「決断」と時間の流れ
なんだかとんでもなく忙しく、あっという間に一日が過ぎていきます。教師生活三十五年近くになりますが、こんなことは初めてです。
つまり、「決断」をすると時間が早く過ぎるのですね。なるほど。今、私は幼稚園と中学と高校の行く先について、日々時々刻々と決断をしなければならない立場にありまして、それでこんな感じになっているのですな。
逆に言えば、今までどんだけ「決断」しないで、流れに流されて生きてきたかということです。そういう意味では、こういう強制力のおかげとも言えます。
私は趣味で妙ちくりんな「時間論」を構築しようとしていますが、その文脈で考えると、やはり「決断」というCPUフル稼働的な意識の状態が時間の流れ方を変えている、違う言い方をすれば、時間の伸縮させているということが分かります。
意識こそが時間の源泉であるというのは、いろいろな先人たちが語ってきたことです。
すなわち、「意識」を持つ、「生物」にのみ「時間」が存在する。死んでしまえば、私たちにとって「時間」は無意味であり、存在しないことになるわけです。寝ている時も時間の感覚ってなくなりますよね。半死半生なのでしょう。
子どもの頃より大人になった方が時間が進むのが早いというのも意識と関係していますね。
これは、これまた妙ちくりんと言われるワタクシの「モノ・コト論」では、「コト(意識・粒子・自己)」が増えると時間が加速するということになります。
売まれたばかりの赤ん坊は「モノ(無意識・波・他者)」の中に漂っています。それが五感などを通じて「コト」を修得していく。そこに時間の流れが生まれ、成長が生じる。
幼稚園や学校に行って、言葉(コトの端)や社会性、ルールといった先人の遺産たるコトを修得すると、どんどん時間は加速していきます。
現代のように情報(コト)が溢れていると、ますます早くなる。
だから、音楽という「モノのね」に浸ったり、瞑想や座禅をしたりして、「コト」から離れる生き方もたまにはしてみたくなるわけです。
チコちゃんは「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と、私たちを叱咤しますが、たまには「ボーっと」しないと、体感的には「早死」することになるのです。
そんなわけで、「決断」という高密度な意識の連続もたまには刺激としては心地よかったするのですが、あんまり続くといいことなさそうなので、早く「日常」が戻ってくれることを祈ります。
うん、なにごともバランスとメリハリですな。ふと、そんなことを思った今日一日でありました。
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