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2019.04.19

BACH TO THE FUTURE

 昨日紹介したノートルダム大聖堂のパイプオルガン。その後の情報でも基本的に無事だったようで、とにかくは一安心。
 今日ご覧いただくのは、大聖堂オルガニスト、オリヴィエ・ラトリーの超カッコいいバッハです。まさに「BACH TO THE FUTURE」。未来への希望が感じられる演奏です。
 昨日はイエモンの超カッコいいロックを紹介しましたけれど、こっちも負けませんよ。バロックというかロックですね。たしかに、このいわゆる「トッカータとフーガニ短調」は、バッハの作品の中でもかなりの変わり種。若気の至りというか、かなり破天荒な音楽です。トッカータ部分もフーガの部分も、正直バッハらしくない。
 もとはヴァイオリンの無伴奏曲だったとか、他人の作品だとか、まあいろいろな説はありますが、それは実はどうでもよくて、この作品自体がかなり未来的な挑戦的な作品であることを認める方が重要です。いわば「ロック魂」で作られていると。
 だから、このロックな映像も見事ハマる。本当にロックのMVのようですね。カッコいい。
 そして、なんというか、因縁めいているのは、まるでノートルダム大聖堂が燃えているような感じではないですか。「BACH TO THE FUTURE」だったのかもしれません。映像の記録としてもかなり貴重なものとなるでしょう。

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2019.04.18

THE YELLOW MONKEY 『9999』

Th_61yalk3kehl れしい。くやしい。かっこわるい。かっこいい。オレも頑張るぞ!
 イエモン19年ぶりのニューアルバム。昨日発売になりました。昨日からずっと聴き込んでおります。同世代として、こういう成熟ぶりを見せてくれると本当に刺激になります。
 もう細かいことは書きません。書きたいけれど書きません。音楽についてずっと語ってきましたが、もう語るのをやめて、ひたすら聴こうと思わせてくれるアルバムです。
 ただ一言。やっぱり吉井和哉の歌詞はすごい!これってある意味、私の人生に対するアンチテーゼですよ。だからこそスカッとする。
 ここからはあえて「吉井くん」と呼ばせていただきます。後輩の吉井くんにこれだけ気持ちよく挑発されると、オレも黙っていられなくなるよ!
 そう、吉井くんは中学の後輩。イエモン再集結の少し前には、本当に不思議なご縁から(ライヴで拝顔していたのを除けば)ウン十年ぶりに再会して、中学時代のことや、志村正彦くんのことについて話しました。吉井くんと「大岩中央スーパー」の話したのは、たぶん私だけです(笑)。
 まあある意味、それだけ共通した青春の記憶があるということです。あの鬱屈した、カッコつけてもカッコ悪い時代の風景を共有している。そして、彼はこんなにカッコいい五十代になっている。オレだって負けていらない!本気でそう思うのでした。
 アンチテーゼというのは、彼が全く勉強をしない少年だったことに起因します。そう、つまり、私はまあ比較的優等生で、それなりに文学や言語の勉強をして国語のセンセイになり、なっちゃって歌人をきどったりしているワケですが、彼はですね、そんな勉強はしていないのに、しかし、今や現代日本を代表する「詩人」になっているわけですよ。
 学校で習う、お行儀の良い日本語なんかからとっくに自由だから、だからはっとさせられる詩を書くことができる。悔しいけれど、私には絶対に不可能です。たとえ中学時代に戻って、彼と同じように学校をさぼっても(笑)。
 それと気持ち良いくらいに嫉妬してしまうのは、こんな音を奏でる、こんなアンサンブルのグルーヴを出せる仲間が彼にはいるということに対してですね。今回のアルバム、本当にそれぞれの楽器の音がすごい自己主張しているのに、しかしそこに共通の「愛」があるからか、全体としては不思議と落ち着いたバンド・サウンドになっている。それだけでも涙ちょちょぎれです。
 あと、やっぱり「愛」なのは、エッジのきいたロック・ナンバーと、実に優しいバラードのバランスの良さですね。荒魂と和魂の幸せな融合、融和。泣けます。
 ああ、結局、語ってしまったではないか。チクショー!吉井和哉、いや一哉にすっかりやられてしまった。悔しいから武道館行きます!

