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2020.05.31

教育用E Ink(電子ペーパー)デバイスの開発を!

↓これはBOOX Max3
Th_-20200601-93156

 日からの続き。

 遠隔授業をやっているうちに、様々な問題点が浮かび上がってきました。そのうちの一つが昨日のデータ通信量問題。

 今日は端末の問題です。

 ウチでも娘二人がそれぞれ高校と大学の遠隔授業を受けています。大学生の娘は基本iPadで、高校生の娘はお古のiPhone5S(セルラー機能なしの抜け殻)を使っています。

 ウチにはMacも何台か転がっていますが、あまりそれらを使う気はないようです。やはり慣れたデバイスがいいのでしょう。

 彼女たちの共通の悩みは、とにかく目が疲れること。特に下の娘は4インチの画面を6時間ずっと見ていますからね。

 その他の生徒の家庭でも、生徒が専用で使えるPCやタブレットがあることは稀です。結果としてスマホで授業を受けるというのが一般的。

 その結果、眼精疲労問題、そして昨日のような通信量問題やバッテリー問題も生じるわけです。

 あと「プリント問題」というのもあります。我が家には実家からもらってきたプリンタがあるのでいいのですが、意外にプリンタのない家庭は多い。そうすると、プリントを配ったり、テキストを印刷したりできないことを前提に授業を進めなければならないわけですね。

 で、こうした問題を解決し、真の教育のICT化を進めるなら、やはり専用のデバイスを作らねばならないと思います(それこそ私にお金と能力と時間があれば、今すぐにでも製品化したいのですが…)。

 どういうデバイスが必要かというと、まずは教壇、黒板代わりとも言えるテレカンツール用デバイスですね。これはタブレットで十分です。ただし、目が疲れないようにブルーライトをカットする等の工夫が必要ですね。

 そして、あとは「ノート」「プリント」「テキスト」という机上の紙媒体の代わりになるデバイスです。これは統合できます。E Ink(電子ペーパー)媒体を使うのです。

 すでにいろいろなメーカーから電子ペーパーデバイスが発売されていますが、あまり普及していないこともあって結構高価です。

 私もAmazonのKindleなどを持っていて重宝していますし、目も疲れず、またバッテリーの持ちが圧倒的に良くて重宝していますが、あれを教育現場で実用的になるようA4サイズ以上の大きさにし、手書き機能、クラウドとのデータのやりとり(プリントの配布や回収など)の機能を持たせると、現状ではかなりのお値段になってしまうと思います。

 しかし、今後日本中で、あるいは世界中で遠隔授業が一般化していくであろうことを考えると、こうしたデバイスの需要は間違いなくあると思います。大量生産されれば価格は1万円以下まで下げられると予想します。

 タブレットと電子ペーパーの一体型(分離可能)とかどうでしょう。電子ペーパーにバーチャルキーボード機能も持たせれば、A4ノートパソコンのように持ち歩いて使えると思います。

 というか、こういうデバイスを本気で開発しないと、遠隔授業は普及しませんよ。文科省もそういうこと分かってないんですよ。タブレットを配ればいいと思っている。

 マジで、どなたか作りませんか?絶対儲かりますよ(笑)。どこかに話を持ちかけようかなあ。あえての(?)キングジムさん、どうでしょう。学校と言えば「文具」ですから。

キングジム公式

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2020.05.30

教育用テレカン(遠隔授業)ツールの開発を!

Th_img_6286 が校でも分散登校が始まりました。

 ウチは独自の「ハイブリッド授業」で、生徒の安全と学習機会の保証をしています。

 簡単に言えば、クラスの半数が登校し授業を受け、その授業をZoomで残り半数の家庭に中継し、結果としてリアルタイムに直接、間接的に全員が同じ授業を受けるというシステムです。

 この休校期間中、特に若い先生方を中心にいろいろなチャレンジをし、また生徒やご家庭の協力を得て、なんとかこの態勢が整いました。

 上の写真は、あるクラスでの「ハイブリッド授業」の様子です。黒板の左側にはプロジェクターで家庭にいる生徒たちの顔が映し出されいます。これで一応全員の姿が教室に存在するということになりますね。

 このシステムは想像以上にうまく機能するのですが、実は大きな問題点があります。このシステムというか、いわゆる「遠隔授業」全般に関する問題点ですね。テレカン(テレビ会議)の問題点。

 それはデータ通信量が莫大であるということです。だいたい1分20MBくらい、すなわち1時限の授業でだいたい800MB〜1GBのデータが行き来するのです。

 学校の方はともかくも、家庭での通信環境によっては、これは非常に負担が大きい。Wi-Fi環境のない家庭もけっこうありますし、そうすると生徒のスマホのセルラー回線を使うことになり、契約プランによってはすぐに通信制限を招いてしまうことになります。

 各キャリアが特別措置として、たとえば学生は50GBまで無料で提供したりしていますが、50GBとはすなわち授業50時間分にしかならず、それでは2週間持ちません。

 今後再び休校になったり、分散登校が続くようであれば、これは大問題となります。教育の機会の不公平が生じるわけですから。

 ですので、私はぜひとも日本国内のベンチャー企業にでも、「軽い」テレカンツールの開発をお願いしたいと思います。

 実際のところ、生徒の画像は滑らかな動画である必要はありません。静止画を2秒間隔で並べる感じで十分です。パラパラ漫画というか紙芝居レベルでいいのです。それだけでもかなりデータ量が削減できるでしょう。

 データ量を減らすによって、デバイスへの負荷も低減できます。現状では、スマホやタブレットのバッテリーの消耗が非常に激しく、たとえば6時間の授業を連続して視聴するのは難しい。充電しながらというのも可能ですが、バッテリーへの負担が大きくなり寿命を縮めてしまいます。

 ですので、ぜひぜひどなたか開発してくださらないでしょうか。現在、テレカンツールは、Zoom、Googie Meet、Microsoft Teams しかありません。

 自分にそういう技術があれば、さっそく開発して一儲けするのですが(笑)。いや、儲けるは冗談として、これから公立校でも遠隔授業をするようになれば需要がすごいことになると思いますので、絶対に必要ですよ。

 どなたかお願いします!

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2020.05.29

『きみはいい子』 呉美保監督作品

 

 近、夜中か早朝に1本映画を観るというのが習慣になっております。

 今日の未明に観て、めちゃくちゃ感動したのがこの映画です。富田靖子さんシリーズで何気なく選んだのですが、うん、今まで観た映画の中で間違いなくベスト10に入ると思います。

 ものすごく丁寧に作っているなあというのが理性的な感想。言葉にならない涙が溢れたのが、感覚的、本能的な反応。

 そのバランスが素晴らしかった。これは実に映画的な映画です。映画の素晴らしさ、奥深さを堪能できました。

 児童虐待、痴呆、自閉症、学級崩壊…それらをこうして文字で並べてしまうと、なんとなく観るのが辛い、暗いイメージになってしまうと思いますが、実際の感想は全く逆。なぜか温かい気持ちになり、日々を生きる勇気が湧いてきます。

 原作が優れているというのも事実でしょう。しかし、それ以上に、ここまでリアルに映像化した監督さん、役者さん、子供たち、スタッフの皆さんに心から敬意を表したい。

 一昨日紹介した「トゥルーマン・ショー」とは、あらゆる面で対照的ですが、これもまた映画、あれもまた映画。それが映画の素晴らしさですね。

 こちらは、どこにでもある街の、どこにでもある日常。主人公がいるわけでもなく、しかしみんなが主人公。登場人物の、それぞれの傷は、観る人自身のどこかのピースに必ずフィットします。誰もがどこかに共感、共鳴できるから感動する。

 傷があっても、欠陥があっても、こうしてお互い補い合って、抱きしめ合って生きているという幸福感。ハッピーエンドではないし、完全な解決には至りようもありませんが、しかし、もうそれでもいいんだという安心感。

 これは、親、教員、いや全ての大人に観てもらいたい名作ですね。

 誰かの演技をほめようと思いましたが、全員素晴らしすぎるのでやめます。特に子供たち。なんでこんなに自然な演技ができるのでしょうか。もう演技という枠を超えてしまっているのかもしれませんね。奇跡的だとさえ感じました。

 これは本当におススメの映画です。この映画に出会えて良かった。つないでくれた富田靖子さん、ありがとう。

Amazon きみはいい子

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2020.05.28

『椿井文書ー日本最大級の偽文書』 馬部隆弘 (中公新書)

Th_41q2k5a3inl_sx314_bo1204203200_ 日の「トゥルーマン・ショー」の続きとも言えます。

 私は、いわゆる地元に残る偽書「宮下文書」にいろいろと関わってきました。そうした偽書、古史古伝、偽文書というモノは、ある種の「リアリティショー」でもあります。

 実際にそれを信じてきた人々が無数にいるわけで、たとえば私なんかも、宮下文書の内容を鵜呑みにしているわけではないのですが、少なくともその内容が私の人生、生活に大きな影響を与えているというのは事実です。

