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2020.03.31

ザ・ドリフターズ 『(コント)四季の歌』

 

 村けんさんの笑いのセンスとともに音楽的センスがうかがえる動画です。

 もともとビートルズの来日公演の前座をやるほどのバンドであったドリフ。ここでもそのテクニックとセンスを存分に聞かせて(見せて)くれます。

 特に冒頭、志村さんのワウ・カッティングは、もろにファンクですよね。いやあ、子供の時には全くそんなこと分からなかったけれど、今になってみると、このコントはホントすごいですねえ。

 コーラスワークも見事ですし、長さんの語りはいつも絶品。アドリブなんですよね、ほとんど。

 こういう多才かつ多彩なタレントさん、お笑い芸人さんは、今ではすっかり減ってしまいました。

 つくづく私はいいものを観て、聴いて育ったと思います。楽器を自然に始めたのも、今でもバンドをやっているのも、ドリフがきっかけなのでした。ちなみにウチの娘たちも、ほとんどドリフとバカボンだけ観て育ちましたので、あんなふうになってしまいました(笑)。

 あらためて、志村けんさん、ありがとう。

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2020.03.30

追悼 志村けんさん

Th_ref_l 当に残念でしかたありません。今日は、志村さんがザ・ドリフターズに正式加入して、ちょうど46年の日でした。

 全ての世代に説得力のある死でした。それはまるで私たちに警告を発しているかのようでした。

 最期まで、自分のことより世の中の人のことを考えていたのでしょう。本人も無念だったと思いますが、しかし、このような形で、私たちにメッセージを伝えてくれたことには、素直に感謝しなければなりません。

 訃報に触れた時、私はこんなツイートをしました。

 

志村けんさん、今まで本当にありがとう。

キリストの時もそうですが、我々人類はいろいろと気づくのが遅いのです。

さあ、気づきましょう。

 

 多くの方が、なぜか「怒り」を覚えたようです。私もそうです。娘たちもそうでした。

 キリスト教の物語の中での「怒り」や、戦争における「怒り」の表現が決して正しかったとは言いません。しかし、今回は相手がウイルスです。ウイルスは「意識」によって増殖もし、死滅もします。これは事実です。私たちがいかに一丸となって戦いに挑むのか。

 最終的には志村けんさんが日本を救ったということになってほしい。まさに万人に愛され、感謝され、そして命を賭して世を救った「神の子」として語り継がれることを望みます。

 そのためには、本当に一人ひとりの「意識」を変え、そしてそれを集めることです。

 ご冥福をお祈りしつつ、決意を新たにしているところです。

 最後に、ファンクの伝道師としての志村さんを偲ぶ動画を一つ。日本の音楽界への影響も多大なものがありました。

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2020.03.29

『翔んで埼玉』 魔夜峰央原作・武内英樹監督作品

 

 玉から東京への移動自粛は平日も。なんだか、この映画とは逆の方向に動いていていますね。関所ができるということですから。

 映画見放題の天国生活をしている次女と一緒に観ました。なるほど面白い!涙を流しながら笑いました。

 ディスり、自虐も、徹底すると絶品のユーモアとなるといういい例ですね。いい人間関係の特徴は、お互いにバカにしあえるということです。極端に言えば「死ね!」とお互いに笑いながら言える。なんだかんだ埼玉と千葉って仲がいいのかな(笑)。

 この映画、観ながら感じたのは、これは世界史、日本史の戯画化ですね。世界の帝国主義や独立戦争、革命は、たしかにこんな感じで起こったのでしょう。そういう観点での鑑賞にも耐える名作だと思いました。

 象徴的なシーンがこれ。これは戦国時代そのままですね。

 

 ちなみに、群馬や茨城などが埼玉以上にひどい扱いを受けていますが、話にも出ない山梨はどうなるのでしょう(笑)。

 いや、この前、東京都知事を中心としたビデオ会議には、山梨も呼ばれましたね。逆に群馬、栃木、茨城は呼ばれなかった。あの時、山梨が東京に隣接しているということを初めて知った人も多いのではないでしょうか。さすが陸の孤島、流刑地ですね(笑)。

 あっそうそう、映画の中でほんの一瞬、山梨が映りましたよね。それも富士吉田。どうもあそこも埼玉化したようです(笑)。

 この映画、埼玉県民はかなり好意的に受け入れていました。そういうところが埼玉の良さではないでしょうか。なんだかんだ心が広いということでしょう。私もある意味ルーツが埼玉の小川町なので、なんとなくシンパシーがありますよ。

 それにしても、魔夜峰央さんってすごいですね。

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2020.03.28

『感染爆発 パンデミック・フルー』 (NHKスペシャル2008)

 

 昨日、昨日に続き、もう一つ新型インフルエンザのパンデミックをシミュレーションした映像作品を。しつこくてスミマセン。

 昨日の「感染列島」と同じ時期に作られたドラマです。これはNHKスペシャルの「シリーズ 最強ウイルス」の第一夜として放送されたものです。

 正直、「感染列島」よりも現実的に描かれていますね。やはり問題は医療崩壊のようです。日本の「ダラダラ作戦」は、こういうことを避けるためのものです。つまり、ずっと前から、こうなったらこういう方針でいくというのが決まっていたということですね。

 最後、横浜港に外国籍のクルーズ船が入港するあたり、なんだか予言めいています。いや、そういうことも当時から想定されていたということでしょう。受け入れることも。

 さて、これから現実の日本は、ここ数日で紹介した映像作品のように医療崩壊を招いてしまうのか、それとも新型が新型と言われなくなって共存していくことができるようになるのか。まさに「瀬戸際」にいるのでしょう。

 ちなみに「瀬戸際」の「瀬戸」とは、「せまいところ」ということで、陸地に挟まれた狭い海峡を表す言葉です。要は海に落ちるか落ちないかの際ということですね。

 ついでに言うと、「際(きは)」という日本語は、何かに接する領域を表す言葉です。すなわち、「○際」は「○」自身ではなく、「○」に接する「○」ではない部分を表します。

 ですから、皆さんも学校で枕草子の序段を勉強した時に覚えたと思うのですが、「(やうやう白くなりゆく)山際」は「山に接する空の部分」なのです。「窓際」も「窓」自身ではありませんね。

 「瀬戸際」も「瀬戸に接する陸地の部分」となります。まだ海に落ちていないのです。

 

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2020.03.27

『感染列島』 瀬々敬久監督作品

 

 日の「復活の日」の約30年後の平成の日本映画はこんな感じなんですね。正直、テレビドラマのレベルです。

 公開当時、いやその後最近まで10年間ずっと酷評されてきたこの映画、令和2年3月の今になると、それまでとは全く違った観点で「これはすごい」ということに。

 まずコウモリが感染源らしいところが「リアル」。院内感染、医療崩壊、非常事態宣言、都市封鎖、イベント中止、自宅待機、買い占めパニック、デマ、風評被害…以前は「こんなこと起きないだろ」と思っていました。それが、ここまで「リアル」に感じられるようになるとは。

 まだ、新型コロナ感染症の日本での死亡率は世界最低レベルの0.035%なのに、すでにこれですからね。この映画のように致死率25%とかになったら、どうなってしまうのか。

 それでもたしかにツッコミどころ満載の映画ではありますが、まあ予言と考えれば、それなりの価値があると思います。

 たしかに我が人類は、常に新しいウイルスと戦い、そして最後は共生するようになってきたわけですよね。なにより、医療関係者、そして研究者の皆さんの努力のおかげです。つい忘れがちなそんなことを思い出すのにはいい映画なのかもしれません。

 あと懐かしいなあと思ったのは、主題歌のレミオロメン「夢の蕾」ですね。いい曲なんですよ、これが。名曲。

 

 

Amazon プライムビデオ「感染列島

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2020.03.26

『復活の日 VIRUS』 小松左京原作・深作欣二監督作品

 型コロナウイルス騒動で思い出すのは、やはりこの映画でしょう。

 「イタリア風邪」と称されるウイルス兵器による肺炎で世界が滅亡するお話です。パニックを起こすミラノや、戒厳令が敷かれ医療崩壊していく東京など、なんだか妙にリアルですね、今になると。

 40年前の日本映画です。この時代の日本映画ってすごかったんですね〜。南極を始めとする世界中でのロケ、本物の潜水艦を使っての撮影など、CGでは表現できない「リアル」さを改めて感じる次第です。

 そして草刈正雄がかっこいい、オリビア・ハッセーがかわいい。

 

 

 

 しっかし、とんでもない結末ですよね。まさかのまさかの展開。

 その後の日本で「目に見えない敵」として私たちを脅かす「放射性物質」と「ウイルス」が主役でありあたり、まあ見事な予言映画になったとも言えますね。米ソの冷戦が終結した今からすると、こうして人類が滅亡したあとに報復合戦が行われ、それが結果として人類の復活のきっかけになるという皮肉もまた面白い。

 さすが小松左京です。

 こちらで全編見られますが、字幕がないので英語が苦手な私はちょっと辛い。アマゾンのプライムビデオでも無料で鑑賞できますから、会員の方はぜひそちらで。

プライムビデオ「復活の日」

 

 

