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2020.08.09

浦上燔祭説

Th_unnamed_20200810071501 崎原爆忌。

 毎年思われるのは、なぜキリストの名の下において、隠れキリシタンの里浦上に原爆が落とされたのかということ。

 牧師によって祝福された「ファットマン」は、長崎に投下されたというより、浦上に落とされました。

 あの日、第1目標だった小倉が曇天だったため、第2目標の長崎が犠牲になることになったことは周知の事実です。

 そこの運命も含めて、浦上に原爆が落ちたのは、神の意思であるという考え方があります。被爆後すぐにその考え方は生まれました。

 放射線を研究した医師であり、隠れキリシタンの末裔で自身もキリスト者であった永井隆。彼の唱えたのが「浦上燔祭説」。

 「燔祭」とは「ホロコースト=生贄祭」です。つまり、長崎の被爆者は神への生贄であるということです。

 クリスチャンでない者からすると「生贄」という概念は受け入れがたく、死者に失礼な考えのように受け取られますが、クリスチャンにとっては「崇高」な「行為」ともなります。

 こうした価値転換は、殉教を伴う多くの宗教に見られることです。この原爆に関しても、被害者、加害者双方の悲劇を救う手段、方便としてありえることです。

 ですから、この「浦上燔祭説」を単純に否定も肯定もできないわけですが、ただこれを通じて、キリスト教が戦争において果たしてきた役割を思い出すことは重要だと考えます。

 もとより、日本にキリスト教がもたらされたのは、スペイン、ポルトガルの植民地政策の結果であり、よく言われる「左手に聖書、右手に銃」というのはまぎれもない事実です。

 キリスト教に内在する、そうした「荒魂」の要素が、「和魂」の国日本を舞台に、自己矛盾の中で自己崩壊を起こしていく物語を現出したと考えると、より深い歴史的真実が浮かび上がってきます。

 永井隆はこの「燔祭説」だけでなく、原子力の「光」の部分、すなわち科学における原子力のプラスの要素についても強調をしました。それは、ちょうど仲小路彰の考え方にも共通します。これもまたある種の「方便」「価値転換」とも言えますが、日本文化における「荒魂」の意義の上に展開しますと、一般的な感覚とはまた違った真理を見出すきっかけにもなると感じます。

 さて最後に、長崎原爆とキリスト教ということでいうと、山梨との関係から「有馬晴信」のことも思い出されます。たしかに「荒魂」が音楽という「和魂」を生むことがありますね。キリスト教とは非常に複雑かつ深い宗教です。

有馬晴信終焉の地「甲斐大和」

第31回都留音楽祭 最終日(都留と古楽の因縁)

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2020.08.08

武田邦彦 「天皇」について語る

 

 日は午前、午後、夜、連続して3つの会合(リアル or オンライン)がありました。それぞれ本当にいろいろな気づきを与えていただく素晴らしい機会でした。

 午後の勉強会では「天皇制」の話も出ました。

 出口王仁三郎は天皇制を肯定したのか、否定したのか。そんな疑問が発端でした。

 この答えは非常に難しい。あえて言うならば、「天皇」という文化は肯定したが、「天皇制」というシステムは否定した、となるでしょうか。

 つまり「現人神」は否定したというわけです。

 武田先生のこのお話には、なるほどと頷ける部分もありますが、正直首をかしげるところもあります。難しいですね。

 毎年、夏になると、先の大戦のことを思います。そこではどうしても「天皇陛下万歳」というキーワードを避けて通れません。

 戦後、ほとんどの場合、それを否定する形で語られてきました。もちろんその気持ちも分からないではないのですが、そうすると、そう叫んで散っていった無数の兵士たちのことも否定するようで、正直心が痛みます。

 もちろん、その反対の感慨もあります。つまり、「天皇陛下万歳」に反対だったが命を落とした人たちもたくさんいるからです。

 いつかも書きましたとおり、たとえば靖國神社に関連しても、右、左、両方ともに極端な見方しかできていない気がします。私は靖國の神域に足を踏み入れると、本当に多様な「気持ち」を感じることができます。そして「迷い」を感じるのです。

 ですから、少なくとも、どちらにせよあなたたちの判断と行動は、未来的な意味において間違っていなかったと、そこは全肯定するところから始めないといけないと思うのです。

 ちょっと伝わりにくいかもしれませんね。昨日の夜もオンラインでの会合があり、そこでも全部お話しましたが、ウチの夫婦が、時を超えて二・二六事件の核心に(信じられいないほど、恐ろしいほど)関わることになってしまった、その体験から分かったことなのです。

