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2020.01.31

ウイルスは情報兵器?

Th_-20200203-102628 国発の新型コロナウイルスが猛威をふるっております(アメリカのインフルエンザほどではありませんが)。

 この新型コロナウイルス、まさに新型です。コロナウイルス自体は、むか〜しからあって、いわゆる普通の風邪の原因だったりするわけですが、この新型はちょっと厄介なようです。

 いったい誰が作ったのでしょうか。

 アメリカが中国をやっつけるために開発したウイルス兵器でしょうか。それとも中国が武漢で開発中だった新型ウイルスが、なんらかの事故で漏れたものなのでしょうか。あるいは北朝鮮?

 いやいや、宇宙からの兵器だという噂もあります。地球侵略を目論む宇宙人的な視点からすると、中国に狙いを定めるのは正解ですよね。

 善良な(?)宇宙人たるワタクシからしますと、ウイルスというのは生命体というよりも「情報」に近いと感じています。

 生物のような増殖の仕方ではなく、生物の細胞内に侵入して、一度姿をくらまし(暗黒期・エクリプス期)を経て、一気に部品を組み立てて増殖するあたり、まるでスパイ工作のような感じですよね。情報もあくまで人間の手によって増殖されます。

 そうしますと、ウイルスは情報兵器であるとも言えましょう。コンピュータウイルスとワクチンの関係が、本家ウイルスとワクチンとの関係に酷似しているのは象徴的ですね。

 逆の言い方をしますと、この新型コロナウイルス騒ぎと同様のことが、実は情報の世界でも起きているということです。そちらの方がずっと恐ろしいのに、私たちはついついそちらは見逃しがちなのです。

 この新型ウイルス禍は半年もすれば終息するでしょう。それで安心するのではなく、そこから私たちは情報戦における防御や戦闘方法を学ばなければならないのです。

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2020.01.30

ノアがサイバーエージェント傘下に

Th_2020020100010012abema0001view ロレスネタです。

 ニュースにもなっていましたが、プロレスリング・ノアがサイバーエージェントの傘下に入りました。そして社長は高木三四郎さんに。副社長が丸藤正道選手。

 いろいろなプロレス団体の中でも、このノアとDDTに関しては、格別の思い入れもあり、実際観戦の回数もこの2団体が多かった私(というかウチの家族)。

 まさかこのような日が訪れるとは。

 DDTというか、プロレスという大きな物語については、12年前、こんな記事を書いています。

『俺たち文化系プロレス DDT』 高木三四郎 (太田出版)

 ある意味、ここで書いたことが現実化し、DDTは大人気となり、DDTで育った選手たち(あの時いっしょにバーベキューした飯伏幸太選手とかケニーオメガ選手ら)は、業界最大団体新日本で活躍し、さらには世界に進出していきました。

 一方のノアは、三沢さんのリング死ののち迷走し、ここ1年はリデットさんのおかげでようやく盛り返してきたところということで、ある意味両団体は明暗がはっきり分かれたという形になっていました。

 今回の買収にあたり、サイバーエージェントの藤田社長は、両団体は補完関係にあり相乗効果が期待できると語りました。それはたしかだと思います。ここ10年の明暗は、まさに両団体が求めていたもの、表現したかったものが正反対であった結果とも言えるからです。

 今日、DDTのネット配信としてノアの試合が生中継されました。あまりの反響にサーバーがパンクしてしまいました。私も含めてそれほど期待が高まっているということでしょう。

 今日のノアの試合も大変面白かった。若手も育っているし、ベテランや他団体、フリーの選手をうまく使っているように感じましたし、いわゆるストーリーもはっきり見えていました。

 私としては、単純に両団体の交流戦を観てみたいと感じますが、一方で合流には反対です。これはおそらく皆さん同じ意見でしょう。かつての新日本と全日本のように、まったく違った哲学の団体が切磋琢磨するのがプロレスの発展につながると思います。

 いずれにせよ、AbemaTVを通じて、両団体の試合を気軽に観戦できる機会が増えるのは良いことです。それをきっかけとして「ライヴ」へお客さんを誘導するというのが、今の時代のエンターテインメントのあり方ですからね。期待します。

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2020.01.29

『きみの鳥はうたえる』 三宅唱監督作品(+この窓は君のもの)

Th_71vo0ohfmpl_ac_sl1500_ 食後、チャンネルを回していてたまたま始まったので、家族で鑑賞。

 結果として、家族3人すっかり集中してしまいました。いやあ、これは名作だ。

 今、家にいない大学生の長女は、ぜったい「なにこれ?つまんない!」というでしょう。それ以前に、5分と観ていられないと思います。

 そういう人が半分くらいいるんじゃないでしょうか。そういう人たちの方がたぶん普通で、私たち3人がおかしいのかもしれません。まあ、家内はちょうど中間くらいの立場かな(鑑賞中いろいろ質問してきましたが、その観点がちょっと…笑)。

 たぶん、映画を観なれている、特に邦画を好んで観る私と次女は、こういう「言葉にならないモノ」を空間と時間で表した作品が大好きなのだと思います。二人とも「能」が好きですし。

 ストーリーもほとんどなく、セリフよりも無音の時間が長く、ただ淡々と若者のひと夏を描いていく。大きなうねりもないし、結末も「答え」が全く示されない。

 ハリウッド的な映画を期待している人にとっては、正直いらいらしてしまう作品でしょうね。

 ひと夏の青春を…と言えば、「この窓は君のもの」を思い出しましたね。あれも妙に切なくて好きだった。おっとYouTubeに上がってる!ビデオもDVDもないから(中古ビデオが7万円!)、これはぜひ観ておいてください(こちら)。

 「きみの鳥」と「この窓」の違いをあえて挙げれば、役者の演技の巧拙でしょう。はっきり言ってそこは両極端です。しかし、表現されているモノは一緒という、そこが芸術の面白いところです。

 「きみの鳥」はなんと言っても、柄本佑、石橋静河という両サラブレッドと、染谷将太という孤高の天才の三人の素晴らしすぎる演技(演技というにはあまりに自然体)。他の役者さんも含めて、「演技バトル」を観るだけでも価値があります。セリフではなく、行動でもなく、視線だけで言葉にならないモノを表現できる彼ら本当にすごい。

 特に、今回は石橋静河だなあ。お父さん石橋凌のように見える瞬間もあるし、お母さん原田美枝子さんに見える瞬間もありました。もちろん彼女自身である瞬間が一番多く、また素晴らしかったのですが。

 映像も美しい。映像も自然体。街も自然体。名もない人びとの名もない日常が、彼らにとっては最もドラマチックであるという真実。そして、そこには何かわからない共通体験や共通感情というモノがあって、そこに共感する私たちがいる。これって音楽と一緒ですよ。言葉(コト)を超えていますよ。

 「この窓」は、役者も映像も完全にシロウトっぽい。しかし、それでも共感を呼ぶ何か(モノ)が示されています。

 やはり、この両作品を並べて観るのが良いと思います。勇気のない(やさしすぎる)男たちと奔放な女。「この窓」を見つけてしまったので、私もさっそく並べてみます。

Th_unknown_20200130140301 あっ蛇足になりますが、アニメなんかほとんど観ない私が、たまたまテレビで銀魂を観ていましたら、なんと突然「この窓は君のもの」と!銀魂観てる人の中に、何人その映画のパロディ(オマージュ)だってわかった人いたのでしょう。そんなスタッフの遊び心に感動して、しばらく銀魂観てました(笑)。

 追伸…あとで分かったのですが、なななんと!柄本佑さん、この「この窓は君のもの」を「古厩監督の過激青春映画です。MYバイブル的な1本」と言って推薦していたんですね!あまりに偶然(必然)でびっくりしました。

 あまりにもピンポイントでマニアック。やっぱり感じた「モノ」は確かだったんだ。ちょっと感動。

 

Amazon きみの鳥はうたえる

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2020.01.28

『幕末維新懐古談〜蠑螺堂百観音の成り行き』高村光雲

Th_hs002601 日の「愛宕神社」も、江戸時代まではしっかり神仏習合していました。記事にも書いたように「愛宕山 白雲寺」と呼ばれていました。

 それが明治維新の廃仏毀釈によって、完全に神仏分離させられ、現在の「愛宕神社」になったわけです。

 ある意味、この廃仏毀釈運動は、世界史の中で最も徹底した公権力による宗教弾圧であるとも言えます(国家としては分離を促しただけだが、。

 タリバンがバーミヤンの大仏を破壊した際、私たち日本人も「なんてひどいことを…」と批判しましたが、実は150年前に自分たちももっと徹底した廃仏をやっているんですよね。