 ちなみに、コメンタリーが抜群に面白いんですよ。やっぱり撮影の木村大作さんね。今でもこの毒舌とユーモアは健在です。

 

 

 

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2020.03.25

新型コロナウイルス情報 その5

Th_unnamed1 型コロナウイルスについて時々書いてきました。今日は久しぶりに情報その5として書きます。

 「その4」を書いたのは、もう1ヶ月以上も前。その間、もちろんちょろちょろ小出しにはしてきましたが、今日は少しまとめてみたいと思います。

 というのは、ようやく書けるようになってきたのです。「その2」に書いたように、私のところに入ってくる(怪しい?)情報は、最初から「アメリカ製」説でして、その後のストーリーもそうして見ると納得のいくものでした。

 「その2」の最後に「殺されないように」なんて冗談めかして書いていましたが、今はもうそういう危険性はなくなったようです。公然と言われるようになりましたからね。

 とはいえ、詳細までは書けませんので、あらすじだけまとめたいと思います。これから書くことは信じていただかなくて結構です。嘘だと思って読んでください。

 

 昨年秋、米中の経済冷戦が継続している中、トランプ大統領は中国経済に打撃を与え、さらに習近平の日本への国賓訪問を中止させるため、生物兵器研究施設のある武漢において、その施設から新型ウイルスが漏れたかのように見えるよう、アメリカ軍にウイルス兵器を持ちこませた。

 武漢を中心に中国が新型ウイルス兵器の打撃を受けた。中国は報復として、同ウイルスをアメリカ西海岸に持ち込んだ。その後、アメリカで感染が拡大。

 3月に入って、12日に中国外務省が「アメリカ軍が武漢に持ち込んだ」とツイートし、それに対しトランプ大統領は16日「中国ウイルス」という表現を使ってそれを否定。18日には中国の感染症専門家である鍾南山氏(写真)が「このウイルスは中国で感染が広がったが、発生源が武漢であるという証拠はない。科学と政治の問題は分けて考えるべきだ」と延べ、 言葉の上でも泥仕合が続いている。

 

 正直、日本や韓国、イタリアをはじめ世界中の国は、とばっちりを受けた形です。イランは微妙ですが。

 最初にしかけた方が相手のせいにするのは、戦争の始まり方としては常道ですね。日本が関わったものだけでも、満州事変の柳条湖事件や日中戦争の盧溝橋事件、大東亜戦争の真珠湾攻撃など、いまだに(本当に)どちらが仕掛けたのか議論になるほどです。

 これがウイルス兵器となると本当に「足がつかない」。さかのぼりようがないので、結局言葉の泥仕合になってしまう。日米どちらが正しいのか、あるいは第三者(国)が関与しているのか。もうほとんど陰謀論になってしまうのが、現代の現実の戦争なのです。

 世界を巻き込んでしまったということでは、これは第三次世界大戦とも言えます。泥仕合がエスカレートして、もし世界が中国側とアメリカ側の二派に分かれてしまうと、なんだか過去の二度の大戦と同じような図式になってしまいますよね。

 基本的に秘密裏に計画され、情報が隠蔽される戦争においては、被害者(巻き込まれ含む)がその情報の少なさに疑心暗鬼になって、憎悪の物語が醸成されてしまうということがよくあります。

 まあ、今回のウイルス騒動ではそんなことにはならないと信じていますが、それでも人の心はどの時代においても不安定なものです。

 核兵器の時代、あるいは核抑止論の時代は終わったかもしれません。しかし、もしかすると、これからは新型ウイルス製造能力や情報の操作能力を競い合い、それでもって牽制し合う世の中になるのかもしれません。なんだか、いやですね。いずれにしても、刀や鉄砲の時代とは違って、他人を攻撃することが、自分の命をも奪うことになるわけですから。

 とりあえず東京オリンピックが延期になり、最大の経済的とばっちりを受けたのは日本だったということになりそうな気配ですが、まあ、アメリカも中国もそんなことはどうでもいいのでしょうね。まあ、頑張ってという感じでしょうか。

 つくづく日本という国は、いろいな試練を初めて受ける国ですね。原爆、サリンテロ、大地震に津波、そしてウイルステロのとばっちり。そして、そこから見事に立ち直るのもまたお家芸なのでして…(苦笑)。

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2020.03.24

『BANANA DIARY』吉本ばなな (幻冬舎)

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 日のエリーさんと同じく、昨年末の「宇宙人忘年会」においでくださった吉本ばななさん。

 その時ばななさんからいただいたのが、このダイアリー。

 2020年3月から2021年4月まで使えるものでしたので、ようやく使う季節になりました。

 使い始める前の2ヶ月間も放置していたわけではありません。いろいろなところに散りばめられている「ばなな語録」や、アートをパラパラと眺めるだけでも充分楽しい。

 そして、そんな時間に夢見るのは、ここにどんな自分の未来が書き込まれて、そして過去の記録になっていくのだろうということ。

 それだけでも、とっても意義深い。そんな助走を経て、いよいよ始まった「今」は、なんとコロナ一色。まさかこんな未来が来るなんて…。

 いつまでコロナ色で塗り尽くされるのてしょうかね。それを想像するのも楽しい。東京オリンピックがこのあたりにあるはずだったのに…なんて考えるのも一興。楽しみは先延ばしになった方がいいのかも、とポジティブな思いも湧いてきます。

 それにしても、このダイアリーのいいところは、やはり自分のものではない「言葉」や「絵」が先にあるということでしょう。

 どうしても「日記」というものは、「自分」でいっぱいになってしまいがちです。たとえば、以前、真っ白な文庫本(マイブック)を買って、自分史を小説仕立てにしようかと思ったことがありましたが、なんと2ページでやめました(笑)。無理でした。

 考えてみれば、毎日の生活というのは自分だけで成り立っているのではありません。いろいろな想定外の他者や自然の中に自分があるからこそ、様々な彩りが生まれるわけですね。

 その点、このダイアリーは、すでにそこに「世界」があって、そこに自分を立たせたり、歩かせたり、笑わせたり、怒らせたりできるわけで、そこにはある種の安心というものもあるわけです。

 また、自分にだけ目が行きがちな「日記」と違って、客観的に自分を見ることができますし、たまたま出会った言葉や色や模様から、ふと慰められたり、諭されたりすることもあるわけです。

 散りばめられた言葉たちが、決して罫線に従うことなく、自然に存在しているところは、まさに予想外にばったり出会ったように感じさせるから、また面白い。

 美しい海や森や宇宙のようにデザインされたページは、文字を書くことを拒否する場合もあります。だからこそ、ふと絵を書いたり、線をひいたり、写真を貼り付けたり、レシートを貼り付けたりできる。

 自然と、とても立体的な「ハイパー日記」になってゆくのです。そして、1年経った時、そこには世界で一つの「物語」が完成する。なんとも素敵な世界ですね。

 ばななさん、ありがとうございました。ばななさんらしい、さりげない思いやりのある「物語のキャンパス」です。

Amazon ばななダイアリー

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2020.03.23

「エリー学園」開校!

Th_20200316115050 宮エリーさんが学校を立ち上げる!

 さっそく私も…と思いましたが、いちおう同業者というかライバル?なので、まずはスパイに我が娘を送り込むことといたしました。

 とにかくとっても楽しそうですし、なにより私が考えている「(既成の)学校をぶっ壊せ」プロジェクトと通じるところが多分にあります。近いうちにエリーさんと飲みながら、じっくりその辺を話そうと思っております。

 そんなこんなで、エリーさんからも「宣伝して!」ということですので、大いに宣伝します!

 私がいろいろ言うより、まずはホームページをご覧いただきましょう。

エリー学園

 うっひょ〜。楽しそう!ゲストもすごい!部活もいいなあ…。

 まあ、なにしろマルチで、ご自身でもご自身のお仕事がなんなのか分からないというエリーさん。昨年末、ご縁をいただいて飲みながらいろいろお話して分かったんですが、彼女はとっても純粋で繊細で、コンプレックスも素直に持っていて、やはりそういうところが「クリエイティブ」の源泉なのだなと確認させてもらいました。

 ご自身は「誰か私をプロデュースして!」とおっしゃっていましたが(笑)、こうして「誰かをプロデュースする」方に回る、それもさり気なく「自分はトレーニング機器を準備するだけ」というあたり、なるほどこれこそ「教育」の原点であり、大村はま先生のおっしゃる「仏様の指」なのかなと思った次第です。

 4月から何かに挑戦してみたいと思っている方。どんな場面でも困らない「神通力」を身につけたい方。知らない世界を見てみたい方。コンプレックスを創造力に変換したい方。ぜひ、門を叩いてみてください。てか、自分が一番入学したい(笑)。娘がうらやましい(入学できるかわかりませんが)。

 願書受付は31日まで。29日に第2回説明会がありますよ。

エリー学園 大宮エリー学長よりごあいさつ

 

エリー学園第1回入学説明会

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2020.03.22

マスク=魔好く(?)

