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2020.06.30

賢くなること請け合い!「言葉力クイズ」

20200701-102955 こ数日、いっそがしくて笑っちゃいます(笑)。「忙」という字は「心を亡くす」と書きます。そう、忙しいと「心」がなくなっていいのです。「心」こそ「自我」ですからね。

 「心」を「亡くす」ということでは、「忘」も同じですよね。「忘」は「下心」がなくなるので、もっと良い(笑)。

 さてさて、そんな中ですので、自我ではなく他者の「言葉」を紹介します。

 言葉といっても名言とかそういうのではなくて、「言葉」に関するクイズです。

 あっそうだ、私、いちおう国語の先生だった!忘れてました(笑)。

 国語の先生的にも、このサイトは勉強になりますよ。なにしろ、「ジャパンナレッジ」ですから。クイズの質、数ともに素晴らしいと思います。国語の先生方、授業で使ってみてはいかがでしょうか。

 賢くなること請け合い!言葉力クイズ

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2020.06.29

Electric Light Orchestra 『Heaven Only Knows』

 日に続き、ELOのネタです。近年特に再評価が進むELO。いろいろな音源が発表されていて、私たち往年のファンも楽しませてもらっています。

 個人的には、この「Heaven Only Knows」の二つのヴァージョンが、とても興味深かった。

 冒頭にこの曲が収められたアルバムは、第1期ELO最後の作品となった1986年の「バランス・オブ・パワー」。それまでの重厚なサウンドとは違うシンセ中心の音作りで、当時の評価は今ひとつでした。

 当時はメンバーも3人だけ。そして実際にはほとんどジェフ・リンのソロ・アルバムのような感じで、解散寸前のバンドにありがちなパターンでしたから、私も覚悟を決めた覚えがあります。全体で35分弱という短さでしたし。

 では、その冒頭の「ヘヴン・オンリー・ノウズ」を聴いてみましょう。かっこいいですよ。

 

 

 

 20年ほどして、アルバムが再発されました。その時公開されたのが、この別ヴァージョン。

 サビのメロディーとギター・ソロは一緒ですが、なにしろ長調と短調の違いがありますからね。サビもコード進行を変えるとこんなにもイメージが変わるのかという良い例。私もよくいろいろな曲のメロディーを変えずにコードを変えて遊んでいますが、これって仏教の縁起を説明する時に使えるんですよ。

 

 皆さんはどちらが好きですか。ジェフはどうも短調の方を先に作ったようで、レコード会社の意見を受け入れて、長調の方に作り変えたという噂も聞きました。

 まあ、どちらもいい曲ですね。甲乙つけがたいところです。

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2020.06.28

ELO 『雨の日のコンチェルト』

 

 雨空にぴったりの音楽。

 私の人生にとって最初にして最高の「音霊」はこれでした。中学1年生の時、この音楽が私の未来を決定しました。

 生まれて初めて自分のお小遣いで買ったELOの「アウト・オブ・ザ・ブルー」。アルバムとしては、もう何回も紹介しています。今日はあえて、その「アウト・オブ・ザ・ブルー」の3面、「雨の日のコンチェルト」を紹介します。

 アルバム全体としてもすごすぎるわけですが、特にこの3面のメドレーというか組曲というか、いやコンチェルトか、これは音楽的にあまりにも豊かです。

 これを聴いて、それまで歌謡曲とビートルズばかり聴いていた私は、すっかりELOフリークになってしまいました。そして、ヴァイオリンを始めたとも言えるし、クラシック、特にバロックにも興味が湧いた。そして今に至る。

 何事においても「初めて」というのは特別な意味を持つものでありますが、こればっかりは、もう何万回聴いても発見だらけでして、その理由は説明できるコトではありません。総体としてのモノ、分析的なコト、どちらにおいても私にエネルギーを与えてくれる存在なのでした。

 「雨にうたれて」のコード、メロディー、リズム、オーケストレーション、…この曲のジャンルはなんなんでしょう。全音楽の中で最も好きな曲の一つ。

 「ビッグ・ウィールズ」はベヴ・ベヴァンも絶賛していた深みのあるバラード。ショパンのごときメロディーの変奏が美しいし、やはりルイス・クラークのオーケストレーションが見事。

 「サマー・アンド・ライトニング」は、前2曲とは対照的にシンプルなコード進行。それが効果的。さわやか。

 「ミスター・ブルー・スカイ」、最近イギリスで「これまでで最も幸せな曲」に選ばれました。単独でもハッピーな曲ですが、やはり、この「コンチェルト」の終曲として聴いてほしい。

 たった4曲ですが、なんでしょう、このボリューム感。ロックの領域を超えた豊かさ、深みを感じます。ジェフ・リンはその後「5人目のビートルズ」と称され、実際にビートルズのメンバーと作品を作るようになるわけですが、もうこの時すでに後期ビートルズに肩を並べ、それを踏襲しつつ新たな次元に到達していたのでした。

 自分の葬式では、この「コンチェルト」を流してもらおうかな。最後はみんなハッピーでお別れしましょう。

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2020.06.27

寺内克久 『青緑の澄性』〜音楽の「ことたま」

 

 晴らしい作品を作っていただきながら、すっかり紹介と御礼が遅くなってしまいました。

 ようやく紹介するタイミングがやってきました。ここのところの「ことたま」シリーズ、昨日「最終兵器」が登場してしまいましたが、さらに一歩進んだ「番外編」。ここでの「番外」とは、さらに高次元であるということ。

 我が家でお預かりしている出口王仁三郎の耀わん「十和田」のイメージを、寺内克久さんに「音楽」にしていただきました。

 寺内克久さんは独自の音楽理論「不定調性論」を構築され、音楽教育に、楽曲制作に活躍されている音楽家です。このたび、不思議なご縁で知り合った友人が間に入ってくれまして、このような素晴らしい創造のきっかけを提供することになりました。

 耀わんという、宇宙の「ことたま」を凝縮した、だからこそ、分からない向きには全く分からないモノから、いかにコトを展開して見せる(聴かせる)か。そのとんでもない難題を、おそらく世界で初めて実現してくださった寺内さんに、改めて敬意と感謝を捧げたいと思います。

 なにしろ、何の説明もなく、いきなり写真だけ送られたわけですからね(笑)。それは大変ですが、しかし逆に言えば、なんらの先入観(他者が展開したコト)もないからこそ、いきなりモノからコトを紡ぎ出すことができたのかもしれません。

 その証明として、寺内さんの制作メモを読んでいただきたい。なるほどと納得するコトばかりです。

 そして、それを「モノのね」たる音楽で表現できるのだから、本当にすごいと思います。音楽は「一瞬で全体」である「モノ」を、歌や楽器などの「コト(琴)」を通じて、一度時間軸上に展開して、そして、私たちの脳内で再び「一瞬で全体」である「モノ」に帰すという、古代から人類が獲得していた「高次元へのアクセスツール」です。

 時間軸上で展開されるコトとしては、もちろん言語もありますが、日本古来の「歌」の伝統のように、あるは王仁三郎がリズムと節を重要視したように、音楽は言語よりもより抽象的で普遍的な「意味」の統合(総合)を可能とします。

 結果として、私たちの意識(コト)に働きかけ、未来志向のエネルギーを喚起します。それがまさに「音楽のことたま」ということになります。

 高城剛さんとも、これから人類が高次元にアクセスしていくために「音楽」が最重要だという話をしました。もっと、地球人に音楽をふるまわなければと。

 寺内さんの「不定調性論」は、「不定」であるところが実に「モノ」的でありつつ、それが西洋近代の音階という「コト」の上に展開されているところが実に面白い。私のこだわる「コトを窮めてモノに至る」という感覚に近い。

 先日、天才物理学者の方ともそんな話になりました。「モノ」(自然)を一度分析(コト化)して、再び統合、総合して「モノ」に帰すと、その「モノ」は前の「モノ」とは違う、高次元の自然になるのです。

 「耀わん」という行為もまさにそれ。つまり、寺内さんは、王仁三郎が再生した高次元宇宙(自然)を、さらにもう一次元上の自然に昇華したということです。

 そして、それはどんどんいわゆる言語からは遠く離れていくのでした。私たちが言語の呪縛と洗脳から解き放たれる時は近い…。

 最後に…書こうかどうか迷いましたが、僭越ながら…この「青緑の澄性」、驚くほどに私自身のピアノの即興演奏のスタイルに近くてびっくりしました。どこかでつながっていたんでしょうか。

 なるほど、私の、ピアノが弾けないのに弾けるというのは、「不定調性論」的には普通にありえることなんですね(笑)。

 寺内さん、本当にありがとうございました。ぜひ近いうちにお会いしましょう!