 そういう、一夜にして集団的心変わりというのは、日本人の怖さですよね。戦争の時なんかもそう。終戦後もね。

 ウチの学校の母体になっている禅寺でも、大変な廃仏毀釈がありました。有名な北口本宮冨士浅間神社に仁王門や護摩壇を持っていたのですが、それも今や礎石だけになっています。なんでも、仁王様を市中引き回しにしたのだとか。全くひどい話です。

 さてさて、今日はそんな廃仏毀釈運動の実態を伝える文章を紹介しましょう。かの彫刻家・仏師高村光雲が残したものです。私も大好きな「会津さざえ堂」が見舞われた悲劇です。

 蠑螺堂百観音の成り行き

 

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2020.01.27

明智光秀と愛宕神社(と出口王仁三郎)

Th_unknown_20200128110601 日の「徳川家康と愛宕神社(と東出昌大)」の続きです。

 いろいろとつながっていて面白いですねえ。

 「麒麟がくる」がなかなかの好調のようです。私もホント久しぶりに観始めました。実に約30年ぶり。

 そう、前回ちゃんと最後まで観たのは1991年の「太平記」。南北朝時代が好きなので。その時の脚本が、今回の「麒麟がくる」の池端俊策さん。これもまたご縁ですね。

 今回、ちゃんと観ようと思ったのは、年末に亀山城をお訪れたからです。そう、明智光秀はこの亀岡の亀山城から本能寺に向かったんですね。そして、明治時代に荒れていた亀山城を出口王仁三郎が買い取った。

 ちなみに、昨日登場した「天下の裏切り者」小早川秀秋(当時の名は羽柴秀俊)も、光秀の死後何年かして亀山城主になっています。

 と、そんなわけで、江戸から明治にかけては、明智光秀、小早川秀秋、出口王仁三郎の三大(?)「天下の裏切り者」が「城主」になったこともあって、亀山城はあまり人気がありませんでした。

 しかし、こうして映画やドラマを通じて、光秀や秀秋の人物像が修正されてきたのは良かったと思います。次はいよいよ出口王仁三郎ですね。実際、王仁三郎を大河ドラマで、という話がある(あった)のです。もし実現したら、めちゃくちゃ面白いドラマになりますよね。いつかそういう時が来るかもしれません。

 さて、話を戻しましょう。光秀が「敵は本能寺にあり」との判断を下したとされる場所、それが京都の愛宕神社だと言われています。連歌の会があり、そこで詠まれた歌に、その決意がこめられているというのは有名な話です。

 本能寺の変の4日前、天正10年5月28日、光秀は愛宕神社(白雲寺)に参拝。おみくじを引きました。最初は「凶」。もう一度引くとまた「凶」。そして3回目に「大吉」が出ます。

 その夜、白雲寺西之坊で里村紹巴らと連歌の会を開きます。光秀は次のような発句を詠みました。

ときはいま天(あめ)が下(した)知る五月(さつき)かな

 そして結句は次のようなもの。

国々なほ長閑(のどか)なる時

 発句の「とき」は明智家のルーツ「土岐氏」とかけてあり、「あめがしたしる」とは「天下領る」であることは、間違いないでしょう。

 つまり、平和主義者であった光秀は、主君である信長のあまりの横暴ぶりに強い違和感を持っていた結果、あのような謀反を起こしたのです。

 この有名な愛宕神社のシーンが、大河ドラマでどのように描かれるか、今から楽しみですね。

 ちなみに、出口王仁三郎もまた「大逆賊」と言われていましたが、やはり当時の日本のあり方、特に軍部の横暴に強い反発心を抱いていました。彼もまた平和主義者であったのです。結果として、亀山城をも舞台とした世界最大の宗教弾圧「第二次大本事件」が起きました。

 もちろん、王仁三郎が亀山城を買収したのには、光秀へのシンパシーがあったわけですし、当時としてはある種の覚悟の上のことだったのです。

 王仁三郎にとっても愛宕山は親しみのある山でした。亀岡から見るとちょうど艮(東北)の方向にそびえています。また、亀岡には元愛宕と呼ばれる神社もあります。霊界物語にも何度か「愛宕山」が出てきます。

 私はまだ京都の愛宕神社には参ったことがありません。できることなら、亀岡から光秀と同じルートで登ってみたいですね。そして、光秀や王仁三郎のように「天下を分ける」決断というものをしてみたいものです。

 あっ、蛇足を一つ。昨日と今日の記事にちなんで、「えりか」と「エリカ」という「天下の裏切り者」の名前も記しておきます(笑)。

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2020.01.26

徳川家康と愛宕神社(と東出昌大)

Anhigashidemasahiro 日、静岡市沓谷の愛宕神社に参拝したという記事を書きました。そこにはワタクシの恥ずかしい思い出なども披露いたしました。

 そんな個人的なことではなく、実は「愛宕神社」が今年は来てるんですよね。

 まず、東京の港区にある、徳川家康が勧進した愛宕神社。そうです。覚えてらっしゃる方もいますでしょうかね。

 今、異常なほどに(異常だと思います)マスコミを賑わせている、東出昌大さんの不倫問題。その東出さんと杏さんが結婚式を挙げたのが、東京の愛宕神社なんですよね。

 徳川家康は、京都の愛宕神社に祀られていた勝軍地蔵菩薩を信仰しており、それを江戸城近くにも勧進しました。そして、家康は駿府に引退後も、その信仰を守り、それで鬼門除けとして、谷津山の東端のかつての城跡に愛宕神社を創建したのです。

 東出さんは、自他ともに認める歴史(戦国)マニアですから、当然そのあたりの由緒も知っていたことでしょう。

 ちなみに東出さん、「関ヶ原」という映画で、「天下の裏切り者」小早川秀秋を演じています。結果として徳川家康の勝利に貢献した秀秋ではありますが、そのなんとも風見鶏的な行動から、後世あまり評価が高くありません。しかし、東出さんはそんな秀秋のイメージを変える、なかなかの名演技をしております。

 まあ、東出さん、このたびプライベートにおきまして、「天下の裏切り」をやってしまったわけでして、なんとも歴史の皮肉と言いますか…(笑)。

 

 さてさて、愛宕神社の話はこれで終わりません。さらに時間を巻き戻しましょう。今日第2回が放映された「麒麟が来る」、明智光秀に因縁はつながっていきます。さらには出口王仁三郎へと(?)。明日書きます。

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2020.01.25

愛宕神社(静岡市沓谷)

 んと37年ぶりに参拝しました。駿府城の鬼門除け「愛宕神社」。

 今日は静岡の実家にいるのですが、お昼に両親と近くの「くら寿司」へ行った帰り、お酒を飲んだ私は一人歩くことになりました。

 ふと、そういえばこの近くにかつての「マイ神社」があったなと思い、酔いの勢いもあって谷津山の愛宕神社への山道を登り始めました。

 37年前の1月以来なのです。その時、私は高校3年生。共通一次試験のあとだと記憶していますから、まさに37年前の今日あたりだと思います。

 共通一次試験で大失敗をし、第一志望の大学から第二志望校へとレベルを下げ、その大学への合格を祈願するために、自宅から谷津山の尾根を辿って、この愛宕神社に参拝したのです(その頃、私はなぜかこの神社を「マイ神社」と勝手に決めて、よく参拝していました)。

 実はその時、とんでもないことが起きてしまいました。

 合格へ向け、気合を入れて、あの「鈴」を振ったところ、なななんと、その鈴の紐が根本から取れてしまったのです!

