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2019.01.28

「嵐」の予感…その2

Th_jaca56256 Are you happy?
 昨日は「予知夢」の話をしましたが、もう一つ最近偶然といえば偶然なことがありました。
 ある生徒から現在と未来の自分に関する相談を受けまして、その中にジャニーズの話も出てきたのです。
 その生徒の悩みの根幹には「性意識」の問題があり、つまり自分の性別に対する違和感というか、まあ思春期にはよくある悩みとも言えますが、そういう相談でした。
 そこでなぜジャニーズかというとこういうことです。私はずいぶん前から日本の文化における「性別越境」を研究、考察してきました。
 いや難しいことではなく、たとえば現代で言うなら、宝塚における男役とか、やたらテレビで見かけるおネエ芸人とか、女性歌手が歌う男歌、男性歌手が歌う女歌とか、そういうトランスジェンダーの事例ですね。言うまでもなく古くは歌舞伎はそうですし、ある意味相撲もそういう要素がある。土佐日記なんかもそうです。
 ここには日本人のネオテニー(幼生成熟)の問題がからんできています。性未分化の「少年」文化ですね。
 そういう文化の中で言いますと、ジャニーズの特性というのはまさにその性未分化の「少年性」にあるわけです。そして、そこに働く外的反応というのは、恋愛よりも母性愛ということになります。
 恋愛、特に女性の恋愛につきものなのは「嫉妬」です。それを巧みに覆い隠す文化こそが、たとえばジャニーズであり、宝塚であり、BLの世界です。そうしたものが日本で特徴的に発達しているのは興味深いですね。
 要はリアルな男女の「性」への忌避感と、そこに伴うのであろう本能的な「嫉妬」を、文化的発明によって低減される知恵なのです。
 ですから、男だけの世界ジャニーズと女だけの世界宝塚の、両者のファンが基本ほとんどすべて女性だというのも納得がいきます。もちろんBLのファンも女性ですね。
 そう、男はみんなスケベだし、それが嫉妬なんかを軽く凌駕してしまうので、そういう文化的装置はいらないのですよ(笑)。
 ちなみに、イケメンだけど低身長という残念な男と、美女だけど高身長という残念な女という、両極端を輝かせるという機能においても、またジュニアと音楽学校という教育システムにおいても、ジャニーズと宝塚は非常に近い関係といえます。
 ただ、現代において、その機能はますます重要になってくる一方、組織としての構造が前時代的になってきているのは事実です。つまり「ブラック」と言われる(言われてしまう)ようになったと。そういう意味で、ジャニーズの崩壊というのも歴史的必然なのではと、特にここ1年は感じてきたのであります。
 それがいわば「予感」だったと。宝塚は基本テレビとのつながりが少ないので、マスコミ、ワイドショーの俎上に乗りにくいのですが、実際内部では問題が噴出していると聞きます。
 もちろん、これはこうした芸能の世界だけでなく、多くの「昭和」的文化共通の問題です。他人事ではありません。
 話がそれてしまったので戻しましょう。ジャニーズの価値としての「少年性」。これを40過ぎや30代後半のオジサンたちが担うのは限界があるでしょう。彼らがその呪縛から自ら逃れようとすることを責められませんし、そんな無理を強いてきた会社、そしてファン、世間こそ反省するべきかもしれません。
 心からお疲れ様と言いたい。ほとんど宗教とも言える献身的で脱欲的な人生を送ってきたわけですから。

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