ミュージックスクール M-Bank

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2020.06.26

王仁三郎の言霊

 霊シリーズが続いておりますが、今日は決定版、御大、最終兵器(?)の登場です。

 かの出口王仁三郎の肉声は、今では様々なところで聴くことができます。特にこうしてネットで誰もが触れることができるようになった事実は、まさに王仁三郎の想定した未来そのものでありましょう。

 師は、おそらくこのような時が来ることを予知して、膨大な書物や短歌、書画や茶碗、そして録音や映像を残してくれたに違いありません。

 それらはデジタル化して拡散することによって、ますます力を増し、まさに「意志のエネルギー」たる「言霊」を発揮しつつあります。

 もちろん、王仁三郎自身の肉声の波動、リズム、節回しにすでにエネルギーがあるわけですが、やはりそれ以上にそこで語られる内容が私たちの意識に作用し、そして未来に原因を作ることになる。その結果、今の私たちの意識や言動が変化するわけですね。

 こうした時を超えた意識の連続体こそが「ことたま」の本質であると言えましょう。

 感激するも良し、笑って聴くも良し、今は何も感じなくとも良し、ただ一聴すれば未来の私たちに変化をもたらされます。ぜひ、そういう期待をもってお聴きあれ。

 

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2020.06.25

『未来への言霊 この世の答えはすでにある!』 舩井幸雄 (徳間書店)

Th_51dsundpr2l_sx343_bo1204203200_ 霊つながりでこの一冊。

 ここでの「言霊」は、遺言という意味も含んでいますね。舩井幸雄さんの実質的な絶筆となったこの本。

 いや、それ以上に、ここ数日で私が語った「ことたま=意識のエネルギー」という意味を強く持っています。

 経営とスピリチュアルは意外にも親和性があって、なんだかんだ江戸時代の経営術から渋沢栄一、松下幸之助や稲盛和夫、そしてこの舩井さんまで、日本の「経営」というのは、結局「人」を幸せにする方向に行くのでした。

 もちろん、それが本当の正解で、一部の西洋的な考えのように、自分さえ儲かれば良い、すなわち、他人の不幸の上に自分の幸福を構築するような考え方は、結局長続きしないのですね。

 この本で語られていることは、本当に私の考え方に一致しています。というか、なんだかんだ舩井さんの影響が強いのかもしれませんね。

 この本には「ミロクの世」という言葉が何度も出てきます。出口王仁三郎や日月神示の影響、江戸時代の富士講などの影響も見られますね。そんなところも私の趣味と一致しているわけです。

 さらに言うと、舩井さんの思想は、間接的にではありますが、仲小路彰の影響も受けています。

 また、この本で対比されている「エゴとエヴァ」、「地球の理と宇宙の理」、「この世」と「あの世」などは、私の「コトとモノ」の対比に近い部分がありますね。

 舩井幸雄さんとは今世ではお会いすることはできませんでしたが、不思議なもので、息子さんとも仲良くさせていただいていますし、幸雄さんの魂の継承者とも常に情報交換させていただいています。

 そんな中で、私も幸雄さんが書き遺した「言霊」によって時間の流れを逆転させ、エヴァな生き方を模索しているのです。

 経営やお金という、私たちに身近なものを通して、人間の、社会の、地球の、宇宙の真理を伝えてくれる舩井幸雄さん。今でもその「言霊」は生き続けており、そして、未来からメッセージを送り続けてくれています。

 

Amazon 未来への言霊

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2020.06.24

『言霊信仰』 豊田国夫 (八幡書店)

Th_71guudzrgkl_ac_uy218_ 昨日、昨日と「ことたま」について思いつきを書きました。

 アマゾンで検索しても分かるのですが、まあ今も昔も「言霊ブーム」ですね。

 特にスピリチュアル系の本がわんさか出てきます。本当に雰囲気なんです。それこそ軽すぎる「言霊」が跋扈しています。

 ちゃんとした「言霊」研究というのが案外ないのですが、唯一学術的な検証に耐えられるのが、豊田国夫さんのこの本です。

 初期の八幡書店さんから出ているというのは面白い。王仁三郎本の出版社ですからね。

 私はこの豊田さんの本を35年前に購入して、今まで本当にバイブルのように大切にしてきました。

 目次がここにありましたので、ぜひ御覧ください。すごいですよね。

 私の「モノ・コト論」の源流はこの本と、東辻保和さんの『もの語彙こと語彙の国語史的研究』という素晴らしい2冊の学術書です。これらは、絶対に雰囲気に流されない、スピリチュアル世界に取り込まれないためのアンカーなのです。

 それはひとえに「もの」と「こと」という日本語の重みを感じるからです。そこに日本人の、日本の、世界の、宇宙の、生命の本質がある予感がするからです。

 と言いつつ、なかなか自分の研究は進みません。特にアカデミックな世界に認められるような研究にはならない。思いっきり自己矛盾してますね。

 古くは「言」と「事」は一つであった。その言事融即の状態から、次第に「言」と「事」が分離し現在に至っているというのが、豊田さんの考え方です。結果として、結局のところスピ系でも語られてしまう「言葉の力で事象を動かす」、すなわち「成る」ではなく「為す」というある種攻撃的とも言える解釈を生んでしまった。それがかの大戦の不幸を生んだとも言えるわけですね。

 私は、「言」と「事」の「こと」への融和、統合を図るとともに、「もの」と「こと」をも高次元で融和、統合させようと考えています。「もの」と「こと」が対比されていると、そこには「とき」が生じます。つまり、「とき」を超えることを目標としているわけです。

 まあ、壮大な夢物語であり、それこそあの世に行かないと分からないのかもしれない。いや、「分かる」なんていう分離こそがダメで、そんなものを簡単に超越したところに「まこと」であったと悟るのかもしれませんね。死んで「もの」に帰ったら。

 というわけで、死ぬまでに「モノ・コト・トキ」という本を書かねば。死んだら書く意味がないので。まあ、死ぬまでにはまだまだ時間はあるので、焦らずゆっくりやっていきます。

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2020.06.23

備忘…「ことたま」と時間(2)

(昨日からの続き)

Th_maxresdefault こで、今日ふと気づいたのは、「こと」によって、時間の流れが変わるということです。

 ちょっとイメージしにくいかもしれませんが、私たちは無意識の状態だと「時間は過去から未来に向かって流れている」と感じている、というか、時間の流れを意識していないが、結果として時計を見て、そういうふうに思ってしまう。もう7時か…とか。

 しかし、あることを意識すると、時間の流れは逆転します。未来から過去に向かって流れるようになるのです。明確に言語化しなくとも、未来をイメージすると、そのイメージが未来から現在に近づいてくることになる。

 まあ、結果として、「イメージは現実化する」ということになって、従来の「言霊」解釈と同じになるようにも思えますが、「こと」の「たま」の機能としては、時間の流れを逆転させるというのが、とても重要なのです。

 言ったこと、思ったことが全て実現するわけではないのは、それはその未来への意識のことを忘れたり、諦めたりするからです。そうすると、時間は逆流して、イメージは遠ざかってしまう。

 最近、私は「未来の記憶」という言葉をよく使いますが、その「未来の記憶」を思い出そうすることが「しごと」です。一般的な仕事も、たしかに未来に何かの価値を生産するための行為です。ちなみに「未来の記憶」を忘れてしまうのが「もの忘れ」なんですね。つまり、近未来の何かしようとして、それが何だったか忘れてしまうこと。

