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2020.07.31

iPhone用マイク・ライト・ミニ三脚セット

Th_4151mbx1ol_ac_sy450_ 日の続き。いよいよ私もYouTuberになっちゃう?w

 というわけで、にわかYouTuberになっております。昨日のジンバル紹介の動画にもありましたが、私もiPhone用外付けマイクをMOZAの上に乗せて撮っています。

 最近買った、マイク・LEDライト・ミニ三脚・ホルダー・ケーブルのセットがこちら。

 マイクの性能はそこそこ満足のいくものでした。もふもふの風防もついています(猫の遊び道具になっていますが)。

 三脚もホルダーも案外しっかりしていて使いやすい。こちらは家で娘たちが使っております。

 ほかにも安いセットはありますが、ケーブルも含めるとこのセットが一番リーズナブルではないでしょうか。

 お値段の割に全体として品質は高いと感じました。これもまた中国のおかげですね。

 実際に動画を撮影して編集をしてみますと、ホンモノのYouTuberの偉大さがわかりますよ。観るのと撮る、作るとの違いは実に大きい。YouTuberになりたいと思って「YouTu部」に入部すると、ほぼ1日でその夢は夢であることがわかります(笑)。

 昔からなんちゃって映画(っぽい作品)を撮ってきた私でさえ、YouTube用の動画の世界は全く違うと感じます。芸術を求めちゃいけませんね。

 

Amazon iPhone用アップグレードキット

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2020.07.30

MOZA ジンバル Mini-MI

Th_613vpzfetrl_ac_sl1500_ 校のオープンスクールをオンラインでやる!と宣言してしまったので、さあ大変(笑)。

 ちょうど新設した「YouTu部」という部活の生徒たちと、ドタバタの毎日を送っております。8月1日が本番です。30数本の動画を完成させて前日までにはアップしなければならない。

 まあ、「言い出しっぺ」ですから仕方ないですね。

 そんな中、撮影の際に非常に役に立っているのが、2年前に購入してあったこのジンバル。あまり使わず眠っていたのが急に目覚めた。

 iPhoneで撮影するにあたって、このジンバルがあるのとないのとでは、あまりに作品の出来が違います。

 簡単に言うなら、これを使えば、走りながら撮っても画像は揺れないということです。

 特に自分がインタビュアーになって撮影する時にはいいですね。これを振りかざしながら質問したり突っ込んだりする。

 中国のおかげで、ホントこういう優れた製品が安く手に入るようになりました。かつての日本の得意分野はみ〜んな持っていかれましたね。

 実際、製品の質は高く、また連動するアプリの操作性も良い。これが1万円ちょっとで買えたなんて…今では1万円以下ですよ。

 このMini-MIのいいところは、撮影しながらiPhoneにワイヤレス充電できるところです。動画の撮影ってけっこうバッテリー食うんで。

 極端な話、これとiPhoneがあれば、それなりの映画が撮れてしまうでしょう。

 

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2020.07.29

『向田邦子 イノセント きんぎょの夢』 三原光尋監督作品

Th_61n0aztkbpl_ac_ul320_ 日の無垢な富田靖子さんから、本日は「怖い」富田靖子さんへ。

 いや、ホントに怖かった。女は怖い…。

 不倫される奥さん役を富田さんが演じているのですが、その淡々とした狂気ぶりが怖いのなんのって。

 狂気といえば、映画「十字架」での、息子をいじめ自殺で失った母親役も、ある意味怖かったなあ。うまいと思います。感情を殺した狂気。能の世界にも通じます。

 一方の主役、中越典子さん演ずる不倫相手の女もしたたかですが、しかし最後は「妻」の「勝ち」で、中越さん、なんか可哀想になってしまいました。

 というか、男って馬鹿で情けないですね〜。

 なんとこのドラマを家族4人で観てしまったのですが、最後は口々に「胸くそ悪い!」と、「男」が責められる責められる(笑)。

 向田邦子さんの原作「きんぎょの夢」は読んでいません。しかし、やはり向田邦子さんは「女」を描く天才です。それはこのドラマでも充分伝わってきました。

 このシリーズ、ちょっと怖いけれども全部観てみようかな。何が「イノセント」なのだろうか。

Amazon 向田邦子 イノセント きんぎょの夢

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2020.07.28

『BU・SU―富田靖子フォト&エッセイ』

Unknown ょっと気恥ずかしいのですが、これが届きました。

 50過ぎたオジサンが隠れて見ていると思うと気持ち悪いですよね(笑)。

 しかし、実際には一番喜んでいるのは、高校3年生の次女なんですよ!

 これは嬉しい誤算でした。

 とにかく「可愛い、可愛い」と萌えまくっています。娘が。

 いきなり「パパ、ありがとう!」って言ってくれちゃいましたからね。お前のために買ったんじゃないよ(笑)。

 映画好き、かつ日本の伝統芸能を志して厳しい稽古をしている次女は、たしかに「BU・SU」はハマる要素が満載ですよね。

 いや、本当に私も毎月1回は観てるんですよ、「BU・SU」を。最高の映画です。

 そのフォト&エッセイですから、これはたまりません。もちろん中古で買いました。

 当時の富田靖子さんの素は、元気で明るい女の子でした。18歳なのかな、当時。エッセイの内容はそれにふさわしく他愛もないものです。

 それと、映画「BU・SU」でのあの影のある不思議な存在感のギャップがたまりません。この写真集の中でも、そういう表情と素の表情のコントラストが素晴らしい。

 返す返すも、「BU・SU」が手軽に鑑賞できないのは残念です。今の高校生とかに絶対観てもらいたい名作なんですが。

 最近も明るく元気な役柄で、いろいろな若手女優のお母さんになっている富田さん、17歳当時のいい意味で「他愛のない」インタビューがありますので、どうぞご覧ください。

 うん、やっぱり、可愛い…。

 

Amazon BU・SU―富田靖子フォト&エッセイ

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2020.07.27

三浦春馬 『Night Diver』

 

 のMVが遺影になってしまいました。

 特別ファンだったわけではありませんが、どうも彼の人生が気になってしかたありません。

 それこそ、私のようなモノが何かを詮索して何かが始まるわけでもありませんが、なんでしょう、このコロナ禍ということもあるのでしょうか、彼の生と死のインパクトは想定外に重いモノを投げかけてきます。

 佳人薄命。10年前、志村正彦くんを失った時と同じような感覚があります。享年もほぼ一緒。男の、それもおじさんの私の魂を揺さぶる、なんなんでしょうか、この美しさは。

 おせっかいかもしれませんが、これから彼の出た作品を繰り返し鑑賞してみようと思います。志村くんが時間をかけて大切な何かを伝えてくれた、いや今でも伝え続けてくれているように、三浦くんもまた崇高で永遠なメッセージを送ってくれそうな気がします。

 あらためてご冥福をお祈りします。

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2020.07.26

『君に届け』熊澤尚人監督 三浦春馬・多部未華子主演作品

Th_71g785dc4pl_ac_ul320_ 日に続き、夜中に映画を鑑賞。

 きっかけは…今日長女が松浦亜弥さんの歌う「渡良瀬橋」の動画を観ていたからです。

 渡良瀬橋といえば、「八雲神社」。八雲神社といえばこの映画です。

 ふと思い出して、何年ぶりかに鑑賞しました。

 初見の時も、それなりに青春の「友情」ストーリーに感動したのですが、今回は、三浦春馬くんのことがあったので、当然彼の演技というか、生き様に目が行ってしまいました。

 なんか、この映画の風早くんのキャラも、ある意味現実味がないほどにいい人だし、爽子ちゃんのキャラはそれに輪をかけて純粋で、こうなってみると、なにかそこに三浦春馬くん自身を見ているようで、けっこう辛くなってしまいました。

 そう、知り合いの、純粋でまっすぐな役者さんも言ってましたっけ。「役がいい人すぎて現実の自分がきつい」って。ふぅ。

 この映画って、恋愛の話じゃないんですよね。やっぱり友情の話ですよ。

 もちろん、こんな自分でも高校時代、下手くそな恋愛(片思い)をして、無駄に切ない思い出を残してしまったクチですが、それでもやはり、この映画で共感するのは「友情」の部分ですね。特に女子の友情。やっぱり恋愛よりも友情の方が尊いなと。