 山の中の小さな神社ですので、周囲には誰もいなかった。だから、その鈴を足元に静かに置いて帰ってきてしまったのです。元に戻すことなどできませんでしたから。

 今思えば、見事に「落ちた」わけですが、その時の私はある意味ポジティブで(そうするしかなかった)、その日の日記には、「愛宕神社へ行った。鈴が取れた。そうです。合格をもぎ取ったのです!」と書いてあります(笑)。

 さすが神様のお示し、結果は「不合格」。その結果、私は都留文科大学に進学することになりました。

 結果として、やはり神は正しく、都会の大学の教育学部に合格しなくて良かったのですが、その頃の私は、そんな未来的運命など知る由もなく、ただただ負け犬根性の塊のようになっていました。

 そんなこともあって、この愛宕神社に参拝することは、その後全くなくなってしまっていたのでした。

 もちろん、今は、愛宕の神様に大感謝です。あのような形でお示しくださったわけですから。すみません、あの時は気づかず…。

 実は、私が鈴をもぎ取ってからのち、平成11年でしょうか、その江戸時代創建の拝殿と本殿は不審火で焼失してしまい、今日参拝したのは比較的新しい建物でした。なんか記憶と違うなと思ったら、そういうことでした。

 また、あれから40年近く経って、私もどっぷり神仏の世界につかるようになったので、あの頃とは全く違った目で、さまざまな信仰物を見ることができました。面白いですね。モノ(波)がコト(粒)になるということは、こういうことなのでしょう。もちろん、まだまだ「モノ」はたくさん存在しましたが。

 というわけで、いくらでもいろいろ書けますが、今日は写真だけ載せておきます。ただ一つだけ。愛宕神社横の大頭龍神社(大物主を祀る)とつながると思われる、参道途中の三輪鳥居が壊れてしまっていたのは気になりました。なおした方がいいなあと感じました。

 あっ、もう一つ大切なこと。この神社の足元に、安藤輝三が眠る愛宕霊園があるのでした。もうあの頃から、私はつながっていたんですね。


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2020.01.24

『津軽のカマリ』 大西功一 監督作品

51cuurxxvel_ac_sy445_ 族で息を呑みながら鑑賞しました。

 ポピュラー音楽を含む西洋和声音楽に親しんでいる私ですが、一方でいわゆる純邦楽を含む、世界の民俗(民族)音楽にも、異様なほどに惹かれます。

 なんちゃってとはいえ、いちおう箏、三味線、八雲琴などの日本の弦楽器も演奏することができます。それらを操っている時の脳波の状態は、明らかにヴァイオリンやチェンバロ、ピアノを弾いている時とは違ったものです。違った快感がある。

 そして、意味のないことかもしれませんが、いつもどちらの方が次元が高い音楽なのか考えてしまいます。

 いちおう現時点での私の結論は、日本の伝統音楽の方が、たとえばバッハの音楽よりも次元が高い…です。かつては逆でしたが。

 日本の音楽について語る時、大学時代からどうしても外せない天才が、この初代高橋竹山でした。言語化できない、すなわち楽譜にできない、独特のリズム感、節回し、音程感覚。いや、そうした西洋音楽用語を使うことさえ虚しくなるほどの「モノ」感。

 古く、和語で音楽のことを「もののね」と称したことを納得します。

 このドキュメンタリー、そうした「モノ」性を見事に表現していると感じました。関係者が語れば語るほど、すなわちコト化すればするほどに、そのモノからは遠ざかっていくという、ある種の快感があります。

 一般的な映画として観た時、つまりメッセージ性や情報性を要求する脳ミソで鑑賞すると、ちょっとした物足りなさを感じるかもしれません。しかし、それは「モノ」足りないのではなく、実は「コト」足りないのであって、その原因は「モノ」に満ちあふれていて、いや「モノ」が映画という形式(カタ=コト)から逸脱しているからなのでした。

 風や鳥と「コト」ではなく「モノ」を通じて話している竹山。ああ、西洋の神とのつながり方とは違う、もっと根源的な、人間と神のモノとしての一体性のような、なんとも言えない野蛮だけれども崇高な世界が、そこにあります。

 二代目をはじめ、お弟子さんたち、皆さんとってもお上手だと思います。しかし、初代とはどうしようもない隔たりがあるんです。それを残酷にも記録している点で、この映画は逸品だと感じました。脱帽です。

 

Amazon 津軽のカマリ

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2020.01.23

作り笑顔で快眠!

高橋一生のデュシェンヌ・スマイル

Th_c66b9jgu0aaytr 近気づいたことがあるんです。

 もともと、あまり眠れないということないワタクシではありますが、ここ数日はちょっと面倒なことにも見舞われて、珍しく夜中に目が覚めてしばらく眠れないということがありました。

 で、そういう時はですね、2年前に紹介した不眠打破法「ムー」をやるわけですが、それよりも強力な方法に気づいたのです。昨夜もこれで一瞬で眠りに落ちました。

 で、その方法というのはですね、「ムー」の前に笑顔を作ることなのです。「ムー」では、顔の表情筋を思いっきりゆるめるわけですが、その前にめちゃくちゃ作り笑顔するんです。3秒くらい。それから一気に表情筋を緩める。

 これ、とっても効果がありますよ。びっくりしました。

 だいたい、眠れないくらい何かを考えているというのは、面倒なこと、いやなことですよね。とても笑顔になんかなりようがない。

 それを無理やり笑顔にしてしまうのです。完全に作り笑顔ですよ。それもデュシェンヌ・スマイル(真の笑顔)と言われる破顔一笑を心がける。偽の真の笑顔を作るという、面白いことをやるわけです。

 作り笑顔(フェイク・スマイル)が、実はセレトニンの分泌を誘発し、結果として多幸感を催すというのは、脳科学や心理学の分野でも証明されていますよね。

 そう、感情があっての表情という「(過去)現在→未来」の因果関係ではなく、未来の感情のために今の表情を作るという「未来→現在(過去)」向きの因果関係を利用するのです。

 これは別に布団の中ではなくとも、日常でも非常に有効なテクニックです。特に、相手がある場合、先に笑顔があって、のちの良好なコミュニケーションが生まれるというのは、当たり前にありますよね。

 こんなところでも、私の提唱する「時間は未来から過去へと流れている」という「方便」が活躍するのでありました。皆さんもぜひお試しください。

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2020.01.22

トレーニング八村(クリーニング志村)

 〜ん、日清やるなあ。いつもながらぶっ飛んでいますね。

 この前、初めてテレビで観ました。最初は音だけ聞いていたので、フツーに「クリーニング志村」だと思ったら…。

 

 

 

 こちらが山梨の皆さんならよくご存知のオリジナル「クリーニング志村」のCMです。

 

 

 私も中学のコント部でこのネタを使わせていただきました。

 そのコントはAIロボットネタ。世界中の情報がインプットされているという設定で展開し、昔話「桃太郎」を朗読させている途中で、「おばあさんは川へ洗濯に…」「それを世間では洗濯の自由と言う。♪クリーニング志村(首を左右に振る)」というベタなボケでしたが、めちゃくちゃウケました(笑)。

 その場には、お年寄りから小さな子どもまで数百人がいました。山梨県民全世代共通のネタということで、ウケるわけですよね。それほど長く放映されているわけです。

 ちなみに静岡出身の私としては、学生服のやまだのパロディーにも腹を抱えました。インパクトあるよなあ、オリジナル。日清の公式サイトからいろいろご覧になって楽しんでください。

 日清地元CMフェス

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2020.01.21

最後のセンター試験国語(その4)〜漢文

20200123-91720 んな絵がセンター試験に出るとは。もう少し上手に描けたのではないでしょうか(笑)。

 それ以前に、漢詩が単独で出たことに驚きましたね。五言詩か。

 作者の謝霊運は、なんとなく名前は覚えていたけれども、いつの時代のどんな人だったかは思い出せませんでした。

 そっか、徒然草で兼好法師にダメ出しされた人だ。

 謝霊雲は法華の筆受なりしかども、心、常に風雲の思ひを観ぜしかば、恵遠、白蓮の交りを許さざりき。暫くもこれなき時は、死人におなじ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。

 この絵のような生活や自然を詩にしていたことを責められているのでしょうか。「風雲」の意味をどうとるかですね。

 自然の風物ととるか、「風雲の志」のように、立身出世のこととるか。

 仏教者としてダメ出ししているということは、後者になるのでしょうかね。続く文章の内容からしても。

 実際、謝霊運は、その不遜傲慢な態度を咎められ流刑になったあげく、その道中に脱走を企てて処刑されたのとのことです。カルロス・ゴーン的な感じでしょうか…いやいや違う違う(笑)。

