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2019.07.31

西湖 野鳥の森公園

Th_img_4415  日の午前中は、幼稚園児たちを連れて樹海ウォークに行ってまいりました。

 さすが樹海は涼しい。別世界ですね。

 園児たちも、私が作った「樹海の地図」を見ながら、あっちじゃない、こっちじゃない、あそこは危ないなどと盛り上がりながら(まあ盛り上げるように地図を作ったわけですが)、初めての「探検」を楽しんでいました。

 さて、子どもたちやお客様を「樹海」にお誘いする時に行く場所が、この西湖野鳥の森公園です。青木ヶ原樹海の一部とはいえ、遊歩道が整備されているので、イメージよりも安全です。

 実際、野鳥もたくさんいますし、その他の小動物にも出会えますので、ちょっとした「探検」には最適です。

 以前こちらに写真をたくさん紹介しましたのでご参照ください。溶岩流が「石花海(せのうみ)」という巨大湖に押し寄せた、つまり火と水が出会ってできた劇的な地形や生態系をお楽しみください。

西湖野鳥の森公園

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2019.07.30

J.H.ルーマン 『無伴奏ヴァイオリンのためのエッセイ』

 日はスウェーデンの方と飲みました。めちゃくちゃ日本語上手だし、私よりも日本のことをよく知っている。おそるべし(笑)。

 北欧はある意味日本に似ているところがあります。それは「コト」よりも「モノ」を重視するという点です。私の「モノ・コト論」もすぐに理解してくれました。

 かなり霊的な話もしました。まあ、スウェーデンボルグの国ですからね。王仁三郎の国と気が合うのは当然といえば当然。

 そのスウェーデンボルグの時代は、音楽で言えばバロック時代です。ちょうどその頃、一人の天才スウェーデン作曲家が登場しました。スウェーデン音楽の父とも、スウェーデンのヘンデルとも言われた、ユーハン・ヘルミク・ルーマンです。

 彼はロンドンで音楽を学び、その後もヨーロッパ各国を回って最新の音楽を自分のものとしました。

 あの時代のヨーロッパの音楽家が皆そうであったように、基本的には先進国イタリアの音楽がベースになっていますが、やはりいかにもスウェーデンといった感じの「妖気」を感じさせる作品もあります。

 たとえば、彼が無伴奏ヴァイオリンのために書いた「エッセイ」。これは他の作曲家の無伴奏作品とは一線を画しています。なんか不思議な語りになっているんですね。かなり変な曲と言えば変な曲。

 本来なら現代のヴァイオリニストの貴重なレパートリーになってもおかしくないのですが、ほとんど知られていませんし、弾く人もいませんね。まあ単純に「変」だからだと思いますが。

 今日はYouTubeに楽譜付きで公開されていた3曲を聴いてもらいましょう。1番、8番、16番です。特に8番は妙な曲ですね。それがなんとも魅力的なんですが。

 今日飲んだスウェーデン人は、特に戦前の日本映画にめっちゃ詳しかった。私なんかよりもずっとマニアック。まあ、逆にですね、スウェーデンのバロック音楽を演奏している日本人というのも、向こうからするとかなりマニアックでしょうね(笑)。そういう文化交流はホント楽しい!

 

 

 

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2019.07.29

予測不可能な時代を生き抜くための「教育」とは~高濱正伸×水野雄介×山口文洋×福武英明

 月5日に人前で教育についてしゃべらなければならないのですが、全く準備をしていません。急に忙しくなってしまい、なかなか時間がとれません。

 こういう時は、人のをパクる…ではなくて、人の話を聴いて、その話題にチャンネルを合わせ、また自分をプレゼンモードに持っていくというのをよくやります。音楽を演奏する時もそうです。これってとても重要です。

 で、今日寝る前に布団の中で聴いたのが、この対談。

 現場の教員とは違った視点で、現代の教育について語る教育のプロフェッショナル4人。

 こうした社会側の教育論者と、現場の教員の意識のギャップというのは、本当にすごい。めちゃくちゃ大きい。

 私は、宇宙人とも言われるほど変わり者の現場教育者なので、どちらかというと、こういう向こう側の視点で話をしたいと思っています。そう、今度の講演の相手は現場の教員なのです。

 両者をどうつなぐか。両者の溝をどう埋めるか。これが最近の私のテーマでもあります。

 

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2019.07.28

『ムーとアトランティス ~Last Chance~ 未来を紡ぐ覚醒のVision』 不二真央都 (ヒカルランド)

Th_41jeqmq2wl_sx344_bo1204203200_  日は横須賀から、一人の友人が我が家を訪問しました。友人と言っても、実は今日初めてお会いした方です。

 しかし、予感したとおり、魂レベルではどこかでお会いしたことがある人でした。

 そういう人との出会いが最近、本当に多い。特に令和に入ってからは無駄がありません。

 今日も、その方を不二阿祖山太神宮にお連れしたところ、ちょうど大宮司さまがいらっしゃって、1時間ほどたっぷりお話をうかがうことができました。

 そこでいただいたのがこの本。

 お客様とは80年の時を超えた話で盛り上がったのですが、こちらは5000年、26万年、さらに…と、ほとんど天文学的な時間をまたいだお話。

 まあ、普通の人だったらドン引きでしょうね(笑)。お客様や私は、そういう話に慣れていますので全然大丈夫。

 いわゆる歴史学とは全く違う「物語的歴史観」ですね。こういうのを「トンデモ」と一笑に付すことは簡単ですが、歴史上の天才たち、たとえば仲小路彰も、こういうレベルの話が全然OKの人物でした(だからアカデミック世界は彼を研究できない)。

 歴史学がどうのこうの言う以前に、そういう「物語歴史観」で、実際の歴史は動いていたのはどうしようもない事実です。出口王仁三郎もそういう存在でしたよね。

 「物語」と「現実」の距離が、またどんどん縮まってきているように感じます。この本の「物語」もしっかり現実の近未来とつながっている。全ての「物語」や記述された「歴史」は、実は現実の「比喩」なのです。そうとらえれば、荒唐無稽とか、科学的根拠がないとか、そういう言葉こそがトンデモだとも言えるのです。

Amazon ムーとアトランティス

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2019.07.27

『さよならムーンサルトプレス 武藤敬司 35年の全記録』 福留崇広 (イースト・プレス)

Th_511zpdid5kl_sx339_bo1204203200_  日紹介した楽天イーグルスの渡邊佑樹投手と同じ下吉田中学校出身の世界的アスリート、そしてあの志村正彦と同じ下吉田第一小学校、下吉田中学校出身の世界的アーティストでもある、プロレスラー武藤敬司の半生(あえてそう表現します)を詳細に描いた一大絵巻。

 素晴らしい本でした。そう、ものすごい文字数ですし、写真もモノクロなのですが、まさに絵巻物のようにカラフルな印象が残りました。天才の人生は本当に色彩豊か。

 う〜む、やはり下吉田地区、特に月江寺周辺はすごいなあ。太宰治も縁が深いし、李良枝も住んでいたし、なにしろ志村正彦と武藤敬司という「天才」を育んだという事実に、もっと地元の人は誇りを持つべきでしょう。