 彼らが、いまだに自分たちが何者か分からず、敵か味方かも分からず、すぐ隣の世界で真っ黒な「塊」になっているということを知ってしまった今、それを丁寧にほどいて差し上げることを後回しにして、自分たちの次元で歴史解釈と思想を戦わせても仕方ないのです。

 私は、それをする、その中心に「天皇」の祈りがあると信じています。あの時代の「天皇制」「現人神」には、それができなかった。そこに強烈な違和感を抱き、問題提起したのが、出口王仁三郎であり、またある意味では二・二六事件の青年将校たちだったのです。

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2020.08.07

ラインケン 『「結婚の話はやめて」による変奏曲』

 休みに入ってからの方が忙しい。今年はいろいろとイレギュラーですので仕方ありませんね。

 さて、そんな時は仕事をしながら音楽を聴きます。いや、音楽をしながら仕事をする…かな。BGMにはやはりバロック音楽が一番。もともと、そういう音楽ですし。

 今日流していたのがこれ。ドイツバロック音楽の巨匠、ラインケン。

 ラインケンの合奏曲集はずいぶん演奏しました。かなり好きな作曲家です。ブクステフーデとラインケン、この二人はバッハがいなければ間違いなく音楽の教科書に載ったことでしょう。

 仕事をしながら心に残ったのは、「Partite diverse sopra l’Aria “Schweiget mir von Weiber nehmen」です。この「結婚の話はやめて」という俗謡をテーマにした変奏曲、なんか懐かしさを感じさせますね。

 冒頭のコード進行が(ハ長調で言うと)C→G→Am→Fという「LET IT BE」進行(実はこれはあんまりない)。つまり、クラシックとフォークの折衷的、中間的な進行なんですよね。

 この前のフィッシャー同様に、バッハほど複雑ではなく、シンプルに、しかしとてもセンスよく変奏されていきますね。BGMには最高です。

 ちなみにこの「結婚の話はやめて」は当時かなり有名だったらしく、フローベルガーも変奏曲を書いています。こっちもいいですね〜。

 

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2020.08.06

75回目の広島原爆忌に思う

Th_as20200806000672_comml 年もこの日がやってきました。

 本来なら、東京オリンピックが開催されている最中での平和祈念式典となるはずでした。

 平和の祭典たる五輪の開催中に、この75回目という特別な機会はあるべきでした。残念なことです。これはどのような天意なのでしょう。

 新型コロナウイルスという新しい「兵器」によって、この機会が奪われたというのは象徴的でもあります。

 先日も書いたとおり、これからの戦争はドンパチではなく、静かに進行していきます。ドンパチ戦争を終わらせたのが、この原爆投下であったというのも皮肉です。

 ある意味不謹慎と思いながらいつも考えるのですが、いつか被爆者や戦争体験者がゼロになってしまう日が来るわけで、それもかなり近い将来の話です。75年というのが一つの節目になると思うのはそういう意味もあります。100年ではもう完全に「歴史」になってしまう。

 もちろん、全ては「歴史」となっていくわけですが、生きた歴史にするためには、やはりその未来的な意味、意義を考えねばなりません。特にこのような悲劇については。

 私は、仲小路彰という天才に出会うことによって、そのヒントを得ることができました。今日はそうした幸運の中で、原爆忌に思索した記事を振り返ってみたいと思います。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の意味(2014.8.6)

原爆と理研と天皇と仲小路彰と(2014.8.8)

70年目の広島原爆忌に思う (2015.8.6)

抑止力としての被爆&特攻隊(2015.8.8)

『広島、長崎戦跡善後処置緊急具体案」 (仲小路彰)(2018.8.6)

広島原爆忌にもう一度(2019.8.6)

 

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2020.08.05

山梨は首都圏?それとも…

Th_img20160428_1 年、夏は秋田(家内の実家)に行くのですが、今年は自粛することにしました。

 ちょうど一昨日、秋田県知事がこんな会見をしました。

お盆帰省 秋田知事「首都圏から」自粛要請

 首都圏…ん?山梨県は首都圏なのか?

