BUMP OF CHICKEN 『aurora arc』
志村正彦くんの誕生日に発売となった、フジファブリックと同世代のバンドBUMP OF CHICKENのニューアルバムです。
3年ぶりのアルバムとはいえ、14曲中11曲が既に発表されていた曲であるため、正直新鮮な感動というのありませんでした。
逆に言えば「安定のバンプ節」です。しかし、それが単なる既視感ではないところがまたバンプっぽいところです。
バンプの音楽を聴く時の脳の状態は、他のバンドを聴く時とは違う気がするんですね。そう、語弊があるかもしれませんが、ここまで来ると、ある種の文学鑑賞に近くなってきているように感じる。
藤原くんの書く音楽は完成した個性を持っています。このアルバムの曲たちも、音楽的には既視感が満載です。コード進行、メロディーのうねり、ギターのリフ…新しい挑戦はないわけではないけれども、それよりも自分の美意識を重視しているようです。
バンプの作品は、藤原基央という天才詩人による文学的要素が非常に強い。その異様ともいえる歌詞の文字数の多さからして、すでに文学です。
世界一般的には、音楽は右脳で、言語は左脳で処理されるとされています。そうしますと、たとえば多くの洋楽の場合がそうであるように、音楽鑑賞という状況においては右脳が活発化しており、歌詞を処理すべき左脳の働きは低下しています。結果として、歌詞は「雰囲気」になってしまう。
洋楽の影響を強く受け、洋楽的音楽を目指すサザン(桑田佳祐)などは、やはり歌詞が「雰囲気」化していますね。今、アメリカで流行りの日本の80年台、90年台シティ・ポップなんかもそうです。ちょっと方法論は違いますが、椎名林檎さんの世界も「雰囲気」ですよね。
それらに比して、日本の和歌の世界の正統的継承者である(と私が思う)J-Rockの世界は、日本語が世界でも珍しく右脳で処理される言語であることを武器に、音楽と歌詞(日本語)を右脳の次元で見事融合させています。ですから、まるで小説や詩を読む時のような脳の状態になるのです。
特にバンプの、つまり藤くんの作品においては、その傾向が強く現れています。場合によっては、歌詞が純粋音楽を凌駕してしまうこともある。それも右脳領域において。
私がバンプのライヴで感じる、ある種の「宗教空間」というものは、おそらくそうした独特な右脳世界が生み出すものだと思います。もちろん、そこに私たち日本人は、生活言語を超えた、ある種普遍的な「あちら側」を読み取るのでしょう。
なんか理屈っぽくなってしまいましたね。左脳的です(苦笑)。
そんな「コト」は抜きにして、相変わらずバンプの音楽世界は「コトを窮めてモノに至る」、すなわち言語や西洋音楽理論という「コト」世界を使って、その先の「モノ(のね)」世界を表現しているのでした。
この世界は、もしかして西洋人には理解できないかもなあ…。
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