 「トゥルーマン・ショー」のディレクター、クリストフが思い通りの世界を作り上げたように、それらの文書では制作者のなんらかの意図のもと、アナザーワールドが形成されています。

 私はそのアナザーワールド自体というより、その制作者の「意図」の方に興味を持っているわけですが、そのような視点はもちろん、その内容がどのように伝播し信じられ続けてきたかにも注目しつつ、アカデミックな立場から偽文書を研究しているのが馬部先生です。

 正直、ワクワクしっぱなしで読みました。このような虚実皮膜世界、虚が実を侵食する世界、あるいはその逆の世界が根っから好きなんですね、私。

 椿井文書のすごいところは、まさに「受け入れられてきた」ということです。

 宮下文書においては、「受け入れた」人々はかなり限定的です。一部の好事家や宗教家、政治家に限定されていると言っていいでしょう。お膝元に長く住んでいる者として意外だったのは、地元の人たちには全く「受け入れられて」いないということです。そこがまた別の興味の対象なのですが。

 椿井文書が地元から拡大的に広く受け入れられ、引用され、研究されてきたということは、その「嘘」がいかに巧妙であったかということに加え、その嘘の「意図」が絶妙に現実的だったからだと思います。

 そのあたりの、まさに虚実皮膜のスリルは、それこそ「トゥルーマン・ショー」と同じくらい面白い。そして、ここへ来て、こうして長い長い物語が一つの完結を迎えるのだなあと思うと、何か感慨深いものがあります。

 巨視的に見れば、多くの公認文書たちにも、少なからず「意図」があり、「嘘」があります。当然のことです。では、いったい、どこまでが史料であり、どこからが偽文書になるのか。あるいは、ほかにも椿井文書のように史料から偽文書に格下げされる「史料」が出てくるのか。これは実に興味深いところであります。

 それにしても、「山梨(甲斐)」って偽文書と縁が深いですねえ。この本にもいくつか記述があります(網野善彦さんも含め)。さすが「生黄泉の国」。もともと虚実皮膜の国なんですよね(笑)。

 さらに言えば、私が最近関わっている近現代の「未知の新史料」とも「未知の偽文書」とも言える、山中湖に眠る仲小路彰文献群。これもまた、昭和の大物たちを動かしてきました。その未来的な「意図」を研究することが、どうも私のライフワークのようです。

 

Amazon 椿井文書

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2020.05.27

『トゥルーマン・ショー』 ピーター・ウェアー監督 ジム・キャリー主演作品

Th_81wsin9odsl_ac_ul320_ 「ラスハウス」というリアリティー・ショーの犠牲者となった、プロレスラー木村花さん。

 虚実皮膜という意味では、似たレイアーにあるはずのプロレスとリアリティー・ショー、いったい両者にはどんな違いがあったのか、日々考えさせられています。

 そんな思考の中で、ふと思い出したのがこの映画。あらためて観てみました。

 自分の人生が実は壮大なショーだった…。

 なるほど、この映画の中に重大なヒントがいくつも表現されていました。初見の時はそれほど恐ろしく感じなかったのに、今日はとにかく怖かった。

 もちろん初見の時も、「もしかすると私が現実だと思っているこの世界は、すべてショーなのかもしれない」という感覚に陥りました。

 しかし今回はそれに加えて、自分がショーの傍観者であるような気も強くした。さらには、ショーを制作するスタッフのような感覚も…。

 いずれにせよ、全てが「作り物」であって、フィクションこそがリアルであるとしたらという恐怖。

 たしかに、私たちの認識する世界は、私たちの脳みそでストーリー化されています。そういう意味では全て虚実皮膜の間ということになるわけですが、その主体が自分自身ならまだ安心できるものの、それが他者だったらどうなのか。

 そうした感覚が「神」を生み、宗教を生んだのは間違いありません。また、私たちが日常で陥りがちな陰謀論、もっと卑近に言えば「アベガー」みたいなものも、自分が「ショー」に巻き込まれているという感覚から生じているのかもしれません。

 最後、大航海時代のような勇気をもって「国」を出た主人公が、嵐を乗り越えたどり着いた先が「壁」であったというのは、ある意味リアルです。

 それは最近の「フラットアース」、いや太古からの私たちのもう一つのリアル、地球平面説につながるような気もしますし、その壁の扉を開いた向こう側が、もしかすると再びショーの世界であるという、入れ子構造の並行宇宙(パラレルワールド)を象徴しているようにも感じました。

 視点の入れ子構造ということでいえば、「カメラを止めるな」もそれでしたよね。全く違う表現と内容でしたが。

 いずれにせよ、私たちはストーリーの傍観者という、ある意味無責任な「神」のような存在になりたがっているのかもしれません。それは恐ろしいこともあります。

 その無責任な「神」としての自己が、たとえば映画やテレビ番組、プロレスのような枠の中に収まっていて、それが終わったらこちらの世界に帰ってこれれば問題ないし、それこそがエンターテインメントだと思いますが、それこそ虚実皮膜ではなく虚実が混同してしまうと、今回のような悲劇が生まれてしまうのではないでしょうか。

 最後に、家族とも話したんですけど、私の人生って、あまりに偶然や奇跡が多すぎて、ある意味陳腐な脚本みたいになってるんですよ(笑)。私の話を聞いたことがある人なら納得だと思います。ちょっとおかしいくらいですよね。

 これって、やっぱり…だれかの三流芝居なのかな(笑)。

 

Amazon トゥルーマン・ショー

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2020.05.26

全女 vs ドリフ…志村けんさんのプロレスシーン

Th_-20200527-84557 だまだプロレスネタが続きそうです(忙しい)。

 興味のない方には申し訳ありませんが、逆にこれを機会に興味を持っていただきたいと思います。単なるスポーツではなく、演劇や神事の機能を持った「文化」ですので。

 さて、今日紹介するのは、新型コロナの犠牲者になってしまった志村けんさんのプロレスシーンです。

 プロレス好きとして知られていた志村さん。ドリフ時代にミミ荻原さんさんら全日本女子プロレスの皆さんと戦っている(?)んですよ。

 これ、8時だよ全員集合!のコントの部ですが、ステージにリングを急拵えして、これだけの内容をケガせず(?)生でやるって、とんでもなくすごいことだと思います。まさに体を張った、命がけのコントですね。

 全女の皆さん(レジェンドばかり)も手加減なし。ガチです。つまり、それなりにドリフの面々も受け身の練習とかしたんでしょうね。それが見て取れます。ロープワークだって、実は難しい。

 プロレスの本質がよく表れた素晴らしい「試合」だと思います。ここで展開されている「技(ネタ)」は、今ではたとえばDDTの男色ディーノ選手らが普通にやってますよね。

 受け身というか、やられっぷりというのもプロレスの醍醐味ですが、本当に8人とも素晴らしい。そして、子どもたちの純粋な笑いに、なんか感激してしまいました。

 あと、レフェリーが笛吹くって分かりやすくていいですね。子どもたちにとっては体育の先生的ですから。

 あっ、ちなみにジャガー横田さんはいまだに現役です!

 

 

 

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2020.05.25

長州力 vs 武藤敬司(Zoom飲み)

Th_-20200526-154942 った時はプロレスに頼れ!…が私のモットーです(笑)。

 幼稚園、学校再開に向け、あらゆることを決めていかねばならず、正直時間が足りません(苦しくはありませんが)。

 そんな時、心を和ませ、一方でやる気を鼓舞してくれるのが「プロレス」の世界。物語が現実に侵食する、あるいは現実が物語に侵食する、まさに虚実皮膜の間。

 というわけで、プロレスネタが続いている時は忙しい時です。

 今日はこの動画を観て、めちゃくちゃ笑いました。元気が出ました。こういうレジェンドたちの世界まで楽しめるのがプロレスのいいところ。

 60歳、場合によっては70歳過ぎても現役でできるスポーツなんてありませんよね。スポーツというくくりには収まりません。文化、伝統芸能です。いや、ロックの世界に近いかもしれない。

 さらに引退してからも、「素」の人間に戻って、現役時代とのギャップで人を楽しませることができます。長州力さんがいい例ですね。

 そして、飲みの相手はまだまだ現役の武藤敬司選手。富士吉田出身の世界的天才。人工関節手術をしてから、膝の調子もいいようで、フリーとして伸び伸びやってますね。彼は、ウチの学校の母体になっているお寺の檀家さんです。とっても身近。

 ちなみに…この対談(?)でも話題になっているお婿さんの慎太郎さん。義父の長州力さんとは対照的すぎるキャラクターと見た目ですね。そんな慎太郎さんを選んだ娘さんとは、私は数回お酒を飲んだことがあります。

