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2020.07.16

バッハ 『「来ませ、聖霊、主なる神」に基づくファンタジア BWV 651』

J.S. Bach - BWV 651 - Fantasia super: Komm, heiliger Geist

 

 の演奏を聴いた時、あれ?これなんだっけ?と思いました。あまりに残響が多いため、最初テンポもリズムもわからず、ただ「音響の総体」に包まれたような感覚でした。

 ペダルにコラールの旋律が出てきて、ようやく「ああ、あれか!」と気づきました(曲名などは出てきませんでしたが)。

 そこでもう一段上の気づきがあったのです。なるほど、これがバッハの意図か!と。

 当時はほとんどの人がこれを教会で初めて聴いたわけですよね。この豊かすぎる音響の中で初めて。

 パイプオルガン自体が、まるで現代のシンセサイザーのように多様な倍音を調合することによって「音響」を作り出す楽器です。そこに加えてこの教会の過度な残響。録音では捕らえきれない倍音の反響もあるでしょう。

 当時の聴衆、すなわち信者さんたちは、その未知のモノに一瞬包まれ、まさに天上に導かれるような感覚に陥ったに違いありません。そこに、よく知ったるコラールの旋律…もちろん記憶としての歌詞も再生されるに違いない…という既知のコトが、光の向こうから現れ、そうして天地人がつながる。

 多くのコラール前奏曲やコラール幻想曲が、そのような構造と機能を持っていたのでしょう。

 バッハ自身は、そこを一つのエンターテインメントと考えていたのかもしれません。自他にとっての。つまり、いかに登場するコラールを予感させないかという挑戦、クイズとしての楽しみですね。

 バッハがこれを作曲している時の、あるいは前の、脳みその中を覗いてみたいと思いますね。AIには難しい作業でしょうから。

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