 ふと、三浦くんのリアルな恋愛はどうだったのかな…などと余計なことを考えてしまいました。

 あっ、そうそう、もちろん個人的目的でもある、友情出演している富田靖子さん、昨日の作品同様いい味出してます。

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2020.07.25

『もらとりあむタマ子』山下敦弘監督作品

Th_81y9bhuzcyl_ac_ul320_ 梨県は甲府が舞台の映画。

 その甲府で、元AKBの前田敦子さんが実にいい「ぐーたら」ぶりを発揮しています。

 元アイドルが女優に転じていくためには、たしかにこういうイメチェンのきっかけが必要でしょうね。

 というか、私は彼女が14歳の時から見ていますが、正直トップアイドルになるとは思えませんでした。

 しっかりしている子だなとは思いましたが、正直トップアイドルに必要な要素はあまり見つけられなかった。

 まあ1期生は全体にそんな感じであり、そこからのシンデレラストーリーが庶民の共感を生んだのかもしれませんがね。AV女優になっちゃった子もいたし(笑)。

 そういう意味では、シンデレラがいきなり髪ボサボサのニートに落ちぶれるという落差もまた、私たち庶民にとってはある種のカタルシスなのかもしれませんね。浮き沈みの疑似体験。

 もともとこの映画を観たのは、いつものとおり富田靖子さんを鑑賞するためだったのですが、これもいつものとおり、結果、未知の名作映画に出会うことになりました。富田さんには感謝です。地味だけれどもいい映画にたくさん出ているんですよね。

 この映画の舞台になっている「甲府スポーツ」さんは実在するお店です。私も場所は分かります。店名そのままで登場するっていうのは珍しいですよね。一時的にであれ、あっちゃんが生活したというのはすごいですね。

 映画撮影時や公開時にはきっとすごい評判だったと思いますが、もう今では元の静けさを取り戻していることでしょう。これもまたある種のシンデレラストーリーか。

 その他のロケ地も全て甲府周辺。なんの変哲もない地方都市の日常的な風景が、なんとも懐かしく感じられます。必要以上に絵にならない街なんですよ、甲府って。それが良い。風情がないとも言えますけど。

 ターニングポイントになる駅は「春日居町駅」ですね。これまた普通すぎてどうしようもない。そしてそれが良い。だいたい映画の中の駅って、主張が強いんですが、ここは違う(笑)。

 短い作品ですので、軽い気持ちでグータラしながら観てみてください。唐突に終わったあとの星野源さんの主題歌、そして最後のカット、そこまでちゃんと観てください。なんか癒やされますよ。

 ただ、だれかも指摘していますが、食事の時の「ものを食う音」が大きすぎて、ちょっと不快でした。演出の意図は分かりますけれども、それにしても大きすぎでは。

 

 

 Amazon もらとりあむタマ子

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2020.07.24

『人生で大切なことはオカルトとプロレスが教えてくれた』 大槻ケンヂ・山口敏太郎 (角川学芸出版)

Th_518qaxt0owl 日からの流れでこの本をおススメしますね。

 いやあ、この本、めっちゃ面白いですよ。そして納得。さらに救われた。

 昭和41年生まれ、オカルトとプロレス大好きなお二人の対談。同世代、同趣味、共通体験者として大いに楽しませていただきました。

 昨日の「ノストラダムス」についても当然触れられています。

 ノストラダムスは「メメントモリ」(死を思え)という考え方を俺らに叩き込んでこれましたよね。

 という大槻さんの言葉に完全に同意いたします。小学生の私にとっても、ノストラダムス体験は、ある種の宗教的な通過儀礼でした。

 あと、昨日紹介した映画「ノストラダムスの大予言」についても大槻さんが語っています。それを読んで分かったのですが、昨日紹介した動画って、ノーカット・バージョンなんですね!やばい、そうだったのか(笑)。

 この本全体を通して語られる「人生で大切なこと」とは、すなわち「変なモノ、理解できないモノ、怪しいモノ、嘘というモノを切り捨てず愛する」ということですよね。

 たしかに90年代、平成になってからは、そういう「モノ」を許さない「コト」社会になってしまい、実に面白くなくなってしまった。その後の揺り戻しで多少は良くなったとは言えども、やはり変な現実(コト)主義がはびこっているような気がしますね。

 当時の少年たちは、みんな「オカルト」と「プロレス」の洗礼を受けて大人になり、今の社会を支えています。しかし、結果として「コト」社会になってしまい、「モノ(ノケ)」が排除されるようになってしまったのはどうしてなのでしょう。

 やはり、みんな「大人」になってしまったのでしょうか。その点、私はいまだに中二病どころか(幼稚園の)年中病です(笑)。だから、自分の中では宇宙から来た地球を救うヒーローのつもりで、毎日現実と戦っているのです。

 と言いつつ、仕事柄もありますし、いちおうこの世でフツーに生きていかねばならないので、それなりに客観的に自分を観ているところもある。それこそが、たしかにオカルトとプロレスから学んだ生き方なのかもしれませんが。

 この本には、当然、出口王仁三郎も出てきます。山口さんが王仁三郎と宮崎滔天の関係について面白い情報を書いてくれていますが、こちらに書いたように、宮崎滔天の長男宮崎龍介と王仁三郎は深い関係があります。宮崎滔天から王仁三郎に依頼があったのかもしれませんね。

 この本、面白く笑える記述がたくさんあったのですが、一番笑ったのは、ザ・ドリフターズの「いい湯だな」は「いいユダヤ」だという話(笑)。ドリフターズという名前自体が「失われた10支族」を象徴していると。

 さらにその話の続きで、「最近のウイルスも…歯磨けよ、手洗えよ…カトちゃんがリスクヘッジしてた」、「人工ウイルスが一番熱い」というくだりは、最近の状況からしてちょっと笑えない良くできた「陰謀論」ですね〜。

 プロレスとオカルトを通じて、相手や相手の考えを叩きつぶさないことをみんなが学んだ…(大槻)

 なるほど、そこに「和(にぎ)」や「言向け和(やわ)す」の精神が息づいているのですね。いい時代に生まれ育って良かった。

Amazon 人生で大切なことはオカルトとプロレスが教えてくれた

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2020.07.23

追悼 五島勉さん

Th_as20200721002768_comml 「ストラダムスの大予言」の五島勉さんが亡くなったとのこと。

 私たちの世代は彼にとんでもない影響を受けました。いわゆる70年代のオカルト・ブームの中心にあったのが「ノストラダムスの大予言」。

 結局その後、私は出口王仁三郎に到達するわけですが、同世代の中にはオウム真理教に向かってしまった人たちもいました。正直、両者には大差はないと思います。

 高度経済成長や米ソ冷戦の中、「地球滅亡」の予感というのは、大人子どもを問わずあったと思います。その不安から逃れる一つの方法が宗教であったということでしょう。

 一方で「1999年7月」という近未来のタイムリミットに向けて、ある種爆発的であったり、退廃的であったりする文化、アートも生まれました。私はそちらの方向にも行きました。

 そして、そうした志向、嗜好、思考は、タイムリミットを過ぎた今でも続いています。まさに人生の原点が「ノストラダムスの大予言」にあったのです。五島さんのおかげです。けっこう楽しいので(笑)。

 そしてコロナ。解釈や計算のしかたは自由ですから、ノストラダムスの「1999年7月」が実は今であるとも考えられます。また、予言あるあるですが、ノストラダムスの予言の中に今回のコロナウイルスに関するものがあるとの「後出し」解釈もあります。

 こんな時に、五島さんが亡くなったのも、なにか象徴的なような気がしないでもありませんね。これも統合過剰ですか。

 女性自身のライターであった五島さんが、どのようにベストセラー作家になり、そして多くの日本人の人生を変えてしまうに至ったのか、文春オンラインのこのロング・インタビューを読むとよく分かります。

 【追悼】伝説のベストセラー作家・五島勉の告白「私がノストラダムスを書いた理由」

 自身の意思とは無関係に人生が転がっていくのを見ると、やはり五島さんには使命があったのだなと感じますね。

 「ノストラダムスの大予言」と言えば、封印されてしまった映画も忘れてはいけませんね。今見るとなかなか面白い作品ですよ。五島さんの原作からは大きく離れてしまっていますが。