 私たち夫婦にとって運命的な日になった2015年8月3日に初めて会いました。めちゃくちゃ美しくてびっくり。その時はまだご結婚前でしたが、お父さんについていろいろ語ってくれました。私たちの知らないご苦労があったのですね…そして、今はこんな好々爺になってしまって(笑)、やはりお孫さんの存在というのは大きいのではないでしょうか。

 というわけで、私にとっては名レスラーであるとともに、ちょっとプライベートでもご縁のあるお二人の爆笑「オンライン飲み会」です。もう、いろいろ最高すぎます。

 

 

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2020.05.24

ラッシャー木村さん没後10年

Th_unknown_20200525112501 日のショックからなかなか立ち直れません。

 何か象徴的でもありますが、今日はラッシャー木村さんの命日です。亡くなって10年になります。

 同じ「木村」でもありますし、ある時期ヒールとして活躍し、それこそ誹謗中傷に悩んだところも共通しています。

 国際プロレスが崩壊して、新日本に乗り込むことで活路を見出そうとした「はぐれ国際軍団」。有名な、田園コロシアムの「こんばんは」事件では失笑を買い、その後は完全にヒールとしてアントニオ猪木の首を狙います。

 当時のプロレスファンたちは、ある意味「テラハ」の視聴者のように「リアリティー」側に感情移入していましたから、「敵」のリーダーたるラッシャー木村さんに容赦ない批判、攻撃を浴びせました。

 新日本ファンが自宅にまで押し寄せ、生卵を投げるなどし、それがストレスで当時木村さんが飼っていた2匹の犬が脱毛症になってしまった話は有名です。

 それでも自分の仕事として覚悟していた木村さんは耐えに耐えました。

 木村さんのお人柄は、本当に温厚で紳士だったと言います。いや、プロレスのヒールたち、たとえば外国人でいえばアブドーラ・ザ・ブッチャーさんやタイガー・ジェット・シンさん、日本人でも上田馬之助さんらは、本当に素晴らしい人格者だったのです。つまり、人格者でないとヒールは演じられないということですね。

 そういう意味では、木村花さんも純粋で礼儀正しく素晴らしい人格者でした。ただ繊細すぎたのでかもしれません…。

 ヒール、悪役というのは、現実世界での「悪」と、それに対する「正義」という両暴力性を、物語の中で昇華する次元の高いお仕事です。それを通じて、長い時間をかけて、私たち一般人は大切なことを学ぶのです。

 私も子どもの時には、そうしたヒールたちを、心から恐れ、そして嫌悪していました。今は全く逆です。

 そんなラッシャー木村さんの生涯を分かりやすく紹介してくれたのがこの番組。ぜひご覧いただきたい。

 

 

Amazon 闘将 ラッシャー木村

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2020.05.23

追悼 木村花選手

 しすぎる。最も注目していた女子プロレスラーの一人、木村花選手がお亡くなりになりました。まだ22歳。悲しすぎる。

 お母さんの木村響子さんの現役時代から、花さんの存在は知っていました。彼女が本格デビューして、その「花」のあるキャラクターと確かなプロレス技術を高く評価していました。

 特に昨年始まったジュリア選手との抗争は、本当に久々に世界に通用する魅力的なコンテンツだと感じていただけに、本当に残念です。

 恋愛リアリティショーは見たことがありません。それはリアルといいながらフィクションだったと言います。それはプロレスも同じです。しかし、その楽しみ方が違いすぎます。プロレスはヒールに対しても愛をもって接します(昔は違いましたが)。

 それはその業界、運営側の次元が違うということです。「今だけ、金だけ、自分だけ」なのか、長期的に役者、選手、タレントを活かそうとするのか。

 もちろん、死んだらダメ!とも言いたい…いや、学校でのいじめ問題と一緒で、そう言っても絶対に解決しない。「いじめられている人の気持ちになってみろ」もダメ。なぜなら、相手の気持ちがわかるから、つまり相手が傷ついているからこそいじめるわけでしょう。

 私も「いじめる種」「いじめられる種」を持っているので、とても他人事としては語れません。そういう意識があるからこそ、誰かを批判したい

時、誰かを変えたい時は、必ずその人と仲良くなるようにしています。極端な話に聞こえると思いますが、総理にも言いたいことがたくさんあるので、だから近づいて仲良くしているのです。聞く耳を持ってもらうためです。

 花選手の命と引き換えに、私たちの心の次元が上がり、SNSに象徴される「むき出しの野性」世界が変わることを祈ります。私はそういう人たちにこそ、彼女のプロレスと、そして彼女のライバルたち、それらを包むファンのあり方を見てもらいたいと思います。

 昨年末の、花選手とジュリア選手の「愛と敬意の溢れる」試合をご覧ください。心よりご冥福をお祈りします。

 

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2020.05.22

オンライン(遠隔)授業の楽しみと新たな学び

Th_-20200523-124809 日は、中学3年生のオンライン授業があったのですが、オンラインならではということでの試み、スペシャルゲストをお呼びするというをやってみました。

 ゲストは安藤美冬さん!

 これが本当に生中継したいほど、素晴らしすぎる授業になりました。もちろん私は生徒側(笑)。miffyさんが生徒たちの質問に答えるのですが、その臨機応変かつ的確なお答えで、またその表現方法も完璧に素晴らしく、それこそ生徒である私もめちゃくちゃ勉強になりました。

 miffyさんもご自身のブログに書いてくれました。

 miffyさん、ありがとうございました!またぜひ!

 オンライン授業の楽しさというのは、いつもの教室ではできないことができることです。

 よく先生たちにも言うのですが、オンラインに限らずICTを教育に導入しようとすると、今までの黒板や紙ベース、そして一方通行の授業を機械の上で再現をしてしまう罠にはまるんですよね。

 まったく違うプラットフォームなのですから、同じこともできる部分はありますが、基本全く違った発想で取り組まなければならない。

 そこはやはり柔軟な思考を要します。そういう意味で、若い先生が多いウチの学校では、かなり新しいことをやっていると思いますよ。

 ちなみにおふざけと思われるかもですが、私、オンラインでできることとできないことを峻別するために、いろいろな古典的な遊びをオンラインでやってみました。たとえばできるのは「にらめっこ」とか「だるまさんがころんだ」とか「借り物競走」とか「しりとり」とかですね。

 とりあえずできないのは「かくれんぼ」「おにごっこ」「球技」など。

 そのできることと、できないことを分析すると、面白いことがわかってきます。これは学問の入り口です。

 そして、できないと思っていたことを、新しい発想やテクノロジーでできるようにする。これがイノベーションです。

 今までの教室ではできなっかた学びの機会ですね。

 来月には学校が再開しそうです。もちろん嬉しい反面、ちょっと寂しい気もします。元に戻ろうとする力が強く働くのでしょう、世間では。

 しかし、この数ヶ月の体験を無にしてしまう、単なる思い出にしてしまうのはもったいない。これを今後も活かせるかどうか。私たちはチャンスを活かせるのか。バージョンアップできるのか。これから試されることになりますね。

 

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2020.05.21

『めんたいぴりり』 江口カン監督・博多華丸 富田靖子主演作品

 

 えた恩は水に流せ。受けた恩は石に刻め。

 この一言だけでこの映画の全てを表しているとも言えますね。

 この言葉は深い。この映画、そしてドラマシリーズの「めんたいぴりり」もそうですが、そこには死んでいった人たちからの「恩送り」もあるのです。

 朝鮮、満州から始まるこの物語。一昨日紹介した「大日本帝国の推移」を見てからこの映画やドラマを見ると、また感慨深いものがあります。

 そう、あの戦争の犠牲になっていった人たちの霊、その思い、それは恨みや憎しみである場合もあるでしょうけれども、逆に「恩返し」の場合もあるわけで、それが戦後日本の奇跡的復興を実現したとも言えます。

 もちろん、単なるホームコメディ、人情喜劇、ビジネス成功譚として観ても十分に面白い。しかし、その向こう側にある本質的なこと、すなわち、「純粋に利他になると霊の力を借りることができる」という真実が見事に表現されている作品として鑑賞するのもありだと思います。

 ええと…実は最近、35年ぶりくらいに富田靖子さんブームが来ておりまして(笑)、昔の作品はもちろん、最近の作品も片っ端から観ております。

 ここへ来て、この「めんたいぴりり」、そして大ヒットして最近特別編が放送されている「逃げ恥」、さらには春まで放送されていた「スカーレット」などで、とんでもないお変人の男の妻の役が多い富田靖子さん。ある意味、ようやく適役を掴んだのかもしれません。

 なんとなく予感していたんですよ。若いウチはアイドルにも女優にもなりきれなかった。それは今という時を待っていたのですね。なにしろ、昔も今も基本変わっていませんから。見た目もキャラも。時代がようやく追いついたのかも(笑)。

 そう、「さびしんぼう」での、富田さんの未来役をやった藤田朋子さんの境地に至ったということですね。そういう意味ではあのキャスティングは、さすが大林宣彦監督ということになります。

 そんな富田さんの素晴らしい演技と、それに劣らぬ存在感を見せる博多華丸さんの演技にも注目です。

 いやあ、いい話でした。泣き笑いっていいですね。昨日の「先生モノマネ」もそんな世界でした。

 プライムビデオで、ドラマの方は無料で観ることができます。まずドラマで、それに魅せられたら映画という順番でもいいと思います。おススメです。

Amazon めんたいぴりり

 

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2020.05.20

赤塚不二夫とトンデモない仲間達!!