 さて、センター試験に出た漢詩ですが、正直大した内容ではないですね。そのせいか、こんな絵の問題を出さざるを得なかったのかも。他の問題もほとんど内容に関係ない知識問題ですし。

 内容に関するのは最後の問題だけです。それもあまり味わうべきものではありません。そういう意味では、評論や小説のようなメッセージ性は全くない。というか、古文や漢文をもって、現代の若者たちにメッセージを送るのは、正直難しいということですね。

 毎年の繰り返しになりますが、国語200点の中身が、評論、小説、古文、漢文それぞれ50点ずつというのは、ちょっとどうかなあと思います。

 古文・漢文が比較的好きな、現代で言えば変態的な趣味を持つ国語教師でさえも、全体の半分が古典に当てられている、すなわち「教養」、それもかなりマニアックな(それこそ変態的な)教養で人生のかなりの部分が左右されるというのは、どうなんでしょうかね。

 せめて、もう少し教訓的な内容の作品を出してほしいものです。共通テストでは改善されることを願います。

 

 

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2020.01.20

最後のセンター試験国語(その3)〜古文

Th_unknown_20200121125201 年のセンター古文は「小夜衣」から。

 「小夜衣」というと、ちょうどこの前飲んだ、静岡は菊川の日本酒を思い出しますね。上品なおいしいお酒でした。

「小夜衣」というのは、綿を入れた着物型の寝具のことです。今でいえば着ぐるみ毛布みたいなものでしょうか。

 作品「小夜衣」は鎌倉時代の擬古文。高貴な宮と山里の姫の恋物語に、継子いじめの話を絡めるという、あるあるのストーリーです。平安から江戸まで、このタイプのお話は無数に作られました。トレンディードラマみたいなものでしょうか。

 中世や近世の擬古文は、私たち現代人にとっては読みやすい。中古の文、たとえば源氏物語なんか出ちゃうと、もう受験生にとっては最悪です。あれは難しい。難しすぎる。名文なのでしょうが、名文すぎるというか。

 というか、平安の文学は、いわば宮廷サロン内の内輪ネタなので、蚊帳の外の人間にとってはチンプンカンプンなのは当然です。中世以降になると、文学の大衆化が進みますので、第三者にもわかるように記述するようになっていきました。結果として、超第三者(蚊帳の外)の現代高校生にもわかりやすくなる。

 江戸の擬古文なんか、普通に「パブリッシュ」されていましたから、プライベートではなくパブリックになっていて、現代人にも優しく(易しく)なっています。ですから、センターに江戸の擬古文が出たらラッキーということでした(知らない名前の作品だったらラッキーと思え!と生徒に教えていました)。

 そんなわけで、今回はウチの生徒たちも結構読みやすかったようです。問題もひねりが少なく、基礎的な古文の力(文法力と語彙力による正確な口語訳の力)があれば、それほど難しくなかったと思います。

 21世紀初頭のセンターの、あの異常な古文の難しさ(たとえばこちら参照)はなんだったのでしょうか。ようやく勉強する甲斐のある内容、難易度になりましたね。共通テストになっても、ぜひこの路線を続けていただきたい。

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2020.01.19

最後のセンター試験国語(その2)〜小説

Th_3430460cc31373c75e39af8227e6a809 民喜が出たのが象徴的でしたね。

 令和になって最初のセンター試験。そして最後のセンター試験。センター試験は昭和の残滓…なのか。

 戦争文学を学校で教えること、特に小学校で教えることについては、私の中にも賛否があります。

 たとえば、この「翳」という作品に流れる死のメロディーは、静かだからこそ、受験生にとっても、いや本番の試験というある種究極の戦いの場だからこそ、深く重く響いたことと思われます。

 そういう「モノ」体験というのは非常に重要です。私たちの脳みそで処理できる「コト」ではなく、もののけの「モノ」。

 そうそう、原民喜のこの超短編を読んでみてください。「モノ」の教育的効果の重要性が、それこそ「なんとなく」分かります。そして、懐かしいですよね。この感覚。

 恐怖教育

 一方、戦争文学の題材たる「最近」の戦争が、令和になり二時代前の昭和の出来事となり、また、この数十年の戦争技術の驚異的な進化からすると、かの戦争の惨状というのは、まるで戦国時代の武士の戦いのごとく、現実とは全くかけ離れた景色となってしまったという問題があります。

 もちろん、そういうふうに教えれば良いのですが、実際の学校現場では、まるで次の戦争も先の戦争のような景色が展開されるいうような、一種の「恐怖教育」が施されているのです。それは私はよくないと思っています。平和教育にならない。まあ、それこそ子どもたちにとっては、原の語る「恐怖教育」的な効果は充分あると思いますけれども。

 また、全然試験の内容と関係ないことを書いてしまっておりますが、もう少しおつきあいください。

 ここで原民喜が出たもう一つの意味。彼はいちおう小説家ではありましたが、上の写真に左に写っている親友の遠藤周作とは違って、全く売れない、その時代においてはほとんど価値のない男でした。近代的な意味で言えば非生産的だったのです。

 しかし、たとえば遠藤は原に特別な「モノ(なにか)」を感じていた。イエスにつながる「モノ(なにか)」を感じていた。

 遠藤周作の作品もセンター試験に出たことがありますね。令和の時代になって、ある種近代的な昭和の残滓のような「戦場」で、こうして未来を担う若者たちに読まれて、「なにか(モノ)」を残すということにおいては、原も遠藤に初めて並び得たのかもしれません。

 原のような生き方というのも、もしかすると令和の時代にはありなのかもしれません。その時の生産性だけで人間は評価できません。

 最後の最後に。この問題の問いもわかりやすく、解きやすかったし、評論の読みの「コト」テクニックとは違う、小説ならではの「モノ」感性も上手に測っているなと思いました。

 作問者はだれなのでしょうか。案外若い方なのかもしれません。

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2020.01.18

最後のセンター試験国語(その1)〜評論

Th_-20200120-154637 よいよこのシリーズも最後かあ。来年からは波乱の「共通テスト」が始まります。すなわち、センター試験はこれで最後。

 とか言いつつ、来年もセンター試験あったりして(笑)。いや、「共通テスト」になっても、ほとんど内容は変わりませんよね。なんだかなあ。

 まあ、とにかく最後のセンター試験国語の論評をいたしましょう。

 まずは全体として、今回はとってもいい問題でしたね(つまり簡単)。満点が出ても全くおかしくない内容でした。最後になってようやく完成したという感じでしょうか。

 まずは、第1問、評論から解いてみましょう。というか、読んでみてください。こちらからお読みください(解く必要はありません)。

 とてもいい文章でしたね。「いい」というのは、受験生に対するメッセージになっているということです。入試問題は須らくそうあるべきだと思っております(だから、私は他人の文で問題を作るのではなく、自分で本文を書くのです)。

 「レジリエンス」。この文章によれば、「複雑なシステムが、変化する環境のなかで自己を維持するために、環境との相互作用を連続的に変化させながら、環境に柔軟に適応していく過程のこと」です。

 まさに、これからの時代を生きる若者に必要な能力ですね。特にセンター試験を受験している人に対しては逆説的なメッセージになっていると感じました。

 日本の受験制度は、とにかく与えられた知識を暗記することを要求してきました。センター試験もその領域を超えるものではありません(超えると悪問と言われる)。

 頓挫した「共通テスト」も、ある意味では受験生に「レジリエンス」を要求するものになるはずでしたからね。想定外のことが起きた時に、いかに対応するか。そういう機会を自己の成長のチャンスとできるか。あるいはその想定外の「敵」といかに仲良くするか。大切なことですよね。

 いきなり大風呂敷を広げてしまいますが、私は、そうして国家が頓挫した「新しい教育」を、自分の手で実現しようと考えています。具体的な方策もあります。旧来の学校の先生でありながら、その旧来の学校をぶっ壊そうと企んでいるのです。困った先生ですね(笑)。

 おっと、この問題に関する論評をしなくては。いや、正直、簡単でしたよ。迷う問題はない。本文に書かれているか、書かれていないかの情報分析で解けます。

 ただ、これは何度も言いますが、センター試験は選択肢の文章が長いので、最低「上半身」と「下半身」に、細かくは句読点で切って、ブロックごとに◯×△をつけながら解かないとダメです。絶対に選択肢の文を最初から最後までまじめに読んではいけませんよ。これはテクニックというより、まさにレジリエンス的ストラテジーです。