 ちなみに武藤家は月江寺の檀家です。かつて若かりし頃の武藤選手が、月江寺でサイン会をやったことがありました。あれは志村くんの同級生を担任していた頃だから、ええと、今から23年くらい前でしょうか、つまり1996年くらいですから、高田戦のあと、この本で武藤自身も言っているとおり「ピーク」だった頃でしょう。考えてみるとすごいことでした。私は車でやってきた武藤選手を案内する役でした。

 この本では全体を通じて、とにかく天真爛漫でポジティヴな天才、本当に不世出の超天才レスラー武藤敬司という「モノ」に圧倒されっぱなしです。秀才は意識している「コト」でしょうが、それを軽く凌駕してしまう無意識の「モノ」という存在。本人は「ゲテモノ」という表現も使っていますが、結果「下手(ゲテ)」ではなく「上手(ジョウテ)」のモノだったことが証明されています。

 この本のクライマックスは、やはり1995年のUWFインターの高田との一戦でしょう。それに関する武藤の言葉にはしびれました。フレアーとの戦いの中で試合が芸術として完成していった。UWFにはマインドがない。彼らはプロレスが嫌いだったのでは。プロレスのマインドとは、弱さをさらけ出すこと。挫折して叩かれて、しかしはい上がっていく姿を見せる。それがドラマであり、感動である。

 はなっから、プロレスをスポーツだとは考えていない。芸術だと考えている。表現だと考えている。表現者として圧倒的な天才であったということです。それをある意味本能的に、ある程度アドリブでこなしていってしまった。それは間違いなく猪木をはじめ、ほかのレスラーにはできない芸当でした。生まれ持った天性の才能。それが「天才」。

 下吉田第一小学校時代の卒業文集に彼は、22歳で「プロレスラーのほけつ」、32歳で「けっこん、プロレスラー世界一」、42歳で「プロレスラーをやめてうえきや」、52歳で「うえきやめる」、62歳で「死」と書きました。32歳でたしかに世界一になりましたが、57歳になる今年、まだ現役レスラーとしてリングに上がり続けています。

 少年時代の夢を実現し、そして少年時代の夢を超える現実を生きている武藤敬司。本当にすごいバケモノです。

 両膝は人工関節。しかし、だからこそできるプロレスを日々模索している。まさに世阿弥が風姿花伝で語った「年来稽古条々」。その年齢ならではの花がある。若い頃の「時分の花」は本当の花ではない。「まことの花」を追い求める心こそが、「初心忘るべからず」です。

 武藤敬司といオオモノは、間違いなく世阿弥レベルの身体的アーティストです。

Amazon さよならムーンサルトプレス

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2019.07.26

祝プロ初登板! 渡邊佑樹選手(楽天イーグルス)

20190727-141919  日、西武戦で初登板した楽天イーグルスの渡邊佑樹投手。実はウチの高校の卒業生なんです。

 西武の強力クリーンナップから三者連続空振り三振を奪うという、最高のデビューを果たしてくれました。

 1番、2番に連続四球を与えた時はどうなるかと思いましたが、なるほどクリーンナップを完封するための演出だったのですね(笑)。

 佑樹くんは、お姉ちゃんも本校の生徒だったこともあり、中学生の時から野球のユニフォームを着て本校に遊びに来ていました。その頃から、プロ野球選手になりたいと言っていましたが、本当に夢を実現してくれたわけですね。

 本校の野球部から横浜商科大学へ進学し、大学野球でかなり注目を浴びていました。そして2017年のドラフトで4位指名され楽天に入団。1軍入りを目指して頑張っていました。

 この春先に母校を訪問してくれまして、私も職員室でプロの世界の厳しさやオフのトレーニング方法などについて話をしました。

 そして、とうとう昨日、一つの大きな目標を達成したわけですね。もちろん、これでようやくスタートです。次はプロ初勝利、そしてローテーション入り、二桁勝利、優勝へ貢献…本当に多くの夢が待っています。

 佑樹なら絶対にそれらの夢を叶えてくれると信じます。なにしろ、体もいいし、性格もまじめで素直、努力家です。さらに!超イケメンです!プロとしては最高に恵まれた才能を持っていますよ。これから女性ファンも急増していくことでしょう。

 頑張れ〜!本校の現役の野球部員たちにとっても、大きな大きな励み、目標になってくれることでしょう。応援してます。

 ちなみに「渡邊」姓からもわかるとおり、富士吉田市下吉田地区の出身です。武藤敬司、志村正彦に続く下吉田の雄たれ!

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2019.07.25

バッハ 『オルガン協奏曲イ短調 BWV 593』

 日書いたとおり、バッハはヴィヴァルディの作品3の8をオルガン独奏協奏曲に編曲しています。

 新しい作曲法を学ぶという意味もあったとは思いますが、それ以上に「かっこいい!」と思って、自分一人で弾いてみたかったのでしょう。

 面白いのは、バッハが付け足した音符たちです。もちろんオルガンという楽器の特性に合わせての編曲でもありますが、バッハ自身の頭の中に響いた新しい音(すなわちダウンロードしてきた音)も加えられていますね。

 ちょっといらないかなと思う音もあります(笑)。ここは原曲の方がセンスいいかなという。

 あとは加えるのではなく引いている音もあって面白い。まあ、いろいろな楽しみ方ができますね。ぜひ楽譜とともにどうぞ。

 

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2019.07.24

ヴィヴァルディ 『2つのヴァイオリンの為の協奏曲(作品3の8)』

 、指導している中学校の弦楽合奏部で挑戦している曲です。

 自分も高校以来何度も弾いてきたこの曲。あらためて弾かせてみますと、本当にかっこいいですね〜。

 正直駄作も多い(失礼)ヴィヴァルディさん。時々とんでもない名曲を書くんですよね。なにしろバッハがオルガン独奏のコンチェルトに編曲しているくらいですからね。

 実際コレルリ先輩の影響を受けているとはいえ、これなんか、絶対コレルリは書けませんよね。つまり、当時としてはものすごくアヴァンギャルドだったということです。それまでに似たものがない、とんでもなく挑戦的な作品だった。

 今日はオリジナル楽器によるかっこいい演奏をお聴きください。ライヴということで、もちろんアラもありますが、やはりこのスリリングな感じ(特に3楽章)こそ、バロックの醍醐味でしょう。

 

 

 

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2019.07.23

祝! 金鷲旗優勝

Th_img_4367  日、野球は残念ながら県大会準決勝で敗退してしまいましたが、女子柔道部がまた快挙を成し遂げてくれました。

 ちょうど野球の9回最後の攻撃を応援している最中、遠く福岡では、最も苛烈な格闘技大会とも言われる高校柔道の「金鷲旗」の決勝が行われていました。

 抜き勝負(勝ち抜き戦)で戦われるこの無差別級の戦いでは、毎年多くのドラマが生まれています。軽量級が重量級を破るという、まさに「柔よく剛を制す」もそうですが、連続何人抜きするか、あるいは5人のチームをどのように構成し実際に戦うかという戦術面でも、非常に面白い大会です。