映画 ノストラダムスの大予言−1

映画 ノストラダムスの大予言−2

 冨田勲さんの音楽も良い。丹波哲郎さんも、このあと出口王仁三郎に向かっていきましたね。晩年耀わんを手に入れて喜んでおられましたっけ。

 ところで、オウム真理教によるこのビデオもある意味すごいですね。こういうメディア戦略は、まさに出口王仁三郎の影響を受けてのものでしょう。つくづく私の人生も紙一重だと感じますなあ。

ノストラダムス 秘密の大予言−1

ノストラダムス 秘密の大予言−2

 そういえば、仲小路彰もノストラダムスについて言及していたように記憶しています。それについては、いつか発掘して紹介できればと思います。

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2020.07.22

ビリー・ジョエル 『素顔のままで』

Billy Joel - Just The Way You Are

 

 が家では常に音楽が鳴っております。そのジャンルは…正直書ききれないほど幅広く、それを家族4人で共有しています。もちろんそれぞれの趣味はあるわけですが、お互いのそれらを否定することなく、それどころか興味津々で聴き入っています。

 そんな日常の中、4人ともが最高の賛辞を送ったのがこの曲。

 私は完全なるリアルタイム世代(中1)なので、残りの3人の女子に思いっきりうらやましがられました。私も調子にのって、この曲がヒットしていた時、あの曲もあの曲もヒットしてたんだよ〜と自慢し、ますます「いいなあ〜」と言われてお酒が進みます(笑)。

 まあ、たしかにこの曲は神曲ですね。もう数千回聴いているのではないかと思いますが、全く飽きないという意味では、たしかに特別な曲です。

 ビリー・ジョエルらしいと言えばらしいけれども、よく考えてみると他に似たタイプの曲はなく、もともとアルバムに収録されない予定だったということも含めて、ちょっと異端児的な存在なのかもしれません。

 ローズ・ピアノのイントロ、サックスの間奏や後奏も完璧。ちなみにこの東京ドームのライヴを選んだのは長女です。これもたしかにいい演奏ですね。原曲のアレンジは、10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」の影響大ですよね。

 とても自然に耳に入ってくる曲ですが、コード進行的にいうと、素直にドミナントやサブドミナントが出てこないあたりが、なんとも言えない浮遊感を醸していて、クラシックにも精通しているビリー・ジョエルが、あえてそれらしくない曲を作ったのかなという感じがします。ちょっと分かりやすくなるBメロの後半は、ちゃんと大胆な転調してますし。

 逆にいうと、いわゆるクラシックのコード進行って飽きるんですよね(笑)。

 まあ、中学生の時から惚れ込んでいるこの曲を、世代の違う家族とこれほど深く共有できるなんて、あの頃は夢にも思いませんでした。幸せなことです。音楽は素晴らしい。感謝。

 ちなみに、私は「素顔のままで」よりも「そのままの君が好き」という邦題が好きでした。

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2020.07.21

『宇宙人なんて存在しない!?』

 

 日の記事の自分を思いっきり否定します(笑)。

 東大の地球惑星科学で博士号を取り、今は「東大宇宙博士」としてタレント活動をしている井筒智彦さんの動画です。

 井筒さんの宇宙に関する分かりやすい動画は、時々私も観ています。井筒さん、お話がうまいですね。

 この動画は「宇宙人なんて存在しない!」と題されていますが、井筒さんは別に宇宙人否定論者ではありません。今回は、たまたま否定派のりロ物理学者ポール・デイヴィス氏の説を紹介しているというわけです。

 なるほど、私も趣味で天文をやってきましたが、たしかに天文をやると「楽観的」になるかもしれませんね。地球という存在は別に特別ではないと。

 それに対するポール・デイヴィスの説もなるほどと思えます。私も大人になりましたな(笑)。

 最新の世界の研究でも、どちらかというと宇宙人や地球外生命の分が悪くなっているようでして、私も多少肩身の狭い思いをしております。

 まあ、私が高城剛さんとの対談で披露した話は、単なる私の脳内リアルに過ぎず、別に他の人に理解してもらおうとは思っていませんし、私自身けっこう客観的に「これは一つの障害か病気ではないか」とも思っています。しかし、それほど人様に迷惑をかけておらず、どちらかというと楽しんでもらえているようなので、まあ放置しておきますわ(笑)。

 ただ、ロマンとして、やはり宇宙人と会ってみたい、仲良くなってみたいという夢はありますよね。地球に来るほどの高度な科学と文明を持っているのならば、当然その精神性の次元も高いはず。地球を侵略してくることなどないと信じます。

 ところで、宇宙人と地球上の生物の話といえば、今年のはじめにこんな記事も書きましたっけ。ウイルスは地球外生命体かもしれない、いやお猫さまも(笑)。これもまたロマンと言えばロマンですね。

「宇宙人は存在する、地球にいる可能性も」

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2020.07.20

田端信太郎が語る「高城剛」

 

 端大学学長、田端信太郎さんが尊敬する師匠は…高城剛さん。

 この動画では、高城さんのすごさを非常に端的(田端的に)語ってくれています。

 私も、今最も尊敬する「友人」が高城剛さんです。あえて「友人」と言わせていただきます。

 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、3年前の私と高城さんの出会いとその後の展開は、本当に運命的なものでした。

 宇宙人同志との再会・対話

 富士北麓来訪

 その後も宇宙人忘年会にゲストとして駆けつけてくださったり、本当にいろいろな場面で私も豊かなヴィジョンとパワーをいただいています。

 彼とは今も現在進行形で、ある地球的なプロジェクトを推進しています。というか、私の役割はもう終わりかな。高城さんを動かしたところで。

 田端さんが言うとおり、いやそれ以上に、本当に高城剛という男はとんでもない天才です。そして人格者です。

 メディアにはほとんど顔を出しませんから、なかなかその偉大さが伝わりにくいかと思いますが、やはり田端さんも言及しているメールマガジンを購読することが一番ですね。

 毎週金曜日の夕方に、自分の人生が変わる。そんなすごい情報満載です。まさに、現地・現物・現場、実体験の情報ですから。

 これからの世界、未来の自分に興味がある方はぜひご購読を。

高城剛のメールマガジン 高城未来研究所「Future Report」

 ちなみに、ありがたいことに「神回」と評されたらしい、高城さんと私の幻の(今は聴けない)ラジオ対談をお聴きになりたい方はメールにてご連絡ください。

 

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2020.07.19

今年は冷夏か(神風吹く?)

Th_-20200721-111823 た予言が当たりそうです。ある意味大外れですが(笑)。

 今年は冷夏になるかも、という記事が出ていました。なんでも1993年の大冷夏以来の低温状況なのだとか。

 てか、1993年ってそんな大冷夏でしたっけ。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というか、まあ一昨日の夕ご飯も思い出せないのが人間です。

 昨年の夏はやたら暑かった記憶だけありますが、実は7月中旬まではけっこう梅雨寒でした。梅雨明けしたあと猛暑。それがちょうど「来年のオリンピック」の期間にあたっていたから、みんな心配したんです。

 ちなみに一昨年は梅雨がはっきりせず、7月8月ずっと猛暑でした。「再来年のオリンピック」大丈夫か?っていう話でした。

 そんな時、私はこんな記事を書いているんですね。忘れてました(笑)。

辻田真佐憲 『東京オリンピックは「太平洋戦争化」してしまうのか?』

 ここで私は、こんなたわけたことを言っています。

 案外ですね、「神風」が吹くかもしれませんよ。つまり冷夏になる。ホントにありそうだから、日本という国は恐ろしい(笑)。
 昨日、ある政治家秘書の方から、「先生、出番ですよ!」と言われました。五輪に関する話です。もしかして、私のお役目は「神風」すなわち「涼風」を吹かせることなのかもしれませんね。

 そして、どうも今年は「神風」が吹くらしい。私が吹かせたのかもしれない(笑)。いや、実はこの「2020年冷夏説」は、ずっといろいろなところで主張(予言)してきたのです。

 しかし!笑えるのは、それが当たったとしても、五輪がなくなってしまうというところまでは正直予知できなかったところです。おいおい、一番大事なところじゃないか!w

 いやいや、人事については予知できないが、天命については予知できるということかもしれません。「未来の記憶」の性質ってそういうモノなのかもしれません。

 と言いつつ、結局梅雨明けに猛暑になる可能性もありますから予断は禁物です。ちなみに24日(空しい)スポーツの日が開会式で、8月9日が閉会式の予定だったのですよね。それまでに梅雨が明けるかどうか。