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2020.01.17

1964のトーチ

Th_img_5627 が生まれた1964年、言うまでもなく前回の東京オリンピックの年でした。

 その時、トーチの火を掲げて全国を走ったランナーは4千人以上。そのうちの1人が私の奉職する学校の1期生でした。

 当時トーチを持って走った方はすでにお亡くなりになっていますが、予備のトーチを持って伴走した方と今日お会いしました。

 その方は、なんとこのたびの2020東京五輪でもトーチを持って走られるとのこと。すごいですね〜。

 実は、1964のトーチは学校に保管されていました。今日はそのトーチを56年ぶりにご覧になりにおいでになったのです。

 お会いしてびっくり。その方の娘さんは、私の教え子であり、またのちに同僚として働いた女の子。そして、その子(?)のお子さん、すなわち1期生の方のお孫さんはこの春、我が中学に入学することになりました。ちなみに教え子のダンナも教え子。本当にご縁の深い一家ですね。

 私も初めて本物の1964トーチを持たせていただきました。思ったより軽かった。それなりに年季が入っており、同い年の私もまあこんな感じなんだろうなあと感慨にふけりました。

 7年ほど前に、あの「なんでも鑑定団」に(もちろん別のものですが)出品され、100万円の値がついたというこのトーチ。2020の今なら、もっと評価は高いでしょうね。もちろん、そんなお金に換算できない価値があるわけですが。

 その方は、大変お元気で、今年も健脚を披露してくださるにちがいありません。当時着用したランニングシャツやパンツもあるとのこと(シューズはその後使ったらしく今はないようです)。

 なにより、56年前を思い出し、またその後のご縁を思いつつ涙されていた姿に、私も大変感動いたしました。

 前回の時もそうですが、五輪についていろいろ言う人たちがいるのは常。そこも含めて「祭」です。あの時の日本は、たしかに五輪という祭によって、ある意味強制的に変化をさせられました。結果としてはそれが良かったと思います。

 今年の東京五輪も、必ずや世界の幸福につながる素晴らしい大会になると信じています。

 1964年の10月、私はまだ生後2ヶ月でしたから、もちろん何も覚えていません。しかし、東京にいた赤ん坊の私は、間違いなくその当時の空気を吸い、波動を感じていた。

 そして、今年。二度目の東京五輪を体験します。楽しみです。

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2020.01.16

防寒フェイスマスク

Th_616mtadhaal_ac_sl1000_ 100円ショップで似たものを400円で買いました。

 私はこれを裏返して使います。なんで?

 それは寝る時に使うからです。寝る時にこれを裏返してかぶるのです。変ですよね(笑)。

 というわけで、今日のおススメはほとんどの人に関係のない内容です。

 そう、私はスキンヘッドなので、冬寝る時寒いんですよ。ウチのような寒冷地ですと、まじで頭が寒くて眠れない。

 そこで帽子をかぶるわけですが、これがなんでも良いわけではない。

 ようやく到達したベストな帽子がこういうタイプというわけです。

 まあ、なんとなく想像できますよね。頭から顔、肩を覆ってぽかぽかという雰囲気は。

 で、なんで裏返しなの?

 これはホント、やってみなきゃ分からなかったわけですが、たとえば普通のニットの帽子とかだと、朝起きた時に、私の頭にニットの模様が刻み込まれるのですよ(笑)。ほとんどホラーです。

 特に歳をとってですね、頭皮に柔軟性がなくなりますと、そのついた跡がなかなか消えない。そのまんま学校に行くはめになるわけです(笑)。そうすると生徒に笑われるわけですね。

 では、こういうフリースタイプならいいだろうと思いますよね。模様ありませんから。

 それが、なんと、今度は裏地の縫い合わせの部分があるので、それがしっかり刻印されてしまうのです!

 ですから、基本的にでっぱりのない表側を頭皮に当てるために「裏返す」というわけです。

 なんともマニアックな、またピンポイントな、どうでもいい情報でスミマセン。

 実は四季を問わず、いかなる時にも、髪の毛のありがたさを感じるのですよ、スキンヘッドにしてみると。

 楽なのはシャンプーをしなくていいところだけでしょうか(笑)。以上。

 

Amazon 防寒フェイスマスク

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2020.01.15

追悼 ケンドー・ナガサキさん

Th_ihttps3a2f2fseximgjp2fexnews2ffeed2ft た、偉大な昭和のレスラーがお亡くなりになりました。

 ケンドー・ナガサキさんこと本名桜田一男さん。

 ナガサキさんが残した名言。「さよならムーンサルトプレス」で素晴らしい武藤敬司論を書いた福留崇広さんの「プロレスラーとして1番大切なことはなんですか?」という質問に、ナガサキさんが答えた言葉。

1,シュートに強いこと。なめられないために本気の喧嘩でも負けではいけない。そのために道場で練習する。

2,相手の気持ちがわかる。相手が次に何をやってくるか、やってほしいのかを察する。

 これは実は、どんな仕事にも当てはまる必須能力です。まるで相反するような二つの内容ですが、これこそ荒魂(あらみたま)を内包した和魂(にぎみたま)です。

 これをまさに体現していたのがケンドー・ナガサキさんでした。たとえば、血気盛んな若武者だった前田日明とのこの試合は、本当に今見ても感動的です。ある意味器用で、ある意味不器用な前田を、殺さず生かして試合を成立させている。

 

 

 このような実力と精神性を武器に、「剣道」「長崎」という、日本の歴史を象徴する名前を背負って、単身アメリカで名を挙げた桜田一男さん。武藤選手が師と仰ぐのは当然ですね。心より尊敬いたします。そして、ご冥福をお祈りします。

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2020.01.14

『未来を動かす』 バシャール × 安藤美冬 (ヴォイス)

Th_51a7m5zqdfl の本で、宇宙人バシャールと対談している安藤美冬さんは、とっても清らかな魂をお持ちの素敵な方です。

 この本を読んでみてびっくり。私の知っている情報ばかり。バシャール、パクったな!と思ったくらいです(笑)。

 ものすごく現実的に言いますと、バシャールの語ることはお釈迦様の教えに非常に近いですね。まあ、お釈迦様こそ、地球の歴史の上で最高の宇宙人ですからね。間違いありません。

 もっと冷静に言いますと、宇宙人を自称するワタクシの知識や感覚というのは、お釈迦様、出口王仁三郎、仲小路彰から吸収して出来上がっているのだと思います。それこそパクリだな(笑)。

 安藤さんは、最近SNS断ちをしていましたが、また発信を始めるようですね。いよいよそういう時機が到来しているのでしょう

 私もここのところ、教育をはじめ、自分が携わってきたコトどもをブチ壊したい衝動にかられて困っています。様々な間違ったコトをモノに帰して、もう一度構成しなおさなければと。

 しかし、これもまたある種の原理主義であり、究極的に言えば戦争の種ですから、やり方というのを思案せねばなりません。

 時機であるのは間違いありませんので、こんな時こそ、いろいろな方々のお知恵とお力をお借りできればと思います。

 戦いたいのではありません。言向け和したいのです。

 宇宙スタンダードをなんとか地球にダウンロードしたいと思っています。

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2020.01.13

愛国ポルノ(?)