 この金鷲旗を参考にして、あの桜庭和志さんが「クインテット」という新しい団体格闘技を立ち上げましたね。

 まあ、見ている方は大変面白いのですが、やっている方は大変。どうしても怪我も多くなってしまいます。

 今回、我が校は1日目に軽量級のエースが13人抜きをやってのけ、結局大将は登場しない、いわゆる「座り大将」で優勝しました。

 この春の選手権初優勝に続き、2冠を達成しました。まったくすごいことです。選手はもちろん、指導者がいかに優秀であるかということでしょう。ウチの学校の道場は日本一貧弱とも入れわているのに(苦笑)。

 さあ、次はいよいよインターハイ(高校総体)となります。3冠なるか!楽しみです。

 

 

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2019.07.22

太田裕美 『君と歩いた青春』

 近、(個人的に)再評価著しい太田裕美さんの魅力的な歌唱を聴いていただきましょう。

 代表作の一つである「君と歩いた青春」。もちろん伊勢正三さんの作詞作曲、「風」の名曲ですよね。

 太田裕美さんのアルバム「君と歩いた青春」は、彼女のアメリカ行きの寸前に出ました。自らの音楽活動にいったん終止線を入れようとしたある種の覚悟を感じる内容となっていますね。

 そうそうたる作詞家の詩に自ら作曲した渾身の歌たちを並べていますが、たった1曲、他人の作曲による歌を歌っています。それがこの「君と歩いた青春」。そして、それをアルバム名にした。

 それほど、この曲を愛していたということでしょう。たしかに名曲です。あの時代の「青春」、特に「別れ」の切なさを表現した名曲です。

 しかし、面白いのは、これが「男歌」だということですね。

 日本の「歌」には「トランスジェンダー」という特徴があります。文化的トランスジェンダーですね。つまり、男性が「女歌」を歌い、女性が「男歌」を歌うことが多くあるということです。演歌が一番わかりやすいでしょうか。

 本来、これは非常に不自然であるはずですが、日本の歌においては、なぜか自然に受容される。たとえば英語の歌だと、ビートルズの「And I Love Her」を女性歌手がカバーすると「And I Love Him」にしたりする。全てではありませんが、そういう傾向が強い。逆に日本でそれをやると変な感じがしますよね。

 で、なんとも女性らしい可愛い声の代表格とも言える太田裕美さんが、こうして「ぼく」を主語に「君はなぜ男に生まれてこなかったのか」と歌うわけですから、実に面白いですよね。そして、それがこんなに感動的なのはなぜなのでしょう。日本人独特の感性のなせるわざではないでしょうか。

 このライヴ映像は本当に素晴らしいですね。歌謡曲、フォーク、ニューミュージック、そしてアイドルを自由に生き来していた太田裕美さんの、その多様な魅力が凝縮しているように感じます。ピアノもうまいし、作曲も完全に玄人。まさに真のタレント、アーティストですね。

 

 

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2019.07.21

コールド勝ち

20190722-120016  日は夏の甲子園を目指す予選準々決勝がありまして、我が校がコールド勝ちを収めました。あさって準決勝、しあさって決勝となります。

 正直、大方の予想を覆す結果だと思います。野球は本当に面白い。インプレイの時間が少ない分、精神的、作戦的な部分が非常に大きいスポーツです。そのため、単純に実力どおりの結果が出るわけではない。そこに「物語」が生じる魅力があります。特にベースボールと野球は違いますからね。

Th__107964832_hi055431192  さて、一方の「コールド勝ち」は参院選です。非与党もそれなりに頑張りましたが、やっぱり結果は自民・公明のコールド勝ちでしたね。惨敗とか、薄氷の勝利とか言う人もいますが、数を見てください。完全コールド勝ちですよ。これはまあ予想どおりであったと思います。

 しかし、実は政治を取り囲む国民(庶民)の心は、「物語」によって大きく動きます。今回は、たとえば山本太郎さんがある物語の端緒を示したと思います。

 あくまでもそれはプロローグであって、彼のバックにいる影の実力者は、なかなか巧妙な長期的計画を持っています。はたしてこれからその物語がうねりとなっていき、ある種予想外な結末を生むことになるのでしょうか。

 それとも、既存の物語の中に呑み込まれ、一時のブームで終わってしまうのでしょうか。見えない大きな物語は、見えないし大きすぎるため、なかなか切り崩し難いものです。

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2019.07.20

【討論】どこへ行く令和日本

 日は参議院選挙ですね。

 大きな変革を望まない人たちも多く結果はある程度見えているような気もします。

 なぜ大きな変革を望まないかというと、そこには目に見えない大きな力が働いているからです。ものすごく分かりやすく可視化しますと、それは「アメリカ」の力です。

 アメリカは日本人を必要以上に成長しないように、しかし死なない程度にコントロールしています。政治、経済、防衛、文化…さまざまな面で、私たちは無意識的に無力化されています。

 私はそれを単純に憂える立場にはありません。見え見えの陰謀論という矛盾した、しかし単純な図式も好きではありません。

 もっと深いところでの物語が進行しており、それはとても大きな世界史上の意味があって、ある種のドラマのように結末は誰もが予想しなかったものになる可能性もあります。

 この討論に出てくるトピックは、近視眼的にはほとんど間違っていませんし、たしかに大きな憂いの種となっています。

 しかし、それでの多くの国民がそれに気づかず、そして政治の大枠が崩れないのはなぜなのでしょうか。それは本当に破滅への道なのでしょうか。

 私が何度か言っている、「国譲り」「本質の無意識領域への保存」の重要性については、ほとんど誰も語りません。というか、理解できないでしょうね。表面的には「負け」に見えるでしょうから(苦笑)。

 

 

 

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2019.07.19

『聲の形』 (京都アニメーション制作作品)

 界に誇る京都アニメーション。本当に悲しい、悲しすぎる事件が起きてしまいました。
 不条理な無差別殺人の頻発は何を意味するのでしょうか。
 本当に本当に素晴らしい作品を命がけで作ってくれた方、この不安な世界のために小さな灯りをともしてくれた方、そんな方々が犠牲に…。
 今日は作品を鑑賞してご冥福をお祈りしましょう。生と死を丁寧に描いてくれた、この超名作をおススメしておきます。この作品のメッセージが伝わらなかったのかと思うと、やりどころのない怒りが虚しさに変わりそうですが、いや、それではだめです。
 私たちはこのアニメ映画の登場人物がそうであるように、ぜったいにあきらめてはいけないと思います。未見の方はぜひ御覧ください。作品は生き続け、私たちを励まし続けてくれます。

 

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2019.07.18

山本太郎というタレント

Th_-20190719-121820  こでいうタレントというのは、芸能人という意味でもありますが、才能という意味でもあります。

 政治のことはあまり書かないようにしてきました。それは、たとえば昨日書いた「経済」でさえ、非常に抽象的・高次元に進化しているわけで、その経済をコントロールすることが大きな役割となっている現代の政治は、私たちの生活感覚ではなかなか評することができないからです。