 いえいえ、実はもっと大きなスケールで私の予言は当たるかもしれない(?)。すなわち、2021年の東京オリンピックも開催されず、2032年(以降)に改めて開催され、その年が冷夏になるかもしれないのです。というか、それ以前に地球は寒冷化しているかもしれません。

 ただ、もし今年が冷夏だったら、「オリンピックやってたら最高だったのにな」ということにはなるでしょう。その時は、みんなで空しく笑いましょう。人間なんてちっぽけな存在だなあと。

 ちなみに、上掲の2年前の記事に次のように書きました。

 軍隊文化を最も引きずっている、いやそれを死守してきた甲子園も、自然の猛威という「神」の力によって修正を迫られている

 これもまたある意味当たったけれども、ある意味「死守」も続いていると言えるでしょうね。いずれにせよ、自然の猛威という「神」は、かなりお怒りのようです。「神風」も人間の都合の良いようには吹かないということでしょう。

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2020.07.18

追悼 三浦春馬くん…『山形スクリーム』 竹中直人監督作品

Th_81cjobausxl_ac_sy445_ んで…。三浦春馬くんが亡くなりました。

 役者として高く評価していただけにショックです。これからだったのに…。

 10年前の志村正彦くんを失った時に近い虚無感に襲われています。

 彼もまた、仕事に対して、人生に対して、まじめすぎたのでしょうか。

 追悼の意を込めて、彼の出演している映画のどれかを紹介しようと思ったのですが、なぜかこれが思い出されました。

 この、最初から最後までくっだらない作品の中で、唯一「死者(落武者・ゾンビ)」にならない村人が、実は三浦春馬くんなのです。

20200719-70841 2009年のこの映画では、友情出演でコンビニの店員役をやっていて、ほんの数秒ですが、竹中直人の落武者ギャグにまじめにつきあっています。

 本当に全出演者がふざけた演技に終始している中、唯一まともな演技をしているのが彼なのです。

 なんか、それが急に思い出されまして。この時まだ19歳か…。

 この作品、映画マニアの竹中直人さんが、様々な国内外の名作のオマージュを散りばめながら作った、コメディーホラーです。

 夏休みに田舎を訪れた都会の女子高生グループが巻き込まれる恐怖体験ドタバタ劇という意味では、全体がすでに大林宣彦監督の「HOUSE」のオマージュとなっていますね。

 各種ゾンビ映画、八つ墓村、ブレードランナー、マーズ・アタックなどの名作をそのままパクったようなストリーやシーン、セリフも満載。

 逆に言えば、それなりの映画好きでないと、この作品のB級さ加減が分からないでしょう。すなわちC級のドン引き映画にしか感じられないかも。

 そんな映画愛にまみれたこの明るい作品に、一人まじめに参加している三浦春馬くん。なんとなく寂しそうに見えてしまった。

 向こうではたっぷり映画や芝居に愛され、難しいこと抜きに楽しんでください。ご冥福をお祈りします。

 

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2020.07.17

キース・ジャレット・トリオ 『オール・ザ・シングス・ユー・アー』

Keith Jarrett Trio - All The Things You Are

 

 ッハのコラール前奏曲と同じだな、と気づいたので紹介しておきます。

 私も大好きというか崇拝し、何度も生で聴いたというか参拝したキース・ジャレット、ゲイリー・ピーコック、ジャック・デジョネットのトリオ「Standards」。

 彼らの試みは、たしかにバッハのコラール前奏曲に近いかもしれない。誰もが知っているスタンダードのメロディーを素材にして、全く新しい世界を構築したわけですから。

 昨日の記事でいうモノとコトの関係で言うなら、この曲なんかいい例ですよね。私も大阪城ホールで生で聴いた記憶がありますが、このイントロのピアノ・ソロ(インプロヴィゼーション)の部分は、最初は全く何が始まっているのか分からない。調性も拍子も分からない。雲や霧の合間から光が差し、風景が次第に見え始めるように、あのスタンダードのコードやメロディーが浮かび上がってくる。

 この快感は、それこそ宗教的な「何か」に近い気がします。イントロのインプロヴィゼーションからテーマに入った瞬間の、あの快感ですよ。

 トランスクリプションがありましたので、参考にどうぞ。まあ楽譜にするとつまらなくなるという一面もあるのですが。

 そして、このトリオはその後、またテーマからだんだんと遠ざかっていく。すなわち複雑な変奏とアンサンブルによって、私たちは再びモノ世界にいざなうのですね。

 そしてそして、ドラム・ソロまで行って、最後にまたテーマが戻ってくるあの瞬間の恍惚。すごいなあ…音楽って。

 音楽のこういう「回帰性」や「モノとコトの関係性」の中に、宗教や人生や幸福のヒントがあるような気がするのですが。

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2020.07.16

バッハ 『「来ませ、聖霊、主なる神」に基づくファンタジア BWV 651』

J.S. Bach - BWV 651 - Fantasia super: Komm, heiliger Geist

 

 の演奏を聴いた時、あれ?これなんだっけ?と思いました。あまりに残響が多いため、最初テンポもリズムもわからず、ただ「音響の総体」に包まれたような感覚でした。

 ペダルにコラールの旋律が出てきて、ようやく「ああ、あれか!」と気づきました(曲名などは出てきませんでしたが)。

 そこでもう一段上の気づきがあったのです。なるほど、これがバッハの意図か!と。

 当時はほとんどの人がこれを教会で初めて聴いたわけですよね。この豊かすぎる音響の中で初めて。

 パイプオルガン自体が、まるで現代のシンセサイザーのように多様な倍音を調合することによって「音響」を作り出す楽器です。そこに加えてこの教会の過度な残響。録音では捕らえきれない倍音の反響もあるでしょう。

 当時の聴衆、すなわち信者さんたちは、その未知のモノに一瞬包まれ、まさに天上に導かれるような感覚に陥ったに違いありません。そこに、よく知ったるコラールの旋律…もちろん記憶としての歌詞も再生されるに違いない…という既知のコトが、光の向こうから現れ、そうして天地人がつながる。

 多くのコラール前奏曲やコラール幻想曲が、そのような構造と機能を持っていたのでしょう。

 バッハ自身は、そこを一つのエンターテインメントと考えていたのかもしれません。自他にとっての。つまり、いかに登場するコラールを予感させないかという挑戦、クイズとしての楽しみですね。

 バッハがこれを作曲している時の、あるいは前の、脳みその中を覗いてみたいと思いますね。AIには難しい作業でしょうから。

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2020.07.15

バノン氏「中国との情報戦・経済戦に勝たなければ米中はキネティック戦争へ」

 

 日からの流れで、この動画を紹介します。

 米中の情報戦はかなり激しくなっています。トランプの懐刀とも言えるこのバノンさんのインタビューを聞けば、よくわかるでしょう。私たち日本人の感覚よりずっと「戦争」は進んでいます。

 このブログの読者の皆様は、ここでのバノンさんの言葉の全てを信じるようなことはないと信じますが、なんの知識もなく、ある意味偏見なくこの力強い言葉の群れを浴びれば、ふだんマスコミ(メイン・ストリーム・メディア)の情報に晒されている人ほど、すぐにバノン応援団、すわなちトランプ支持になってしまうでしょう。そこまで行かなくとも、反中、反共のマインドがセットされてしまうのは間違いありません。

 ちなみにこの米中戦争(第三次世界大戦の端緒?)についての私の考えは、以下の記事等に書いたとおりです。

新型コロナウイルス情報 その5

新型コロナウイルス情報 その6

 これを読めば、バノンさんの言葉の「力強さ」の真意が分かるでしょうね。それはすなわちトランプさんの意思、アメリカの民意でもあります。そして、そこには多くの「嘘」と「洗脳」が潜んでいます。

 こういうことを書くと、お前は親中か、共産党員か、コミンテルンの回し者かという批判も飛んでくるのですが、それこそメディア・リテラシーのない方の妄言でしかないので、別にダメージもありませんし、逆に笑いを提供してもらいありがたく感じるだけです。

 私は米中どちらも恐るべき「戦争国家」だと思っていますが、まだアメリカの方が中国よりましだと思っていますからね。

 繰り返しになりますが、昨日書いたように、時空を拡張した高次元的視点から物事を見なければ、本質は見えてこないということです。

 キネティック戦争とは物理的な戦争、すなわちドンパチのことでしょう。しかし、ウイルス兵器戦は現在進行形ですから、とっくにキネティックの領域に入っていると思いますよ。今はジャブ程度ですが。

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2020.07.14

武田邦彦 & 宮沢孝幸 が語る「コロナ」

 

 型コロナウイルス感染症について、久しぶりに書きます。

 今までいろいろな裏情報(?)を書いてきましたが、最近感じるのは、1月末、一番はじめに書いたことが現実味を帯びてきたなということです。

ウイルスは情報兵器?