 日、成人式を終えた娘が、大学のレポートをせっせとやっております。

 いくつかあるようですが、一つは従軍慰安婦問題に関するもののようです。

 資料として借りてきた本が、いわゆる保守派の論客の著書でして、それを読みながらギャーギャー韓国の文句をたれています。

 あれほど韓国アイドルが好きでしかたないのに、一方では国家としての韓国をコケ下ろすという、非常に興味深い心理状態になっています。

 こうした傾向は、決してウチの娘だけではなく、けっこう世の中に蔓延していますよね。

 今日、森正人さんのこんな論考を興味深く読みました。

 

「大和魂」をねじ曲げて理解する“愛国ポルノ”信者の罠

 

 ウチのカミさんなんか、自称「国防女子」とか言ってるくらいですから、けっこう愛国的なのですが、それもやはりネトウヨ情報の受け売りという感じです。愛国ポルノに片足突っ込んでるのかも。

 保守の人の中でも、たとえば「嫌韓」について否定的な人もいますね。加瀬英明さんもそんな話をしていました。

 

 

 私は両翼持って飛翔しての超「上から目線」の人間ですから(笑)、ネトウヨもお花畑リベラルも、一つの風景にしか見えません。

 一つの事象も、いろいろな視点によって様々な姿を見せますから、それぞれの片面だけを見て、それだけを信じている人たちに和解はありえませんね。

 平和と平和がぶつかって戦争になるのと全く同じ構造です。

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2020.01.12

令和

 日、中学校の推薦入試がありました。

 いつものように、私は国語の問題担当。そして、いつものように問題の本文を自分で書きます(その方がいろいろな意味で楽だし、楽しいから)。

 今年もできたてのホヤホヤの問題を解いてもらいました。いつものように、その本文を公開いたします。

 実際の問題は空欄や傍線がたくさんあります。教科書体の「令」で印刷した部分は、ここでは「(教科書体の令)」と表示します。

 

    「令和」

 あけましておめでとうございます。令和二年が始まりましたね。
 昨年の富士学苑中学校の推薦入試の問題では「平成」について書きました。今年は「令和」という年号をもとにいっしょに学んでいきましょう。
 昨年四月一日、新しい年号「令和」が発表されました。「令和」と書かれた額を菅官房長官がかかげた様子を、テレビで見た人も多いのではないでしょうか。
 「令和」という年号は、奈良時代に成立した和歌集「万葉集」の中のある文章から二つの漢字をとって作られました。
 英語で「ビューティフル・ハーモニー」と訳されたように、「美しい調和」という意味だと言います。「れいわ」という音の響きもいいですね。
 ところで、菅さんがかかげた「令和」の字を見て、なんだか変だなと思った人はいませんか。そう、「令」という字が、なんとなく見慣れない形をしていると感じた人がいるはずです。
Photo_20200114104501 実は、教科書の活字や手書きの文字の場合、ほとんどが最後の二画をカタカナの「マ」のように書きます。つまり、「(教科書体の令)」と書くのですね。
 しかし、発表された字は、筆で書かれていたのに最後の画をまっすぐ縦に下ろす形になっていました。
 ちなみに今、この文章を書いているパソコンで「れい」と打つと、「令」という形の字になります。これは、今ここで使っている書体(フォント)が「明朝体」というものだからです。
 漢字はもともと中国で使われていた文字です。中国には長い歴史がある上に、たくさんの国が入り乱れていた時代も長いので、その時代や地方によって、文字の形にもいろいろな個性が生まれました。それらをその時々に輸入して使ったため、日本にもいろいろな漢字の字体が生まれてしまいました。
 それを印刷などで使う活字にする時、明朝体では「令」、教科書体では「(教科書体の令)」としたというわけです。
 ですから、「令」と「令」、どちらも正解であって、発表された手書きの字が「令」になっていてもまちがいではありません。
 ただ今回、「(教科書体の令)」ではなく「令」という字体で発表されたことによって、私は大切なことに気づかされました。そのことについてお話しましょう。
 「令」という漢字を使った熟語として、最初に頭に浮かぶのは「命令」ではないでしょうか。実はこの「命令」には「令」が二つふくまれています。わかりますか。
 そう、「命」という字の中に「令」があるのです。ちがう言い方をすれば、「令」に「口」を加えたものが「命」ということになります。
 ここで「令」や「命」という漢字がどのように生まれたかを調べてみましょう。そうすることによって、大切なことが浮かび上がってきます。
Photo_20200114104601 「令」はもともと、冠をかぶった人がひざまずいている様子を表していました。身なりと姿勢と心を整え、神様からのお告げを聞いている姿です。それをシンプルにして文字にしたのが「令」というわけです。
 一方、「命」はというと、「令」の中にいる人が、さらにしっかり神様からのメッセージを受け止めるために器を持っている姿だと言われています。「口」は「くち」ではなくて「うつわ」なのですね。
 さて、みなさんには、ここで大切なことに気づいてほしいと思います。
 「命」も「令」も、もともとは神様のお告げを聞く私たちの姿…そして、その神様からのお告げを受けた私たちが「いのち」そのものなのです。
 これをまとめると、次のようになります。

 神様からのメッセージを聞く私たち=令=命=いのち

 「命令」というと、だれかに指図されている、やらされているようで、なにかいやなイメージがあるかもしれませんが、もともと私たちの「いのち」そのものが、神様から与えられた「使命」であり、大切な意味を持つものなのです。
 このように学んでくると、「令和」という年号にも新しい意味を見出すことができますね。
 令=命なのですから、「令和」は意味の上では「命和」と書きかえることができます。つまり、「令和」とは、私たちの命が調和する時代と言えるかもしれません。
 それぞれが与えられた命をしっかり輝かせ、それらが音楽の和音のように響き合う時代…そんなすばらしい時代が令和だと考えてみてください。なにか明るい希望の光が見えてきますね。
 昨年の問題文に『「平成」とは、「デコボコを削り落としてできあがる」、「平和・公平・平等を私たちの意志で完成させる」という意味だ』と書きました。その「平成」の時代から「令和」の時代へ、私たちの挑戦は続いていきます。
 みなさんも、平和を完成させ、それぞれの「命」を「調和」させる人になれるように、富士学苑中学、高校でがんばって勉強をしてほしいと思います。
 勉強は自分のためにするものではなく、世の中のためにするものだと、きっと神様はみなさんにメッセージを送っていると思います。

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2020.01.11

【討論】宗教・戦争・世界支配体制

 時は延期が検討された中東歴訪に総理夫妻が出発しました。

 このたびのアメリカとイランの衝突の背後には、たしかに宗教問題が存在していますが、実質的にはそういった次元の下での諍いです。

 とはいえ、宗教的に(意識するしないは別として結果として)中立であるため両国と友好関係にある日本。果たしうる役割は小さくないと思います。

 全ての宗教は原理主義です。仏教でさえ、原理主義を絶対否定するという意味では原理主義とも言えます。

 原理主義に染まった人間の脳みそを初期化するのは非常に難しい。お釈迦様はそれに挑戦したわけですが、2500年経ってもまだその目的は達成できていません。

 出口王仁三郎が「宗教がなくなるのがみろくの世」と言ったのは至言ですね。すなわち、宗教(権利主義)がなくなれば戦争もなくなる。それがみろくの世であると。

 さて、そんな折、タイムリーな討論が展開されました。はたして宗教戦争、いや宗教はなくなるのか。日本の天皇信仰は宗教を超えられるのか。

 

 

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2020.01.10

ロバート 『ナイロンDJ』

 日、チョコレートプラネットの「クイズショー」を紹介しましたが、その後我が家で同じくらい高い評価を得て、何度も鑑賞されているのが、ロバートの「ナイロンDJ」です。

 いかにもロバートらしい役割分担がお見事。このパランスがこのユニットの魅力ですね。ある意味鉄板のバランスであり、ベースがしっかりしているので、いくらでもネタが作れる感じですよね。

 秋山の天才ぶり、馬場の微妙ぶり(?)はもちろん、やっぱりここで目立つのは山本のつっこみセンスですね。一番普通の人、つまり観客側に立ちながら、絶妙のタイミングと言葉でつっこんでくれて、私たちに安心の笑いのタイミングを与えてくれる。すごいなあ。

 そういう意味では、この番組でのハナコのコントなんかはロバートがやっても絶対面白い。でも、その逆はやはり無理。このナイロンDJをハナコがやるのは難しいでしょうね。ロバートはそういう領域にまで到達しているわけです。

 それにしても、秋山の「えっ?」のタイミングは天才的ですね(笑)。芸術(伝統芸能)の域です。

 

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2020.01.09

追悼 上原正三さん

Th_33-flv20200110-164756763 ってきたウルトラマン「怪獣使いと少年」で、少年であったワタクシに多大な影響(トラウマ)を与えてくれた脚本家、上原正三さんが亡くなったとのこと。

 私の「怪獣使いと少年」体験は、現在の私を形成する大きな要素になっています。

 ご存知ない方はこちらからそのストーリーをお読みください。読むだけでも結構衝撃ですよね。

 ちょうど15年前にこのブログにも書いていました。娘たちは当時まだ5歳と3歳か。ウルトラマンマニアだった長女もあさってには成人式(笑)。まあブログもよくも毎日書いてきたなあ。

