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2020.01.25

愛宕神社(静岡市沓谷)

 んと37年ぶりに参拝しました。駿府城の鬼門除け「愛宕神社」。

 今日は静岡の実家にいるのですが、お昼に両親と近くの「くら寿司」へ行った帰り、お酒を飲んだ私は一人歩くことになりました。

 ふと、そういえばこの近くにかつての「マイ神社」があったなと思い、酔いの勢いもあって谷津山の愛宕神社への山道を登り始めました。

 37年前の1月以来なのです。その時、私は高校3年生。共通一次試験のあとだと記憶していますから、まさに37年前の今日あたりだと思います。

 共通一次試験で大失敗をし、第一志望の大学から第二志望校へとレベルを下げ、その大学への合格を祈願するために、自宅から谷津山の尾根を辿って、この愛宕神社に参拝したのです(その頃、私はなぜかこの神社を「マイ神社」と勝手に決めて、よく参拝していました)。

 実はその時、とんでもないことが起きてしまいました。

 合格へ向け、気合を入れて、あの「鈴」を振ったところ、なななんと、その鈴の紐が根本から取れてしまったのです!

 山の中の小さな神社ですので、周囲には誰もいなかった。だから、その鈴を足元に静かに置いて帰ってきてしまったのです。元に戻すことなどできませんでしたから。

 今思えば、見事に「落ちた」わけですが、その時の私はある意味ポジティブで(そうするしかなかった)、その日の日記には、「愛宕神社へ行った。鈴が取れた。そうです。合格をもぎ取ったのです!」と書いてあります(笑)。

 さすが神様のお示し、結果は「不合格」。その結果、私は都留文科大学に進学することになりました。

 結果として、やはり神は正しく、都会の大学の教育学部に合格しなくて良かったのですが、その頃の私は、そんな未来的運命など知る由もなく、ただただ負け犬根性の塊のようになっていました。

 そんなこともあって、この愛宕神社に参拝することは、その後全くなくなってしまっていたのでした。

 もちろん、今は、愛宕の神様に大感謝です。あのような形でお示しくださったわけですから。すみません、あの時は気づかず…。

 実は、私が鈴をもぎ取ってからのち、平成11年でしょうか、その江戸時代創建の拝殿と本殿は不審火で焼失してしまい、今日参拝したのは比較的新しい建物でした。なんか記憶と違うなと思ったら、そういうことでした。

 また、あれから40年近く経って、私もどっぷり神仏の世界につかるようになったので、あの頃とは全く違った目で、さまざまな信仰物を見ることができました。面白いですね。モノ(波)がコト(粒)になるということは、こういうことなのでしょう。もちろん、まだまだ「モノ」はたくさん存在しましたが。

 というわけで、いくらでもいろいろ書けますが、今日は写真だけ載せておきます。ただ一つだけ。愛宕神社横の大頭龍神社(大物主を祀る)とつながると思われる、参道途中の三輪鳥居が壊れてしまっていたのは気になりました。なおした方がいいなあと感じました。

 あっ、もう一つ大切なこと。この神社の足元に、安藤輝三が眠る愛宕霊園があるのでした。もうあの頃から、私はつながっていたんですね。


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