 日、我が中学校が舞台となった、水曜日のダウンタウン「先生のモノマネ プロがやったら死ぬほど子供にウケる説」が突然再放送されました。

 もうその時間は寝ていたのですが、多方面から電話やメールなどが入り、何か非常事態かと思いきや、たしかに非常事態でした(笑)。

 こちらでも紹介されているように、私たち出演者はともかく、全く私たちを知らない視聴者の方々までもが大笑いし、感動し、泣いてしまうという不思議。まさに本物のモノマネ芸のすごさだと思います。あらためて超一流の芸人さん、フタッフの皆さんと仕事ができたことを感謝し幸せに思います。

 さて、実はちょうど今日、家族に「全然知らないけれど面白い」モノマネの話をしていたんですよ。それは…三上寛さんの「ミサキ先生」です。これまた偶然「先生」もの。やっぱり先生のモノマネって原点なんですね。

 いや、たまたまこの動画を観て、その部分だけでなく、全編通じて泣きながら笑っていたのです。やっぱり赤塚不二夫はすごい!そして、彼が遊びや仕事で育てた人たちもすごすぎる!昭和はすごい時代だったなあ…と。

 三上さんのミサキ先生は22分過ぎからです。でも、ぜひ全編観てください。ぜひ、ぜひ。タモリさんのナレーションがまた抜群に「愛」です。

 

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2020.05.19

大日本帝国〜敗戦国日本

 ットを騒がせている検察庁法のことも種苗法のことも、近視眼的に見ていてはその本質はわかりません。

 ずるい、逃げている、ごまかしていると言われるのを承知で言いますと、私の立場は「なんともいえない」です。

 TPPの時も、秘密保護法の時もそうでした。つまり、それ自体には反対であっても、ある意味不本意に前に進めなければならない事情もわかるということです。

 その事情こそが「敗戦国日本」です。

 残念ながらその事実を忘れて、反対反対、賛成賛成言っている人たちが多すぎて、そこにうんざりしてしまいます。

 たとえば検察庁、特に特捜部がアメリカと深い因縁があることは、知る人ぞ知る事実です。その成立自体がGHQの存在と一体ですからね。

 その他も問題も全てアメリカと日本(政府)の戦勝国と敗戦国の関係の延長線上にあります。残念ながら、日本は独立国ではありません。そのことを忘れてなんでも反対、あるいは賛成というのは、あまりに虚しい。

 このことは、戦後意図的にタブーにされてきました。ですから、国民がみな忘れているというより、もともと知らないのですよ。

 日本政府、特に総理は命がけのギリギリの交渉をしています。今回、ロッキード事件を担当した松尾元検事総長らが法案に反対の姿勢を示したのも、そういう視点から見なければ真意がわかりません。

 もちろん、これは陰謀論とは一線を画す事実です。残念ですが。

 さて、これ以上書くと危険なので、この話はここまでにして、日本が「敗戦国」となった事情を復習しておきましょう。いったい、私たちは、どこまで勝っていて、どこから負け始めたのでしょう。それを知ることは非常に重要です。

 なぜ重要か。それはいつかお話します。

 大日本帝国がいかにして敗戦国日本になり、そして今に至っているかを俯瞰できる、とてもいい動画がありましたので紹介します。ぜひ復習してみてください。

 

 

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2020.05.18

『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』 小佐野景浩 (ワニブックス)

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 イブル。この一言でしょう。私にとってのこの本の価値を表すのは。

 人生のテーマだったんですよ。「ジャンボ鶴田は最強か」というのが。

 いや、ただ単にプロレスラーとして強かったかということだけではないんです。

 自分でもよくわからなかったのです。なぜ、少年の頃から今まで、ジャンボ鶴田が私の中で大きな存在なのか。 

 その答えがこの本の中にありました。だからバイブル。本当に素晴らしい本です。

 プロレスとは何か、プロレスにおける強さとは何か。そんなことをずっと考えてきたわけですが、なるほど、それだけでなく、やはり人間の総体としての魅力、ある意味での「新しさ」というものが、私の魂を捉え続けてきたのですね。

 この歳になって、ジャンボが亡くなった年齢をとうに越えた今、ようやく分かりましたし、納得しましたし、安心もしました。やっぱり「ジャンボ鶴田は最強だ!」。

 人生の設計のしかたが、私の唱える「時間は未来から…」「未来に原因を作る」に見事に一致していました。いや、もしかすると、ジャンボの生き方、戦い方、チャレンジの仕方を見て、そういう逆説的な哲学を生み出したのかもしれません。

 そう、彼の未来的な生き方が、ある意味非常に保守的であるプロレス界だったからこそ、異様に映っていたのでしょう。それが、ファンの不満を催し、アンチさえも生んでしまったのかもしれません。

 そして、そうした旧来の生き方、人生設計の仕方、あるいは人生設計などしない生き方が「かっこいい」とされた時代の中で、周囲に合わせていながらも、しかし流されないという「最強」の処世術、仕事術を実現したのですから、たしかにそれは「チャレンジ」に違いありません。

 また、そうした特殊な「マイペース」が、どういうわけかライバルや後輩たちを輝かせる結果を生んだ。これって、最強の利他ですよ。自我が強いかのようで実はスーパー利他。

 本気を出すことを格好よしとしないというのも、たしかに「最強」の一つの方法です。私もどちらかというとそういう生き方、表現の仕方をしていますよね。余裕を見せるというか。

 たまたま山梨に住むことになった私ですが、ここでジャンボ鶴田、武藤敬司という、明らかに「最強」な、しかし全く色合いの違う「男」に出会えたのは幸運でした。

Th_img_6242 小佐野さん、本当に素晴らしいお仕事をされたと思います。600ページ近いこの厚さ、まさにバイブル。感服、感謝。

 そして、前書きで初めて知ったのですが、小佐野さんのルーツも山梨、それも南都留郡(ということは旧◯◯村ですかね)だったということに、個人的には感激しました。

 本当にありがとうございました。これで安心して、死ぬまでジャンボ鶴田ファンでいつづけます。そして堂々と「ジャンボ鶴田が最強だ!」と唱え続けます。

追伸 読みながら気になった試合はYouTubeで観戦。いい時代になったものです。おかげで読了に3日かかってしまいました。

Amazon 永遠の最強王者 ジャンボ鶴田

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2020.05.17

with コロナ…動画3本

 の中が音を立てて変わりつつあります。大峠を越えようとしているのでしょうか。もう峠を過ぎたのか、それともまだまだ最高点はずっと先なのか。

 とりあえず、悪い意味で変わらない世界の象徴である「学校」というところは、今、刃物を突きつけられています。どうするんだ?変わるのか、元に戻るのか?

 私は当然「変わる」派であり、そういう意味では、今のこの状況を純粋にドキドキ・ワクワクしながら忙しくしております。未曽有の嵐の中、幼稚園、中学・高校の今後の舵取りをしていかなければならないのですね。

 しかし、面白いもので、私の「未来の記憶」に基づく、ここ数年の様々な行動(暴走?)が、見事に実を結びつつあるのです。そう、「過去の記憶」はどんどん遠ざかり不明瞭になっていきますが、「未来の記憶」はどんどん近づいてきて明瞭になってくるのです。

 さて、今日はGLOBIS知見録の三つの動画を観ました。もちろん「学校」というところに当てはめながら。おかげさまで、ますます「未来の学校」像はクリアにその姿を現しはじめました。

 問題は、今後、峠を下っていく時に内外から働く「元に戻ろうとする力」にどう抗うかですね。それは一人では難しい。だから仲間を作らなければなりません。まず自分が率先して動く。やっとリーダーになるチャンスが訪れたのかなと思っています。

 

 

 

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2020.05.16

検察庁法改正案について…動画3本

 ット(特にSNS)では、検察庁法改正案について両極端な意見が目に入ってきます。

 私は自身が賛成か反対かの前に、気分で賛成、反対を語る、いやつぶやく人たちが多いことにウンザリします。少し前にこんなことをツイートしました。

門外漢が門内について語るのは失礼だし、結局自分の恥をさらすことになる(自分もやらかすのでよく分かる)。
それを避ける方法が教養だと思うのだが、Twitterには教養は全く必要ないようだ。
そんな(悪)夢のような「表現の自由」の舞台を眺めるのは案外面白いし勉強になる。