Th_unknown_20200323104801 ょうど100年前の1920年1月の出口王仁三郎の発言を紹介します。

 昨日の峰宗太郎さんのお話とは大違い。科学の反対側の話なので、もちろん大笑いしながら読んでいただいてもかまいません。

 ご存知のように、1918年から20年まで、全世界でインフルエンザA型(通称スペイン風邪)が大流行し、全世界の人口の3割近い5億人が感染し、死者は1億人とも言われています。とんでもないパンデミックですね。

 日本でも36万人が亡くなりました。皇族の中にも死者が出ています。竹田恒泰さんのひいおじいちゃんです。

 そんな大禍のさなか、王仁三郎は「神霊界」において次のような発言をしています。まず、大正9年の元旦号。

 

 昨年の神諭に医者と坊主と葬式屋の豊年が来るからと日ふて警告されて在つたが、弥々実現し出したとは実に残念な事である。世界は兎も角として日本内地に於ける恐るべき流行性感冒は漸く猖獗の兆を現はし、現に綾部から目と鼻との間に在る新舞鶴町にさへ、日々十人平均の死者が出来るやうに成つた。今後気候の激変に連れて益々蔓延と共に悪性化せむとするで在らう。国民は益々衛生上の注意を怠らざると共に正しき浄き神の信仰に依りて、心身の健全を計らねば成らぬのである。政府当局では愈々となれば今度こそは総ての興行物を停止し、学校も休校を断行し積極的に防遏の手段に出られたいと共に、敬神的の行動を国民が採る如うに注意して欲しい。

 

 興行の停止、学校の休校をすすめているあたり、今の政府の方針と一緒ですが、さすがに「敬神的行動」をとるようにとは安倍首相は言えませんよね(笑)。

 ちょっと前に書いたように、王仁三郎は「戦争と流行性感冒とはつきもの」として、霊のしわざと考えていましたから(宇宙的視点、モノ・コト論的にはそのとおりだと私も思います)、当然といえば当然の発言です。

 同じ月の20日号では次のような興味深い発言をしています。

 

 本年の流行性感冒は余程猛烈を極めて居る。就ては其伝染を防ぐ為にマスクを使用せぬ者は電車に乗る事を禁ずると云ふ府県令が出たり、全国に防疫官が派遣されると日ふ大騒ぎで在るが、マスクの使用も結構かも知れぬが、夫れよりも日本国民は精神をマスクに持ち変ヘてマスクな惟神の大道を歩めば決してそんな猛悪な風邪神に征服される気遣ひは無いのである。

 マツソンの流感に罹つた連中が敬神尊皇の大義を忘れて了つて、不健実な害国思想に心酔して居ると終には神を軽んじ、大君の大恩を忘れ、悪神に乗ぜられて大切な生命までも抹損せなければ成らぬやうになるので在る。

(中略)

 吾人は大本神諭を反覆熟読して倍々神の力依らねば成らぬ事を深く感ぜざるを得ないのである。又た大阪では十五万人の小学生徒が一時に学校を休んで、マスクを面部に当て居る。全然六道の辻をさまよう亡者の精神に成つて悪神を撃退するが目下の最大急務である。又たマスクは国音「魔好く」に通ずるものである。

 

 マッソンとはフリーメーソンのことであり、スペイン風邪はフリーメーソンの陰謀であるということのようです。ある意味、今SNS上で流行している「◯◯が悪い!」というのに通じていますね。人は、得体のしれないモノに遭遇すると、誰かのせいにして納得しようとするものです。

 そんな中でも、「マッソン・抹損」、そして「マスク・魔好く」と洒落るところが、実に王仁三郎らしい。

 マスクに関しては、なんとも複雑かつ不思議なことを言っていますね。「マスクの使用も結構かも知れぬが、夫れよりも日本国民は精神をマスクに持ち変ヘてマスクな惟神の大道を歩めば…」とは、どういうことでしょうか。物としてのマスクをするより、惟神精神をマスク代わりにすべきとはなんとなく分かりますが、「マスクな惟神の大道」とは?

 「魔好くな惟神の大道」となると、ますます難解になってきますが、上掲文章の最後の方「全然六道の辻をさまよう亡者の精神に成つて悪神を撃退する」という、これも一見ん?となる表現にヒントがあるのかもしれません。

 まったく、深いのやら浅いのやら、王仁三郎の世界は人間には理解し難いものがありますね。

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2020.03.21

新型コロナウイルスについて専門家に質問しました(ホリエモンチャンネル)

20200321-150653 わぁ、NIHの研究員、峰宗太郎先生、素晴らしすぎる!

 地上波テレビの、特にワイドショーの内容が正直ひどい。この動画の中で堀江貴文さんも言っているとおり、恐怖をあおればあおるほど視聴率が上がるという、まあいわば詐欺師みたいなことが横行している。新聞も同じ。

 そんな中、これほどに明快に、明解に、必要な情報を提供してくれる峰先生、ステキです。ものすごく頭がいいのでしょう。そして、お人柄もよろしいのでしょう。総体的キャラとしても素晴らしい(風貌と声質も含めて…笑)。

 堀江さんの質問も的を射ていますし、それを見事に咀嚼して、それこそ的を射た回答をする峰先生。この人選をしたホリエモン、いやスタッフの方々もGJです。

 ここで語られていることが、ほとんど全てでしょう。医学的には。とにかく未見の方は、視聴してみてください。

 

 

 

 もちろん、社会的、政治的、経済的、あるいは国際関係的、国家間戦争的な観点で、このウイルスの本質を語ることもできますが、もっと宇宙的な上から目線で見れば、人類とウイルスとの戦いの歴史が見えてくるわけで、そうしますと、峰先生のおっしゃるとおり、長期的に見れば、複数の意味で克服(受容)できるということでしょう。

 私たちシロウトは、大手マスコミに踊らされて、目先の恐怖におびえるという「集団気分」を作ってしまいがちです。その恐怖の矛先が、政治家に向かったりするのもよくあること。あることないこと、常々無意識に押しやられていたことまで総動員して、ますます「人のせい」にしてしまうのが、人間のサガです。

 インフォデミックというのは、まさに心の感染症です。それは1月31日に私が書いた「ウイルスは情報兵器?」という記事や、ちょうど1ヶ月前に書いた「新型コロナウイルス情報 その4」という記事にあるとおりです。

 峰先生のおっしゃっていることは、基本的に、政府の専門家会議の結論と同じですよね。この動画が多くの方の目に触れ、心に触れることを祈ります。

 そして、私たちの「集団気分」が変わった時、私たちの行動が変わり、結果としていつの間にか、モノだった新型ウイルスが、私たちの意識化でコントロールされるコトに変わるのでしょう。

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2020.03.20

川添象郎 『昭和の天才・仲小路彰との出会い』

Th_41ax4tovajl_bo1204203200_ 日はタモリ本を紹介しました。今日は団塊の世代向けの本から。タモリは正確にいうと団塊の世代ではないのかもしれません。終戦の日の1週間後に生まれていますから。

 この「団塊パンチ」、団塊の世代向けと書きましたが、実際購入していたのは、おそらく私のような「団塊の世代に憧れる次の世代」ではないでしょうか。

 この団塊パンチに、川添象郎さんの「回想録・象の記憶」という実に興味深い連載があります。川添象郎さんについては、このパンチの中ではこのように紹介されています。

 川添象郎

1946(昭和16)年東京麻布生まれ。クリエイティブ・プロデューサー。旧華族で戦後の国際文化交流に広く貢献した川添浩史、国際的なコンサートピアニスト・原智恵子の間に長男として生まれる。曾祖父は後藤象二郎。高校卒業後、1964(昭和39)年渡米。帰国後、ミュージカル「ヘアー」プロデュースほか、音楽や演劇を中心に数々のプロデュース、プロモートをおこなう。村井邦彦らとアルファ・レコードをつくり、「ニューミュージック」という新しいマーケットを開拓、約1500万枚のレコードを売る。荒井(松任谷)由実、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の育ての親。現在、ヒップホップの大物新人「SOULJA」プロジェクトを07年春に向けて進行中。

  う〜む、すごい。ニューミュージックとしてはサーカス、そして、まさに今「未来的音楽」として本国アメリカで大人気の「シティー・ポップ」(山下達郎や竹内まりや)、その後で言うなら、尾崎豊、青山テルマなどを世に出した人です。あっそうそう、昨日の「タモリ」もアルファからレコード出したんですよね。あと、フュージョンのカシオペアとか。もうすごすぎて…。

 ちなみに SoulJa と言えば、今のK-POPの世界的隆盛にもかなり噛んでいるんですよね。いち早く韓国の音楽シーンの先進性に気づき、日本の芸能界しっかりしろ!みたいなことをもう10年以上も前から言っていました。

 さて、そんな天才(鬼才)川添象郎さんのお父さんが、仲小路彰の右腕的存在だった川添浩史(紫郎)なのです。あの「キャンティ」の創始者。

 というわけで、仲小路彰に関する、象郎さんの貴重な証言がこの「団塊パンチ3」の「象の記憶」に書かれているので、該当部分を紹介したいと思います。なかなか実体のつかみにくい仲小路彰(象郎さんは「なかこおじあきら」とルビを振っています)を、実に的確に表現している文章だと思います。

 今もお元気な(腕白な?)象郎さんにもお会いしないとなあ…。では、どうぞ。

 

