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2019.01.14

ファミリーヒストリー『堺正章~父は伝説の喜劇役者 引き継がれる覚悟~』(NHK)

Th__20190115_102320 にげなく観ていたらよく知った風景が出てきたのでビックリ。
 へえ〜、私の職場のすぐ近くに堺駿二さんが住んでいたとは!
 今回もまたNHKさんの取材力のすごさを痛感する内容でしたね。潤沢な資金と時間、優秀なスタッフのおかげでしょう。私もいくつかNHKさんの番組に出させてもらいましたが、そのたびにいろいろ感心させられてきました。民放さんは民放さんでまた違ったすごさを感じますが。
 さて、堺正章さんのお父さんである堺駿二さんが主役だった今回のファミリーヒストリー。早川雪洲の懐に飛び込み認められたというのはさすがですね。
 堺正章さんは、そんな偉大なお父さんをある意味で超えたかもしれません。それこそ父親譲りの才能もあったことでしょう。しかしそれよりなにより、堺さん父子の時代を読む力、笑いをベースにした利他精神、そしてお人柄こそが成功の要因だった。まあ、それもまた才能(タレント)ということでしょうけれど。
 堺駿二さんが富士吉田に住んだのは昭和15年とか16年とかでしょうか。当時月江寺界隈は瑞穂村が下吉田町になったばかり。戦争の影もちらつき始めていましたが、織物産業でかなり盛っていた時代です。そんなこともあって堺駿二さんは商売になると考えたのでしょう。
 戦争が始まると、下吉田の織物業は厳しい状況になります。絹織物は奢侈とされ、織機は金属として接収されていきます。そんな空気も感じたのでしょう。堺さんは昭和17年に東京に戻り役者業を再開します。
 まあそれにしても、ウチの学校(当時はまだありませんでしたが)の目と鼻の先に昭和の名役者が住んでいたとは。面白いですね。ちなみに正章さんは戦後の生まれですから富士吉田とは直接縁はありません。
 戦後、下吉田の織物業は輸出増に伴い、ガチャマン時代と言われる隆盛期を迎えます。映画館も昭和30年台には、下吉田だけでも銀嶺シネマ、松竹館、富士国際劇場、武蔵野大映、富士映画劇場と5館が林立していました。一つもなくなってしまった今からすると信じられないですね。こんな狭い地域に5館ですよ。きっと、堺駿二さんの出演した映画もたくさん上映されていたことでしょう。
 今回の堺駿二さんの富士吉田居住情報には、ユリ・ゲラーさんの富士吉田居住情報なみにびっくりしました。

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