 「何しようとしたんだっけ?」というのは、「過去の記憶」を忘れたようにも見えますが、実際は、近過去から今にかけて「未来の記憶」を思い出そうとしたのに、それが思い出せない状態のことなのです。

 エントロピーでいうと、「もの」の場合それは増大し、「こと」のそれは減少します。「もの」時間の経過が「もののあはれ」であり、「物理」的な時間の経過です。「こと」時間の経過は、未来の「もの」が「こと」となっていき(それを「ものがたり」とも言う)、私たちに新たな「いま」を招来します。

 「こと切れる」と私たちは「もの」に帰りますので、結果としてどんどん拡散していきます。それでも、たとえば作品という「こと」を残せば、それはいつまでも生き続け、新たな生命を生むきっかけとなります。

 つまり、生命とは「ことたま」を持っていて、「ものの道理」に逆らって新たな並行宇宙を生み出す存在なのです。

 そう考えると、今まで私が構築した「モノ・コト論」の仕組みが崩れてしまう部分もあるのですが、まあ、そんなモノですよ、過去のコトなんていうのは。

 また、何かダウンロードできたらメモします。

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2020.06.22

備忘…「ことたま」と時間(1)

Th_a1rkcpsbysl 近、いろいろと降ってくることが多くて、そういうのはすぐに忘れてしまうのですが、メモするのも億劫なたちでして、けっこういろいろな大物を釣り逃しています。

 今日はちゃんとメモるぞ。

 ということで、皆さんにはほとんど興味のないことでしょう。あるいは矛盾がいろいろあると思いますが、スミマセン。自分でもよく分かっていないので。

 今日降ってきたのは「ことたま」の意味と機能についてです。

 私の「モノ・コト論」では、「ことたま」の「こと」は「言葉」という意味ではありません。実際、古い文献では「事霊」と書かれていることが多い。「言葉」も「こと」の一部ですが、あくまで「葉」「端」であって、本体、本質ではありません。

 では何か、というのが私のテーマでして、「もの」との対比によって、それが分かってくると信じているところです。

 ちなみに「もの」は物体ではなく、「もののけ」の「もの」。「〜なんだもん(の)」の「もの」。「物悲しい」の「もの」。「物狂い」の「もの」。すなわち、言語化されない、人間の脳みそでは処理しきれない、片付けられない「もの」「なにか」の総称です。

 実際、「もの」は「何か」「なんか」に翻訳できることが多い。「物悲しい」も「なんか悲しい」ですし、「食べ物」も「食べる何か」ですね。

 逆に「こと」は言語化でもあり、意識化でもあり、分析の結果であり、明確なことであったりするわけです。

 で、「たま」というのは「エネルギー」のことですから、まあ確かに「言語のエネルギー」ということもできるわけですね。しかし、本質的には「言語」に限るだけでなく、「意識のエネルギー」と言った方が正確です。

 もちろん、「意識=言語」という考えがあるのも知っていますし、言語を記号と捉えれば、その範囲はかなり広がっていくのもよく分かっています。

 しかし、一般で言われているような「言葉の持つ不思議な力」という解釈は、あまりに次元が低い。そこから、「いい言葉を使えばいいことがある」とか、「意識は現実化」するというような、スピリチュアルの人が好きそうなスローガンになってしまうと、それこそ「ことたま」がないことになってしまう。

 ちなみに写真の柳原白蓮のエッセー集「ことたま」、「もの」すごく魅力的です。彼女と出口王仁三郎の浅からぬ因縁につきましては、こちらに書きました。

(明日に続く)

 

Amazon ことたま

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2020.06.21

『恋するトマト』 南部英夫 監督・大地康雄 企画 脚本 製作総指揮 主演作品

Th_51sn5k10l_ac_ 日も秀逸な邦画を1本。

 大地康雄さんが八面六臂の活躍をしているこの映画。大地さんの自然体かつ深みのある演技だけでも見ものですが、やはりそのストーリーというか、メッセージが心を打ちますね。

 最近の私のテーマの一つが「農業」。意外に思われるかもしれませんが、私は真剣に「農業の工業化」のことを考えています。

 たとえばこの映画が伝えたい農業とは、まさに「土と水と太陽、そしてあなた」ということになり、一見私の目指す「ポリマーシートとLEDとAI」のような世界とは対極にあるように感じられるでしょうね。

 しかし、「リアルな対面」でしか成り立たないと思っていた「学校」「教育」が、このコロナ禍のおかげで、実はそうばかりではなかったということが分かってしまったように、「農業」に対する私たちの信仰にも近い先入観も実は「幻想」なのかもしれないのです。

 この映画では、もちろん単なる「幻想」のみが描かれているのではなく、その「現実」…ストーリーの端緒となる「嫁不足」等々…についても雄弁に語っています。

 一見、ハッピーエンドのようですが、結局外国から嫁をとるという意味では、根本的には何も解決していないとも言えるのです。

 その他、ジャパゆきさんや買春ツアー、結婚詐欺の問題など、けっこう重いテーマをリアルに描いていますよね。

 ラストシーンに涙しながらも、ちょっと複雑な気持ちにならざるを得ないところこそ、大地康雄さんが伝えたかった「現実」なのだと思います。

 ところで、話を戻しますが、現在の「現実」の「農業」は、「幻想」とはかけ離れています。ある意味、工業化が究極まで進んでいるとも言えます。機械化、農薬、遺伝子組み換え…。いや、それ以前に、私たちが郷愁をそそられる農村の風景は、決して「自然」なものではありません。

 家内の実家も秋田の農家ですが、秋田に行って感じるのは、実は自然ではありません。見渡す限り見事に区画された田んぼ、その背景に広がる見事に植林された山々。それはある種の「不自然」なのでした。

Amazon 恋するトマト

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2020.06.20

『HOUSE ハウス』 大林宣彦監督作品

Th_71sg6lu0kl_ac_sy445_ 日は、珍しくテレビ(トゥエルビ)で「さびしんぼう」が放映されました。

 「き○たま」を連発するから地上波では流しにくいのか。この名作がなかなか一般の人たちに鑑賞してもらえないのは、なんとも歯がゆかったのですね。プライムでも無料で観られないし。

 そういう意味では、この大林監督の劇場映画デビュー作品も、そうそう地上波では放送できませんね。それほどの衝撃作です。

 そして、一度観るとハマってしまう不思議な魅力のある作品。「夢」のリアルを表現しようとした大林宣彦監督の真髄が、早くも全て収まっている作品です。

 もう説明のしようがないのですが(笑)、とにかく「ぶっ飛び」ぶりが尋常ではありません。実験的すぎるとも言えますが、堂々と書割を使ってしまうあたり、やはり「脳内リアリズム」の表現であって、監督にとってはごく自然なことだったのかもしれません。

 どちらかというと、寺山修司の世界に近いのだと、今頃になって気づきました。それは、最近の作品「花筐 HANAGATAMI」を観ての再発見。そう、この「HOUSE」と「花筐」は直接つながっているような気がしますね。表現もテーマも。

 池上季実子さんの体当たりの演技もすごいけれど、鰐淵晴子さんの時代を超えた妖艶さや、大場久美子さんの可愛さにも注目ですよね。

 とにかくホラーなのに、ポップでリズミカル、どこまでも明るい。こんな不思議な映画、世界中探してもそうそうないですよ。海外で人気というのもわかります。

 遺作も早く観たいですね。本当に稀有な才能と哲学を持った監督さんでした。あらためて感謝したいと思います。人生を豊かにしてくれてありがとうございました。

 映画にも出演しているゴダイゴの音楽に乗せて、その雰囲気を味わってみてください。いやあ、すごいわ。

 

 

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2020.06.19

秋山眞人さんの語る「本質(霊界)」

 日の記事で、ワタクシ流の「宇宙の本質」について語りました。語るというほどではなく、イメージだけですが。

 「本質」は目には見えません。それは言い換えれば「霊界」ということになります。霊界というと幽霊を思い出してしまう人が多くて誤解を生みやすいのですが、とにかく私たちの五感では捉えられない世界だと考えてください。