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2019.04.17

ノートルダム大聖堂のパイプオルガン

Th_002notredameorganrestricted 物自体もそうですが、多くの文化財が失われる危機に瀕しているノートルダム大聖堂の火災。
 音楽好きとしては、やはりあの巨大パイプオルガンのことが心配になります。
 現地の友人によると、最悪の事態は避けられたとのこと。とはいえ、かなりのダメージがあることでしょう。
 ノートルダム大聖堂のパイプオルガンは、18世紀に設置されて以来、何度も改良、増築、修復が重ねられ現在の姿になりました。いろいろな時代の技術の粋を集めた名器と言えます。
 23歳で大聖堂のオルガニストになり、以来30年以上演奏を続けているオリヴィエ・ラトリーの即興演奏を聴いてみましょう。

 ノートルダム大聖堂と言えば、西洋音楽の歴史そのものと言ってもいい存在ですね。ノートルダム楽派という音楽史上の分類があるくらいですから。ある意味、五線譜や和声、ポリフォニーからホモフォニーに至るまでの、現代西洋音楽の重要要素がここで実験され創造されたとも言えます。
 特に聖堂の構造による独特の残響が音楽の創造や発展に影響したことは間違いないでしょう。
 今回の火災では、焼失という最悪の事態は避けられたとのこと。聖堂自体はこれから再建されることでしょう(デジタルデータ化は済んでいた)。再建なり、オルガンも復活した折には、全く新しい音楽が生まれることになるのかもしれません。
 
 

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2019.04.16

ノートルダム大聖堂大火災

Th_wor1904160008p1_5 ろしい光景です。神の怒りなのか。人類はただ絶望しておればよいのか。キリスト教文明の試練なのか。
 祈りの場が突如灰燼に帰すことはあります。その意味をどう捉えるかが、実は信仰者がその祈りの質を問われることになります。
 私の身近なあるところでも、聖域が突如火災に見舞われました。全焼。文化財も全て焼き尽くされた…しかし、ほんの一箇所だけ焼け残ったところがあり、そこから誰も知らなかった貴重な「書きもの」が出てきました。
 それはまさに「今」必要なものでした。火災という荒魂が発動しなければ、絶対に見つからなかったものです。ノートルダム大聖堂においても、きっとそのような「発現」があることでしょう。そこにはキリスト教文明、すなわち西洋文明の未来に関わる重要なヒントが隠されているはずです。
 このような荒魂が発動する時というのは、今回の火災のように人命は奪われないことがほとんどだと聞きました。
 神の、宇宙のスケールから言えば、それは小さな火であり、たしかに残念ではありますが、本質から離れて大事にしてきた「財産」から、私たちを強制的に解放する仕組であるとも考えられます。
 多くの人類が「本質」に気づくことを祈ります。

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2019.04.15

トロッコ問題

 Th_d33enk3u0aanz2f 々ネットで話題になる「トロッコ問題」。学校でもよく使われる「教材」です。
 学校で教材として使うと、多くの生徒が第三の解答を求め始めます。つまり二択は難しいわけですね。難しいから問題なのですが。哲学的、倫理的な問題だと言われると余計に難しい。人間性を試されているような気がするからです。
 個人的な感情を排して論理的に考えると、実は答えは一つになります。自動運転の研究の中で、このトロッコ問題が問題になっているかと言えば、実は問題になっていなくて、答えは一つです。AIには個人的な感情はプログラミングされていません。
 しかし、その無感情こそが問題になるわけです。そこを授業でやると面白い。
 たとえば、横断歩道を渡る6人がいるところに車が突っ込むとする。前の3人は歩くの早い若者、後は遅い老人だとすると、ハンドルはどちらに切られるべきか。これが前の二人が犯罪者、中がニート、後が東大生だったら…とか、そこに動物や知り合いやいろいろなものを混入させていくと、どんどん生徒は迷うようになり、答えが何種類にもなっていくことを実感します。
 それがAIだと答えは一つであると説明すると(もちろん極論です)、「自動運転なんかいらない!」とだいたいの生徒が言い出す。面白いですね。シンギュラリティはこの時点ですでに実現不可能になるわけですね。
 さらにもっと複雑でほとんど無限の可能性のある「現実」で考えていくと、結局その刹那の直感で決断していくしかないことが分かってきます。
 こういう難問にぶち当たらせると、生徒はだいたいふざけ始めます。第三どころか第四、第五の、ほとんどウケ狙いの答えを提示するようになってくる。
 つまりお笑いとは、複雑すぎて解決困難な現実問題の昇華であることがわかりますね。そういうところまで伝えると生徒はとっても嬉しそうな、安心したような表情になります。
 ちなみに、トロッコ問題について、私は個人的な感情込みでも一つの答えにたどり着きます。すなわち、ポイントを切り替えて一人の作業員の方に向かわせるという決断です。
 それはある意味では第三の解答ということになるかもしれませんが、未来の不確定性を考えると、つまり、未来は変えることができる可能性があるということを考えた時、作業員がなんらかの方法で逃げて、あるいは突然の大地震でトロッコが脱線するとかして、死者が出ないですむ可能性を考えた時、その死者が出ない可能性というのは、明らかに一人の方が高い。
 これは何人が亡くなるかというマイナスの視点ではなく、何人が助かるかというプラスの視点からの判断です。
 一般的に、何人が亡くなるかという観点からすると、そこに倫理的、道徳的な「感情」が発動してジレンマが発生します。5人のために他の1人を殺してもいいかというジレンマですね。命を数値化することに対する抵抗もある。
 そこでプラスの発想ができるのも、実は様々な判断を下す際のコツのようなものなのでした。

