怨敵=菩薩 〜「菩薩願行文」
昨日今日と、今年初めての宿泊座禅がありました。自分は指導者であり、また(なんちゃって)老師役なので、ゆっくり座禅をする機会がなく、ちょっと寂しく思います。
また、昨年も参加していた岐阜は美濃加茂の名刹正眼寺さんでの宿泊研修が、昨年の猛暑のこともあってこの新緑の季節に変更になったのですが、所用で参加できず、またまた残念であります。
今年は修行が足りない年になりそうです(笑)。さてさて、その代わりと言ってはなんですが、ここのところ禅に関する本を何冊か読んでいます。その一冊が、正眼寺の山川宗玄老大師さまの「禅の知恵に学ぶ」です。NHK「こころの時代」今年度上半期のテキストです。
この示唆に富むテキストの最後に、「菩薩願行文」についての解説があります(さらに巻末には「写経 菩薩願行文」が付録として掲載されています)。
このお経、実は毎週水曜日の朝に、職場で読んでいるのものです。その中で、私自身ずっと心に響いていた(考えさせられていた)部分がありまして、それを山川老師がこのテキストの中で取り上げ、解説してくれています。
今日はその部分だけ紹介します。
まずは本文。
設(たと)え悪讐怨敵と成って吾を苦しむることあるも、此れは是れ菩薩権化の大慈悲にして無量劫来我見偏執によって造りなせる吾身の罪業を消滅解脱せしめ給う方便なり…
山川老師の訳。
私が誰かに理不尽に、憎き仇敵のように罵られ、暴力をもってひどく苦しめられたとしても、よくよく自分を反省してみれば、これは仏の大いなる慈悲の「お心」の顕われで、この者こそ、その仏の化身と受け取らなければならない。過去の過去世より今日まで、幾世にわたり、自らの愚かさによって、他の人や他のいのちを害(そこな)い苦しめ、無数の罪業を重ねてきた私であるが、如今(いま)受けているこの業苦によって、薄紙を剥ぐように、つくり上げた罪業を一枚一枚、消滅させてもらえるのだ。その結果、如来解脱の境地に導いていただける。まことに、これこそ仏のありがたい方便で…
いかがでしょうか。皆さんには、嫌いな人も苦手な人も、憎らしい敵も悪口を言ってくる人もいることでしょう。その人たちを「菩薩」だと見ることができますか?私はこのお経を三十年以上毎週水曜日に読むことによって、なんとなくですが、そういう境地がわかるようになってきました。
これは理屈ではありません。時間をかけて経験的に、「今考えると、あの人のおかげだったな」と思えるようになる。無理やり思う必要はありません。そうした経験と実感を一度持てれば、「今」目の前にいる「いやな人」のことも受け入れられるようになるかもしれませんね。
その人にはその人のお役目があるのでしょうし、自分自身もまた、誰かの「怨敵」になっているかもしれません。いつか書いた向嶽寺の老師のお話「逆縁」とも重なりますね。
皆さんもこのお経を味わってみてください。できればこのテキストも手に入れてみてください。
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