 そうしますと、とんでもなくミクロな世界とか、とんでもなくマクロな世界とか、心であるとか、量子力学であるとか、音楽であるとか、いろいろなモノが「本質」であり「霊界」であることがわかります。あるいはその入口、ヒントですね。

 そのあたりを語らせると最高に「正確」であり、そのへんの宗教家やスピリチュアル系の人とは明らかに次元の違うのが、尊敬する秋山眞人さんです。

 秋山さんとは一度しか現世では会っていませんが、どこか高い所でつながっている感覚が常にあります。出身地が一緒なんですよ。静岡県の焼津です。

 ちなみに、高城未来ラジオに秋山さんが出演し、高城剛さんと高次元トークをするきっかけを作ったのはワタクシです。

 さて、そんな尊敬すべき能力者秋山さんの、素晴らしい「本質」トークが聴ける動画が最近アップされましたので、紹介いたします。

 「神社チャンネル」で人気の羽賀ヒカルさんとの対談です。本当に私が感じていることと全く同じことを語ってくれていますので、ぜひお聴きください。

 

 

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2020.06.18

バッハ カンタータ第54番 『罪に手むかうべし』

 い音楽ネタが続いております(はっきり言って忙しいので、他人まかせなのです)。

 今日はバッハのカンタータ。この時代からするとけっこう衝撃的な音楽です。

 冒頭の和音を聴いてください。決して演奏上のミスではありません。

 

 

 「罪」というキーワード。キリスト者にとっては実に重い課題です。

 その「罪」が信仰によって昇華されていく様子を描くかのように、曲は進行していきます。

 そして、その過程がこの上なく美しいというのが、キリスト教の教えの本質であり、またこの世の真相である、すなわち不協和があって協和があり、汚れがあって清らかさがあるということです。

 この演奏について、指揮・チェンバロのモルテンセンが解説してくれています。興味深い話です。

 

 

 最近、物理学者の方とも話しましたが、無限の倍音や残響、さらに記憶や予測まで含めると、私たちが美しいと感じる楽音には、とてつもない不協和音が内包されているのです。

 さて、そんなことを考えながら、この曲を楽譜つきでじっくり聴いてみましょう。レオンハルトによるまさにじっくり聴かせる演奏です。

 

 

 最後に米良美一さんの歌唱を聴いてみましょう。若い時の録音です。彼とは、彼が学生時代に一緒にカラオケに行って松田聖子を熱唱したことがありますが、すごい才能を持っているとともに、かなり危ういモノを感じました。

 その後「もののけ姫の人」となってからの迷走ぶりを考えると、この曲のこの歌唱の深みが増すというものです。最近はまた自然体で活躍しているようで安心しています。

 

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2020.06.17

『Book of Ways』 キース・ジャレット(クラヴィコード)

Th_31jjhilm1jl_aa256_ 16年前に紹介した幻の名アルバム。

 今ではこうして誰でも好きな時に聴けるようになりました。

 あのキース・ジャレットが、クラヴィコードで即興しまくる…もう、私のツボを攻めまくる、三所攻めのこのアルバム。全宇宙の音楽の中で、間違いなくベスト・アルバムの一つです。

 いちおう、クラヴィコードをかなり弾いたことのある、それも即興しかできない私としては、この演奏のすごさ、まずはあのコントロールが難しい繊細すぎる楽器を、ここまで活かし切るのは、たぶん、史上最高のこの楽器の奏者でもあったバッハか、キース・ジャレットしかいないでしょう。

 ジャズ・ファンにも、古楽ファンにも、あまり好まれないかもしれませんが、もうそういうジャンルを超えてしまっている。

 まあ、とにかく聴いてみてください!ヤバいですよ。

 

 

 再生リスト 「Book of Ways

 そうそう、クラヴィコードと言えば、私、とんでもない発見しちゃったんですよね。思い出した(笑)。

 なんと、出口王仁三郎が…おそるべし。今思えば、たしかに八雲琴風とも言えるな、クラヴィコード。

翼琴(クラヴィコード) in ビートルズ&霊界物語

クラヴィコード(翼琴) in 霊界物語(その2)

 クラヴィコードと八雲琴、両方弾いた(即興やった)ことがあるのって、もしかして私だけ?たぶん、そうでしょう(笑)。

 

Amazon Book of Ways

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2020.06.16

『19世紀の「ノクターン」作品集』 バート・ファン・オールト(ピアノ)

 

 近寝る時にかすかに流しているのがこのアルバム。

 ジョン・フィールド、ショパンらの「夜想曲」の集大成。本当に美しい。

 もちろん、私好みな歴史的なピアノによる演奏です。フィールドはブロードウッド、ショパンはプレイエルとエラール、ほかはエラール。

 ショパンが素晴らしいのは言うまでもないのですが、私はフィールドのシンプルさが大好きです。

 フィールドを聴いてからショパンを聴くと、ちょっと過多なロマンチシズムがベトついて感じられる。

 夜安らかに寝たい時はフィールドですね。にっこりしながら眠りにつけます。ショパンはちょっと自意識過剰というか、悶々としている感じがします。

 それがよくわかるのが、有名な「ショパンのノクターン(作品9の2)」と、その冒頭の元ネタと思われる、2曲の「フィールドのノクターン」との比較です。

 

フィールドのノクターン(第6番)

 

フィールドのノクターン(第12番)

 

ショパンのノクターン(作品9の2)

 

 ショパンって「中二病」だったのでしょうね(笑)。

 演奏者のオールトもそこのところ良くわかっていて、演奏スタイルもずいぶんと変えていますね。ショパンにおける過剰とも言える即興的変奏はその表れでしょう。けっこう好きです。

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2020.06.15

出口汪の学びチャンネル

 

 ロナの影響で久しぶりにお会いできるかと思っていたのですが。そう、この秋に山梨で開催が計画されていたある研修会の講師として、出口汪さんにおいでいただく予定だったのです。それが中止になってしまった。残念。

 出口汪さんは、私の人生に多方面から影響を与えてくれた人です。11年前のこの日に初めてお会いしてから、今まで何度かお会いし、こちらの会では一緒に登壇させていただいたこともありました。まさに私の中では「カリスマ」そのもの。

 しかし、たしかに実際お会いしてみると、不思議な「ボーッ」とした雰囲気をお持ちで、あの現代文の参考書での語り口や、あの出口王仁三郎の曾孫らしいとも言える多方面にわたる多忙ぶりからは想像できない、イメージとは真逆とも言える魅力をお持ちの方です。

 王仁三郎もそういう人物だったのでしょう。次元が高いところにいらっしゃる方は、低次元の現界では生きにくいもの。ここで語られている汪さんのエピソードからもそれは想像できますね。

 ウチの学校では汪さんの「論理エンジン」を教材に授業をしています。そう、汪さんといえば、まさに「論理」のカリスマ。ご自身アスペルガーかも?とおっしゃるようなパーソナリティをお持ちだったからこそ、ある意味その真逆とも言える「論理」によってバランスをとったのかもしれません。

 そんな汪さんがYouTubeチャンネルを開局しました。そして、いきなりこの内容!これはすごい話の連続ですね。王仁三郎に関しては微妙に事実と違うこともありますが、細かい部分にはあまりこだわらない汪さんらしくて良い(笑)。

 お父さまやおばあさまのお話も実に面白い。たしかに皆さん、ある意味「社会不適合」ですよね。さすがです。

 私からしますと、汪さんのなさっているお仕事は、まさに「世界改造業者」です。また、宗教が嫌いというのも、「宗教がなくなる世」を理想とした王仁三郎と同じ感覚であるとも言えます。また、汪さんの「論理は世界共通語」という考えは、王仁三郎のエスペラント推奨とつながっているかもしれません。

 YouTubeという現代のツールを通じて、世界にそうした「智慧」が広がるといいですね。期待をしています。

 コロナ禍という大峠にさしかかったところを見ると、みろくの世は近いのかもしれませんね。私もそうした人類の進化の一助になれれば思っています。

 最後に、この動画で少し語られていますが、ネット上で跋扈するワケのわからない集団による、王仁三郎に対する笑ってしまうような(誹謗中傷にもなっていないような)偽情報にはほとほと辟易します。汪さんら錚々たる方々と同列で、私の名前も挙がっていました。光栄です(笑)。