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2019.04.14

ブラックホールとホワイトホール

Th_190411_blackholew1280 週のニュースになりますが、なんと「ブラックホールの撮影に成功」したとのこと。
 もちろんブラックホール自身は光をも吸い込んでしまう存在なので、それを写真に撮影することはできません。しかし、そのあまりに強力な重力の影響は、その周囲に異常な現象を引き起こします。
 それを撮影したのが今回の「ブラックホールの写真」ということになります。
 細かい学術的なことは専門家におまかせしましょう。ここは私なりのブラックホール観(感)を披露させていただきます。
 私、この「写真」を見た時、「あっ、これ見たことある」と思いました。
 色合いは違うのですが、何年か前に遭遇したUFOがこんな感じのドーナツ型だったのです(こちら参照)。
 小型UFOとブラックホール、全然関係なさそうですよね。いや、私の中では実はちょっとつながっているのでした。
 というのは、私にとってのブラックホールはですね、その向こう側に必ず「ホワイトホール」が意識される存在なんですね。おそらく小学生の時に読んだ「ホワイトホール」という本の影響でしょう。いまだにそれが続いている。
 ホワイトホールの可能性は、アインシュタインの一般相対性理論からは導き出せますが、一方でその実在は疑われています。SFの世界では、ワープの出口として扱われることが多い。
 私は、小学生の時からなぜかホワイトホールの存在を信じていました。というのは、入り口と出口の関係というよりは、ブラックホールの鏡像としてのホワイトホールをイメージしていたんですね。
 つまり、空間的にも時間的にも完全に反対の世界。そういう意味ではブラックホールと同じものということになります。それが同時に存在している。時間の流れの方向を、一般的な地球上のというか、人間の一方通行的感覚でとらえると、「同時」の意味がよくわからなくなると思いますが、宇宙の時間観の中では自然に同時に存在できるのです(と小学生の時から思っていた)。
 こんなところが、私の宇宙人たるところなのかもしれませんが(笑)、実はその理論というか感覚からすると、UFOというのは乗り物というよりも、そうした時空の歪みの周辺に起きている現象ということになるのです。
 ですから、私が出会った小型UFOも、おそらくそこに誰か乗っているというよりは、そこの時空がなんらかの原因で歪んでいたということだと思っています。あのまま車ごと吸い込まれていたら、今私とカミさんはどこにいるのでしょうか。ちょっとそこに行ってみたい気もします。いや、今ここがまさにそこなのかもしれませんね(笑)。

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2019.04.13

上野千鶴子のボケ祝辞

Th_-20190414-163330 ケ祝辞シリーズ(?)。
 いや、これってボケですよね?
 たけしさんが東大でこの祝辞を述べたら、それはそれで面白い!ということになる。
 なんで、これが絶賛されたりするのでしょう。
 いや、内容はいいのです。上野千鶴子さんのご著書も何冊も読んでいますし。この時代ですから、まあフェミニズムも認めましょう。
 しかし、これは祝辞ですよ。祝辞。入学式の祝辞です。お祝いです。
 だから、「ボケ」なんですよ。祝辞としてボケているわけです。
 まあとにかく読んでみてください。

東京大学学部入学式 祝辞(上野千鶴子)

 自説をとうとうと述べる場ではないでしょう。女子学生だけではないし、女子学生にしても様々な人がいる。男子学生にだってまともな人がいる。
 これを東大らしいとするなら、私は憂えますね、東大を。
 「場」というものがあります。その「場」をわきまえないのというのは、どうなんでしょうか。
 昨日書いたように、たけしの祝辞は、その対象たる天皇陛下への理解と愛の賜物でした。はたして上野さんの祝辞は、その対象たる新入生への理解と愛に満ちていたでしょうか。
 社会問題を解決してほしいという願いがこめられているのはわかりますが、ご自身の専門分野の話をこんもりと押し付けるのは、さすがにちょっと違うと思います。
 こうして東大新入生以外の人たちの賛否両論を巻き起こすのが目的だとしたら、それは成功したかもしれませんが、それではますます「場」の「祝辞」ではありませんね。
 現場で聴いていた方々、つまり新入生とその保護者の皆さんの正直な感想を知りたいところです。
 