 つまり、今回の騒動は「ウイルスをネタにした情報戦争」だということです。

 この動画でも語られているとおり、今回のCOVID-19は、それほど毒性、危険性が高いとは言えません。つまり「騒ぎすぎ」によって世界が混乱している、特に米中の世界における地位と関係が大きく変わっているということです。

 どこかにも書いたとおり、これからの「戦争」は爆発物でドンパチやるのではなく、「足がつかない」方法によって静かに、そしてなるべく人命に影響がないように展開することが予想されます。

 そのスタイルの一つが「情報戦」。そして、それよりも効果的に「人のせい」にできるのが「ウイルス兵器戦」です。

 今回はそのハイブリッド戦争。新しい戦争に私たちは巻き込まれているのです。

 ですから、この良識あるお二人のご意見は、ほとんど「正解」ではあると思うのですが、それは「戦争はやめましょう!」という従来の叫びと同じく虚しく響くだけだというのが現実です。

 そうしますと、もう一つのメタな視点が必要になってくると思います。すわなち、全ての歴史上の戦争が「必然」であって、それはたしかにローカルには不幸な状況を作りましたが、時空的に広く高い視点から見ますと、やはり世の中の変革、それも人類の進化と言えるような変革を導いてきたというのも事実です。

 時々私が言います「荒魂」という、人間の立場からすると「必要悪」が発動しているのが、戦争であり、また自然災害であるわけです。

 ですから、私はこのピンチをチャンスにしたいと考えているのです。なかなか理解されないので苦しい場面も多いのですが、仲小路彰から学んだ未来学、逆視的歴史観、真のグローバリズムとコスミカリズムを通じて、この「戦争」の意味を解釈し、その上で決断し行動したい。

 少なくとも、この動画でも強調されているように、マスコミ、メインストリームメディアの言説だけに振り回されないようにしたいですね。
 

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2020.07.13

自転車の時代が到来?

↓ブリヂストン TB1e

Th_shopping 日は自転車好きの生徒と2時間ほど語り合いました。

 ここのところ30年ほど(!)自転車から遠ざかっていた私ですが、どういうわけか半年くらい前から急に自転車に興味が湧いてきています。

 生徒は自転車競技に興味があり、やはりいかに速く走るかに興味があるようでしたが、私は全く体力はないし、そちらの方ではなく、電動アシスト自転車でどこまで走れるかという「航続距離」の方に興味があるんです。

 今は車で、山の中から400メートルほど下って職場の学校に通っていますが、次女が卒業したら、つまり来年の春からは自転車で通勤しようかと思っています。当然、電動アシスト自転車で、です。

 朝はずっと下りですから、そこで回生充電して、帰りはその電力と私の貧弱な脚力で上り坂を登ると。そういうやり方で日々の充電をしなくて済むようにしたい。

 おそらくエネルギー効率上、それは無理だと思うのですが、そこにソーラーパネルによる太陽光発電などを組み合わせて、なんとかならないかと考えているのです。

 まあ、そんな個人的な趣味の話よりもですね、実際これから自転車が世界で見直されてくると思っているのですよ。

 一昨日紹介した「サバイバルファミリー」でも、緊急時にいかに自転車が有用であるかが表現されていましたね。自転車最強(特にロードレーサー)。

 実際、コロナ禍によって世界で自転車の売上げが伸びているようですね。東京なんかでも、あの満員電車での通勤や通学を避けて、自転車を利用する人たちがずいぶん増えたと聞きます。

 そのような感染症対策としても、また日常の健康のためにも、そして環境問題のためにも、自転車の利用が増えるということは良いことです。

 そして、テクノロジーのアシストのおかげで、たとえば私のような軟弱な人間でも自転車に乗ろうかなと思えるようになった。今後、安全対策などにもAIが使われ、老人や子どもも安心して自転車に乗れるようになるかもしれない。

 今後、自転車界にイノベーションが起きるとすれば、やはり気象(雨風や高温、低温)対策と転倒時の安全対策として、シールド型(密閉型)の自転車が生まれることでしょうか。私にはそういう未来が見えています。

 というわけで、私もそうしたイノベーションに少しでも寄与したいと思っていまして、今いろいろとアイデアをダウンロードしているところです。

 そして、まずは自分の手で、冒頭の「充電不要の電動アシスト自転車」を作ってみましょうかね(笑)。

電動クロスバイク TB1e

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2020.07.12

充電式クリップ扇風機

Th_610ilirankl_ac_sl1001_ バイバル関係…になるのかな。今日のネタは。

 高冷地にある我が家にはエアコンというものはいりません。猫がたくさんいるために、窓もちょっとしか開けられませんが、それでもなんとか我慢できます。夕方になると急に天然のクーラーが効いてきて寒くなりますから、それまでの辛抱。

 とはいえ、温暖化が進む最近では、さすがに扇風機がほしくなります。しかし、普通の大仰なものはいらない。そんな時、とっても役に立つのがこういうコンパクトタイプの扇風機です。

 特に充電式のものはいいですね。さっと運べるし、コードがじゃまにならない、というかコードがない。クリップの部分が台になるので、挟まなくともポンと置くだけでよい。

 満充電で最長40時間稼働すると書いてあります。まあ、中華製ですので話半分としても、普通に使うには充分すぎますよね。

 車の中で使うにも便利です。最近は車中泊をすることもめっきり減りましたが、車の中でもコードレスというのは便利です。

 さらにUSBの端子がついており、スマホなどを充電することができる。つまり、いざという時にモバイルバッテリー代わりにもなります。ウチの車は屋根にソーラーパネルを搭載していますので、一年中通じて満充電にしておくができます。何かと安心ですよね。

 以前持っていたコード式の小型扇風機は、風力は強すぎるくらい強かったのですが、音も大きすぎました。それに比べると、これはとっても静かですし、まあそこそこの、ちょうどいいくらいの風が来ます。

 ちなみに今ならクーポンで600円引きですから、2千円ちょいで買えます。今年の夏も暑そうですし、災害も多そうですので、ぜひ皆さんのお宅にも1台どうぞ。

Amazon OCOOPA 充電式卓上扇風機

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2020.07.11

『サバイバルファミリー』 矢口史靖監督作品

 

 「ラサイト 半地下の家族」が、次女の言うとおりイマイチな作品だったので、違う「家族もの」を観てみました。

 矢口作品は、「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」で、けっこう私の心をつかんでいました。先日紹介した「Shall we ダンス?」の周防正行監督と同様、というか時代性でしょうかね、ちょっとマイナーな分野に素材を求めつつ、そこに人間模様や成長を描くというパターンでした。

 この「サバイバルファミリー」は、ちょっとコンセプトの違う映画ですが、しかし矢口監督らしいユーモアやペーソスが満載で楽しめました。

 基本的に、この映画にリアリズムを求めてはいけませんね。なんで蓄電池も使えなくなるのか、とか。野暮です。

 しかし、面白いことに、コロナ禍に襲われた今この作品を観ると、そこに異様なほどのリアリズムを感じざるを得ないのです。

 全く想定外のことが起きた時に、人はどう行動するのか。パニックになった時にこそ、個人も、家族も、社会も、その本質が現れ、その本質に気づかされる。

 この映画で、水や食糧が急に高値になるあたり、このたびのマスクの高騰にもつながりますし、都会の脆弱さへの気づき、田舎への回帰という現象も、今まさに起きています。

 電気が使えないということは、なかなか想像できませんよね、日本人には。しかし、考えてみると、世界中にまだ電気の通っていない所はたくさんあります。そこでの自分を想像すれば、このおとぎ話は決して夢物語ではないということが分かるでしょう。

