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2019.01.30

追悼 橋本治さん

Th_20190129oyt1i50031l 大なる先達がまた天界に逝かれた。
 先達という言葉を思いついたところ、たまたま内田樹さんも同じく「先達」という言葉を使っておられたのでびっくりしました。いや、恐縮しました。内田さんにとっての先達を、私が同じ言葉で形容するなど…いやいや、高次元は低次元を包括するからいいのか(苦笑)。
 そして、内田さんの追悼文を読んで、いろいろなるほどと思いました。それこそ次元は違えど、自分の今の人生、特にこうして書き散らしている内容というかスタンスの、そのルーツにあったのは、高校時代に読んだ「桃尻娘」だったのだなあと。
 昨年末にも、なんだか偉そうに一般人相手の「枕草子講座」なんかやっちゃいましたが、考えてみるとそのベースにあるのも「桃尻誤訳枕草子」でした。
 世の中の権威や常識を疑うこと、そこに現代的(つまりワタクシ的)視点を自由に貫入させること、ユーモアを忘れないこと。そういうことをたくさん学びました。
 自分のブログを改めて検索してみたら、14年前のこういう記事が出てきました。書評にならない書評を書いている。けっこう面白い。

『「わからない」という方法』 橋本治 (集英社新書)

 さらに面白いのは、たまたまでしょうが、その数日前に紹介した『先生はえらい』 内田樹 (ちくまプリマー新書)と連関した内容になっている。お二人を「賢い」「頭がいい」でやっつけてしまっている(笑)。
 でも、そういうことなんだと思いますよ、今でも。
 本当に頭がいい人、賢い人、えらい人が、こうしてこの世を去ってしまいましたが、本当に頭がいい人、賢い人、えらい人は皆、ちゃんと言葉を遺してくれます。そうしてこの現実界に生き続けるのです。
 とりあえず、現実の世界でお疲れ様でした。ようやく高いところにお住まいになれますね。

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