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2019.04.12

たけしのボケ祝辞

Th_-20190414-143801_1 下のご即位三十年記念式典で、たけしさんが思いっきりボケ倒したとのこと。
 なにしろ天皇陛下に対する祝辞ですからね。不敬だ!と騒ぐ人もいるようですが、私は全然問題ないどころか、とても愛情に満ちた祝辞だと感じました。
 まずは全文読んでみましょう。

陛下即位三十年式典でもたけし流ボケ倒し祝辞 全文

 これをですね、たけし流ではなく、全くまじめにやったら、それはその方が不敬かもしれません。陛下はたけしさんのことをよくご存知のはずです。なにしろアウトレイジ3をご覧になっているくらいですから(笑)。
 すべての国民を愛する天皇陛下としては、その国民に愛されているたけしさんには、普段の姿、言葉、センスでお祝いしてもらいたかったことでしょう。
 たけしさんも、そのあたりと場の空気とのバランスを考えて、実にちょうど良い「ボケ」をかましてくれたと思いますよ。お見事。さすがです。

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2019.04.11

安藤輝三大尉の遺品が鈴木貫太郎記念館に…

Th_-20190412-84607 わず涙してしまうニュースでした。本当に本当に良かったと思います。なにか自分の中でも一つの区切りができたような気がしました。
 二・二六事件での、襲撃した側と襲撃された側とが、こうしてようやく一つになった。いずれも天皇のことを、日本という国のことを、国民のことを真剣に考えていたのに、あの時代の中でああいう結果になってしまった。
 しかし、それがのちの「開戦」と「終戦」を生むことになる。ここにさらに未来的な意味を見出さねばと思っていた私と家内にとって、このたびのこのニュースは一つの結論、ゴールを示すものとなりました。
 そう、こちらに書きましたとおり、私たち夫婦は3年前、安藤輝三大尉の墓前で偶然に、このニュースでも紹介されている安藤日出雄さんに出会いました。
 そして、そこで、まさに安藤輝三と鈴木貫太郎の話、さらに仲小路彰の話、出口王仁三郎の話をしました。二・二六事件がいかに未来的な事件であったか。安藤大尉も鈴木侍従長も、自らの命をかけて「天命」を全うしたのです。人間の微視的な感覚ではとても評価できるものではありません。
 私たちと日出雄さん夫妻とのお話が、その後の遺品発見、そして今回の奇跡的な和解、融合につながったとは申しません。ただタイミングが合っただけでしょう。しかし、巨視的に見れば、ここにも仲小路や王仁三郎の天からの意志が働いたとしか思えません。私たち夫婦もあの時は完全に動かされていました。
 本当に嬉しいことです。ぜひ、鈴木貫太郎記念館に赴き、安藤大尉の遺品を拝見しながら、天皇を中心とする「融和」「融合」「和解」がキーワードとなる、「令和」の未来について思いを馳せたいと思います。
 日出雄さんの、そして鈴木家の皆さんのご英断に心より感謝申し上げます。

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2019.04.10

もう一つの富士山(その12)…松竹映画の「富士山」

Th_que12117966987 年ぶりの「もう一つの富士山」シリーズ。以前のものはこちらからどうぞ。
 松竹映画のオープニング富士山。だれもが一度は目にしたことがあるでしょう。2015年に松竹創立120年と、富士山の世界遺産登録を記念して、新しいものになるまで、この映像が使われていました。
 富士山の近くに住んでいる私はもちろん、そうでない方でも、この富士山、リアル富士山ではないということは分かるでしょう。実はこの富士山、大船のスタジオに作られた模型であることが、こちらに書いてありました。

下地に石膏で形作られた1m80cmの富士山のミニチュアは、30cm高の台上に置かれ、その廻りを浅い水槽で取り巻き、ドライアイスを流し、その手前に移動レールの上に1m80cm幅に綿を置き、キャメラと綿雲の間にフォグメーカーでスモークを流すという三重構造で雲を作った