 昭和の天才・仲小路彰との出会い

 親父は戦前に、仲小路彰という在野の学者と知遇を得て、その思想に傾倒した。
 そして親父は、ヨーロッパにおけるファシズムの台頭に戦争の始まりを予感し、大戦勃発の寸前に、パリでの遊学を切り上げ、母と共に帰国。知遇を得た仲小路先生の推挙で、高松宮殿下の国際関係特別秘書官に任じられたらしい。

 仲小路先生は、なんと、全世界がナショナリズムの真っ只中の時代に、すでに地球時代(今で言うグローバリズム)の到来が人類の未来の必然であることを提唱し、研究をしていた。おそらく世界で最初のグローバリズムの概念を掲げた未来学者といえる人物ではないだろうか。
 僕は子供時分に親父に連れられて仲小路先生にお会いし、まるで神話に出てくる仙人のごとき風貌と、厚いレンズの眼鏡の奥からのぞく、先生の限りない慈愛に満ちた眼差しを忘れることが出来ない。
 その後、僕の人生の転機に、親父はいつもなにか用事を作って、僕を仲小路先生の研究所に使いに出した。先生のお宅に着くと、まず、かならず食事をお手伝いの方が用意してくれていた。
 食事が済むと、ニコニコしながら先生が現われ、
「象郎さんは、元気ですね…最近は、どうしていますか? お話ししましょうね」
 と、いろいろなことを尋ねてくださる。

Th_-20200320-224157 「人にとって、対話ほど大事なことはありません。人と人との対話、国と国との対話、人と自然との対話、そして、地球との対話……まず、相手のお話をよーく聞いてください……そうしたら、自分も心よりお話することが出来ます」
「対立は破壊を生み出します。宗教も、思想も、哲学も、人種概念も、経済も、対話の心を持たなければ対立を作ってしまいます。
 人類の文明は、これまでは、ホモ・サピエンス(思考する人間)の時代でした。
 二一世紀からは、ホモ・ファーベル(創造する人間)として、国の概念や、民族的こだわりを超えて、地球文明時代をかたち創らねばなりません。
 宇宙から見える地球には、世界地図にある、国を分ける線は見えません。
 人間が、勝手に線引きをしている時代は、もう終わりました」

 一九六八年に伺ったときには、
「象郎さん……共産主義社会は、その原理自体が内包している経済的矛盾により、今世紀中に必ず、崩壊します」
 と、予言のごとく言明されたことを鮮明に記憶している。
 そして、そのとおりに、ベルリンの壁は、約十数年後に消失した。

 一神教的文明時代の限界も、これを超えなければ人類の未来は創り出せないことを情熱的にお話ししていただいたことも、僕は決して忘れない。

 旧制五高の同窓生であった、戦後最長の内閣総理大臣・佐藤栄作も、在野にありながら聡明で純粋な仲小路先生を畏敬し、「日本のあるべき未来像」に関してのアドバイスを受けに、先生が居住し、研究所としていた山中湖まで何度も訪れている。

 一九六九年に、僕が「ヘアー」というロック・ミュージカルをプロデュースしていたとき、のちに世界的に活躍したテクノポップバンド・YMOのリーダーである細野晴臣君を、仲小路先生に紹介したことがある。
 彼は、一度の出会いで、先生の精神的気高さに打たれ、「生涯で最も影響を受けた人」と述懐している。

 仲小路先生は、東大の学生時代、すでに英語、ドイツ語、ラテン語、フランス語、アラビア語、ロシア語に精通し、哲学書・歴史書・地理学・民族学・科学・芸術書などを原語で読破、各民族の特性を研究した上で、日本人とその歴史を客観的に把握し、独自の地球未来学と日本人の果たすべき役割を説いていた。
 驚くべきことに、戦前、すでに現在の地球環境問題、サイバネティクス社会までも視野に入れた、時代をはるかに超えた研究をしている。

 仲小路彰先生の著作は、膨大な数である。全42巻のシリーズ『正解興廃大戦史』ほか、一人の人間が著作したものとは到底思えない。
 生涯で六〇〇から七〇〇近い作曲をしたといわれるモーツァルトのようである。
 仲小路彰先生の未来への視点がダイジェスト的にまとめられた『未来学原論ー21世紀の地球との対話』という著作は、僕の人生のバイブル、僕の「核」となっている。

 

Amazon 団塊パンチ3

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2020.03.19

『タモリと戦後ニッポン』 近藤正高 (講談社現代新書)

Th_41by7wjviil_sy346_ 日書いたオーディオブックで「聴いた」本。

 最近、特に感じること。世の70代が元気だということ。

 戦中や戦後すぐに生まれた、実質的には「戦争を知らいない」世代、違う言い方をするなら、戦後ニッポンをゼロから作り上げてきた世代。

 その代表格がタモリさんでしょう。この本で示されているように、たしかにタモリとは「日本の戦後」そのものだった!と言えるかもしれません。

 というのは、この本を読んで、タモリさんが他者の意見を素直に取り入れたり、社会の風潮に上手に流されたり、案外自我が強くない人だとわかったんですね。

 なるほど、だから一見ブレているように見えるけれど、実は自我にこだわらないという点においては、全くブレていないのです。その結果、見事に時代を映す鏡になったと。

 この本の特徴の一つとして、いろいろな一次資料から引用していることが挙げられるわけですが、それもまた、その時代時代の空気を反映していて面白かった。

 リアルタイムのインタビューもあれば、回想録もあって、それらが「歴史」を作ることになっている。サブカルチャー側から見たニッポンの戦後史が露わになっていて、一庶民として同時代を生きてきた者として、腑に落ちるところが多かった。

 メディアが発達した現代になって初めて、こうして庶民の感覚や視線というものが歴史として記録され語られるようになるのですね。

 それにしても、昭和を力強く生きた諸先輩方の才能とパワーは本当にすごい。70代になった皆さん、今でもとってもパワフルです。高齢者とか老人とか言うのはおこがましい。まだまだ世の中をリードしていってほしい。本気でそう思います。

 そして、60代、50代、40代…若造たちは負けないように頑張らねば。いくら合理性が重視される世の中になっても、いやそうだからこそ、理不尽やナンセンスに命をかける「根性」みたいなモノが必要なような気がします。

 個人的には「全日本冷やし中華愛好会(全冷中)」みたいなノリが好きだなあ。まじめなユーモアというか(笑)。おバカな文化人というか(笑)。

 たくさんの「子供みたいな大人」が登場しますが、やっぱり赤塚不二夫さんの存在は大きいなあ。

Amazon タモリと戦後ニッポン

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2020.03.18

オーディオブック(audiobook)

Th_image03 日の続きです。聴書。

 少し前までは、聴いて勉強というと、たとえば英会話のリスニングとか、そんなくらいでしたよね。

 今では、書籍の音読を聴いたり、YouTubeの音声だけ聴いたり、そんな機会がずいぶんと増えました。

 その中で、私が気づいたのが、昨日書いた「読むより聴く方が得意だった」ということ。視覚より聴覚の方が敏感であり、記憶にも直接つながっていたと。

 というわけで、最近は毎日楽しく読書ならぬ「聴書」しています。

 では、どういう方法で「聴書」しているかというと、まずはオーディオブックの聴き放題プランに加入しているんですね。月額750円で対象書籍が聴き放題です。

 最初の1ヶ月は無料ですし、皆さんも一度試してみるといいのでは。私もそんな感じで始めました。そして、有料になる

 読みたい(聴きたい)本があるとは限りませんが、私はどちらかというと偶然の出会いに期待する方なので、とりあえず片っ端から聴いてみて、面白ければ最後まで、途中でつまらなくなればやめるという形をとっています。

 買って読む読書だったら絶対に出会わない(選ばない)本と出会えるので、これは実に楽しい。世界が広がります。

 いわゆるベストセラーをあえて買ってこなかった私ですから、遅ればせながらそうしたものに出会える機会ができて嬉しいかも。

 再生速度を変更できるのもいいですね。私の場合、難しい内容の本は1.5倍、軽い内容のものは2.0倍。ちなみにYouTubeの講演や討論、ニュース、トーク番組などは、だいたい1.75倍で聴いています。

 時々、Kindleの読み上げ機能を使って「聴書」することもあります。しかし、機械音声だとやっぱりイマイチ集中できないんですよね。プロの朗読と比べると理解力が半分くらいになってしまいます。

 ふと思ったのですが、どうしても頭に叩き込みたい本があったら、自分で朗読して録音し、それをまた聴くっていうのがいいかも。時間かかるけど、面白いかもしれませんね。

 そういう意味では、これからの「朗読」は、青空文庫のデータ入力のように、ボランティアの人たちが録音して、それをシェアするようになるのかもしれません。そういうプラットフォーム作ろうかな。

 

