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2019.04.15

トロッコ問題

 Th_d33enk3u0aanz2f 々ネットで話題になる「トロッコ問題」。学校でもよく使われる「教材」です。
 学校で教材として使うと、多くの生徒が第三の解答を求め始めます。つまり二択は難しいわけですね。難しいから問題なのですが。哲学的、倫理的な問題だと言われると余計に難しい。人間性を試されているような気がするからです。
 個人的な感情を排して論理的に考えると、実は答えは一つになります。自動運転の研究の中で、このトロッコ問題が問題になっているかと言えば、実は問題になっていなくて、答えは一つです。AIには個人的な感情はプログラミングされていません。
 しかし、その無感情こそが問題になるわけです。そこを授業でやると面白い。
 たとえば、横断歩道を渡る6人がいるところに車が突っ込むとする。前の3人は歩くの早い若者、後は遅い老人だとすると、ハンドルはどちらに切られるべきか。これが前の二人が犯罪者、中がニート、後が東大生だったら…とか、そこに動物や知り合いやいろいろなものを混入させていくと、どんどん生徒は迷うようになり、答えが何種類にもなっていくことを実感します。
 それがAIだと答えは一つであると説明すると(もちろん極論です)、「自動運転なんかいらない!」とだいたいの生徒が言い出す。面白いですね。シンギュラリティはこの時点ですでに実現不可能になるわけですね。
 さらにもっと複雑でほとんど無限の可能性のある「現実」で考えていくと、結局その刹那の直感で決断していくしかないことが分かってきます。
 こういう難問にぶち当たらせると、生徒はだいたいふざけ始めます。第三どころか第四、第五の、ほとんどウケ狙いの答えを提示するようになってくる。
 つまりお笑いとは、複雑すぎて解決困難な現実問題の昇華であることがわかりますね。そういうところまで伝えると生徒はとっても嬉しそうな、安心したような表情になります。
 ちなみに、トロッコ問題について、私は個人的な感情込みでも一つの答えにたどり着きます。すなわち、ポイントを切り替えて一人の作業員の方に向かわせるという決断です。
 それはある意味では第三の解答ということになるかもしれませんが、未来の不確定性を考えると、つまり、未来は変えることができる可能性があるということを考えた時、作業員がなんらかの方法で逃げて、あるいは突然の大地震でトロッコが脱線するとかして、死者が出ないですむ可能性を考えた時、その死者が出ない可能性というのは、明らかに一人の方が高い。
 これは何人が亡くなるかというマイナスの視点ではなく、何人が助かるかというプラスの視点からの判断です。
 一般的に、何人が亡くなるかという観点からすると、そこに倫理的、道徳的な「感情」が発動してジレンマが発生します。5人のために他の1人を殺してもいいかというジレンマですね。命を数値化することに対する抵抗もある。
 そこでプラスの発想ができるのも、実は様々な判断を下す際のコツのようなものなのでした。

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