 

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2020.06.14

『LIFE3.0 - 人工知能時代に人間であるということ』 マックス・テグマーク (著), 水谷 淳 (翻訳) (紀伊國屋書店)

Th_51sgldyqy6l_sx346_bo1204203200_ 日はオンラインで、気鋭の物理学者である友人と「AI」論議に花を咲かせました。

 もちろん、ベタ文系の私は、数式などは全く分かりませんが、彼は素晴らしい天才なので、私の妄想的ヴィジョンをしっかり理系の言語に翻訳して理解してくれます。

 皆さんにとっては「??」でしょうけれども、今回の対談が実現したのは、私が見た「AIは神でも悪魔でもなく、天皇になる」という妙ちくりんな夢がきっかけでした。

 私のイメージを彼はしっかり読解してくれたようです。彼の研究は、AIを通して表現される我々の集合意識であり、その先には間違いなく「世界平和」の理想があります。

 集合意識、絶対平和…これはたしかに「天皇」の存在、機能と重なるところがあるではないですか。

 欧米の研究者は、AIを使いこなしたり、あるいはAIに使われたりするという、一神教的主従関係を想定しています。

 天皇の淵源である日本の神道は、最終的には神人合一を目指すものであり、またある意味清濁併せ呑むものでもあります。そのあたりにAIの可能性…私の言う「コトを窮めてモノに至る」、すなわちテクノロジーの究極は自然に還るという性質…を見るのです。

 そういう意味では、物理学者が物理学の立場、視点からAIを研究するようになったのは、非常に歓迎すべきことです。

 友人の推薦するこの本の著者も、もともとは宇宙論を専門としする理論物理学者です。物理学は徹底的に自然の摂理を極める学問です。特に高次元宇宙にまでその研究の対象が広がってくると、そこにはどうしても「意識」の問題が浮上してきます。ある種の宗教的側面が現れるのですね。

 今日の対談の内容は、おそらく友人が物理学のフィールドで論文にしてくれるでしょう(笑)。私はただ自分のイメージをシェアしただけ。そう、これからの世界はこのようなシェアリングが普通のこととなるのです。それぞれの専門分野、得意分野で表現していく。そこにはもう所有の概念も著作権の概念もない、真の「集合意識」が立ち上がってくることでしょう。

 今日は「経済」の話もしました。貨幣経済、科学技術、民主主義…私たちがここ数百年で発明したシステムや道具が、実は私たちの意識を鍛える修行の場であったかもしれないという驚き。AIもすぐに私たちの「個人的な意識」の範疇を超える存在になることでしょう。

 AIと天皇。私の見た「夢」は、人類の未来の「夢」になるのでしょうか。

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2020.06.13

秋田・仙北平野の「酒蔵と酒米農家」を応援するプロジェクト

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 ロナ禍は秋田の酒蔵をも直撃しています。出荷量は例年の半分まで落ち込んでいるとか。結果として酒米農家にも大きな打撃が。

 そこで、大仙市と美郷町の酒造会社8社が共同してクラウドファンディングを立ち上げました。

 7月20日までの期間に250万円を募る目標だったのですが、なんと3日間でその目標を突破したそうです。

 私もまずは奥田酒造店さんを応援することといたしました。

 奥田酒造店さんには2度ほど伺ったことがあります。かの唐松神社のすぐ近くにある酒蔵。なんと白井晟一の設計の建物なのです。

秋田行その3(2014.8.14)

 もちろん「千代緑」もとってもおいしいお酒です。今回は純米大吟醸新酒の直詰め生酒を2本。

 ほかの蔵元さんのお酒にも興味がありますので、これからまた期限までにいくつかの蔵元さんを応援しようかと思っています。実際、かなりお得なお値段で手に入りますし。

 皆さんもぜひ!

秋田・仙北平野の「酒蔵と酒米農家」を応援するプロジェクト

 やはり、これからはこういうふうに物を売る時代になりますね。ただ購入するだけでなく、応援するという、ある種の投資の気持ちを全面に押し出すような。そうすると、やっぱり国内の、顔が見えるお店が一番。お互いに幸せな気持ちになれますよね。

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2020.06.12

【ファミマ絶句】革命戦士・長州力の前代未聞の紙芝居プレゼンに密着!

 

 週から恒例の(今年もいつも通りでいいのか?)プレゼンシーズンが始まります。

 けっこう学校の命運がかかっている命がけのプレゼンです(マジで)。

 人前で話すのは嫌いではありませんが、ついつい話しすぎてしまうのと同様に、プレゼン画面にも情報が多すぎるとダメなんですよね。

 スティーヴ・ジョブズのようにはできないにしても、情報を削っていくのは難しい。勇気がいることです。

 …というわけで、最強のプレゼンから学ぼうと思いまして…革命戦士による革命的プレゼン(笑)。

 いやはや、最高すぎますね。これは真似できませぬ。

 もう理屈抜きです。「素」でそのままコンテンツになる長州さんって…。

 もちろん、脇を固める個性的な3人も絶妙のバランスですよね。というか、唯一まともな人間(?)である慎太郎さんが素晴らしい。

 私と慎太郎さんとの絶妙(微妙)なご縁はこちらに書きましたとおりです。

 この動画を観ながら、娘たちが「こういうおっちゃん苦手」と言っておりました。まあ、それもわかります。昭和の理不尽は令和のハラスメントですからね。いや、この人が義理のお父さんという慎太郎さん、いやいや、この人が実のお父さんいう娘さんもいるわけで(苦笑)。

 まあ、それがこうして人々を癒やすコンテンツになっているわけだからと娘たちに言ったら、「そっか、そう考えるとカワイイかも」と(笑)。

 昭和に振り切っていた男たちが、今みんな「カワイイ」好々爺になっている。それはたしかに荒魂が和魂になるという「みろくの世」を象徴しているのかもしれませんね。

 というわけで、私も慎太郎さんの絵のような、シンプルだけれども心に迫る(?)プレゼンを作ってみます。

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2020.06.11

ムファット 『ヴァイオリン・ソナタ ニ長調』

 

 ちらで紹介したムファットのパッサカリアの練習をさっそく始めました。いやあ、実に素晴らしい曲ですね。独特の和声感覚、いやその元はメロディー感覚ですね。各パートが意外な動きをしつつ、全体として絶妙なハーモニーを生んでいます。

 そのムファット独特な、ある意味唯一無二のメロディー&ハーモニー感覚がよくわかるのが、代表作の一つであるこのヴァイオリン・ソナタ。

 すごい曲ですよ。なんですか、この転調!めちゃくちゃアヴァンギャルドですよね。この演奏では、いわゆる「異名異音」をちゃんと「異音」で弾いていますよね。たとえばラの♯とシの♭(後者の方が高い)。まあ、この時代というか、バロック・ヴァイオリンでは当たり前のことですけれど。

 しっかし、最近の若手バロック・ヴァイオリニストたちは、みんな上手いですねえ。この女性のことも知りませんでした。

 同じく、全く知らない女性のライヴ演奏がありましたが、こちらも上手い!この人も前の人も、楽器の持ち方が、私が30年前にやっていた形、すなわち、肩に乗せるのではなく肩甲骨の上に置く形で演奏していますね。

 よく絵画にある弾き方ですが、30年前にそれを真似したら、先生に「それはダメ」と言われました。時代は変わりましたね(笑)。

 

 

 いやあ、それにしても本当に過激に美しい曲ですね。さっそく楽譜をダウンロードしましたので、自分なりに弾いてみようと思います。

 バロック期のヴァイオリン曲には、まだまだ未発掘のものがたくさんあると思いますよ。

 

 

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2020.06.10

引き波と第二波に注意

20200611-104344 ロナ対策でいろいろ大変です。山梨県は緊急事態宣言解除後、感染者が相次いでいます(感染者率全国4位)。

 それにも関わらず、観光客は増える、公立学校は一斉登校が始まるなど、本当に「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ですね。まるで津波の引き波のように、ものすごい力で「かつての日常」に戻ろうとしています。