 しかし実際には、与党も野党もその他も、結局「生活感覚」に訴えることしかしていない。そこが、ここのところの政治不信というか、政治への無関心、あるいは諦めにつながっていると感じます。

 まあ、経済人が本質を見ていないように、政治家自身が政治のそうした未来的本質を理解していないので、しかたありませんがね。

 そんな中、参議院選挙が近づいてきております。私が投票に行くのか、行ったとしたら、だれに、どこに投票するのか、そんなことはどうでもいいでしょう。ただ言えるのは、未来から逆視して判断するということです。今の原因は過去にあるのではなく、未来にあるのですから。

 さて、今回ある意味注目を浴びているのが、れいわ新選組の山本太郎さんでしょう。

 なんとなく野党側、リベラル側の人という感じがしますが、今までの行動や語りからは、その逆の思想が感じられる時もあります。まあ、バランスが良いといえば良いし、次元が少し違うという気もします。ただ、その次元が高次元なのかは…微妙です(笑)。

 そう、先ほど言った「生活感覚」に訴えることが多すぎるから、ちょっともったいない気がするのです。なにしろ、山本太郎さんはMMTをよく理解し、それを高く評価しているのですから。たとえばこの動画を御覧ください。保守に近い三橋さんとの組み合わせは実に新鮮ですね。

 

 

 

 

 今日、日刊ゲンダイのインタビューも面白いですね。

れいわ新選組・山本太郎氏「世の中変わるなら捨て石上等」

 捨て石上等という言葉に象徴されますね。やはり自分という存在価値をうまく演出している。「粗削りだけれども「ならぬものはならん」と空気を読まないでやるべきことをやる。政治が面白くなって、期待感が膨らむと思うんですよね」という言葉や、各候補、特に特定枠のメンバー選定からも、「いかに一人が目立つか」がテーマになっている。

 もちろん、それが悪いと言っているわけではなく、そこがやはり山本太郎というタレントのタレントだと思うのですよ。硬直化した社会を動かすには、庶民の心を動かさねばならない。難しい話ではなく「生活感覚」に訴える。

 「親身」と「新味」で目立つことが大切なのです。

 目立つ人には目立つ人の役割があります。そして、影で裏で社会を動かしていく人もいます。その全体像は、なかなか「生活感覚」の中では見えてこない。そこが政治の難しいところです。

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2019.07.17

【三橋貴明×ステファニー・ケルトン】概論、MMT(現代貨幣理論)

 日も何回か紹介したMMT。まったく発想の違う経済理論です。

 提唱者の一人、ステファニー・ケルトン教授が来日しました。三橋貴明さんと対談をした動画が公開されたので紹介します。

 私も学校で「古典経済学」を教える時は、自分の生活(金銭)感覚に落とし込むとよく分かるとして、実にスケールの小さな話をしてしまいます。

 しかし、ようやく脚光を浴びたMMTや、私の提唱する(まだしてないか)FMTには、私たちの従来の生活(金銭)感覚からすると、ちょっと考えられないような世界が広がっています。

 実際、経済史を見てみれば、次第に物質から情報へと抽象化していることがわかります。そこで起きているのは、「物々交換」ではありません。三次元の物理法則に縛られない、高次元の法則のもとでの現象です。

 量子論が1世紀近く経っても生活レベルでは理解できないのと同様に、抽象化した経済理論はしばらく理解されないことでしょう。しかし、量子論が実験によって証明されてきているように、新しい経済理論も実際の経済現象、特に大規模な国家経済や地球経済の実際の現象によって、いやでも証明されることになるでしょう。

 というか、今の日本こそ、その壮大な人類の実験場になっているのです。これだけ大きな「数字」の借金があっても、ちっとも揺るがない日本経済。古典経済学では考えられないような「事実」が現在進行形なのです。

 

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2019.07.16

ロック・アンサンブル!…BWV 1052 R(オランダ・バッハ協会)

 れはすごい!今日公開されたオランダ・バッハ協会の「ロック」バッハ!

 私も高校時代以来大好きな、このBWV1052の復元版。ヴァイオリン弾きにはたまらない作品です。

 偽作との説もありますが、正直、こんな(変な)曲を、いったいバッハ以外の誰が書けましょうか。もう高校時代から思っていましたが、これは間違いなくロックです。バロックではありません。

 ただ、これを「ロック」として弾ける人がそうそういなくて、正直どの演奏にも満足できなかったのですが、ようやく出ましたね。それも日本人によって!

 とにかく、聴いて、観てみてください。

 いやいや、佐藤俊介さんのソロのすごさもそうですけど、彼が率いるバンドのアンサンブルのすごさですよ。彼らの練習の様子が目に浮かびますね。エキサイティングな発見の連続でしょう。

 それが伝わってくるカメラワークも素晴らしい。よく分かっている人の仕事ですね。

 そして、これ、ライヴですからね。こうしてYouTubeでその雰囲気を味わえるわけですから、幸せな時代になりましたね。

 何度も書いてきましたが、レコードやCD、そしてストリーミングなどの「録音」「音源」時代というのは、音楽史においてあまりに特殊です。基本はヴィジュアルも含めた総合芸術です、音楽は。そして1回性のライヴな体験です。

 ただ、面白いのは、録音にせよ、録画にせよ、その音楽、演奏の背後にある「波動」をしっかり記録することができるということですね。視聴する人間がすごいのかもしれませんが。

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2019.07.15

『ねこ展』 (山梨県立博物館)

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 族と行ってきました。猫好きにはたまらない(プラスの意味)企画展。逆に猫嫌いにはたまらない(マイナスの意味)でしょうね。同じ場が天国と地獄になりうる。

 博物館らしく、正式には「すごすぎる! ねこ展~ヒトとネコの出会いと共存の歴史~」という名称。

 まさにすごすぎましたね。ヒトとネコが見事に共存していた、両者の文化と歴史に溢れていました。

 養蚕に興味がある私としては、やはりネズミの天敵として「神」にまでなったお猫さまにたくさん出会えてうれしかった。

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 予想通り、西桂で作られている「猫札」が展示されていました。三ツ峠をはさんで、向こう側の、すなわちこの博物館のある御坂でも人気のあった御札です。

 大山祗命と書かれていますね。三ツ峠の神さまです。この御札、今でも山頂近くの「神鈴みすず権現社」で5月の祭礼の時に配られています。

 だれのデザインでしょうかね。けっこう名作だと思いますよ。

さて、今日は時間があまりなかったので、ゆっくり鑑賞&愛玩できませんでしたので、また行きたいと思います(学校の先生なので無料なのです)。

 今日はお土産に、猫絵師・目羅健嗣さんの映画ポスターパロディ絵葉書を3枚購入してきました。これがまた面白すぎる!

