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2020.03.05

茂木健一郎 「大学は必要なのか」

 

 るほど、この茂木健一郎さんの意見にはほとんど同意できますね。

 面白いもので、だいたい高学歴(中退含む)の人が「大学不要論」を唱えることが多い。逆に言うと、「なんとなく大学必要論」の人は、まあ「なんとなく」だということですね。ここにこそ問題がある。

 今の日本社会では、「社会人になる=食っていく」ためには、たしかに大学を出たほうが有利です。確率論的に言えば(すなわち個別のケースを語るのではなく「なんとなく」)大学には行った方がいい。

 私の仕事も、基本その「なんとなく」の中で成立している、危うい存在です。

 そう私は今、とっても面白い状況の中に生きているんですね。現在働いている場所(社会的ポジション)に根底から疑問を持っているのにもかかわらず、そこをやめることはないどころか、その納得いかないシステムのために文字通り献身しているのです。

 しかし、それが不思議と不快ではなく、逆に本来やるべきことをしっかり認識させてくれていることに感謝すらしている。

 自分でも本当に不思議です。

 このたびの「休校」騒ぎによって、旧来の学校のシステムが、それこそ根底から揺らぐ可能性があります。

 「学校」がある意味強制的になくなってみて初めて、「学校」なんていらないと実感する生徒が出てくる。もちろん全員ではないけれども、おそらくは半数近い生徒が、単に目の前の「学校がなくなってよかった」と思うだけでなく、「学校はなくてもよかったのかも」と感じるのではないでしょうか。

 ウチの学校ではいち早く、生徒に某企業の映像授業を無償提供することにしました。先生たちの中にも、そういうことを通して、自分たちがやってきた「授業」という教育活動の価値が揺らぐのを実感するかもしれません。大いにけっこうです。

 ここのところ「未来の記憶」がどんどん鮮明になってきていまして、それを実現しなければならないという焦燥感にかられています。やるべきだとわかっていることをやらないのは死ぬことと同義ですので。

 そんないろいろな、ワクワクする懊悩という矛盾の景色の中で、ひときわ大きく目の前にそびえているのが「大学」という存在です。

 大学の存在自体に大きな疑問を持っているのにもかかわらず、現場ではその大学に受かるため(だけ)の教育をしている自分。正直、大学に受からせるのは得意です。けっこう楽しいですし。

 自分の娘たちにも、結局のところ「大学へ行け」と言ってしまっています。それが一番の矛盾ですね(笑)。

 いや、私は「大学はいらない」と言っているわけではなく、「半数近い生徒」には必要あって「半数近い生徒」には必要ないと思っているのです。

 その必要ない「半数近い生徒」のために、大学ルートとは違う、社会へのルートを作りたいと考えているのです。もうヴィジョンはできています。あとは実行あるのみ。

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