 さて、上原さんの代表作たるこの作品。音楽と静止画でじゅうぶんですね。けっこうきつい。

 

 

 全編ご覧になりたい方は、こちらで検索してどうぞ。

 1971年の放送ですから、私は7歳。かなりきついですよね。

 現在55歳になった私が、なぜか自分を宇宙人だと言い出したり、差別されたモノ、異形のモノ、敗けたモノに異様にシンパシーを抱くという、そういった心性を涵養するのに、この作品が果たした役割は小さくないと思います。

 そう、今日、能楽師を目指している次女とネットで「道成寺」を見ていたんですが、やっぱり最後、悪者として退治される毒蛇女が可哀想でしかたなくなってしまった。僧侶たちめ!とヒーローを憎む心さえ…。

 逆に言えば、単純な勧善懲悪に陥らない文化が、日本には脈々と続いているとも言えますね。神話の世界から。

 こういう心性がベースになって、偽書と言われて嘲笑される宮下文書に興味を持ったり、弾圧された出口王仁三郎のファンになったり、忘れ去られた仲小路彰を研究したりということになったのでしょうね。

 もちろん、それで良かったと思うのですから、私にとって感謝すべき上原正三さんは人生の師匠ということになります。

 そして、上原さんの師匠である金城哲夫さんですかね。こういう教育もありうるわけです。物語の、メディアのすごさでもありますし、また怖さでもあります。

 感謝と尊敬の念をこめながら、ご冥福をお祈りいたします。

 

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2020.01.08

地球は平らな球である!?

Th_00 ぜかここへ来て、地球平面説がトピックに上がっていますね。

 地球平面説は非常に古臭い「陰謀論」です。

 いや、否定的なことを言っているのではありませんよ。なんと、私も「フラットアーサー」なのですから!

 「陰謀論」と言ったのは、地球平面説が神の陰謀だからです。陰謀という言葉、なんとなく悪だくみ的なイメージありますが、見えない陰でのはかりごとだとすれば、神の意思(意志)というのは、私たちにとっては全て陰謀となります。

 「フラットアーサー」と言ったのは、私(たち)は日常においては地球は平らだと考えて(感じて)生活しているということです。そういう意味では、ほとんどの地球人はフラットアーサーでしょう。

 実は、そうした「意識」の有無こそが地球の実態(実体)を作り出しているのです。

 つまり、神の陰謀を意識した時や、日常で「地球」を意識しない時は、たしかにこの地球は平らなのです(「地球」という名称も矛盾していますが)。

 それが、科学的(学校教育的)な意識を持った時、あるいは「地球」と言われる宇宙からの画像を見た時には、地球はたしかに球になります。

 ですから、どちらが正しいとか、間違っているとかいう議論自体に、全く意味がないと私は思っています。

 それは、たとえば、私が私であることを意識したりしなかったりによって、「私」の存在のあり方が変わるのと同じです。

Edsvl4xuwaa41fo 何度も繰り返しますが、宇宙スタンダードの考え方の基本には、意識次元は物理次元よりも高次元であり、上位概念ということになります。

 地球スタンダードとしては全く非科学的だと言われるでしょうが、簡単に言えば、私たちの意識によってこの地球は平面にもなるし、球体にもなる。もっと違ったあり方もありえる。そして、それらが同時に存在しているのです。さらには地球がない状態も同時に…。

 ということで、タイトルを「地球は平らな球である」としたのであります。

 このことに関しては、いろいろ面白い話がありますので、またいつか。

世界に広がる「地球平面説」 その背景にあるものは?(CNN) 

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2020.01.07

「宇宙人は存在する、地球にいる可能性も」

Th_2020010735147657cnn0004view ギリス人女性宇宙飛行士ヘレン・シャーマンさんが興味深い発言とニュースになっていました。

「宇宙人は存在する、地球にいる可能性も」 英国初の宇宙飛行士が断言

 まあニュースになるほどの内容ではありませんが、実際に宇宙に行ったことがある人の言葉ですので、それなりの重みを感じます。

 それほどに宇宙は広く、そこに私たち以外の生命体の存在を予感するのは当然です。

 最近、やたらと宇宙人と紹介されることが多くなったワタクシ。ま、実際自分でもそう語っていますし、なんとなく皆さんも認めてくださっているんですけどね(笑)。光栄です。

 私が宇宙人であるかどうかは眉唾としても、なんとなく宇宙人からのメッセージのようなものを受信していることだけは確かなようです。

 ところで、ヘレン・シャーマンさんもおっしゃっているように、宇宙人はもうすでに地球に来ているかもしれません。来ているどころか、ずっと一緒に生活しているかもしれない。

 私はよく皆さんにお話するのですが、宇宙人が私たちと同じような姿をしている可能性は低い。大きさもそうです。ミクロスケールかもしれない。だから私たちの目には見えないかもしれない。

 たとえばウイルスはもしかすると地球外生命体かもしれませんし、あるいは私たちが親しんでいる昆虫も、もしかすると地球外生物かもしれない。

 または、宇宙人が昆虫に擬態しているかもしれない。我が家に発生する、カマドウマやカメムシももしかすると(笑)。

Th_82332705_1319341394937863_49181268239 いやいや、カマドウマやカメムシのように人間に嫌われると、生命の危険の可能性が高くなりますから、猫みたいに愛玩される動物に擬態しているかもしれない。というか、猫自体、さすがにできすぎな動物ですので、もともと地球外生物なのかもしれませんね。

 とすると、ウチなんか、地球人より宇宙猫の方が倍も棲息しているので、もうすっかり乗っ取られているということですね。まあ、仲良くやりましょうよ。

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2020.01.06

チョコレートプラネット 『クイズショー』

 よいよ仕事が始まりしたが、気分はまだお正月。

 ということで、お正月番組から心に残ったものを。

 中学校のコント部(仮)の顧問として、大変勉強になったのがこちら。皆さんご覧になりましたか?元旦夜の「笑いの王者が大集結!ドリーム東西ネタ合戦」。

 なかなかハイレベルな戦いでしたが、ワタクシ的に特に面白かったのが、チョコレートプラネットの「クイズ」ネタでした。

 いきなりの「間」で笑いを取るところあたり、なかなかツワモノ。その「間」を活かしつつ、逆に謎の英語?でリズムを作りながら盛り上げていく感じが、なんともツボにはまりました。

 こちらからご覧ください。

 このネタ自体は数年前からあるものらしく、ちょっと違ったヴァージョンも見ることができました。これはこれで面白いけれど、やはりあの謎の英語?が入った方がリズムが良くなりますね。あと最後の効果音と「間」も。つまりネタが進化しているということですね。

 何度も書いているように、お笑いというのは本当に大変です。笑いしかゴールがないわけですから。どれだけ苦しみながら私たちを笑わせてくれているのか。芸人さんを心から尊敬します。というか、退職したらお笑い芸人になりたいと真剣に思っています(笑)。

 

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2020.01.05

Postmodern Jukebox ft. Allison Young 『Mr. Blue Sky』

 

 ELOの不朽の名作「Mr. Blue Sky」を、Postmodern Jukebox がカヴァーしました。

 なるほど、こういうふうにアレンジしたのね〜。センス良い。

 Postmodern Jukebox は、ジャズ・ピアニストのスコット・ブラッドリー率いる謎の集団。ポストモダンと称しながら、モダンをレトロでやるところが面白い。

 というか、いつの時代もそうですが「温故知新」、古いものか最も新しく感じたりするものです。特に時代を超えて生き残っている古きものたちは、常に新しい。

 というわけで、このバンド、比較的新しい、私たちもリアルタイムで聞いてきた音楽を、20世紀前半の様々なスタイルで聴かせてくれるんです。

 この「Mr. Blue Sky」もよくできている。この時代だからこそ、見た目もしっかりレトロしていますよね。映像込みの時代ですから。

 それはすなわち、実際にライヴ会場に足を運ぶことを前提としたレトロな時代と、実は同じような体験を今の私たちがしているということです。

 いつも書いているように、「レコード文化」というのは、日本の「小説」と同じくらい、限定的な時代の産物なのです。

 レトロ、ヴィンテージとはいえ、素材は現代のもの、またたとえば映像や録音の技術や、場合によっては楽器も最新のもの。そこが面白いところですね。なにしろ演奏しているのは現代の若者たちですし。