 違う話だと、この富士山は「絵」とのことで、私も「絵」だと思っていたんですが、どうなんでしょうか。もっと古いモノクロのものは模型なのでしょうか。
 いずれにせよ、稜線の角度が実物より急なのは明らか。これは太宰治も指摘しているとおり、本物の富士山の稜線は意外になだらかなのですが、私たちの頭の中の富士山はもっと急なのです。ですから、子供でも大人でも、富士山の絵を描かせると必ず急になる。
 そういうイメージに合わせて作られたのが、この松竹富士ということです。もちろん北斎も横山大観もかなり急に描いていますね。それが「日本流リアリズム」ですね。西洋の印象派を生んだ「脳内リアリズム」です。
 しかし時代の流れというのもあります。私たちはたしかに富士山の映像を観る機会が増えました。結果として、ある意味西洋的なリアリズム、すなわち現実の富士山に記憶が近づいてきた。
 そういうこともあって、2015年に新ロゴが作られたというのもあるでしょう。よりリアルになった松竹の富士山。旧松竹富士は山梨県側忍野の富士山をモデルにしているそうですが、今度は河口湖ですね。新道峠。忍野の富士山よりもスマートに見えるスポットです。

 リアルなだけでなく、最新のデジタル技術によって映画にふさわしい「物語性」を生み出していますね。いいと思います。
 一方、日本の伝統的「脳内リアリズム」をさらに未来的にした、別のロゴも作られました。これはこれでかっこいいですね。

 ブルーライン用もあります。

 皆さんにとっての「リアル」な富士山とはどんな姿でしょうか。日本の象徴は、このようにそれぞれの人たちの心の象徴でもあるのでした。そういう意味では「もう一つの富士山」は無数にあるということですね。
 

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2019.04.09

農口尚彦研究所 山廃吟醸

Th_img_3775 送迎会のシーズン。昨日と今日、続けての飲み会。ぜいたくなお料理とお酒を楽しんでおります。
 今日はある料亭にて、憧れの酒に出会うことができました。
 そう、日本酒通なら誰でも知っているであろう伝説の杜氏、農口尚彦さんのお酒があったのです。伝説の、なんて失礼ですね。2015年に一度引退を宣言されましたが、プロレスラーよろしく(?)2年間の充電期間を経て復活されました。今年御年86。日本酒の神様です。
 「研究所」というところがいいですね。まるで飯伏幸太の「プロレス研究所」みたい(笑)。
 さて、そんな研究所の作品の中で、今日出会ったのは「山廃吟醸」。これがまたうまかった。農口さん、たしかに山廃が得意ですよね。山廃(山卸廃止酛)は、ある意味近代の産物ですが、逆にそれによってより深みのある醸造方法になっています。テクノロジーが人間の新たな可能性を拓いた一つの例ですね。
 この山廃吟醸も実に濃厚な味わいです。しかし、不思議と柔らかい軽みのようなものもあり、アルコール度の高さを感じさせない喉越しの爽やかさがあります。
 これはもしかすると案外洋食にも合うかもしれない。原酒のような味わいだけれども、他の味覚にはあまり影響を与えない。そんな感じがしました。
 研究所の他のお酒もいただきたいと思います。それほど高くないですしね。ボトルのデザインも秀逸でした。

農口尚彦研究所

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2019.04.08

『科学と非科学 その正体を探る』 中屋敷 均 (講談社現代新書)

Th_61we2ytbz3l 1ヶ月ほど前に東大の入試問題に出題された、中屋敷さんの科学と非科学のはざまで…を紹介しました。
 そのまた1ヶ月前にこの本が発刊されていました。東大の入試問題ですっかり(勝手に)意気投合してしまった私は、当然この本を買って読み始めました。
 ものすごく面白いし読みやすかったので、線を引きまくったのですが、読破する前に、それこそ想定外の非科学的「モノ」に襲われまして、その分析と解釈と言語化(コト化)に奔走することになりました。しかし、いまだ「はざま」を漂っております。やはり人間に関わることは、そう簡単にシロクロはっきりさせられません。
 さらにそこに想定外の人事(ひとごとではないジンジ)が降りかかり、ますます非科学的な?毎日になっております。特に幼稚園児に関わるようになりまして、その「モノノケ」ぶりに振り回されている(笑)。
 なるほど、大人になるとは「科学的」になる(なろうとする)ことでもあり、しかし、何歳になっても、いくら仕事(シゴト)を一生懸命しても、自分の中にさえ「非科学的」なモノ(子ども)がいくらでも存在していることに気づかされ、結局安定しない。まあ安定する時は死ぬ時でしょうから、その不安定や不安こそが生命の本質なのでしょうね。
 人生とは、科学自身と同様に、目標というか理想は100%科学的なコト(おそらくマコトのこと)であるが、現実には不如意でゴールのないモノだというコトです。そう、お釈迦様の説いた「マコト」は、世の中「モノ」だよという唯一のコトなのでした。
 というわけで、この素晴らしい本の内容からはかけ離れた(いや実は密着している?)言葉の羅列になってしまいましたね。
 最後にもっと密着していて、かつかけ離れたことを書きます。そう、今まさに私は、誰の目にも再現性はあるが現在の科学では証明されない、あるモノ(物体)に大きく関わっています。これこそ、現代の魔術。未来の科学であると信じています。妖しくて結構。科学(コト)がいつそのモノに追いつくのか。楽しみですよ。

