今 日の月江寺駅界隈は静かな賑わいを見せていました。静かな賑わい。
日本中から集まったフジファブリック、志村正彦ファンの様々な想いが、富士吉田の街に静かな雨とともに溶け込んでいたと感じました。
月江寺駅には、11年前の市民会館凱旋コンサートの時の、あの横断幕が。
実はあの横断幕は、当時担任をしていた女の子のお父さんが考え作ったものです。当時、月江寺や富士吉田(現富士山)、河口湖などの駅長を兼務していた方です。残念ながら、そのお父さんはその後亡くなってしまいました。とっても明るくて元気な方だったのですが。
志村くんが亡くなった時、横断幕が、そのお父さんから志村家に寄贈されたというのは聞いていました。それが、こうして11年ぶりに復活した。それを見上げるファンの皆さん。11年ぶりに再びという方もいるでしょうし、初めてという方もいる。そう、あの頃のファンに加え、若い新しいファンもたくさん集まってくれました。
きっと志村くんも駅長さんも喜んでくれたことでしょう。
今日はその「市民会館」…富士五湖文化センターを志村くん含め地元民はそう呼んでいた…で、「上映會」が開かれました。市民会館大ホールは、その後改装され「ふじさんホール」になりました。
私が志村くんと初めてお話し、また握手したのは、市民会館大ホールの楽屋でした。本当に忘れられない思い出です。
私は残念ながら「上映會」には参戦できませんでした。なぜなら、「市民会館」3階で「園長會」があったからです。11年前には考えもしませんでしたが、今年から私は園長になったのです。
志村くんの実家は、その幼稚園のすぐ近くですが、彼はうちの幼稚園の出身ではありません。当時のご実家(志村商店」のすぐ隣の保育園に通っていました。
その時の担任がまた、横断幕の駅長の娘と同級生の女の子のお母さんでした。小さい時から、吸い込まれるような目をしていた。人と違う感性を持っていたと、そのお母さんからよく聞いていました。
今日は上映會に伴って、地元の志村くんの友人たち「路地裏の僕たち」主催の「志村正彦展」も開催されていました。保育園当時の写真も展示されていましたね。ホント可愛い男の子ですね。
路地裏の皆さんとも少し話しましたが、志村くんの言葉や音楽は、これから世界でますます評価されていくと思います。そういう普遍性を持っている。へんちくりんだと感じたのは、それが時代の先を行っていたからです。というか、ものすごく大きなスケールの「物語」だったので、私たち凡人にはその普遍性に気づけなかったのです。
しかし、それがこの下吉田の月江寺界隈に根ざしている、すなわちローカルがグローバルを支えるという、ある意味最先端の真実を示しているのが面白い。やっぱり、月江寺界隈を抜きにして、彼の音楽と言葉は伝わりません。
私は、違った面からも、富士北麓を未来地球の中心にしようと企んでいるのですが、志村くんはその象徴になると予感しています。
思えば、そんな志村くんについて、彼に関係の深いアーティストと「ここ」で語り合いましたっけ。レミオロメンの藤巻亮太くんとはふじさんホールで、THE YELLOW MONKEYの吉井和哉さんとは月江寺の池のほとりで…。
そんな奇跡的な出会いも、志村くんの天からの計らいであったのでしょう。
私はこれからもずっと、志村くんの音楽を聴き続け、たまに演奏もし、そして発信していくことでしょう。あらためて志村くんに感謝します。
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