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2020.05.01

ダースレイダーx宮台真司 #100分de宮台 第2回

 

 1回も面白かったが、こちら第2回はそれ以上にいろいろと納得させられました。

 宮台さんの「クズ」とか「クソ」とかいう表現は、それだけ見れば「なんて汚い言葉を使うんだ」という批判につながりかねませんが、その論理的な筋道(文脈)の中で聞けば、なぜかすんなり受け入れられる。

 これって実は、案外パブリックな表現の中では避けられてきた語法(話法)であって、その避けられてきたことによって力を発揮できてこなかった言語の潜在能力なんじゃないかなと思ったりして。

 実は個人的な、つまりパブリックではなくプライベートな人間関係の中においては、そうした背後の文脈を持った汚い言葉というのは、非常に有効(友好的に)機能してきました。本当に仲が良い友だち同士は、しょっちゅう「死ね」とか言いあっていますよね。

 ワタクシのような学校のセンセーは、そのパブリックとプライベートのあわいで人間関係を作り、物語を紡ぐプロであるべきでして、そういう物言い(語法・話法)をけっこう武器として駆使できたりします(最近はそれを活字化されてバッシングされることも多くなりましたが)。

 逆に言うと、メディアでの言葉のやりとりというのは、どうしても背後の文脈が省略されるというか、そこを忖度しないでストレートに言葉の意味に依存してしまう受け手が多すぎて、結果として実につまらない場になってしまっています。

 ですから、宮台さんやダースレイダーさんのように、そこらへんのさじ加減が上手で、いやそれ以前に圧倒的な信頼を得るに足る論理性や一貫性を持つ人が、こうしてパブリックな場において「クズ」や「クソ」や「死ね」や「○○野郎」と言ってくれると、私たち凡夫はいつもより高次元ですっきりするのでした。

 SNS中心に、あまりにテロ的な言説や逆に超警戒モードな言説ばかりになっているこの世の中においては特に。

 これってなんでしょうね。やっぱりそこに「愛」があるかどうかなのでしょうか。そして「愛」にはやはり知性が必要なのでした。

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