 答えから言いますと、「山梨県は首都圏」です。関東7都県に山梨県を加えた8都県が「首都圏」であると正式に定義されています。

 山梨県民的には悪い気はしないのですが、他の都県からすると、「あのクソ田舎が首都圏なんて納得できない!」となるのではないでしょうか(笑)。

 山梨県(甲斐国)は昔から微妙な立ち位置にありました。古く奈良時代には「生黄泉の国」なんて言われて、この世とあの世の境と思われたり(笑)。「かひ」という国名からして「境界」という意味の「峡」の意味だと言われていますし。

 しかし、鎌倉時代には幕府に近くなってちょっと存在感が変わり、江戸時代にたまたま江戸の隣、近代には東京の隣になってから、ますますその立ち位置は微妙になってきました。

 上の地図でもわかるとおり、たしかに一見すると東京の隣ですし、その距離もたとえば栃木や群馬より圧倒的に近い。

 しかし、地理的に見ると、関東平野には属しておらず、「山成し」というだけあって山に囲まれた「田舎」です。関東の人たちからすると、関東に入れたくないでしょうね。

 かと言って、中部地方にも入れてもらえないし、入る気もない。私は静岡の出身、東京育ちの山梨県民ですので、そのあたりの感覚は両方向からよく分かります。

 一方、甲信越と言った場合にも、特に新潟県とはあまりに意識的に遠い。日本語学(方言学)的に言うと、いちおう「なやし方言」というのがあって、すなわち「長野・山梨・静岡」に共通する性質があるのも事実なのですが、特に山梨の郡内地方(富士東部地域)においては、関東方言もかなり混入していて違和感もあります。

 そんな微妙な「境界」の独立国山梨ですが、そこに住む人々の中には、近世から、つまり江戸や東京の隣という意識が出てきてから、「首都圏に入りたい」願望が強くなっていったようです。

 たとえば、雨宮敬次郎ら甲州財閥が、東京や関東圏から山梨への交通ルートの開拓に尽力したこと、近くは金丸信がリニアを山梨に持ってきたことなどはその発露でしょう。

 では、現在、山梨は首都圏に参入できたのかというと、実際は奈良時代とそんなに変わっていないと思うのです。相変わらず微妙な位置で微妙な立場のまま。これはもう地政学的にしかたがないことだと思います。

 逆に言えば、富士山をはじめとする霊山の懐に抱かれた「山成し」は、これからもずっと「生黄泉」の国でいいような気もするわけです。どちらかというと私はそれを望みますし。

 いずれにしても、この豊かな自然と東京の隣という地理的好条件を、いまだ本当の意味でうまく活用しているとは思えません。それをなんとかするのも、私のライフワークの一つですね。

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2020.08.04

ロバート・ヒル(鍵盤奏者)

 

 日紹介したフィッシャーの組曲から前奏曲とシャコンヌ。演奏しているのは、アメリカ出身のチェンバロ奏者(いちおうそう言っておきます)ロバート・ヒル。

 私が彼を知ったのは、ラインハルト・ゲーベル率いるムジカ・アンティクヮ・ケルンで通奏低音やソロを担当していた頃ですから、もう30年近く前になりましょうか。

 今はドイツを中心に活躍しているようですね。一昨年には来日してコンサートやセミナーを行いました。私の知り合いもレッスンを受けて、とても面白かったと言っていました。

 そう、彼は非常にユニークなんですよね。まず、弾く楽器の幅が広い。クラヴィコードからチェンバロ、フォルテピアノ、モダンピアノ、さらに最近では電子楽器まで、まあ鍵盤ならなんでも弾くという感じ。MIDIを使った「partimento mashup」なんていう今風なことにも挑戦しています。

 相当に頭の柔らかい人なんでしょうね。これなんか、どう評価してよいやら(笑)。

 

 

 ヒルさんの演奏の特徴は、自由自在なアゴーギクでしょう。たえとば、フォルテピアノによるこの3声のシンフォニア、非常に魅力的ですよね。バッハがフランスバロックに聞こえる。けっこう好きです、こういうの。

 

 

 彼のYouTubeチャンネルは、本当に多彩な演奏満載ですので、ぜひ覗いてみてください。

 最後にクラヴィコードの演奏を。バッハのあのシャコンヌをクラヴィコードで演奏しています。珍しい。たぶん、バッハ自身もこうして弾いたのではないかと思わせる演奏です。

 

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2020.08.03

J.F.C フィッシャー 『エウテルペ組曲』

 

 日はバロック音楽の隠れた名曲を紹介します。

 ドイツバロック音楽でフィッシャーというと、二人の作曲家がいます。ヨハン・フィッシャーとヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャーです(ややこしい)。