Amazon 科学と非科学

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2019.04.07

『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』 スコット・ギャロウェイ (東洋経済新報社)

Th_71duhozcml GAFA、すなわち Google、Apple、Facebook、Amazon はどのように世界を変えたのか。そして、10年後彼らはどうなっているのか。
 たしかに10年前、これほどまでにGAFAが私たちの生活を支配しているとは思いませんでした。同様に10年後の世界は、まったく今とは違う風景になっているのかもしれません。いや、なっていることでしょう。
 では、どうなっているのか。ただ一つはっきりしているのは、この四騎士の中ではAmazonが生き残るということです。それはこの本の著者だけでなく、多くの予言者たちが語っていることです。
 ここで、私という予言者も勝手なことを語りたいと思います。
 Amazonが他の三者と違うのは、物品という意味でモノを扱っていることです。他の三者は基本的に情報、つまりコトを扱っています。コトはコピー可能ですし劣化しませんが、モノはいくら大量生産品であっても個別の価値があって完全なコピーは不可能です。
 私たち人間自身がモノであるかぎり、私たちはコトだけを食べて生きていくことはできません。違う言い方をするなら、Amazonの最終的な強みは「食品」を扱っているところです。
 私自身、今のところAmazonで食品を購入しませんが、もしAmazonでしか手に入れられなくなったら…つまり、Amazonが取り扱う食品がどこのスーパーよりも新鮮で品質が良く、そして廉価であったなら、スーパーはどんどん潰れ、コンビニはかろうじて緊急用に生き残る程度になってしまったら…結局Amazonから毎日の食品、食材が届くことになるでしょう。
 それも特に注文しなくても、まさに今日食べたいモノが届く…それがAmazonの考えている次の一手です。食品に限らず、私たちがほしいと潜在的に思っているモノが見事なタイミングで「勝手に」届けられる。いらなければ返品すればよい。もしかすると1回くらいは無料お試しがついてくるかもしれない。
 そのように私たちの物質的欲望をハッキングして、その欲望を顕在化させ肥大化させるのが、Amazonの目論見です。
 な〜んて、私が勝手に妄想していますが、逆に言うと、そういう想定通りにはならず、全く違ったモノに私たちが支配されている可能性もあるわけですね。
 実はその方が可能性としては高い。私が想像できるようなことは、私でも回避、拒否することができるわけですから、人類をハックして支配するなんてことはできなくなってしまう。あるいは同じ発想の強力なライバルが登場するかもしれない。
 というわけで、この本はたしかにそれなりに面白かったけれども、全て想定内であり、もしかすると、想定外の未来からすると、全く当たらない予言書となるかもしれないわけですね。
 さてさて、この10年後の自分は、この記事をどのように論評するのでしょうか。楽しみですね。

Amazon GAFA 四騎士が創り変えた世界
 

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2019.04.06

ゲイリン・リー

Th_unknown_1 ろいろなジャンル、いろいろな天才音楽家の紹介が続いています。今日は障害を乗り越えて、いや、現実社会では障害と言われるモノも、音楽の世界では逆にプラスになることを証明するアーティストを紹介します。
 ゲイリン・リー。ご覧になれば、お聴きになればわかるとおり、彼女は脆性骨疾患を患い車椅子生活を余儀なくされていますが、独自に開発したヴァイオリンの奏法、そして彼女ならではの唱法、さらにはテクノロジーによるエフェクトを加え、実に自由な音楽を創造しています。
 面白いのは、ヴァイオリン(フィドル)の奏法が、結果として原点に還っているところですね。たとえば、日本の胡弓の奏法とほぼ同じですよね。楽器の構え方、弓の持ち方、楽器を傾けることによる移弦などです。これはアジアの弓奏楽器によく見られる奏法です(実は私も得意)。
 また、体が小さいことによって生まれる独特な声質は、普通では得られない天賦の才能であると言えます。いわゆる障害が独特の奏法や表現を生んだ例は、たとえばジャズでは、骨形成不全症(小人症)のミシェル・ペトルチアーニとか、左手が基本3本指しか使えなかったジャンゴ・ラインハルトなどが思い浮かべられますね。音楽が、こうして社会の価値観をいとも簡単に超えてくれることは素晴らしいと思います。