 本当にいろいろな曲をいろいろな懐かしいスタイルでカヴァーしてくれていますので、とりあえずいろいろ視聴してみてください。楽しいですよ。このスタイルはもうこれ以上古くなることはないわけですから。逆に言えば、今はやっている音楽のスタイルはどんどん古くなっていく。

 優れた曲を時代の流れに埋もれさせない方法として、こういうカヴァーがありえるというのは、とっても興味深く勉強になりました。

Postmodern Jukebox YouTubeチャンネル

 

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2020.01.04

『令和の法隆寺~千四百年の伝承と聖徳太子の残響~』 (BSフジ)

20200105-125343 日本プロレスの東京ドーム大会の中継を観ながら裏番組として録画するつもりが、こっちの方を観ることに。

 プロレスが「荒魂」なら、聖徳太子は「和魂」ですね。この表裏一体が象徴的。

 法隆寺か。また行かねばならない場所ですね。

 聖徳太子。物部氏。和魂。薬師信仰…今年の私のテーマに関わることがたくさん出てまいりました。

 冒頭から、当然のごとく「以和為貴」が紹介されていました。ナレーションでは「わをもってとうとしとなす」と訓読されていましたが、ご覧のように画面では「あまないをもちてたふとしとなし」となっています。

 「アマナイ」は正しい仮名遣いでは「アマナヒ」です。室町時代の一条兼良はこのように訓点をつけております。その他にも「やはらくなる」、「やはらかなる」「やはらき」などもあり、正解はありません。そこで「わ」とそのまま音読みするようになったとも言えます。

 「あまなひ」は動詞「あまなふ」の連用形の名詞用法。「あまなふ」は「承知する」「納得する」「相手に合わせる」というような意味があります。

 私は仲小路彰説を取り、「にぎ」と訓みたいと思います。ほとんど唱えられていない説ですが、「和」は、太子が蘇我氏とともに滅ぼしてしまった物部氏の信仰対象、すなわち三輪山に坐すオオクニヌシの和魂たるオオモノヌシを象徴しているのだと。

 仲小路彰の聖徳太子伝を読むと、たしかにそうとしか思えなくなるから不思議です。この知られざる聖徳太子伝も、早く世に出したいのですが…。

 そして、この番組でも、結果として強調されることになった「薬師信仰」。つまり、「和魂」と「薬師信仰」はつながるわけです。ものすごく簡潔に言ってしまえば、健康こそが平和の礎だということです。

 まさに法隆寺が日本の世界の未来の鍵を握っているということになるでしょう。

 私自身も、今まで何度も法隆寺でたくさんの直観を得ることができました。今年はとても大切な年になりますから、必ず訪れてみたいと思います。

 最後に、この番組のエンディングにMEWの「Comforting Sounds」のBirdyによるカバーが流れていましたね。和魂の「残響」として、私の中でも時空を超えてぴったりなサウンドだと思いました。

 

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2020.01.03

【令和2年 新春特別対談】林千勝氏に聞く

 

 年早々、大変うれしいお年玉です。やはり、昨年末から何かが大きく動いていますね。

 チャンネル桜の新春特別対談で、水島先輩(静高の先輩です)が戦史研究家の林千勝さんと対談してくれました。

 そして、林さんが冒頭と最後に「仲小路彰」を紹介してくれています。それも、非常に的確に。令和2年、2020年は仲小路彰がいよいよ表舞台に出るのでしょうか。

 林さんのおっしゃるとおり、仲小路は歴史を非常に相対的にとらえ、未来的視点による歴史的必然を見据えていました。

 そして、表現は非常に文学的。そこにこそ本質が宿ります。過去の事実のみを記すのであれば、それは非文学的な文章になりますが、仲小路のようにそれが未来的因果(すなわち未来が因で現在、過去が果)として記述するなら、それは当然のごとく文学的にならざるを得ません。

 対談で語られていたように、たとえば皇室が代々和歌を詠んできたのは、そういう意味なのです。もちろん、出口王仁三郎が霊界物語を口述したり、膨大な茶碗を作ったのもそういうこと。

 令和の時代の歴史研究は、いよいよ近代西洋的な呪縛から解放され、この日本という国にかつては普通に存在した文学的歴史観、芸術的歴史観に立ち返るのかもしれません。

 この年末年始は、いろいろな方々とそのようなステージでの歴史語りをさせていただいています。元旦には皇居からお帰りになったばかりのあの方(!)とも、めちゃくちゃ濃〜い歴史を語り合いました。

 その方もおっしゃっていました。時代とともに世界の波動が確実に変わったと。

 除夜の鐘のゴーンという音とともに去ったゴーン氏の件や、年明け早々のアメリカとイランのニュースなども、未来から見ると歴史的必然なのです。はたして、未来のどんな原因が作用してこのような結果を生んだのでしょう。

 林さんのような在野の良心的な歴史研究家の方々にも、大いに期待したいと思います。私にもできることがあればお手伝い申し上げます。

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2020.01.02

松任谷由実 『ノーサイド』

 

 月二日にして、いきなり去年の話に戻ります(笑)。

 一昨日の紅白歌合戦、いろいろと見どころ聞きどころがあったわけですが、楽曲的にあらためて衝撃を受けたのが、この「ノーサイド」でした。

 今まであまり気にしたことがなかったのですが、この曲のコード進行、とんでもないですね。天才の仕業ですよ。

 松任谷正隆さんのイントロがクリストファー・クロスだ(?)というのは、まあいいとして、そこから歌への入りでまず考えられないことが起きていますね。

 コード進行をこちらで確認しながらお聞きください。

 この曲の基底となる調性はC(ハ長調)です。しかしイントロの入りもメロディーの入りもDmというコードです。実はこのDmというコードがこの曲全体を支配していると言ってもよい。CなのにDm。ここがミソ(なのにミソの音は排除される)。

 DmのドミナントであるAが効果的に使われているのももちろん、Dmを強く規定するFの音に♯がついて浮遊感を与える(プチ5度上転調する)ところもユーミンらしい。

 冒頭の同じメロディーが随所で繰り返されるのですが、微妙にコード進行を変えているあたりは正隆さんのアイデアでしょうか。いろいろな可能性に挑戦していますよね。

 かと思うと、サビはなんとF(ヘ長調)という5度下の調に転調してしまう(もちろんDmの呪縛でもある)。サビで5度下げるという荒業は、ビートルズのヘイ・ジュードの手法ですね。サビの最後には見事にCに戻るのですが、またそれをいきなりAに持っていって、またDmという不思議な世界に私たちを引き戻してしまう。

 歌の最後はちゃんとCの音で終わっていますが、そこにイントロのDmが重なって、結果としてCの音は落ち着きどころをなくしてしまう。帰るところがないんですね。

 ノーサイドという表面的には大団円なテーマの向こう側にある、決してきれい事ではすまされない悲しみというか、虚しさが、実にうまく表現されていると言えるでしょう。どこか納得いかない不安定な転調の連続とも言えます。一言で言えば「青春」。

 そうした本体のストーリーを予感させるのが、ニューヨーク・シティ・セレナーデ風のあのイントロということになりましょうか。お見事。こんな曲、今の誰に作れるのでしょうか。やはりユーミンは天才です。

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2020.01.01

あけましておめでとうございます(2020年年賀状公開)

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2020 けましておめでとうございます。

 昨年は、初めての苦難ばかりで、けっこう忙しかったなあ。反面、素晴らしい出会いもたくさんありまして、もちろん全体とすれば良い年でした。ありがとうございました。

 そして、今年はですね、東京オリンピックもありますし、私にとってもいろいろと分岐点になりそうな予感があります。頑張りますね。ぜひともご協力をお願いいたします!

 さあ、毎年恒例、山口家の年賀状のネット公開です。

 今年はけっこうマジメにふざけましたよ(笑)。家族全員の今年の目標を聞いて、ワタクシが四首の「和歌」を作りまして、百人一首風にデザインしてみました。

 百人一首風に、和歌には「歌枕(地名)」を詠み込んでみました。そこに掛詞や縁語を絡めてあります。

 私は我が家のある「富士山(鳴沢の峰)」、家内は故郷の「鳥海山(出羽富士)」、長女は大学の寮のある「武蔵野」、次女は目標である「忍の岡(上野)」。

 まあ、解釈は皆様におまかせいたします。

 

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