Click!→

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 細かいセンスが最高です。他の作品も全部ほしくなってしまいました(笑)。

 山梨県立博物館

 

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2019.07.14

『天国のキッス』 松田聖子 with 細野晴臣

 

 ースやってる上の娘が、いよいよ作曲を始めたようです。私も大学生の頃はよく変な曲を作っていました。ロック、ポップス、フーガもたくさん作ったっけな。

 作曲が一番音楽理論などの勉強になるので、上手い下手、センスのあるないは別として、一度ははまっておくと良い。娘にもそう伝えました。

 で、ついでに送ったのがこの動画。いきなり挫折させようというのか、父は(笑)。

 私、この番組見てたんですよ。19歳の時。すなわち今の娘と同じ歳の時です。そして、自分の才能のなさに気づいた(遅いよ!)。

 しっかし、まあ、細野さん、聖子ちゃんともに、とんでもないタレント(才能そのもの)ですね。

 この変態的かつキャッチーな曲をスタジオで追い込まれて作っちゃう人もすごいが、それをこうしていとも簡単に自分の曲にして歌ってしまう人もすごい!

 そして、お二人のユーモア。なんだか、世界が違いますね。

 貴重な機材、そして生演奏も楽しめるこの動画。関口宏さんが「楽器がいらなくなっちゃう」って鋭いこと言ってますね。YMO活動中ということもあって、今になって見ると時代の変わり目を象徴するシーンだと気づきます。

 う〜ん、とにかくすごい。これがお茶の間にフツーに流れていた昭和って、やっぱりすごいな。

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2019.07.13

近本選手サイクルヒット!

 

 うこれを「ダメ!」とか言うのやめましょうよ(笑)。

 もちろんペナントレースでは「ダメ」ですよ。オールスターですから、お祭りですよ。敵味方なく盛り上げるのがプロでしょう。

 なんというか、プロレス的な名シーンですよね。プロレスは真剣スポーツではなく、真剣祭りですから。逆にガチンコが入り込むのが非日常。

 前田選手は、そのあとの演技力も含めて「大人」。素晴らしい。いいプロレスラーになれますよ(笑)。こういうのが日本の良さでしょう。

 昔ならこれはみんな良かった良かったで終わったのでしょうけれど、今はSNSなどでだれもが文字で発信する時代ですからね。匿名性があると、なぜか人は正義や良識を振り回す。つまり、だれかを批判することに抵抗がなくなるんですね。さも正論を言っているかのような錯覚に陥って、結局場の雰囲気を壊してしまう。

 単純に喜んだり、お祝いしたり、ある意味だまされた(ふりをした)り、そういう余裕や遊びのある日本でありたいものです。

 それにしても近本選手、まず新人がお膝元の大舞台で5打数5安打というだけでも、もう文句なしのスターですよね。

 おめでとうございました!楽しませていただきました。

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2019.07.12

ケカチ遺跡出土杯の和歌

Th_2017_0826_waka1  、江戸東京博物館で見られるんですね。

 3年ほど前でしょうか、塩山下於曽のケカチ遺跡から、10世紀中葉のものと思われる、和歌を刻した土器(杯)が出土しました。

 和歌(短歌)一首の全編が書かれた土器の出土は全国初。それも古今和歌集が編纂されて間もないころに、都から遠く離れた甲斐の国で、すでに「平仮名」が完全な形で使われていたというのは、驚くべき新事実でした。

 そこにヘラで刻されている和歌は次のようなものです。

 

 われにより

 おもひくるらん(「る」は「ゝ」の可能性もあり)

 しけいとの

 あはすや□なは(□は「み」か)

 ふくるはかりそ

 (漢字交じり文)我により思ひ暮る(繰る)らんしげ糸の合はず止みなば更くるばかりぞ

 (石田千尋先生訳)わたしのせいで、あなたは日がなもの思いをし続けていることだろう。絓糸のように縒り(寄り)合う(逢う)
ことのないまま離れ離れで終わってしまうならば、ただ更けてゆくばかりの夜になるのだよ(そうならぬよう今
宵は逢おうではないか)。

 

 翻字の過程や歌意の解説などについては、こちらに中央大の石田先生が詳しく詳しく書かれていおります。さすがプロの論文(当たり前か)。

 いちおう歌詠みの端くれとして鑑賞しますと…なかなかの名歌だと思います。メッセージ性そのものも秀逸ですし、縁語や掛詞も上手に駆使されています。それこそ古今和歌集に載っていてもおかしくないレベルですね。

 甲斐の国には都から国司が来ていましたし、伝統的に渡来人の集団移住などもありましたから、案外中央の文化がもたらされていたようです。

 ケカチ遺跡の近くには、塩の山や差出の磯といった、それこそ古今和歌集に出てくる歌枕もありますし、都留の郡もよく賀歌に詠まれました。案外、甲斐の国は「和歌の国」だったのかもしれませんね。

 ちなみに欠損部分を「み」と推することに異論はありませんが、私としては「やみ」を「止み(已み)」と「闇」の掛詞としたいところです。掛詞の定義からするとやや強引ですけれども、後ろの「更くる」との縁を想定した方が、より深みが増すように思います。

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2019.07.11

BUMP OF CHICKEN 『aurora arc』

Th_81gedliboul_sl1500_  村正彦くんの誕生日に発売となった、フジファブリックと同世代のバンドBUMP OF CHICKENのニューアルバムです。

 3年ぶりのアルバムとはいえ、14曲中11曲が既に発表されていた曲であるため、正直新鮮な感動というのありませんでした。

 逆に言えば「安定のバンプ節」です。しかし、それが単なる既視感ではないところがまたバンプっぽいところです。

 バンプの音楽を聴く時の脳の状態は、他のバンドを聴く時とは違う気がするんですね。そう、語弊があるかもしれませんが、ここまで来ると、ある種の文学鑑賞に近くなってきているように感じる。

 藤原くんの書く音楽は完成した個性を持っています。このアルバムの曲たちも、音楽的には既視感が満載です。コード進行、メロディーのうねり、ギターのリフ…新しい挑戦はないわけではないけれども、それよりも自分の美意識を重視しているようです。

 バンプの作品は、藤原基央という天才詩人による文学的要素が非常に強い。その異様ともいえる歌詞の文字数の多さからして、すでに文学です。

 世界一般的には、音楽は右脳で、言語は左脳で処理されるとされています。そうしますと、たとえば多くの洋楽の場合がそうであるように、音楽鑑賞という状況においては右脳が活発化しており、歌詞を処理すべき左脳の働きは低下しています。結果として、歌詞は「雰囲気」になってしまう。

 洋楽の影響を強く受け、洋楽的音楽を目指すサザン(桑田佳祐)などは、やはり歌詞が「雰囲気」化していますね。今、アメリカで流行りの日本の80年台、90年台シティ・ポップなんかもそうです。ちょっと方法論は違いますが、椎名林檎さんの世界も「雰囲気」ですよね。

