寺内克久 『富士山とピアノ即興曲/識と造形〜氷雲の夢』
今日はまた素晴らしい出会いがありました。友人とその友人とオンラインでいろいろお話ししました。それが実に素晴らしい波動を伴ったものになりまして、ただただご縁に感謝であります。
話は多岐にわたったわけですが、基本その中心にあったのは、やはり「富士山」ではなかったでしょうか。
さて、こちらも素敵なご縁をいただいた「不定調性論」を構築中の音楽家、寺内克久さんの富士山にまつわる作品です。
こちらのご縁も間に入ってくれた友人がおります。その友人が寺内さんにご自身が日々撮影した富士山の写真を送り(送りつけ?)、それらから得た印象、クオリアを音楽として表現したものです
寺内さんの解説を読んでみましょう。素敵な文章ですね。解説ではなく随想的な作品です。
私の言葉で言うなら、「造形」は外部・他者としての「モノ」、「識」は内部・自己としての「コト」ということになるでしょうが、「コトを窮めてモノに至る」という、二つ目の「モノ」すなわち「モノ'」が音楽なのでしょう。
今日のオンライン問答の中の延長線上にも、そんな世界がありました。今、仲小路彰のある文書を活字化しているのですが、そこには「自己の超越=利他の徹底=自己の完成」という文脈があります。
寺内さんが、旧来の音楽理論や音楽常識の中で苦しみながら作曲していた時、結局それはありもしない自己を楽譜という「コト」にしなければならなかったのでしょう。
しかし、そこで悩んだからこそ、その自己(コト)を超越し、モノの世界に身を委ねることができた、そして、結果として「自他不二」の境地に至って、本当の自己が完成した(まだまだとおっしゃるでしょうが、もうその道をしっかり前進しておられると思います)と。
いずれにせよ、音楽は、そうしてモノとコトのあわいを行ったり来たりできる世界であり、それはほとんど音楽だけに許された次元移動の作法です。クオリアとはその感覚でしょう。
それが「不二」の写真の上に展開されていることに、私は感動しました。特に、よくある写真集やカレンダーのよそ行きの富士山ではなく、私もよく知っている富士山の、否、一つとして同じ表情のない不二山の姿が音楽になった悦びは、それこそ言葉では表現できません。
あえて言うなら、ありがとうございます…でしょうか。
| 固定リンク
「音楽」カテゴリの記事
- マカロニえんぴつ 『星が泳ぐ』(2022.05.17)
- THE BOOM 『島唄』(2022.05.16)
- 笑点神回…木久蔵さん司会回(2022.05.15)
- 『フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集』 ユアン・シェン(クラヴィコード)(2022.05.02)
- NHKスペシャル 『東京ブラックホールⅢ 1989-90魅惑と罪のバブルの宮殿』(2022.05.01)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- みうらじゅん×山田五郎 『仏像トーク』(2022.05.18)
- マカロニえんぴつ 『星が泳ぐ』(2022.05.17)
- THE BOOM 『島唄』(2022.05.16)
- 出口王仁三郎 「天災と人震」(『惟神の道』より)(2022.05.14)
- 『教祖・出口王仁三郎』 城山三郎(その10・完)(2022.05.12)
「自然・科学」カテゴリの記事
- みうらじゅん×山田五郎 『仏像トーク』(2022.05.18)
- 出口王仁三郎 「天災と人震」(『惟神の道』より)(2022.05.14)
- 核融合のギモンまとめて答えます (岡野邦彦)(2022.04.12)
- 活火山「十和田」噴火警戒レベル運用開始(2022.03.30)
- 居心地の良い場所「富士吉田」!?(2022.03.20)
「歴史・宗教」カテゴリの記事
- みうらじゅん×山田五郎 『仏像トーク』(2022.05.18)
- マカロニえんぴつ 『星が泳ぐ』(2022.05.17)
- THE BOOM 『島唄』(2022.05.16)
- 出口王仁三郎 「天災と人震」(『惟神の道』より)(2022.05.14)
- ジャンボ鶴田さん23回忌(2022.05.13)
「モノ・コト論」カテゴリの記事
- 『都道府県別 にっぽんオニ図鑑』 山崎敬子(ぶん)・スズキテツコ(え) (じゃこめてい出版)(2022.04.24)
- 「むすび大学」に出演いたしました。(2022.04.11)
- 映画『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』 岩間玄監督作品(2022.02.15)
- HARUOMI HOSONO『SAYONARA AMERICA』佐渡岳利監督作品(2022.01.30)
- 『あなたを陰謀論者にする言葉』 雨宮純 (フォレスト2545新書)(2022.01.29)
コメント