憲法の「放置主義」
憲法記念日。昨年の今日は、改憲派のトップに直接「天皇の命がけ」の話をしました。
あれから1年。まさかこんな(コロナ)ゴールデンウィークを迎えるとは、あの時には全く想像していませんでした。人生は、歴史は常に想定外です。
このブログで何度も書いてきたとおり、私はこのコロナ禍は「第三次世界大戦」だと捉えています。その文脈でいうと、ますます現憲法はその実際的効力を失いつつあると思います。
いささか逆説的になりますが、これほど現憲法が現実から遊離している状況においては、もう改憲されもほとんど無意味なのではないかと思われます。
つまり、現憲法は、まさに「奇跡の憲法」として、一つの「象徴」としてそのまま残し、現実にはその「文学的」解釈と、それに伴う個々の法律で対処していけばよいのではないかと。
特に護憲派が愛する「9条」に関しては、現実の戦争が戦車や戦闘機や軍艦やミサイルではなく、こうしてウイルスによってなされているという事実を直視し、もう放置でいいのではないのでしょうか。戦力の意味が変わりすぎていますので。
憲法の一つの存在意義として、「未来の理想像」を描くという機能があります。そういう意味ではもうすでに充分「文学的」なものなのです。文学はその時代時代においていろいろな解釈が可能であり、しかしそこに普遍的な心理、不変の真理が描かれているから、なくならないわけですね。
そろそろ憲法論議もそういう次元に移行してもいいのではないでしょうか。たとえば、聖徳太子の十七条憲法に対する処し方と同じように。
そういう意味では、私は護憲派なのかもしれません。そのまま放置でいいと考えているわけですから。放憲派とでもいいましょうか。いや、放置主義か(笑)。
いや実際に、もし、もし憲法改正の国民投票にこぎつけたとしても、その時には必ず天皇の「鶴の一声」があって、結局「放置」になってしまいますよ。これは予言ではなく確言です。何しろ、万世一系の天皇の「命がけ」なのですから。
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