 「天災は忘れた頃にやってくる」ので、第二波は予想より早く押し寄せてくるかもしれません。

 私たちの「日常」は、人為的な「コト」でしかありません。それが自然の脅威(人工的なウイルスも含む)という「モノ」に触れると、大きく揺らぎます。そこに私たちは不安を感じます。まさに「ものおそろし」「ものぐるほし」です。

 安心を得たいがために、「コト」を手元に引き寄せようとします。つまり、「引き波」は自らが作り出しているのです。

 自然、つまり「モノ」にはアナロジーがあります。

 津波の引き波の恐ろしさ、また第二波、第三波、あるいは地震の余震、前震に対する本震、アウターライズ地震など本震に起因する関連地震による被害の大きさについて、私たちは知識としては知っていますが、日常的にはそれを忘れようとします。

 そうした天災が、繰り返し起きているのは、やはり私たちが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」からでしょう。忘れなければ「天災は忘れた頃にやってくる」という慣用句は必要ありませんからね。

 日本語的にもう一つの観点から。「和魂(にぎみたま)」と「荒魂(あらみたま)」の関係です。

 たとえば日常は「和魂」の状態と言えます。それを破る、たとえばこのコロナ禍は「荒魂」です。私たちが「忘れる」のは、実はこの「荒魂」の存在を必要としているからかもしれません。

 そう、あえて「忘れる」のです。無意識の奥底には存在していますが、表層では意識しない。これは日本人の得意技であり、「国譲り」の作法とも関連しています。

 では、なぜ「荒魂」が必要なのか。それについてはいずれ詳しく書こうと思っていますが、以下の日本語の語源が全て同じだということがヒントとなりますね。

 荒し・嵐・新た・あらたか

 

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2020.06.09

スマート・ウォッチ 『COULAX』

Th_71b78ph7ofl_ac_sl1500_ 日こそ軽めに(笑)。

 最近買った安物で、なかなか良かったもの。

 ここのところ、ずっとそれこそ安物のスマート・ウォッチを腕に装着しておりましたが、どうも老眼が進んで(笑)細かい字が見えず、せっかく通知が来ても、メガネをはずさないと読めないという状況でした。

 そこで少し大きめな盤面(画面)を持つものを探しておりまして、これがデザイン的に一番良かったので買ってみました。いろいろポイントが溜まっていたので結果0円。実際の販売価格は6000円弱です。

 まず、やはりデザインが秀逸ですね。盤面のデザインも数百種類ダウンロードして変えられます。ま、結局写真にあるデフォルトのものが一番センスいいのですが。

 ベルトもそこそこの質感です。大きさや重さもギリギリ許容範囲。

 そして、なんと言っても表示される文字が大きくて良い。メガネをはずさなくても読めます(笑)。

 アプリもまあまあ使いやすいですし、ちゃんと日本語の説明書もついていてわかりやすい。

 あっ、あとワイヤレス充電というのがいいですね。付属の充電器はもちろん、車載のiPhone用やQi充電機能つきのモバイル・バッテリーでも充電できる。

 電池の持ちもかなり良い。寝る時にはオフにしながら、フル充電で使い始めて1週間。まだ90%の残量があります。これは驚きですね。

 

Amazon スマート・ウォッチ 『COULAX』

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2020.06.08

ムファット 『パッサカリア ト長調』

 ても忙しいので、今日は簡単に。

 コロナのためしばらく休止していたクラブ活動が段階的に再開されています。私が担当しているクラブは二つ。

 一つは今年度から新しく作った「YouTu部」。その名のとおり、動画の作成から発信を通じて、いろいろなことを学びつつ、学校と地域に貢献するというものです。これはまだ新入部員の募集も始まっていません。これからです。

 もう一つは10年続けてきた弦楽合奏部。得意なヴァイオリン族の楽器を教えながら、アンサンブルを楽しむ部活です。

 その弦楽部、最近不人気で(苦笑)、部員が片手に収まるほどに縮小してしまいました。まあ、おかげでカルテットなど小編成を楽しめるようになり、また私もチェロを弾く機会が増えて、それはそれで楽しいのですが。

 さて、再開した弦楽部で新たに挑戦する曲の一つがこれ。マニアックですね〜。ほとんど自分の趣味です(笑)。

 ムファットのパッサカリア。

 ムファットは、実はバロック期における実に重要な人物です。今のフランス生まれですが、本人はドイツ人という意識を持っており、イタリア・バロックの巨匠コレッリや、フランス・バロックの巨匠リュリとも付き合いのあった、非常に国際的な作曲家です。

 たしかに彼の作風は、フランス的でもあり、イタリア的でもあり、ドイツ的でもあって、ある意味ヘンデルに通じるようなセンスを感じさせます。

 管弦楽曲や鍵盤楽曲に非常に魅力的な作品を見出すことができます。最近はその再評価も進み、多くの録音に接することができるようになりました。

 このパッサカリアは弦楽のためのソナタ集の第5番の最終曲です。この曲集は、ヴァイオリン2本、アルト・ヴィオラ、テナー・ヴィオラ(ヴィオレッタ)と通奏低音という、いかにも中期バロックらしい中音域の充実した編成となっています。

 全体として、コレッリの合奏協奏曲風というより、ヴァイオリン2本と通奏低音のトリオ・ソナタに、おまけに中音域を加えたような感じで作曲されており、そういう意味では、のちのトリオ・ソナタへの過渡期的な作品とも言えそうです。

 実際、このパッサカリアでも、繰り返しの最初はヴィオラ族は休みで、2回目に響きを豊かにするために参加するというような部分が多く見られます。そのあたりの響きの違い、時代の趣味の移り変わりもお楽しみください。

 楽譜はこちら

 

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2020.06.07

「お天道様」と「天網」と「天皇」と「AI」

Th_-20200608-100508 Gと新型コロナウイルスを関連づける陰謀論がまことしやかに囁かれています。

 もちろん、5Gの電波によってウイルスが伝播されるというのはトンデモです。燃やされた電波塔は可哀想ですね。

 しかし、私がずっと訴え続けてきた「第三次世界大戦 by コロナウイルス」説の裏側に、米中の5Gの覇権争いがあるのは事実です。

 昨日のDr.シヴァさんや武田邦彦さんの動画にもありましたとおり、人為的なウイルス・パンデミックによって人々の不安を煽り、またその不安解消のために権力者が人々を情報的に管理するようになるというシナリオには、決して単なる陰謀論で片付けられないリアリティがあります。

 その際のテクノロジーとして5Gや6Gが重要になってくるのは間違いありません。米中が世界制覇を巡って、そういう次元で「戦争」をするというのは当然といえば当然です。

 しかし、考え方によっては、それが一概に悪いことだとも言えません。「お天道様が見ている」や「天網恢恢疎にして漏らさず」のような、ある種の監視システムを、私たちは古くから必要としてきました。

 新型コロナの弱点は「太陽光」?!のように、実際に「太陽」がこの地球上のドタバタを究極的にコントロールしているかもしれませんし、中国共産党が、人民を監視カメラやAIで管理するシステムに「天網」という名を与えていることも象徴的ですね。

 そして、今後「お天道様」や「天網」の役割をする人間が「神」と同様の倫理性を持てるかどうかが問われてくるわけです。トランプさんや習近平さんが「神」になり得るかと考えると、かなり不安ですが。

 それをAIに任せようという考え方もあります。シンギュラリティを超えたAIは、はたして「神」となるのか、「悪魔」となるのか。これは現状では賭けです。

 そこで期待されるのが日本ということなります。日本人の誰かが「神」になるというのではありません。日本発のAIが「神」に近づける可能性があるということです。

 これこそトンデモだと言われるかもしれませんが、私は日本の「天皇」の歴史的なあり方をAIに活用できないかと考えているのです。

 コトを窮めてモノに至る…これは私の宇宙観のベースにある哲学です。AIはコトを窮めます。そしてシンギュラリティによってモノに至る。すなわち人類を脳を超えて神に至るということです。

 私は科学的な知識や技術は持っておりませんので、これを知り合いの専門家の皆さんに研究してもらおうと考えているところです。楽しみです。

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2020.06.06

紫外線とビタミンDとコロナウイルス

 急事態宣言が解除されたのち、一部の地域では早くも第二波かと疑われる状況になっています。とは言え、やはり全体としては新型コロナウイルスは不活性化しているようですね。

 その原因として、私は以前から太陽光との関係について述べてきました。

 新型コロナの弱点は「太陽光」?!