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2020.03.17

ネックスピーカーによる「聴書」

Th_bs00063 近、たくさん本を読んでいます…いや聴いています。読書ならぬ聴書。

 わかりましたよ。私、国語の先生なのに全然本が読めない困った人なんですが、その理由と解決方法がわかりました。

 本は読みたいけれども読めない。これは半世紀にわたる私の悩みだったのです。

 しかし、この本を聴くのだったら、いくらでも聴ける。あわよくば寝ながらでも聴ける(笑)。さすがに寝ながら本は読めませんよね。

 そう、私って、視覚情報が苦手なのですよ。そのかわり聴覚情報は得意なのです。なるほど音楽が好きで楽器を演奏してきたのも、そういうことだったのですね。

 話すのもかなり得意なのですが、それはまた逆に人の話を聴くのも好きということなのです。ホント何時間でも人と話していられます。

 で、最近はですね、この2,200円の中華ネックスピーカーを常に首に巻いて、どんな時も本を「聴いて」います(仕事の時以外)。

 昨日紹介したmiffyさんのネットラジオも、出勤の車の中で運転しながら聴いています。そう、運転しながら聴くにも、このタイプのスピーカーは最高です。

 今までのように、カーステレオ(って今でも言うのかな)のスピーカーで聴いているとですね、ウチの軽自動車みたいにめちゃくちゃエンジン音やロードノイズが大きい車だと、たとえば高速道路走行中なんか結局ものすごい大轟音にしないとダメでして、それが結構耳に悪いのです。

 かと言って、たとえばイヤホンやヘッドホンだと、周りの音が聞こえなくて不安。そこで、このネックスピーカーを使うと、実に快適なんですね。耳元でしゃべってくれるけれど、周囲の音も聞こえる。

 あと、これを首にかけて、たとえば皿洗いをしたり着替えをしたり、日常生活で「ながら」をするのに最高なんですよ。人間って、聴覚に関しては、本当に高度な「ながら能力」を持っていると思います。

 実際、先ほどのカーステレオ(ラジオ)文化からもそれがよくわかりますよね。車の運転というある意味命がけの活動であっても「ながら」可能なのですから。昔からニュースを聞いたり、プロ野球を聞いたりしながら運転していますよね。

 ちなみに「読書」というと「黙読」を想像しますが、その「黙読」の歴史というのは非常に浅いのです。特に「音霊」を重視していた日本では、黙読が一般化したのは明治時代以降のことです。

 私、古い日本人なのですね。黙読が苦手。音読が得意。

 そうそう、音読には3種類あるんですよ。まず、他の人が読むのを聞く音読。次に、自分が読むのを聞く音読。そして、人に聞かせるための音読です。最後のやつが「朗読」ということになるわけで、それはたとえば私の「話すのが得意」という現象にもつながってくるわけです。

 いずれにせよ、私は「読む」より「聞く(聴く)」が得意なのでした。結果として、同じ本でも、読書よりも聴書の方が頭に残ります。

 ついでに言うと、AIによる機械音声の発音より、人間の発音の方がいいのは言うまでもありません。そのあたりについては、明日以降書きます。

 というわけで、ネックスピーカー(肩掛け・首掛けスピーカー)、試しに購入してみてはいかがですか。音楽を聴くにはそれなりのお値段のものが必要ですが、本やラジオやYouTubeを聴くには、一番安いやつでも十分ですよ。逆に低音が出すぎず聞きやすいかも。

Amazon ネックスピーカー

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2020.03.16

安藤美冬さんが発信再開!

Th_img_2564_20200318145901 日今日と、元祖フリーランス、ノマドワーカーであり、最近では情報発信者でありインフルエンサーである安藤美冬(miffy)さんが、富士北麓に遊びにいらっしゃいました。

 年が明けてすぐに不思議なご縁で出会わせていただき(写真はその時のもの)、今回は3回目の対面になりました。毎度のことながら、とっても楽しく濃〜い時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

 miffyさん、各種メディアで華やかに活躍されてしばらく経ってから、SNS断ちをし、特にここ2年間ほどはほとんど発信もされていませんでした。

 しかし、それがまさに雌伏の時だったようで、今また積極的に発信をしていくことを決めたようです。自分を見つめ直す時間、世の中を冷静に俯瞰する時間を経て、これからどのような活躍をされるのか、楽しみです。

 今、毎日発信しているのは、まずネットラジオ。私も毎朝聴きながら出勤していますが、それこそ雌伏の時があったからこその内容で、私もいちいち勉強させていただいております。こんなふうに悩みに答えられたらいいなあ。

 miffyのコーヒーブレイク(人生相談)

 そして、アメーバブログも始められました。今日のこともさっそく記事にしてくれました。こちらです。ありがとうございます。

 5月にはYouTubeでの発信も始めるとのこと。今日はその話でも盛り上がりました。私も出演させていただくかも?w

 ネットラジオ、ブログ、そしてYouTube。なるほど、もしかするとSNSの時代はとっくに終わっているのかもしれませんね。

 私もこのブログをもう16年近く書いていますが、ブログという旧メディアにこだわってきたのは、それが検索の対象になって、いつまでも残るからです。

 SNSは、基本的に「今」伝わることを意図するメディアですが、ブログは「いつか」伝わることを目的としています。miffyさんの記事にもありましたように、私が高城さんと出会い、そこから本当に短時間に素晴らしい人脈を築けたのは、まさにいつかだれかのために書き溜めてきたこのプログのおかげです。

 世の中の人たちも、そろそろSNSの刹那性の虚しさに気づき始めているのではないでしょうか。さあ、皆さんもSNS断ちしましょう(と言いつつ、Twitterはやっている私ですが。ただ使い方は普通の人とは違いますよね)。

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2020.03.15

Alexandros 『Sleepless in Japan Tour -Final-』

 

 1月24日に、ドラマーの庄村聡泰さんの「勇退」を発表したアレキサンドロス。

 演奏家に多い「一番得意で無意識にできていたことができなくなる」局所性ジストニア。私のようないい加減な演奏家は絶対にかからない。まじめに練習している人だからこそ、この病気は辛い。庄村さんの苦悩は察するにあまりあります。

 天才的で個性的なドラミングが魅力だったサトヤスさんが、このまま演奏家を引退してしまうのは、ご本人はもとより、ファンの皆さん、音楽界にとっても大変残念なことです。

 4月1日に発売されるこのBlu-ray&DVDは、ティザーにあるように「この4人の最後の映像作品」になってしまうのでしょうか。

 いや、私は奇跡を信じます。現代の医療で原因不明とされ、その治療法が確立していないとしても、私たちには「未来医療」があります。こうした「意識」が関係しているであろう病にこそ、高次元量子医療は有効です。

 また変なことを言っていると思われそうですが、必ずや良い結果が出ると信じます。

 ご縁があってサトヤスさんとお話する機会がありました。私なりに励まし、あきらめず挑戦してほしい旨を伝えました。きっと彼は勇気ある一歩を踏み出してくれると思います。

 この映像作品が、結果として「最後」にならない、嬉しい大逆転が起きることを、ここに予言しておきます。頑張れ。

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2020.03.14

「勉強ができる」と「頭がいい」は別

 

 日に続き、堀江貴文さんのお話。

 このNewsPicksでの斎藤祐馬さんとの対談、ある意味神回と言われていますね。

 ワタクシ流に言えば、モノ感覚のホリエモンとコト感覚の斎藤さん。そりゃあ噛み合うわけないし、絶対モノの勝ち。

 なんだか痛快というより、残酷な回になってしまいましたね。

 特にこの「勉強ができる」と「頭がいい」は別のくだりは、あちゃ〜って感じでした。

 たしかに世の中の人は大きくわけて4種類います(って結構残酷?)

・勉強ができて頭がいい人

・勉強ができて頭がよくない人

・勉強はできないが頭がいい人

・勉強ができなくて頭がよくない人

 私はどこに属するかな…と、皆さんも考えてみて下さい。

 ホリエモンは一番上なのでしょうね。ただ、この動画でもわかるように、彼が単に感覚や直感を大切にしているのではなく、論理性も重視していることがわかります。

 つまり、先ほど私はお二人を「モノ」と「コト」で二分してしまいましたが、それこそが「コト」化(抽象化・単純化・形式化)であって、現実はそんなに単純ではないということですね。

 ただ、「勉強ができる」はコト(過去)寄り、「頭がいい」はモノ(未来)寄りであることは確かなようです。まあ、両方あれば最強ですけどね。ないものねだりです。

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2020.03.13

ホリエモン 『教育は動画で十分』

 時休校が続いております。本校では急遽全生徒にスタディサプリのアカウントを配布し、動画により生徒の学習の機会を保証しています。

 おそらく生徒の中には、「学校の授業より分かりやすいし面白い。学校なんていらないじゃん」と感じている人もいるでしょうね。また、教員側にも初めて危機感を抱いている人もいるかもしれません。

 いいことです。

 こういう非常事態がないと、変わらない国なのです。日本は。そして、特に変わらないのが学校。150年前から軍事教練がずっと続いてきた、その不自然が、自然の力によってようやく突き崩されようとしています。

 もちろん現場で何十年もやってきた私としては、学校が授業だけの場ではないこともよ〜くわかっています。その上で、あえてこういう話をしているというのは、皆さんもさすがに理解してくれているでしょう。

 それでも、やはり自分が身を置いて、そして誇りをもってきたその現場に対して、どうにも我慢できない違和感を抱いていることは、これはもう隠しようのない事実ですので、あえて発言し続けます。

