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2020.05.02

ダースレイダーx宮台真司 #100分de宮台 第3回

 

 日に続き、宮台真司さんとダースレイダーさんの対話です。今回は私好みの内容でしたね。

 ところで、今日初めてオンライン飲み会(勉強会)をやりました。某大手最先端企業の若手社員お二人と「たくのむ」を使っての飲み会(勉強会)。

 以前リアルでも飲み会(勉強会)をやったことがありまが、オンラインでも充分盛り上がりましたね。職業柄か、私がほぼ一方的に話すという形になってしまい、ちょっと反省です。まあ、いわゆるオンライン(遠隔)授業みたいな感じになってしまったということです。

 実際に学校でも遠隔授業をやってみて、これで充分じゃんという部分と、やっぱりリアルじゃないとダメだという部分が明確にわかり始めています。

 まあ当然と言えば当然ですし、最終的にどちらにするか選ばなければならないのではなく、双方を有機的に組み合わせることによって、教育(学校・授業)のバージョンアップを図らねばならないわけですね。

 店飲みか宅飲みかの二択ではなく、それをどう組み合わせたり、相互補完させたりする。そうしたことは、このコロナショックの中で様々な分野で起きています。

 この宮台さんとダースさんの対談では、宗教、文化、教育などで、今後どのような変化が必要なのかが論じられています。そのいずれもが、オンラインで代替可能な部分と、そうでない部分を持っていて、まずはそれがこういうドラスティックな状況の中で鮮明に峻別されてきている。

 実はこういうことは、歴史的に見て、新しいテクノロジーの台頭に天変地異、戦争などが重なって、いつの時代にも起きてきたはずです。

 たとえば自動車が発明され普及して、徒歩で移動する機会が減りましたね。自動車で移動することによって、徒歩なら気づく野の花や虫の音に気づくこともなくなりました。インターネットによるオンライン○○においても、そういうことが起きるわけです。

 それでもやはり自動車をやめようとならなかったように、おそらく宗教、文化、教育においてもテクノロジーの波には抗えないと思います。もちろん、宗教はもちろん、文化、教育も、経済や工業技術や科学に比べるとバージョンアップしにくいことはたしかですが。

 野の花や虫の音に興味を持たなくなることが、人間として退化なのか。いや、逆に野の花や虫の音を意識的に捉えるようになるから進化なのか。そこも難しいところでしょう。

 ただ言えることは、私たちはなかなか逆戻りできないということです。新しいテクノロジーは、常に安全、安心、楽なほうに向かっています。その安心、安全、楽の体験というのは不可逆的なものです。しかし一方で、その反対、危険や不安や苦難は、そのたびにノスタルジーの対象になってゆき、それがまた特殊な文化となって生き残っていったりするので、話はそう単純ではありません。

 まあとにかく、これほどの大きな転換点に遭遇するとは思っていませんでした。あらゆるものをバージョンアップしていかねばなりません。それは面倒くさいことではありますが、それを楽しめるかどうか。私たちは試されていますし、旧来の宗教、文化、教育も試されているのでしょう。

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