 そう考えていくと、蓄電池が使えないというのは、長期的に見れば当然起こりうることであって、それを象徴的に描いていると思えば、別に矛盾や無理はありません。

 ちなみにウチでは、すでにここ数年、冷蔵庫が壊れ、ボイラーが壊れ、ガスコンロが壊れ、テレビが壊れ、トイレも不調だったりして、けっこうサバイバルファミリーしています(笑)。

 それでも、特に不便も不満もないウチのファミリーは、かなり想定外の災害に強い方だと思います。まさに生き残るしぶとさを持っているのではないかと自負しています。

 心配してくれる方々もいますが、そう、この映画の時任三郎ファミリーのように、この状況を楽しめればいいんじゃないでしょうかね。

 なんとかなるモノです。想定外の「モノ」には、過去の知識(コト)で対処するのではなく、未来可能性的な「モノ」で処するのが良いのではないでしょうか。

 そうすると、小日向文世さん演ずるダメダメ(と言われる)お父さんこそ、サバイバル能力に長けていたのかもしれません。無責任な「俺についてこい」的勢いが最強だったりして(笑)。

 ところで、エンディングテーマのフォスターの名曲「Hard Times Come Again No More」がいいですね。ミッキー吉野さんの編曲がお見事。歌はゴダイゴのドラマー、トミー・スナイダーさんの娘さん、SHANTIさんです。



 

 

Amazon サバイバルファミリー

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2020.07.10

フジファブリック 『モノノケハカランダ』

 

 日は志村正彦くんの40回目のお誕生日。

 彼の同級生の子どもたちがウチの幼稚園に通っていたりして、もし彼が生きていたら…などといろいろ考えてしまいます。

 志村くんのすごさ、志村楽曲の素晴らしさについては何度もこのブログで語ってきましたが、まだまだ日々新しい発見があり、そういう意味では彼は今でも生きていて、私たちにいろいろな影響を与え続けていると言えます。

 地元でご縁のあった者として、これからもずっと彼のことを愛し続けたいと思います。

 さて、ここのところの「コトを窮めてモノに至る」話の続きです。志村正彦というモノノケが遺した最高のモノノケソングは、やはりこれでしょう。その名も「モノノケハカランダ」。

 この曲については、彼が亡くなって少したった頃、10年前の節分の日に面白い記事を書いています。

心の鬼…モノノケハカランダ

 今日はその記事を自分でも読み返しながら、この永遠のモノノケソングを聴き直してみたいと思います。

 昨日のイチローに並ぶ天才ですね。志村くんは。日本が誇る天才ですよ。

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2020.07.09

『イチロー・インタビューズ 激闘の軌跡 2000-2019』 石田雄太 (文藝春秋)

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 れも間違いなくロゴスではなく「レンマ」だよなあ。

 コトを窮めてモノに至る。これをスポーツの中で体現して見せてくれたイチロー。彼の言葉は禅僧のそれのようだと、何度か書いてきました。その集大成。読み応えあり。

 第1章で、自らを評して「理屈で話を進めていくタイプ…理屈で理解させてくれないと、消化不良になってしまう」と語っています。

 しかし、そうした細部へのこだわり(コト)が、結果として総体(モノ)を理屈ではなく瞬時に捉え、コントロールするきっかけになっている。意識が無意識を生む。

 まさに職人、何かを「モノにした」人間ですね。そして、最終的に「モノになった」。

 うん、日本語は面白い。日本人は面白い。

 メジャーという「世界」の「総体」だからこそ、日本という「細部」が際立って見えましたね。イチローのそうした歴史的、文化的功績は多大です。

 「僕の言葉にウソはない」。言葉それ自体は元々フィクションですが、それがこれだけ集積して絡み合うと、そこに真理が立ち上がってくるから興味深い。

 しかし、私たち、イチロー自身でない人間にとっては、決してイチローの体感、体得した真理には到達できません。予感までです。だから、「ウソはない」という言葉を否定することは絶対にできないわけですね。

 そう、真理、つまり「まコト」は結局他者たる非我たる「モノ」だというのが、お釈迦様の究極の気づきであったわけで、そんな点からも、イチローレベルの賢者らの言が、どこか禅問答チックになるのは当然だと首肯されるのでした。

 ベースボールが輸入され、軍隊文化とともに日本化、日本的組織化、職人技化された「野球」が、その故郷に帰って大旋風を起こし、その風景を変えてしまったというのは、世界史上の様々な文化が輸入され、日本化され、そして逆輸出されていくに違いないという、仲小路彰が総体として捉えた日本の歴史的存在意義を象徴しています。

 そして、やっぱり「野球」は面白い。奇跡のスポーツ、いや文化です。何度も書いた記憶がありますが、この宇宙に、サッカーやバレーボールやテニスや格闘技に似たスポーツは、それこそ星の数ほどありますが、野球のような、様々な意味で不公平で不均等かつ、確率論的に絶妙なゲーム性を持つスポーツは、実はありません。宇宙人の私が言うのですから、間違いありません(笑)。

 うん、やっぱりこの本もまた、私のバイブルですね。

Amazon イチロー・インタビューズ

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2020.07.08

『レンマ学』 中沢新一 (講談社)

Th_31ccxdwlsxl_sx357_bo1204203200_ い頃、仲小路彰に影響を受けている中沢新一さん。細野晴臣さんらと山中湖に仲小路を訪ねていったこともありました(入院中で会えなかった)。

 そんな中沢さんの「レンマ学」と、ワタクシの「モノ・コト論」を並べるのもどうかと思いますが、不思議なモノでして、結果として仲小路彰の周囲をグルっと回って、コツンと出会ったという感じがします。

 もちろん、仲小路だけではありません。仏教や出口王仁三郎、そして富士山や山梨といった、ちょっと「なまよみ」なフィールドに迷い込んだ私が出会うべき先達が中沢さんだったのかもしれません。

 詳細はこの本を読んでいただくしかない。それこそ「全体」を一瞬で捉えて表現するような「レンマ的知性」も、展開して分析して並べる「ロゴス的知性」も持ち合わせていない私には、そう言うしかありません。

 ただ、時代がたしかに縁起をベースとする「レンマ的知性」を必要としているのは間違いありませんね。

 ワタクシ流に言えば、「コト」の時代は終わって「モノ」の時代が到来しようとしてる、いやそういう時代に回帰しようとしている、ということでしょう。

そう、古来日本語では、「ロゴス」のことを「コト」と言い、「レンマ」のことを「モノ」と言ったのです。「ことのは」の「コト」と「もののけ」の「モノ」。

 分析できない、意識化できない、言語化できないが、たしかにそこに「ある」「いる」感覚、徹底した他者性が「モノ」の本質です。自我が無になり、その無と有が一体化して「空」となる。そんなふうに、私はとらえています(間違っているかもしれませんが)。

 昨年でしたか、仲小路彰のことを中沢さんにお伝えしました。ご興味を持っていただいた、というか懐かしく思い出してくださったようですが、その後展開はありません。

 ただ、このコロナ禍の中で、ますます「レンマ学」が重要になってくるであろうことは間違いなく、その先達ともいえる仲小路彰の、独特な「グローバリズム」「未来学」も注目をされる時がようやく来たように感じます。

 また、ここ数日書いてきた音楽や言語における「モノ・コト論」も、この「レンマ学」の中でよりサイエンティフィックに語られています。

 けっこう読み応えのある大著ですが、それこそ脳みその「レンマ」的領域が刺激される快感が得られますので、ぜひご一読を。やはり「コトを窮めてモノに至る」なのだなあ。

Amazon レンマ学

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2020.07.07

『Shall we ダンス?』周防正行監督作品

Th_unnamed_20200708111501 日、本校の女子柔道部が栄えある「野口賞」を受賞しました。山梨の郷土研究や文化・芸術、スポーツに貢献した個人や団体に贈られる賞。生徒たちの頑張りを認めていただき、本当に嬉しく思います。