 堀江貴文さんが、こんなことを言っていました。ある意味そのとおりだと思います。極論のように聞こえますが、おそらく未来的に考えれば正解でしょう。

 

 私は、スタディサプリを提供してくれたリクルートの方にも何度も言っています。スタディサプリも古い!と。動画が結局のところ「学校の授業」形式ではないかと。全然未来的でないと。

 では、どうすれば良いのか。それについてもリクルートの方にはお話していますし、未来的具体的ヴィジョンがちゃんとあります。理解してくださり、また現実化にお力添えくださるであろう皆さまにはお話しています。

 ある部分では、すなわち、旧来の学習については動画で(You Tubeで)十分。それを補う「リアル」な部分こそが、未来的教育システムなのです。

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2020.03.12

ブレサリアン(霞を食う人)

Th_thumb12241588525world 5年に1回くらい話題に上がるインドの仙人、プララド・ジャニさん。

 なんでも80年以上何も飲まず食わずで生きているとのこと。

 にわかには信じがたいかもしれませんが、実は私もここを目指しています。目指していますが、欲望に勝てず、一日一食で止まっています。

 一日一食は丸16年になりましょうか。全くの健康体ですし、最近ではやや太り気味。そろそろ二日一食にしようかと思っているところです。

 実は昨日と今日、夜布団に入ってから、今までにない腹痛に襲われましてトイレに籠もっておりました。

 何か特別なものを食べたかというと、そういうわけではない…いや、昨日は例年より1ヵ月半も早く出てきた庭のフキノトウの取ってきて、天ぷらにして食べたんですよ。全然苦くなく甘くておいしかった。それが原因かと思ったのですが、今日は全く違うものを食べたのに、同じような腹痛に襲われ、かなりの量排出しました。

 どうも強制的デトックスが行われたようで、今はスッキリしております。

 ここのところ少し暴食気味でしたので、何か悪いものがたまっていたのでしょう。ここ一週間ほど、白米をやめて(というか、なくなったので)玄米を食べたというのもあるかもしれません。

 あとはなんだろう。日本酒はいつもどおり毎晩1合飲んでます(血圧が下がる)。玄米も水につけて発芽させてから炊くようになったし、あと、CBD(大麻の合法成分)をヴェポライザーで吸っています。

 たぶん、こうした健康に対する複合的なチャレンジによって、強力なデトックスが起きたのでしょう。まあ、人間の体というのは不思議なモノです。

 おっと、話を戻しましょう。究極の食生活?である「不食」。知り合いに「不食」を自称する人がいて、その人が裏で実は食べていたり、体調悪そうだったりというのを知っている私としては、本当に「不食」で健康的に行き続けることが可能なのか、結局は自分自身で試すしかないかなと思っています。

 食べないで生命活動維持など、エネルギー保存の法則に合わないじゃないか!と思われがちですが、私の中の生命は私だけではありません。そう、腸内細菌という共生者が大量にいることを忘れてはなりません。

 彼ら(腸内細菌たち)がいったいどのような代謝を行なっているのかは、現代の科学で全てわかっているわけではありません。

 そうそう、前に「牛は草しか食べないのに、なぜ「肉」の塊なのか?」という記事を書きました。これだって完全に說明されているわけではないのです。

 そこにも書きましたが、全てのエネルギー源は「太陽」だとも言えるのですね。そうしますと、多くのブレサリアンが「太陽の光を浴びる」ということにヒントがあるかもしれません。光合成、それとも生体核融合?ゴジラは核分裂でしたっけ?

 というわけで、私もいつか「霞を食って」生きていけるよう、自ら実験してみようと思いますが…食欲に勝てないんだよなあ(笑)。なかなか仙人や聖者にはなれそうにありません。

 

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2020.03.11

追悼 別役実さん

Th_229 月3日、別役実さんが亡くなりました。昨日ニュースで知りました。

 演劇界にいたウチの姉にとっては大きな存在だったのでしょう、私がまだ少年の頃、「ベツヤクミノル」という不思議な名前を何度も耳にした覚えがあります。

 物心ついた頃からの記憶としては、映画「銀河鉄道の夜」の脚本家としての別役実がまず一番。宮沢賢治を愛する別役さんの名脚本です。

 続いては仕事上の記憶として、2006年のセンター試験国語の評論で出た「言葉への戦術」。これがとても面白かったので、当時古本で買って読んだ覚えがあります(どこ行っちゃったのかな)。

 このセンターの問題、今ではある意味伝説の問題になっています。著作権問題にも積極的に取り組んだ別役さんが、いろいろ納得いかないところがあって、過去問としての掲載を許可しなかったんですよね。今では見ることができない幻の問題。いい文章、問題だったのですが。

 別役さんのエッセイや評論は、まず文章がとんでもなくうまくて(当たり前か)、読んでいて心地よいというか、独特のリズムがあるおかげで集中力を切らさず読み込むことができる。

 これは、まさに「戦術」なのかと思いきや、どうもそうではなく、別役さんの生来の音楽的センスなのだと思います。

 音楽と言えば、この名曲は、まさに言葉と音楽との幸福な結婚の例でしょう。小室等「雨が空から降れば」。

 

 

 それから、別役さんの脚本と言えば、二・二六事件を描いた吉田喜重監督の「戒厳令」。北一輝に興味を持っていた別役さんらしいものになっています。実に文学的、演劇的、哲学的。

 

 

 あらためて別役実さんの文章を読んでみたいと思います。ご冥福をお祈りします。

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2020.03.10

堀江貴文とカルロス・ゴーンの対談

 型コロナのこともあって、世の中がどんどん変わっていく音が聞こえます。

 ウチの学校でもいろいろな動きがあります。

 今日大変うれしかったのは、本校から初めて東大合格者が出たことです。それも現役で理科三類に。

 その生徒は、ウチの幼稚園、中学校、高校の卒業ですから、まさに生え抜き。勉強だけでなく、文化、スポーツなどにも一生懸命取り組んでくれた生徒です。

 底辺校とも言われていた悔しい時代を知っており、その悔しさをバネに特進コースAやS、そして中学校を立ち上げてきた私としては、なんとも感慨深いものがあります。

 この快挙の裏には、全ての生徒たちの頑張り、そして保護者の理解、そして先生方の献身的な努力があります。ひたすら感謝です。

 さて、そんな中、昨日の動画を入口に校内研修をしました。そこでも、時代の急激な(指数関数的な)流れを感じずにはいられませんでした。

 そして、夜寝る頃に飛び込んできた、この動画。

 政府でもなく、警察でも検察でもなく、大手メディアでもなく、なんと一個人があのカルロス・ゴーンに独占インタビューしてしまい、それがYou Tubeで公開されるという…。

 まさに時代は変わった、です。

 

 

 堀江さんの英語がどうのと言う人がいますが、これこそ「使える英語」ですよ。肝心なところはちゃんと話が通じていますし、なにより、非常に貴重な情報(意見)を聞き出しているわけですから。

 私たちは初めてゴーンさんの口からゴーンさんの考えをしっかり聞くことができた。それを聞いて、それぞれがいろいろなことを考えればよい。日本の検察が異常なのか、それとも都合の良い言い逃れなのか。追う者、逃げる者、双方にどのような意図が働いているのか。

 これについて、はたして既存のメディアはどのように反応するのでしょうか。しないのでしょうか。

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2020.03.09

Prince Ea 「学校システムを告訴する」

I JUST SUED THE SCHOOL SYSTEM

 

 

 変わらず忙しいので動画紹介で。

 これは明日の校内研修で観る動画です。

 私が高城剛さんとの対談の中で「日本の教育界は150年間変わっていない!」と言って物議を醸しましたが、まさにこれですよ。アメリカもこうなのです。

 では、この動画のように正反対の天国のような世界が待っているかというと、それはそれで幻想…と言ってしまうと、明日の研修の意味がなくなってしまうのですが(笑)、そう簡単ではないことも事実です。

 私は全く違う形でその築150年の城塞をぶっ壊したいと思っています。

 今日はここまで。

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2020.03.08

無観客春場所 八角理事長挨拶

 の無観客興行。中止にならなくてよかった。

Th_k10012320011_2003081659_2003081707_01 2011年、春場所が不祥事から中止になった時、まさにその期間中に、あの東日本大震災が起きました。

 相撲という「地鎮」の神事をしなかったからだと思った私は、当時、こんな記事を書きました。

 大地震と「モノ」と「コト」と「マツリゴト」

 偶然だ、得意の統合過剰(こじつけ)だと思って呆れていただいても構いません。

 しかし、今回、無観客という異例の形でも場所が強行された、その裏側には、ぜったいに9年前の記憶があると思います。

 今日の、これまた異例の八角理事長の挨拶にも、それが表れていました。

 全文

 特に次の部分。

古来から力士の四股は、邪悪なものを土の下に押し込む力があると言われてきました。また、横綱の土俵入りは五穀豊穣と世の中の平安を祈願するために行われてきました。
力士の体は、健康な体の象徴だともいわれます。
床山が髪を結い、呼出が拍子木を打ち、行司が土俵をさばき、そして、力士が四股を踏む。この一連の所作が、人々に感動を与えると同時に、大地を鎮め、邪悪なものを押さえこむのだと信じられてきました。