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2019.04.05

美空ひばり 『東京キッド』

 球中継のあと、美空ひばりさんの番組が始まりました。何年か前に偶然見つかった、ひばり13歳の時のアメリカ公演の音源を紹介する番組でした。
 1950年、美空ひばりは師匠川田晴久とともに「東京キッド」をレコーディングし、のちに二人を主役にした映画「東京キッド」に出演しています。これがきっかけで、天才少女美空ひばりの人気は不動のものとなりました。
 実はその年、レコードや映画が発表される前の5月から7月、二人は戦後間もないアメリカを旅しています。その際のサクラメントでの秘蔵音源が見つかったのです。
 その録音の中には「東京キッド」はありませんが、まあその素晴らしさ、天才ぶりには舌を巻きます。もうどうしようもない。
 さて、「東京キッド」のオリジナル盤、また1970年台の再録音とは違い、晩年のライヴではこの曲を上手にいじって、さらに歌の魅力を倍増させています。
 それこそ説明の必要はないでしょうが、まあ、節回し、声色の使い分け、リズムの崩し、そして表情や動きまで、本当にすごいとしか言いようがありませんね。特に私が好きなのは「右のポッケにゃ…」の部分で「ブルーノート」を使うところです。原曲とは違った大人のムードが一瞬漂いますね。
 いや、正確に言いますと、これはブルーノートとは違います。ジャズの影響と言うよりも、日本古来の歌、たとえば端唄や小唄の影響でしょう。ドレミで言うなら、ミの♭とミの間の音だったり、あるいはレとミ♭の間の音。これは日本の音楽では当たり前に行ったり来たりする節回しです。
 というか、ブルーノートと称されるものも、無理やり西洋音階の中で表現しようとしているだけで、そのルーツは日本の節と同じような、自由で連続的な「節」でしかありません。
 実は、最近高く評価している松浦亜弥さんは、その「節」を上手に回すことができるんですよ。ひばりさんと同様、おそらく意識していないと思うんですけどね。実は日本人の歌姫の絶対条件なのでした。

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2019.04.04

オランダ・バッハ協会 『バッハ マタイ受難曲』

 日は、世界で一番好きな歌「渡良瀬橋」を紹介しましたが、今日は宇宙一すごいと思う曲、バッハの「マタイ受難曲」の新しい名演奏を紹介します。
 4月2日に公開されたオランダ・バッハ協会の演奏です。日本人若手ヴァイオリニストの佐藤俊介さんが音楽監督&コンサートマスターを務めるオランダ・バッハ協会管弦楽団。今年の秋には来日が決まっています。ぜひ生で聴きたい団体の一つですね。
 この演奏、ある意味地味というか静かというか、淡々と物語を紡いでいくという感じですね。それがなぜか新鮮に感じられました。ここのところ、ドラマティックな演奏ばかり聴いてたからかな。
 マタイ受難曲の中でも有名なアリア、あの「憐れみたまえ、わが神よ」について、佐藤さんが語っている内容が実に興味深いですね。なるほど。バロック・ヴァイオリン弾きとして勉強になります。この曲のヴァイオリン、めっちゃ難しいんですよ。歌の伴奏として演奏するという意味で。そう、歌の旋律との関係性に深い意味があるので。