 さて、同時に文化・芸術部門で受賞されたのが、照明技師の長田達也さん。山梨が誇る映画界の巨人です(目立ちませんが)。いろいろな名監督と名作を作り上げてきた長田さん、昨年は芸術選奨文部科学大臣賞を獲っています。日本の宝ですよね(ちなみに、ジャンボ鶴田さんと同郷、牧丘町の出身です)。

 そんな尊敬する方と肩を並べたわけで、ますますこの賞の重みを感じているところです。

 さて、そんな我が校と長田さんの受賞を記念して…というわけではないのですが、この名作を久しぶりに鑑賞しました。

 ちょうど、映画好きの次女が「パラサイト 半地下の家族」を観て、「う〜ん、良かったけど、なんかしっくり来ない…特にラストが」などと言っていたところだったので、じゃあ文句のつけようのない日本映画の名作を観るかということになりまして、選ばれたのがこの「Shall we ダンス?」。

 私ももう何回も観ているのですが、ちょうど長田さんのこともあったので、今回は照明に注目しながら鑑賞しました。長田さん、この作品で1996年度の日本アカデミー賞最優秀照明賞を受賞しています。

 たしかに証明の効果が抜群の作品ですね。しかし、それは意識しないと分からない。特に最近、わざとらしい照明が鼻(目)につく作品が多いのですが、さすがそこは違いますね。

 長田さんが照明を担当した作品を初めて劇場で観たのは、おそらく「ファンシイダンス」だと思います。あれなんかも、今、照明に注目して観るとけっこう面白いですね。

 初期の周防作品は、マニアックな特殊世界を舞台にすることが多かった。そんな特殊世界、たとえばお寺にせよ、ボールルームにせよ、その「光」と「影」によって、その異次元感を表現できますよね。

 そこではある種の徹底したリアリズムが必要なわけです。もともとがフィクショナルな世界なので、それをリアルに描くことが大切。その点、この映画も実にうまく行っていると思います。

 会社や家庭という日常、ダンス教室という幽冥の境、そしてボールルームやダンスホールという「あの世」。それぞれの照明に徹底した工夫がなされていますね。

 まあ、普通に観ても本当によくできた映画だと思います。草刈民代さんのボー読みさえも、不思議な魅力になってしまうという(笑)。

 皆さんも、ぜひ、照明に注目してこの映画をご覧ください。

 そうだ、ハリウッド版(リチャード・ギア版)も観てみなきゃ。

 

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2020.07.06

『倍音〜音・ことば・身体の文化誌』 中村明一 (春秋社)

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 八、倍音つながりで、この本です。

 この本、本当に素晴らしい。共感するところがたくさんあります。

 冒頭の「はじめに」より。

 人間は、その歴史の中で、「目に見えないもの」を克服することによって前進してきました。

(中略)

 ところが、です。非常に身近なものであるにも関わらず、多くの人々が完全にはその存在に気づいておらず、またほとんど利用することができないものが残されています。

 それが「倍音」です。

 書き出しからして私好み。つまり「モノ狂い」(笑)。いや、冗談ではなく、「目に見えないモノ」「耳に聞こえないモノ」に対する異様な執着というのは、私も一緒ですから。

 著者の中村さんも、海山さんと同じくらい面白い経歴の持ち主。大学で応用化学を学び、ジミヘンや武満徹、そして横山勝也の尺八に衝撃を受け、弟子入りして尺八演奏家になり、バークリーでジャズや作曲を学んで最優等で卒業。

 横山勝也師に弟子入りした時の文章が良い。

 素晴らしい曲と演奏でした。美しいメロディーがあるわけでもない。当然のことながらハーモニーもない。周期的なリズムもない。それはいわゆる西洋的な「名曲」「名演奏」の概念を超えた、言葉にできないものでした。

 「コト葉にできないモノ」…やはり、音楽というジャンルにおいて、モノがコトを呑み込む様子を目の当たり、耳の当たりにしてきたに違いありません。

 私も東西の音楽を共に楽しんでおり、決して両者に優劣をつけるつもりはありませんが、少なくとも広さ、大きさに明らかな違いがあります。

 その象徴が、まさに「倍音」の扱い方にあるわけです。

 特に、整数次倍音よりも非整数次倍音とのつきあい方ですね。日本人は世界でもかなり独特です。

 そんなところから、中村さんの考察は、音楽を超えて、ことば、そして文化にまで及んでおり、それがもしかすると、ちょっとした「トンデモ」感を醸してしまっているのかもしれませんが、私からすると、まさに倍音の領域(高次元)でそれらは結びついており、全く不自然な感じはしません。

 身近にも尺八の優れた奏者がいますが、彼らに共通しているのは、西洋音楽もかなり深く理解し愛していることです。他の楽器の奏者よりも、それは顕著であり、結果として、東西を融合したり、さらにジャンルレスな音楽に向かったりしているように見えます。

 それこそ、日本人らしい思考、志向、嗜好であって、その全体像を説明するのに、たしかに「倍音」は良い例になると私も感じていました。最近も物理学者とその話をして盛り上がりました。

 昨日も書きましたが、それこそが「和」なのでしょう。今日は中国育ちの二人の若者と日本語の勉強をする機会があったのですが、そこで、中国語の「和」の話が出ました。日常的に「〜と〜」の「と(and)」という意味で使われるとのこと。

 なるほど、「和」は平等、水平的な意味を持つ文字ですね。優劣や高低や前後なく、自然に並び存する感じがします。

 日本語として「なごむ」「にぎ」「にき」「にこ(にこ)」「あえる」「たす」「やわす」「やわらぐ」などと読むようになったのもうなずけますね。

 さて、「倍音」、それも「非整数次倍音」とのつきあい方については、私はまだまだこれから楽しみをたくさん残しています。若い時は「整数次」という「コト」にこだわってきましたが、後半生は「非整数次」という「モノ」をじっくりたしなみたいと思っています。

 そんな私にとって、この本はバイブルですね。

Amazon 倍音

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2020.07.05

『海山 たけのおと』 デビット・ネプチューン監督作品

 

 日の藤圭子から、ジョン・海山・ネプチューンへ。テーマは和洋昇華と倍音。

 いや、和洋昇華は倍音のシステムそのものとも言えましょう。

 倍音というのは面白いもので、コト世界的には不協和な倍音が、モノ世界的には「音色」を作ったり、ある種の感情を惹起したりする。一見調和するコトのみ積み重ねても、ちっとも「味わい」がないから面白い。

 考えてみると、短調の感情(感傷)というのも、不調和な倍音から生じるのモノです。

 いちおう和洋両方の楽器をやってきました。和の方は言うまでもなく、洋の方も倍音の豊富な古楽やら、ディストーションのかかったロックやら、くずし字的なジャズなどを好んできた私は、その倍音世界に格別な「意味」を予感しています。

 それは人間や自然そのものの存在システムに通ずる「意味」でありましょう。学校数学のようなシンプルな美しさは、実は表層の出来事であって、「コトを窮めてモノに至る」のが宇宙の本当の摂理。実際、数学や物理の世界も、今やすっかり複雑系に取り込まれています。

 この映画の感動的なのは、まさにそうした「コト」と「モノ」によって、この世界が構成されていることに気づかされるからです。それも両者は峻別されているのではなく、すっかり一体化している。

 順序としては、次元としては、やはりコトがモノに呑まれていく感じ。それが「もののね」たる日本音楽によって見事に表現されており、それをジョン・海山・ネプチューンの生き様が象徴し、またそれを息子さんのデビットがしっかり記録している。

 非常に美しい世界だと思いましたね。こういう美しい世界の構造、システム、作法、風合いのことを「和」というのでしょう。

 海山さんは本当にジャンルレスなのですが、個人的には海山さんの尺八と弦楽四重奏の「和」が好きです。

 

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2020.07.04

藤圭子 『カスバの女』

Th_21497319 中湖村で三浦環の写真が大量に見つかったとのニュースを見て、さっそく「徳富蘇峰館」に行ってきました。発見された一部の写真が展示されていましたが、山中湖で撮られたものはほとんどないとのことで、私の興味のある仲小路彰や原智恵子との写真はありませんでした。

