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2020.02.26

仲小路彰の未来的教育・学校論

Th_-20200226-152842 日は二・二六事件当日から84年の日でありますが、また一方で、仲小路彰の天才思想家、歴史哲学者、仲小路彰の誕生日でもあります。

 下の文章はその仲小路彰が(おそらく)昭和29年に記したものです。

 今から65年前(私が生まれる10年前)に、このような22世紀的な教育観、学校観が提示されていることは、まことに驚異であります。

 今まさにワタクシが目指している「旧来の教育・学校をぶっ壊す」計画の向こう側にあるのは、このような思想であり、また理想であります。

 仲小路はおそらく22世紀の未来の記憶を思い出して、このようなことを書き残したでしょう。

 おそるべきは、仲小路が65年前に否定した「現代教育」が、今でもそのまま、全くそのまま残っていることです。それほどに、私たちの敵は強大であり、堅牢なのでありました。

 だから命がけで「決起」しなくてはならないのです。今は敵陣のど真ん中におりますが、あえてそこにいながら戦うつもりです。

 仲小路彰は、この文章をまだ半世紀続く20世紀のために書いたのか。それとも21世紀のために書いたのか。あるいは22世紀のために書いたのか。

 今、私が構想している(未来からダウンロードしている?)プランについては、一部の方々にはお伝えしていますが、まだまだ茫漠としています。しかし、確実に「未来の記憶」は時間の川上からこちらに近づいてきていますので、日々確実に、具体的、明確なものになっていくと信じます。

(以下引用)

 現代教育の最大の問題は、学校教育をのみ教育として、学校をのみ教育の場所とする誤まれる固定観念である。

 かつて学校とは、絶えざる試験と点取り競争の斗争場であり、まさに格子なき牢獄として、青少年の希望多き日々を、拭えざる劣等感によって汚染した。

 しかも一度社会生活に入るや、すべては忘却の淵に投ぜられ、時折、恥多き思い出の記憶をよび起す苦い体験を、殆どすべての人びとがひそかに胸奥に秘めている。

 そこでは、若い者は勉強が嫌いで、かつ怠堕であるという根本的考えがすべてを支配しており、外からの詰込主義と強制的な服従が強要された。

 現代に生きる多くの社会人の思い起すー木造のあるいはコンクリートの殿堂は、生徒と先生の抹消的機智の斗争場であり、しばしば腕力の斗争場ーさらに対社会的反抗のバリケードでもあった。

 このように卑近な日常的現実に取材されながらも、なお学徒の感覚にあまりにも縁遠いと思われる教科内容ーしかもそれが片々たる過去的現実の断片の羅列であるとき、学徒の心が遠く窓外の解き放たれた自由を思い、あるいは退屈な講義に居眠りすることもまたやむをえないことであった。

 しかし今日、このように閉された教育に対する固定観念は一掃されねばならい。

 そして人生全体が偉大なる人間教育とされ、世界そのものがすばらしい学校とされる新しい教育の根本原則が確立されねばならない。

 人間の社会生活そのものが学校であり、教育である人間教育の在り方が明確にされるとき、かつてのあまりにも限られた教育は根底から変革されるであろう。

(仲小路彰「明日のための人間教育ー教育・倫理・女性ー」より)

 

 ちょうど林千勝先生が、仲小路彰について語った動画が公開されました。ぜひご覧ください。

 

 

Amazon 仲小路彰 「未来学原論」

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