々石ミゲル」のことが気になってしかたありません。有馬晴信との関係や音楽のことだけでなく、彼は本当に棄教したのかという謎…。

 さて、ミゲルも含めた天正遣欧少年使節団の4人の物語。いつか映画化されるといいなと思っていましたが、こういう形でそれが実現するとは。

 いろいろとツッコミどころはありますが、そんな外面のことではなく、やはり純粋に少年らの過酷かつ豊かな旅自体について、こうしてイメージ化してくれたこと、そしてキリスト教や西洋文化の矛盾、日本という国の本質をかなりきわどいところまで描いてくれたことには感動いたしました。

 キリスト教が内包する「死」への憧れと「赦し」の構造が、隠れキリシタンの悲劇を生み、のちには長崎原爆の悲劇を生み、昨日紹介した「浦上燔祭説」を生んだとも言えますね。そのあたりをこのドラマからも考えさせられました。

 彼らが音楽理論を学び、多くの楽器の演奏技術を習得し、貴重な楽器を持ち帰ったこと、そして聚楽第にて秀吉に演奏を披露したことには触れられていませんでした(それは後日譚なのでシーズン2で?)。古楽ファンとしては、そこは少し残念でしたが、実は音楽はその一面に過ぎず、本当に多様な分野において彼らは本当によく学び、それを伝えたと思います。

 ミゲルが、帰国後どのように棄教に至ったのか(あるいは最近の説のように実は棄教していなかったのか)、関ヶ原の戦いから江戸開幕、そして有馬晴信の刑死などが、ミゲルにどんな影響を与えたのか。

 明治以降の日本と西洋との関係、そして未来の日本人のあり方を考える時、彼のキリスト教体験の変遷は大きなヒントとなるような予感がするのです。

 ちょっと私も研究してみます。独自の視点で。

MAGI 天正遣欧少年使節 公式サイト

400年前の西洋音楽と古楽器

|

« 浦上燔祭説 | トップページ | 千々石ミゲルは転んだのか… »

映画・テレビ」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

美術」カテゴリの記事

自然・科学」カテゴリの記事

文学・言語」カテゴリの記事

歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 浦上燔祭説 | トップページ | 千々石ミゲルは転んだのか… »