 正直、それよりも企画展の三島由紀夫の「詩」が面白すぎた。三島のフィクションの世界が現実に侵食していく感じがなんとも言えない。徳富蘇峰とは対照的ですね。

 さて、その当時の山中湖人脈についていろいろ書きたいことはありますが、今日はちょっとずれた記事にしてみます。

 夜、BSで藤圭子の秘蔵映像の番組がありまして、演歌マニアの家内と観て(聴いて)いたんですが、特に二人の印象に残った曲は、この「カスバの女」です。私は知らなかった。すごい歌詞ですなあ。

藤圭子

 

 めちゃくちゃ異国情緒ありますが、聴いた感じは「新宿の女」と変わらないところがすごい(笑)。「カスバ」とは、アルジェリアの要塞都市のこと。今では世界遺産になっています。

 映画「望郷」の舞台として日本でも知られていましたが、1955年に久我山明の曲に作詞家大高ひさをが詩を乗せて作られたこの曲、エト邦枝さんが歌って発売されましたが、ほとんど売れなかったと言います。

エト邦枝

 

 実はエト邦枝さんの師匠はオペラ界の重鎮、原信子さん。原信子さんの師匠は三浦環です。朝ドラ「エール」でも分かるとおり、三浦環もクラシックから歌謡曲まで幅広いジャンルの歌を歌いました。昔は今より自由だったんですよね。

 さて、このとってもグローバルな演歌「カスバの女」は、のちに緑川アコさんの歌唱で人気が出てから、本当にいろいろな方が歌っています。

 皆さんそれぞれ素晴らしいのですが、今日はあと二人だけ紹介します。

ちあきなおみ

 

八代亜紀

 

 やはりエト邦枝さんの声はきれいすぎたんでしょうね。上掲3人のほかも、青江三奈さんとか沢たまきさんとか、のちの人たちはみんなハスキーボイス。つまり非和声的な倍音の多い方々です。それがなんとも「場末」の「哀愁」を感じさせるわけですね。

 ウチのカミさんの声は、そういう意味では倍音が少ない、いわゆる「きれい」な声なので、どうもこういう味は出せないとのこと。その点、美空ひばりはすごいよなあ。

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2020.07.03

リニアはどうなる?…予言は当たるか

Th_yk_tetsu20070301 て、こっちの「(エセ)環境問題」も大変なことになっています。

 静岡出身、東京育ち、山梨在住のワタクシとしては、なんとも複雑な心境になりますね。

 川勝知事も大人げない。リニアに賛成、運命共同体と言いながら、結局はダメ出ししている。まあ、たしかに静岡県としては面白くない計画ですよね、リニアは。通過して環境破壊だけして駅も何もなしですから。今まで東海道新幹線で存分にいい思いしてたくせに(6駅もある)。

 とりあえず、2027年の東京ー名古屋間の開業は無理ということになっちゃいましたね。

 ちなみに私はリニアには反対の賛成の立場。

 6年前の『新幹線とナショナリズム』 藤井聡 (朝日新書)という記事を読んでいただければ分かると思います。

 さらにその記事の翌日、ある予言をしております。

 『リニアが日本を改造する本当の理由』 市川宏雄 (メディアファクトリー新書)

 この記事に書いた予言(?)を簡単にまとめてみます。

・南アルプスを貫通するトンネルを掘ることは霊的によろしくない。

・しかし、どうも貫通できないようなので心配しなくてよい。

・ならば、東京ー山梨間を先行開通させ、東京オリンピックに合わせて富士山観光の目玉の一つとする。

Th_yk_tetsu20070402 この予言、ある意味想定外の形で実現しそうな気配です(笑)。まず、伏兵静岡県が登場して南アルプス貫通を妨げてくれております。そして、川勝知事は東京ー山梨間を暫定開通させ、富士山周遊観光ルートを実現しようとしています。

 そして、そして、全く想定外でしたが、東京オリンピックが延期となり、事実上2021年の開催も無理、結果として2032年(以降)に改めて開催されることになりそう。

 そうなりますと、冗談抜きでワタクシの予言が成就することになってしまいますね。つまり2032年の段階でも東京ー名古屋間の開通はないということになってしまうわけです。

 それどころか、リニアも下手すると、富士急行線が当初の計画(富士山一周を目論んだ?)を頓挫させ、結果として富士山駅がスイッチバックになったり、河口湖駅より西に線路が伸びなかったりしたように、東京ー山梨間だけの中途半端な路線になってしまう可能性もあるわけです。

 あとは都留のリニア見学センターを「新富士山駅」にするだけですね。これも実現したら、私の予言は完全に成就です。そうなるんじゃないですか、マジで。

 ま、金丸信さんはじめ、山梨県民としてはそれで充分なわけですし。逆に独占できてラッキーと思ってしまいますね。ついでに東京都に編入してもらうというのはどうでしょう(笑)。

 さてさて、実際はどうなるんでしょうね。面白くなってきました。

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2020.07.02

レジ袋有料化?

 日初めてコンビニでレジ袋を買いました。3円。なんだか立派な素材の袋でした。へ〜、これだとゴミ袋にするにはもったいないな。

 環境問題に関してはいろいろと懐疑的な私です。温暖化については、昔からこんなふうに言っています。その他の偽善環境保護活動に関しても、けっこう厳しいことを言ってきました。特に教室で。学校の先生が一番偽善者なんですよ。

 さあ、これからどうしましょうかね、レジ袋。今日買ったレジ袋を使い回すのが一番いいかなと思いました。ローソンの袋をセブンで使うわけだ(笑)。

 しかし、あれが3円というのは正直高いと思いますね。儲かる人がいるのでしょう、やはり。

 また、エコバッグが全然エコでないことも指摘されていますね。不衛生だとの意見も。まあ、そのとおりでしょう。ここでも儲かる人がいるらしい。

 で、今日は、ず〜っと昔からこういうエセ環境問題について厳しい姿勢をとっている武田邦彦さんの言葉を聴いてみましょう。まさに専門分野ですよね、プラスチック。こういう話はメイン・ストリーム・メディアでは発信されません。困ったものです。

 

 

 

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2020.07.01

THE YELLOW MONKEY 『未来はみないで』

Th_71msoenx9ql_ac_ul320_ 楽ネタが続きます。音楽はいいですよね。いろいろなことをしながら聞けますので。聞いていると面白い考えが音楽と一緒に降ってきたりするので実に楽しい。

 で、今日はなんとなく懐かしさを感じていたイエモンのこの曲の、その懐かしさのワタクシ的原点(原典)が分かったのでメモしておきます。

 「未来はみないで」…ここのところ、私は「未来を見よう!」とばかり叫んでいるので、こうして吉井くんに反対のこと言われると、けっこうショックだったりして(笑)。

未来は見ないで そんな不確かな
言葉に隠れて 迷子になったりして

未来は見ないで 今はここにいて
昔のことだけ 話したっていいから

未来は未来で 大きな口を開けて
笑ってるのかな それならいいけれど

 彼らしい言葉遣いですね。先日、大宮エリーさんとオンラインでお話した時も、彼女は「あんまり未来は意識しない」と言っていました。やはり、天才クリエイターたちは「今」に生きているんですね。凡人の私は、それこそ迷子になっているのかもしれない。

 本来なら5月4日の東京ドーム公演に娘と行く予定だったんですよね。コロナで延期になりましたが、今日とうとう払い戻しの連絡が来ちゃいました。まあしかたないですね。

 たしかにコロナのせいもあって「未来が見えない」とも言われています。まずは「今」をしっかり生きなければならないというのもわかります。でも、やっぱり未来の期待してしまいますね。明るい楽しい未来を妄想してしまうのです。これは癖なのでしょう。

 

 

 何度も書いてますが、私の音楽人生に素晴らしい転機を与えてくれた The Yellow Monkey。まさかそんな吉井さんとまさかの場所で会うことになり、そして彼が「吉井くん」だったとは(笑)。本当に不思議なご縁ばかりで、ありがたき幸せを感じております。

 さてさて、この曲の懐かしさの原典ですが、これはほかの人にはピンとこないかもしれません。あくまで私的な感覚ですので。ただ、音楽的にも類似しているのはたしかですね。

 もしかすると、私と吉井くん、同じような世代ですし、同じ環境(町内)でロックに出会っているので、共通の音楽体験があるのかもしれません。

 それでは、その原点(原典)たる2曲を貼っておきます。皆さんはどうお感じになるでしょうか。

 

ジグソー 「スカイハイ」

 

エリック・クラプトン 「レイラ」

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