 それらに比して、日本の和歌の世界の正統的継承者である(と私が思う)J-Rockの世界は、日本語が世界でも珍しく右脳で処理される言語であることを武器に、音楽と歌詞(日本語)を右脳の次元で見事融合させています。ですから、まるで小説や詩を読む時のような脳の状態になるのです。

 特にバンプの、つまり藤くんの作品においては、その傾向が強く現れています。場合によっては、歌詞が純粋音楽を凌駕してしまうこともある。それも右脳領域において。

 私がバンプのライヴで感じる、ある種の「宗教空間」というものは、おそらくそうした独特な右脳世界が生み出すものだと思います。もちろん、そこに私たち日本人は、生活言語を超えた、ある種普遍的な「あちら側」を読み取るのでしょう。

 なんか理屈っぽくなってしまいましたね。左脳的です(苦笑)。

 そんな「コト」は抜きにして、相変わらずバンプの音楽世界は「コトを窮めてモノに至る」、すなわち言語や西洋音楽理論という「コト」世界を使って、その先の「モノ(のね)」世界を表現しているのでした。

 この世界は、もしかして西洋人には理解できないかもなあ…。

 

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2019.07.10

フジファブリック 『FAB BOX III』

Th_71vyvj23vl_sx342_  村くんの誕生日。本当ならこちらからお祝いをあげたいくらいなのに、素晴らしいプレゼントが届きました。

 ほとんどのライヴの記録用映像(家庭用ビデオカメラで撮影したもの)があるということは聞いていました。

 また、志村くんが亡くなった直後、ご家族からも、いつか日の目を見ればいいというお話をうかがっていました。

 それが10年経って実現したのです。

 そこに収められていたのは、真剣に前向きな志村正彦の姿と言葉でした。

 アーティスト、音楽家としての苦悩と挑戦、そしてバンドメンバーとの新たな絆。

 「市民会館(富士五湖文化センター)凱旋」が折り返し地点であると、私も11年前こちらに書きました。

 彼の中での復路の最初の駅は、きっと「富士急ハイランド(フジフジ富士Q)」だったのでしょう。しかし、それは夢の主人公不在の舞台となってしまいました。

 しかし、10年目となった今年になってみると改めてわかったのですが、フジファブリックはちゃんと折り返して、ちゃんと今もまだ見ぬ目的地へ向けて走り続けています。

 もちろん、天才志村正彦がいなくなってしまったのは、どうしようもなく悲しく切ないことです。しかし、彼が残してくれたエネルギーは膨大でした。

 それは他のメンバーが「脱志村」をするにあたっても、結果としてブラスに働きました。このDVDを見てわかるとおり、彼らは別れの寸前に初めて一つとなったのです。もし、そうでなかったら、今のフジファブリックは存在していなかったかもしれません。

 そうした過程を感じることができるだけでも、このBOXの価値はあります。いや、それこそが価値でしょう。Bootleg映像は、基本固定ですし、音もかなり悪い。しかし、そこに「記録」されているものは、実に瑞々しく、清々しく、リアルな人生そのものなのでした。

 

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2019.07.09

追悼 ジャニー喜多川さん

Th_201907090001384w500_0_20190711121601  ャニーさんが亡くなってしまいました。とうとうこの日が来たかという感じです。

 SMAPや嵐の解散など、王国の崩壊の予兆や、また韓国アイドル文化の勃興やジャニヲタの高齢化(失礼)もあったりして、たしかに「伝統芸能」たるジャニーズ文化の衰退は感じていました。

 ジャニー喜多川さんが一代で作り上げた、世界にも珍しい文化はこのあとどうなっていくのでしょうか。

 (誤解を恐れず言うなら)「長身の美女」という残念な人を救う宝塚とのコントラストをなす、「短身の美男」を救うジャニーズ。

 たとえば韓国アイドルと比べると、明らかに「欠点」の多い日本のアイドル。

 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは…

 欠けた点があることを愛でる、愛する日本の文化です。

 実際、ジャニーさんはある程度オジサンの年齢になっても活躍できるアイドルを育ててきました。韓国では考えられないことだと思います。

 まさに「無常観」。衰え、欠けていく部分にこそ、ファンの想像力や愛が注がれる。

 ジャニー喜多川さんが、僧侶の息子さんであったことも偶然ではないでしょう。

 いろいろ問題があったのも事実ですが、たった半世紀でこれほど日本的な伝統芸能を確立したジャニーさんを、私は高く評価しています。

 ご冥福をお祈りします。

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2019.07.08

「日本の未来を考える勉強会」ーよくわかるMMT(現代貨幣理論)解説

 日の続きです。MMTについて最もわかりやすい解説です。
 昨日の討論にも出席していた安藤裕議員が主催する「日本の未来を考える勉強会」で、中野剛志さんと三橋貴明さんが若手政治家の皆さんのために行なった動画です。

 とにかく見てみてください。世の中には、こういう「非常識」がたくさんあります。ここでいう「非常識」とは単に「常識にあらず」という意味であって、常識が間違っている場合、その「非常識」こそが正しいということがあるのです。いろいろな分野で。

 常識とは「思考停止」であり、「洗脳」であることが多い。学校ではその「常識」を教えなければならないわけで、私なんかからすると大変苦しい場です。まあ、私は国語の教員なので、まだ「非常識」について語ることができる立場ですがね(笑)。

 ちなみに、MMTにはまだ先があります。つまり「Modern」の先の「Future」があるのです。私はFMTまで見通しているつもりです(超非常識)。

 

 

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2019.07.07

【経済討論】MMT(現代貨幣理論)は日本を救うか?

 費税増税には私も反対です。このままでは財政破綻するという、財務省の「経済学」は大変古臭い。

 中学・高校はもちろん、大学の経済学部で教えられている経済学も同様です。賛否両論のMMTについて、保守派の皆さんが熱く語り合ったのが、このチャンネル桜の討論。大変面白かった。

 

 

 私なんかMMTも通り越して、「ストリーミング経済」ですからね。だれも理解してくれません(笑)。

 しかし、貨幣がどんどん具体から抽象になっていくという意味では、MMTと一緒ですね。抽象になるということは、物々交換とどんどんかけ離れていくということです。

 抽象になるということは、言語として流通するということです。すなわち、帳簿に金額を書くと貨幣が生じるのです。今や、帳簿も抽象化していますから、紙にペンで書くわけではありませんね。言語もより抽象度を増しているわけです。

 ストリーミングが可能な根拠も実はそこにあるわけです。ほしい金額を書く(入力する)と、そこに貨幣が生じ降りてくる。そこには誰か(神)との貸借関係が自然成立しています。

 かつての古典的な資本主義経済においては、誰かがもうかれば、誰かが損をするという「均衡・不均衡」の考え方がありましたが、今や貨幣はいくらでも創り出すことができます。

 そんな夢のような、錬金術や永久機関のようなことが可能ではないと考えるのも当然ですが、実はその貨幣創造の裏側に、古典的とも言える「信用創造」が伴っており、その「信用」の裏側には「善意」「利他」「誠実」といった、これまたスーパー古典的な「倫理」や「道徳」、さらには「宗教」とも言えるような抽象世界が広がっているのです。