 この国家的な緊急事態。ウイルスは天災なのか人災なのか微妙ですが、我が家で計測している富士山のラドン濃度の異常のことも含めて心配していたところでしたので、今回の日本相撲協会の英断に敬意を表します。

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2020.03.07

バッハ 『カンタータ「天より雨くだり雪おちるがごとく」』 (オランダ・バッハ協会)

 

 事はない日ですが、いろいろと忙しいので短めに。

 1年前に東京で演奏させていただいたバッハのカンタータ「天より雨くだり雪おちるがごとく」。あの時はリコーダーが加えられたライプツィヒ版でした。

 ヴァイオリンがなくヴィオラ4本という珍しい編成ということもあって、その独特な響きが今でも記憶にしっかり刻まれています。

 その名曲、数日前にオランダ・バッハ協会の演奏がアップされまして、久々にその響きを堪能することができました。こちらはリコーダーのない初期稿。

 特に第5曲ソプラノのアリアは美しいですねえ。4本のヴィオラがユニゾンになり天国的なオブリガートを歌います。これはヴィオラならではの世界ですね。この曲に関しては、リコーダーが入らない方が好きかも。

 

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2020.03.06

『刑事コロンボ 秒読みの殺人』の音楽 (パトリック・ウィリアムズ )

 

 学生の長女が帰省(寄生)しておりまして、コロナのこともあって、見事なひきこもり生活をしております。

 で、一日中パジャマ姿でベースを弾いて、韓国アイドルを観て、そしてサスペンスものを観ております。

 特に小さい頃から大好きだった「刑事コロンボ」を、はじから観ています。いったい何度目なんだ?

 で、今日は「秒読みの殺人」を独り言をぶつぶつ言いながら観ていました。私はその横で仕事をしていましたので、音だけはしっかり耳に入っくる。特に音楽が素晴らしかった。

 で、気になって調べてみると、一昨年亡くなった巨匠パトリック・ウィリアムズじゃないですか!なるほど。さすが。

 なんと言っても、全編を通じて繰り返される、このバッハ風のテーマ曲。ドローンバスの上に展開される対位法。マタイ受難曲序曲のような見事な緊張感ですね。

 つまり、これって人間の「罪」の表現なのでしょうかね。特に犯人の犯行シーン。秒読みとこの音楽が私たちをドキドキさせます。

 聖書や映像作品などの「ドラマ」と音楽の関係、これは私にとっては単なる興味の対象ではなく、ずっと遠くにある大切な何かを教えてくれそうな予感をさせるものなんですよね。

 

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2020.03.05

茂木健一郎 「大学は必要なのか」

 

 るほど、この茂木健一郎さんの意見にはほとんど同意できますね。

 面白いもので、だいたい高学歴(中退含む)の人が「大学不要論」を唱えることが多い。逆に言うと、「なんとなく大学必要論」の人は、まあ「なんとなく」だということですね。ここにこそ問題がある。

 今の日本社会では、「社会人になる=食っていく」ためには、たしかに大学を出たほうが有利です。確率論的に言えば(すなわち個別のケースを語るのではなく「なんとなく」)大学には行った方がいい。

 私の仕事も、基本その「なんとなく」の中で成立している、危うい存在です。

 そう私は今、とっても面白い状況の中に生きているんですね。現在働いている場所(社会的ポジション)に根底から疑問を持っているのにもかかわらず、そこをやめることはないどころか、その納得いかないシステムのために文字通り献身しているのです。

 しかし、それが不思議と不快ではなく、逆に本来やるべきことをしっかり認識させてくれていることに感謝すらしている。

 自分でも本当に不思議です。

 このたびの「休校」騒ぎによって、旧来の学校のシステムが、それこそ根底から揺らぐ可能性があります。

 「学校」がある意味強制的になくなってみて初めて、「学校」なんていらないと実感する生徒が出てくる。もちろん全員ではないけれども、おそらくは半数近い生徒が、単に目の前の「学校がなくなってよかった」と思うだけでなく、「学校はなくてもよかったのかも」と感じるのではないでしょうか。

 ウチの学校ではいち早く、生徒に某企業の映像授業を無償提供することにしました。先生たちの中にも、そういうことを通して、自分たちがやってきた「授業」という教育活動の価値が揺らぐのを実感するかもしれません。大いにけっこうです。

 ここのところ「未来の記憶」がどんどん鮮明になってきていまして、それを実現しなければならないという焦燥感にかられています。やるべきだとわかっていることをやらないのは死ぬことと同義ですので。

 そんないろいろな、ワクワクする懊悩という矛盾の景色の中で、ひときわ大きく目の前にそびえているのが「大学」という存在です。

 大学の存在自体に大きな疑問を持っているのにもかかわらず、現場ではその大学に受かるため(だけ)の教育をしている自分。正直、大学に受からせるのは得意です。けっこう楽しいですし。

 自分の娘たちにも、結局のところ「大学へ行け」と言ってしまっています。それが一番の矛盾ですね(笑)。

 いや、私は「大学はいらない」と言っているわけではなく、「半数近い生徒」には必要あって「半数近い生徒」には必要ないと思っているのです。

 その必要ない「半数近い生徒」のために、大学ルートとは違う、社会へのルートを作りたいと考えているのです。もうヴィジョンはできています。あとは実行あるのみ。

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2020.03.04

「確変モードの最高に面白い時代」安宅和人

 

 日の「exponential」をキーワードにしている方、私の尊敬する偉人の一人、安宅和人さんのお話を聴いてみましょう。

 東大→マッキンゼー→イェール大学→ヤフーCSO→慶応大学SFC教授その他いろいろ、というすさまじい経歴を持つ、この素晴らしい天才はどのように未来を見据えているのか。どういったところに「exponential」なシーンを観ているのか。

 そう、今ちょうど安宅さんの「シン・ニホン」を読み始めたところです。すごい本です。また近く紹介しようと思います。

 私のような凡人(凡宇宙人)が、こんなことを言うのは愚でありますが、今最もお話してみたい天才的な宇宙人は安宅さんです。おそらく同じ言語で話すことはできないと思いますが、その本質は共有できるのではないか勝手に思っております。

 「exponential」というのを、安宅さんは「確変モード」と言い換えていて、なるほどなと思いました。「指数関数的」のエネルギー感、それも+のエネルギー感を表現するには、たしかに「確変モード」は言い得て妙。

 大当たりが次の大当たりを生み、ブラックホールがどんどん密度を高めて重力を増し、それがまた吸引力になっていくという、あの「止まらない」感じがなんとも興奮を誘いますね。

 しかし、ブラックホールも最後には全てを吸い込み、自分自身すらをも永遠に吸い込み続けて「空」に漸近してゆく、いや漸近するが到達しないという地球上の数学の世界とは違って、たしかに「空」に達する時が来て、その瞬間時間は逆転しはじめ、それがすなわちそのままホワイトホールになります(宇宙人の知っている物理学)。

 そんな「折返し」が、実は低次元のこの地球上の私たちの営みにも投射されて現実化するんですね。

 今、そういう時代に来ているのかもしれません。その折り返し地点が真のシンギュラリティなのではないでしょうか。

 さて、そんなドラスティックな時代に生きる私たちは、とうに Old Game を捨てて New Game のステージに移行しなければならないのに、まあなんでしょうこの日本のザマは(私も含めて)。

 つまり、私たち教育者は「妄想する危ない人」を育てる、いやまずはそういう人たちを殺さないようにしなければならないのです。

 「夢(課題)×Tech(技術)×Art(デザイン)」とありますが、実は夢もTechもArtも「未来の記憶(未来からの情報)」なんですよね。その、「未来の記憶」というモノをコトにするための力を、私は妄想実現力と呼んできました。

 その力を身につけるためには、まずは過去の記憶の呪縛から解き放たれる必要があります。過去を無視しろというのではありません。過去という引力から自らを引きちぎって飛翔することこそが、未来に向かう推進力になるのですから。最初から解き放たれていては何も生まれません。

 だから、旧来の「勉強」も否定しないのです。その重力圏から脱出することを同時にやっていかねばならないということです。

 安宅さんもおっしゃっていますが、まずは都市という重力から脱出しなければならないでしょうね。私の「シン・ガッコウ」(?)も、基本それを志向しています。都市は「コト」の集積回路ですから。

 安宅さんの3年前のTEDも面白いですよ。明るい諦観がいいですねえ(笑)。

 

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2020.03.03

exponential (指数関数的)

Th_unnamed 代の変化、つまり時の流れが指数関数的になっています。

 インターネットの高速化・大容量化やAIの進化、貨幣の抽象化なども明らかに指数関数的な勢いですし、新型コロナウイルス感染症の罹患者数もまた、指数関数的な勢いで増えています。また私たちの常識も急速に変化しています。

 これはどういうことなのでしょう。

 滔々と流れていた大河は、突然現れた滝壺に急激に呑み込まれていきます。

 いや、滝は対数関数か。いやいや、指数関数と対数関数は高次元的に視点を変えれば置き換え可能ですから、同じものとして話を進めます。社会的、もしてくは文学的な表現としては、「指数関数的」は「急上昇」をイメージしますね。実際には「急降下」も起きているわけですが。