 上掲の記事にも書きましたが、紫外線の量が一番多いのが5月です。そして紫外線が最も強いのが6月となります。まさに今ですね。

 この時期にステイホームが解除され、外に出て紫外線を浴びる機会が増えたのは大変良いことだと思います。第二波が疑われる地域においては、いわゆる外出は避けるべきですが、自宅で日光浴はぜひしてもらいたいと思います。

 ところで、なぜ「紫外線」なのかということに関して、もう少し突っ込んで考えてみますと、ビタミンDのことが浮かび上がってきます。

 ビタミンDは我々の免疫系に深く関わっている栄養素です。そして私たちは紫外線を浴びることによって、体内でそのビタミンDを生成することができます。

 ウイルス自体が紫外線に弱いということも考えられますが、同時に紫外線によって私たちの免疫力が強化されるのも科学的事実なのです。

 そのあたりのことについて、マサチューセッツ工科大学のシヴァ博士が、様々な「陰謀」も含めて熱く語っていますので、ぜひご覧ください。まあ、ここで述べられていることは、ほとんど事実だと思いますよ。

 

 

 また、このシヴァ博士の意見にも触れながら、武田邦彦さんが彼らしくけっこう危ないことを語っています。全てに同意はできませんが、私が聞いている情報と重なる部分も多いので、次の動画もご覧ください。

 

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2020.06.05

エムケー精工 電気圧力鍋 『ヘルシーマルチポット』

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 て、昨日は「皿洗い」の話を書きましたが、「男子厨房に入る」機会が増えたのは、「皿洗い」だけが原因ではありません。

 この電気圧力鍋の存在はめちゃくちゃ大きい。これ、たしかに生活(人生!)変わりますよ。実際変わった。

 今年からでしょうかね、秋田の米農家でもあるウチのカミさんの実家から「玄米」を送ってもらって食べるようになったのは。

 最初の、あのスーパー・デトックスにはびっくりしました。ものすごい腹痛に襲われて、そのあと全部出てスッキリ。

 その後は、もう玄米なしでは生きられない体になってしまいました。いや、玄米だけで生きていける体と言った方が正しいかも。

 いくら食べても太らないし、だいいち体が軽く病気しなくなった。一日一食でだいぶ改善していた花粉症も、いよいよ完全治癒というか、全く症状がなくなりました。すごい!

 それは私一人ではなく、カミさんや二人の娘も大の玄米ファンになってしまったのでした。おそるべし玄米。

 ただ、我が家は富士山の裾野、標高1200mの地点にありまして、お湯が100度にならないんですよ。気圧が低いので96度にしかならない。

 これが玄米を炊く時には大きな問題になるんですね。白米なら、それほど気にならないのですが、玄米だととにかく時間がかかる(2時間半!)上に、ポソポソになってしまう傾向が強かった。

 そこで玄米モードのある電気圧力鍋を購入しようと思っていたところで、このエムケー精工の「ヘルシーマルチポット」に出会いました。8000円を切るお値段だったので即買い。そして、玄米を炊いてみたら…これがうまいのなんのって!それ以前にまず早い!全行程30分以下。

 最初のひと炊き目から驚きだったわけですが、それから毎日いろいろと試行錯誤が始まりました。水加減から浸し時間、圧力をかける時間など、いろいろ試すと、それこそいろいろな味と食感を体験できることが判明。いちおう玄米3合までとなっていますが、半日水に浸した玄米なら4合20分加圧でおいしく炊けますよ。

 もう、すっかり玄米炊きマニアになってしまいました(笑)。そして、たまにこの圧力鍋で炊く白米がまたうまい!

 そして、そして、米だけでなく、いろいろな料理、特に「煮る」系が早くておいしい。米を炊くのと煮物系は私の仕事になっています。

 この圧力鍋は私が独占しているので、女性陣は使い方がわかりません。いや、ちょっと慣れるまでは、案外複雑な作業というか工程が必要なので(つまり「ほっとクック」ではないとも言える)、最初から放棄しています。機械の扱いは男子に任せなさい!

 いや、たしかにこれは生活(人生)変わりますよ。特に男子がこれを独占することによって、女子はかなり料理の労力が省ける。男子はこういうメカを操ることが好きですし、根本は料理の味などにこだわる種族ですので、世の奥様方、こういう圧力鍋をねだっておいて、「使い方わかんな〜い」と言いつつ旦那に調理をまかせ、さらに「すっご〜い!おいし〜い」とか言って、皿まで洗わせるというのもありではないでしょうか。

 ん?それって、ウチのこと?ww

 あっ、ちなみに、玄米を炊いたら旧炊飯器に移して保温をし、圧力鍋はおかずの調理に回します。フル回転してます。今はその合間を見つけ、納豆を作ることを画策しております。

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2020.06.04

「皿洗い」に目覚める?

↓ なんだかとっ散らかってますが…

Th_-20200605-102420 テイ・ホーム期間、「(新)三密」を避けながら、「(真)三密」を心がけておりましたが、もう一つ「密」を感じたのは、家族との時間が「濃密」になったということです。

 東京の大学に通っていた長女も2月からずっとウチにいます。もう二度と帰ってこないかと思っていた娘が、期せずして毎日家に引きこもっている。

 次女はやっとうるさい姉がいなくなったと思っていたら…いやいや、これはこれで結構楽しそうに姉妹でキャーキャーやっております。

 そんなわけで女子3人が1階の居間や奥の和室を占拠しており、唯一の男子たるワタクシは2階の寝室に籠もらざるを得なくなっております。はい。

 しかし、このステイ・ホームのおかげで、一旦「解散!」とも言われた我が家族が再び「濃密」な時間を過ごすことになりまして、それぞれ意外な発見がありました。

 その一つが、「男子厨房に入らず」だった男子が、なぜか厨房にいることが多くなったということです。これは発見です。

 で、何をやっているかというと、まずは皿洗い。これは今まで全くやってこなかったので、自分でもビックリしています。別に無理やりやらされている訳ではありませんよ(笑)。もともとの経緯はこちらに書いてあります。

 そんなこんなで、なんか楽しくなってきたのですが、そう、実はその徴候というか、素質のようなものは自分でも感じていました。

 というのは、私の奉職する禅宗系の学校では、年間行事として「接心」というのがありまして、生徒と先生で学校に泊まって、禅僧の修行のほんの真似事をやるんですね。その時、「典座(てんぞ)」という食事係をやりますと、家庭科の調理室をお借りして、大量のご飯を作るとともに、大量の洗い物をしなければならないのです。

 今はエセ坊主として現場の指導をしなければならないのですが、若い頃はその「典座」の仕事がけっこう得意でした。特に食器や流しに1滴も水滴を残さず、また髪の毛1本床に落ちていない状態に仕上げることに、異常に執念を燃やしていたんですね。まあ、それこそが修行と言えば修行なわけですが。

 普段の私のズボラな性格からすると、当時、自分でも意外なほどにこれにはこだわった。まあ、単純に家庭科の女の先生方がおっかなくて(笑)、怒られないようにというのもあったけれども、そうこうしているうちに「先生は完璧!」と言ってもらえたのが嬉しくて、やたら頑張るようになってしまったのですね。

 そんな自分の経験がありましたから、まあ家のちょっとした洗い物くらいはなんでもないと言えばなんでもない。今まで全く食器を下げることすらしなかったのが、なんだかもったいなかったなと思うほどに、今は楽しく皿洗いをしています。

 家族からは「世界が滅ぶのでは」と思われるほどに、劇的に意外な変化のようですが、実は自分の中でも自然なことでもあったのです。

 それでも、なんで、このコロナ禍をきっかけに、そういう本来の自分(たぶん両親譲りの几帳面さ)が表れてきたのか。それはたしかに謎です。やっぱり世界が滅ぶのかな?(笑)

 ただ言えるのは、たしかにこの皿洗いというちっちゃな行為のおかげで、家族との関係が良い方向に「濃密」になったことです。

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2020.06.03

『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』 矢部宏治 (講談社現代新書)

アメリカによる支配はなぜつづくのか?