 だから、私は経済の未来的発展は「人類の究極の修行」であると考えているわけです。宇宙経済では、そんなことは当たり前です。経済は「経世済民」であるという、これまた原点に帰るというわけですね。

 ま、こんな宇宙経済はもっと先の話として、とりあえずMMTを受け入れられるか、これもまた修行ですね。MMTは間違っていません。トンデモではありません。

 MMTの成功例として挙げられている我が国日本でありながら、その経済を牽引すべき政治家や学者さんは修行が足りないようです。

 コトを窮めてモノに至る。コトの権化「マネー」は今、急速にモノに近づいてきています。微分された粒子を無数に積分していくと波動に戻っていくのでした。

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2019.07.06

上映會&志村正彦展

 日の月江寺駅界隈は静かな賑わいを見せていました。静かな賑わい。

 日本中から集まったフジファブリック、志村正彦ファンの様々な想いが、富士吉田の街に静かな雨とともに溶け込んでいたと感じました。

Img_4311  月江寺駅には、11年前の市民会館凱旋コンサートの時の、あの横断幕が。

 実はあの横断幕は、当時担任をしていた女の子のお父さんが考え作ったものです。当時、月江寺や富士吉田(現富士山)、河口湖などの駅長を兼務していた方です。残念ながら、そのお父さんはその後亡くなってしまいました。とっても明るくて元気な方だったのですが。

 志村くんが亡くなった時、横断幕が、そのお父さんから志村家に寄贈されたというのは聞いていました。それが、こうして11年ぶりに復活した。それを見上げるファンの皆さん。11年ぶりに再びという方もいるでしょうし、初めてという方もいる。そう、あの頃のファンに加え、若い新しいファンもたくさん集まってくれました。

 きっと志村くんも駅長さんも喜んでくれたことでしょう。

 今日はその「市民会館」…富士五湖文化センターを志村くん含め地元民はそう呼んでいた…で、「上映會」が開かれました。市民会館大ホールは、その後改装され「ふじさんホール」になりました。

Img_4316  私が志村くんと初めてお話し、また握手したのは、市民会館大ホールの楽屋でした。本当に忘れられない思い出です。

 私は残念ながら「上映會」には参戦できませんでした。なぜなら、「市民会館」3階で「園長會」があったからです。11年前には考えもしませんでしたが、今年から私は園長になったのです。

 志村くんの実家は、その幼稚園のすぐ近くですが、彼はうちの幼稚園の出身ではありません。当時のご実家(志村商店」のすぐ隣の保育園に通っていました。

 その時の担任がまた、横断幕の駅長の娘と同級生の女の子のお母さんでした。小さい時から、吸い込まれるような目をしていた。人と違う感性を持っていたと、そのお母さんからよく聞いていました。

 今日は上映會に伴って、地元の志村くんの友人たち「路地裏の僕たち」主催の「志村正彦展」も開催されていました。保育園当時の写真も展示されていましたね。ホント可愛い男の子ですね。

Img_4312  路地裏の皆さんとも少し話しましたが、志村くんの言葉や音楽は、これから世界でますます評価されていくと思います。そういう普遍性を持っている。へんちくりんだと感じたのは、それが時代の先を行っていたからです。というか、ものすごく大きなスケールの「物語」だったので、私たち凡人にはその普遍性に気づけなかったのです。

 しかし、それがこの下吉田の月江寺界隈に根ざしている、すなわちローカルがグローバルを支えるという、ある意味最先端の真実を示しているのが面白い。やっぱり、月江寺界隈を抜きにして、彼の音楽と言葉は伝わりません。

 私は、違った面からも、富士北麓を未来地球の中心にしようと企んでいるのですが、志村くんはその象徴になると予感しています。

 思えば、そんな志村くんについて、彼に関係の深いアーティストと「ここ」で語り合いましたっけ。レミオロメンの藤巻亮太くんとはふじさんホールで、THE YELLOW MONKEYの吉井和哉さんとは月江寺の池のほとりで…。

 そんな奇跡的な出会いも、志村くんの天からの計らいであったのでしょう。

 私はこれからもずっと、志村くんの音楽を聴き続け、たまに演奏もし、そして発信していくことでしょう。あらためて志村くんに感謝します。

 

 

 

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2019.07.05

Googleは過去(うんこ)の商売

Th_-20190707-83315  日Google様のお世話になっております。皆さんもそうでしょう。

 Google検索のワードの履歴を見ますと、まるで自分の日記を読むような感覚になります。その日のことをいろいろ思い出しますよね。

 そう、実はGoogleは過去の商売なのです。「過去の商売」というのは、もう時代遅れという意味ではなく、「過去で商売している」ということですね。

 いつかも書きましたが、Googleの目指しているところは、「世界のインデックス化」すなわち「世界のコトの整理整頓」です。言葉(コトのは)をはじめとする様々な「情報(コト)」を収集して整理している。

 その収集するコトは、収集できるわけですから、すでに存在しているコトです。存在というより認識したコトですね。すなわち、それは過去のコトです。まだ見ぬモノは収集できない。

 仏教(禅宗)でいうと「過去はカス」ですから、Googleはゴミ収集業者だということです。そして収集したカスを整理して再利用している。いや、再利用させるべくカスを売っているわけです。

 たとえば、最近テレビで見るこのCM。マツコさんが見ているのは、過去のマツコさんです。カスのマツコさん、マツコさんのカス(うんこ)だとも言える。

 

 

 Googleはとっても最先端で、そして未来を見せてくれるかのように感じますが、実は現在すら見せてくれません。商品はすべて過去です。カスです。うんこです(笑)。

 そういう意味で、私はGoogle様のお世話になっていますが、それに今の自分が支配されている感覚はありません。過去の誰かの、未来への妄想は記録されていますが、今の私の、未来への妄想はどこにも書いてありませんから。

 Googleが見せてくれるコトたちが、カスであり、うんこであると思うと、それだけでも人生が豊かになりますよ。うんこに振り回され、うんこに感心し、うんこに動かされ、また人のうんこを誰かに語るような人生は、そりゃあ避けたいですよね(笑)。

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2019.07.04

「恋人」の心の機微(その2)

 日の続きとなります。今日はもっとどうでもいい「恋人」の心の機微についてです。

 実はこのヴィヴァルディの恋人、残っている手稿に不思議な部分があるのです。

 第1楽章の冒頭のホ長調のテーマのあと、最初のソロが始まります。そのソロで5度上に転調し、ロ長調でテーマが再現されます。これはよくあるパターンですよね。そして、2回目のロ長調のテーマは少し短縮ヴァージョン。それもよくあること。

 問題はですね、ホントどうでもいいのですが、24小節目なんです。ロ長調に転調しているのですが、3拍目の二番目の音「ラ」に♯がついていないんですね。

20190705-80756

 もし、テーマを忠実に再現するとなると、そこは8小節目に対応しますから、これをそのまま5度上げると「ラ♯」になるはずなのですね。下の楽譜が8小節目です。二つ目の音、ホ長調ですから「レ♯」です。