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2019.04.03

松浦亜弥 『渡良瀬橋』

 ぜか山口家に「あややブーム」が訪れています。 
 この前も書いたように、なぜ今か…ではなく、今だからこそなのです。昭和のアイドルの匂いを残す、平成最後のピン・アイドル松浦亜弥さんこそ、令和の時代に再評価されてほしい。そして、子育てが落ち着いたら、ぜひ復帰してもらいたい。
 そう、4月13日、森高千里さんが山梨でコンサートするんですよね。本当は行きたくてしかたないのですが、自分のコンサートの練習があって残念ながら行けません。森高さんも子育てが一段落して、見事に復活しましたよね。ちっともオバさんにならずに、とっても魅力的な大人の女性になって、じっくりセルフカバーをしています。とっても素晴らしい歌手人生、アイドル人生だと思います。
 森高さんを心から尊敬しているという松浦亜弥さん。ぜひ、同じように将来復活してほしいですね。
 そんなお二人を結ぶのが、この超名曲「渡良瀬橋」です。
 いつかも書いたとおり、私、この曲が世界で一番好きな歌(の一つ)なんです。本当に好きです。歌詞、節、コード進行、アレンジ、歌唱、本当に完璧です。短い前奏や終わり方も素晴らしい。リコーダーの間奏、それもあのブルーノートが…(笑)。
 そんな名曲「渡良瀬橋」。いろいろな人がカバーしていますが、このあややのバージョンは本家と同レベル、もしかするとそれ以上に素晴らしいかもしれません。特にこのライブの歌唱は神がかってますね。毎度オジさんは泣いてしまうのですよ(涙)。
 18歳ですよ、この時。そう、美空ひばりみたいに歌と一体化している。歌が好きとか、そういうレベルではありませんね。歌になりきっている。すごいですね。ぜひいつか生で聴きたい!

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2019.04.02

令=命

159ef11 日の続きになります。
 「令」の文字についていろいろ書きましたが、世間では「命令」されるようでイヤだ!とか騒いでいる人もいるようです(苦笑)。
 私個人としては「令」の字と「和」が同居していることに、ある種の感動を覚えます。
 「和」については、このブログでいやというほど書いてきました。こちらからいろいろお読みください。
 「令」についても本質的なことを書いておきましょう。
 まず確認しておきたいのは「令」=「命」であるということ。よく見ればわかるとおり、「命」の中に「令」があります。「令」+「口(お皿)」が「命」です。
 もともと「令」という漢字がありました。これは、礼帽をかぶって跪いて神意を聴く人の姿とも言われています。上の金文の文字を見ればわかりますね。
 つまり、神のご意思を素直に受けいる様子であり、誰か人間に命令されているということではありません。
 さらに丁寧になって、目の前に祝詞を受けるお皿を置いたのが「命」。「令」をさらに丁寧に謙虚にしたのが「命」というわけです。
 その「命」が「いのち」の意味になったのは、さらに後のことで、すなわち私たちの「いのち」こそが天(神)から授かったものであると気づいてからのことです。
 ですから、このたびの元号「令和」は、読み替えると「命和」となるわけであり、まったくもって素晴らしい元号であるということになります。少なくとも私はそのように直観いたしました。
 「命令」という言葉も、そう考えますと、偉そうな上司や先輩や先生が用いるべきものではないということになりますね。あくまで、天命、使命という意味合いで使われるべきです。
 まさに、令和の時代は、私たち人間が天から与えられた「命」に目覚め、他者の「命」をも重んじつつ、地球全体が「和」していく時代になっていくことでしょう。日本という国の大きな使命を感じる次第です。

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2019.04.01

令和

Th_as20190401004285_comm 元号が発表になりました。「令和」。おお、なるほど、こうきたか。
 万葉集からの引用ということですが、ラ行音で始まる和語はないので、ある意味とっても中国的だと感じました。
 調べてみると、ラ行音(R)で始まる元号は今回で四つめ。
 平安時代の「霊亀」、鎌倉時代の「暦仁」、南北朝時代の北朝「暦応」、そして「令和」です。
 なんとなく新しい感じがするのは、ラ行音で始まっているからだと思います。先ほど書いたように、大和言葉においては、ラ行音が語頭に来ることはありません。ラッパもリンゴも全て外来語です。
 外来語はすなわち新しい文化。また往時においては、半島や大陸は尊敬すべき存在でしたから、ラ行音にはどこか神聖な感じもあった。
 尊敬、自発、受身、可能を表す助動詞「る・らる」がラ行音なのも偶然ではありません。自分の力の及ばない感じを表す助動詞ですから。
 さて、別の日本語的興味としては、アクセントの問題がありますね。「昭和」もそうでしたが、頭高アクセントなのか平板アクセントなのか。
 これはおそらく慣れてくると平板化して落ち着くと思います。これも日本語のクセです。頭高はエネルギーを要しますから、楽な発音に移行していくんですよね。
 それから長音の問題もある。「れいわ」なのか「れーわ」なのかということですね。これも楽に発音できる「れーわ」に収束していくでしょう。
 また、漢字の問題もあります。ご存知のとおり、「令」いう字は、書体によって最後の画が縦棒なのか(そしてはねるのか)、右下に向かう点なのかという違いがあります。これはどちらも許された字体なのですが、これも楽な方、すなわち「マ」で終わる方が一般的になるでしょうね。
 そして、元号が私たちの生活になじんでいくわけです。
 続きはまた明日。

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