 かなり皮肉が効いていますね(笑)。いや、ホントに私、検察庁法というもののことを全く知らないのですよ。だから、いろいろ言えない。

 せいぜい動画でいろいろな立場からの意見を知ることくらいしかできません。というわけで、今日観た動画をただ並べておきます。いろいろな立場でいろいろな意見があるということだけはよく分かりました。

 そして、どれもなるほどと思ってしまう。そんな程度なんですよ凡夫は。だから、やっぱり軽々しく意見言えないなあと。ただそういうことです。

 皆さんも時間がありましたら、ぜひ御覧ください。いろいろ揺れる自分を体験できますよ。

 

 

 

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2020.05.15

富士登山の中止…

 Th_-20200516-110001年の夏の富士登山はなし。

 山梨県側の吉田口と静岡県側の三つの登山道、すなわち一般の人が使う登山道の全てが今年は閉鎖するという発表がありました。

 戦後ずっと20万人くらいが登山してきた富士山。ほとんど登山者がいなくなるのは、終戦の年、昭和20年以来ではないでしょうか。

 戦前や戦中は今とは違った意味で登山者が多かった。それについては、かつてこんな記事を書きました。

もう一つの富士山(その1)昭和13年「防共盟邦親善富士登山」

もう一つの富士山(その2)昭和17年の吉田口登山者は20万人

 この時代の富士登山についてはあまり研究されていないというようなことを書いていますが、山梨学院大学の佐藤弘さんと松本武彦さんの優れた論文がありました。

戦時国民統合の国際的契機 ―昭和13年のふたつの富士登山をめぐって―

 ここにもあるように、昭和20年の登山者数は不明です。まああの年の登山シーズンは最悪の状況でしたから仕方ありませんね。それでも、最後の祈りをこめた意味での登山者は皆無ではなかったのではないでしょうか。富士山頂測候所も機銃掃射されるような状況ですから、まさに命がけの登山だったのでしょうが。

 そう考えると、やはり今のこのコロナ禍というのは「戦争状態」なのかもしれませんね。

 かつては富士山は禁足の山、あるいは遥拝の山でした。もちろん噴火したり噴煙を上げていたりして、人を寄せ付けなかったということもありますが、富士山自体が御神体と考えられていた時期が長かったわけで、そういう意味では今年は富士山は御神体に戻るのかもしれませんね。

 富士山鎮火の祭祀である「吉田の火祭り」も今年は中止。昭和19年も20年も規模縮小とはいえ行われたお祭です。それが中止。

 御神体に戻るだけでなく、かつての男性的な荒御魂の象徴たる富士山が復活する、つまり怒りの噴火を起こすことがないように祈ります。いや、富士山に住んでいる者としては、かなり真剣な祈りですよ。洒落になりません。

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2020.05.14

alan 『懐かしい未来〜longing future〜』

 

 ッハ父子からの大ジャンプですが、急に思い出しましたので。

 実はこの春、教育関係で四川省に招かれる予定だったのです。コロナ騒ぎで当然中止となりました。四川省といえば、パンダや四川料理や仏教や養蚕絹織物など、私の興味をそそるモノがたくさんありますので、楽しみにしていましたが、しかたないですよね。

 そのほか、大地震のことも頭にありました。その震源地を通じて、四川省の山間部にチベット族が住んでいることを知りました。その四川省出身チベット族歌手で日本でも活躍したのが alan さんです。

 この曲は日本で3枚目のシングル。作詞は大貫妙子さん、作曲は菊池一仁さん、プロデュースは坂本龍一さんです。

 私がこの曲を初めて聴いたのは、2009年からNHKFMで放送されていた「大貫妙子 懐かしい未来」のテーマソングとしてでした。

 「懐かしい未来」という響きに、それこそ「懐かしい」感じがしたのを記憶しています。その後、「時間は未来から過去へと流れている」「未来の記憶」ということを再発見して今に至るわけですが、もしかすると、この番組、この曲がそのきっかけになったのかもしれません。

 そして、なんと、大貫さんのラジオ番組の第0回(特番)のゲストが、高城剛さんと坂本龍一さんだったのです!

 まさかその10年後くらいに、そのお二人と「未来学」を通じてご縁ができるとは…本当に夢にも思いませんでした。人生は想定外ばかり。

 今、alan さんは中国に戻って活躍しております。最後に、大貫妙子さんの歌唱で聴いてみましょう。

 

 

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2020.05.13

C.P.E. バッハ:ロンド&幻想曲集(ショルンスハイム)

 日の続きですが、ある意味驚きの「連続」です。

 まず、復習かねて、今日紹介する演奏家クリスティーネ・ショルンスハイムさんの演奏で、昨日の父バッハの前奏曲を聴いてみましょう。

 これについては、かつて紹介したことがありますが、リンクも切れていたりするので、あらためて。

 前の記事にも書いたとおり、「女の覚悟」を感じる(笑)かなり思い切った演奏です。リュッカースの歴史的チェンバロがまた素晴らしい。

 

 

 どうでしたか。昨日のアスペレン翁とは違ったアプローチですね。やはりドイツ風と言ってもいいかも。バッハの演奏はこちらに近かったのかもしれません。

 さて、今日の「驚きの連続」ですが、この平均律が作曲されてから50年後、バッハの息子カール・フィリップ・エマヌエル・バッハが作曲した「ロンドと幻想曲」を聴いていただきたいのです。

 まず、これが親子かという視点(聴点)。いくら半世紀経っているとはいえ、ここまで音楽は変わりますかね。今の時代でもこれほどの変化はありません(というか、今だからこそ変わらないのかも)。

 たしかにエマヌエルは父バッハを継ぐというより、父の友人であったテレマンの後を継いだ感じですよね。父バッハ自身も、売れない自分と売れっ子の友人とを比較し、息子には売れっ子になってほしいと考えたのでしょう。なにしろ、この次男の「フィリップ」はテレマンの名前から採ったと言われていますからね。

 あとは、楽器のことです。ここで、ショルンスハイム女史が弾いているのは「タンジェント・ピアノ(タンゲンテンフリューゲル)」です。歴史的なタンジェント・ピアノは世界に20台くらいしか残っていません。ハンマーで弦を叩くピアノの先祖というより、チェンバロをクラヴィコードのように下から木片でつついてみた感じの楽器です。

 チェンバロのような音がしますが、強弱がつけられること、すなわち「ピアノ」の音が出ることが特徴です。そう、当時はチェンバロの音は大きすぎたのです。なんとかクラヴィコードのような音を出そうとして考えついたのがこのタンジェント・ピアノでしょう。

 友人でもある小倉貴久子さんが、この楽器について語っています。なるほど父バッハにも合うわけですね。

「目からウロコ」の響きを求める小倉貴久子さん

 というわけで、古楽器の研究家としても知られるショルンスハイムさんの演奏で、いろいろな意味での「驚きの連続」をお聴きください。

 

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2020.05.12

ボブ・ファン・アスペレン 『バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 24番 ロ短調』

 

 

 日公開された新しい動画。思わず何度も聴いて(見て)しまいました。

 バッハの鍵盤作品の中でも特に素晴らしいものの一つである、この前奏曲とフーガ。平均律クラヴィーア曲集の最終曲であり、いかにもそれらしい重厚な作風となっています。

 トリオ・ソナタ風な前奏曲。このウォーキング・ベースとその上に絡みぶつかり合う2声の総体は、まるで宇宙の構造を表しているかのようです。人類の生み出した最も美しく、深淵な音楽の一つでありましょう。

 そして、古楽界の重鎮、大ベテランのボブ・ファン・アスペレンさんの演奏がまた素晴らしい。そう、まず上の解説動画が興味深いですよね。やはり、もう人間の意識の領域を超えた世界なのでしょう。だから謎であり、魅力的なのです。

 さらに続くフーガの異様なことと言ったら…。いっちゃってますよね、あちらに。やはりバッハは宇宙と交信していたのか。いや宇宙人だったのか。

 有名な「12音」全て使うテーマ。それをどう演奏するか、これは人間には悩みですが、アスペレンさんの解釈には、思わず鳥肌が立ちました。機械的に弾くしかないと思っていましたが、このように人間的に弾くこともできるんだ!