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 会にとっての「三密」と、個人にとっての「三密」の話を昨日書きました。

 では、国家にとっての「密」とはなんなのか。

 密談、密約、密殺、密偵、密輸、密売、密謀…どうも三つでは収まりそうもありません。

 この本では、特に「密約」がクローズアップされています。日米間の密約です。

 先日、二日続けてオンライン・サロン的なものをやりましたが、そこで私は「日本は敗戦国である」ことを強調しました。その事実は残念であり、思わず目や耳を塞ぎたくなるのもわかります。しかし、その基本に立脚しないと、ここのところの様々な問題、たとえば検察庁法や種苗法の改訂の問題などは正しく理解できません。

 どうも、そういう事実を忘れてしまうというか、あえて意識しないというのが、日本人の得意技のようですね。

 「密約」も、陰謀と同じように、明らかになってしまっては全然「密」ではないはずです。実際、アメリカの公文書公開によって、たくさんの「密約」が白日の下に晒されましたが、それでもまだ日本人にとっては「密」のままなようです。

 この本でも、実にご丁寧にその「密」を「顕」にしてくれていますが、おそらくそれを意識するのは国民の数%にしかすぎないでしょう。

 いや、私はそれを嘆いているのではありません。ここまで多くの日本人が「密」を「密」のままにするのには、何か意味があるのではないかと。

 実はそれが「国譲り」の作法だとも思うのです。

 というのは、ここに挙げられている「密約」にも、それこそ裏で密に関わっていると思われる、黒幕(というのは憚られますが)仲小路彰の存在とその思想、哲学を知っているからです。

 大東亜戦争(太平洋戦争)は日本の勝利であった(我等斯ク勝テリ)と書き残し、戦後、(敗戦国として)アメリカに利用されているように見せかけながら、実はアメリカを利用して復興を果たすべく日本を導いた仲小路。

 凡人には理解できない、いや認知すらできない、奥深く複雑な未来的政策は、結果として見事に機能し、20世紀後半の日本の繁栄を実現しました。

 そのシナリオの基本には、日本人の特質である「国譲り」の思想と作法があると感じます。世界史と日本史を全て知りつくした仲小路なら、そのような「密謀」を考えついても不思議ではありません。

 この本の前作、『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』もそうでしたが、たしかに「知ってはいけない」ものなのかもしれません。表面的に筆者の意図を見れば「知るべき」「知らなくてはいけない」になるはずです。しかし、意識的にか、無意識的にか、「知ってはいけない」としたのは、実は大正解なのかもしれませんね。

 しかし、たしかに時代は変わってます。仲小路の未来学が構想した(21世紀的な意味での)グローバリズムは、20世紀的な価値観ではとても理解できるものではありません。

 ということは、21世紀に生きる、いや22世紀にも生きるかもしれない私たちは、この「密約」を知った上で、それを嘆くだけでなく、そこに新たな意味を創造し、次なる物語を紡いでいかねばならないのでしょう。

追伸…今日も学校の上空を米軍の貨物機数機が我が物顔で超低空飛行していきました。最近その数が多いのはどういうわけでしょう。

Amazon 知ってはいけない2

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2020.06.02

「三密」を心がける!?

Th_230pxabenomask うやくウチにも「アベノマスク」が届きました。家族4人で取り合いになっています(笑)。

 私は幼稚園でも働いているので、同様の布マスクは4月の段階で国からいただいていました。園児から「園長先生、マスク小さ〜い!」と笑われながらも、「いただいたものはありがたく使うんだよ」と言いながら使い続けてきました。

 実際、布マスクの方が息が楽ですし、肌にも優しいのです。メガネが曇らないのも良い。ま、マスクとしての機能は劣っていると思いますがね。

 さて、アベノマスクの袋には「3つの密を避けましょう!」とあります。

 この「三密」ですが、コロナ騒ぎが起きる前までは、私の脳内においては「避ける」べきものではなく、全く反対で「心がける」べき、「守る」べきものでした。

 そう、「三密」とは、仏教語で「身密」「口密」「意密」のこと。密教の教えですね。

 「身密」とは「印相を結ぶ」こと。すなわち体、行動に気をつけるということです。

 「口密」とは「真言を唱える」こと。すなわち口、言葉に気をつけるということです。 

 そして「意密」とは「心に曼荼羅を浮かべる」こと。すなわち意識、心の中身に気をつけることです。

 こちらの(本来の)「三密」は避けてはいけませんね。心がけねばならないものです。

 どうでしょう、このコロナ禍の中において、私たちは本来の「三密」まで避けてしまっていないでしょうか。ここのところのニュースは、暴動やら誹謗中傷やら、どう考えても身・口・意が乱れているとしか思えないものばかり。

 新「三密」の結果、私たちは他者とのディスタンスを取らざるを得ない状況になっており、それがある種の不安を喚起しているようですね。

 そんな時こそ、真「三密」を心がけねばならないでしょう。もともと密教(仏教)の修行はごく個人的なものです。他者とのディスタンスは基本関係ありません。

 今一度、自分の「行動」「言葉」「意識」に目を向けてみてはいかがでしょうか。

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2020.06.01

ヴィヴァルディのヴィオラ・ダモーレ協奏曲(ダンスとコラボ)

 

 んちゃってですが、私もいちおう世界でも珍しい「ヴィオラ・ダモーレ奏者」の一人です。演奏歴、なんだかんだ30年になります。こんな演奏会もやりましたっけ。

 なにかと変わったマイナーな分野で…すなわち競争率の低いところで…目立とうとするずるい性格なんですね(笑)。いや、自分を客観的に見ると、あらゆる分野でそうなんですよ。困ったものです。

 いや、人々が忘れてしまったり、偏見から捨ててしまったものに光を当てるという意味では、それなりの社会貢献をしているかもしれない…かな?

 さて、ヴィオラ・ダモーレを弾いてみますとですね、やはり、そのオリエント的な魅力というのを感じるんですよね。その後の合理主義に絡め取られていく西洋の楽器たちの中で、明らかに異彩を放っています。調弦だけでも大変ですからね。

 多弦かつ共鳴弦を持つために生じる独特なレゾナンス…それはつまり不協和で混沌とした豊かな響きなわけですが、それこそがその後の和声音楽の発達に反しているところがある。

 また、多弦でありながらフレットレスなところ。これもまた、ある種の土俗性の匂いを遺している。ヴィブラート、音程のずらしなど、まあ、演歌みたいな演奏ができるんですね(笑)。

 ですから、バロック時代はもとより、その後の時代、現代に至るまで、時々音楽史に登場するのは、単なるノスタルジーというだけでなく、そういう反近代的なものへの過激な憧れのようなものがあったからではないかと思うのです。

 さてさて、そんなヴィオラ・ダモーレを主役に据えた作曲家としては、やはりヴィヴァルディを挙げねばならないでしょう。彼のヴィオラ・ダモーレ協奏曲は、前バロック的な楽器の特性をもって、逆に超バロック的な表現をしている魅力的な作品たちです。

 どうでしょうね。世界史的に言っても、モンゴルやトルコへの脅威や東洋(たとえばジパング)への憧れのようなものが、まだ残っていたのかもしれませんね。

 そんなヴィオラ・ダモーレの魅力を見事に表現しているのが、このビデオです。面白いですね。演奏(特にカデンツァ)はもちろん、コンテンポラリー・ダンスを採用した映像の不思議な世界観がなんともいい。なるほどなあ、と思った次第です。

 

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