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2019.12.12

日本人は物語教徒!?

Th_images 年会は続きます(笑)。

 今日は、某大学の学長先生にお誘いいただき、温泉とお酒とお話を楽しませていただきました。

 いやあ、実に楽しい時間でした。

 昨日、デンマークからその大学に留学に来ている学生さん3人と、両国の教育について語り合いました。

 彼らは数学の先生の卵なのですが、日本の数学のセンター試験を見て、大変驚いていました。

 日本と北欧の数学教育は、見事に対照的なのです。簡単にいえば、答えを重視する日本と、プロセスを重視する北遠。

 テストに対する考え方も全く違います。日本は一発勝負。北欧は積み重ね。

 公平性に対する感覚も対照的。日本は集団全体としての公平性を重視し、北欧は個人の人権レベルでの公平性を重視します。

 何年もかけて非常にアナログ的な方法で徹底的に個人の数学力を測る北欧。日本は記述式の導入さえ頓挫してしまう。そう、日本の場合、個人と個人の関係性にこそ不公平性を見てしまうのです。だから、マークシート式で同時に行い、機械で採点する。個人の裁量によって部分点が発生するようなことはありえません。

 北欧からすると、たとえばその唯一の試験の日に、体調が悪かったりしたらどうするのか、ということになる。それこそが不公平であり不運であり不幸だと考えるわけです。

 しかし、日本ではそういうことはあまり問題にならないどころか、あえて真冬の、地域によって最も不公平のある(たとえば日本海側は大変な雪に見舞われる)、またインフルエンザなどの病気が最も流行する季節に、人生を決する試験を行ったりする。

 国際標準に従い、9月入学のために、初夏に試験をすれば、環境的には今よりも絶対に公平性を担保できます。

 しかし、そうならないのはなぜか。

 それは、日本人は「物語」を重視し、そのためなら個人の人権が侵害されてもいいと考えている(感じている)からです。

 つまり、冬の厳しい季節を乗り越え、春を迎える(合格する)という物語。そして、桜咲く季節に卒業、入学を迎える。

 これが初夏に試験で、秋に入学では、なにか物足りない。感動がない。

 不合格という負の出来事さえ、その季節の中では、「桜散る」という「もののあはれ」で表現されたりする。これも初秋では面白くない。

 私が何度も何度も語っている「夏の甲子園=戦争ノスタルジー」という物語と一緒ですね。ドーム球場で人工芝ではだめなんです。

 去年の甲子園で言えば、小国の金足農業は快進撃しても、決勝では連合国の大阪桐蔭に大敗しなければならないのです。先の大戦がそうであったように…。

 国民的な物語が合理性を凌駕する。

 このあたりは最初、北欧の方々には全く理解できないようでした。しかし、宗教を例にお話ししましたところ、ある程度納得したようです。

 たしかに、キリスト教などの「物語」が、たとえば科学などの合理性を超えるというのは日常的にあることですよね。

 しかし、たとえば、日本と北欧の教育のどちらが正しいといった話ではありません。

 北欧の学生さんも、それはよく理解しているようで、国民性の違いであり、逆に非常に興味深い、取り入れられるものは取り入れたいという姿勢でした。

 今日の大学の先生方との会話も、基本そういう内容でした。やはり他者を知ることのみが、自己を知る方法なのですね。お釈迦様の言うとおりです。

 そして、つくづく、日本は無宗教だなんてとんでもない、強力な「物語教」の国だなあと思った昨日、今日でありました。

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