 そこから展開する、ある意味自由な対位法によるあり得ない和声の連続。不協和音とかそういうことではなくて、倍音まで含めて、人間の意識を超えて無意識の領域まで刺激します。だから、なんだか不自然に聞こえるし、最初は美しく感じない。しかし、感化され共鳴するうちに、だんだんその深奥に足を踏み入れる快感が…あぶない、あぶない。

 私、個人的に、この長大かつ難解なフーガの、いやこの深すぎる曲集の最後の最後が、あまりにあっさり終わってしまうことに、ちょっと違和感があったのですが、いや、これ、こうして「あれ?これで終わり?」で終わることに意味があるのだと気づきました。

 そう、危ないんですよ。このままこちら側に帰ってこれなくなるかもしれない。だから、まるで「活を入れる」かのように、ハッと目覚めさせるために、あっさり終わったのではないかと。

 その前に、あの美しいブリッジのパッセージで、少しこちら側に戻ってくるんですよね。すごい。バッハ自身もヤバいと思ったのでしょう。

 はたしてバッハ自身はどんな演奏をしたのか。たしかに気になりますね。

 ああ、とにかく死ななくて良かった(笑)。

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2020.05.11

『ユダヤ人大富豪の教え』 本田健 (だいわ文庫)

幸せな金持ちになる17の秘訣

Th_41x9wt4y05l 日のジーン・シモンズからの流れです。ジーン・シモンズはユダヤ人大富豪ですからね。

 今日、この本を長女にプレゼントしました。長女、ここのところ「カネがほしい!」と叫んでばかりいるので(笑)、まずは「カネ」じゃなくて「おカネ」と言いなさいとアドバイスしました。

 そしてこの本を買ってやったわけです。

 先に言っておきますが、私はこの本に書かれていることの全てに同意するものではありません。というか、根本的におカネに興味がないし、おカネに縛られない未来の経済を知っているので、ここに語られていることは全て古臭いことだと思っています。

 私は、「人類はおカネによって修行させられている」という考え方です。人類共通の欲望、煩悩が、インターネットによってさらにグローバルになり、ビットコインのように抽象化されていく過程の中で、どれだけ私たちがその「虚しさ」に気づくことができるのか。

 実は、そうした修行のシステムを作ったのがユダヤ人なのです。いわゆるユダヤ国際金融資本とかいうと、なんだか陰謀論めいてきますが、そうではなくて、もっと高い次元から見ますと、人類の意識の進化のための方便だということに気づくのです。

 ここに語られている大富豪の教えは、そうしたシステムの中ではかなり高度な精神性や意識を伴うものです。しかし、それがゴールではありません。

 我が家ではいきなり、その先の仏教経済(利他・知足・布施など)の話をしていますので、たぶん娘は理解できていないのでしょう。なにしろ、私もそれに気づいたのは40歳を過ぎてからのことでしたから。

 私自身もこの本にもっと早く出会っていたら、その先の世界にももっと早くアクセスできたのでしょう。そんな思いから、今がチャンスと長女に読ませているわけです。

 長女もかなり刺激を受けているようです。珍しく「なるほど〜」と言いながら読んでいます。よしよし、作戦成功。まずは、今のおカネのシステムの中でどう次元を上げるか。

 「幸せな金持ち」というのが実在するのか。ジーン・シモンズはどうなのでしょう。「幸せ」と「金持ち」はどういう関係があるのでしょう。仏教経済的にいえば、その両者は永遠にイコールで結ばれません。

 金持ち王子がったお釈迦様は、それに気づいて出家したわけですから。

 

Amazon ユダヤ人大富豪の教え

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2020.05.10

ザ・ヒューマン スペシャル「誇り高き悪魔 KISSジーン・シモンズ」 (NHK)

Th_65606978_1184210528418591_62874144144 日に続き、見逃していたNHKの番組の再放送を鑑賞。これもまた感動しました。泣いちゃった。

 今年活動に終止符を打つ(コロナ禍で延期?)KISSのジーン・シモンズの、最後の来日に密着した番組の特別版。

 ライヴシーンがたっぷり紹介され、見応え(聴き応え)たっぷりの番組でした。

 特にミュージシャン、エンターテイナーとしてのプロ意識の高さ、加えてビジネスマンとしての独特の哲学には大いに感化されましたね。

 私は見事にKISS世代ですが、特に好きでよく聴いていたわけではありません。中学の友人たちにはKISSマニアがけっこういました。私は正直、こんなに長く続くバンドだとは当時も思わなかった。

 そうそう、長く続くとは思わなかったと言えば、このブログも(笑)。2004年の5月からですから、もう丸16年ですか。

 なんとですね、その自分的に奇跡のブログの初めての記事が「KISS」だったんですよ!

NHKアーカイブス ヤングミュージックショー「KISS」

 めちゃくちゃ短くて中身がない(笑)。いや最初はこんな感じの軽いノリで始めたんですがね。ま、それから毎日休まず、よく続いていると思いますよ。でもまだ丸16年ですから、少なくともあと30年は頑張らないとKISSに及ばない(笑)。がんばります。

 「昨日の自分に勝てば、いつでもチャンピオン」というような言葉がありましたね。なるほど、そのとおり。そう意識すれば、いつでも「We Are The Champions」…って違うバンドだけど(笑)。

 昨日の皆川達夫さんもそうでしたが、戦争の体験、何もかも失う体験から大成した方は多い。というか、戦争の直接的な体験ではなく、親世代が戦争を体験し、その抜け殻のような国の中で育った人たち。そういう方々が70歳台になって、いろいろな分野で頑張っていますね。私の身近なところでも、一番元気なのは70代です。

 それから感じたのは、やはり「ユダヤ」の思想というか感性ですね。お金を稼いで世界に貢献するという。お金に対する執着は普通ではない。ただ、その次元が凡日本人とは違う。

Th_202005110000021w1300_0 夜、プロレスリング・ノアの無観客試合を観ました。とても面白かったのですが、特にメインイベント「グレート・ムタ&魔流不死 vs 桜庭和志&望月成晃」は感慨深かった。プロレスファンなら分かりますよね。この4人が馬場さんの血統のリングで戦う(演じる)なんて。

 ここでも、ベテラン二人が顔にペインティングして口から何かを吹き出していました。これもまたジーン・シモンズと同様「歌舞伎」を起源としています。まさに伝統芸能。

 私もいつか、こうして隈取して口から炎でも吹いてみたいと思います。教室で(笑)。

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2020.05.09

こころの時代~宗教・人生~皆川達夫「宇宙の音楽(ムジカ)が聴こえる」

20200510-161329 週見逃してしまった番組、今日再放送がありましたのでじっくり鑑賞いたしました。感動いたしました。

 私の音楽人生に多大な影響を与えた皆川達夫先生。先月、92歳で天に召されました。今は天上(宇宙)の音楽を楽しんでおられることでしょう。

 私を古楽の道に誘ってくれたお一人です。最初はFM放送を通じて。その後何回かお会いしてお話を聴く機会がありました。素晴らしいお人柄の方でした。

 特に先生による「オラショ」の再発見の物語は、若かりし頃の私に多くの夢を与えてくれました。日本の古い音楽と西洋の古い音楽を同時に学び、奏で、そしてそれらを融合することに挑戦できたのは、先生のおかげです。

 大学時代、友人と洋邦の楽器を演奏するバンドを結成しましたが、その名前はこの番組でも紹介されていた「ムジカ・ムンダーナ(天上の音楽)」です。

 まさにそんな時、私の大学で期せずして「東西古楽の祭典」が始まりました。偶然ではありませんね。第一志望を落ち、いやいや入った大学、それも音楽とは無縁と思われていた大学を舞台にそんな夢のような音楽祭が始まるとは。

 それから30年以上、私は都留音楽祭の実行委員として最終回まで、どっぷりその世界に浸からせていただきました。これも中学高校の時に聴いていた皆川達夫先生の「バロック音楽の楽しみ」がそのきっかけだったのです。

 あれから35年経った今でも、基本的な音楽に対する姿勢は変わっていません。そして求めている究極の音楽は「ムジカ・ムンダーナ」です。

 長崎の隠れキリシタンが密かに歌い継いできたスペイン、ポルトガルの聖歌。その「オラショ」についての皆川先生の文章がありますのでリンクを貼っておきます。

オラショとグレゴリオ聖歌とわたくし

 番組でも紹介されていた日本語の歌オラショ。感動的な詩でした。それを収めた貴重な番組の動画がありましたので紹介します。このオラショとともに皆川先生のご冥福をお祈りします。

 

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2020.05.08

出口王仁三郎の漢詩

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 年の末、ご縁あって(ヤフオクですが)、出口王仁三郎の漢詩額を入手しました。

 富士山(天教山)を題材にした色紙はたくさんありますが、漢詩が添えられているものは珍しい。

 王仁三郎といえば数十万と言われる短歌が有名ですが、このように漢詩もたしなんでいたんですね。

 いわゆる「スの拇印」も捺されており、なかなかの逸品だと思います。ここ富士山に逢着して喜んでいるのではないでしょうか。

 そういえば、王仁三郎とは因縁の深い大正天皇も漢詩の名人でした。

今日は何の日?…大正天皇の漢詩一首

 さて、王仁三郎の漢詩、どんなことが書かれているのでしょうか。

 なんとか解読しましたので、紹介します。

東海卓立 (東海卓立)
正芙蓉(正しく芙蓉)
万古千秋(万古千秋)
不改容(容を改めず)
清岳鮮山(清岳鮮山)
形撰處(形處を撰ぶ)
五洲高聳(五洲に高く聳へ)
書仙峰(仙峰を書す)

 七言絶句ですね。もちろんちゃんと押韻もしています(蓉・容・峰)。

 王仁三郎の教義の中では、富士山(天教山)は高天原であり地球救済の中心であり宇宙の中心です。天の岩戸も富士山にあるとしているあたりも含め、宮下文書の影響を感じます。そして、仲小路彰のグローバリズムにも見事につながっていきます。

 このあたりの霊的な文脈が、ようやく明らかになってきました。昨日もちょっと書きましたが、そういった一次資料に触れることができる私は幸せ者ですね。この漢詩額も一次資料の一つですし。

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2020.05.07

新型コロナウイルス情報 その7

Th__112174279_trumpafp しぶりに宇宙人視点のコロナ情報を。

 いやいや宇宙人とかではなく、地元の村を舞台に感染騒ぎがありまして、いろいろな意味で人間の恐ろしさや愚かさを感じる機会となりました。

 この件に関しましては、ウイルスばら撒きが懸念されましたけれども、結果としてリアル濃厚接触の一人だけ感染という、ある意味奇跡的に幸運な結果でした。

 やはり、ここ富士北麓には特別な力が働いているのでしょうか。

新型コロナな弱点は「太陽光」?!