20190705-80815

 実は、バロック時代の楽譜では、こういうことはしょっちゅうありまして、まあ書き忘れたとか、書くまでもないとか、そういうことなのでしょうけれども、しかし、また考え方によってはですね、この時代には、同じ小節内で、複数の同じ音に同じ臨時記号がつく時は毎度つける(現代では最初の臨時記号がその小節内で有効)習慣があったので、あえて書いてないということは、やはりナチュラルのラを弾け!という意図かもしれないとも言えるのです。

 実際、様々な録音で解釈が分かれており、たとえば昨日聴いていただいた古いイ・ムジチの演奏では「ラ♯」で演奏していますが、最近の古楽器の演奏では、ナチュラルの「ラ」で演奏することが多くなっています。

 たしかに、和声学的には、ここはどちらでもOKですけれども、表現されるニュアンスはだいぶ違ったものとなります。あえて言うなら、ナチュラルだと全然ナチュラルでなくブルージーになる。ちょっとした陰影を感じるんですね。一瞬(0.1秒くらい?)ですが。

 音楽って不思議ですね。意識や感情の世界と密接に関わっているし、それが全世界ほぼ共通なのですから。

 というわけで、今日は、バロック・ヴァイオリンの名手アンドルー・マンゼのソロと指揮、イングリッシュ・コンサートの「ブルージー」ヴァージョンを聴いていただきましょう。テンポが早すぎて全然情緒がない古楽器の演奏が多い中、これは出色のロマンチシズムですよ。

 

 

 

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2019.07.03

「恋人」の心の機微(その1)

 イトルからすると、ワタクシらしからぬ内容のようですが、実はワタクシらしい内容です(笑)。

 ほとんどの方にはどうでもいいことでしょうけれども、どうも気になると気になり続けてしまうタチなので、スミマセン。

 「恋人」というのは、私の恋人(愛人?)のことではなく、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲「恋人」のことです。

 この「恋人」、本当にヴィヴァルディらしからぬチャーミングな曲ですね。中学時代に初めて聴いてから今まで、いったい何度聴き、そして弾いてきたことでしょうか。

 「恋人」という名前は、作曲者本人ではなく、後世の人たちが私と同じ印象を抱いて命名したものだと思います。

 ヴィヴァルディの無数の楽曲の中でも最高の出来だと思いますよ。正直、謎なセンスの曲が多い中、のちの古典派、いやロマン派を想起させるような甘いカンタービレの連続には驚きます。

 ちなみにヴィオラのパートがものすごく雄弁に書かれているんですよ。さらにそのヴィオラは、どうもテナー・ヴィオラだったようで、ハ音記号とヘ音記号混在で書かれており、最低音も通常のヴィオラのCを下回るG♯になっています。いや、テナー・ヴィオラ(ヴァイオリンの1オクターヴ下)だと高すぎる音(E)もあるので、ここはやはり下からFCGDAの5弦ヴィオラだったかも。そこも私好みですね。

 とういわけで、今日の「心の機微」その1は、ソロ・ヴァイオリン並みに振幅大きく揺れ動くヴィオラのパートです。中声部はいわば潜在意識に当たるでしょう。恋人の揺れ動く潜在意識をお楽しみください。

 今日は、私を魅了した名録音、フェリックス・アーヨのソロとイ・ムジチの演奏をお聴きいただきます。

 

 

第1楽章

 

第2楽章

 

第3楽章

 

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2019.07.02

パッヘルベルのカノン(の視覚化)

 レビでご覧になった方もいらっしゃるでしょう。名曲アルバム+の「カノン」。お見事です。

 カノンやフーガというのは、もともとが「絵画的」「デザイン的」ではありますが、実際にそれを視覚化するとなると、そこには「センス」が問われます。

 私たちのように、普段この曲をよく演奏している者は、たしかにこれに近いイメージをもっているかもしれません。アンサンブルのしかたとしては、こういうふうに視覚化して、細かいところを合わせている、あるいは全体像を作っているところがあります。

 そういう意味でも、この「視覚化」は素晴らしいと思います。大西景太さんGJすぎます。もともと音楽の視覚化に挑戦されている方ですし、ご自身も演奏する方ですからね。御本人による解説が実に興味深い。

 途中までですが、YouTubeで観られます。もともと短縮バージョンでしたので、できればいつか全編観てみたいですね。バッハのフーガなんかもぜひ!

 

 

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2019.07.01

吾妻光良&The Swinging Boppers『Scheduled by the Budget』

Th_81ymhkqb5l_sl1500_  昨日、ビッグバンドのことについて書きました。あの日も「オジサン」「オヤジ」たちの演奏が抜群に良かった。圧倒的でした。

 いや、この前の地元オヤジバンドのパワー、楽しさ、集客力にも驚いたのですが、今の日本、一番元気なのは、オジサン、オバサン、あるいはジジイ、ババアですよね(笑)。

 日本の国力が落ちたって言いますけど、いやはやそれは、定年過ぎた方々のパワーを社会で使いきれてないからですよ。

 あの、あまりにパワフルな「昭和」のど真ん中で日本を牽引した人たち。働き盛りに昭和の空気を吸っていた方々の潜在、いや顕在的な能力はものすごいものがありますよ。

 そういう人たちの力をうまく使えば、これからまた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代が来ることでしょう。昭和とはまた違った形の「世界一」になります。

 その世代の方々は、いい意味で型にはまっていないし、いい意味で「いい加減」で「適当」です。「いいかげん」や「テキトー」ではなく、いい塩梅なんです。だから自由。

 音楽でもそうです。この吾妻光良さんの変わらぬパワーと自由さに触れてしまったら、今の若手アーティストなんか、なんだか実にスケールが小さい。きれいにまとまっているけど、全然パワーが感じられない。

 今日、尊敬すべき「オジサマ」から、このアルバムを紹介されました。さっそく聴いてみて、とにかくビックリ。やられた〜、負けた〜って感じですよ。なんですか、この「ゴキゲン」ぶりは(笑)。

 吾妻さんの変わらぬ言語センスにも脱帽です。相変わらず、時代の最先端のワードを駆使しながら、しかし、とっくに時代から遠くに立っている。めちゃくちゃ時代遅れだと自虐的に歌っていますが、それがなぜかめちゃくちゃ新しく感じる。

 実際、若者にも最近人気があるというじゃないですか。実に素晴らしいことです。これほどストレートに響く歌詞とメロディーと歌唱というのも、ホント久しぶりに聴いたなあ。思わず吹き出してしまいましたよ。

  自分もかなりオジサン、オヤジになってきました(もうとっくか)。気持ちは若いつもりでいましたが、そんなコトはとっくに飛び越えて、まんまのオジサン、オヤジの境地になった方がいいなと考え直しました。

 

 あっそうそう、オジサンの中の紅一点、EGO-WRAPPINの中納良恵さんの「Misty」がなんだかとっても良かった。こういうのもオヤジ効果なんだよなあ。

 

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