 二人はほぼ同時期に活躍し、ともにフランスのリュリの影響を強く受けた音楽を残しています。

 今日紹介するのは名前が長い方のフィッシャーです。彼の曲で比較的有名なのが「シャコンヌ ヘ長調」。現代ピアノでも演奏される小品です。

 その「シャコンヌ」は本来は組曲の最終曲。その組曲がこの「エウテルペ組曲」です。

 エウテルペとはギリシャの女神の名前。実は、フィッシャーはギリシャの神々をモチーフにした組曲集を書いているのです。

 エウテルペは「喜びをもたらす」神で、アウロスを吹いている絵が残っていることからもわかるとおり、音楽にもゆかりのある女神のようです。

 この組曲「エウテルペ」も、まさに「喜びをもたらす」ような明るさ、軽快さを持つ佳曲ですね。特に最後の「シャコンヌ」はまさにリュリ風の豊かな和声展開をする魅力的な音楽です。

 大バッハも両フィッシャーの音楽を愛していたようです。そう、バッハってテレマンやヘンデル、そして諸先輩方の音楽を高く評価していますが、それって「こんなシンプルな曲、オレ書けないなあ…」っていう気持ちだったのでは(笑)。

 バッハもいいのですが、ちょっと続けて聴くと疲れるので、時々こういう「軽音楽」を挟みたくなりますね。

 神々の組曲の楽譜はこちら。ただし、普通のト音記号ではありませんのでご注意を(第1線がドのハ音記号です)。

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2020.08.02

「赤池」出現

Th_050110121672300x211 チの近所なのですが、樹海の中に幻の湖「赤池」が久しぶりに出現しております。2011年以来の珍事。

 2011年といえば、東日本大震災の年。コロナのこともあって、人々がいろいろと「モノ」に対する恐れを抱いていますので、たとえばこういう記事が出たりします。

富士山噴火の前兆!?「幻の富士六湖」9年ぶりの出現に地域住民が戦々恐々

 2011年は、震災のあとに「赤池」が出現しました。ですから前兆でもなんでもありません。しかし、後出しでやはり恐怖をあおるような本が出たり、テレビ番組が放映されたりしました。

 私は、かなり厳しい口調で苦言を呈しています。

正直呆れます…木村政昭著「富士山の噴火は始まっている!」のウソとこじつけ

 まあひどいものです。

 一方、今回も冷静な記事を書いてくれる人もいます。たとえば、あのお天気おじさん森田正光さん。

異例づくめ、7月に出現「幻の池」 秋にも出現するか?

 いずれにせよ、気象性の現象と地学的な現象をむやみに混同することはあってはいけません。

 もちろん、両者が完全に無関係ではありませんし、「天変地異」という言葉があるとおり、なぜか天地が呼応するような場合もあります。しかし、だからこそ、やたら恐怖を煽るようなことはせず、冷静に分析する必要がありますね。

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2020.08.01

動画編集ソフト 『Filmora9』

Th_unknown_20200802103401 日はオンライン・オープンスクール本番の日でした。生徒や先生方のご協力により、なんとか間に合いました。ライブ配信ではいろいろとアクシデントもありましたが、ギリギリ乗り切りました。このギリギリ感、なんか懐かしいな。学園祭的な感じ?

 さて、そんなワタクシ、なんちゃってYouTuberはお金がありませんので、動画編集ソフトもプロ用は使えません。

 そこで私がMacBook Proで使っているのが、このFilmoraです。これまた中国製。まあ普通のYouTube動画レベルなら、これで十分ですよ。動画の世界はあんまり本格的にやり出すと大変なことになりますから、この程度でちょうど良い。

 そう、逆に言うと、やっぱりiMovieだとちょっと物足りないんですよね。

 このFilmoraなら、タイトルのモーションやトランジションも豊富にあり、まあそこそこのものはすぐに作れます。操作がシンプルかつ分かりやすく、動作も軽いので快適に編集作業ができます。

 無料でダウンロードできるフォントもたくさんあって個性豊か。

 中華ソフトという先入観とは違い、案外(失礼)上品な動画を作ることができますよ。「仕上がり想像以上」というキャッチフレーズに偽りはありません。

 私は教員なので学割が適用されます。そうしますと永久ライセンスが7,980円です。まあ、利用価値を考えれば十分安い価格と言えるでしょう。これからもちょいちょいお世話になります。 

 Filmora公式

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