 いや冗談ぬきで、紫外線、宇宙線の強まる5月には、北半球の感染拡大は収束していくことでしょう。新型コロナウイルス、高温多湿にはやや強いようですが、紫外線に対してはインフルエンザウイルス並みだということのようです。

 な〜んて、私がいつもトンデモなことを言っていると思われる方が多いようですが…そのとおりです(笑)。

 しかし、宇宙人的一次資料や張本人からの情報がほとんどですので、信じる者は救われる!…かな。

 というわけで、私が主張してきたトンデモ説、ますます真実味を帯びてきましたね。

新型ウイルスは「真珠湾攻撃よりひどい」 トランプ米大統領

 昨日もトランプ大統領と直接おつきあいのある方と情報交換しましたが、やはりアメリカは中国に宣戦布告しているのですね。

 その宣戦布告が歴史的に見て怪しいわけです。上の記事で挙げられた「真珠湾攻撃」「911」もアメリカが意識的に誘導したというのは、すでに陰謀論の域を越え半ば常識となっています。

 「リメンバー◯◯」には要注意ということです。今回のコロナ戦争での死者数はベトナム戦争のそれを上回っていますから。

 中国が情報統制したり、虚偽の報告をしたりしたのは事実ですが、だからといって大本が中国であるという証拠にはなりません。

 前にも書いたように、アメリカで感染者、死者の数が膨大になってしまったのは、自分たちの開発したウイルスが原因ではなく、中国による報復攻撃によるものだと考えられます。問題は中国に対する次なるアメリカの報復がどのような形を取るかです。

 さらなる改良(改悪)型ウイルスをもってするとすれば、それは両国のみならず世界中で核戦争以上の犠牲者を生むことになりますから、それこそ「抑止力」が働くことになりましょう。

 さすがに、トランプ氏も習近平氏もそんなバカではありません。では、どういう形の戦争形態になっていくのか。それはおそらく経済的なものと、情報的なものになることでしょう。

 そんな両者の間で、ふらふらしている我が国日本。こういう時に浮かび上がる敗戦国という立場。そう、日本は米国にも中国にも「敗けた」国なのでした。そこをスタートにいろいろなことを考えなければいけません。憲法問題もそうなのです。

 

 

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2020.05.06

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

 とんど家を出なかったゴールデンウィーク。なんだかせわしなく、あっという間に終わってしまった感じです。

 特に今日は、明日以降の幼稚園と中高の方針を決めたり、いろいろなことの微調整をしたり。

 そんな中、BGM(?)で聴いたのがこれ。現実的な仕事の背景にしてしまうのは失礼なのかもしれませんが、私にとっての三島と全共闘の戦いは、(いい意味で)プロレスであって、現実的に没入するべき世界ではないのです。メタの視点からとらえないと、その未来的本質はつかめません。

 そう、現実的に入り込んでしまうと、その過去性のおかげで、単なる羨望や憧憬の対象になってしまうんですよね。いいなあって。

 未来的にはちっとも良くないのに、いいなあと思ってしまうという危険。そいつに若い頃はずいぶんやられましたから(笑)。

 これはプロレスであり、演劇であり、文学です。だから映画になったのです(コロナ禍のおかげで見にいけていせまん)。

 昨日の「花筐」と同じです。歴史が文学になり映画になり芸術になる。大いに結構ではないですか。戦争の反対語は平和ではなく「芸術」ですので。ぜひメタメタにしてやってください。

 見ればわかります。双方見事にレッスルしてるじゃないですか。だのにこの翌年、三島は死んでしまった。彼にとってはそれがかっこいい結末だったのかもしれませんが、自分で死んじゃったらダメですよ。かっこ悪い(個人的な感想です)。

 いみじくも仲小路彰は三島を評して「あの人は音楽が分からない」と言ったとか。

 

 

 

 

 

 

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2020.05.05

『花筐 HANAGATAMI』 大林宣彦監督作品

Th_unknown_20200506095701 日の「カメラを止めるな!リモート大作戦!」とは対照的な作品を鑑賞。これまたやられました。想像をはるかに超えた感動。

 対照的と書きましたが、一般的な映画の文法を逸脱しているという意味では共通しているのかもしれません。

 両作品とも好き嫌いが分かれるでしょうね。特にこの作品は「リアル」をどこに求めるかで賛否が分かれるでしょう。

 余命宣告を受けた、まさにその時に制作された作品です。テーマも「命」。

 実はこの作品については、2週間ほど前に一度紹介しています。

 追悼 津島園子さん

 まだ観てもいないのに、なんだか知ったような書き方ですね(苦笑)。そこにも予告編を貼りましたが、今日はロングバージョンを。

 

 

 3時間近い作品です。しかし、あっという間でした。いきなり冒頭から大林監督の夢の中に引き込まれ、目が覚めたら3時間経っていたという感じ。

 そう、これは「夢」ですね。黒澤監督の「夢」と同じ感覚。夢をこうして一つの作品に仕上げられる人は、そうそういません。

 もう一つの言い方をすれば、これは「走馬灯」。命の果てがそこに迫った時に見える「走馬灯」。それを一つの作品に編集してしまう、これは本当に稀有な才能です。

 ちょっと冷静に、その「夢」「走馬灯」を見てみると(実際、夢の中でそういう時ってありますよね)、そのすさまじい技術とセンスに驚かされます。

 いや、「夢」や「走馬灯」って、絶対不自然なのに自然に受け入れられるじゃないですか。それを「映画」でやってしまった。これは本当にすごい。

 寺山修司的だと感じた瞬間も多々ありましたが、寺山のそれは「不自然」なままなんです。それが狙いなので。しかし、これは妙に「自然」だった。自分も死ぬんじゃないかと思ってしまった。これは本当は怖い映画なのかもしれません。究極のホラーなのかも。

 そういう意味では、やはりデビュー作の「HOUSE」に近いモノを感じましたね。

 音楽の効果も見事でした。

 ちょうど今、上の娘がベースでバッハの無伴奏チェロ・ソナタを練習しており、下の娘が能の稽古をしておりますので、まさにそれが融合した世界だったのでびっくり。そこにまた、民謡やお囃子や軍歌や唱歌、そして無調性的なピアノの音が重なる。しかし、それがなぜか「自然」。やはり夢の世界での音楽なのでしょう。

 「リアル」には大きく分けて二つあります。西洋的なリアルと日本的なリアルと言ってもいいし、科学的リアルと脳内リアルと言ってもいい。

 日本の、たとえば能や歌舞伎や浮世絵は脳内リアルを極めようとしました。その衝撃が写実中心だったヨーロッパ芸術に、印象派やキュビズムを生んだのでした。

 そういう意味では、この映画は「能」であり「浮世絵」ですね。ストーリー的な因果関係でなく総体として意味を象徴していますし。

 これは何度も観たい作品です。一つ一つのカットが、写真のように脳裏に焼き付きました。記憶って静止画なんですね。それを想像力(創造力)で補完して動画として再生しているのか。

 いやあ、本当に観ていただきたい。不戦の映画とも捉えられるでしょうし、監督もそう考えていたかもしれませんが、もっともっと大きなテーマを抱く作品になってしまいましたね。おススメです。

 

Amazon 花筐 HANAGATAMI

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2020.05.04

『カメラを止めるな!リモート大作戦!』 上田慎一郎監督作品

 

 ロナ禍で外出自粛の中、様々な場面でリモートという新しい文化が活用されています。

 リモートで十分なコト、リモートでやはり足りないモノ、こういう非日常のある意味おかげで、様々なモノゴトが仕分けされていきます。

 あるいは、リモートのそうした十分性と不十分性が新たな文化を生む事態にもなっています。

 その良い例が、まさに「不十分」や「不自由」を逆手に取る、上田慎一郎監督のこの短編作品。

 顔を突き合わせての集団作業であったはずの「映画」を、あえてスタッフ、キャスト、一度も合わずに短期間で作り上げてしまうというパラドックス。お見事です!