 いずれにせよ私のイメージでは、これはある種の末期的な現象です。ブラックホールに吸い込まれ、あるいはホワイトホールから吐き出されるようなダイナミックな、いやドラスティックなエネルギーを感じます。

Th_photo3jpg これって、基本的には人間にとっていいことなのでしょうか、悪いことなのでしょうか。

 こうした指数関数的な変化が「自然(モノ)」の中で完結するものなのかどうかが問題だと思います。

 器にたまってきた水が、一気にあふれるような場合で考えてみましょう。あふれた水は、それなりのところに落ち着きますから、俯瞰すればそれは自然ということになります。

 ただ人間の近視眼的な世界観からすれば、そのあふれる現象が、器の上縁を超えるという予想可能な自然現象の場合と、たとえば堤防が決壊するような予想外の現象とでは、解釈が違ってきます。

 堤防のような人工物、すなわち人間が作ったコト(建造物やシステムなど)が崩れる時、あの東日本大震災の津波もそうでしたが、私たちは自然というモノの下にひざまずくしかありません。それは不幸なこととされますが、何かを気づかせてくれるという意味では、福音ととらえることもできます。

 指数関数的な変化が起きつつあるのは、それはまさに不幸と福音とが抱き合わせにやってくる予兆なのです。

 さて、どんな不幸と福音がやってくるのか。

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2020.03.02

「ミングる」「タピる」など「〜る」について

Th_278d4750d03e42009c4aa53616a9d0badf3d9 すがにちょっと忙しいので、昔書いた文章を紹介します。

 というか、載せるのを忘れてました。恒例の、中学校の入試問題の本文です。毎度しつこく書いているように、私は国語の入試問題の本文を自分で書いちゃいます。その方が楽だからです。

 著作権が面倒ですし、だいいち世の中に小学生が読んでちょうどいい文章というのは、あんまりないんですよ。だったら自分で書いた方が早い。

 この文は先月行われた一般入試のもの。軽い内容ですが、大人が読んでもけっこう面白いんじゃないでしょうか。

 ちょうど、新型コロナウイルス対策として「ミングる(集まる・交わる)」ことを避けるようにと、ニュースでやっておりました。タイムリーといえばタイムリーな文章かな。

 では、どうぞ。問題は割愛です。

 

 「タピる」…二〇一九年の流行語大賞にノミネートされた言葉です。みなさんはこの言葉の意味がわかりますか?

 これは「タピオカミルクティーを飲む」とか、「タピオカを食べる」という意味だそうです。とすると、私は「タピった」ことがありません(笑)。みなさんはどうでしょうか。

 この「タピる」は、「タピオカ」の「タピ」に「る」をつけて動詞(動作を表す言葉)を作ったものです。

 「タピオカ」とは、南アメリカ産の植物キャッサバから抽出したデンプンのこと。ですから、もともとは日本語ではありません。

 その外国語「タピオカ」の一部「タピ」に「る」をつけて、新しい日本語を作っしまったのが、「タピる」なのです。

 実は、こういう言葉はほかにもあります。

 たとえば、「サボる」。これはもう立派な日本語になっていますよね。みなさんもよく使うと思います。

 この「サボる」の「サボ」は、なんとフランス語の「サボタージュ」という言葉の一部です。かつては「サボタージュする」と言っていたようですが、とても長いので、いつのまにか「サボる」と省略するようになりました。

 「サボタージュ」は「仕事を怠ける」という意味です。ですから、「当然やらなければならないこと」を怠ることを「サボる」と言うわけですね。 「学校をサボる」とか「塾をサボる」とか「練習をサボる」とか、そのように使う理由がわかりましたか?

 もう一つ、みなさんもよく知っている「ハモる」は、「ハーモニー」(和音)の一部を縮めて「る」をつけたものです。

 昔の日本の音楽には「ハモる」という考え方はなかったのですが、西洋音楽が入ってきて「ハモる」ことが日常的になりました。それを昔ながらの日本語で表現するのは難しかったので、では新しい言葉を作ってしまえという感じで生み出されたのが、この「ハモる」という言葉です。

 このように、日本人は、外国語をうまく取り入れて、新しい言葉を作るのが得意です。「サボる」や「ハモる」は、すっかり市民権を得て、今では国語辞典に堂々とのっています。

 ところで、似たような例なのですが、ちょっとおもしろいのが「ダブる」という言葉です。「重なる」という意味ですね。これもよく使うと思います。

 この元になった外国語は、英語の「ダブル(double)」です。「二倍の」「二重の」「対の」という意味の英語です。

 この「ダブル(double)」、たまたま最後が「ル」で終わるので、そのまま「ダブる」という日本語の動詞にしてしまったわけです。

 同じような例として「トラブる」(面倒なことになる・機械などがこわれる)があります。言うまでもなく「トラブル(trouble)」という英語が元になっています。

 また、最近よく聞く「ググる」(グーグルで調べる)も、少し縮まってはいますが、同じようにして生まれた新しい日本語です。

 一方、「事故る」「愚痴る」「皮肉る」などは、中国語(漢語)に「る」をつけた例です。すでに輸入されて使われていた「事故」「愚痴」「皮肉」という名詞に、「る」をつけて動詞化したものです。

 中国語(漢語)の一部を使ったものにも、おもしろいものがあります。

 「告る」は「告白」という言葉の一部に「る」をつけたものでしょう。また、最近の若い人たちは「キョドる」という言葉を使うようですが、これはなんと「挙動不審」の一部に「る」をつけてしまったものです。本当に日本人の造語力はすごいですね。

 さて、若者たちがこのような新しい日本語を使うことに対して、「日本語が乱れている」という人たちがいます。そういう人たちはよく、「昔の日本語は美しかった」「昔の人は言葉を大切にした」と言うのですが、どうもそうとも言えないようなのです。

 実は、江戸時代の若者たちも、「流行語」を作って楽しんでいたことがわかっています。

 「タピる」のような、食べ物、飲み物系ですと、こんなおもしろいものがはやっていました。

 それでは、クイズです。まずは食べ物。

 「ちゃづる」

 さあ、これはどんな意味だと思いますか。

 今の私たちもよく知っているあるものを食べることを「ちゃづる」と言ったのです。さて、なんでしょう。

 もしかすると、正解した人がいるかもしれませんが、なんと、これは「お茶漬けを食べる」という意味だそうです。

 江戸ではお茶漬けが大流行したそうで、今、「タピオカ屋さん」に若者が集まっているように、「お茶漬け屋さん」に当時の若者たちが行列を作ったのだそうです。

 一方、飲み物ですと、「けんびる」という言葉があったとか。これは、今でも有名な日本酒「剣菱」を飲むことだそうです。さすがにこれはみなさんはわかりませんよね(私はわかりました…笑)。

 さて、「サボる」や「ダブる」は辞書にのるまでになりましたが、たとえば「ちゃづる」や「けんびる」は忘れられてしまいましたね。はたして、「タピる」は日本語として生き残るのか。それを見届けるのも、また楽しいのではないでしょうか。

 

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2020.03.01

新型コロナウイルス情報 番外編

Th__111091337_worldmap_29_1600nc_edited1 日は午前中、週明けからの「休校」についての仕事をしました。

 別に大変ではありません。

 現場は困惑、混乱というのは、現場の柔軟性のなさを示しているだけです。

 言い訳ですね。

 いきなりすぎた!とおっしゃいますが、1週間前に発表になったとして、たぶん「たいへんだ、たいへんだ」の期間が長くなっただけだと思います(笑)。

 ある意味、突然だから、あっという間にできたのかもしれません。

 とにかく粛々と、臨機応変にやればいいだけのことです。

 ウチでは生徒の学習の機会も、業者さんと交渉して無料で映像授業を提供してもらうことにしました。

 他の業種に比べると、教育業は比較的可塑性が高いので、あとは柔軟なやる気だけあればなんとかなります。

 それをやれないのは、異様な保守性があるからです。前例踏襲主義で凝り固まっている現場が多すぎます。

 ウチもそうです。今回の一件をきっかけに、ウチもいろいろ削ったり、形を変えたりしたいと思っています。

 ピンチはチャンス。日本はこういう「モノ(天災)」的外圧がないと変われない国なんですよね。

 ま、今回のウイルスは「コト(人災)」とも言えますが…。

 そう、戦争は「コト(人災)」なんですよね。

 この新型コロナウイルス感染症が、なぜ中国の武漢で爆発的に発生したか。そして、今、イランや韓国、そして日本で感染者が多いのはなぜでしょうか。そこに見え隠れするのは、大国アメリカの影です。イタリアは…よくわかりません(笑)。

 統合失調ならぬ「統合過剰」と言われてもしかたありませんが、偶然なのでしょうかね。

 ちなみに、幼稚園の方はしばらく通常営業です。ただ、登園させるかどうかは保護者の判断におまかせします。登園すれば、感染の確率が上がるのは間違いないわけですから。親御さんも難しい選択を迫られますが、これもまた、日本の会社のシステムや社会構造全体の話にもなるわけで、私たちみんながいろいろと悩みながら、常識や陋習に手をつけていかねばならないということでしょう。

 

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