 もともと「カメラを止めるな」に猛烈に感動し共感したワタクシです。今回もすっかりしっかり感動し共感し涙してしまいました。

 う〜ん、こういう「ピンチをチャンスに力」って大切だよなあ。我が教育業界でもそういう発想をしたい。

 そう、まさに「現場」が失ってしまった多くの人々に、過去を再評価させ、今の新しい意味を考えさせ、そして未来への希望を抱かせるという、とっても芸術的なことを、ある種俗っぽい、生活感あふれるやり方で実現してしまった上田監督は、やっぱりすごい。

 映画的なパラドックスといえば、そう、映画の視点って、特別な場合を除いては普通一つです。すなわち画面を分割して二つ以上の場面を見せるということはしませんよね。

 しかし、この作品では、なにしろリモート、オンラインですから、無数に画面すなわち視点が分割されている。だから私たち観客の視点も分割される。そういう映画作品って、今までなかったと思うのです。画面分割(視点分割)って、芸術の禁じ手の一つですから。

 それが、このコロナ禍のおかげで、誰しもの共通体験になって、結果すんなりと受け入れられてしまった。すんなりと映画革命が起きてしまったわけです。

 なんか、すごく元気をもらいました。なるほど、リモートだからこそできること、リモートでなくてはできないことがあるのか。学校もそれを模索しなきゃ。

 そして、やはり最後は「また、現場で!」になればいいじゃないですか。「現場」を離れてみて、あらためて「現場」の良さがわかる。こんな素晴らしいことはありません。本当に力をいただきました。ありがとう、カメ止めの皆さん!

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2020.05.03

憲法の「放置主義」

 

 法記念日。昨年の今日は、改憲派のトップに直接「天皇の命がけ」の話をしました。

 日本国憲法の奇跡

 あれから1年。まさかこんな(コロナ)ゴールデンウィークを迎えるとは、あの時には全く想像していませんでした。人生は、歴史は常に想定外です。

 このブログで何度も書いてきたとおり、私はこのコロナ禍は「第三次世界大戦」だと捉えています。その文脈でいうと、ますます現憲法はその実際的効力を失いつつあると思います。

 いささか逆説的になりますが、これほど現憲法が現実から遊離している状況においては、もう改憲されもほとんど無意味なのではないかと思われます。

 つまり、現憲法は、まさに「奇跡の憲法」として、一つの「象徴」としてそのまま残し、現実にはその「文学的」解釈と、それに伴う個々の法律で対処していけばよいのではないかと。

 特に護憲派が愛する「9条」に関しては、現実の戦争が戦車や戦闘機や軍艦やミサイルではなく、こうしてウイルスによってなされているという事実を直視し、もう放置でいいのではないのでしょうか。戦力の意味が変わりすぎていますので。

 憲法の一つの存在意義として、「未来の理想像」を描くという機能があります。そういう意味ではもうすでに充分「文学的」なものなのです。文学はその時代時代においていろいろな解釈が可能であり、しかしそこに普遍的な心理、不変の真理が描かれているから、なくならないわけですね。

 そろそろ憲法論議もそういう次元に移行してもいいのではないでしょうか。たとえば、聖徳太子の十七条憲法に対する処し方と同じように。

 そういう意味では、私は護憲派なのかもしれません。そのまま放置でいいと考えているわけですから。放憲派とでもいいましょうか。いや、放置主義か(笑)。

 いや実際に、もし、もし憲法改正の国民投票にこぎつけたとしても、その時には必ず天皇の「鶴の一声」があって、結局「放置」になってしまいますよ。これは予言ではなく確言です。何しろ、万世一系の天皇の「命がけ」なのですから。

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2020.05.02

ダースレイダーx宮台真司 #100分de宮台 第3回

 

 日に続き、宮台真司さんとダースレイダーさんの対話です。今回は私好みの内容でしたね。

 ところで、今日初めてオンライン飲み会(勉強会)をやりました。某大手最先端企業の若手社員お二人と「たくのむ」を使っての飲み会(勉強会)。

 以前リアルでも飲み会(勉強会)をやったことがありまが、オンラインでも充分盛り上がりましたね。職業柄か、私がほぼ一方的に話すという形になってしまい、ちょっと反省です。まあ、いわゆるオンライン(遠隔)授業みたいな感じになってしまったということです。

 実際に学校でも遠隔授業をやってみて、これで充分じゃんという部分と、やっぱりリアルじゃないとダメだという部分が明確にわかり始めています。

 まあ当然と言えば当然ですし、最終的にどちらにするか選ばなければならないのではなく、双方を有機的に組み合わせることによって、教育(学校・授業)のバージョンアップを図らねばならないわけですね。

 店飲みか宅飲みかの二択ではなく、それをどう組み合わせたり、相互補完させたりする。そうしたことは、このコロナショックの中で様々な分野で起きています。

 この宮台さんとダースさんの対談では、宗教、文化、教育などで、今後どのような変化が必要なのかが論じられています。そのいずれもが、オンラインで代替可能な部分と、そうでない部分を持っていて、まずはそれがこういうドラスティックな状況の中で鮮明に峻別されてきている。

 実はこういうことは、歴史的に見て、新しいテクノロジーの台頭に天変地異、戦争などが重なって、いつの時代にも起きてきたはずです。

 たとえば自動車が発明され普及して、徒歩で移動する機会が減りましたね。自動車で移動することによって、徒歩なら気づく野の花や虫の音に気づくこともなくなりました。インターネットによるオンライン○○においても、そういうことが起きるわけです。

 それでもやはり自動車をやめようとならなかったように、おそらく宗教、文化、教育においてもテクノロジーの波には抗えないと思います。もちろん、宗教はもちろん、文化、教育も、経済や工業技術や科学に比べるとバージョンアップしにくいことはたしかですが。

 野の花や虫の音に興味を持たなくなることが、人間として退化なのか。いや、逆に野の花や虫の音を意識的に捉えるようになるから進化なのか。そこも難しいところでしょう。

 ただ言えることは、私たちはなかなか逆戻りできないということです。新しいテクノロジーは、常に安全、安心、楽なほうに向かっています。その安心、安全、楽の体験というのは不可逆的なものです。しかし一方で、その反対、危険や不安や苦難は、そのたびにノスタルジーの対象になってゆき、それがまた特殊な文化となって生き残っていったりするので、話はそう単純ではありません。

 まあとにかく、これほどの大きな転換点に遭遇するとは思っていませんでした。あらゆるものをバージョンアップしていかねばなりません。それは面倒くさいことではありますが、それを楽しめるかどうか。私たちは試されていますし、旧来の宗教、文化、教育も試されているのでしょう。

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2020.05.01

ダースレイダーx宮台真司 #100分de宮台 第2回

 

 1回も面白かったが、こちら第2回はそれ以上にいろいろと納得させられました。

 宮台さんの「クズ」とか「クソ」とかいう表現は、それだけ見れば「なんて汚い言葉を使うんだ」という批判につながりかねませんが、その論理的な筋道(文脈)の中で聞けば、なぜかすんなり受け入れられる。

 これって実は、案外パブリックな表現の中では避けられてきた語法(話法)であって、その避けられてきたことによって力を発揮できてこなかった言語の潜在能力なんじゃないかなと思ったりして。

 実は個人的な、つまりパブリックではなくプライベートな人間関係の中においては、そうした背後の文脈を持った汚い言葉というのは、非常に有効(友好的に)機能してきました。本当に仲が良い友だち同士は、しょっちゅう「死ね」とか言いあっていますよね。

 ワタクシのような学校のセンセーは、そのパブリックとプライベートのあわいで人間関係を作り、物語を紡ぐプロであるべきでして、そういう物言い(語法・話法)をけっこう武器として駆使できたりします(最近はそれを活字化されてバッシングされることも多くなりましたが)。

 逆に言うと、メディアでの言葉のやりとりというのは、どうしても背後の文脈が省略されるというか、そこを忖度しないでストレートに言葉の意味に依存してしまう受け手が多すぎて、結果として実につまらない場になってしまっています。

 ですから、宮台さんやダースレイダーさんのように、そこらへんのさじ加減が上手で、いやそれ以前に圧倒的な信頼を得るに足る論理性や一貫性を持つ人が、こうしてパブリックな場において「クズ」や「クソ」や「死ね」や「○○野郎」と言ってくれると、私たち凡夫はいつもより高次元ですっきりするのでした。

 SNS中心に、あまりにテロ的な言説や逆に超警戒モードな言説ばかりになっているこの世の中においては特に。

 これってなんでしょうね。やっぱりそこに「愛」があるかどうかなのでしょうか。そして「愛」にはやはり知性が必要なのでした。

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